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追録2の目録
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追録2-No.1 島津吉貴書状
島津吉貴が島津綱貴に、新年の賀詞と互いの無事な越年を祝い、当日の登城で年頭礼を済ませ、御盃・時服を拝領したことを報告した書状。目録記載の品を進上し、後日の面会を期す。
追録2-No.無番号_0001 小笠原長重外三名連署状
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平薩摩守へ、御用があるため翌二日四時に江戸城へ登城するよう命じた無番号の連署状。
追録2-No.2 大久保忠朝外三名幕府老中連署状
幕府老中の土屋政直・戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝が島津綱貴に、年頭祝儀の使者が太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件について、首尾よく披露した旨を連署で通知した書状。
追録2-No.無番号_0002 島津綱貴口上覚
島津綱貴が小笠原佐渡守長重へ、領内へ送られた無宿流人六十八人のうち、江戸から大坂までの籠中で十三人が病死し、大坂町奉行から受け取った五十五人のうち船中で八人が病死して、残る四十七人が十二日に領内へ到着したと報告した口上覚。
追録2-No.3 島津惟久女子誕生
忠興一流系図の記事。淡路守島津惟久の娘で、のち立花出雲守種興の室となる女子が、元禄十年正月十三日に武州江戸三田で誕生したと記す。母は島津綱貴の養女で、実は島津図書久洪の娘であるとする。
追録2-No.4 島津吉貴名字状
島津吉貴が野々山に発給した名字状。本文は日付・吉貴の判・宛所のみからなる簡潔な形式で、元禄十年二月六日付である。
追録2-No.5 北郷久嘉、綱貴ノ参勤ニ先行ス
北郷久嘉譜の記事。島津綱貴が江戸へ参勤する際、番頭の久嘉が元禄十年二月六日に鹿児島を先発し、四月五日に江戸へ到着したと記す。北郷吉兵衛忠養が同行した。
追録2-No.6 島津久洪家老職ニ補任
島津図書久洪の譜記事で、久通の孫にあたる久洪が元禄十年二月十五日に家老職へ補任されたことを記す。
追録2-No.7 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴からの改年賀状を披見し、吉貴の無事な越年を喜ぶとともに、自身も無事に年を越したと返答した書状。吉貴から目録どおり贈物を受けたことへの喜びを述べる。
追録2-No.8 陽和院消息
陽和院が島津綱貴(原宛所は松平さつまの守)へ、使者の到来を受けて寒中の息災を問い、とら安殿(刊本傍注・島津忠直)が元服して又四郎殿と名乗ったことと、子どもたちへの祝儀を喜び、当地の両屋敷・一門が無事なので安心するよう伝える。元服は原仮名けんふくに基づく。
追録2-No.9 土屋政直書状
土屋政直が島津綱貴の年始祝賀状を披見し、将軍の機嫌がよく年始の儀式も滞りなく済む見込みであると返答した書状。綱貴が使者を通じて樽肴を献上した件は、関係者で相談して披露したと伝える。
追録2-No.10 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明と松平輝貞が島津綱貴の年始祝賀状を披見し、将軍の機嫌がよく年始の儀式も滞りなく済む見込みであると返答した連署書状。綱貴の書面の趣旨を了解した旨を伝える。
追録2-No.11 東山帝婚儀ニ綱貴諸品ヲ献ス
東山天皇が幸仁親王の姫宮を女御として宮中へ迎えた婚儀を、在国中の島津綱貴が聞き、町田源左衛門久孝を京都へ派遣して祝儀を奉らせた記事。綱貴は禁裏へ太刀・馬代黄金三両、女御へ白銀二十枚を献上した。
追録2-No.12 献上物書上(御入内付献上物之覚)
御入内付献上物之覚として、松平薩摩守名義で禁裏へ御太刀・御馬代黄金三枚、女御へ白銀二十枚を列記する。
追録2-No.13 綱貴国絵図作製ニアタリ三州領有ノ由来ヲ述フ
元禄十年閏二月四日、幕府の奉行・目付らが綱貴の留守居赤松甚右衛門を評定所へ呼び、薩摩・大隅・琉球の地図を改め、日向一国の地図は伊東祐実と協議して村里・郡県・国境を正すよう命じた。同月二十七日に参覲のため出国した綱貴は途上でこれを聞く。記事は、忠久以来の三州守護という家説、島津氏の支配拡大、秀吉による…
追録2-No.14 戸田忠昌書状
戸田忠昌が松平薩摩守の来札を披見し、将軍の機嫌がよいこと、正月八日の東叡山御堂参詣を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して言上したと返答する書状。
追録2-No.15 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守に対し、来札を披見したこと、将軍の御機嫌と正月八日の東叡山御堂参詣を恐悦する旨を了承したことを返答する連署書状。
追録2-No.16 恵燈院知行目録
本文見出し「16 全御譜中」に属する三つの枝番文書への集約行。(の一)は上伊敷村・平松村の高百斛の知行目録、(の二)は恵燈院の菩提料百石とその管理、(の三)は帖佐郷住吉村の高百五十石を覚陽院の菩提料とする連署状。各枝番の本文と目録日付は16-1~16-3の個別行に記す。
追録2-No.16-1 島津綱貴袖判寄進状
島津綱貴の袖判寄進状。薩州鹿児島郡上伊敷村の中之門と隅州始羅郡平松村の福元門を挙げ、合わせて高百斛の土地を恵燈院の知行として記す。
追録2-No.16-2 島津氏老臣連署寄進状
平田宗正ら七名が連署し、恵燈院の菩提料として延宝四年十二月に寄附された高百石の内訳を記す。上伊敷村の中之門、平松村の福元門と宮脇屋敷を挙げ、御霊前の諸用への充当と執行について述べる。
追録2-No.16-3 島津氏老臣連署寄進状
平田宗正ら七名が連署し、隅州始羅郡帖佐郷住吉村内の高百五十石を覚陽院の菩提料として寄附した経緯を記す。前年十一月九日の島津綱貴の判と、慈眼院御影堂付三百石に準じた収納・御霊前の諸用への支出を伝える。
追録2-No.17 戸田忠昌書状
戸田忠昌が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、先頃の山王御社参を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して言上したと返答する書状。
追録2-No.18 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、先頃の山王御社参を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.19 戸田忠昌書状
戸田忠昌が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、正月二十四日の増上寺御仏殿参詣を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して言上したと返答する書状。
追録2-No.20 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、正月二十四日の増上寺御仏殿参詣を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.21 綱貴参勤ス
島津綱貴の参勤について閏二月二十七日に一族・家老・番頭・用人らの供役を定め、三月二日に川内京泊津から出船し、同月二十一日に大坂へ着船したことを記す記事。
追録2-No.22 戸田忠昌書状
戸田忠昌が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、先頃の護持院への御成を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して上聞に達したと返答する書状。
追録2-No.23 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守の来札を披見し、将軍の機嫌と先頃の護持院への御成について、恐悦の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.24 大久保忠朝外三名老中連署状
土屋政直・戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝が松平修理大夫に対し、翌朔日の例月御礼は行われないため登城に及ばない旨を通達した老中連署状。
追録2-No.25 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、先頃の柳沢出羽守亭への御成を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して上聞に達したと返答する書状。
追録2-No.26 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守の来札を披見し、将軍の機嫌と先頃の柳沢出羽守邸への御成について、恐悦の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.27 幕府触書写
日向国の御持合区域について、御家来衆同士や赤松甚右衛門との相渡しを協議し、村替え・組合せの有無、村高、寺社領、枝郷、新田、道・川・池沼・船渡などを調査して国絵図作製用の書付を短期間に差し出すよう命じた触書の写。
追録2-No.28 国絵図仕様書
国絵図の縮尺・方位・彩色・記号・国郡村界、村高、寺社領、新田、街道、川、池沼、渡船、海岸・島嶼などの表示方法を逐条定めた仕様書。隣国・隣村との相渡しと、領主相互の照合・差図の提出手順も規定する。
追録2-No.29 郷帳案紙
郷帳に記載する国・郡・村ごとの石高、寺社領・無高、新田、村数、郡別・国別合計などの記入様式を示した案紙。高の内訳と合計を統一書式で提出させるための雛形。
追録2-No.30 国絵図仕様触書写
国絵図を作製する際、新村・新川・新池沼・道筋・渡船場、国境・郡境、村高、寺社領などの変化を調査し、枝村・親村との関係や改称を注記して差図・帳面を提出するよう命じた触書の写。後世の編者が正保二年から元禄十年、さらに明治二十五年までの経年を注記する。
追録2-No.31 徳川綱誠書状
徳川綱誠が松平薩摩中将に、陽春の慶賀と互いの息災を祝い、入御念の段を喜ぶ旨を伝えた季節の挨拶状。
追録2-No.32 川崎祐身外二名連署書状
川崎祐身ら三名が、諸国国絵図の作製命令を受け、薩摩側の役人を江戸へ派遣して絵図本通りに調整する必要があるとして、人選・派遣時期を相談した連署書状。
追録2-No.33 種子島久時書状
種子島久時が川崎祐身・長倉祐定・伊東祐実に、国絵図の相本通を差し出す件と役人派遣の照会を承知した旨を返答した書状。島津綱貴は参勤のため前月に出発しており、喜入安房は供をしているため詳しく記せないことなども伝える。
追録2-No.34 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、先頃の松平右京大夫亭への御成を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して上聞に達したと返答する書状。
追録2-No.35 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守の来札を披見し、将軍の機嫌と先頃の松平右京大夫邸への御成について恐悦の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.36 大久保忠朝外三名連署状
四老中が松平修理大夫に、翌十五日の例月御礼は行われないため登城に及ばない旨を通達した連署状。
追録2-No.37 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守の来札を披見し、公方の機嫌を伝える。日光山参詣が仰せ出されたことへの恐悦の趣旨を受け、各人で相談して言上したと返答する。
追録2-No.38 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守の来札を披見し、公方の機嫌を伝える。日光山参詣が仰せ出されたことへの恐悦の趣旨を受け、書面の趣旨を了承したと返答する。
追録2-No.39 大久保忠朝外三名連署状
四老中が松平修理大夫に、御用のため翌二十五日四時に登城するよう命じた連署状。
追録2-No.40 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、先頃の日光御門跡への御成を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して言上したと返答する書状。
追録2-No.41 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が、先頃の日光御門跡への御成について松平薩摩守の恐悦の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.42 島津久洪外三名連署書状
種子島久時・島津久當・島津久守・島津久洪が川崎祐身ら三名に、日向国絵図の件を早々に知らせてくれた礼を述べた連署書状。薩摩守の道中から、参府後に詳しく承り合わせて返答するとの連絡があったため、それまで返事が遅れることを断り、先に礼を伝える。
追録2-No.43 土屋政直書状
土屋政直が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、閏二月十四日の増上寺への御成と同十八日の浅草観音堂参詣を承知したことへの恐悦を述べ、両通書面の趣旨を関係者と相談して上聞に達したと返答する書状。
追録2-No.44 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が、将軍の閏二月十四日の増上寺への御成と同十八日の浅草観音堂参詣について、松平薩摩守の恐悦の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.45 島津久洪外三名連署覚書
国絵図作製に伴う評定所での留守居召出し、絵図・郷帳の借用や差出し、紛失時の手続、改様の扱いについて、先例と担当者間の相調を示した返答の覚。
追録2-No.46 土屋政直書状
土屋政直が松平薩摩守の来札を披見し、今回の御入内が首尾よく済んだことへの祝意を述べ、差越使者の書面の趣旨を関係者と相談して上聞に達したと返答する書状。
追録2-No.47 土屋政直書状
土屋政直が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、先頃の小石川御殿への御成を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して言上したと返答する書状。
追録2-No.48 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が、先頃の小石川御殿への御成について松平薩摩守の恐悦の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.49 土屋政直書状
土屋政直が松平薩摩守の来札を披見し、将軍が機嫌よく、先頃の金地院への御成を承知したことへの恐悦を述べ、書面の趣旨を関係者と相談して言上したと返答する書状。
追録2-No.50 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が、先頃の金地院への御成について松平薩摩守の恐悦の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.51 土屋政直書状
土屋政直が、将軍の機嫌と本庄因幡守邸への御成について松平薩摩守の恐悦の意を了承したと返答する書状。
追録2-No.52 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が、将軍の機嫌と本庄因幡守邸への御成について松平薩摩守の恐悦の意を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.53 川崎祐身外二名連署書状
川崎祐身ら三名が、国絵図の件について先の飛札に対し、参府途上の島津綱貴から『参府後に詳しく聞き合わせて指示する』との返答があったことを伝え、松平出雲守方の申し越しにより絵図本通者を当地から差し立てた旨を付記した連署書状。
追録2-No.54 土屋政直書状
土屋政直が、将軍の機嫌と柳沢兵部邸への御成について松平薩摩守の恐悦の意を了承したと返答する書状。
追録2-No.55 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が、将軍の機嫌と柳沢兵部邸への御成について松平薩摩守の恐悦の意を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.56 綱貴大坂・伏見経由参府記事
島津綱貴が三月二十一日に大坂へ着船し、同二十四日に河舟で大坂を発った後、霖雨による増水のため同二十五日に伏見へ着き、同二十七日に伏見を発って四月九日に参府し、翌十日に上使阿部正武の慰労を受けた経過を記す記事。
追録2-No.57 綱貴家臣御目見願書
薩摩守の伯父佐多豊前は九千五百石で酉年に、家老喜入安房は五千石余で亥年に供奉し、御目見を命じられたと記す。両名を今回の薩摩守参勤御礼の際にも御目見させるよう願う。過去の御目見時の献上物として、佐多豊前は太刀・銀馬代・時服六、喜入安房は太刀・銀馬代・時服三を列挙する。
追録2-No.58 大久保忠朝外三名連署状
四老中が松平薩摩守に、翌十五日四時に登城して参勤の御礼を申し上げるよう命じた連署状。
追録2-No.59 登城令書
佐多豊前・喜入安房の御目見が仰せ付けられたため、翌十五日四時に江戸城へ差し出すよう命じた令書。
追録2-No.60 島津綱貴請書
家臣佐多豊前・喜入安房を翌十五日四時に登城させる旨の命令を承知した島津綱貴の請書。
追録2-No.61 大久保忠朝外三名連署状
四老中が松平修理大夫に、翌十五日の例月御礼はないため登城に及ばない旨を通達した連署状。
追録2-No.62 吉貴神当流馬術ヲ学フ
吉貴が柴崎正勝に師事して神当流馬術を学び、年を重ねてその功を成し、馳駆曲当の蘊奥を得たと記す。正勝が書を吉貴へ送り、詳見于左として次No63を掲げる。年の下の小字二と茲の下の小字一は返り点であり、具体的な年齢・修学年数へ読み替えない。
追録2-No.63 神当流馬術免許状
柴崎正勝が松平修理大夫へ、神当流馬術への執心と数歳の稽古、馳駆曲当の抜群の功を認め、音捨之巻・管天之巻・外之巻・岩波之巻・馬原記等の五軸と一枚馬書、教輪信誠之両巻を伝授する。奥儀秘術を残さないとし、近臣の中から気質を選び、堅い誓盟のもとで相伝することも許す。元禄十年四月十八日付。
追録2-No.64 綱貴登城、綱吉ニ謁ス
四月十四日に奉書を受けた島津綱貴が、翌十五日に登城して参府の礼を述べ、将軍綱吉に謁し、家臣らも御目見した経過を記す記事。
追録2-No.65 国絵図仕様書
幕府が国絵図改訂に際し、国絵図受領方の指示に従うこと、大身・小身を問わず国郡村名と知行を書き付け、知行高に応じて井上大和守または安藤筑後守・松平美濃守方へ提出すること、書物蔵の旧国絵図を借用後に返却することを定めた覚書。
追録2-No.66 国絵図受持大名書出
評定所に召し出された各大名家の国絵図担当者と受持国を列挙し、国絵図調製の分担を記録した書出。
追録2-No.67 赤松則茂申状
赤松則茂が、組合国の清絵図を二所で調製する場合に一所の清絵図を残す方法について、伊東出雲守方との協議経過と井上大和守の指示を報告し、双方の書付を別紙で示した申状。
追録2-No.68 日向国絵図組合一紙
日向国の清絵図について、松平薩摩守・伊東出雲守の組合せと、用済み後の相渡しを記した一紙。
追録2-No.69 国絵図仕様書一
先年の国絵図を借用し、新たな国絵図の区分・隣国境界・訂正箇所を照合して清書する手順を定めた仕様書。
追録2-No.70 知行所々付書出案紙
国絵図に添える知行所付書出の雛形を示し、書付を折って何国知行所付と上書し、押札や先年江戸で済んだ書付の扱いを定める。知行高を付す必要はなく、二ヶ国に知行がある者は二通を認め、来る六月中に井上大和守方へ提出する。期限までに調わない事情がある場合は、その旨を知らせるよう求める。
追録2-No.71 国絵図仕様請書案紙
大隅・薩摩・日向・琉球の国絵図調製について、古絵図の借用、国境相違箇所の協議、清絵図への仕立て、御絵図小屋への提出方法を示した案紙。
追録2-No.72 国境絵図仕様書
国境付近の寺院・堂社・川筋・道筋・池沼や浦方の小島等を両国で照合し、旧絵図との相違を協議して記載するよう定めた国境絵図の仕様書。
追録2-No.73 幕府達書写
幕府が、寺社領の所付書付は井上大和守方から相渡すこと、遠国分は最寄りの寺社から国絵図担当へ直接差し出させ、残る事項は一国ごとに照会するよう命じた達書写。
追録2-No.74 国絵図仕様書
国絵図に用いる紙・墨・彩色、里程、郡村名、村高・石高、領主・寺社領等の記載方法を定めた仕立様の仕様書。
追録2-No.75 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が、薩摩中将から端午の祝儀として帷子・単物数十が到来したことを喜び、謝意を伝えた御内書。
追録2-No.76 島津綱貴書状
綱貴が伊勢兵庫へ、禰寝丹波に関わる岸喜右衛門の国許への引越しと養子願を願いどおり申し付けた件について、御礼の趣旨を承知したと返答する。相手の病気を聞き、療養を専一とするよう気遣う。
追録2-No.77 吉貴帰国ス
五月二十七日に土屋政直を介して吉貴への賜告があり、先規によって時服五十を拝受し、その後登営して拝謝した際に馬一匹を賜ったと記す。六月六日に江戸を発ち、木曽路から二十二日伏見着、二十四日大坂へ下り、二十七日開船、七月二十九日薩州和泉脇元着、八月四日鹿府へ入る。九月十五日に島津権七久茂が登営して吉貴帰国…
追録2-No.78 綱貴、馬ヲ献ス
島津綱貴が同年六月、参府の先例に従い将軍へ馬二疋を献上し、奉書を賜ったことを記す記事。
追録2-No.79 阿部正武書状
阿部正武が、献上された馬二疋について加藤越中守と相談し、首尾よく披露した旨を島津綱貴へ伝えた書状。
追録2-No.80 阿部正武書状
阿部正武が松平修理大夫の書状を披見し、土用中に使者を通じて尋ねられた公方の様子について勇健であると知らせる。肴一種が献上され、各人で相談して首尾よく披露したと返答する。
追録2-No.81 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、土用中に尋ねられた将軍の安否について勇健であると知らせ、書面の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.82 阿部正武書状
阿部正武が、琉球布十巻・砂糖漬一器・泡盛二壺・御肴一種の献上について、首尾よく披露した旨を松平薩摩守へ伝えた書状。
追録2-No.83 国絵図仕様書
国絵図上の一里塚を一里六寸の尺度とし、国ごとに異なる旧絵図の里程を通例の一里に改め、町歩の延びに応じて図上の長短を調整する方法を定めた覚書。
追録2-No.84 島津久武知行所書出
島津久武の知行所として、日向国那珂郡の塩路御手洗村・山崎村と、新名爪村・広原村の各一部を列記した書出。
追録2-No.85 秋月種封知行所書出
秋月種封の知行所として、日向国諸県郡・宮崎郡の木脇村、吉野村、岩知野村などを列記した書出。
追録2-No.86 秋月種政知行所書出
秋月種政の知行所として、日向国児湯郡・那珂郡・諸県郡・宮崎郡・臼杵郡の多数の村を列記した書出。
追録2-No.87 戸田忠昌書状
戸田忠昌が、端午の御内書を相渡すので翌日五半時に登城するよう松平薩摩守へ命じた書状。
追録2-No.88 伊東祐春知行所書出
伊東祐春の知行所として、日向国那賀郡の北方村と東辨分村の一部を列記した書出。
追録2-No.89 島津惟久知行所書出
島津惟久の知行所として、日向国那珂郡・児湯郡の上田嶋村、下田嶋村、袋広瀬村ほか多数の村を列記した書出。
追録2-No.90 三浦明敬知行所書出
三浦明敬の知行所として、日向国臼杵郡の北方村・南方村・祝子村・大武町ほか多数の村を列記した書出。
追録2-No.91 日向国代官所領書出
日向国の御代官所之覚写として、宮崎郡・那珂郡・諸県郡の村々を列記する。庵屋村・船引村の別記・合記の扱いを、郷村帳・内証・郷帳・割付との関係で注記する。那珂郡の江田・新別府・吉・下別府などには郷村帳上の郡所属との異同を付し、同名の南方村についても領主・所在の注記を記す。松永村は郷村帳に見えないと注記す…
追録2-No.92 日向国代官所領書出
幕府代官所支配の日向国臼杵郡・児湯郡・宮崎郡などの村々を郡別に列記した所領書出。
追録2-No.93 阿部正武外二名連署状
幕府老中三名が島津綱貴に、翌七月朔日五時に登城するよう命じた連署状。
追録2-No.94 綱貴、寛永寺本堂造営ノ助役ヲ命ゼラル
島津綱貴が六月晦日に老中から東叡山寛永寺本堂造営の助役を命じられ、七月朔日に登城し、島津久明らを役方へ配置したのち、同月二十二日に本堂造営を始め、八月二日には小屋掛けなどに着手した経緯を記す記事。
追録2-No.95 島津久明等、寛永寺造営ニ従フ
島津綱貴が寛永寺本堂造営の助役を務めるにあたり、禰寝清雄が助役総監使を命じられ、島津久明がこれを補佐し、多数の家臣と工事に従事した。翌年七月二十一日の竣工後、八月三日に清雄・久明以下十四人が時服・銀子を拝領したことを記す記事。