明和七年間公辺記事
明和七年閏六月七日~十二月晦日(記事所載日)/原整理番号 701/整理ID 701
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概要
明和七年の閏六月から十二月まで、公辺の礼式・昇格・贈答・役職変更を記す。閏六月七日、正覺夫人主が御座間で謁し、芭蕉上下を着用した。毎月の淨國公・宥邦公・慈徳公・圓徳公・智光夫人・正覺夫人の諱辰には親しく謁して進香し、慈照夫人・照雲君については正辰に親しく進香、その他の期は「因進」とし、礼装の定式を命じる。芭蕉の語にはママ注を伴う。十一日、赤松則正・島津久連・島津久金が客舎を訪れた。十八日、大家の使老女が守宮へ来て新婚を祝い、公が迎え拝した。服装には熨斗・縮帷子・麻上下の注がある。二十八日、赤松甚右衛門則正・二階堂蔀行旦を大御目付格に陞し、職禄を各二百斛、爵を進め世列寄合とし、職務は従前どおりとする特恩を与えた。七月四日、大家の使人が雲雀を賜り、公は少疾のため松平隠岐守を招いて迎拝・拝恩を代わらせた。この月、御茶道頭を「御同明頭」と改める命令を記す。九月二十六日、慈照夫人主の小祥忌の法事で大円寺へ謁し、先君夫人の例の長上下に対して、この時は熨斗目上下を着たという。十月二十日、國老の樺山左京久智・島津左中久金に御側事を領して交聴させ、従来の江戸・西藩の國老による輪番を改めた。十二月十六日、大円寺へ謁し、熨斗目・半切を着た。近侍先番の服も、それまでの熨斗目から「不洗物」へ改める命令を記す。十八日、大家が使いを遣わし、鷹の撃った鶴を例どおり賜った。公の服装との注があり、同月晦日の除夜には熨斗目・長裃を記す。出典は近秘野艸。
登場人物
公(島津重豪)、正覺夫人(重年室・島津貴儔女注)、淨國公(吉貴注)、宥邦公(継豊注)、慈徳公(宗信注)、圓徳公(重年注)、智光夫人(重年継室・宗尹女注)、慈照夫人(重豪室・一橋宗尹女注)、照雲君(重豪女・悟姫注)、赤松則正、島津久連、島津久金、二階堂蔀行旦、大家の使老女、松平隠岐守、樺山左京久智、島津左中久金、御茶道頭、近侍先番
宛先
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キーワード
諱辰進香・礼装定式、閏六月七日正覺夫人謁、十一日客舎訪問、十八日使老女新婚祝、二十八日大御目付格二人各二百斛・奉職如故、七月四日雲雀下賜代拝、御茶道頭改称、慈照夫人小祥忌、國老御側事輪番変更、大円寺謁・先番不洗物、鷹撃鶴下賜、除夜礼装
冊子頁
265頁
読込量
中
面白さ
★★★★☆
(2)173~309頁(明和4~明和8).pdf