追録5-No.2474御譜記事旧記雑録暫定版・確認中
重豪、継豊ノ遺髪ヲ高野山ヘ納メ、霊塔ヲ建ツ
宝暦十一年(記事。本文四月二十一日~六月十八日、塔銘六月日)/整理ID 旧記雑録追録5_文書2474
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概要
重豪が四月二十一日に継豊の遺髪を牌堂から客殿へ移し、翌朝、島津久尚が重豪に代わって焼香して福昌寺から送り出した経過を記す。重年の常用品を遺髪に擬して継豊の遺髪とともに高野へ納めることとし、川田伊織國福と寺僧らに護送させたが、久亮は多忙で同行できず、定勝は途中で帰った。一行は海路を経て六月十五日に蓮金院へ着き、十七日に継豊、十八日に重年のため、各五十口の大曼荼羅供を修し、川田が重豪に代わって焼香した後、奥院へ納めて両霊の石塔を建立した。継豊の塔銘には元禄十四年十二月二十二日の江府出生、宝暦十年九月二十日の薩府死去、重豪による祖父追薦の建立と石燈籠二基の寄進を刻み、末尾に宝暦十一年六月日とある。
登場人物
重豪・継豊・重年・島津大学久尚・川田伊織國福・島津圖書久亮・入来院石見定勝・大興寺龍堯・寶持院覺洲・山田元右衛門有隆・石黒茂矩・島津備中貴儔・島津周防忠紀・島津因幡久通・島津玄蕃貴澄
宛先
記載なし(独立宛なし。碑文は有邦院殿尊前)
キーワード
久尚代焼香納髪出発、川田寺僧護送、久亮不同行定勝帰、十七継豊十八重年各五十口、奥院石塔と碑銘
冊子頁
822頁
読込量
中
面白さ
高
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(6)787~961頁(宝暦10~宝暦12).pdf