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追録2の目録
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追録2-No.597 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、綱貴の健勝を喜び、このたび娘が生まれて七夜の祝いまで済んだと報告した書状。出生祝いとして目録どおりの品を拝受したことへ謝意を述べる。
追録2-No.598 島津綱貴書状
島津綱貴が小笠原長重へ、将軍の勇健と長重の健勝を祝い、島津惟久の桜田屋敷が御用地として召し上げられ、麻布新堀端の返地を下されたことをありがたく思うと伝えた書状。その御礼を申し上げるため飛札を送ったと述べる。
追録2-No.599 近藤用高・丹羽長守連署書状
近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、十一日付書状にある、何国の船か不明の異国小船一艘が八月十二日に屋久島志戸子へ流れ寄り、乗人・荷物・船具がなく水船となっていた件を承知したと返す連署書状。海辺・山中を調べても不審なことはなかったとの報告を受け、警固付きで送られた船を昨日二十七日に當津で相違なく受け取っ…
追録2-No.600 島津綱貴書状
島津綱貴が近藤用高・丹羽長守へ、寧波を出た来朝唐船一艘が二十五日に領内甑島の小串へ漂着し、同島の手打浦へ曳き入れて番船を付けたとの報告を受けた書状。日和次第、警固の者を付けて長崎へ送ると知らせ、詳細は家来から説明するとする。
追録2-No.601 島津綱貴口上覚
島津綱貴の口上覚は、寧波発の来朝唐船一艘(乗員六十一人)が九月二十五日に領内下甑島の小串へ入り、荒波のため同島の手打浦へ曳き入れて番船を付けたと報告する。日和を待ち、警固の者を添えて長崎へ送る旨を申し越したとする。
追録2-No.602 島津吉貴書状
松平修理大夫吉貴が中将へ、冷気に向かう折の勇健を願い、当地の一門も変わりないと伝えた書状。機嫌伺いとして鯖鮓巻十を進上し後の便りを期す。
追録2-No.603 近藤用高・丹羽長守連署書状
近藤用高・丹羽長守が松平薩摩守へ、去月二十八日付書状で、寧波唐船一艘が先月二十五日に甑島小串へ漂着し手打浦へ曳き入れ番船を付けたとの報告を承知した連署状。日和次第、例どおり警固と曳舟で送るよう求め、家来の詳報も承知したとする。
追録2-No.604 島津綱貴書状
島津綱貴が近藤用高・丹羽長守へ、当夏に来朝した唐船十七艘が十月六日から帰帆を命じられたため、領内の津々浦々を入念に警戒させるよう家来へ伝えられた趣旨を了承したと、飛札で回答した書状。
追録2-No.605 島津綱貴書状
島津綱貴が近藤用高・丹羽長守へ、当夏に来朝した唐船十七艘が十月六日から帰帆を命じられたため、私領内の浦々を従例どおり入念に警戒させるよう家来へ伝えられた趣旨を承知し、ただちに申し付けたと回答した書状。前号と同趣旨だが、本書は命令を即時に実施したことを明記する。
追録2-No.606 島津綱貴口上覚
島津綱貴の口上覚は、先に報告した領内屋久島安房へ漂着した南京発の唐船一艘を、警固の者を添えて長崎へ送ったところ、九月二十八日に長崎奉行衆が異儀なく受け取ったと報告する。
追録2-No.607 島津綱貴口上覚
島津綱貴の口上覚は、先に報告した領内上甑島の縄瀬へ漂着した浙江発の唐船一艘を、警固の者を添えて長崎へ送ったところ、九月二十八日に長崎奉行衆が異儀なく受け取ったと報告する。前号の南京船・屋久島安房漂着に対し、本書は浙江船・上甑島縄瀬漂着の事例である。
追録2-No.608 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、東叡山中堂の普請を首尾よく終え、将軍から直々に腰物を拝領したとの知らせを受けて贈られた、目録記載の祝儀品に謝意を述べた書状。
追録2-No.609 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、相手の平安を喜び、自身も無事であると伝え、巻物三を贈られた懇篤に謝した書状。
追録2-No.610 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、今年の祝儀に使翰を差し渡し、特に例に準じて目録どおりの品を贈られたことを過量の厚意として謝した書状。
追録2-No.611 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、酒井靱負佐の妹が離縁したことについて、弔意を込めた丁寧な書状を受け取ったことに謝意を述べた書状。
追録2-No.612 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、慶雲院殿の死去に際して悔やみの書状を丁寧に寄せられたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.613 島津鍋保丸系譜抄
島津綱貴の子鍋保丸は元禄十二年十月十一日に二階堂源右衛門行格の娘を母として生まれ、多病のため綱貴の命で大乗院十八世覚雲法印の門弟となった。元禄十六年六月朔日に没し、法諱を如幻房法印権大僧都本覚大和尚といい、鹿児島の大乗院に葬られたと記す系譜抄。
追録2-No.614 林田采女、葵草を島津氏に贈る
山城国賀茂神官の林田采女が、賀茂山の葵草を島津家の祈祷のために贈りたいと願い、島津綱貴が許可した記事。これが賀茂の葵草を島津家へ贈る最初で、詳しい口状を次号に載せる。
追録2-No.615 林田采女口状
賀茂祝の林田采女が、これまで賀茂から薩摩守へ葵を献上した者はいないと聞き、島津家が先祖以来賀茂の祝職と縁を持つことを理由に、旧記・文書を調べたうえで葵を島津家の祈祷と祝家の規模のため献上したいと申し出た口状。趣旨を島津家の家司へ取り次ぐよう求める。
追録2-No.616 丹羽長守書状
丹羽長守が松平薩摩守へ、公方と相手の健勝を喜び、大嶋伊勢守が道中無事で昨日到着したことを知らせた書状。伊勢守方へ使者を遣わす際の書状と、琉球八重山嶋の熬海鼠一箱を贈られたことに謝す。
追録2-No.617 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守の留守居へ、重陽の御内書を渡すので、翌日五半時に江戸城へ出るよう命じた書状。
追録2-No.618 島津綱貴口上覚
島津綱貴の口上覚は、南京へ帰る唐船一艘(乗員三十六人)が十月十二日に領内下甑島の前之浦へ漂着・碇泊し、繋留場所が悪いため湊内へ曳き入れて番船を付けたと報告する。日和次第で出帆させる旨を長崎奉行衆へ申し越したとする。
追録2-No.619 島津綱貴書状
島津綱貴が近藤用高・丹羽長守へ、第四十七番の南京帰唐船一艘が十月十二日に領内下甑島の前之浦へ漂着したため番船を付け、日和次第で出帆させる旨を申し越した書状。詳細は家来から申し上げるとする。
追録2-No.620 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守島津綱貴へ、戸田山城守の死去を聞いたとの書状を披見し、その趣旨を了承したと答えた書状。綱貴の書面どおり同僚と相談し、将軍へ言上するとする。
追録2-No.621 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守島津綱貴へ、戸田山城守の死去を聞いたとの綱貴の書状を披見し、その趣旨を紙面どおり了承したと答えた連署書状。同日付の小笠原長重書状と異なり、同僚との相談や将軍への言上には触れない。
追録2-No.622 小笠原長重・土屋政直・阿部正武連署書状
小笠原長重・土屋政直・阿部正武が松平修理大夫島津吉貴へ、翌二十八日の例月御礼は行われないため、江戸城へ登城する必要はないと通知した連署書状。
追録2-No.623 島津綱貴書状
島津綱貴が近藤用高・丹羽長守・大嶋伊勢守へ、積戻唐船二艘が今月二十日に帰帆を命じられたことに伴い、積戻の船なので領内の津々浦々へ特に入念な警戒を申し付け、怪船があれば留め置いて相手方へ報告するよう家来に伝えられた趣旨を了承した書状。
追録2-No.624 林忠和書状
林忠和が松平薩摩守へ、公方と相手の健勝を喜び、自身の長崎奉行就任祝いとして太刀・馬代黄金十両を贈られたことを過分の厚意として謝した書状。
追録2-No.625 柳沢保明書状
柳沢保明が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴の健勝を喜び、あわせて肴一種を贈られたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.626 土屋政直書状
土屋政直が松平薩摩守島津綱貴へ、将軍の機嫌を尋ねた綱貴の書状を披見し、将軍は健勝なので安心するよう答えた書状。綱貴が献上した肴一種について、同僚と相談して首尾よく披露したと知らせる。
追録2-No.627 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守島津綱貴へ、将軍の機嫌を尋ねた綱貴の書状を披見し、将軍は健勝なので安心するよう答えた連署書状。綱貴が肴一種を献上した件も了承したとするが、前日の土屋政直書状にある相談・披露には触れない。
追録2-No.628 土屋政直書状
土屋政直が松平薩摩守へ、公方がますます健勝であることを喜ぶ旨はもっともだとし、島津左京の屋敷が御用で召し上げられ替地を下されたことをありがたく思うとの趣旨を了承した書状。紙面の内容は各々が一覧したと伝える。
追録2-No.629 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守へ、公方がますます健勝であることを喜ぶ旨はもっともだとし、島津左京の屋敷が御用で召し上げられ替地を下されたことをありがたく思うとの書状の趣旨を紙面どおり了承した連署書状。
追録2-No.630 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、吉貴が翌年の参勤時期を伺ったところ、三月中に参府するよう命じられたことを喜んだ書状。寒気に向かう折の無事を願い、当地の一門にも異変がないと伝える。吉貴公御譜にはないとの注記がある。
追録2-No.631 島津綱貴書状
島津綱貴が小笠原長重へ、重陽の祝儀として小袖を献上したところ将軍の御内書を受け、謹んで頂戴したことへの謝意を述べた書状。この趣旨を適切に披露するよう依頼する。
追録2-No.632 松平定逵書状
松平定逵が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴の健勝を喜び、同族の松平修理大夫島津吉貴方で女子が出生した際、祝いの使者と目録記載品を贈ったところ、綱貴から礼を伝えられたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.633 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、寒気に向かう折の健勝を願い、機嫌伺いとして生肴一折を進上した書状。当地の一門にも異変がないので安心するよう伝え、後便を期す。
追録2-No.634 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、綱貴のもとで鍋保丸が出生したことを喜び、祝いとして軽使を立て、目録記載品を進上した書状。
追録2-No.635 新納久珍書状
新納久珍が島津圖書・島津中務・肝付主殿へ、福昌寺愚海和尚の退院について飛札を受け取り、前日の指示と先方からの詳報を早速伝えたとする書状。喜入安房・種子島蔵人が記載されず、切紙の趣旨とも違う点を聞き置いたこと、飛脚を戻すよう命じられたため詳細を別紙で伝えることも記す。
追録2-No.636 島津綱貴口上覚
島津綱貴の口上覚。去る夏に琉球八重山嶋へ漂着した呉国人について、先頃家来から長崎奉行衆へ申し上げた件を其御地で伺い、首尾よく指示があった由を承知したと謝す。その内容を中山王へ申し越すと報告する。
追録2-No.637 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守島津綱貴へ、将軍の機嫌を尋ねた書状を披見し、将軍は健勝なので安心するよう答えた書状。綱貴が献上した羽織五・肴一種について、同僚と相談して首尾よく披露したと知らせる。
追録2-No.638 近藤用高書状
近藤用高が松平薩摩守へ、先月二十一日付書状にある琉球八重山嶋漂着呉国人の件に返答する。先頃留守居中から申し越された内容を江府へ伺い、指示どおり伝えたところ承知し、中山王方へ伝えるとされた旨を了承する。首尾よい指示を大いに喜んだとの入念な通知に謝す。中山王への具体的命令内容は本条に記さない。
追録2-No.639 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守島津綱貴へ、将軍の機嫌を尋ねた書状を披見し、将軍は健勝なので安心するよう答えた連署書状。綱貴が羽織五・肴一種を献上した件も了承したとするが、前日の阿部正武書状にある相談・披露には触れない。
追録2-No.640 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守へ、書状を披見し、公方がますます健勝であることを喜ぶ旨はもっともだと返す。献上された蜜柑二箱・肴一種を各々相談して首尾よく披露したと伝える。
追録2-No.641 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴から残蜜柑一籠と焼鮎一籠を贈られたことに謝意を述べた書状。綱貴が堅固に休息していることを喜び、自身も無事に勤仕していると伝える。
追録2-No.642 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守へ、公方がますます健勝であることを喜ぶ旨はもっともだとし、蜜柑二箱・肴一種を献上したとの紙面の趣旨を了承した連署書状。前日の阿部正武書状にある相談・披露は記さない。
追録2-No.643 秋元喬朝書状
秋元喬朝が松平薩摩守島津綱貴へ、書状を披見し、寒気の時節にも綱貴が健勝であることを喜んだ書状。肴一種を贈られたことに謝意を述べ、後便を期す。
追録2-No.644 島津綱貴書状
島津綱貴が中川因幡守久通へ、中川の屋敷と綱貴の居屋敷を振り替える件で家来へ申し達した内容について、こちらから伝えたとおりに進めてよいとの指示を受けたことへの礼を述べた書状。
追録2-No.645 島津綱貴書状
島津綱貴が丹羽長守・大嶋伊勢守へ、当秋に来航した唐船二十一艘が十二月十四日から十八日までに帰帆を命じられたとの通知を受け、領内の津々浦々に例年どおり早速警戒を申し付けたと報告した書状。
追録2-No.646 秋元喬朝書状
秋元喬朝が松平薩摩守島津綱貴へ、歳暮の祝儀として使者を受け、目録記載の品々を贈られたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.647 島津綱貴書状
島津綱貴が進藤筑後守へ、関白の健勝を喜び、蓮光院が在京中に懇意な待遇を受け、料理を下される折に音楽を仰せ付け、特に相手自らも奏されたと承知し、本人もかたじけなく喜ぶ旨の礼を述べた書状。この内容を喜入の書状で承知したとして伝達を依頼する。
追録2-No.648 島津綱貴書状
島津綱貴が聖護院宮菊坊法眼へ、門主の安泰を喜び、蓮光院の帰国に際して伝言を受けたことに加え、堂上方寄合書十躰・和歌花色紙形・薫物・数方御手合の菊花一香合を下賜されたことへの礼を述べた書状。
追録2-No.649 北郷久嘉・徳鶴婚礼記事
光久の息女徳鶴が北郷久嘉に嫁ぎ、元禄十二年十二月二十七日に婚礼が規式どおり行われたとする記事。同日久嘉は登城し、新納久珍の案内で三献の土器・盃や腰物を拝領した。別日の同月晦日、久嘉が綱貴を自邸に招き盛膳を供し、二種一荷を賜る一方、久嘉から備前利恒腰刀・太刀一腰・銀馬代を献上し、記載の家臣らが公顔を拝…
追録2-No.650 徳川綱吉御内書
将軍徳川綱吉が薩摩中将島津綱貴へ、歳暮の祝儀として小袖五重を受け取り、喜んでいると伝えた御内書。詳細は土屋相模守政直が述べるとする。
追録2-No.651 北郷久度、綱貴を久嘉邸に迎える記事
島津綱貴が北郷久嘉の邸へ赴いた際、綱貴が北郷久度に金子五百疋を与え、久度も金子三百疋を献じて謝意を示したことを、北郷宗次郎久度の譜中から記す記事。
追録2-No.652 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、新年を祝って互いの健勝を喜び、例年どおり登城して御礼を申し上げ、御盃と御時服を拝領したと報告した書状。年首の祝儀として肴二種・樽一荷を進上する。
追録2-No.653 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、新年を祝い、吉貴と一門が無事に越年したことを喜び、自身も無事なので安心するよう伝えた書状。祝儀として目録記載の品を贈る。
追録2-No.654 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、新年を祝い、例年どおり登城して御礼を申し上げ、御盃と御時服を拝領したと報告し、年首の祝儀として目録記載品を進上した書状。
追録2-No.655 島津久明、横目頭となる記事
大蔵久明譜中から、元禄十三年正月十日に久明が横目頭に任じられたことを記す記事。
追録2-No.656 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、鍋保丸の出生祝いとして使者を立て、目録記載の品を贈られたことを喜んだ書状。後日の吉報を期すと結ぶ。
追録2-No.657 秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武連署書状
秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が年頭の祝儀として使者を通じて太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を、首尾よく披露したと報告した四名連署書状。
追録2-No.658 島津久房系譜抄
求馬久房譜中。元禄十三年正月十一日に兄主馬久重の屋宅を賜り、従来の采地三百五十石に代え、新地一千石拝領の伝達を新納久寿から受けて謝したと記す。元禄十四年十一月十四日には綱貴の命で兄大蔵久明・頼母久記の家例に従い樹家し、平宗室の五男と記す。同年十二月十三日の城内琉銘御祈念には太守吉貴の命で御代を勤めた…
追録2-No.659 島津綱貴口上覚
島津綱貴の口上覚は、朝鮮国の船一艘・四十四人が前年十一月十一日に領内七島の諏方瀬島へ漂着したため、飢渇した乗員へ飯米・水・薪を与え、小船で陸へ上げて小屋に収容し番を置いたと報告する。船は同月十六日夜に破損したため、島の小船に分乗させ、在番者の警固で本土へ送り、到着後は当地の警固を添えて長崎へ送るとす…
追録2-No.660 島津綱貴書状
島津綱貴が丹羽長守・大嶋伊勢守へ、朝鮮国の船一艘・四十四人が前年十一月十一日に領内七島の諏方瀬島へ漂着し、十六日夜に船が破損したため、乗員を島の小船に分乗させ在番者の警固で本土へ送ると通知した書状。到着後は当地からも警固を添えて両名のもとへ送り、詳細は家来から申し上げるとする。
追録2-No.661 近衛家熈書状
近衛家熈が松平薩摩守島津綱貴へ、年始の賀詞を記した書状を披見し、綱貴が無事に越年したことを喜び、自身も変わりないと伝えた書状。目録記載の品を受け、たびたびの心遣いに謝意を示す。
追録2-No.662 近衛家熈書状
近衛家熈が松平薩摩守島津綱貴へ、関白の病気は早くも効験が現れてさらに快方へ向かっているので安心するよう伝え、綱貴の懇切な書状を喜んだ返書。
追録2-No.663 島津綱貴参勤記事
島津綱貴が元禄十三年正月十二日に国元を発ち、島津忠直・島津久洪・新納久珍・種子島伊時・野村廣貫・相良長規らを伴って参勤の途に就いた記事。十五日に京泊で乗船し、二十一日に出帆、二月十九日に大坂へ着船し、同二十一日に再び出帆したところまでを記す。
追録2-No.664 北郷久竜、島津綱貴の参勤に従う記事
北郷久竜譜中。権十郎忠置が元禄十三年正月十二日に綱貴の参勤へ一族供として従い、家老川上太郎左衛門尉久隆と与力細江武左衛門が同行したと記す。同月二十二日に出水脇元で伊豆の名を賜る。三月十五日に大樹綱吉公へ拝謁して太刀一腰・馬代銀・小袖六を献上し、阿部飛騨守正喬が取り次いだ。
追録2-No.665 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、歳暮の祝儀として芳札と目録記載品を贈られたことを喜び、念入りな配慮に謝意を述べた書状。後喜を期すと結ぶ。
追録2-No.666 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、綱貴の健勝を喜び、歳暮の祝儀として目録記載品を拝受したことに謝意を述べ、当地の一門にも異変がないと知らせた書状。綱貴公御譜にはないとの注記を伴う。
追録2-No.667 近衛基熈書状
近衛基熈が松平薩摩守島津綱貴へ、書状のとおり自身の病気はさらに快方へ向かっているので安心するよう伝え、たびたびの深切な心遣いに満足していると答えた書状。
追録2-No.668 近衛家久書状
近衛家久が松平薩摩守島津綱貴へ、殿下の病気は春を迎えて次第に快方へ向かっているので安心するよう伝え、綱貴のたびたびの懇切な見舞いを喜んだ書状。同日付の近衛基熈書状が本人の病状を伝えるのに対し、本書は「殿下」の病状を報じる。
追録2-No.669 近衛家熈書状
近衛家熈が松平薩摩守島津綱貴へ、殿下の病気は暖気を得てさらに平復しているので安心するよう伝え、綱貴が毎度寄せる懇志を喜んだ書状。前日の近衛家久書状と同じ病状回復を伝えるが、本書は暖気による平復を述べる。
追録2-No.670 島津綱貴、三州守護職の由来を幕府へ提出した記事
島津綱貴が薩摩・大隅・日向三州の守護職由来を幕府へ提出した経緯を記す記事。日向国絵図調進の際、江戸にいた島津主計久年が三州支配の由緒を記し、源頼朝や京都将軍家の下文を守護職の証拠として写したため、綱貴は東照大権現以来の島津家の由緒と義久以来五代の将軍家からの厚遇を書き加え、老中土屋政直へ内々に提出し…
追録2-No.671 島津家由緒書
島津家の祖島津忠久について、源頼朝と丹後局の子として薩摩・大隅・日向三州の地頭・守護となったとの家伝から、歴代の三州支配、近衛家との縁、島津義久以来の徳川将軍家による領知安堵までを述べた由緒書。日向国絵図調進に際し、島津主計久年が頼朝・京都将軍家の下文を写して作成した守護職由緒に綱貴が徳川家との由緒…
追録2-No.672 島津綱貴覚書
島津綱貴が、切支丹改め・鉄砲改め・猪鹿数・国絵図など幕府へ提出する帳簿や証文について、藩主・一門・家老の誰が名書・印判を加えるかを先例と照合した覚書。松平加賀守家や松平陸奥守家の例、近年の鉄砲改帳・猪鹿数帳、三州共通で調進する国絵図の場合を挙げ、提出文書の名義と印判の扱いを整理する。
追録2-No.673 源頼朝袖判下文写
源頼朝が大秦元光へ、薩摩国牛屎院を元光の所領として安堵し、相伝の証拠を持たない小城八郎重道の主張を退けた下文写。元光に牛屎院を知行して島津荘惣地頭惟宗忠久の下で先例どおり公役を勤めるよう命じ、文治三年五月三日付の頼朝袖判を写す。
追録2-No.674 足利義持御判御教書写
足利義持が島津陸奥守を日向・大隅・薩摩三箇国の守護職に補任し、先例に任せて沙汰するよう命じた御判御教書写。応永二十二年八月二十八日付で、公方義持の御判を据える。
追録2-No.675 管領畠山持国施行状写
管領畠山持国が島津陸奥守へ、日向・大隅・薩摩三箇国に課した内裏造営料段銭が先度の命令後も未納であるとして、早々に徴収・進納するよう命じた施行状写。宝徳二年四月二十日付。
追録2-No.676 室町幕府奉行人連署奉書写
室町幕府奉行人の布施下野守・飯尾大和前司が島津陸奥守へ、清水寺建立の勧進として日向・大隅・薩摩三箇国から奉加を集めるよう命じた連署奉書写。文明十二年十二月二十七日付で、先例どおり執行するよう求める。
追録2-No.677 松平薩摩守先祖由緒書上
松平薩摩守家が、島津義久・義弘・家久以後の徳川家への奉公と家督相続を幕府へ書き上げた先祖由緒。名護屋在陣、伏見での徳川家康との関係、関ヶ原後の本領安堵、慶長十四年の琉球出兵と琉球国王を伴う駿府・江戸での拝謁、家久・光久・綱貴への相続、慶長・元和・寛永年間の進物・拝領物や病気・死去を年代順に記す。
追録2-No.678 赤松則茂書付写
赤松甚右衛門則茂が土屋相模守らとのやり取りを報告した書付の写。島津家由緒書を土屋に読み聞かせ了承を得たこと、組合連名に関わる陰の御奉公の扱い、島津主計を名代として召し出す手順・座次、家来役人二人や用人の応対を相談する。正保の日向国絵図調進を先例として書付を調えること、由緒書に加え江戸居住・権現様への…
追録2-No.679 某家譜中覚書
今度の国絵図作成に伴い、薩摩・大隅・日向三箇国の領主名・組合名を図へ記す方法と、島津家側の署名・押印者を先例に照らして検討した覚書。正保年間の国絵図では日向国清絵図に大隅守・日州御持合衆が名を連ね、清絵図調進時には家老の名を用いたことを挙げ、今回も大隅守一人の名書・印判とする案を示す。
追録2-No.680 正保国絵図調方覚
正保元年十二月、国絵図調進について大隅守家来が評定所へ呼び出され、井上筑後守・宮木越前守から薩摩・大隅・日向三箇国の絵図を大隅守が調えて提出するよう命じられた際の覚。有馬蔵人・秋月長門守・島津但馬守・伊東大和守の家来も呼び出され、各領知の絵図を大隅守方へ送るよう指示された。四家側で絵図を調え絵図役人…
追録2-No.681 綱貴日向国絵図調進ヲ命セラル
寺社奉行井上正岑が島津家臣赤松甚右衛門則茂を呼び、日向国絵図は当初の伊東出雲守家との共同調進ではなく、島津綱貴一人で調進するよう幕府が決めたことを伝えた記事。参勤途上で知らせを受けた綱貴は、正保年間以来の先例が保たれたとして大いに喜んだ。
追録2-No.682 赤松則茂覚書写
井上大和守から願いの筋を申し渡された経緯を、赤松甚右衛門が書き出した覚の写。二月六日八つ時以後に出頭し、日向国絵図を伊東出雲守との組合ではなく薩摩守一人で調える決定を承知する。参勤途上の薩摩守へ早く知らせ、伊東側へも告げること、安藤筑後守・松前伊豆守・久貝因幡守への内意連絡や留守居取次長濱治左衛門と…
追録2-No.683 島津忠雄願書
島津主計忠雄が小笠原彦太夫長重と御用人衆へ、日向国絵図について薩摩守から直に願書を差し出すのが相当との内意を承ったとして、願書の提出順序と取次を依頼した文書。土屋相模守への伺い、佐渡守への申達、絵図調進をめぐる先例の取扱いも求める。
追録2-No.684 小笠原彦太夫書状
小笠原彦太夫が島津主計へ、昨日来訪時は上野参詣で不在だったことを残念に思い、遠方からの帰りに立ち寄って休息し心遣いを受けたことに謝す。口上書を受け取り、日向国絵図を薩摩守一人で調える旨が井上大和守から留守居へ伝えられたと承知し、主計の骨折により首尾よく運んだことを喜ぶ。修理大夫の喜び、薩摩守への道中…
追録2-No.685 島津忠雄口上覚
島津主計忠雄が島津図書へ、日向国絵図を伊東出雲守家との共同ではなく島津家単独で調進するため、井上大和守・土屋相模守らと重ねた交渉を詳述した口上覚。正保国絵図の先例、絵図への領主名・印判、願書の書式と提出、国絵図奉行や家老の名義、幕府評議の経過を挙げ、単独調進決定に至るまでを報告する。
追録2-No.686 島津忠雄書状
島津主計忠雄が喜入安房・種子島蔵人・肝付主殿へ、綱貴の安康と先月十二日の発駕、当地の匠作の健勝を祝した書状。日向国絵図について去秋以来幕府へ内意を申し入れ、今月六日に赤松が井上大和守に召され、伊東出雲守との組合から島津側一人での調進へ改められたことを国元へ早く伝える。土屋相模守の尽力と、柳沢出羽守・…
追録2-No.687 蒲生清賢等琉球在番トナル
元禄十三年春、蒲生十郎兵衛清賢が琉球国在番奉行に任じられ、元禄右衛門友成・染川忠兵衛安貞・松田為右衛門義直・竹之内彌右衛門実貞の四人が副役として同行した記事。清賢らは元禄十五年夏に任期を終えて薩摩へ帰った。
追録2-No.688 秋元喬朝書状
秋元但馬守喬朝が松平薩摩守島津綱貴へ、献上された砂糖漬天門冬一器を将軍へ首尾よく披露したと報告した書状。
追録2-No.689 島津綱貴書状
島津綱貴が、将軍徳川綱吉が健勝で、正月二十四日に増上寺へ仏詣し、機嫌よく還御したと承知して恐悦した旨を急ぎ知らせた書状。
追録2-No.690 秋元喬朝書状
秋元喬朝が松平薩摩守へ、青陽の慶賀を重ね、公方の勇健と年始の規式が済むべきことを喜ぶ旨はもっともだと返した書状。使者により献上された樽・肴を各々相談して首尾よく披露したと伝える。
追録2-No.691 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守へ、青陽の慶賀を重ね、公方の勇健と年始規式が済むべきことを喜ぶ旨はもっともだとし、樽・肴を献上したとの紙面の趣旨を了承した連署書状。
追録2-No.692 阿部正武外三名老中連署状
秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直・阿部豊後守正武が松平修理大夫島津吉貴へ、翌朔日の例月御礼はないため登城不要と通知した老中四名の連署状。
追録2-No.693 北郷忠置家督
北郷家の筑後忠智が元禄十三年三月一日、病気を理由に家督を伊豆忠置へ譲りたいと島津綱貴へ願い出た記事。願いは綱貴に達し、同年七月十八日に忠置の家督相続が許可された。
追録2-No.694 小笠原長重書状
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津綱貴へ、将軍徳川綱吉が健勝で、正月八日に東叡山御堂へ参詣し、同二十一日に山王社へ参詣したことへの綱貴の喜びを受けた返書。二通の書面の趣旨を関係者と相談し、将軍へ上聞したと伝える。
追録2-No.695 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢出羽守保明・松平右京大夫輝貞が松平薩摩守島津綱貴へ、正月八日の東叡山御堂参詣と同二十一日の山王社参詣への喜びを記した二通の書面を披見し、その趣旨を了承した連署書状。同日付の小笠原長重書状と異なり、相談・上聞を記さない。
追録2-No.696 小笠原長重書状
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守へ、公方の健勝を伝え、去月二十一日の聖堂、翌二十二日の柳沢出羽守亭への御成を聞いて喜ぶ旨はもっともだと返す。二通の書面の趣旨を各々相談し、高聞に達したと伝える。三月三日付書状であり、去月は二月。