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追録6-No.739記事旧記雑録暫定版・確認中

重豪、帰国の途中に長崎を巡遊する記事

明和八年二月二十五日~十一月(記事所載日、原日付に異同留保)/原整理番号 739/整理ID 739

確認度中
この文書は暫定版です

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概要

明和八年の任官・拝領・服章と、帰国途中の長崎見学、帰国後の役職変更を日付順に記す。二月二十五日、島津栄女を若御年寄とし、新納次郎四郎久儔を大御目付として内蔵の称を賜った。四月十六日、大家の使松平周防守が物を賜り、公は邸で受け、帰国を命じられ、西丸からも阿部豊後守を使いとして例どおり物を賜った。十九日に朝して拝恩し、大家が懇ろに諭し馬を賜った。二十一日、閣老の承旨により使人が馬を牽いて邸に届け、公が玄関へ迎えて敬拝した。二十六日、服章の制を定め、十字の章は世子に限り、翁主も用いてよいとし、他の公子は桐または牡丹を用いるという。二十七日、國老樺山左京が公の首途を祝う記事があり、二十九日、民部卿の使い田沼能登守が賜物を届けた。家治の真筆を望み、二幅を一橋を通じて賜り、謝恩したことを記す。注には女松島による取次、太公望・伝説図という二幅の題と六月十五日説があり、月日の誤りを疑うとする。五月三日、閣老を訪ねて賜書に礼を述べ、三家へ告別した。二十八日に邸を発ち、六月五日伏見邸、二十一日大坂邸に至った。今月八日、信解君が西田館で卒去し、二十二日に訃報が達したため、中村早太を先に進香へ遣わした。二十七日に大坂を発ち、七月朔日に坂越、八日に大里に至ったと記す。十六日長崎邸へ至り、十七日、今村政十郎を無役中通とし、十八日、奉行所を訪ね大家の起居を伺った。十九日、林市兵衛宅で「陣所」を見て市人を召見し、二十日、福済寺・聖王寺を訪れた。二十一日、針鹿太左衛門宅で「前裁」を見て、福田十郎右衛門宅も訪れ、二十二日唐人館、二十四日聖堂・聖堂預の向井齋宮宅、興福寺・宗福寺、二十五日出島館を見学した。出島では小鷹丸・御橋の記載と、紅毛船に乗ってしばらく見た旨を伴う。二十七日平野善次右衛門、二十八日今村源右衛門の茶亭を訪れ、紅毛人を呼んだ。訪問時の帷子・上下・羽織裃・御道具などの服装注もある。八月九日、大波戸から出帆し、長崎邸には凡そ十八日滞在したと記す。十四日、阿久根所在の大島に着き、十五日、阿久根に至って大島を再び狩り、十八日府へ至り、末川織衛久中を江戸へ謝恩に遣わした。二十一日、山岡齋宮久容を家老とした。九月二十一日、家老桂織部久中を病のため免じ、まだ老齢でないので慎んで療復を待てと諭した。十月十日、松峯山で淨國公(吉貴)の二十五年諱辰に謁し、長上下を着た。十三日、尾畔へ行き十五日に還った。十一月の記事は、近習役が従来使番下と同級だったのを進格し、「御近習役次席」を置き、職禄九十石を給する命令を記す。出典は近秘野艸。

登場人物

公(重豪)、島津栄女、新納次郎四郎久儔、大家、家治公、松平周防守、阿部豊後守、國老樺山左京、民部卿、田沼能登守、一橋、女松島(原注)、閣老・三家、信解君、中村早太、今村政十郎、林市兵衛、市人、針鹿太左衛門(原字形留保)、福田十郎右衛門、向井齋宮、平野善次右衛門、今村源右衛門、紅毛人、末川織衛久中、山岡齋宮久容、桂織部久中、淨國公(吉貴注)、近習役・使番

宛先

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キーワード

栄女若御年寄・新納久儔大御目付内蔵、帰国命・物馬拝領、服章世子翁主十字他公子桐牡丹、家治真筆二幅・一橋謝恩、首途告別・伏見大坂坂越大里長崎、信解君訃報進香、奉行所寺院聖堂唐人館出島紅毛船茶亭巡遊、八月九日出帆・凡十八日、阿久根大島府帰着、山岡家老・桂久中病免療復、淨國公二十五年諱辰、近習進格職禄九十石

冊子頁

275~276頁

読込量

中

面白さ

★★★★★

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(2)173~309頁(明和4~明和8).pdf