← 検索結果へ戻る
追録6-No.722届書旧記雑録暫定版・確認中

島津重豪届書

明和七年十二月(日無記載、付注に翌卯正月の提出・受渡)/原整理番号 722/整理ID 722

確認度中
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

私領は呉國口にあり、東・南・西の三方、数十里の大洋海を抱えるため、毎年のように唐船が漂着し長崎へ送ると述べる。以前にも白帆の船が領内の沖に見え、前年には屋久島・甑島に呉國人を囲い置いて長崎へ送ったことがあり、平時から呉國方を堅固に守ることを主要な奉公としているという。海上を見渡せる津・浦・島の各所に番所を置き、各番所へ城下の士三、四人ずつを送り、勤番を交代して不断に守らせる。番人のほかにも各所へ士を多く遣わし、呉國方の役を命じる。城下には唐船方・呉國方を管する役所を置き、家老一人、用人二人を配置する。長崎間役・唐船引受役人・警固の者・医師・足軽・通事など多くの人数を置き、漂来の注進があれば、その中から漂着場所へ駆け付け、江戸・長崎への届出が滞らないよう命じる。唐人と通じる通事は多くなく、複数の唐船の同時漂着への対応と急事の助けに備え、数十人を仕立て、内二、三人ずつ長崎へ送って修練させる。城下だけに通事を置くと遠方の浦島では間に合わないので、各所にも配置する。悪意の唐船を追い払う場合は、家老以下三百五十人一組ずつを船数に応じて繰り出すよう平時から手当てし、関船・小早船その他大小の船と、手配を心得た者を役所に置く。甑島は長崎へ往来する唐船・阿蘭陀船の針筋にあり、城下から遠く、長崎への順路に当たるので、番頭格と城下の士を置き、ほかにも多くの士を在島させる。荒波の海を渡って急事に船を差し向けるのは難しいため、唐船送届用の関船・小早船を平時から備え、漂着時には島中で処理し、問題なく済んだ唐船を番頭格から直接長崎へ送るようにしている。長崎で非常事態があれば公儀の下知を守って国元から人数を送る備えとして、長崎の屋敷以外にも三ヶ所ほど人数を置ける地面を予め借地させておく。国元へ知らせればほかにも記せる件はあるが遠国で難しいため、まず手元の帳面にある分を概略書き上げると結ぶ。年は明和七年の朱注、十二月付。張紙は寅十二月十九日、別紙二通について松平右近将監の内意を得たところ、願書を簡略にするよう指図があり、翌卯正月十三日に留守居佐久間新左衛門が提出、十五日に留守居が召され中村与太夫が出向き、付札を添えて願書を渡された経過を記す。

登場人物

島津重豪(目録)、領内家老・用人、士、番頭格、長崎間役(原表記)、唐船引受役人、警固勤の者、医師、足軽、通事、松平右近将監、留守居佐久間新左衛門、中村与太夫

宛先

—

キーワード

呉國口三方数十里海、唐船漂着長崎送、前年屋久甑囲置、海上番所士三四人交代、城下家老一人用人二人・唐船方呉國方、各役医師足軽通事、通事数十人・二三人ずつ長崎修練、遠方浦島配置、悪意唐船三百五十人一組船数に応じ繰出、関船小早、甑島番頭格常備・無事唐船直送長崎、長崎非常時公儀下知・屋敷外約三ヶ所借地、翌卯正月十三提出十五受渡

冊子頁

270~271~272頁

読込量

中

面白さ

★★★★★

原文を確認

(2)173~309頁(明和4~明和8).pdf