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追録6-No.760記事旧記雑録暫定版・確認中

於栄(綱貴女)卒の記事

明和八年六月八日~十四日(編年記事所載日)/原整理番号 760/整理ID 760

確認度中
この文書は暫定版です

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概要

大玄公(綱貴)の女で、初名から於栄へ改称したことを注す。松平隠岐守定英(伊予松山城主)に嫁ぎ一男を生んだ後に絶婚し、本府西田の亭へ帰って長年住み、後に剃髪して信解院と称した。付注は夫の死後に妻が某院と称する習俗を説明し、於栄はそれとは異なり剃髪して初めて信解院と称したという。この年六月八日、西田の亭で病卒し、信解院殿方廣淨玄大禪尼と諡した。十二日夜、霊柩を壽國寺へ移し、喜入久福が代わって焼香した。十四日夜葬送し、惠通和尚が引導、小松清香が代わって木主を持ち、島津久峯も代わって焼香した。牌位を安置し石塔を建てたこと、先に寿像を寺へ納め逆修の石塔も建てていたことを注す。寺へ廩米三石・銀五枚を納め、冥福を助けた。出典は重豪公御譜中。

登場人物

大玄公(綱貴注)の女於栄、松平隠岐守定英(伊予松山城主注)、家老喜入主馬久福、壽國寺住持惠通和尚、家老小松帯刀清香、島津木工久峯

宛先

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キーワード

綱貴女於栄、定英婚姻・一男・絶婚、西田帰住、剃髪信解院、六月8病卒・諡号、12霊柩壽國寺久福代焼香、14葬送惠通引導清香木主久峯代焼香、牌位石塔寿像逆修塔、廩米三石銀五枚

冊子頁

287~288頁

読込量

小

面白さ

★★★★☆

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(2)173~309頁(明和4~明和8).pdf