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追録2の目録
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全3,207件中 101~200件・2 / 33ページ
追録2-No.96 普請場条書
御普請場での出勤、物資運搬、飲酒、火気、衣服、材料管理、宿泊などの規律を定めた条書。
追録2-No.97 普請場覚
寛永寺本堂造営の普請場で、公儀役人の差図遵守、油断・喧嘩・博奕・盗みの禁止、酒・火気・資材管理、職人・商人・部外者の出入りなどの心得を列挙した覚。
追録2-No.98 島津綱貴書状
島津綱貴が旅中の松平修理大夫へ、六月晦日に老中から登城を命じられ、七月朔日に東叡山寛永寺本堂建立の助役を命じられて直ちに請けた経緯を知らせた書状。
追録2-No.99 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫の書状を披見し、海路を無事に航行中と知って喜び、暑気が厳しいものの一門中に異状はないと伝え、懇切な心遣いに謝意を述べた返書。
追録2-No.100 島津綱貴書状
島津綱貴が、七夕および生身霊の祝儀として贈られた品の目録を受け、謝意を伝えた書状。
追録2-No.101 綱貴家臣等、寛永寺本堂普請手伝ヲ終ル
北郷久嘉の譜に、元禄十年七月朔日、綱貴が東叡山本堂造営の手伝を命じられたと記す。八月三日の御鍬初では禰寝丹波清雄が総奉行、久嘉が番頭として勤仕し、鍬初後に門主の広間で饗応を賜る。翌十一年七月二十一日の普請成就時には、清雄・島津大蔵久明・久嘉が御門主へ太刀一腰・銀馬代を進上して各々謝礼を述べ、饗応を賜…
追録2-No.102 阿部正武外三名連署状
幕府老中四名が松平修理大夫に、八朔の祝儀として使者を通じて献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく披露した旨を伝えた連署状。
追録2-No.103 普請場条書
東叡山寛永寺本堂建立の手伝にあたり、公儀の条目遵守、役人への慇懃な勤仕、普請場・小屋での高声・不行儀・喧嘩口論の禁止、奉行の下知遵守、無精者の処罰などを定めた覚。
追録2-No.104 普請場条書
東叡山本堂普請の奉行・役人・人足・職人について、勤仕、資材、火気、宿所、賭博・遊興、出入りなどの細則を定めた条書。
追録2-No.105 島津吉貴書状(八朔目録品拝受の謝礼)
松平修理大夫吉貴が中将様へ、八朔の祝儀として目録どおりの品を拝受したことに謝し、御礼を申し上げるために書いたと述べ、後喜の時を期すと結ぶ。後喜という原語を、後日の面会と確定しない。
追録2-No.106 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫の書状を披見し、相手の無事を喜ぶとともに、綱貴から進めた七夕の祝物への謝礼を受け、その心遣いに謝意を示した回答書状。
追録2-No.107 島津久雄・吉貴、帰国礼使トナル
島津吉貴の帰国に際し、島津久雄が礼使として東武へ赴き、九月十五日に登城して礼を述べた記事。
追録2-No.108 阿部正武外三名連署状
幕府老中四名が島津綱貴に、翌九日四時に登城するよう命じた連署状。
追録2-No.109 小笠原長重書状
小笠原長重が、松平薩摩守からの肴一種の献上について、首尾よく披露した旨を伝えた書状。
追録2-No.110 小笠原長重書状
小笠原長重が、松平修理大夫が使者を通じて将軍の機嫌を尋ねたことへの回答として将軍が勇健であると伝え、肴一種の献上を相談のうえ首尾よく披露した旨を知らせた書状。
追録2-No.111 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍が勇健であると知らせ、書面の趣旨を了承したと返答する連署書状。
追録2-No.112 北郷久嘉、寛永寺竣功ヲ賞セラル
北郷久嘉の譜に、八月九日に大書院で本堂普請成就の褒美を受け、喜入安房を介して労いの口上を伝えられ、時服六を拝領したと記す。十一日には東叡山御堂の槌打規式にも勤仕した。九月五日に久嘉が普請成就を祝って綱貴へ樽肴を献じ、同日吉貴も樽肴を献じた。久嘉は九月十一日に江都を発ち、十一月二日に鹿府へ帰着する。樽…
追録2-No.113 島津綱貴書状
綱貴が松平修理大夫へ、八月八日に小笠原佐渡守から翌九日の御用を奉書で告げられて登城し、十日に命じられた御前能を首尾よく勤めたと報じる。続く上意と御菓子拝領をありがたく思い、その御菓子は此方ニ而披候間進之候として送ると述べる。八月十五日付。
追録2-No.114 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司から改年祝儀の書簡を受け、佳例に準じた数品の贈答を喜び、謝意を伝えた書状。
追録2-No.115 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司の書状を披見し、琉球の平安を喜び、自身も無事に在府していると伝え、大清から到来した巻物三巻の贈与に謝意を述べた返書。
追録2-No.116 島津綱貴書状
前年の徳慈丸出生を祝うため琉球側から目録どおりの品が贈られたことへの謝意を伝えた書状。
追録2-No.117 島津綱貴書状
徳慈丸出生祝いの贈答に対して佐敷王子へ謝意を述べた書状。
追録2-No.118 島津綱貴書状
徳慈丸出生祝いの贈答に対して中城王子へ謝意を述べた書状。
追録2-No.119 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司の書状を披見し、前年夏の城内焼失に対する見舞いとして使者と目録どおりの品が到来したことに謝意を述べた書状。
追録2-No.120 島津綱貴書状
前年の城内焼失後に目録どおりの見舞品が届いたことへの謝意を中城王子へ伝えた書状。
追録2-No.121 島津綱貴書状
綱貴が中城王子へ、当年の嘉儀に際して書状と恒例の目録どおりの品を贈られたことに謝し、過量のことと述べ、後喜の時を期すと結んだ八月十五日付書状。
追録2-No.122 鳥居忠救書状
鳥居忠救が島津綱貴の御前能出演を祝し、その成功を喜んだ書状。
追録2-No.123 小笠原長重書状
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、八重姫君の翌年夏の入輿決定を喜び、書面の趣について諸役と相談のうえ将軍へ言上した旨を返答した書状。
追録2-No.124 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、八重姫君の翌年夏の入輿決定を喜び、書面の趣について相談のうえ将軍へ言上した旨を返答した連署書状。
追録2-No.125 小笠原長重書状
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、将軍が機嫌よく、同氏薩摩守が東叡山普請手伝を命じられたとの報告を了承し、書面を一同が閲覧した旨を返答した書状。
追録2-No.126 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍が機嫌よく、同氏薩摩守が東叡山普請手伝を命じられたとの報告を了承した旨を返答した連署書状。
追録2-No.127 鍋島綱茂書状
鍋島綱茂が同姓薩摩守の御城御能出演を聞き、首尾よく勤めたことへの祝意を述べた書状。
追録2-No.128 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が重陽祝儀として島津綱貴から届いた小袖五領を受領し、土屋政直から詳しく伝えるとした御内書。
追録2-No.129 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司の書状を披見し、一昨年に進貢のため大清へ渡った池城親雲上が無事帰帆したことを祝い、本人から目録どおりの品を贈られたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.130 上野御普請御手伝方役人付
上野御普請御手伝方について、禰寝清雄を惣奉行、島津久明を副奉行とし、番頭・用人・目付以下の役職と担当者を列記した役人付。
追録2-No.131 戸田忠昌書状
戸田忠昌が松平修理大夫の留守居に、国許到着の御礼使者を翌十五日五時に江戸城へ差し出すことと、自身の御礼についても申し上げる旨を伝えた書状。
追録2-No.132 島津久利書状
島津久利が島津中務の家臣らに、薩摩守の上野普請手伝と先日の御前能を祝い、松平修理大夫の勇健を喜んだ。夏中は自家の病人のため留守中の見舞いを果たせなかったことを詫び、その旨を取り次ぐよう求めた書状。
追録2-No.133 阿部正武外三名連署状
老中四名が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌、御暇、御馬・時服拝領の報告を了承した。国許到着礼の使者と目録記載品を披露したところ、使者が御前へ召し出され、将軍が喜んだ旨を返答した連署状。
追録2-No.134 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌、御暇、御馬・時服拝領の報告を了承した。国許到着礼として使者を通じ目録記載品が献上されたことと、書面の趣旨を了承した旨を返す連署書状。
追録2-No.135 島津吉貴書状
島津吉貴が、前年夏の城内焼失を惜しみつつ下屋敷が無事であったことを幸いとし、琉球国司から見舞使者と目録記載の品が贈られたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.136 島津吉貴書状
前年の徳慈丸誕生を祝う別録の品が贈られたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.137 島津吉貴書状
吉貴が琉球国司へ、肇年之佳祥として使翰を遣わし、恒例の目録どおりの品を贈られた入念さを喜び、後音の時を期すと述べた九月二十五日付書状。具体的な品目は記されない。
追録2-No.138 島津吉貴書状
島津吉貴が、前年夏の城内焼失を惜しみつつ下屋敷が無事であったことを幸いとし、中城王子から別録記載の品が贈られたことに謝意を述べた返書。
追録2-No.139 島津吉貴書状
前年の徳慈丸誕生祝いとして別録どおりの品が贈られたことへの謝意を述べた返書。
追録2-No.140 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司の書状を披見し、琉球の平安を喜び、自身も無事であると伝え、唐織一巻・紺縞細五端の贈答に謝意を述べた返書。
追録2-No.141 島津吉貴書状
島津吉貴が重陽祝儀として目録記載の品を拝受したことを喜び、謝意を述べ、後日の再会を期した書状。
追録2-No.142 阿部正武外二名連署状
老中三名が島津綱貴に、翌十七日四時に登城するよう命じた連署状。
追録2-No.143 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫の書状を披見し、無事帰国を喜び、御礼使者として島津権七が差し越され当地で首尾よく済んだことと、丁寧な通知への謝意を伝えた返書。
追録2-No.144 島津惟久書状
島津惟久が島津中務に、太守が殿中御能を命じられ首尾よく仕舞を勤めたとの報を祝い、松平修理大夫へも祝意を取り次ぐよう求めた書状。
追録2-No.145 土屋政直書状
土屋政直が重陽の御内書を渡すため、翌日五時以前に家来を江戸城へ差し出すよう松平薩摩守へ命じた書状。
追録2-No.146 阿部正武書状
阿部正武が、島津綱貴から肴一種が献上され、首尾よく披露した旨を返答した書状。
追録2-No.147 阿部正武書状
阿部正武が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌、同氏薩摩守が御前能を命じられ菓子を拝領したとの報告を了承した。使者の来訪を受け、書面の趣を相談のうえ言上した旨を返す書状。
追録2-No.148 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌、同氏薩摩守が御前能を命じられ菓子を拝領したとの報告と、書面の趣を了承した旨を返す連署書状。
追録2-No.149 米倉昌尹書状
米倉昌尹が松平修理大夫の書状を拝見し、将軍の機嫌、同姓薩摩守が御前能を命じられ菓子を拝領したこと、使者を通じた伝達を承知した旨を返す書状。
追録2-No.150 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫の書状を披見し、自身が御前能を勤めたことへの祝意と目録記載品を喜んだ。また、拝領した菓子の一部を贈ったことに対する相手の謝礼を受けた旨を返した書状。
追録2-No.151 本所小屋場門出入条書
本所小屋場の門限、出入証文、用人・奉行の取次、非常時の門管理などを定めた条書。
追録2-No.152 土屋政直書状
土屋政直が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌と先頃の護国寺御成に関する命を知らせ、書面の趣について相談のうえ言上した旨を返答した書状。
追録2-No.153 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌と先頃の護国寺御成に関する命を知らせ、書面の趣を了承した旨を返す連署書状。
追録2-No.154 島津吉貴書状
島津吉貴が生御霊の祝儀として目録どおりの品を進上したところ、島津綱貴から礼を伝えられたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.155 阿部正武外三名連署奉書
老中四名が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌を伝えた。参勤時期を使者で伺った件について、上聞を経て翌年三月中に参府するよう命じた連署奉書。
追録2-No.156 島津綱貴書状
綱貴が松平修理大夫へ、先頃御前能を勤めたことに対する祝詞と目録品を喜び、謝礼として別楮のとおり進めると述べる。追伸で、先月十一日に御能拝見を命じられたことを祝儀目録とともに伝え、相手と自身、当地の一門中の無事を述べ、後喜の時を期す。十一月六日付。
追録2-No.157 阿部正武外三名連署奉書
老中四名が、先に翌年三月中参府と伝えた松平修理大夫について、同氏薩摩守が御普請御用を命じられたため、翌年七月中に参勤するよう変更を命じた連署奉書。
追録2-No.158 島津綱貴書状
島津綱貴が、当初翌年三月中とされた松平修理大夫の参府を、自身が上野御普請方を勤めるため七月中へ変更されたと知らせ、相手がゆっくり休息できることを喜んだ書状。
追録2-No.159 島津吉貴書状
島津吉貴が島津綱貴の無事を喜び、歳暮祝儀を申し上げるため使者を立て、目録どおりの品を進上した書状。
追録2-No.160 島津綱貴書状
島津綱貴が島津壱岐方の養生がかなわず死去したことを悼み、その旨を島津吉貴へ伝えた書状。
追録2-No.161 市正忠広一流助之丞久白譜中
島津久白の出生、母、元服、加冠、脇刀拝領などを記す系譜記事。
追録2-No.162 小笠原長重書状
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、寒中の将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝え、肴一種の献上を相談のうえ首尾よく披露した旨を返した書状。
追録2-No.163 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、寒中の将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝え、肴一種の献上と書面の趣旨を了承した連署書状。
追録2-No.164 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守へ、蜜柑二箱と肴一種が献上され、首尾よく披露したと返す十二月十五日付書状。
追録2-No.165 酒井忠囿書状
酒井忠囿が松平修理大夫の書状を受け、寒気の折にも相手が堅固であることを喜び、津山城を滞りなく受け取り現地での務めを首尾よく終え、今は休息していることと、念入りな通知への謝意を伝えた返書。
追録2-No.166 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝え、同氏薩摩守が御能拝見を命じられたことへの相手の喜びを了承した連署書状。
追録2-No.167 小笠原長重書状
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝え、同氏薩摩守が御能拝見を命じられたことへの相手の喜びと、御礼使者を差し越したとの書面趣旨を了承した書状。
追録2-No.168 小笠原長重書状
小笠原長重が、十一月十二日の当地地震後も将軍が無事であると伝え、松平修理大夫の書面趣旨を相談のうえ言上した書状。
追録2-No.169 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が、十一月十二日の当地地震後も将軍が無事であると伝え、松平修理大夫の書面趣旨を了承した連署書状。
追録2-No.170 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝えた。十月十七日の当地火事でも城内無事と聞いて相手が喜んだ旨の書面趣旨を了承した連署書状。
追録2-No.171 小笠原長重書状
小笠原長重が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝えた。十月十七日の当地火事でも江戸城内に別条がないと聞いて相手が喜んだ旨の書面趣旨を、相談のうえ言上した書状。
追録2-No.172 本所小屋場夜番覚
本所小屋四所の辻番に、暮六ツ時から明六ツ過まで夜番を勤め、一夜五度の夜廻を行うよう定めた覚。五ツ時から七ツ過の間に差し廻される外廻衆とも間々見合わせて廻る。北西角辻番から南番所、東北へ次々に引き渡し、一夜の順逆を申し合わせる。火の用心と材木に注意し、小屋周辺の胡乱者を見つけた場合は詮議して兵具奉行へ…
追録2-No.173 本所小屋場役人覚
諸役人が出入りの職人から、少額であっても進物を決して受用してはならないと定めた覚。支配役人から支配中へ厳重に申し渡し、少しも疎略にしないよう命じる。
追録2-No.174 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が薩摩中将へ、歳暮祝儀として小袖五重が到来したことを喜び、詳細は阿部豊後守正武が述べると伝えた御内書。
追録2-No.175 阿部正武外三名連署状
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が、松平修理大夫から年頭祝儀として使者を介して太刀一腰・馬代黄金十両が献上され、首尾よく披露した旨を伝えた連署状。
追録2-No.176 万江長邦外九名連署書状
万江長邦ら家臣十名が種子島蔵人(島津久時)・肝付主殿(肝付兼逵)へ送り、詳細を使者の口上に含めた連署書状。本文は委細を記さず、使者による口頭伝達を中心とする点が特徴である。
追録2-No.177 椎葉山中覚
椎葉山中について、東西八里余・南北十里余、四方の道十六筋(内新道二筋)、制札場・鷹巣山各七箇所、真宗の寺二宇、御留山十二と外藪木山六の計十八山を記す覚。元禄二年に書付を公儀へ提出済みとの注があり、銅山一箇所、古杣山四箇所、古城二箇所、村八十四(内新村一)も列記する。鷹巣山七は箇所数で、鷹の羽数とはし…
追録2-No.178 於莵・於榮誕生系譜記事
綱貴公御子の女子として於莵・於榮の名を掲げ、元禄十一年正月十七日に武州芝第で、江田氏を母に出生したと記す系譜記事。松平飛騨守定英に嫁ぎ、一男を生んだ後に離別した。同一女子の別名列として扱い、二人の女子や実際の兎の記述とはしない。
追録2-No.179 初春賀詞
近衛基熙が新年の賀状を受け、互いに無事に年を越したことを喜び、目録どおりの品を受けて祝納した賀詞。相手の長久を祈り、後日の吉報を期す。
追録2-No.180 戸田忠昌書状
戸田忠昌が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝えた。十二月十二日に将軍が甲府中納言徳川家宣の邸へ御成になったことを聞いて相手が喜んだ旨の書面趣旨を、相談のうえ言上した書状。
追録2-No.181 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍の機嫌伺いに対して将軍勇健を伝えた。十二月十二日に将軍が甲府中納言徳川家宣の邸へ御成になったことを聞いて相手が喜んだ旨の書面趣旨を了承した連署書状。
追録2-No.182 近藤用高・諏訪頼蔭連署書状
近藤用高・諏訪頼蔭が、唐船が九日に薩摩守領の屋久島へ漂着し、島番が警固して十四日に大隅国浜尻へ渡した経過を松平修理大夫へ報じた連署書状。天候が整い次第、従来どおり警固を添えて長崎へ送ると伝える。
追録2-No.183 島津久洪外九名連署書状
島津久洪ら十名が松平修理大夫へ、前年の国絵図命令に伴い椎葉山分を江戸で書写し、相手方の控えと照合して絵図を作成する件を報じた連署書状。使者新宮市左衛門の口達を承り、絵図をいったん受け取り、すぐ答えにくい事項は江戸の薩摩守へ照会して後日返答すると伝える。
追録2-No.184 島津吉貴書状
吉貴が中将様(綱貴)の改年祝儀の書状を拝見し、勇健で越年されたことを喜び、当地の一門も変わりなく無事と伝える。目録どおりの品を下され、その御念に謝し、後喜の時を期すと結ぶ正月晦日付書状。後喜を後日の面会と具体化しない。
追録2-No.185 大久保忠朝書状
大久保忠朝が、松平修理大夫の参府を三月中から七月中へ変更する奉書と、その理由が同氏薩摩守の上野御普請御用であることを確認した返書。相手が変更を了承して感謝し、御礼の使札を差し越したことも承知したと伝える。
追録2-No.186 国絵図差出覚
国絵図作成に際して御領・私領へ別紙を渡し、まず変地の有無を尋ねるよう定めた覚。変地がなければその旨の証文を取り、変地がある所だけ詳細を調べ、寺社方にも同じ手続を適用する。
追録2-No.187 東叡山本堂造営記事
元禄十一年二月九日、東叡山寛永寺本堂の立柱を島津綱貴が臨監した記事。同年春には三つの山王権現社を別所へ移す命を受けて修造を請け負い、六月十五日に立柱、十九日に上棟し、新たに彩色して寄進した。
追録2-No.188 花尾権現由緒
薩州満家院郡山郷厚智村の花尾権現について、建保六年秋に島津忠久が源頼朝・母丹後局・永金阿闍梨の三霊像を鎌倉から安置し、島津家と国家の安泰を祈る社とした由緒を記す。元禄十一年が頼朝の五百年忌に当たるため、二月十一日に島津綱貴が大乗院十七世法印覚慧へ七日間の法会を命じた。
追録2-No.189 祭花尾山霊神文
島津綱貴が大乗院法印覚慧らを遣わし、花尾権現として祀る源頼朝へ供物を捧げた祭文。頼朝の武徳と神威、天下鎮定の功を讃え、島津家と国家の永続的な安泰を祈る。
追録2-No.190 施餓鬼祭文
元禄十一年仲春の初更、僧が銀器・清水・香油・花・食を供え、飢餓・水死・戦死などさまざまな無縁の鬼類を招いて救済する施餓鬼祭文。仏と陀羅尼の力により供物を増し、餓鬼を満腹させ、罪障を除いて解脱・浄土往生へ導くことを祈る。
追録2-No.191 源頼朝五百年忌法華経供養願文
源頼朝五百年遠忌に、護持施主が大乗妙法蓮華経十部を供養し、五輪塔婆一基を彫刻して奉納する願文。頼朝の出生・東国草創・平氏征討などの事績と、嫡苗に当たる島津綱貴との系譜を述べ、頼朝の追善、島津家・封域の長久、衆生の利益を祈る。
追録2-No.192 向井友貞琉球在番記事
島津綱貴譜は、元禄十一年春に向井市之丞友貞を琉球国在番奉行とし、岩城仲兵衛重良・名越與右衛門時氏・内田十郎右衛門頼実・佐々木新右衛門綱貞・阿久根助左衛門良隆の五人を副役に付けたと記す。友貞らは元禄十三年夏、任を終えて薩州へ帰った。
追録2-No.193 阿部正武書状
阿部正武が松平修理大夫の書状を披見し、公方の機嫌がよく、年始の規式も相済むべきことへの喜びを承知したと返す。使者による肴一種の献上については、各人で相談して首尾よく披露したと伝える。二月二十七日付。
追録2-No.194 柳沢保明・松平輝貞連署書状
柳沢保明・松平輝貞が松平修理大夫の書状を披見し、将軍が勇健で年始御規式も済んだことを相手が喜んだ旨をもっともとし、書面の趣旨を了承した連署返書。
追録2-No.195 小笠原長重外三名連署状
小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武が松平修理大夫へ、翌朔日は例月の御礼がないため江戸城へ登城する必要はないと通知した連署状。