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追録2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,207件中 2901~3000件・30 / 33ページ

  1. 追録2-No.2898 巡見上使の宿所・茶屋・雪隠等の準備を伝える江戸書付写

    十二月二十六日の上使方用帳写。江戸の島津大蔵久明・島津備前久連から家老中へ去る三日に送られた書付を写す。秋元但馬守の留守居への指示を踏まえ、巡見上使の馳走・間敷、宿所新作不要の扱い、往還のない薩州で既存宿を用意できない場合の軽小屋等を相談する。茶屋は簡素に水と器を置き、通路近い清水を標示し、雪隠・柴…

  2. 追録2-No.2899 巡見使への人馬と茶屋・飲食の無用な負担を戒める書付

    公儀書付写は、諸国巡見に際して人馬・家数の検査と国絵図・城絵図を不要とし、朱印外の人馬は定額の駄賃銭を取って滞りなく供給するよう定める。使者の飛脚や音信物を断り、掃除・宿所新作・茶屋新設を原則不要とするが、既存道路橋の通行困難箇所は別とする。米・大豆その他の買物は通常の現地相場で売り、他所から商品を…

  3. 追録2-No.2900 巡見使の寝具・食器と宿所の簡素化を命じる書付

    公儀の書付写が、巡見使の宿泊に畳の表替えや湯殿の雪隠の新設を不要とし、盥・柄杓・鍋・釜も古い物を使うよう定める。一村の宿泊先は三軒とし、家がなければ寺でもよいこと、賄いは現地の産物で差し支えないことを示す。

  4. 追録2-No.2901 歳暮祝いの小袖五重を受ける将軍家黒印状

    将軍家が島津吉貴へ、歳暮の祝儀として贈られた小袖五重が届き、喜んだと伝える。詳しいことは本多伯耆守が述べると付記した、将軍家の黒印を伴う短い返書。

  5. 追録2-No.2902 主上の疱瘡御酒湯を祝う土屋政直書状

    土屋相模守政直が十二月二十七日、吉貴へ、公方様の無事を伝える。主上〈原注中御門天皇〉が疱瘡の酒湯を召したことを承知して喜び、使者を送った旨を承知し、書面の趣を同僚と相談して上聞に達したと答える。

  6. 追録2-No.2903 寒中の機嫌伺いと羽織五つ・御肴献上への間部詮房返書

    間部詮房が島津吉貴へ、寒中の機嫌伺いに対して公方の無事を伝える。羽織五つと御肴一種の献上を承知したと答える。No.2896の土屋政直書状と同じ品々への、間部単独の返書。

  7. 追録2-No.2904 家宣の本丸移徙を祝う使者への土屋政直返書

    土屋相模守政直が十二月二十八日、吉貴へ、公方様の無事を伝え、本丸移徙を承知して喜び使者を送った旨を承知したと返す。書面の趣は同僚と相談して上聞に達したと知らせる。

  8. 追録2-No.2905 元服・直髪そき・加冠書付と御判・印判取扱いの定め

    肝付主殿兼柄・種子島蔵人久時・島津帯刀仲休・新納市正久珍・島津将監久當と御記録奉行島津中務久輝が十二月二十八日、直髪をそいで元服させる者への加冠書付・印判の扱いを定める。当番家老から御前加冠書付を元服者へ渡し、取次人は時宜に応じて指示する。年頭内外の在座者の嫡子と不在座者・嫡子以外で御判・印判や御前…

  9. 追録2-No.2906 迫水家の系譜と家格を認める六名連署達書

    島津久輝ら六名が迫水善左衛門へ、迫水家の祖を島津忠国の五男忠經とし、子孫が迫水を家号とした系譜を記す。久重以来断絶していた家格を改めて扱う吉貴の意向を伝え、城下に新たに迫水の家跡を立て、先例に沿って礼や進物を行うよう命じる。

  10. 追録2-No.2907 家宣本丸移徙の祝儀への大久保忠増返書

    大久保加賀守忠増が十二月二十八日、吉貴へ、公方様の無事を伝え、先月二日の本丸移徙を喜んだ旨をもっともとし、示された趣を承知したと返す。

  11. 追録2-No.2908 川内の船頭の子虎之助の赦免を伝える連署書状

    駒木根肥後守政方・佐久間安藝守信就が十二月二十九日、吉貴へ、去る十二日の書状を受けたと返す。将軍宣下に伴う大赦により、先年長崎で処置された薩州川内大小路町の船頭吉兵衛の子虎之助の所預けを赦免するとの江戸からの命令を、家来衆に別紙書付で伝えたところ、吉貴が承知した旨を了承した。

  12. 追録2-No.2909 家宣本丸移徙の祝儀への間部詮房返書

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の本丸移徙を祝う意を承知したと答える。吉貴の書状と口上の双方を受け取ったと記す、No.2904・2907と同趣旨の別返書。

  13. 追録2-No.2910 主上の疱瘡御酒湯を祝う間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよいと伝え、主上の疱瘡御酒湯を祝う意を承知したと答える。No.2902の土屋政直書状と同じ宮中の儀式をめぐる、間部単独の返書。

  14. 追録2-No.2911 左幕下の病状快復を喜ぶ近衛基熙書状

    近衛基熙が島津吉貴へ、来書を読み、左幕下の病状が次第に快復したことを喜び、吉貴の懇切な勤めに感謝する。日付を「孟春六日」と記す短い返書。

  15. 追録2-No.2912 年頭祝儀の太刀と馬代黄金十両を伝える六名連署状

    井上正岑ら六名が正月十一日、吉貴へ、年頭の祝儀として使者を通じ太刀一腰・馬代黄金十両を献じられ、披露して好結果であったと知らせる。

  16. 追録2-No.2913 新院崩御への弔意を受ける松平信庸書状

    松平信庸が島津吉貴へ、崩御した新院への弔意を述べた吉貴の書面を受け取り、その趣旨を承知したと答える。新院崩御への弔意に対する短い返書。

  17. 追録2-No.2914 花尾山平等王院の勝久公袖判文書三通の返還

    島津久輝ら五名が花尾山平等王院へ、勝久公の御袖判一通と同御袖判二通が坊津一乗院文庫に納められていたため、平等王院へ戻すと伝える。目録を添え、三通を末永く平等王院に伝えるよう命じた連署証状。

  18. 追録2-No.2915 常憲院薨御への琉球の弔意に老中返札を送る吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、常憲院薨御についての弔意を申し上げた件に対する老中の返札が届いたので送ると伝える。詳細は使者の大宜味親方から知らせると記す。

  19. 追録2-No.2916 川内の船頭吉兵衛の子虎之助の赦免を伝える別所常治書状

    別所常治が島津吉貴へ、将軍宣下に伴う大赦で、薩州川内の大小路町に住む船頭吉兵衛の子虎之助の預け置きが赦免となったことを伝える。佐久間安芸守・駒木根肥後守から家来衆へも通知され、吉貴が承知した旨を受けた返書。

  20. 追録2-No.2917 新院崩御への弔意に答える近衛家熙書状

    近衛家熙が島津吉貴へ、新院崩御に際して丁寧な書面を受けたことに感謝する。「旧冬」と書き出し、近衛家熙の花押No.4を付す。同日付のNo.2918は近衛家久の花押No.10を伴う別状。

  21. 追録2-No.2918 新院崩御への弔意に答える近衛家久書状

    近衛家久が島津吉貴へ、新院崩御に際して丁寧な書面を受けたことに感謝する。「旧臘」と書き出し、近衛家久の花押No.10を付す。同日付のNo.2917とは差出人・花押・冒頭の語が異なる。

  22. 追録2-No.2919 浄光院一回忌の香奠奉納を伝える井上正岑書状

    井上正岑が島津吉貴へ、浄光院(徳川綱吉夫人)一回忌の法事に、吉貴の使者が献じた香奠を東叡山で無事に奉納したと伝える。その経緯を上聞に達した旨も知らせる。

  23. 追録2-No.2920 禁裏造営と遷幸を祝う吉貴の使者・太刀・馬代

    宝永五年三月八日の火災で禁裏・仙洞・女院・春宮・大准后の御所が焼失し、近衛御所を皇居、その裏方を春宮御殿とした。翌年禁殿の造営が整い、宝永七年正月十六日に遷幸した。吉貴は伊勢兵部貞榮を使者、岩山金左衛門直通を副使として京へ遣わし、二月十五日、太刀一腰・馬代黄金三十両を献じて祝った。

  24. 追録2-No.2921 主上の疱瘡平癒祝いを受ける庭田重條書状

    庭田重條が二月十五日、吉貴へ、主上〈原注中御門天皇〉の疱瘡快然・御酒湯の祝儀として、使者を通じ太刀・馬代を献じられ、奏達したところ叡感を得たと返す。

  25. 追録2-No.2922 主上の疱瘡平癒祝いを受ける松平信庸書状

    松平信庸が島津吉貴へ、主上の疱瘡が快癒して御酒湯が行われたため、吉貴が使者を差し出して祝儀を述べたことを承知したと答える。No.2921と同じ祝儀に対する、信庸の別返書。

  26. 追録2-No.2923 家宣の将軍宣下・年始式を祝う小笠原長重書状

    小笠原長重が島津吉貴へ、公方の将軍宣下と年始の儀式を祝い、使者を遣わして贈答品を献じた吉貴の意向を承知したと答える。年始の儀式は以前の例に従うとして、祝儀と使者の件を披露すると記す。

  27. 追録2-No.2924 家宣の将軍宣下・年始式を祝う間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の将軍宣下と年始の儀式を祝い、使者を遣わして贈答品を献じた吉貴の意向を承知したと答える。No.2923の小笠原長重書状と同じ祝儀を扱う、間部の別返書。

  28. 追録2-No.2925 谷山・吉野の御関狩における集合・鉄砲・火縄と小組進退の規則

    与頭が宝永七年二月、十八日谷山の御関狩を命じ、吉野も同様とする条書写。十八日夜八ツ時に郡元一条宮へ集まり、小組別の点呼・目印を用い、十五歳以下は鉄砲を持たず、刀脇差と衣服も規定に従う。往来中の発砲・高雑談を禁じ、追声・廻鉄砲の順序、押紙の吹放し禁止、野火の消火、火縄交換禁止、仕切縄や柵での整列、進退…

  29. 追録2-No.2926 将軍宣下と旧臘の祝儀を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の将軍宣下を祝う意向を承知したと答える。さらに旧臘廿七日の妻女歳暮の祝儀についても、吉貴の書面からその趣旨を受け取ったと記す。

  30. 追録2-No.2927 東照宮・南泉院造営と遷宮・奉納の経過

    東照宮・南泉院は宝永六年初夏に造営を始め、七年初夏に完成した。神体は公弁親王の下旨により南都大仏師康傳が彫刻・開眼し、四霊の神牌名は親王手書とする。僧正智周らを迎え、四月十六日夜に遷宮し、十七日に法華曼荼羅供養、十八・十九日に四霊供養、二十日に供養を行う。吉貴と一族家老らの拝礼・太刀や馬代白銀等の奉…

  31. 追録2-No.2928 南泉院に祀る六霊位の目録

    南泉院の正殿に祀る台徳院・大猷院・厳有院・常憲院・文昭院・有章院の六霊位を列記する。各霊位に「贈正一位大相国」「台霊」の称号を添えた、前件の東照宮・南泉院造営記事に続く目録。

  32. 追録2-No.2929 東照宮造営を記す南泉院棟札

    東照宮造営の棟札に、大願主の島津吉貴と南泉院の僧侶らを記す。東照宮の奉造営、神号・仏教的な文言、宝永七年四月の年紀を併記した、大きな卍形の図案を伴う棟札写。

  33. 追録2-No.2930 東照宮再興に際し南泉院へ計五百石を寄附

    島津吉貴が南泉院権僧正智周へ、東照宮再興に伴う南泉院の修造所として、鹿児島郡鹿児島郷下伊敷村の九十石と始羅郡帖佐郷平松村の四百十石、計五百石を寄附すると伝える。村名・石高を明記した寄附状。

  34. 追録2-No.2931 南泉院寄附地五百石の村別内訳を示す連署証状

    肝付主殿ら四名が南泉院権僧正智周へ、東照宮再興と南泉院修造のため吉貴が寄附した計五百石の内訳を示す。下伊敷村の萩原門・福地門・米蔵門など、平松村の追屋敷・折口門・曲迫門・深田屋敷などを門・屋敷ごとの石高まで列記し、修造所の寄附を確実に伝える。

  35. 追録2-No.2932 佛日寺東照宮の落慶を祝い加護を願う願文

    吉貴が宝永七年四月、薩州佛日寺東照宮の落慶に際して記した願文。東照宮の徳・武文による国土と民への恩をたたえ、旧祠の再興と新しい寺室を「鳥革翬飛」の美と形容する。願王僧正を招いて法会を行い、神霊の長い加護が三土・郡黎に広がり、無疆の慶びと余祠・三国の人々へ及ぶよう祈る。

  36. 追録2-No.2933 佛日寺の四霊位遷座を願う願文

    島津吉貴が大雄山佛日寺で四霊位を遷座するにあたり、東照宮の再整備に続く霊位の安置を神仏へ告げる。祖考の事業を継ぎ、領内と民の安寧、祭祀が続くことを願う、四霊位遷座の願文。

  37. 追録2-No.2934 町田鶴壽の加冠後の仮名を宇右衛門とする書出

    島津吉貴が町田鶴壽の加冠に際し、仮名を宇右衛門とするのがよいと書き出す。朱印を伴う短い加冠仮名書出。

  38. 追録2-No.2935 浄光院一回忌法事と東叡山執行を伝える井上正岑書状

    井上正岑が島津吉貴へ、浄光院一回忌の法事が東叡山で執行され、吉貴が使者を差し越して弔意を述べた件を承知したと答える。公方の機嫌がよいことも伝える。

  39. 追録2-No.2936 琉球国司跡職拝命への謝意と神文提出を伝える尚益書状

    琉球国司尚益が御老中へ、先国司の跡職を相違なく命じられた厚恩に謝意を述べる。清水弥兵衛・中神七右衛門を介して霊社の神文を提出し、同じ内容を七右衛門方にも伝えたと報告する。

  40. 追録2-No.2937 琉球国司尚益が幕府への忠誠を神仏に誓う起請文

    琉球国司尚益が、先国司の跡職を命じられた恩に謝し、家族・子孫に至るまで命令を守り、琉球の安泰に努めると誓う。天照大神・東照宮・琉球の諸神仏など多数を列挙し、違背すれば天罰や地獄の責めを受けると記す、血判を伴う長文の霊社起請文。

  41. 追録2-No.2938 端午の粽を受けた将軍家墨印状

    将軍家が島津吉貴へ、端午の祝儀として贈られた粽数十が届き、喜んだと伝える。詳細は井上河内守が述べると付記した、将軍家の墨印を伴う短い御内書。

  42. 追録2-No.2939 浄光院一回忌の東叡山法事を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよいと伝え、浄光院一回忌の法事が東叡山で執行された件について、吉貴の書面を受け取って承知したと答える。No.2935の井上正岑書状と同じ法事を扱う、間部の別返書。

  43. 追録2-No.2940 諏訪甚四郎の加冠後の仮名を甚六とする書出

    島津吉貴が諏訪甚四郎の加冠に際し、仮名を「甚六」とするのがよいと書き出す。吉貴の御判を伴う短い加冠仮名書出で、No.2934の町田鶴壽の事例とは対象者・新仮名が異なる。

  44. 追録2-No.2941 願王院僧正の下向と安否伺いに答える近衛家熙書状

    近衛家熙が島津吉貴へ、願王院僧正が薩摩へ下向した折、吉貴から二種の品と安否伺いを受けたことに答える。自分は平安であると伝え、返書に近衛家熙の花押No.4を付す。

  45. 追録2-No.2942 東叡山御仏殿参詣を承知する秋元喬知書状

    秋元但馬守喬知が五月十八日、吉貴へ、公方様の無事を伝え、公方が二月二十八日に東叡山御仏殿へ参詣した件を喜ぶ書状に答える。書面の趣を同僚と相談して上聞に達したと伝える。参詣主体を公方と明確にする。

  46. 追録2-No.2943 東叡山御仏殿参詣を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、吉貴の御礼状を受け、二月二十八日の東叡山御仏殿参詣について承知したと答える。No.2942の秋元喬知書状と同じ参詣を扱う別の返書。

  47. 追録2-No.2944 島津弾正久慶の死後に発覚した野心と家中の訴え

    島津弾正久慶の死後、家老衆がその「野心」とされた言動を調べ、系図から削除した経緯を記す。久慶の子による刀の持ち出し、光久への訴状、家老らへの反論や処分をめぐる主張を列挙し、御記録方の市来早左衛門が記した雑抄。

  48. 追録2-No.2945 琉球中山王使者の参府を承知する秋元喬知書状

    秋元喬知が島津吉貴へ、公方の機嫌がよいと伝え、吉貴が琉球中山王の使者を召し連れて参府する旨の書面を承知したと答える。琉球使者の同行を扱う返書。

  49. 追録2-No.2946 紅葉山御宮参詣を承知する秋元喬知書状

    秋元但馬守喬知が五月二十八日、吉貴へ、公方様の無事を伝え、公方が三月十一日に紅葉山御宮へ参詣したことへの祝意を承知する。派遣された使者と書面の趣を受け、同僚と相談して上聞に達したと答える。

  50. 追録2-No.2947 紅葉山御宮参詣を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよいと伝え、三月十一日の紅葉山御宮参詣について吉貴の書面を承知したと答える。No.2946の秋元喬知書状と同じ参詣を扱う別返書。

  51. 追録2-No.2948 英光院殿の祠堂料黄金五枚を受ける大徳寺返答

    大徳寺の役者が島津帯刀・島津大蔵へ、太守公が英光院殿の祠堂料として施入した黄金五枚を寺で受け取ったと答える。太守の厚意を喜び、両名に返答した書状。

  52. 追録2-No.2949 山王御社参を承知する大久保忠増書状

    大久保忠増が島津吉貴へ、公方の機嫌がよいと伝え、先頃の山王御社参について吉貴の書面を承知したと答える。書面の趣旨を申し伝えるとした短い返書。

  53. 追録2-No.2950 山王御社参を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよいと伝え、先頃の山王御社参について吉貴の書面を承知したと答える。No.2949の大久保忠増書状と同じ参詣を扱う、間部の別返書。

  54. 追録2-No.2951 公方の浜御殿行きを聞き喜ぶ大久保忠増書状

    大久保忠増が島津吉貴へ、公方の機嫌がよく、先頃浜御殿へ赴いたことを吉貴の書状から知ったと答える。書面の趣旨を承知したと伝える短い返書。

  55. 追録2-No.2952 公方の浜御殿行きを聞き喜ぶ間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよく、先頃浜御殿へ赴いたことを吉貴の書状から知ったと答える。No.2951の大久保忠増書状と同日・同件の別返書。

  56. 追録2-No.2953 根津権現社参を承知する大久保忠増書状

    大久保加賀守忠増が六月十六日、吉貴へ、公方様の無事を伝え、先頃の公方の根津権現社参を喜んだ旨を承知する。書面の趣は同僚と相談して上聞に達したと答える。

  57. 追録2-No.2954 根津権現社参を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよく、先頃の根津権現への社参を承知したと答える。No.2953の大久保忠増書状と同じ社参を扱う別返書。

  58. 追録2-No.2955 御条目発布を祝う大久保忠増書状

    大久保加賀守忠増が六月二十七日、吉貴へ、公方様の無事を伝え、今度条目が仰せ出されたことを承知して吉貴がめでたく思う旨を了承する。吉貴が使者を遣わした件と書面の趣を、同僚と相談して上聞に達したと答える。

  59. 追録2-No.2956 御条目発布を祝う間部詮房書状

    間部越前守詮房が七月二日、吉貴へ、公方様の無事を伝え、今度条目が仰せ出されたことを吉貴が承知して喜ぶ旨を了承したと答える。書面の趣を承知したとする。

  60. 追録2-No.2957 暑中の安否伺いと目録の進物への本多正永書状

    本多正永が島津吉貴へ、酷暑の折、吉貴が使者を遣わして安否を尋ね、目録どおりの品を贈ったことを喜ぶ。格別の仕合せと述べ、書面の趣旨を承知したと答える。

  61. 追録2-No.2958 東叡山御仏殿参詣を承知する本多正永書状

    本多正永が島津吉貴へ、公方の機嫌がよく、四月二十日の東叡山御仏殿参詣を承知したと答える。吉貴の書面の趣旨を聞き届けたと伝える返書。

  62. 追録2-No.2959 暑中の安否伺いと目録の進物への間部詮房書状

    間部越前守詮房が七月六日、吉貴へ、酷暑の公方様の機嫌伺いに無事を伝え、目録どおりの献上品について書面の意を承知したと答える。

  63. 追録2-No.2960 東叡山御仏殿参詣を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよく、四月二十日の東叡山御仏殿参詣を承知したと答える。No.2958の本多正永書状と同じ参詣を扱う別返書。

  64. 追録2-No.2961 東叡山御堂参詣を承知する本多正永書状

    本多正永が島津吉貴へ、公方の機嫌がよく、五月八日の東叡山御堂参詣を承知したと答える。吉貴の書面の趣旨を聞き届けたと伝える返書。

  65. 追録2-No.2962 東叡山御堂参詣を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよく、五月八日の東叡山御堂参詣を承知したと答える。No.2961の本多正永書状と同じ参詣を扱う別返書。

  66. 追録2-No.2963 琉球の飢饉・王城火災と飛船漂流後の到着を記す覚

    在江戸家老座の写しの覚。琉球では前年五月から十月の強風、特に十月九日の風で作物樹木が損じ、凶作と大飢饉になった。前年十一月二十日に中山王城内から出火し、品物蔵・米蔵百軒余を焼失、周辺家屋は十二、三軒ほど焼け残り、城外七軒ほども類焼した。春秋に船を渡す事情や当年二月十五日の飛船出帆、大嶋での船破損と乗…

  67. 追録2-No.2964 琉球火災と飢饉の下での使者参府を説明する書付

    琉球の火災・飢饉があっても江戸への使者を差し上げる意向を述べ、前年の渡海中の難事で参府が遅れた経緯を説明する。琉球使者の旅費を薩摩藩で用意するようにし、災難を理由に費用を琉球人へ負担させず、早速取り計らうよう求める。

  68. 追録2-No.2965 赤松甚右衛門の書付をめぐる申達と保管

    赤松甚右衛門の書付を本多正永へ持参し、神田神平を通じてその趣旨を伝えた経緯を記す。別の書付の引渡しを求められるが応じず、甚右衛門の書付を保管し、納得の書付を得たうえで委細を上申したことを述べる。

  69. 追録2-No.2966 八朔祝儀の太刀一腰・黄金十両献上

    井上正岑ら四名が島津吉貴へ、八朔の祝儀として使者を立て太刀一腰と馬代黄金十両を献じたことを伝える。これらを公方へ披露したと答える連署書状。

  70. 追録2-No.2967 山東から琉球へ向かう唐船四艘の遭難報告

    長崎奉行久松備後守定持・佐久間安藝守信就が八月四日、吉貴へ、山東から貿易のため琉球へ向かった唐船四艘が難風に遭い、前年十一月十四・十六・十七日に琉球の大嶋へ漂着した件に答える。例のとおり取り扱わせ、その後順次出帆したと中山王から報告された旨を承知した。

  71. 追録2-No.2968 幕府巡見使の薩摩領内道中と宿泊記録

    八月の諸国巡見上使小田切駿負〈原注直廣〉・土屋数馬〈喬直〉・永井監物〈白弘〉の道中記事。家老島津中務久貫、用人黒葛原忠雄・町田忠堯、医師印東玄桂らが応接した。八日肥後川尻で田代安徹の子福良頼廣が謁見し、九日水俣、十日領内米津へ入境。阿久根・宮之城・加治木・金山・石原を経て十六日鹿児島着、十七日は風雨…

  72. 追録2-No.2969 琉球使者の早期出発と人数・費用の相談

    井上正岑が島津吉貴へ、琉球中山王の使者二人が先月十八日に鹿児島へ着き、前年の大飢饉と首里城焼失で旅費調達が難しいと聞いたと伝える。準備に六十日余を要し得るとして、人数・道中費用を相談し、早めに出発させるよう求める。

  73. 追録2-No.2970 琉球使者の道中宿泊・人馬と費用の照会

    琉球の使者が参府するにつき、道中の宿泊、人馬ならびに大坂での入用船数と人数、伝馬数を照会する。使者の上下に必要な品々を列挙して書付にして出すよう求める。

  74. 追録2-No.2971 琉球中山王の祝儀使者到着を承知する井上正岑書状

    井上正岑が島津吉貴へ、将軍の代替わりを祝う琉球中山王の使者と、中山王自身の御礼を述べる使者が先月十八日に着いたとの報告を承知したと答える。使者の差上げについて関係者で相談するよう伝える。

  75. 追録2-No.2972 琉球中山王の祝儀・御礼使者差上げを承知する土屋政直書状

    土屋政直が島津吉貴へ、将軍の代替わりの祝儀と中山王自身の御礼のため琉球使者を差し上げる件を承知したと答える。使者が先月十八日に着いたと聞き、関係者と相談するよう伝える。

  76. 追録2-No.2973 琉球中山王の祝儀・御礼使者差上げを承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、将軍の代替わりを祝う琉球中山王の使者と、中山王自身の御礼を述べる使者が先月十八日に着いたとの報告を承知したと答える。No.2971・2972と同じ使者を扱う別返書。

  77. 追録2-No.2974 忠孝・礼法・学文武芸を説く鎌田六郎太夫宛書状

    谷山角太夫・平岡八郎太夫が寅八月、取次鎌田六郎太夫へ、吉貴の代に仰せ出された士の子弟の行跡是正を詳しく伝える。奉公では老若とも身命を惜しまぬ一方、平生の不行跡・喧嘩・悪口・屏垣を崩す等の悪行を戒め、親子一類の迷惑や処置を説く。学文武芸を磨き、行跡のよい者は組頭から申し出るよう求め、平日徒居する無芸無…

  78. 追録2-No.2975 島津継豊の娘於久の誕生を記す系譜

    島津継豊の子どもを列挙する系譜に、寅年の閏八月朔日に娘於久が生まれ、母は名越恒渡の娘であると記す。継豊の子として忠五郎・貴儔・養女らの名も図示する。

  79. 追録2-No.2976 元服・御盃時の御肩衣給与を止める旨の書状

    島津帯刀が御記録奉行へ、家中で元服や御盃を頂く際に御肩衣が与えられた旧例を記す。常憲院の代には元服時の給与が行われず、太守の意向でも今後は元服・御盃の際の御肩衣給与をやめ、この旨を記録に留めるよう命じる。

  80. 追録2-No.2977 平等王院の建立と寺領・祈祷由緒を記す記事

    寺社奉行川上久馬久東・伊集院十右衛門忠覺が閏八月五日、大乗院快存法印へ、花尾権現宮と平等王院以下の由緒・寺領を記す。建保六年秋の忠久草創、頼朝と永金阿梨・丹後御局の三体木像、愛染明王、天文年間大乗院建立と兼帯、綱貴による平等王院等五院の中興と各二十石、吉貴による吉田佐多浦の二十石寄附などを述べる。愛…

  81. 追録2-No.2978 花尾権現御内陳三社の開帳と記録留置

    大乗院快存が、花尾権現御内陳三社は秘神で普段は開帳しないが、島津吉貴の参詣に際して開帳したと記す。御代々の家督と部屋栖の直参の際にも開帳した由緒を述べ、その記録を大乗院の帳面に残すよう伝える。

  82. 追録2-No.2979 種子島漂着唐船六十一人の移送を報じる書状

    佐久間信就・久松定持が島津吉貴へ、先月十九日に大隅国種子島内へ唐船が漂着し、乗組員六十一人を船に乗せたと報じる。赤尾木浦で御抱入番船に移し、日和を待って津へ送り越す段取りを伝える。

  83. 追録2-No.2980 三枚御屏風の絵と木村林庵の賛

    三枚御屏風の絵として室内の対話や門前の人物を描き、木村林庵の賛と木村静隠の画を記す。賛は天道・聖人の道、忠孝と善悪、四季・陰陽を論じ、他人への善行と自らの言動への注意を説く。書状ではなく絵と長文の教訓を併せ載せる項目。

  84. 追録2-No.2981 仁恵と書画への意見を促す島津吉貴書状

    島津吉貴が近習へ、差し出された書画を見て、その取捨や仁恵の実行について意見を述べる。家臣の書付を吟味し、後代の教訓として残すため、各自の見解を日々書き出して申し出るよう求める。

  85. 追録2-No.2982 代替祝儀で渡海する美里按司への祝着書状

    吉貴が閏八月二十五日、琉球国司へ、公方様の代替祝儀として美里按司が渡海したことに祝着の意を伝える。これに伴い目録どおりの贈品を受けたことを喜び、入念な配慮に謝す。

  86. 追録2-No.2983 尚貞弔札香奠への謝礼使渡海を喜ぶ吉貴書状

    吉貴が閏八月二十五日、琉球国司へ、前年の尚貞死去に伴って送った弔札・香奠に対する謝礼として使翰を渡海させたことを入念とし、謝意を述べる。

  87. 追録2-No.2984 琉球国司の家督謝礼使豊見城按司と目録贈品への吉貴返書

    吉貴が閏八月二十五日、琉球国司へ、国司の家督相続の謝礼として豊見城按司が渡海し、目録どおりの品を贈られたことを喜ぶ。

  88. 追録2-No.2985 島津吉貴の江戸参覲の道中記録

    島津吉貴が参覲のため鹿児島を発ち、家老島津久當・島津久明らや用人を伴って肥後水俣から九州路を進む行程を記す。九月二十一日に大児島へ着き、海路へ移った後、風待ちを経て十一月十一日に江府へ着いたと記す。

  89. 追録2-No.2986 御肴一種献上を受ける秋元喬知書状

    秋元但馬守喬知が閏八月二十七日、吉貴へ、公方様の機嫌伺いに無事を伝え、肴一種の献上を同僚と相談して披露し、好結果であったと知らせる。

  90. 追録2-No.2987 種子島漂着唐船六十一人の引渡し報告

    佐久間信就・久松定持が島津吉貴へ、大隅国種子島に漂着した唐船と乗組員六十一人を御抱入番船へ移したことを報告する。警固を添えて長崎へ送った船が今月十七日に着いたと伝え、先のNo.2979の移送予定に続く到着報告となる。

  91. 追録2-No.2988 御肴一種の献上を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌がよいと伝え、吉貴が御肴一種を献上した件を承知したと答える。No.2986の秋元喬知書状と同じ献上を扱う別返書。

  92. 追録2-No.2989 重陽祝儀の小袖五領到来を知らせる御内書

    将軍家の墨印御内書が九月七日、薩摩少将吉貴へ、重陽祝儀の小袖五が到来して喜んだ旨を伝える。詳しくは秋元但馬守が述べるとする。

  93. 追録2-No.2990 清揚院二周忌法事の香奠奉納を承知する井上正岑書状

    井上正岑が島津吉貴へ、清揚院の二周忌法事が執り行われ、吉貴が使者を立てて香奠を献じ、増上寺の首尾へ奉納したことを承知したと答える。

  94. 追録2-No.2991 参覲出発と中山王の両使同行を承知する大久保忠増書状

    大久保忠増が島津吉貴へ、吉貴が参覲のため前月二十六日に国元を発ち、中山王の両使を召し連れると聞いた旨を答える。

  95. 追録2-No.2992 竹姫と有栖川殿の縁組を承知する大久保忠増書状

    大久保加賀守忠増が九月二十六日、吉貴へ、公方様の無事を伝え、竹姫君〈原注綱吉養女〉と有栖川殿〈原注正仁親王〉の縁組を吉貴が承知して喜ぶ旨を了承したと返す。書面の趣を同僚と相談して上聞に達したと知らせる。

  96. 追録2-No.2993 竹姫と有栖川殿の縁組を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌を伝え、竹姫君と有栖川殿との縁組が仰せ出された件を承知したと答える。No.2992の大久保忠増書状と同じ縁組を扱う別の返書。

  97. 追録2-No.2994 参覲出発と中山王の両使同行を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、吉貴が参覲のため前月二十六日に国元を発ち、中山王の両使を召し連れる旨を承知したと答える。同日付のNo.2993は竹姫の縁組を扱う。

  98. 追録2-No.2995 浜御殿への御成を承知する本多正永書状

    本多正永が島津吉貴へ、公方の機嫌を伝え、先ごろ浜御殿への御成があったことを承知したと答える。浜御殿への御成を主題とする一連の返書のうち、本多からの書状。

  99. 追録2-No.2996 浜御殿への御成を承知する間部詮房書状

    間部詮房が島津吉貴へ、公方の機嫌を伝え、先ごろ浜御殿への御成があったことを承知したと答える。No.2995の本多正永書状と同じ御成を扱う別返書。

  100. 追録2-No.2997 清揚院三十三回忌の増上寺参詣を承知する本多正永書状

    本多正永が島津吉貴へ、清揚院の三十三回忌法事が増上寺で執り行われ、去月十四日に御仏殿へ参詣した旨を承知したと答える。