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追録6-No.594記事旧記雑録暫定版・確認中

重豪室徳川氏卒す

明和六年九月二十三日~翌年三月十日(死去は九月二十六日)/原整理番号 594/整理ID 594

確認度中
この文書は暫定版です

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概要

重豪の妻徳川氏が出産し、子はほどなく亡くなったこと、妻も腫満の病を発し、医療により一時少し快方に向かったことを記す。九月二十三日には胸膈に積塊が生じ薬餌が通らず病状が悪化し、二十六日に東都の芝邸で死去した。法諱は慈照院殿圓應靈珠大姉。二十七日の夜に納棺し、二十九日の夜、霊柩は芝邸東門を出て芝大円寺へ向かった。桂久中、仁礼仲古、有川貞厚、澁谷国房、白井昌佳と納殿役以下が随従した。十月三日夜に埋葬し、大円寺海鱗和尚が導師を務め、桂久中が木主を奉じた。宮之原通直、新納久儔、二階堂行旦、佐久間村央、大野清純、澁谷国房、白井昌佳らが葬儀に列し、桂久中は重豪に代わって焼香した。親戚から香奠銀が寄せられ、四日から八日まで大円寺で中陰の仏事を修した。八日には家治公が宮人を遣わし、御香奠銀十枚を賜った。十月十三日に訃報が麑府へ達した。翌年正月晦日、遺髪を国許へ送り、納殿役富滿伊太夫道持と奥横目以下が護送した。東海道伊勢路を通り、大坂から船で豊前小倉へ渡り、さらに陸行して三月十日の夜に福昌寺へ到着した。既に廟が建てられており、その夜に遺髪を廟中へ納めた。東都からの護送では先例により実際の名を示さず「転送什物」と称し、領内の出水へ至って実情を公にしたという。

登場人物

重豪、徳川氏(一橋宗尹女)、家治公、桂織部久中(家老)、仁礼仲右衛門仲古(側用人)、有川勇馬貞厚(留守居)、澁谷次郎太国房・白井猶右衛門昌佳(納殿役人)、大円寺海鱗和尚、宮之原甚五大夫通直、新納次郎四郎久儔、二階堂蔀行旦(側用人兼近習役)、佐久間新左衛門村央(留守居)、大野清太夫清純(使番)、富滿伊太夫道持(納殿役)、奥横目、親戚、宮人

宛先

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キーワード

徳川氏産子・子の死去、腫満と積塊、九月26芝邸死去、慈照院殿、納棺・霊柩移送・大円寺埋葬、随従参葬・代理焼香、中陰仏事、家治香奠銀十枚、十月13麑府訃報、翌正月晦日遺髪護送、東海道伊勢路・大坂海路・小倉陸行、三月10福昌寺納髪、転送什物・出水で公表

冊子頁

226頁

読込量

中

面白さ

★★★★☆

原文を確認

(2)173~309頁(明和4~明和8).pdf