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追録2の目録
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追録2-No.297 島津綱貴書状
島津綱貴が松平越中守へ、暇を許された帰国に際し、在所到着時の家来衆の応対と道中へ差し出された使者服部半蔵への配慮に謝意を述べ、海陸とも無事に国許へ着いたと報告した書状。
追録2-No.298 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、相手と一門の無事を願い、自身は海陸つつがなく着城したため桂宇右衛門を御礼使として差し上せたと伝えた書状。本文は吉貴公御譜にも収録される。
追録2-No.299 島津綱貴書状
島津綱貴が近藤備中守へ、琉球八重山島内に漂着した異国人の件について、家老から申し上げた内容を江戸で照会し、派遣した家来へ詳しい指示を伝えられたことを了承したと報告した書状。今後の処置を中山王へ申し越すと述べ、礼を伝える。
追録2-No.300 島津綱貴書状
島津綱貴が戸田山城守へ、重陽の御内書を頂戴した際、家来の者が時服二領を拝領したことをありがたく思い、礼を述べた書状。
追録2-No.301 島津綱貴書状
島津綱貴が宛所を記さず、前年夏に琉球八重山へ漂着した異国人について、家来が長崎奉行へ申し上げた件が江戸で照会され、首尾よく指示が下ったと承知した旨を報告した書状。その内容を中山王へ申し越すと述べる。
追録2-No.302 島津綱貴書状
島津綱貴が小笠原佐渡守へ、前年夏に琉球八重山へ漂着した異国人について、家来が長崎奉行へ申し上げた件が江戸で照会され、首尾よく指示が下ったと承知した旨を報告した書状。その内容を中山王へ申し越すと述べ、同文のNo.301と異なり宛所を備える。
追録2-No.303 島津綱貴書状
島津綱貴が阿部豊後守・戸田山城守・土屋相模守・小笠原佐渡守へ、将軍が勇健であることを喜び、翌年の自身の参勤時期を伺うため使者を差し上せ、適切な差図を求めた書状。
追録2-No.304 島津綱貴書状
島津綱貴が松平右京大夫・柳沢出羽守へ、将軍が勇健であることを喜び、翌年の自身の参勤時期を伺うため使者を差し上せたと伝えた書状。同日付の四老中宛書状と異なり、適切な差図を求める文言はない。
追録2-No.305 島津綱貴書状
島津綱貴が宛所を記さず、将軍が勇健で、前月二十七日の増上寺御成から機嫌よく還御したと承知して喜び、その旨を申し上げるため飛札を捧げた書状。御成の実施通知や機嫌伺いではなく、報せへの返答である。
追録2-No.306 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、おいよ殿が長患いの末、養生もかなわず死去したことを痛ましく思い、丁寧な知らせに謝意を述べた弔慰の書状。本文は吉貴公御譜にも収録される。
追録2-No.307 島津綱貴書状
島津綱貴が松平出羽守へ、将軍が東叡山中堂へ参詣し、勅会供養を首尾よく終えて機嫌よく還御したことを、ともに喜ぶと返答した書状。綱貴が普請中の役目を怠りなく務め終え大いに喜んでいるとの相手の察しと祝意にも謝意を述べる。
追録2-No.308 宝島漂着南京唐船処置口上覚
島津綱貴が、南京唐船一艘と唐人三十七人が九月十一日に私領七島のうち宝島へ漂着した経過を報告した口上覚。荒浜で長く船をつなげず、薩摩へ送るにも順風がなかったため、唐人と相談し、十四日に案内を付けて琉球の大島まで送り、出帆時は琉球から知らせることとし、長崎奉行衆にも報告した。
追録2-No.309 島津綱貴書状
島津綱貴が中山備前へ、方姫と細川与市郎の縁組決定を祝うため、使者に太刀一腰・馬代黄金十両と目録記載品を持たせて進上し、その旨を披露するよう求めた書状。
追録2-No.310 島津綱貴書状
島津綱貴が松平対馬守へ、先頃その領国で大地震があり破損した所があると聞き、容易ならぬことと思って見舞いを申し入れた書状。
追録2-No.311 柳沢保明書状
柳沢保明が松平薩摩守へ、厳寒の中も堅固であることを喜び、音問として贈られた肴一種への丁重な心遣いに謝意を述べた書状。
追録2-No.312 丹羽長守・近藤用高連署状
丹羽長守・近藤用高が松平薩摩守へ、南京出唐船一艘が九月十一日に七島の宝島へ漂着し、港がないため琉球大島へ送られたとの報告を承知したと返答した連署状。唐船が薩摩側へ到着次第、例どおり警固と曳船を付けて早々に長崎へ送るよう命じる。
追録2-No.313 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守の書状を読み、公方が勇健であることへの相手の喜びをもっともとし、蜜柑二箱と肴一種の献上を各人で相談して披露したと伝える十二月十八日付書状。
追録2-No.314 屋久島漂着朝鮮船処置口上覚
島津綱貴が、朝鮮船一艘・五十四人が商売のため十一月十三日に朝鮮を出帆後、難風で数日漂流し、十二月八日に屋久島一湊へ漂着したと報告した口上覚。食料を求める朝鮮人へ対応して番船を置き、支度後は警固を付けて薩摩経由で長崎へ送る方針を長崎奉行衆にも伝えた。
追録2-No.315 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍の機嫌伺いに対し勇健なので安心するよう答え、蜜柑二箱と肴一種の献上を含む書面の趣旨を了承した連署返書。No.313と異なり、相談して披露したとの記述はない。
追録2-No.316 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守へ、寒中に使者を通じた公方の機嫌伺いに対し、勇健なので安心するよう答える。羽織五と肴一種の献上について、各人で相談して披露したと伝える十二月二十二日付書状。
追録2-No.317 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、寒中の将軍の機嫌伺いに対し勇健なので安心するよう答え、羽織五と肴一種の献上を含む書面の趣旨を了承した連署返書。No.316と異なり、相談して披露したとの記述はない。
追録2-No.318 向島を桜島と改称した記事
桜島池田氏蔵年代記に、元禄十一年十二月二十四日、向ノ島を桜嶋と称するよう御意によって仰せ渡されたとある。
追録2-No.319 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守の書状を読み、公方が勇健であることへの相手の喜びをもっともとする。今回の御暇、御馬・白銀・時服拝領への謝意、在所到着と御礼使者を通じた目録品献上を承知したと返す十二月二十五日付連署状。
追録2-No.320 伊東氏知行所書出
伊東大和守祐実が元禄十一年十二月、日向国那珂郡内の恒久村・田吉村・郡司分村・加江田村など三十九か村と、宮崎郡内の加納村・木原村・今泉村・田野村四か村、計四十三か村を知行所として列挙した書出。
追録2-No.321 酒井忠挙書状
酒井忠挙が松平薩摩守へ、おいよ殿が病気療養のかいなく死去した際に寄せられた悔やみに礼を述べた書状。
追録2-No.322 丹羽長守・近藤用高連署状
丹羽長守・近藤用高が松平薩摩守へ、朝鮮船一艘に五十四人が乗り、十二月八日に屋久島一湊へ漂着したとの報告を承知したと返答した連署状。薩摩へ送り来た同船に警固を添え、着岸後は旧例どおり処置して早々に長崎へ送るよう命じる。
追録2-No.323 酒井忠挙書状
酒井忠挙が松平薩摩守へ、おいよ殿の死去に際して寄せられた書状に対し、その悲しみは自分も同じであると答え、弔意に謝意を示した書状。
追録2-No.324 島津綱貴書状
島津綱貴が中将へ、歳暮の祝儀として贈られた小袖五重を受領して喜び、詳しくは土屋相模守から述べると伝えた書状。綱貴が小袖を贈った文書ではなく、到来品への受領返書である。
追録2-No.325 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍が勇健であると伝え、参勤の時期を使者によって問い合わせた件は書面を一同で閲覧したと答えた書状。来年三月に改めて問い合わせるよう求める。
追録2-No.326 吉野御関狩初勤記事
桜島池田氏蔵年代記に、元禄十二年正月二十六日、吉野の旧例の御関狩を初めて仰せ付けられ勤めたとある。
追録2-No.327 吉野御関狩惣奉行記事
雑抄中に、元禄十二年正月二十六日、吉野で初御関狩があり、惣奉行を佐多杢(久武傍注)・島津主計・鎌田隼人が務めたとある。
追録2-No.328 佐敷王子尚益書状
佐敷王子尚益が中将へ、新春の祝儀を述べ、今後も変わらぬ庇護を願った書状。祝いの品目は記さず、ささやかな祝儀を表すものとして進上すると述べる。
追録2-No.329 国絵図写し送付書状
差出人不詳の者が、国絵図作成の命に伴い、日向国椎葉山が遠江守の支配所であるため江戸の役人へ断り、松平薩摩守から絵図を借りて写した経緯を伝えた書状。旧冬に江戸へ送った後、控えと照合して新たに絵図を作り、新宮市左衛門に命じて各相手へ持参させた。
追録2-No.330 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、新年を祝い、相手が無事に越年し一門にも異状がないことを喜んだ書状。今後の長寿を願い、祝儀として目録記載の品を進上する。
追録2-No.331 島津久寿書状
島津久寿(嶋津又八郎)が、相手とその一門が無事に越年したことを喜び、自身も無事に越年したので安心するよう伝えた書状。年始の祝儀として目録記載品を進上する。
追録2-No.332 島津吉貴書状
島津吉貴が中将へ、新年を祝い、例年どおり当日に登城して首尾よく年頭礼を述べ、盃を頂戴し時服を拝領したと報告した書状。祝儀として目録記載品を進上する。
追録2-No.333 島津綱貴書状
綱貴が改年を祝い、公方が勇健で年始の規式も佳例どおり首尾よく済むべきことを喜び、機嫌伺いの使者を差し上せると述べた正月三日付書状。例年どおり肴二種・樽一荷を献上するので差図してほしいと求める。
追録2-No.334 千代姫逝去弔慰書状
差出人不詳の者が、尾張光友夫人で徳川家光の長女である千代姫が旧臘十日に逝去したと承知し、言葉に尽くせない悲しみを伝えるため使札を送った書状。
追録2-No.335 丹羽長守・近藤用高千代姫弔慰連署状
丹羽長守・近藤用高が松平薩摩守へ、千代姫が旧臘十日に逝去したと聞き、言葉に尽くせない悲しみを述べた連署状。
追録2-No.336 小笠原長重外三名連署状
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、年頭祝儀として使者を通じて献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく披露したと伝えた連署状。
追録2-No.337 諏方之瀬漂着唐船処置口上覚
南京から来航した唐船一艘に三十八人が乗り、一人が病死したのち、十月朔日に領内七島の諏方之瀬へ漂着した件を報告する口上覚。先に詳細を報告したうえで唐船に警固を付けて長崎へ送り、正月三日に異状なく引き渡されたと伝える。
追録2-No.338 徳川綱條書状
水戸少将徳川綱條が松平薩摩守へ、方姫の縁組決定に際し、遠路から届いた賀状と目録記載品に過分な厚意として謝意を述べた書状。
追録2-No.339 島津吉貴書状
島津吉貴が、相手の勇健を喜び、歳暮の祝儀として目録記載品を拝受したことに長く続く謝意を述べた書状。当地の一門にも異状がないので安心するよう伝え、後日の再会を期す。
追録2-No.340 徳川綱條書状
水戸宰相徳川綱條が松平薩摩守へ、方姫の縁組決定に際して使者が持参した太刀・馬代と目録記載品を受け、過分な厚意として謝意を述べた書状。No.338よりも贈答品と使者を具体的に記す。
追録2-No.341 小笠原長重外三名連署状(拝領・帰国報告への返答)
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守の書状を読み、公方勇健への相手の喜びをもっともとし、御暇と御馬・白銀・時服拝領、国元到着を承知したと返す。到着礼使者の目録品を披露すると、使者が御前へ召し出され、入念な礼に喜色があったと伝える。正月十八日付。
追録2-No.342 綱貴書状(八幡山泉坊宛・祈祷札牛王贈給への謝礼)
綱貴が八幡山泉坊へ、書状と恒例の神前祈祷の札・牛王を贈られた厚意を過当として謝し、今後も懇ろな祈祷を頼むと返した正月二十三日付書状。
追録2-No.343 近衛家熙書状
近衛家熙が松平薩摩守へ、先頃平松時方を通じて依頼された額の趣旨を承知し、順次自筆を寄せると答えた書状。詳しい内容は平松時方が説明するとし、一書を送っている。
追録2-No.344 平松時方書状
平松時方が松平薩摩守へ、鹿児島の諏訪社・稲荷社の鳥居額について近衛家熙へ申し入れたところ、近衛家熙が揮毫すると答えたので、まずは喜ばしいと伝えた書状。
追録2-No.345 平松時方書状
平松時方が松平薩摩守へ、鹿児島の稲荷社・諏訪社の額について近衛家熙へ言上したところ、揮毫して下さるとの仰せがあったと伝えた書状。遊覧の許可を伝える文書ではない。
追録2-No.346 島津綱貴書状
綱貴が松平因幡守へ、相手方屋敷の類焼後、同姓修理大夫から桜田屋敷への一時移転を勧められ、旧臘十七日夜に移ったことを受け、芝屋敷への見舞いをありがたく思うと謝する。島津又八郎(久寿傍注)の病気についての心遣いにも礼を述べる。正月二十五日付。
追録2-No.347 島津綱貴書状
綱貴が松平三郎助へ、相手方屋敷の類焼後、同姓修理大夫から桜田屋敷への一時移転を勧められ、旧臘十七日夜に移ったことを受け、芝屋敷への見舞いをありがたく思うと謝する正月二十五日付書状。
追録2-No.348 近衛基熙書状
近衛基熙が松平薩摩守へ、病気を気遣う書状を受け、病状は次第に快方へ向かっているので安心するよう答えた書状。度重なる深い心遣いに満足し、後日の音信を期す。
追録2-No.349 平松時方書状
平松時方が松平修理大夫へ、新年の吉兆と相手の堅固・長寿を喜び、自身も無事に越年したと伝えた書状。早々に書状を受け取ったことへの喜びも述べる。
追録2-No.350 石井行豊書状
石井行豊が松平修理大夫へ、書状を拝見し、新年の祝賀と相手が堅固に越年したことを喜んだ書状。自身にも変わりがないと伝え、後日の賀慶を期す。
追録2-No.351 島津綱貴書状
島津綱貴が阿部豊後守(正武)へ、金銀吹替の御用が首尾よく済んだことを祝い、その褒美として時服を拝領したとの知らせを喜んだ書状。
追録2-No.352 島津綱貴書状
島津綱貴が加藤越中守(明英)らへ、金銀吹替の御用が首尾よく済んだことを祝い、その褒美として時服を拝領したとの知らせを喜んだ書状。
追録2-No.353 島津綱貴書状
島津綱貴が宛先不記載の相手へ、金銀吹替の御用が首尾よく済み、その褒美として加増を拝領したことを祝った書状。No.351・352の時服拝領と異なり、加増拝領を祝う。
追録2-No.354 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、新年の祝儀書状を披見し、相手が無事に越年して先月2日に登城し、例年どおり年頭の御礼を済ませたことを喜んだ返書。使者を通じて二種両樽を贈られたことにも謝意を述べる。
追録2-No.355 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守へ、旧冬の東叡山寺中火災について知らせる相手の書状を披見し、その趣旨を了解して、書面の内容を関係者一同に回覧すると答えた書状。
追録2-No.356 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、旧冬の東叡山寺中火災について知らせる相手の書状を披見し、その趣旨を了解して、書面どおり関係者へ伝達すると答えた連署状。
追録2-No.357 参勤時分奉伺書状
差出人・宛先不記載の人物が、将軍の機嫌がよいことを喜び、自身が当年参勤すべき時期について使者を通じて関係者へ伺いを立て、適切な指図を求めた書状。
追録2-No.358 屋久島漂着朝鮮人送致書状
綱貴公御譜中に収められた書状。近藤備中守・丹羽遠江守へ、前年に領内の屋久島で破船した朝鮮人五十二人と所持道具を領内の船に乗せ、警固を添えて送ったと伝える。別に二人が病死したこと、遺骸と破損船具は家来が受けた指図どおり処置させ、詳細を家来が報告することも記す。
追録2-No.359 正興寺住持職任命公帖
島津綱貴が玄悦西堂へ、始良郡正興寺の住持職に任じ、先例どおり執務するよう命じた公帖。島津綱貴の花押を据える。
追録2-No.360 島津綱貴書状
綱貴が近藤備中守・丹羽遠江守へ、私領七島内の宝島に旧臘二十八日漂着した唐船が、風波により去月五日に破損したと知らせる。唐人と荷物を多数の小舟に乗せて当国地方へ送るとの在番の者からの報告があり、海上が荒れてこの時期の報告となったこと、船が到着すれば知らせること、詳細は家来が申し上げることを述べる。二月…
追録2-No.361 宝島漂着唐船処置口上覚
宝島漂着唐船の処置を記す口上覚。旧臘二十八日、七島内宝島に南京東からの商船一艘・唐人二十五人が漂着し、帆柱を損じた。島に修理材と湊がなく、唐人は生命を助け長崎へ送るよう願った。荒波のまま船を置けば破損して溺死に及ぶ恐れがあるため、相談のうえ人家から離れた所に小屋を整え、二十五人と荷物を陸へ移し、外廻…
追録2-No.362 島津綱貴書状
綱貴の書状として、帰国の暇と、差し上せた使者が御前へ召し出されたことに謝し、続いて自分之御礼と御暇時の時服・羽織頂戴への謝意を記す。二月二十五日付。
追録2-No.363 近衛家熙書状
近衛家熙が薩摩中将へ、時期は遅れたが新年の祝儀を述べ、相手の勇健を願い、自身も無事だと伝えた書状。目録どおり品を贈り、追伸で調合した二香合を試すよう勧める。
追録2-No.364 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守の書状を読み、青陽を祝い、公方の機嫌がよく年始規式も相済むべきことへの相手の喜びを了承する。使者を通じた樽肴の献上を各人で相談し、首尾よく披露したと伝える二月二十七日付返書。
追録2-No.365 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守の書状を読み、青陽を祝い、公方の機嫌がよく年始規式も相済むべきことへの相手の喜びを了承する。樽肴献上と書面の趣旨を承知したと返す二月二十七日付連署状。
追録2-No.366 丹羽長守・近藤用高連署状
丹羽長守・近藤用高が松平薩摩守へ、屋久島で破船した朝鮮人52人と所持道具が日本船で送られ、警固付きで前日28日に長崎へ無事着岸し、相違なく受け取ったと報告した連署状。別に病死した2人の遺骸と破損船具について薩摩藩家来と相談した指図が実施されることを承知し、詳細は使者と相談すると答える。
追録2-No.367 小笠原長重外三名連署状
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平修理大夫へ、翌日の朔日は例月の御礼がないため、登城する必要はないと通知した老中連署状。欠席届を了承した文書ではない。
追録2-No.368 屋久島漂着朝鮮人送致口上覚
島津綱貴が、屋久島で破船した朝鮮人52人を長崎へ送り、先月28日に長崎奉行が受け取ったと報告した口上覚。別に病死した2人は朝鮮人の希望どおり土葬していたが、遺骸と破損船具を長崎へ送るよう奉行から指図があり、そのとおり送ったと述べる。
追録2-No.369 屋久島漂着朝鮮人送致口上覚
島津綱貴が、屋久島で破船した朝鮮人52人を長崎へ送り、先月28日に長崎奉行が受け取ったと報告した口上覚。別に2人が病死しており、船具などは長崎奉行の指図があれば、そのとおり処置する用意があると述べる。No.368と異なり、土葬や遺骸・破損船具をすでに送ったとの記載はない。
追録2-No.370 宝島漂着唐船処置口上覚
島津綱貴が、前年12月4日に報告した宝島漂着の南京船1艘について、琉球国大島へ回したのち、先月20日に大島を出船し、同28日に薩摩郡甑島へ着船したと報告した口上覚。警固を付けて長崎へ送り、長崎奉行にもその旨を知らせたと述べる。
追録2-No.371 島津綱貴書状
島津綱貴が長崎奉行の近藤備中守・丹羽遠江守へ、前年12月3日に飛札で知らせた南京船1艘が領内の甑島へ着船したため、警固を添えて長崎へ送ると通知した書状。詳細は家来が申し上げるとしている。
追録2-No.372 小笠原長重外三名連署状
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平修理大夫へ、翌十五日は例月の御礼がないため、登城する必要はないと通知した老中連署状。欠席届を了承した文書ではない。
追録2-No.373 小笠原長重外三名連署状
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることへの喜びを了承し、使者を通じて伺った参勤時期について上聞に達した結果、翌年三月中に参府するよう命令が出たと伝えた老中連署状。
追録2-No.374 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、慶雲院が病気療養のかいなく死去したことを嘆き、これについて相手から受けた懇ろな知らせ・心遣いに謝意を述べた書状。
追録2-No.375 島津綱貴書状
綱貴が鳥居播磨守様人々へ、禰寝丹波(清雄傍注)が病気で養生のかいなく死去した件について、懇ろな知らせと心遣いを受けたことに謝意を述べる三月十九日付書状。
追録2-No.376 関所手形発給依頼書状
差出人不記載の人物が村越伊予守へ、関所手形を申請する際、家来の伊勢十兵衛・赤松甚右衛門・阿多六大夫について届け出るので、適切な指図を求めた書状。
追録2-No.377 島津綱貴書状
島津綱貴が万里小路大進御房へ、先頃、芝屋敷へ使僧を通じて東照宮の牛王御札と御薫2包を届けられたことに深い謝意を述べた書状。
追録2-No.378 島津綱貴五十寿賀詩歌記事
島津綱貴が満50歳を迎えたため、一族・家臣らが詩歌をもって賀したことを記す記事。祝賀の詩歌そのものは本記事ではなく別録に収めたとする。
追録2-No.379 島津吉貴書状
吉貴が中将様へ、今年の五十之御賀を千秋万歳のめでたい儀として祝い、軽使を差し上せて目録どおりの品を進上し、後喜の時を期すと述べた三月二十一日付書状。
追録2-No.380 島津惟久書状
島津惟久が島津図書へ、中将島津綱貴が満50歳となり寿算の祝儀を行ったと承知し、千秋万歳のめでたいことだと祝った書状。祝意を表して目録どおり品を進上するので、機会をみて中将へ披露してほしいと頼む。
追録2-No.381 南京船長崎送致口上覚
島津綱貴が、6日に報告した南京船1艘について、琉球国大島から領内の甑島へ着船後、警固を添えて長崎奉行へ送り、相違なく受け取られたと届けた口上覚。
追録2-No.382 島津綱貴書状
綱貴が阿部豊後守様人々へ、領内の島への流罪を命じられた科人三十九人を、大坂町奉行の差図次第に受け取り、国許へ送るよう仰せ渡されたことを承知したと報告する三月二十七日付書状。
追録2-No.383 島津綱貴書状
島津綱貴が保田越前守らへ、領内の島への科人流罪について、阿部豊後守から相手方へ仰せ渡された内容があることを承知したと伝えた書状。阿部正武自身が差し出した文書ではない。
追録2-No.384 市来久雄鹿屋地頭職補任記事
久雄が元禄十二年三月二十七日に鹿屋地頭職へ補任されたことを記す記事。出典は市太夫久雄譜中で、傍注に此久雄光久公ノ二十男ナリとある。光久を名乗ったとする記事ではなく、久雄を書状宛先として扱わない。
追録2-No.385 土屋政直書状
土屋政直が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、正月4日の増上寺御仏殿参詣を承知した相手の喜びをもっともだと答えた書状。書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝える。
追録2-No.386 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、正月24日の増上寺御仏殿参詣を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。
追録2-No.387 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の護持院御成を承知した相手の喜びをもっともだと答えた書状。書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝える。
追録2-No.388 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の護持院御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.387と異なり、同僚との相談・言上は記さない。
追録2-No.389 綱貴述職許可と翌辰年参府命令・吉貴江府滞在記事
元禄十二年、大樹綱吉が綱貴の述職を許し、有司から来歳辰三月中の参観という命があったと記す記事。このため修理大夫吉貴は去年以来江府にいたと結ぶ。
追録2-No.390 島津綱貴請書
島津綱貴が阿部豊後守・戸田山城守・土屋相模守・小笠原佐渡守へ、自身の参勤時期を伺ったところ翌年3月中に参府するよう命じられたため、奉書の趣旨をありがたく承知し、礼を述べる使者を差し出した請書。参府命令を願い出た文書ではない。
追録2-No.391 島津綱貴書状
島津綱貴が柳沢出羽守・松平右京大夫へ、将軍の機嫌がよいことを喜び、参勤時期を伺った結果、翌年3月中に参府するよう命じられたことへの謝意を述べ、使者を差し出した書状。
追録2-No.392 島津綱貴書状
島津綱貴が藤堂和泉守へ、将軍の機嫌がよいことを喜び、自身は翌年3月中に参勤するよう命じられたと報告した書状。参勤時期を相手へ知らせるのが遅れたため、大坂に置いた家来から相手の家来へ伝えるよう申し付けたと説明する。
追録2-No.393 島津綱貴書状
島津綱貴が近藤備中守・丹羽遠江守へ、先に報告した領内七島のうち宝島で破船した唐人25人と荷物を、警固の者を添えて長崎へ送ったと通知し、詳細は家来から申し上げると伝えた書状。
追録2-No.394 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の柳沢出羽守邸への御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝えた書状。
追録2-No.395 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の柳沢出羽守邸への御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.394と異なり、同僚との相談・言上は記さない。
追録2-No.396 阿部正武外三名連署状
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平修理大夫へ、翌15日の例月御礼はないため登城不要と通知した連署状。欠席届を了承した文書ではない。