← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

追録2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,207件中 1801~1900件・19 / 33ページ

  1. 追録2-No.1798 島津久兵祭文

    島津久兵が主君綱貴へ献じた祭文。賢明な治世と家臣への恩愛をたたえ、病中に近侍できないまま西海から千里を越えて葬儀へ赴いたことを述べ、遺骸を迎えて弔う悲しみを表す。

  2. 追録2-No.1799 島津久竹祭文

    島津久竹が主君綱貴へ献じた祭文。綱貴の善政と三国統治をたたえ、病没後に遺体が帰国して福昌寺で葬られたことを述べ、生前に十分仕えられなかった悔いと別離の悲しみを表す。

  3. 追録2-No.1800 佐多久達祭文

    佐多久達が主君綱貴へ献じた祭文。綱貴が武江で病み、訃報とともに遺体が千里を越えて帰国して福昌寺で葬られたことを述べ、英徳・武功をたたえながら家臣として深い哀悼を示す。

  4. 追録2-No.1801 島津久晃祭文

    島津久晃が主君綱貴へ献じた祭文。綱貴が江戸で病み、百薬も効かず没したこと、遺骸を薩摩へ迎えて福昌寺で正儀を営んだことを述べ、三国と琉球を治めた徳・武功をたたえて哀悼する。

  5. 追録2-No.1802 島津忠置祭文

    島津忠置が主君綱貴へ献じた祭文。綱貴が江戸で病没し、棺を国元へ迎えて葬るにあたり、文武を兼ね、民を安んじ国を富ませた治績をたたえ、夜月・秋楓・竹庭などに託して永別の悲しみを述べる。

  6. 追録2-No.1803 種子島久時祭文

    種子島久時が主君綱貴へ献じた祭文。綱貴が東都で病没し、遺体を国元へ迎えて葬るにあたり、島津氏の名跡を継ぎ、薩摩・大隅・日向三州と琉球を治めた善政をたたえ、遠地から死を悼む心情を表す。

  7. 追録2-No.1804 島津惟久祭文

    島津惟久が主君綱貴へ献じた祭文。綱貴が東都で病没し、玉泉で葬送するにあたり、三国と琉球を領した綱貴の文武・徳をたたえ、五十余歳での死を嘆く。祭文中に「今年有蛇」「祈龜齡久」等の句があるが、実際に蛇が出現したという事件としては確定しない。末尾に島津淡路守惟久の献祭を記す。

  8. 追録2-No.1805 禰寝重次祭文

    禰寝重次が主君綱貴へ献じた祭文。江戸で重病となった綱貴に薬効なく、遺骸が国元へ戻って福昌寺で葬儀が営まれた経過を述べ、三国と琉球を治めた徳政・武威をたたえ、幼少の家臣として恩を報いられない悲しみを表す。

  9. 追録2-No.1806 龍澤寺霊屋和尚偈

    豫州龍澤寺の霊屋和尚が綱貴の訃報を受けて記した追悼の偈。綱貴が東武江城で病にかかり没したことを悼み、三、四年前に薩州を訪れ金殿で謁見し親しく語った恩を回想する。今回一僧を遠く遣わして霊前に香を供え、偈一章を添えて微意を述べる。

  10. 追録2-No.1807 渤海高元泰祭文

    渤海高元泰が綱貴へ献じた祭文。海外にいて訃報が遅れて届いたことを嘆き、十一月十七日に神前へ祭文を奉り、琉球の旧恩臣として長年の恩と綱貴の統治を回想して哀悼する。

  11. 追録2-No.1808 綱貴ノ遺物ヲ将軍以下ニ贈ル

    島津綱貴の遺物を将軍徳川綱吉以下へ贈った記事。綱吉へ腰刀一腰・永徳筆屏風一双・文琳茶入、桂昌院へ屏風一双を贈り、御台所・徳川綱豊・東叡山と日光の門跡・徳川綱條、幕府老中・若年寄・旗本・親族にも腰刀や掛物などを配った。十二月二十五日には近衛基熙・家熙、島津家久らへも遺物を贈った。

  12. 追録2-No.1809 琉球国王尚貞祭文ヲ献ス

    琉球国王尚貞が綱貴へ献じた祭文。円覚寺の徳叟長老と浦添按司から訃報を受け、玉卓一捧・大乗妙典一部十巻・官香二十把・賻銀五十枚を霊前に供え、三州と琉球を治めた仁政・文武をたたえて哀悼する。

  13. 追録2-No.1810 綱貴霊塔銘

    島津吉貴が父綱貴の遺髪を高野山へ納め、霊塔を建てた記録と銘。家老川上久重らが四月六日に鹿児島を発ち、大坂を経て高野山蓮金院へ至り、五月五日に法事と納髪を行った経過を記す。霊塔銘には綱貴の官途、三国・琉球の領主であったこと、宝永元年九月十九日に芝邸で没したことを刻む。

  14. 追録2-No.1811 土屋政直外三名連署状

    土屋政直ら老中四名が島津吉貴へ、御用以外の外出を慎む服忌中であるが、翌二十九日暮時過ぎに土屋政直邸へ来るよう命じた連署状。綱貴の遺領相続を伝えるための召出しに当たる。

  15. 追録2-No.1812 島津吉貴請書

    島津吉貴が老中四名へ、翌二十九日に土屋政直邸へ出向くよう命じられた旨を承知し、恐れながら承諾した請書。

  16. 追録2-No.1813 吉貴、綱貴ノ遺領ヲ継ク

    宝永元年十月二十九日、島津吉貴が土屋政直邸へ出向き、土屋政直・小笠原長重・秋元喬知・稲葉正通から、父綱貴の遺領全部を吉貴に与え、薩摩・大隅二州ならびに日向諸県郡と琉球国を引き続き領知させるとの台命を受けた記事。

  17. 追録2-No.1814 土屋政直外四名連署状

    土屋政直ら老中五名が島津吉貴へ、家督相続の御礼を申し上げるため、翌十三日四時に登城するよう命じた連署状。

  18. 追録2-No.1815 島津吉貴請書

    島津吉貴が老中五名へ、家督相続の御礼のため翌十三日四時に登城するよう命じられた旨を承知し、恐れながら承諾した請書。

  19. 追録2-No.1816 登城令書

    幕府老中が島津吉貴へ、家来九人の将軍御目見を命じたので、九人を召し連れて登城するよう命じた令書。

  20. 追録2-No.1817 島津吉貴請書

    島津吉貴が老中五名へ、家来九人の将軍御目見につき、九人を召し連れて登城するよう命じられた旨を承知し、恐れながら承諾した請書。

  21. 追録2-No.1818 吉貴、家臣等ト共ニ将軍ニ謁ス

    吉貴が宝永元年十一月十三日に登営し、将軍綱吉に家督継統の礼を述べ、真御太刀一腰・時服五十・白銀千枚を献上した。御台所と御母堂桂昌院へは白銀五十枚・縮緬五十端・箱肴一種をそれぞれ献じる。家臣九人も先例により御目見し、周防忠英・内匠久近・大蔵久明・帯刀忠雄・入来院主馬重矩らの太刀・銀馬代・時服献上を記す…

  22. 追録2-No.1819 島津吉貴進上目録

    吉貴署の進上目録。御太刀一腰(一文字と注)・御小袖五十と、御馬一匹を掲げ、御馬の欄に代白銀千枚と注記する。関連するNo1818の家督御礼献上記事と対応する。馬の一匹は代銀を伴う目録表記で、実馬引渡しを示すものとはしない。

  23. 追録2-No.1820 島津吉貴進上太刀之覚

    島津吉貴が将軍徳川綱吉へ進上した太刀一腰の仕様を記した覚。太刀は一文字、代金十枚、長さ二尺五寸六分で、総金具に御紋を施し、紫糸巻・白地金入の御紋、梨地御紋蒔絵、緋地大和錦の袋などの拵えを備える。

  24. 追録2-No.1821 島津吉貴進上目録

    島津吉貴が家督相続の御礼として御台所と将軍徳川綱吉の母・桂昌院へ進上した品々の目録。白銀・縮緬などを掲げ、さらに大典侍・新典侍ら奥向きの女性や御表御使衆にも白銀を配る内容を記す。

  25. 追録2-No.1822 島津綱貴遺物進上目録

    島津吉貴が父・島津綱貴の遺物として将軍徳川綱吉へ進上した品の目録。貞宗の御刀一腰と唐物文琳の御茶入一個を掲げる。

  26. 追録2-No.1823 島津綱貴遺物進上目録

    島津吉貴が父・島津綱貴の遺物として御台所と桂昌院へ進上した永徳筆の御屏風一双の目録。家督相続の御礼を申し上げた同日に、両所へ同文の目録を各二通差し上げた旨も記す。

  27. 追録2-No.1824 島津久連、将軍ニ謁ス

    忠朗流内匠久連譜に、宝永元年十一月十三日、吉貴が家督御礼のため江城へ登った時、久連が一族として随従し、将軍へ太刀・馬代・時服を献じて初めて拝謁したと記す。末尾には正徳二年壬辰七月二十八日、加治木で病死、三十三歳と付記する。

  28. 追録2-No.1825 島津久儔、将軍ニ謁ス

    花岡邑主周防久儔譜に、宝永元年十一月十三日、吉貴が家督御礼のため将軍綱吉に謁した際、忠英が一族として初めて将軍へ拝謁し、御太刀・御馬・御衣服等を献上したと記す。

  29. 追録2-No.1826 島津久明、将軍ニ謁ス

    大蔵久明譜に、宝永元年十一月十三日、吉貴が封を賜った御礼を将軍に述べた際、久明も将軍へ拝謁し、太刀・銀馬代・時服三を献上したと記す。

  30. 追録2-No.1827 島津久健、将軍ニ謁ス

    宝永元年十一月十三日、島津吉貴が家督相続の御礼で江戸城へ登城した際、日置島主の島津左衛門久健も一族として随従し、将軍徳川綱吉に拝謁した記事。

  31. 追録2-No.1828 島津吉貴書状

    吉貴が十一月二十三日、平松中納言時方へ、嘯月老の話として聞いていた、後西院から拝領した茶入と伏見殿の詠を記した一軸を贈られたことに深く謝し、愴懐を述べる。伏見殿詠の次字は原で欠字とされる。

  32. 追録2-No.1829 島津吉貴口上書

    島津吉貴が、薩摩守綱貴の跡式を仰せ付けられた直後であることを理由に、予定されていた婚礼を翌春まで延期するよう求めた口上書。年内に年寄衆を招くべきかも相手方の意向を尋ね、使者から申し伝えるとしている。

  33. 追録2-No.1830 島津吉貴書状

    島津吉貴が小笠原彦太夫へ、老中から赤松甚右衛門を介して御城へ出る時期を尋ねられたため、いつ登城すべきか日取りの指示を求めた書状。

  34. 追録2-No.1831 伊達吉村書状

    伊達陸奥守吉村が島津吉貴へ、亡父島津綱貴の遺物として使者から青江次直の御刀一腰を受け取ったことを報告し、礼を述べた書状。

  35. 追録2-No.1832 近衞基熙書状

    近衞基熙が島津吉貴へ、朝命により国守と称することになったと聞き、変わらぬ繁栄を重ねて祝った書状。

  36. 追録2-No.1833 近衞家熙書状

    近衞家熙が島津吉貴へ、朝命により国守と称することになったと聞き、変わらぬ繁栄を重ねて祝った書状。

  37. 追録2-No.1834 近衞家久書状

    近衞家久が島津吉貴へ、朝命により国守と称することになったと聞き、変わらぬ繁栄を重ねて祝った書状。

  38. 追録2-No.1835 平松時方書状

    平松中納言時方が島津吉貴へ、吉貴の改名願が先月二十七日に願いどおり許されたと聞き、賀札を送って祝意を伝えた書状。

  39. 追録2-No.1836 吉貴、将軍養君ノ事ヲ賀ス

    宝永元年十二月五日、甲府藩主徳川綱豊が将軍徳川綱吉の養子となり、翌六日に西丸へ移ったため、島津吉貴が登城して養君決定を祝賀した記事。綱豊は翌年に家宣と改名したとの注記もある。

  40. 追録2-No.1837 土屋政直外四名連署状

    本多伯耆守・稲葉丹後守・秋元但馬守・小笠原佐渡守・土屋相模守が十二月五日、薩摩守へ、明六日四時に熨斗目・半袴を着て登城するよう命じる。

  41. 追録2-No.1838 島津吉貴請書

    吉貴が十二月五日、土屋相模守・小笠原佐渡守・秋元但馬守・稲葉丹後守・本多伯耆守へ、明六日四時に熨斗目・半袴で登城するよう命じられたことを承知したと答える。

  42. 追録2-No.1839 土屋政直外四名連署状

    本多正永ら老中五名が島津吉貴へ、御用があるため翌十一日四時に登城するよう命じた連署状。

  43. 追録2-No.1840 島津吉貴請書

    島津吉貴が老中五名へ、御用のため翌十一日四時に登城するよう命じられた旨を承知し、恐れながら承諾した請書。

  44. 追録2-No.1841 土屋政直外四名連署奉書

    本多伯耆守正永・稲葉丹後守正通・秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直が十二月十一日、京都所司代松平紀伊守信庸へ、松平薩摩守を位階従前のまま少将に任じたので、口宣等を整えるよう伝奏衆へ申し入れることを命じる。

  45. 追録2-No.1842 島津吉貴任左近衞権少将口宣案

    上卿久我大納言通誠が宣し、蔵人左少弁藤原益光が奉じた口宣案。侍従源吉貴を左近衛権少将に任ずる旨を記す。

  46. 追録2-No.1843 島津吉貴任左近衞権少将宣旨

    正二位権大納言源朝臣通誠が宣し、大外記兼掃部頭中原朝臣師庸が奉じた宣旨。侍従源朝臣吉貴を左近衛権少将に任ずるよう勅命した。

  47. 追録2-No.1844 吉貴、近衞権少将ニ任セラル

    宝永元年十二月十一日、幕府老中が島津吉貴を召し、本多正永・稲葉正通・秋元喬知・小笠原長重・土屋政直が列座する前で、土屋政直が奉書を読み上げて左近衛権少将任官を伝え、吉貴が拝礼した記事。

  48. 追録2-No.1845 島津吉貴伺書

    島津吉貴が、近衛権少将に任じられた後、翌十五日からの御礼の順序をどのように勤めるべきか照会した伺書。

  49. 追録2-No.1846 島津吉貴請書

    島津吉貴が老中五名へ、翌十五日は例月の御礼がなく登城に及ばないとの命令を承知し、恐れながら承諾した請書。

  50. 追録2-No.1847 吉貴芝屋舗ニ移徙ス

    宝永元年十二月十三日、島津吉貴が高輪の第二邸を出て芝屋敷へ移ったことを記す記事。

  51. 追録2-No.1848 土屋政直外四名連署状

    本多正永ら老中五名が島津吉貴へ、翌十五日は例月の御礼がないため登城に及ばないと通知した連署状。

  52. 追録2-No.1849 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が島津吉貴へ、今後の御用事は井上河内守に頼むよう伝えられたとの吉貴の書状を拝見したと応じ、目録どおりの贈物への謝意を述べた書状。

  53. 追録2-No.1850 近衞家熙書状

    近衞家熙が薩摩少将島津吉貴へ、今回の昇進を聞いて重ねて祝意を伝え、後日の対面を楽しみにすると述べた書状。

  54. 追録2-No.1851 近衞家久書状

    近衞家久が薩摩少将島津吉貴へ、今回の昇進を聞いて祝意を伝え、後日の対面を楽しみにすると述べた書状。

  55. 追録2-No.1852 平松時方書状

    平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、十一日に少将任官の通知を受けたことを祝し、口宣の拝領を待ち望むと伝え、目録のとおり御太刀を進上した書状。

  56. 追録2-No.1853 島津吉貴書状

    島津吉貴が進藤筑後守へ、前関白から家督相続を祝う書状を受け取ったことに礼を述べ、取り次ぎへの謝意を伝えた書状。

  57. 追録2-No.1854 島津吉貴書状

    島津吉貴が今大路兵部太輔へ、左府から家督相続を祝う書状を受け取ったことに礼を述べ、取り次ぎへの謝意を伝えた書状。

  58. 追録2-No.1855 島津吉貴書状

    島津吉貴が進藤刑部太輔へ、亜相から家督相続を祝う書状を受け取ったことに礼を述べ、取り次ぎへの謝意を伝えた書状。

  59. 追録2-No.1856 近衞基熙父子、綱貴ノ神霊ニ自書文ヲ備フ

    宝永元年十月二十日夜、島津綱貴の遺体が鹿児島の福昌寺に到着し、同月二十四日暁に葬礼、二十五日から晦日申刻まで法儀が行われた。近衞基熙は大乗妙典全部を、嗣子家熙は自書の心経一巻を綱貴の神霊に供えた。

  60. 追録2-No.1857 島津吉貴書状

    島津吉貴が進藤筑後守へ、亡父薩摩守綱貴の死去に際して弔意を寄せ、経を贈ったことに礼を述べた書状。

  61. 追録2-No.1858 島津吉貴書状

    島津吉貴が今大路兵部太輔へ、亡父薩摩守綱貴の死去に際して弔意を寄せ、経を贈ったことに礼を述べた書状。

  62. 追録2-No.1859 島津吉貴書状

    島津吉貴が進藤刑部太輔へ、亡父薩摩守綱貴の死去に際して弔意を寄せ、沈香一木を贈ったことに礼を述べた書状。

  63. 追録2-No.1860 島津吉貴書状

    島津吉貴が平松中納言時方へ、亡父薩摩守綱貴の死去に際して弔意を寄せ、自筆の経を贈ったことに礼を述べた書状。

  64. 追録2-No.1861 島津吉貴書状

    島津吉貴が交野宮内卿時香へ、亡父薩摩守綱貴の死去に際して弔意を寄せ、自筆の経を贈ったことに礼を述べた書状。

  65. 追録2-No.1862 島津吉貴書状

    島津吉貴が石井少納言行豊へ、亡父薩摩守綱貴の死去に際して弔意を寄せ、自筆の経を贈ったことに礼を述べた書状。

  66. 追録2-No.1863 島津吉貴書状

    島津吉貴が石井宰相行康へ、亡父薩摩守綱貴の死去に際して弔意を寄せ、自筆の経を贈ったことに礼を述べた書状。

  67. 追録2-No.1864 島津吉貴書状

    島津吉貴が平松侍従時春へ、亡父薩摩守綱貴の死去に際して弔意を寄せ、経を贈ったことに礼を述べた書状。

  68. 追録2-No.1865 島津吉貴書状

    島津吉貴が進藤筑後守へ、十一日に少将へ任じられたことを知らせ、口宣などを申請する使者を差し上せると伝え、目録記載品を進上した書状。

  69. 追録2-No.1866 島津吉貴書状

    島津吉貴が今大路兵部太輔へ、十一日に少将へ任じられたことを知らせ、口宣などを申請する使者を差し上せると伝え、目録記載品を進上した書状。

  70. 追録2-No.1867 島津吉貴書状

    島津吉貴が進藤刑部太輔へ、十一日に少将へ任じられたことを知らせ、口宣などを申請する使者を差し上せると伝え、目録記載品を進上した書状。

  71. 追録2-No.1868 島津吉貴書状

    吉貴が十二月二十六日、若松彦兵衛へ、公方の機嫌を喜び、今月十一日に少将任命を仰せ出されたことに謝す。口宣等の奉書を受けて使者を差し上せるので、その扱いについて指図を願い、祝儀品として太刀・馬代黄金十両・時服十を進覧すると伝える。細事は使者の口上によるとする。

  72. 追録2-No.1869 島津吉貴書状

    島津吉貴が平松中納言時方へ、十一日に少将へ任じられたことを知らせ、口宣などについて両伝奏衆への取り成しを依頼し、御太刀・馬代黄金十両を進上した書状。

  73. 追録2-No.1870 稲葉正通書状

    稲葉丹後守正通が松平薩摩守島津吉貴へ、吉貴が献上した蜜柑二箱と御肴一種を滞りなく披露したと通知した書状。

  74. 追録2-No.1871 島津吉貴書状

    島津吉貴が稲葉丹後守正通へ、領内桜島の蜜柑と御肴一種を献上したところ、滞りなく披露されたとの奉書を受け、礼を述べた書状。

  75. 追録2-No.1872 島津吉貴達書

    島津吉貴が島津淡路守へ、家中の不和や重役らの徒党・訴え、家臣への追放・逼塞・閉門で領内が治まらない状況を戒めた達書。今後は難題を事前に吉貴へ尋ねて下知を受け、違乱者は吉貴が処分し、仕置に入念を期すよう命じた。

  76. 追録2-No.1873 土屋政直外四名連署状

    本多正永ら老中五名が松平薩摩守島津吉貴へ、翌二十八日五半時に登城し、少将任官の御礼を申し上げるよう命じた連署状。

  77. 追録2-No.1874 島津吉貴請書

    島津吉貴が老中五名へ、翌二十八日五半時に登城して少将任官の御礼を申し上げるよう命じられたことを承知した請書。

  78. 追録2-No.1875 吉貴任官謝礼ノ為登営ス

    宝永元年十二月二十八日、島津吉貴が少将任官の謝礼のため登城して将軍徳川綱吉に拝謁し、太刀一腰・金馬代・時服二十領を献上した。桂昌院と御台所へ各白銀三十枚、綱豊へ太刀一腰・白銀五十枚、御簾中へ白銀三十枚も進上した。

  79. 追録2-No.1876 島津吉貴書状

    島津吉貴が進藤筑後守へ、甲府中納言徳川綱豊が御養君となり、御簾中とともに西丸へ入ったことを祝し、祝儀の使者と目録記載品を差し上せた書状。

  80. 追録2-No.1877 島津吉貴書状

    島津吉貴が今大路兵部太輔へ、甲府中納言徳川綱豊が御養君となり、御簾中とともに西丸へ入ったことを祝し、祝儀の使者と目録記載品を差し上せた書状。

  81. 追録2-No.1878 島津吉貴書状

    島津吉貴が進藤刑部太輔へ、甲府中納言徳川綱豊が御養君となり、御簾中とともに西丸へ入ったことを祝し、祝儀の使者と目録記載品を差し上せた書状。

  82. 追録2-No.1879 土屋政直外四名連署状

    本多正永ら老中五名が松平薩摩守島津吉貴へ、歳暮の祝儀として献上した目録記載品を滞りなく披露したと通知した連署状。

  83. 追録2-No.1880 徳川綱吉御内書

    将軍徳川綱吉が薩摩少将島津吉貴へ、歳暮の祝儀として小袖五重が届いたことを喜び、詳しくは小笠原佐渡守長重が述べると伝えた御内書。

  84. 追録2-No.1881 島津吉貴花押記

    宝永二年正月元日、島津吉貴が江戸芝邸で旧花押を改め、新しい花押を用い始めたことを記す。国老島津久明・久当・忠雄が改定を伝え、久当・忠雄が記録館小司藤原國明を評定所へ呼び、後世に伝えるため文書とともに記録館へ収蔵するよう命じ、忠雄が新花押を手渡した。

  85. 追録2-No.1882 島津吉貴願書

    島津吉貴が幕府老中へ、亡父綱貴と同様に六月中の参勤暇を許可するよう願った願書。薩摩国京泊から肥前国平戸まで海上七十一里余あり、近年は九月頃から翌四月頃まで西北風が強く通船が困難で、大勢を率いて陸路を急行するのも難しいことを理由に挙げた。

  86. 追録2-No.1883 海陸道程書出

    海陸道程書出。薩州鹿児島から京泊・平戸・小倉・大坂を経て江戸へ至る西目を原合計四百四十八里余、京泊・細島・鶴崎・大坂を経る東目を四百三十四里と記す。東目は海上十四里ほど近いが、浪が荒く、薩州野間崎・隅州佐多崎・日州都井崎の三か所は西国の難海で、潮合いと高波のため船乗りが難しく船廻しが不自由とする。

  87. 追録2-No.1884 徳川吉通書状

    尾張中納言徳川吉通が薩摩少将島津吉貴へ、改年を祝うとともに、吉貴が前日に無事外出したと聞いて喜び、後日の対面を期した書状。

  88. 追録2-No.1885 近衞家熙書状

    近衞家熙が薩摩少将島津吉貴へ、進藤を通じて家督相続と任官の祝意を述べ、茶器一種と京都の産物を贈った書状。寒さのため文章が十分でないと断り、末永い関係を願った。

  89. 追録2-No.1886 島津吉貴吉書

    島津吉貴が、神社・仏閣の修造を盛んに行うこと、農事を専ら奨励すること、年貢など国の務めを厳正にすることの三条を示し、違反があれば処罰すると定めた吉書。

  90. 追録2-No.1887 吉貴初テ吉書ノ式礼ヲ行フ

    宝永二年正月十一日、島津吉貴が江戸の屋敷で初めて吉書の式礼を行ったことを、島津家の旧例として記す記事。

  91. 追録2-No.1888 近衞基熙書状

    近衞基熙が薩摩少将島津吉貴へ、新春をともに祝い、吉貴が健やかに越年したことを喜び、目録記載品の贈与に謝意を述べた書状。

  92. 追録2-No.1889 近衞家熙書状

    近衞家熙が薩摩少将島津吉貴へ、新春の書状を受け取り、吉貴が無事に年を重ねたことを喜び、目録記載品を贈って末永い交誼を願った書状。

  93. 追録2-No.1890 近衞家久書状

    近衞家久が薩摩少将島津吉貴へ、新年の挨拶状を受け、吉貴が安穏に越年したことを喜び、目録記載品を贈って今後も親しい関係が続くことを願った書状。

  94. 追録2-No.1891 吉貴襲封、社寺ニ白銀ヲ献ス

    吉貴の家督継統を領国の神霊と歴世の祖廟へ報告する代参・奉納記事。宝永元年十二月二十二日に薩府五社、浄光明寺の当家五代霊牌、興国寺・妙谷寺・隆盛院・南林寺・皇徳寺などへ白銀を、本立寺へ青銅三百疋を奉納する。翌年正月には正八幡宮・霧島山・津友寺、薩州八幡新田宮・加世田志久利大明神、妙円寺・龍雲寺・称名寺…

  95. 追録2-No.1892 島津久房、住吉明神等ニ代参ス

    島津久房が島津吉貴の厳命を受け、宝永二年正月十五日、末吉の住吉大明神と志布志の即心院へ代参した記事。即心院は島津氏六代氏久の菩提所であることも注記する。

  96. 追録2-No.1893 近衞家熙書状

    近衞家熙が薩摩少将島津吉貴へ、吉貴の任官に伴って使者が上京し、書状と目録どおりの贈り物を受領したことを大いに喜んだ書状。自身も当地で無事であると伝え、後便を期した。

  97. 追録2-No.1894 近衞家久書状

    近衞家久が薩摩少将島津吉貴へ、任官に伴う使者の上京によって書状と目録どおりの贈り物を受け取り、祝着の意を述べた書状。今後も変わらぬ交誼を願い、後便を期した。

  98. 追録2-No.1895 近衞基熙書状

    近衞基熙が薩摩少将島津吉貴へ、将軍家の養子に関する慶事を祝う書状と目録記載の贈り物を受け取り、丁重な祝意に謝した書状。後便を期した。

  99. 追録2-No.1896 近衞家熙書状

    近衞家熙が薩摩少将島津吉貴へ、将軍家の養子に関する慶事を祝う書状と目録どおりの贈り物を受領し、丁重な心遣いを喜んだ書状。後便を期した。

  100. 追録2-No.1897 近衞家久書状

    近衞家久が薩摩少将島津吉貴へ、将軍家の養子に関する慶事を祝う書状と目録記載の贈り物を受領し、厚い心遣いに満足したと伝えた書状。後便を期した。