中山王尚灝の謝恩使と斉宣・忠温の登城
文化3年9月4日~翌文化4年3月6日(遡及注に文化3年を明記)/整理ID 旧記雑録追録7_文書0911
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概要
秋9月4日琉使を率いて鹿城を発ち江府へ向かったが、予定して幕府の許可を得た斉宣の出発が遅れ、途中先に琉使を行かせたため、斉宣は10月19日江府へ着いた。芝邸は新築され、9月9日に忠温(島津斉興の注)が斉宣に代わって移徙礼を行い、29日に家斉から使者を遣わす恩命があった。11月朔日斉宣が登城して参府礼を述べ、本人への恩命と忠温への恩命を受ける。斉宣・忠温は正使朝敕を率いて本城で家斉に拝謁した後、西城で家慶に拝謁し、朝敕も拝謁した。27日には再び琉使を率いて登城し、大広間に家斉・家慶が臨み、琉人が奏楽した。斉宣・忠温は家斉へ、琉球王から受けた恩により両使の帰国を許されたいと請い、両使は江府を発って翌4年3月6日鹿児島へ帰着した。補説は尚成が亡くなり尚灝が継いだ後、今茲文化3年に幕府への謝恩使を遣わしたこと、正使讀谷山王子朝敕が6月29日、副使小禄親方良和が7月4日鹿児島へ着き、9月4日鹿児島発(発字脱かの校注)、11月13日両使江府着と記す。文化4年記事群中の遡及であり、本文主段の11月朔日拝謁と補説の11月13日江府着の順序差もそのまま留保する。
登場人物
中山王尚成、尚灝、斉宣、忠温(島津斉興・注)、徳川家斉、家慶、正使讀谷山王子朝敕、副使小禄親方良和、琉使
宛先
独立宛名なし(斉宣公御譜中の記事)
キーワード
文化三年遡及、尚成卒尚灝継、謝恩使、讀谷山朝敕、小禄良和、斉宣忠温、芝邸移徙、家斉家慶拝謁、琉人奏楽、江府到着日異同、翌四年三月六日帰着
冊子頁
286~287頁
読込量
小
面白さ
★★★★★
(2)152~346頁(寛政10~文化6).pdf