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追録8-No.276忠義公御系図抄(出生・家督相続)旧記雑録暫定版・確認中

忠義の出生・旧名官位と斉彬の遺命による家督継承記事

天保11年4月21日出生;安政5年11月4日出発・12月25日江府着・12月28日襲封/原整理番号 276/整理ID 276

確認度中
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

忠義公の御系図抄。忠徳・茂久・壮之助・又次郎の旧名と官位等を列記し、天保十一年四月二十一日に重富第で生まれ、母は島津山城忠公の女と記す。安政五年十二月に家督を継いだ経緯として、斉彬の病が篤く、世子哲丸が二歳で重任を承けられないため、周防忠教の嫡男島津又次郎忠徳を後とし、文暉姫を妻とし哲丸をその世子に立てる遺命を述べる。その後幕府へ請い、忠徳は十一月四日に鹿児島を発ち、十二月二十五日に江府へ着き、二十八日に登城する。老中内藤紀伊守信親が、斉彬養子となり薩隅二州・日州諸縣郡と琉球国を従前の願いどおり領する旨を伝えたとする。奥平大膳大夫昌服の代拝も記す。冒頭の官位列記をすべて襲封当日の授与とはしない。

登場人物

忠義(旧名忠徳・茂久・壮之助・又次郎)、島津山城忠公の女(母)、斉彬、哲丸、周防忠教、文暉姫(字形留保)、内藤紀伊守信親、奥平大膳大夫昌服

宛先

宛先なし(忠義公御系図抄)

キーワード

忠義御系図、旧名忠徳茂久壮之助又次郎、重富出生、母忠公女、斉彬遺命、哲丸二歳、周防忠教嫡男、文暉姫、哲丸世子、十一月四日発、十二月二十五日着、十二月廿八日襲封、斉彬養子、薩隅日州諸縣琉球、昌服代拝

冊子頁

198頁

読込量

小

面白さ

★★★★☆

原文を確認

(2)148~276頁(嘉永7~文久2).pdf