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追録2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,207件中 501~600件・6 / 33ページ

  1. 追録2-No.497 小浜広隆書状

    小浜広隆が松平薩摩守へ、領内へ送られる流人三十八人が七月九日に鹿児島へ到着し、浦次の廻状一通を返進したとの書面を承知し、廻状を受け取ったと答えた書状。No.496と同趣旨で発給者が異なる。

  2. 追録2-No.498 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平修理大夫(島津吉貴)へ、留守中の奥向きの料理・振舞について又八郎へ詳細を伝えていたこと、参府前の六月十三日に又八郎の部屋で振舞いを済ませたとの報告を受け、念入りな通知を喜んだ書状。端午の目録記載品への吉貴の礼状と、七夕の目録記載品の贈答にも謝意を示す。

  3. 追録2-No.499 鳥居忠救書状

    鳥居忠救が松平薩摩守へ、愛寿丸を島津図書方の養子、徳慈丸を祢寝丹波の跡目養子に命じたと内々に知らせを受け、めでたいこととして祝意を述べた書状。残暑中も相手が健勝で在国していることを喜ぶ。

  4. 追録2-No.500 土屋政直・戸田忠昌・阿部正武・小笠原長重連署状

    土屋政直・戸田忠昌・阿部正武・小笠原長重が松平薩摩守へ、八朔の祝儀として使者を通じて献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく将軍へ披露したと伝えた連署状。

  5. 追録2-No.501 丹羽長守・近藤用高連署状(漂着唐船報告受領)

    長崎奉行の丹羽長守・近藤用高が松平薩摩守へ、去月二十八日付書状を拝見し、南京唐船一艘が去年九月十四日に琉球之内大島西古見へ漂着し同月晦日に出船したという中山王の報告を承知したと返す連署状。家来衆からの詳報も承ったとする。

  6. 追録2-No.502 島津綱貴覚

    島津綱貴が、城主列に加わった島津左京(島津惟久)へ、家中の仕置を徹底し、家来には法度を守らせて正道に励ませ、奢侈を避けるよう命じた覚。上野中堂造営の御手伝で財政が窮迫した事情を認め、大坂渡しの米五千石を扶助する一方、今後の願いには応じ難いとし、詳細は家老から伝えるとする。

  7. 追録2-No.503 島津図書ほか三名連署状

    島津図書・島津中務・喜入安房・肝付主殿が町田彌次右衛門・浅山治右衛門・神宮司外記へ、伊集院三右衛門・酒匂源左衛門が島津左京の願書と口上を届け、その内容を中将へ披露した結果、米五千石の扶助が認められ、左京へ別紙の書付を遣わしたと伝えた連署状。詳しくは両使者から聞くよう指示する。

  8. 追録2-No.504 島津図書ほか三名連署覚

    島津図書・島津中務・喜入安房・肝付主殿が、島津左京の上野中堂造営の御手伝に伴う借銀と年賦返済を整理し、中将の裁定による米五千石の扶助と、その大坂渡しに要する運賃米七百石を示した覚。家中・家老の倹約、借金の減少、知行や扶持方を含む財政の立て直しを求める。

  9. 追録2-No.505 島津図書書状

    島津図書が島津左京(島津惟久)へ、伊集院三右衛門・酒匂源左衛門から願書と口上を受け取り、同役中で相談して中将へ披露した結果、米五千石の扶助が認められ、書付を遣わしたと伝えた書状。詳しくは両使者から聞くよう告げる。

  10. 追録2-No.506 島津図書書状

    島津図書が町田彌次右衛門・浅山治右衛門・神宮司外記へ、伊集院三右衛門・酒匂源左衛門が島津左京の願書を持参したため、同役中で相談して中将へ披露し、その意向を連署状で伝えたと知らせる書状。詳しくは両使者から聞くよう告げる。

  11. 追録2-No.507 戸田忠利書状

    戸田忠利が松平薩摩守へ、尾張中納言の逝去に対する悔やみの書面を拝見し、その趣旨を甲府殿へ披露したところ、念を入れた弔意への謝意を戸田から伝えるよう命じられたと答えた書状。

  12. 追録2-No.508 小笠原長重書状

    小笠原長重が松平薩摩守へ、尾張中納言の逝去を受けた懇ろな弔意を承知し、差し越された使者の書面について関係者と相談したうえで上聞に達したと答えた書状。

  13. 追録2-No.509 松平輝貞・柳沢保明連署状

    松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、尾張中納言の逝去を受けて懇ろな弔意を示したとの書面を拝見し、その趣旨を承知したと答えた連署状。No.508と同日の同趣旨文書だが、こちらは二名の連署で上聞の記載はない。

  14. 追録2-No.510 徳川吉孚書状

    徳川吉孚(水戸少将)が松平薩摩守へ、尾張中納言の逝去に際して懇ろな弔意を示された深い厚志に感謝し、礼を伝えた書状。

  15. 追録2-No.511 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平大膳大夫へ、御台様用の狆犬につき女中衆から犬の毛付と文の写しが届き、領内を探しているが御用にかなう犬はまだ見つからないと伝えた書状。適う犬があれば相手方へ送るので、城中女中へ知らせるよう頼む。女中からの文の写しを返進し、こちらで飼っている犬の毛付を他方へ伝える件にも触れる。探索対象と飼…

  16. 追録2-No.512 島津綱貴書状

    島津綱貴が近藤備中守・丹波遠江守へ、暹羅から来た唐船一艘が去る九日に領内の屋久島一湊へ漂着したため、例のとおり番船を付け、天候を待って送ると在番者から報告があったことを知らせた書状。到着後は長崎へ送る予定で、詳細は家来から申し上げるとする。

  17. 追録2-No.513 島津綱貴口上覚

    島津綱貴の口上覚。暹羅から来た唐船一艘・百二人が去る九日に屋久島一湊へ漂着し、例のとおり番船を付け、天候を待って当国へ送ると現地在番者が報告したことを伝える。到着後は警固を添えて長崎へ送る旨を長崎奉行衆にも伝えたとする。

  18. 追録2-No.514 徳川綱條書状

    徳川綱條(水戸宰相)が松平薩摩守へ、相手の無事を願い、領所の鮭三尺を贈って後日の便りを期した書状。

  19. 追録2-No.515 島津綱貴書状

    島津綱貴が近藤備中守・丹波遠江守へ、屋久島一湊に漂着した唐船が去る十三日に山川湊へ到着したため、警固の者を添えて長崎へ送ると伝えた書状。詳細は家来から申し上げるとする。

  20. 追録2-No.516 島津綱貴書状

    島津綱貴が近藤備中守・丹波遠江守へ、去る十三日に薩摩国川内の京泊浦へ唐船一艘、十四日に阿久根の脇本浦へ唐船一艘が漂着したため、それぞれ番船を置いたと報告した書状。両船とも警固を付け、天候次第で長崎へ送るとし、詳細は家来から申し上げる。

  21. 追録2-No.517 願王院智周書状

    願王院智周が中将様御近所衆中へ、中将から使者をもって下された書状を拝見し、出羽国羽黒山兼帯大僧都を拝任したことに対する祝詞と目録どおりの品をありがたく拝受したと謝した書状。御礼の取り成しを頼む。

  22. 追録2-No.518 島津吉貴書状

    島津吉貴(松平修理大夫)が中将へ、愛寿丸を島津図書の養子、徳慈丸を祢寝丹波の跡目養子に命じたとの知らせを承知し、めでたいこととして喜んだ書状。家老中からの報告と、猿渡喜右衛門を通じた通知の双方に触れる。

  23. 追録2-No.519 島津忠英書状

    島津忠英(島津又八郎)が中将へ、愛寿丸を島津図書の養子、徳慈丸を祢寝丹波の跡目養子に命じたとの知らせを承知し、めでたいこととして喜んだ書状。家老中からの報告と、猿渡喜右衛門を通じた通知に触れ、No.518と同趣旨で発給者が異なる。

  24. 追録2-No.520 島津惟久書状

    島津左京惟久が島津図書へ、二人の使者を通じて願い出た件につき、中将から御助力米五千石を上方で拝借するよう命じられたことを謝した書状。御礼のため図書へ使者をもって肴一種を進上し、機会に中将へ披達するよう頼む。

  25. 追録2-No.521 島津惟久請書

    島津惟久(島津左京)が中将様御近習衆中へ、先頃二人の使者を通じて願い出た件について、中将の書付を受け取り、その趣旨を承知したと答えた請書。今後は忠勤に励むので、引き続き指図を仰ぎたいと頼む。

  26. 追録2-No.522 島津惟久書状

    島津左京惟久が島津図書・島津中務・新納美作・喜入安房・肝付主殿方へ、伊集院三右衛門・酒匂源左衛門を通じて願い出た件を相談して中将へ披露し、御助力米五千石を借用するよう命じられたことに謝した書状。中将の書付と家老からの書面を受領した厚意にも謝し、御礼の使者神宮司外記から詳しく申し上げるとする。

  27. 追録2-No.523 神宮司外記ほか四名連署口上覚

    神宮司外記ほか佐土原側五名が家老五名へ、島津左京の上野中堂御手伝で生じた借金、扶助米五千石と運賃米七百石、銀への換算、十年年賦による返済、知行・扶持方の削減、家中倹約を整理して申し上げた口上覚。新たな借金を避け、家老が正道を守って家中を統制し、財政を立て直す方針を示す。

  28. 追録2-No.524 島津惟久書状

    島津左京惟久が島津図書方へ、伊集院三右衛門・酒匂源左衛門を通じて願い出た御助力米五千石の借用が、相談して中将へ披露されたうえ認められたことを謝した書状。中将の書付と家老からの書面を受領し、従来の多くの取り計らいにも謝して、同役中へ伝えるよう頼む。御礼の使者神宮司外記を遣わし詳細を口上に含める。

  29. 追録2-No.525 神宮司外記ほか四名連署証文

    神宮司外記ら計五名が高橋左門・野村太左衛門へ、島津左京方が銀五百五十六貫目と米五千石を借りたことを証した連署証文。米は一石六十匁替で代銀三百貫目、二口合計銀八百五十六貫目とする。来辰年から毎年銀八十五貫六百目ずつ十年年賦、毎年極月までに大坂御蔵屋敷へ滞りなく返すと定める。神宮寺外記の署には司との傍注…

  30. 追録2-No.526 島津綱貴書状

    島津綱貴が近藤備中守・丹波遠江守へ、領内の川内京泊浦に漂着した唐船一艘について、警固の者を添えて長崎へ送ると伝えた書状。詳細は家来から申し上げるとする。

  31. 追録2-No.527 近藤用高・丹羽長守連署状

    長崎奉行の近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、十四日付書状で、暹羅から来朝した唐船一艘が今月九日に屋久島内一湊へ漂着し、例どおり番船を付け日和次第送ると現地在番者が報告した旨を承知した連署状。そちらへ着船次第、早々に當津へ送るよう求め、従前どおりの処置を指示する。

  32. 追録2-No.528 島津綱貴書状

    島津綱貴が近藤備中守・丹波遠江守へ、領内の阿久根脇本に漂着した唐船一艘について、警固の者を添えて長崎へ送ると伝えた書状。詳細は家来から申し上げるとする。

  33. 追録2-No.529 島津綱貴書状

    島津綱貴が大久保加賀守・阿部豊後守・戸田山城守・土屋相模守へ、端午の御内書を渡すので、翌日の五時過ぎに家来を江戸城へ差し出すよう命じられた旨を承知したと答えた書状。

  34. 追録2-No.530 初瀬姫誕生記事

    継豊公御譜中の記事で、継豊の姉にあたる初瀬姫(後の瀬君)が元禄十二年八月二十四日に武州高輪の第一邸で生まれ、後に近衛内大臣家久の簾中となったことを記す。母は勢州桑名城主松平越中守定重の娘である。

  35. 追録2-No.531 島津綱貴書状

    島津綱貴が戸田山城守忠昌へ、端午の祝儀として帷子単物を献上したところ御内書を下され、謹んで頂戴したことへの謝意を伝え、将軍への披露を依頼した書状。

  36. 追録2-No.532 近藤用高・丹羽長守連署状

    長崎奉行の近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、八月十三日に川内京泊、十四日に阿久根脇元へそれぞれ唐船一艘が漂着し、番船を付けたとの報告を承知した連署状。両船に警固の者を添え、天候を見て長崎へ送るよう命じる。

  37. 追録2-No.533 島津綱貴口上覚

    島津綱貴の口上覚。東埔寨から来た唐船一艘・五十六人が十三日に京泊へ漂着し、繋ぎ場が悪いため羽島へ曳船したと報告する。また暹羅からの一艘・百十三人が十四日に脇元沖へ碇泊したので小船で曳き入れたとする。両船に番船を付け、日和次第、警固を添えて送ることを長崎奉行衆へ申し越す。

  38. 追録2-No.534 島津綱貴書状

    島津綱貴が細井左次右衛門へ、麻布領内の芝に家来名義で置く年貢屋敷について、家来から申し出た内容への懇意な意見と屋敷・町境の指図を承知したと礼を述べた書状。この屋敷について当節願い出る趣旨があるため、適切な指図を求める。

  39. 追録2-No.535 島津綱貴書状

    島津綱貴が杉浦彌市郎へ、麻布領内の芝に家来名義で置く年貢屋敷について、家来から申し出た内容への懇意な意見と屋敷・町境の指図を承知したと礼を述べた書状。同じ日付・ほぼ同文で細井左次右衛門にも送られた文書で、この屋敷について適切な指図を求める。

  40. 追録2-No.536 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が長崎奉行へ、海南から来た唐船一艘・三十九人乗りが八月十二日に種子島の野間沖へ漂流し、風波を避けて十三日に島内の浦田へ曳き入れ、番船を付けたと報告した口上覚。二十三日に隅州の片浦へ送り、天候次第で警固を添えて長崎へ送るとする。

  41. 追録2-No.537 島津綱貴書状

    島津綱貴が長崎奉行の近藤備中守・丹羽遠江守方へ、海南から来た唐船一艘が去る十二日に種子島内野間沖へ漂流したので、同島浦田へ曳き入れ、隅州の地方内之浦という所へ送られて来たと報告した書状。日和次第、警固を添えてそちらへ送るとし、家来が詳細を申し上げるので飛札で通知する。

  42. 追録2-No.538 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が島津惟久へ、自身の屋敷替について、先頃小笠原彦大夫を通じて小笠原佐渡守の内意を得た後、差図に従い願書を御用番稲葉丹後守へ提出し、受理されたと江戸留守居から知らせがあったことを伝えた書状。島津惟久の周旋で願いどおりとなったとして謝意を述べ、将軍への披露も依頼する。

  43. 追録2-No.539 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平薩摩守へ、公方の機嫌を使者により伺った件につき、ますます勇健なので安心するよう伝えた書状。献上された肴一種は各人で相談し、首尾よく披露したと返す。

  44. 追録2-No.540 島津綱貴書状(鳥居播磨守宛)

    綱貴が鳥居播磨守へ、愛寿丸を島津図書の養子、徳慈丸を禰寝丹波の跡目養子に命じたことへの祝いの言葉と心遣いを謝した書状。八朔祝儀として目録どおり進物し、豊松殿・熊次郎殿・御息女へも同様に進めたと述べる。

  45. 追録2-No.541 柳沢保明・松平輝貞連署状

    柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守へ、公方の機嫌を伺ったとの趣旨を受け、ますます勇健なので安心するよう伝えた連署状。肴一種を献上したという紙面の趣旨を了承したとする。

  46. 追録2-No.542 近藤用高・丹羽長守連署状

    長崎奉行の近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、呉国船を近日帰帆させるにあたり、領内浦々で船へ飛び乗る者がなく、船中の者を残し置かないよう厳命した連署状。難風で陸近くへ来た場合は例どおり番船を付け、日和次第出船させるよう命じる。

  47. 追録2-No.543 近藤用高・丹羽長守連署状

    長崎奉行の近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、阿久根脇元に漂着した唐船一艘へ警固を添えて送ったとの八月二十二日付書状を受け、同船がこの日長崎へ着岸し、相違なく受け取ったと報告した連署状。家来から聞いた詳細も承知したとする。

  48. 追録2-No.544 近藤用高・丹羽長守連署状

    長崎奉行の近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、去月二十七日付書状で、海南唐船一艘が先月十二日に種子島野間沖へ漂流し、同島浦田へ曳き入れた後、隅州の地方内之浦へ送られて来たとの報告を承知した連署状。日和次第、警固を添えて当地へ送るとの処置を承知し、従前どおり早々に當津へ送るよう求める。

  49. 追録2-No.545 柳沢保明書状

    柳沢保明が松平薩摩守へ、書状を拝見して相手が堅固であることを喜び、さらに機嫌伺いの使者を差し越し肴一種を贈られたことに謝した書状。原将亦は接続表現で、本書は将軍の機嫌伺い・肴献上披露を記さない。

  50. 追録2-No.546 島津綱貴書状

    島津綱貴が伊東出雲守へ、伊東領内に唐船が入ったとの知らせを承知し、薩摩側でも先頃、海南から来た唐船一艘が大隅の浦へ着いたため長崎へ送ったほか、漂着した唐船を次々に長崎へ送っていると答えた書状。特段変わったことはないとし、念入りな見舞いに謝意を述べる。

  51. 追録2-No.547 島津綱貴書状

    綱貴が、相手の留守中も異状がないとの知らせを喜び、自身の当年五十賀に御詠の句・仙臺紙布一端・寿老人の絵一幅を贈られたことを謝した書状。相手がこの秋上京することがあれば、明春伏見に着いた際に見舞う意向を述べる。相手の病状がほぼ回復したことを喜び、早く返報すべきところ事情で遅れたとも伝える。

  52. 追録2-No.548 徳川綱吉御内書

    将軍徳川綱吉が薩摩中将島津綱貴へ、重陽の祝儀として小袖五領が到来し、喜んで受けたと伝えた御内書。詳細は小笠原佐渡守長重から述べさせるとする。

  53. 追録2-No.549 島津綱貴請書

    島津綱貴が長崎奉行の近藤用高へ、呉国船の帰帆に際し、浦々で乗員が上陸したり船中の者が残ったりしないよう領内へ厳命し、難風時は番船を付け、天候次第で出船させるとの命令を承知した請書。家来を呼び寄せて伝えられた詳細も了承したとする。

  54. 追録2-No.550 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が長崎奉行へ、川内京泊に漂着した柬埔寨出の五十六人乗り唐船一艘と、阿久根脇元に漂着した暹羅出の百十三人乗り唐船一艘へ警固を添えて長崎へ送り、両船とも九月三日に相違なく受け取られたと報告した口上覚。

  55. 追録2-No.551 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平修理大夫へ、相手と一門の無事を喜び、自身も異状なく過ごしていると伝えた書状。先頃阿多太仲を使者として遣わした際の返書の趣旨を承知したこと、重陽の祝儀として目録どおりの品を贈られ受用したことへの謝意を述べる。

  56. 追録2-No.552 島津綱貴参勤免除・島津吉貴江戸留守記事

    吉貴公御譜中の記事で、元禄十年夏に将軍が武州東叡山本堂を建立し、島津綱貴が助役を命じられ、元禄十一年秋に工事がほぼ成ったことを記す。綱貴は元禄十一年九月五日に褒賞を受け、同月晦日に江戸を発って帰国し、元禄十二年は参勤を免除され国政を執ったため、島津吉貴が江戸に残って幕府へ奉仕した。

  57. 追録2-No.553 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、当年の嘉儀に使節を派遣し、恒例に従って目録どおりの品を贈られたことを喜び、念入りな祝意に謝意を述べた書状。

  58. 追録2-No.554 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、東叡山本堂造営の助役を命じられた中将島津綱貴が工事を首尾よく終え、将軍の前で腰物を拝領したことを知らせ、その祝儀として目録どおりの品を贈った書状。

  59. 追録2-No.555 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、東叡山本堂造営の助役を務めた中将島津綱貴が工事を首尾よく終え、将軍の前で腰物を拝領したとの祝いに、目録どおりの品を贈られたことへ謝意を述べた返書。

  60. 追録2-No.556 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、当年の佳事に書状と特に目録どおりの品を贈られたことを喜んだと伝える返書。

  61. 追録2-No.557 島津綱貴書状

    島津綱貴が平松中納言時量へ、近衛右大臣に依頼していた額のうち稲荷社額が染筆されて届き、諏訪社額も大概調ったと聞いたことを喜んだ書状。延引事情を承知し、まず一社が調ったことを謝して、右大臣へ伝えるよう頼む。追而書では、額の件で関白にも御礼を申し上げた方がよければ取り計らってほしいとする。

  62. 追録2-No.558 島津綱貴書状

    島津綱貴が平松宰相時方へ、近衛右大臣に依頼していた稲荷社額の染筆到来を謝し、諏訪社額が延引する事情も承知して、右大臣へよろしく伝えるよう頼んだ書状。額の件で関白へも御礼を申し上げた方がよいなら取り計らってほしいと中納言へ伝えてあるので、求められた場合は相談してほしいとする。

  63. 追録2-No.559 島津綱貴書状

    島津綱貴が島津惟久へ、惟久が使者二人を通じて申し出た件について、家老から惟久方の家来へ示した返答書に落字があったとの詫びを承知したと伝えた書状。公儀・他所向けの書付や書状で不調法があれば笑止なことになるため、今後は家来ともども十分注意するよう戒める。

  64. 追録2-No.560 島津惟久書状

    島津惟久が島津図書へ、中将島津綱貴の書状を拝見し、先頃使者二人を通じて申し出た件で、家来が受け取った家老側の返答書に落字があり、自身も迷惑して詫びたところ、綱貴から詳しい意見を示されたことへ謝意を述べた書状。今後は自分も家来も十分注意すると誓う。

  65. 追録2-No.561 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平修理大夫へ、先月二十四日に女子が誕生し七夜の祝いまで首尾よく済んだとの知らせを喜び、祝儀として二種・一樽を進めた書状。女子をおみつと名付けたことも承知したとする。傍注は満君、元禄十二年八月二十四日の武州高輪誕生、後の近衛内大臣家久簾中という経歴を記す。

  66. 追録2-No.562 島津綱貴書状

    島津綱貴が宛所不詳の相手へ、本庄因幡守が死去したと聞き、言葉もないほど嘆いていると述べ、相手の機嫌を伺うため飛札を送った書状。

  67. 追録2-No.563 島津綱貴書状

    島津綱貴が秋元但馬守喬知へ、本庄因幡守が死去したと聞き、言葉もないほど嘆いていると述べ、三丸様の機嫌を伺うため飛札を送った書状。同日付の宛所不詳書状とほぼ同文だが、伺いの対象を三丸様と明記する。

  68. 追録2-No.564 島津吉貴書状

    島津吉貴が中将島津綱貴へ、重陽の祝儀として目録どおりの品を下賜され、末永く拝受したと礼を述べた書状。将軍への御礼を申し上げるので、その旨を披露してほしいと頼む。

  69. 追録2-No.565 島津綱貴書状(中城王子宛)

    中将綱貴が中城王子へ、今年の賀儀に書状と恒例どおり目録記載品を贈られたことを喜び、謝した返書。賀儀の具体内容や目録品は本書に記さない。

  70. 追録2-No.566 土屋政直書状

    土屋政直が松平薩摩守へ、書状を拝見し、機嫌伺いの使者と肴一種を寄せられた心遣いに謝し、相手の堅固を喜んだ書状。

  71. 追録2-No.567 稲垣重富書状

    稲垣重富が松平薩摩守へ、自身がこのたび役職を命じられたことを報告し、その祝いとして太刀・馬代黄金十両と目録どおりの品を贈られたことへ謝意を述べた書状。

  72. 追録2-No.568 徳川吉通書状

    尾張中将徳川吉通が松平薩摩守へ、自身の継目の御礼が済んだことを喜び、その祝いとして太刀・馬代と目録どおりの品を贈られたことへ謝意を述べた書状。

  73. 追録2-No.569 大西深龍書状

    大西宮内卿深龍が松平薩摩守へ、有栖川宮の薨去に際して丁重な悔やみの書状を寄せられたことへ謝意を述べ、その旨を宜しく申し伝えてほしいと頼んだ書状。

  74. 追録2-No.570 鳥居忠救書状

    鳥居忠救が松平薩摩守へ、先月二日付書状を拝見し、相手の在国中の勇健を喜んだ書状。八朔祝儀として芝屋敷へ使者をもって申し上げた件に相手が言及した書面について、懇意を謝す。

  75. 追録2-No.571 細井勝郷書状

    細井勝郷が松平薩摩守へ、芝の抱屋敷の町境を留守居へ申し聞かせ差図したことを承知したとの丁重な書面を受け、その趣旨を了承した書状。今後も用命を遠慮なく伝えてほしいとする。鳥居播磨守との縁で以前から出入り・見舞いを望んだが機会がなく、今回用を命じられたことを喜ぶ。

  76. 追録2-No.572 稲垣重富書状

    稲垣重富が松平薩摩守へ、書状を拝見して在国中の健勝を喜び、自身が先頃拝領した屋敷へ移徙して大いに喜んでいると伝えた書状。薩摩守から移徙の祝詞を贈られたことへ謝意を述べる。

  77. 追録2-No.573 島津綱貴請書

    島津綱貴が戸田山城守へ、各地の風雨損亡により江戸の米穀不足が見込まれるため、諸国から従来江戸へ回送する米穀に加え、各地の用米以外を可能な限り江戸へ送るよう命じられたことを承知した請書。当年から翌秋までは諸国の酒造高を五分一だけ造り、残りを停止し、翌年分は翌夏に伺うとの命令も請けた。

  78. 追録2-No.574 近藤用高・丹羽長守連署書状

    近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、屋久島一湊に漂着し、八月十三日に山川港へ着船後、警固を添えて送られた唐船一艘が、この日長崎へ無事着岸し、滞りなく受け取ったと報告した連署書状。詳細は薩摩守の家来から聞き、念入りな処置を了承したと述べる。

  79. 追録2-No.575 島津綱貴書状

    島津綱貴が近藤備中守・丹羽遠江守方へ、舟山から来た唐船一艘が去る五日に上甑島内縄瀬沖へ碇泊したので、中甑島湊へ曳き入れて置き、日和次第警固を添えてそちらへ送ると知らせた書状。用飛札で通知し、詳しくは家来が申し上げるので不審点を問うよう頼む。

  80. 追録2-No.576 島津綱貴書状

    島津綱貴が近藤備中守・丹羽遠江守方へ、南京から来た唐船一艘が去る五日に屋久島内安坊へ漂着し、当国地方の山川まで送られて来たので、そちらへ送る予定と知らせた書状。用飛札で通知し、詳しくは家来が申し上げるとする。

  81. 追録2-No.577 島津綱貴書状

    島津綱貴が近藤用高・丹羽長守へ、先に知らせた屋久島安房漂着の唐船一艘を、警固の者を付けて長崎へ送り出したと伝えた書状。詳細は家来から申し上げるので、不審点を尋ねてほしいとする。

  82. 追録2-No.578 島津綱貴書状(志戸子漂着小船報告)

    綱貴が近藤備中守・丹羽遠江守方へ、何国の船か分からないとしつつ呉国の小船一艘と称する船が、八月十二日に屋久島志戸子へ流れ寄ったと報告した書状。乗来者・荷物・船具はなく水船となっており、海辺から山中まで調べたが不審はなかったため、警固を添えてそちらへ送ったとする。詳しくは家来が申し上げるので不明点を問…

  83. 追録2-No.579 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が、国籍不明の異国小船一艘が八月十二日に屋久島志戸子へ漂着した件を報告した口上覚。乗来者・荷物などは全くなく、人々が漂流した様子と見られたが、海辺・山中に不審はなく、島内各浦を入念に調べさせたうえ、船を山川へ運び、当地から警固を付けて長崎へ送ったと記す。

  84. 追録2-No.580 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が、南京を出た来朝唐船一艘が四十八人を乗せ、五日に屋久島安房へ漂着して碇泊したと報告した口上覚。番船を付け、在番者の警固で山川まで送り、当地からさらに警固を添えて長崎へ送る旨を長崎奉行衆へ申し越したと記す。

  85. 追録2-No.581 島津綱貴書状

    島津綱貴が宛所不詳の相手へ、戸田山城守が死去したと聞き、言葉に尽くせないと嘆いた書状。相手の機嫌の様子を伺うため、飛札を送ったと述べる。

  86. 追録2-No.582 近藤用高・丹羽長守連署書状

    近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、去る八日付飛札で、舟山から来た唐船一艘が今月五日に上甑島内縄瀬沖へ碇泊し中甑島湊へ曳き入れたため、日和次第警固を添えて送るとの報告を承知した連署状。家来の詳報も承知し、従前どおり警固と曳舟により早々に當津へ送るよう求める。

  87. 追録2-No.583 島津惟久書状

    島津惟久が島津圖書へ、先月十五日に島津主税が殿中へ召され、老中列座の場で、惟久の桜田屋敷を御用地として召し上げ、返地として新堀辺二千坪を下すと土屋相模守から仰せ渡されたことを報告した書状。ありがたい仕合せとして、中将島津綱貴へ披露するよう頼む。

  88. 追録2-No.584 近藤用高・丹羽長守連署書状

    近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、先月二十二日付書状で知らせを受けた、種子島野間に漂着して警固付きで送られた唐船一艘が、この日長崎へ無事着岸し、滞りなく受け取ったと報告した連署書状。詳細は薩摩守の家来から聞き、了承したと述べる。

  89. 追録2-No.585 近藤用高・丹羽長守連署書状

    近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、南京を出た来朝唐船一艘が五日に屋久島安房へ漂着し、山川まで送られたため長崎へ差し遣わすとの飛札を承知した連署書状。家来から詳細を聞き、例のとおり処置して早々に長崎へ送るよう求める。

  90. 追録2-No.586 島津惟久書状

    島津惟久が島津圖書へ、中将島津綱貴の機嫌を祝い、先に報告した自身の桜田屋敷の返地が、先月十九日に麻布新堀端で引き渡されたとの知らせを伝えた書状。その旨を綱貴へ披露するよう頼む。

  91. 追録2-No.587 島津綱貴書状

    島津綱貴が島津惟久へ、先月十五日に島津主税が殿中へ召され、老中列座の場で惟久の桜田屋敷を御用地として召し上げ、新堀辺二千坪を返地として下すと土屋相模守から仰せ渡されたとの惟久の書状を披見した返書。ありがたく思うのはもっともであり、念入りな知らせを了承したと述べる。

  92. 追録2-No.588 大村純長書状

    大村純長が松平薩摩守へ、在所から届いた先月七日付書状を拝見し、八月十三日に領内で起きた洪水を薩摩守が聞いて見舞いの言葉を寄せたことへ謝意を述べた書状。自身は眼病が治らず気分もすぐれないため、なお江戸に留まり療養していると伝える。

  93. 追録2-No.589 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が、屋久島一湊へ漂着した暹羅からの来朝唐船一艘を、警固の者を付けて長崎へ送ったところ、七日に長崎奉行衆が相違なく受け取ったと報告した口上覚。

  94. 追録2-No.590 徳川吉通書状

    尾張中将徳川吉通が薩摩中将島津綱貴へ、自身が中将に任じられたことを大いに喜び、その祝いとして太刀・馬代と目録どおりの品を贈られたことへ謝意を述べた書状。

  95. 追録2-No.591 向井正興書状

    向井正興が薩州へ、三日に高輪を見舞って修理大夫に面会し饗応を受け、息災であったと報告した書状。正右衛門の七月以来の滞在と御用に関する連絡に触れ、初之九月二十二日付の自筆書状を拝見したとする。又左衛門の娘の申上げが聞き届けられたこと、小笠原彦太夫・関政右衛門の用向き、島津中務宛の書状、中西長門右衛門・…

  96. 追録2-No.592 島津綱貴書状

    島津綱貴が島津惟久へ、惟久の桜田屋敷が御用地として召し上げられ、麻布新堀端の返地を下され、さらに増坪があったことを喜んだ書状。惟久が事前に丁寧な書状を寄せたことも了承したと述べる。

  97. 追録2-No.593 新納久珍達書

    新納久珍が琉球三司官へ、琉球人が江戸で刀・脇差を買い求めて持ち帰るとの情報を受け、今後は刀・脇差・弓・鉄砲その他の兵具を琉球へ持ち渡すことを一切禁じた達書。琉球で所持する刀を江戸へ持参して拵えを調える場合は、在番奉行の証文を川村少左衛門へ渡し、帰帆時に裏書を受ける手続を定め、隠密の持渡しは厳しく処罰…

  98. 追録2-No.594 島津綱貴書状

    島津綱貴が宛所不詳の相手へ、将軍の勇健を祝い、機嫌を伺うため飛札を送った書状。あわせて肴一種を献上するので、適切に取り計らうよう差図を求める。

  99. 追録2-No.595 阿部正武書状

    阿部正武が松平薩摩守へ、本庄因幡守の死去を聞いた薩摩守の書状の趣旨を了承し、紙面どおり同僚と相談して将軍へ言上すると答えた書状。

  100. 追録2-No.596 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守へ、本庄因幡守の死去を聞いた薩摩守の書状の趣旨を、紙面どおり了承したと答えた連署書状。同日付の阿部正武書状と異なり、相談・言上には触れない。