重豪参勤す
明和七年正月二十七日~四月十五日/原整理番号 640/整理ID 640
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概要
正月二十七日、重豪が薩府を発ち、江都へ参勤した記事。島津久金・樺山久智、赤松則正、関山金郷・二階堂行旦、村上範村らが随従し、九州の駅路を経て二月十一日に豊前大里へ着いた。十二日は風波で滞留し、十三日に乗船して大里を発ち、二十七日に播州坂越へ着いた。ここから陸路で三月二日に大坂へ着き、三・四日は滞留、五日に大坂を発って川を遡り、その夜に伏見の旅館へ着いた。七日に伏見を発ち東海の駅路を進み、十六日に遠州掛川へ着いたが、その日の大雨で大井川が満水となり渡れず、十九日まで滞留した。二十日に金谷駅へ泊まり、二十一日に大井川を渡り、二十三日に箱根へ泊まった。酒匂川も増水して渡れず二十六日まで箱根に滞在し、二十七日に箱根を発った。道中滞留せず晦日に江都へ着いたとも述べ、直ちに芝邸へ入ったとする。四月十三日には、上使田沼意次が命を奉じ芝邸へ来て旅の労を慰めた。十五日、重豪は登城し家治公へ太刀一腰・白銀五十枚・縮緬二十端を献じて拝謁し、家基公へも白銀五十枚を献じ拝謁した。先例により家老島津久金・樺山久智も各太刀一腰・馬代白銀一枚を献じ、拝謁を許された。久金の奏者は土屋篤直、久智の奏者は大岡忠喜で、礼を終え重豪は退出した。
登場人物
重豪、島津左中久金・樺山左京久智(家老)、赤松甚右衛門則正(側用人)、関山新左衛門金郷・二階堂蔀行旦(側用人兼近習役)、村上桂馬範村(近習役)、田沼主殿頭意次、家治公、家基公、土屋能登守篤直、大岡兵庫頭忠喜
宛先
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キーワード
正月27薩府発、家老側用人近習随従、大里風波滞留・13出帆、坂越大坂伏見、掛川大井川増水滞留、金谷渡河、箱根酒匂川増水滞留、三月晦江都芝邸到着、四月13田沼上使、15登城、家治太刀一腰白銀五十枚縮緬二十端、家基白銀五十枚、家老各太刀馬代銀一枚拝謁・奏者
冊子頁
238~239頁
読込量
中
面白さ
★★★★☆
(2)173~309頁(明和4~明和8).pdf