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追録2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,207件中 3101~3200件・32 / 33ページ

  1. 追録2-No.3098 馬拝領と家来の御目見を喜ぶ岩倉らの返書

    岩倉とかよが島津将監・島津帯刀へ、二御所の機嫌がよいこと、上使阿部豊後守を通じて薩摩守が馬と拝領物を受けたことを伝える。家来の御目見を喜び、No.3097とは宛先と差出人が異なる返書である。

  2. 追録2-No.3099 満女を満君と称することと謝礼の品を記す記事

    六月二十七日、早川佐渡守・堀山城守が家老島津将監久當へ書簡を送り、近衛大閤基熙の来臨時に御台所が満女のことを聞いて喜び、今後は満君と称するよう伝えた。二十九日に女使が登営し、家宣・御台所へ紗綾十巻・二種一荷などを献じ、吉貴は二種千疋、妻女は二種五百疋を贈って謝したと記す。

  3. 追録2-No.3100 満君の呼称と京での取扱いを伝える連署書状

    六月二十七日、早川佐渡守・堀山城守が島津将監へ、御台所から満姫を満君と呼ぶよう仰せがあったと伝える。太閤滞在中の京都への披露や当地での呼称について吉貴側の意向を上聞したところ、以後満君と唱えるよう岩倉を通じて命じられた。

  4. 追録2-No.3101 満君の呼称への礼と贈物を伝える書状

    六月二十七日、早川佐渡守・堀山城守が島津将監へ追啓し、満君の呼称に関する礼を今日書状で申し上げ、明後二十九日には女中使を通じて御礼を申し上げるのがよいと伝える。満君から御二方へ紗綾十巻・二荷三種、中将から千疋・二種、奥方から五百疋・二種をそれぞれ両方へ贈る内訳を示す。

  5. 追録2-No.3102 満君の呼称と儀礼の取扱いを伝える書状

    六月二十七日、堀山城守が島津将監へ、満君への改名を唱える件の意向を受けたと伝える。御礼に老中方へ使者を遣わす必要はなく、この件は越前守とも相談したという。養子の事柄は内向きの呼称で表向きから申し渡されたことではないので、何も御礼に及ばないと説明する。

  6. 追録2-No.3103 満君の呼称と贈答を喜ぶ五名連署返書

    豊原ら五名が松平薩摩守へ、御台所が満姫を満君と称することを認めたとの知らせを喜ぶ。薩摩守の書状を受け、二御所の機嫌と贈物をめぐる祝意を伝える返書である。

  7. 追録2-No.3104 吉貴の江戸発から鹿児島帰着までを記す記事

    島津吉貴は七月朔日に江戸を発つにあたり、御台所の上使早川佐渡守から檜重一組を賜った。島津帯刀らを伴って伏見・京都・大坂を経由し、七月二十七日に播州奈波津に着いて船に乗り、八月十一日に領国の阿久根、同十五日に鹿児島城へ帰着した。道中の供人と各地の到着日を細かく記す。

  8. 追録2-No.3105 翌年参府免除への礼を伝える島津周防宛書状

    七月朔日、吉貴が島津周防へ、来年の参府を免除する旨の仰せを受けたことについて、周防から丁寧な祝意の書状を受けたと喜び謝す。次の島津兵庫宛No3106も同文面である。

  9. 追録2-No.3106 翌年参府免除への礼を伝える島津兵庫宛書状

    七月朔日、吉貴が島津兵庫へ、来年の参府を免除する旨の仰せを受けたことについて、兵庫から丁寧な祝意の書状を受けたと喜び謝す。No3105の周防宛書状と同文面の別宛書状である。

  10. 追録2-No.3107 摂政家の領地増加祝いを受けた返書

    近衛基熙が島津吉貴へ、摂政家の領地増加を祝う書状と目録記載の贈物を受け、喜んだと返答する。後日の慶事にも言及する短い返書である。

  11. 追録2-No.3108 吉貴の上京と京での歓談を喜ぶ返書

    近衛基熙が島津吉貴へ書状を返し、吉貴の上京と摂政・内府との歓談を聞いて喜ぶ。詳しい話は後日とし、慶事の続きを願う。No.3107の領地増加祝儀への返書とは別の用件である。

  12. 追録2-No.3109 八朔祝儀の太刀・馬代を披露する四名連署返書

    阿部正喬・井上正岑・大久保忠増・秋元喬知が松平薩摩守へ、八朔の祝儀として太刀一腰と馬代黄金十両を使者が献じたことを報じる。贈物の趣旨を披露したと伝える四名連署の返書である。

  13. 追録2-No.3110 満君の呼称と吉貴江戸出発への祝意に礼を述べる書状

    島津吉貴が島津周防へ、満女を満君と称することになった件を祝う書状を受け取ったと述べる。吉貴が前月朔日に江戸を発ったことへの祝詞も受け、別の書状と合わせて心遣いに礼を伝える。

  14. 追録2-No.3111 陽和院の死去・葬送と位牌安置を記す記事

    島津吉貴の祖母陽和院が八月十二日に江戸高輪邸で死去し、二十日に遺体を大円寺へ葬送した。天叟和尚が引導師を務め、吉貴は島津頼母久記を江戸へ遣わして弔わせた。翌年三月二十九日には位牌が鹿児島の福昌寺に到着して安置されたと記す。

  15. 追録2-No.3112 陽和院死去を弔う薩摩中将宛書状

    花押を据えた差出人が島津吉貴へ、陽和院の死去に驚き、悲しみを察して弔意を述べる。

  16. 追録2-No.3113 陽和院死去を弔う別の薩摩中将宛書状

    花押を据えた差出人が島津吉貴へ、陽和院が死去したと聞き、遠くから悲しみを察して弔意を表す。No.3112とは日付と花押番号が異なり、こちらは花押No.10を付す。

  17. 追録2-No.3114 串鮑一箱の献上披露を伝える久世重之の返書

    八月二十五日、久世大和守重之が松平薩摩守へ、書状を拝見し、公方の機嫌は変わりなく一層無事であると伝える。串鮑一箱の献上について、皆で申し談じて披露し、良い首尾だったと報じる。

  18. 追録2-No.3115 御札と御肴一種への礼を伝える井上正岑の返書

    九月六日、井上河内守正岑が松平薩摩守へ、書状を拝見し、公方の機嫌が変わりなく一層勇健であると伝える。肴一種の献上について皆で申し談じ披露し、良い首尾だったと報じる。

  19. 追録2-No.3116 重陽の祝儀の小袖五領に対する家宣の返書

    将軍徳川家宣が島津吉貴へ、重陽の祝儀として小袖五領が届き、喜んで見たと返答する。詳しいことは阿部豊後守に伝えさせると記す。

  20. 追録2-No.3117 御肴一種と将軍の近況を伝える連署返書

    九月七日、本多忠良・間部詮房が松平薩摩守へ、公方の機嫌は変わりなく勇健であると伝える。肴一種を献じたという書面の趣旨を承知したと返す。

  21. 追録2-No.3118 御肴一種と将軍の近況を伝える井伊直治の返書

    井伊掃部頭直治が松平薩摩守へ、書状を拝見し、将軍の機嫌がよいと伝える。御肴一種を献じた件を承知したと記し、紙面で返答する。No.3117と同趣旨だが、こちらは井伊一名の署名である。

  22. 追録2-No.3119 八朔祝儀の御樽・肴などを喜ぶ五名連署返書

    豊原ら五名が松平薩摩守へ、御台様から奥方へ八朔の祝儀として御樽と肴が贈られたことを喜ぶ。摂政様への加領の祝いや、満君らへの進物にも触れる。

  23. 追録2-No.3120 八朔祝儀と摂政への加領祝いを伝える返書

    岩倉とかよが島津将監・島津帯刀へ、八朔の祝儀に対する謝意を伝え、満君や奥方への進物を喜ぶ。摂政への加領祝いにも触れ、御台様からの返礼の経緯を知らせる。No.3119と同じ八朔の件を将監・帯刀へ伝える別通である。

  24. 追録2-No.3121 陽和院の病気見舞いへの礼を取り次ぐ岩倉・かよの消息

    岩倉・かよが島津将監・島津帯刀へ、御台所から陽和院の病気見舞いとして懇ろな意を示され、外からも見舞いの音信があったことへの謝意を取り次ぎ、見舞いへの礼を申し上げるよう伝える。

  25. 追録2-No.3122 佐多豊前久達の嫡子系に島津姓を許す記事

    島津吉貴が家臣佐多豊前久達に、光久・綱貴の代からの忠勤と今回の謝礼使者の役目を理由として、嫡子の家系には代々島津姓を許すと命じた。二男以下は従来どおり佐多を名乗らせると区別する。

  26. 追録2-No.3123 佐多豊前へ島津名字を下す手続を定める覚書

    御座の間で佐多豊前が召し出され、月番家老から島津名字を下す旨を伝える手続を記す。家老は判物を手渡し、次男以下は従来の佐多姓とすることも伝える。正文が島津本久武にあると付記する。

  27. 追録2-No.3124 佐多豊前に島津姓を許す吉貴の判物

    島津吉貴が佐多豊前に「宜為島津」と命じ、島津姓を名乗ることを正式に許した判物。本文は短い命令文と日付・御判・宛名から成り、No.3122・3123の名字下賜を直接示す。

  28. 追録2-No.3125 御盃の御流と御流の作法を定める挿入条書

    九月に仰せ渡された御盃の御流・御流の作法を記す挿入条書。召し出された者が土器に酒を受ける方法、御流と御盃の御流の唱え分け、二番目以後の受け方、末々の頂戴、酒を請う際の扱いを示す。従前の家老間の相談にも触れる。

  29. 追録2-No.3126 佐多家嫡子代々の島津姓と献上を定める記事

    島津吉貴の命により、佐多豊前久達の家の嫡子は代々島津姓を名乗り、二男以下は従来どおり佐多姓と定められた。毎年八朔に太刀を献じることや十月朔日の格式も記し、証帖を与えたとする。

  30. 追録2-No.3127 日高次左衛門・山口友與の謹慎解除を願う申請

    日高次左衛門・山口友與について、日頃の行いと気性を理由に命じられた謹慎の解除を願う。今後は武芸・学文に励ませ、親類も監督すると申し出て、寛大な処置を求める。

  31. 追録2-No.3128 摂政への加領祝いを喜ぶ五名連署返書

    豊原・ときはる・み室・たかせ・川嶋が松平薩摩守へ、御二所の無事を伝える。摂政の家領が加増されたことへの祝儀として、吉貴から公方へ目録どおりの品を進上した件を披露したと返答する。

  32. 追録2-No.3129 摂政への加領祝いを伝える将監・帯刀宛返書

    十月十八日、岩倉・かよが島津将監・島津帯刀へ、御二所の無事と吉貴の無事を伝える。摂政への加領祝の目録品を伝え、御台所から薩摩守へも贈りたい意向があるので披露するよう取り次ぐ。

  33. 追録2-No.3130 摂政加領祝いの御台所への進上を伝える返書

    岩倉・かよが島津将監・島津帯刀へ、御二所の無事を伝える。摂政への加領の祝いを寄せ、御台所へ祝儀として目録どおり進上したことを披露し、満足している旨を取り次ぐ。

  34. 追録2-No.3131 吉貴の帰国と御台様への取次を喜ぶ連署消息

    岩倉とかよが島津将監・島津帯刀へ、八月十五日付の手紙が届き、吉貴が無事に帰国したことを喜ぶ。二人の近況と御台様の機嫌に触れ、御台様への目録・使者の件を取り次ぐと伝える。

  35. 追録2-No.3132 吉貴の帰国を喜び礼を伝える五名連署消息

    豊原・常盤井・みむろ・たかせ・川嶋が松平薩摩守へ、道中息災の帰着を喜ぶ。八月十五日付の書状を九月二十八日に披露したと伝え、九月十五日の無事な帰着と、その礼に表へ使者を遣わしたことを喜ぶ。

  36. 追録2-No.3133 帰国・拝領品と鎌田藤四郎の献上を伝える返書

    井伊直該が松平薩摩守へ、吉貴の帰国と将軍の機嫌がよいことを伝える。暇を賜り、馬・白銀・時服を拝領したことを喜び、国許到着の礼として鎌田藤四郎が目録の品を献じた件を承知したと答える。

  37. 追録2-No.3134 帰国と鎌田藤四郎献上への本多・間部連署返書

    本多忠良と間部詮房が松平薩摩守へ、吉貴の帰国と将軍の機嫌がよいことを伝える。暇・馬・白銀・時服の拝領、国許到着の礼として鎌田藤四郎が目録の品を献じた件を承知したと記す。No.3133と同趣旨だが二名の連署である。

  38. 追録2-No.3135 鎌田藤四郎の献上と御前召出しを伝える連署返書

    阿部正喬ら四名が松平薩摩守へ、吉貴の帰国、暇・馬・白銀・時服の拝領を喜ぶ。国許到着の礼として鎌田藤四郎が目録の品を献じた件を披露し、藤四郎が御前に召し出されたことを伝える。

  39. 追録2-No.3136 佐土原城主島津惟久の宗家訪問と帰郷

    日州佐土原城主島津淡路守惟久が宗家を訪れ、鹿児島城中の宿と諸寺院を見聞した。吉貴は城内に客屋を用意し、滞在中に諸寺院へ参詣させた。惟久は二十日ほど滞在して暇を願い、鹿児島から帰郷したと記す。

  40. 追録2-No.3137 帰国・拝領品と鎌田藤四郎献上への土屋政直返書

    土屋政直が松平薩摩守へ、吉貴の帰国と将軍の機嫌がよいことを伝える。暇・馬・白銀・時服の拝領、鎌田藤四郎による目録の品の献上を承知したと答える。No.3133・3134と同じ件を土屋一名が返答したもの。

  41. 追録2-No.3138 浜御殿御成への祝意を上聞した秋元喬知返書

    十月二十三日、秋元喬知が松平薩摩守へ、公方の機嫌がよいことを伝える。先頃の浜御殿御成を聞いて祝意を寄せた書状について、皆で申し談じて上聞に達したと返答する。

  42. 追録2-No.3139 浜御殿での儀礼への井伊直該返書

    井伊直該が松平薩摩守へ、将軍の機嫌がよいと伝え、先頃浜御殿で行われた儀礼を吉貴が承知した件に答える。No.3138と同じ件だが、こちらは井伊が紙面で趣旨を承知したと記す短い返書である。

  43. 追録2-No.3140 琉球使者の大坂通行・引渡しを定める覚書

    前年の琉球使者が江戸から帰る際の浦触と大坂町奉行の引渡しを踏まえ、今後の琉球使者について大坂での引渡し・帰路の通行手続を記す。大坂からの書状や留守居の申出を受け、関係者に知らせて御記録奉行へ申し渡すよう求める。

  44. 追録2-No.3141 常憲院三回忌の東叡山法事と香奠への返書

    十月二十六日、土屋政直が松平薩摩守へ、常憲院三回忌の法事執行に伴い、使者をもって献じた香奠は東叡山で首尾よく奉納され、その趣旨を高聴に達したと伝える。

  45. 追録2-No.3142 浜御殿での儀礼への本多・間部連署返書

    本多忠良と間部詮房が松平薩摩守へ、将軍の機嫌がよいことと、先頃浜御殿で行われた儀礼を吉貴が承知した件を伝える。No.3138・3139と同じ儀礼を扱うが、こちらは本多・間部の連署である。

  46. 追録2-No.3143 常憲院三回忌の東叡山法事への井上正岑返書

    井上正岑が松平薩摩守へ、常憲院の三回忌法事が東叡山で営まれ、吉貴が先月十日の仏殿参詣に際して差し越した使者の件を承知したと伝える。No.3141とは差出人と使者に言及する場面が異なる。

  47. 追録2-No.3144 将軍の健康と献上品を伝える阿部正喬返書

    阿部正喬が松平薩摩守へ、将軍の体調がよいと伝え、吉貴が将軍の近況を尋ねて品一種を献じた件を承知したと答える。別途披露する旨を記す。

  48. 追録2-No.3145 将軍の健康と献上品を伝える井伊直該返書

    井伊直該が松平薩摩守へ、将軍の体調がよいと伝え、吉貴が将軍の近況を尋ねて品一種を献じた件を承知したと答える。No.3144と同じ趣旨を、井伊から別日に返した短い書状である。

  49. 追録2-No.3146 常憲院三回忌の東叡山法事への間部詮房返書

    間部詮房が松平薩摩守へ、常憲院の三回忌法事が東叡山で行われ、吉貴が先月十日に仏殿へ遣わした使者の件を承知したと伝える。No.3143と同じ法事を扱う、間部一名の返書である。

  50. 追録2-No.3147 将軍の健康と献上品への本多・間部連署返書

    本多忠良と間部詮房が松平薩摩守へ、将軍の体調がよいと伝え、吉貴が将軍の近況を尋ねて品一種を献じた件を承知したと答える。No.3144・3145と同じ件だが二名連署である。

  51. 追録2-No.3148 書付の取次と上聞を伝える阿部正喬返書

    阿部正喬が松平薩摩守へ、先に命じられた書付を渡したとの知らせを受け、内容を承知したと答える。関係者と相談して将軍へ申し上げると伝えるが、書付の具体的な内容は本文に記さない。

  52. 追録2-No.3149 島津家二男以下の称号を定める記事

    島津吉貴が、島津氏を名乗る家臣の家で二男以下に用いる称号を定めたと記す。規定の具体的な名字・紋の扱いは、続くNo.3150の達書に示される。

  53. 追録2-No.3150 二男以下の末川姓と二階菱紋を定める連署達書

    肝付主殿ら五名が島津小源太へ、吉貴から島津玄番に下された名字・紋の扱いを伝える。後年二男が生まれた際は末川姓と二階菱紋を用い、嫡子以外は島津姓および十文字紋を用いないよう命じる。

  54. 追録2-No.3151 島津家庶流の名字候補と授与手続を記す覚書

    島津家庶流の次男に名乗らせる名字と手続を示す覚書。三木原・平屋・柳・細籠・岩越・大熊・板鼻等の名字を対応する家へ示し、月番家老から伝達する。嫡子以外に名字を名乗らせる件では書付の有無に応じて用人・月番家老への書付で指示する。

  55. 追録2-No.3152 島津帯刀家の二男以下を三崎姓とする記事

    島津吉貴が島津帯刀の家について、二男以下には三崎姓を名乗らせると命じた。嫡子と庶流の称号を分けるNo.3151の書立に続く具体例で、本文は三崎姓と折紙一通に言及する。

  56. 追録2-No.3153 三崎・谷川・黒岡・倉山の名字を扱う覚書

    島津大蔵・将監・帯刀・内膳の四家について、嫡子以外に三崎・谷川・黒岡・倉山の名字を用いる件を記す。御用の間に先例や判物の要否を照会し、記録所へ申し聞かせるよう指示する。

  57. 追録2-No.3154 金太夫・辨之助の別名字をめぐる覚書

    十一月二十二日の覚は、金太夫・辨之助へ名字を賜る扱いを示す。辨之助は頼母の次男だが、頼母家の次男に平屋を賜るのとは別に、辨之助に限り権田とする。金太夫も同様の扱いと記す。

  58. 追録2-No.3155 二男以下の村森姓と島津紋の使用制限を伝える達書

    肝付主殿ら五名が島津周防へ、将来生まれる二男以下には村森姓を名乗らせると伝える。嫡子以外には島津姓と十文字紋を用いさせないよう命じる。No.3150の小源太宛達書と同じ原則を周防家へ適用したもの。

  59. 追録2-No.3156 増上寺での法事への阿部正喬返書

    阿部正喬が松平薩摩守へ、九月十四日に増上寺の御仏殿で行われた法事について、吉貴が参詣の件を承知したとの知らせを受けたと返答する。将軍の機嫌がよいことも伝える。

  60. 追録2-No.3157 増上寺での法事への井伊直該返書

    井伊直該が松平薩摩守へ、九月十四日の増上寺御仏殿に関する吉貴の書状を受け、参詣の趣旨を承知したと答える。No.3156と同じ法事を井伊から別日に返した書状である。

  61. 追録2-No.3158 伊集院十太郎に源助の名を許す判物

    島津吉貴が伊集院十太郎に「源助」と名乗るよう命じた短い判物。加冠に際して与えた名を「宜為源助」と記し、日付・御判・宛名を添える。

  62. 追録2-No.3159 増上寺での法事への本多・間部連署返書

    本多忠良と間部詮房が松平薩摩守へ、九月十四日の増上寺御仏殿に関する吉貴の書状を受け、参詣の趣旨を承知したと答える。No.3156・3157と同じ件を二名連署で返したもの。

  63. 追録2-No.3160 将軍の堀廻りへの大久保忠増返書

    十二月九日、大久保忠増が松平薩摩守へ、公方の機嫌がよいことを伝える。先頃の御堀廻を聞いて祝意を寄せた書状について、皆で申し談じて上聞に達したと返す。

  64. 追録2-No.3161 将軍の御堀廻への井伊直該返書

    十二月十一日、井伊直該が松平薩摩守へ、公方の機嫌がよいことを伝える。先頃の御堀廻を聞いて祝意を寄せた書状の趣旨を承知したと返す。

  65. 追録2-No.3162 将軍の御堀廻への本多・間部連署返書

    十二月十一日、本多忠良・間部詮房が松平薩摩守へ、公方の機嫌がよいことを伝える。先頃の御堀廻を聞いて祝意を寄せた書状の趣旨を承知したと返す。No3161と同件への別通で、別の儀礼実施は記されない。

  66. 追録2-No.3163 寒中見舞いと羽織・御肴献上への大久保忠増返書

    大久保忠増が松平薩摩守へ、寒中の見舞いと将軍の機嫌を知らせる書状を受け、将軍が健やかなことを伝える。羽織五枚と御肴一種の献上を受け、各々申し談じて取り次いだ旨を返す。

  67. 追録2-No.3164 蜜柑二箱と御肴献上への大久保忠増返書

    大久保忠増が松平薩摩守へ、将軍の機嫌を知らせる書状を受け、その健やかなことを伝える。蜜柑二箱と御肴一種の献上について、各々申し談じて取り次いだと返答する。

  68. 追録2-No.3165 蜜柑と御肴献上への井伊直該返書

    井伊直該が松平薩摩守へ、将軍が健やかであるとの知らせを受けて返答する。蜜柑と御肴一種の献上について承知した旨を記すが、蜜柑の数量はこの文書には示されない。

  69. 追録2-No.3166 寒中見舞いと羽織・御肴献上への井伊直該返書

    井伊直該が松平薩摩守へ、寒中見舞いと将軍の機嫌を知らせる書状を受け、将軍が健やかなことを伝える。羽織と御肴一種の献上について承知したと返し、本文は羽織の枚数を記さない。

  70. 追録2-No.3167 蜜柑と御肴献上への本多・間部返書

    本多忠良と間部詮房が松平薩摩守へ、将軍の機嫌を知らせる書状を受け、将軍が健やかなことを伝える。蜜柑と御肴一種の献上を承知したと返し、No.3165の井伊返書と同じ品を二名連署で扱う。

  71. 追録2-No.3168 寒中見舞いと羽織・御肴献上への本多・間部返書

    本多忠良と間部詮房が松平薩摩守へ、寒中見舞いと将軍の機嫌を知らせる書状を受け、将軍が健やかなことを伝える。羽織と御肴一種の献上を承知したと返し、No.3166の井伊返書と同じ用件を二名連署で扱う。

  72. 追録2-No.3169 歳暮祝儀の小袖五重への家宣御内書

    将軍徳川家宣が松平薩摩守へ、歳暮の祝儀として小袖五重が届いたことを喜び、委細は上河内守が述べると伝える。短い御内書で、家宣の黒印を据える。

  73. 追録2-No.3170 頼朝の鬚・鬢毛をめぐる相承院寛明証状

    正徳元年十二月、鎌倉鶴岡法華堂別当・相承院二十三世法印寛明が、頼朝の鬚髪三茎・鬢毛二茎を当寺阿弥陀如来の頸内に納めた由来と、宝永四年三月に吉貴が仏師を遣わして彩色修復したことを証す。吉貴は仏像修復の檀越であり、厚智村の花尾権現に分けた遺毛を奉納するよう述べ、当寺の毛が失われた場合は各一毛を帰納する約…

  74. 追録2-No.3171 正徳二年に島津吉貴が在国した記事

    正徳二年壬辰に島津吉貴が国元にいたことを「今歳正徳二年壬辰吉貴在国矣」と一行で記す。出立・帰着の日付や在国中の行動は記されない。

  75. 追録2-No.3172 年頭祝儀の太刀・馬代への四名連署返書

    正月十一日、阿部正喬・井上正岑・大久保忠増・秋元喬知が松平薩摩守へ、年頭祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献じたことを受け、良い首尾だったと返答する。

  76. 追録2-No.3173 神社仏閣修造・農事・年貢徴納の吉書

    島津吉貴が松平薩摩守へ、神社・仏閣の修造と興行、農事の奨励、年貢の徴納をそれぞれ怠らないよう三箇条で命じる。右の三箇条を心得、判断が必要な場合は状況に応じて処置するよう付記した吉書。

  77. 追録2-No.3174 朝鮮信使の礼遇と駈走舞楽への井上正岑返書

    井上正岑が松平薩摩守へ、昨冬の朝鮮信使に対する礼遇と駈走舞楽の響応を将軍が賞したことを伝える。その後に御暇を下され、使者も差し越されたとの知らせを受け、各々申し談じて返答する。

  78. 追録2-No.3175 朝鮮信使の礼遇への井伊直該返書

    井伊直該が松平薩摩守へ、昨冬の朝鮮信使への礼遇と駈走舞楽の響応を将軍が賞し、その後に御暇を下された件を承知したと返す。No.3174の井上返書と同じ用件を別の日付・差出人で扱う。

  79. 追録2-No.3176 朝鮮信使の礼遇への本多・間部返書

    本多忠良と間部詮房が松平薩摩守へ、昨冬の朝鮮信使への礼遇と駈走舞楽の響応を将軍が賞し、その後に御暇を下された件を承知したと返す。No.3175と同日の二名連署の返書である。

  80. 追録2-No.3177 肝付袈裟寿に半蔵の名を与える書出

    島津吉貴が肝付袈裟寿に、加冠後は「半蔵」と名乗るよう命じる。正月二十八日付の短い仮名書出で、吉貴の御判と宛名を備える。

  81. 追録2-No.3178 旧冬の城廻りと儀礼への大久保忠増返書

    大久保忠増が松平薩摩守へ、将軍の機嫌を知らせる書状を受け、昨冬の「御城廻」が済み儀礼が行われた件を承知したと返答する。城名や儀礼の内容は本文に示されない。

  82. 追録2-No.3179 旧冬の城廻りと儀礼への間部詮房返書

    間部詮房が松平薩摩守へ、将軍の機嫌を知らせる書状を受け、昨冬の「御城廻」が済み儀礼が行われた件を承知したと返答する。No.3178の大久保返書と同じ用件を別の日付・差出人で扱う。

  83. 追録2-No.3180 年始の規式と御樽肴献上への秋元喬知返書

    二月二十三日、秋元喬知が松平薩摩守へ、新春の祝賀と年始の規式が済んだであろうとの祝意を受けて返答する。公方の機嫌がよく一層勇健であると伝え、樽肴献上の件は皆で申し談じて披露し良い首尾だったと報じる。

  84. 追録2-No.3181 吉貴の指宿・佐多巡見と大磯での仮館

    島津吉貴が二月六日に邦内巡見に出発し、指宿辺を訪ね、志島隼人範房・大目付名越右膳恒渡らを伴ったと記す。陸路と船路を経て佐多に滞在し、三月八日に大磯の仮館へ帰着した行程を記載する。

  85. 追録2-No.3182 済州漂着の薩摩領内三人のうち一人生存を伝える宗義方書状

    二月二十五日、宗対馬守義方が松平薩摩守側へ、領内の者三人が乗った一艘が前年六月十二日に朝鮮の済州へ漂着し、一人が生存、二人が溺死したと報じる。生存者は朝鮮側から書簡を添えて対馬へ送り返され、今月十九日に対府へ到着したため、使者を添えて長崎奉行所へ差し送ったと伝える。

  86. 追録2-No.3183 年始規式と御樽肴献上への井伊直該返書

    二月二十六日、井伊直該が松平薩摩守へ、新春の祝賀と年始規式が済んだであろうとの祝意を受けて返す。公方の機嫌がよいことを伝え、樽肴献上の書面の趣旨を承知したと記す。

  87. 追録2-No.3184 年始規式と御樽肴献上への本多・間部返書

    二月二十七日、本多忠良・間部詮房が松平薩摩守へ、新春の祝賀と年始規式が済んだであろうとの祝意を受けて返す。公方の機嫌がよいことを伝え、樽肴献上の書面の趣旨を承知したと記す。No3183と同じ用件への別通である。

  88. 追録2-No.3185 大坂川筋の船除再開を求める書状

    松平薩摩守の大坂川筋通行時に船除が中絶していたことを述べ、大坂留守居大嶋孫右衛門へ、時節を見て町奉行所へ申し渡すよう委ねた経緯を伝える。大坂町奉行が通船年寄側へ命じ、正徳元年七月十八日に旧来どおりの船除を行った旨を記す。

  89. 追録2-No.3186 大坂川筋の船除の旧例を述べる覚書

    東照大権現の治世初めの恩遇を受け、曾祖父家久以来、島津家の参勤往復で大坂川内を通る際は諸国の船を除け、乗船を妨げない旧例があったと記す。吉貴の代には途絶えていたが、前年に家臣大島孫右衛門忠宣が官家へ申し立て、旧式を復活した。詳細は左掲の書付によるとする。

  90. 追録2-No.3187 大坂川筋の船除復旧を求める大島忠宣口上覚

    七月十二日、大島孫右衛門が船奉行石川四郎左衛門の家老・猪瀬喜内と鈴木弥市右衛門へ、吉貴が帰国暇を得て近日到着するので、大坂川筋通船時に以前のように船除を行ってほしいと願う。一昨年の帰国は陸路で、前年参府時は願い出なかったが、船が入り込んで危急を感じたという。

  91. 追録2-No.3188 大坂川筋の船除由緒と先例を述べる覚書

    薩摩守家が大坂川筋を船で通る際に他船を除ける由緒を述べ、松平肥前守・松平陸奥守らとの比較や、船手への御下知、町奉行所への申上げを記す。元和六・七年の扱い、江戸へ呼び寄せた妻子の船路などを挙げ、今回も旧例に沿った船除を求める。添えられた覚には船年寄から町奉行所へ差し出す書類と引渡しの手続きを記す。

  92. 追録2-No.3189 大坂川筋船除の実施を伝える大津屋勘兵衛書状

    七月十八日、大津屋勘兵衛が大島孫右衛門へ、吉貴の当地到着と川口入津・出船に際し、仲間で船除をして乗船に支障のないようにする旨を町奉行所から命じられたと伝える。今後は出船日時を早めに知らせてもらい、その都度内意を伺いたいと頼む。

  93. 追録2-No.3190 木津川口通船時の船除をめぐる覚書

    松平薩摩守が木津川口を通船する際、近年は船が水尾筋に入り船路が混乱したと記す。今後は船の出入りをさせないよう廻船年寄へ申し渡すこと、大津屋勘兵衛を呼び出して船除の方法を確かめ、宮部源太夫を介して伝えることを述べる。

  94. 追録2-No.3191 大阪川口の船除と朝鮮使船の到着見込みを伝える羽津書状

    七月十八日、羽津元右衛門が大島孫右衛門へ、吉貴の当津到着を喜び、川口で船除を行う旨を廻船年寄にも申し渡したと報じる。出船日時は年寄から問い合わせるので承知してほしいと述べる。今年初めての申付けであり家老から奉行所への立寄り挨拶を内々に勧める。朝鮮正使・従事の船は五日に対馬佐須奈浦へ着き、副使船は遅れ…

  95. 追録2-No.3192 大坂川筋の船除実施を求める大嶋孫右衛門書状

    大嶋孫右衛門が市来次郎左衛門へ、薩摩守の大坂川筋通船時に旧例どおり他船を除けるよう町奉行所に申し立てた経緯を報告する。大津屋勘兵衛と唐金屋助九郎に照会し、差図・書状の写しを添えて、今後の船年寄・町奉行への申渡しを求める。

  96. 追録2-No.3193 大坂川筋の船除差図をめぐる大嶋孫右衛門書状

    十一月三日、大島孫右衛門が御用人衆へ、七月の大坂川筋船除について調査経過を報告する。町奉行の申付けは川方役所の帳面に残る公の扱いで、船奉行からの船除は内証で船手・家来が行うとの違いを、若林新五兵衛・羽津元右衛門らの説明から整理する。城代土岐伊予守への照会、町奉行二人への挨拶と紗綾・縮緬十巻宛または年…

  97. 追録2-No.3194 船除の進物・人数を照会する島津久當書状

    島津将監久當が大嶋孫右衛門へ、大坂川筋の船除を進めた町奉行側の者への御礼や進物をどう扱うか、十一月三日付の書付を受けて尋ねる。若林新五兵衛らへの銀子三枚・二枚や、町奉行・川奉行の人数に関する申出を挙げ、相応の取扱いを検討するよう伝える。

  98. 追録2-No.3195 大坂川筋船除の実施・謝礼をめぐる書付

    十二月二十九日、大島孫右衛門が御用人衆へ、大坂川口船除の謝礼を調整し、使者を立てて贈った品と返答を記す。町奉行北条安房守・桑山甲斐守へ各紗綾十巻・干鯛一箱、船奉行石川四郎左衛門へ紗綾十巻・干鯛一箱、川奉行四人へ銀二枚宛、同心八人へ一部分金一切宛、若林新五兵衛へ銀三枚を挙げる。家老・用人等の人数も示す…

  99. 追録2-No.3196 吉野での御関狩を記す短い記事

    正徳二年壬辰二月二十五日に吉野で「御関狩」があったことを一行で記す。参加者、獲物、狩りの経過は本文に示されない。

  100. 追録2-No.3197 長福誕生への紀伊中納言吉宗返書

    紀伊中納言吉宗が松平薩摩守へ、昨冬に長福が生まれたと知らせる書状を受け、吉報を喜んで返答する。本文は誕生を喜ぶ短い返書で、誕生日や母の名は記さない。