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追録7-No.910記事旧記雑録暫定版・確認中

斉宣生母堤氏の江戸赴行と高輪邸の身辺事情

文化4年丁卯8月14日発(本文前段)。同本文後段は9月6日発・10月15日着と記す/整理ID 旧記雑録追録7_文書0910

確認度高
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

斉宣の生母堤氏(於千万・御内證の注)が鹿児島田之浦亭に住んで久しくなる一方、父公は江府高輪邸に住み、同邸の男女が前後して夭亡し、側室慈光院(重豪側室市田氏の注)も亡くなったこと、斉宣の娘随姫が同邸に住んでいたことを記す。前年芝邸が焼けたため斉宣夫人と諸子も高輪邸へ移り、近ごろ芝邸へ戻りたいとして邸内が寂しくなっていたうえ、父公の老齢から多くの親族に代わって専ら世話する男女の従臣に頼る事情に、斉宣が安心できなかった。父公が堤氏を迎えて侍養に備えようとし、斉宣は喜んでそのことを堤氏へ告げ、堤氏も喜んで承諾した。高輪邸に居亭を整えて出立を促した。本文前段は丁卯秋8月14日薩府出発、9月20日大坂着・5日滞在、同年3月に暇を与えられた斉宣と面会した旨を記すが、後段は病のため発途できず初めて快癒して9月6日江府へ発したとも記す。後段は23日大坂着、斉宣と同邸で会い、25日東行、10月15日高輪邸着、斉宣23日鹿城着と続く。出典は斉宣公御譜中。出発日・大坂到着日に同文内の異同があるため両記載を残し、父公の記述を堤氏の父の由緒へ置き換えない。

登場人物

斉宣、堤氏(於千万・御内證)、父公、慈光院(重豪側室市田氏・注)、斉宣夫人、随姫、男女の従臣・一族親属

宛先

独立宛名なし(斉宣公御譜中の記事)

キーワード

堤氏於千万、父公高輪邸、慈光院市田氏、随姫、芝邸焼失、侍養、老年、旅程異同、八月十四日発対九月六日発、大坂到着日異同

冊子頁

286頁

読込量

小

面白さ

★★★★★

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(2)152~346頁(寛政10~文化6).pdf