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追録2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,207件中 701~800件・8 / 33ページ

  1. 追録2-No.697 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢保明・松平輝貞が松平薩摩守へ、公方の健勝を伝え、去月二十一日の聖堂、翌二十二日の柳沢出羽守亭への御成を聞いて喜ぶ旨はもっともだと返す。二通の書面の趣旨を了承した連署書状で、同日付の小笠原書状にある相談・高聞は記さない。三月三日付の去月は二月。

  2. 追録2-No.698 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津綱貴へ、正月二十四日の増上寺御仏殿参詣と翌二十五日の護持院御成を喜ぶ綱貴の書状二通を受けた返書。両書の趣旨を関係者と相談し、将軍へ上聞したと伝える。

  3. 追録2-No.699 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢出羽守保明・松平右京大夫輝貞が松平薩摩守島津綱貴へ、正月二十四日の増上寺御仏殿参詣と翌二十五日の護持院御成への喜びを記した二通の書面を披見し、その趣旨を了承した連署書状。同日付の小笠原長重書状と異なり、相談・上聞を記さない。

  4. 追録2-No.700 平松時方書状

    平松中納言時方が松平薩摩守島津綱貴へ、愚息の四品叙任が勅許されたことへの祝賀書状と目録記載品を贈られたとして、念入りな心遣いに謝意を述べた書状。時方からも目録どおりの祝儀品を進覧すると伝える。

  5. 追録2-No.701 平松時春書状

    平松少納言時春が松平薩摩守島津綱貴へ、自身の四品叙任勅許に対する祝賀書状と目録記載品を贈られたことに謝意を述べ、返礼の祝儀として太刀・馬代を進上した書状。

  6. 追録2-No.702 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が、前年十二月八日に屋久島一湊へ漂着した朝鮮人五十二人を長崎へ送り、二月二十八日に長崎奉行が受け取ったと報告する口上覚。別に病死者二人がおり、その遺骸と破船船具は長崎奉行の指図どおり処置した。

  7. 追録2-No.703 島津忠雄、島津家の由緒を近衛基熙に示す

    元禄十三年春、島津主計忠雄が江戸を発し、三月四日に京都へ着いて近衛家諸大夫の進藤修理亮長之・今大路治部少輔孝在に面会し、近衛基通以来の島津家由緒を記した二通を届け、近衛基熙・家熙父子の閲覧に供した記事。

  8. 追録2-No.704 島津氏日向国領知由来

    近衛家へ示すため、近衛基通と島津忠久の由緒、忠久以来の薩摩・大隅・日向三州支配、島津義久の九州進出と豊臣秀吉による所領安堵、幕府による日向国領分の判定を記した由緒書。日向国絵図を島津領内で調製し、清絵図へ領主名を記して印判を据え、幕府へ納める手続にも触れる。

  9. 追録2-No.705 今大路孝在書状

    今大路治部少輔孝在が島津主計忠雄へ、忠雄の島津家由緒書を近衛基熙・家熙父子が閲覧して感心したと報告し、今後も記録を検討すれば改めて指示があると伝えた書状。忠雄から贈られた奇物と目録記載品にも謝意を述べる。

  10. 追録2-No.706 進藤長之書状

    進藤修理亮長之が島津主計忠雄へ、琉球産の花籠と目録記載品に謝し、忠雄から聞いた島津両家の由緒を近衛基熙・家熙父子に伝えたところ深く感心したと報告した書状。安元・治承頃および承久三年の記録をさらに調べ、所見があれば知らせるよう求め、提出された由緒書を近衛家に留め置いたと伝える。

  11. 追録2-No.707 島津忠雄書状

    島津主計忠雄が島津圖書・島津勘解由・新納美作へ、京都滞在中、忠久の住吉誕生時に近衛家が社参したとの由緒を進藤長之・今大路孝在へ示し、近衛基熙・家熙父子の閲覧に供した経緯を報告した書状。近衛家に異説はなく、父子は由緒書を喜んで留め置き、安元・治承頃や承久三年の記録を調査すると応じたため、忠雄は両名から…

  12. 追録2-No.708 島津綱貴書状

    島津綱貴が山口勘兵衛・薩山數馬へ、国元から江戸へ差し越す船に乗る家来の上村監物・鎌田傳兵衛・清水彌兵衛・遠矢金兵衛について、休兵衛・讃良權左衛門と同様に伊豆国下田番所の通行を認めるよう依頼し、四人の印鑑を提出した書状。

  13. 追録2-No.709 阿部正武外三名老中連署状

    秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直・阿部豊後守正武が松平薩摩守島津綱貴へ、翌十五日四時に登城し、参勤の御礼を申し上げるよう命じた老中四名の連署状。

  14. 追録2-No.710 島津綱貴請書

    島津綱貴が秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武へ、翌十五日に登城して参勤の御礼を申し上げよとの命令を承知した請書。

  15. 追録2-No.711 登城令書

    幕府が島津綱貴へ、家来二人に御目見を命じたため、二人を召し連れて出頭するよう命じた令書。翌日の島津綱貴請書と対になる。

  16. 追録2-No.712 島津綱貴請書

    島津綱貴が秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武へ、家来二人に御目見を命じられたため、二人を召し連れるようにとの命令を承知した請書。

  17. 追録2-No.713 阿部正武外三名老中連署状

    秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直・阿部豊後守正武が松平修理大夫島津吉貴へ、翌十五日の例月御礼はないため登城不要と通知した老中四名の連署状。

  18. 追録2-No.714 島津綱貴参勤

    島津綱貴が二月二十一日に大坂を陸路で発って伏見へ入り、二十三日に伏見を出発し、三月五日に江戸へ参府した記事。六日に上使秋元喬朝の慰労を受け、十四日に奉書を賜り、十五日に登城して徳川綱吉へ拝謁し先例どおり献上した。一族の島津筑後忠置と家老新納美作久珍も将軍に拝謁した。

  19. 追録2-No.715 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が献上した香具品々と御肴一種を首尾よく披露したと報告した書状。

  20. 追録2-No.716 島津綱貴書状

    島津綱貴が小笠原佐渡守長重へ、香具品々と御肴一種の献上を首尾よく披露したとの奉書を拝見し、謝意を述べた書状。前文書に対する返書である。

  21. 追録2-No.717 平松時量書状

    平松中納言時量が松平修理大夫島津吉貴へ、孫の時春が元服して侍従に任官したことへの祝意を示されたとして、過分の厚意に謝意を述べた書状。

  22. 追録2-No.718 平松時方書状

    平松宰相時方が松平修理大夫島津吉貴へ、愚息時春の元服と侍従叙任が許されたことに対する祝詞を受け、喜びと謝意を述べた書状。

  23. 追録2-No.719 平松時春書状

    平松侍従時春が松平修理大夫島津吉貴へ、自身の元服と侍従任官を聞いて祝意を示されたことに謝意を述べた書状。祖父時量・父時方の書状と同じ慶事を本人の立場から伝える。

  24. 追録2-No.720 島津久東誕生

    島津久東(虎房・権七)は元禄十二年三月二十日に江戸芝邸で生まれ、母は江田五兵衛国重入道道用の娘で、第二十代島津綱貴の六男と記す系譜抄。翌十三年四月朔日、綱貴の命で島津久當の養子となり、正徳二年十一月三日に十四歳で病死した。

  25. 追録2-No.721 島津綱貴書状

    島津綱貴が高林弥一郎へ、領内船が当地から帰帆する際、家来阿多六太夫について伊勢十兵衛・赤松甚右衛門と同様に届け出るので、適切な差図を求めた書状。

  26. 追録2-No.722 林忠和書状

    長崎奉行林忠和が松平薩摩守島津綱貴へ、海陸とも無事で前十一日に長崎へ到着したと報告し、綱貴の厚意による二種の品に謝意を述べた書状。ただし今回は誰からの品も受納しないと申し渡しているため、二種を辞退した。

  27. 追録2-No.723 土屋政直書状

    土屋相模守政直が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が献上した檜御重一組を首尾よく披露したと報告した書状。

  28. 追録2-No.724 島津綱貴書状

    島津綱貴が土屋相模守政直へ、檜御重一組の献上を首尾よく披露したとの奉書を拝見し、謝意を述べた書状。前文書に対する返書である。

  29. 追録2-No.725 島津綱貴、増上寺火消番を勤む

    島津綱貴が元禄十三年四月十四日に奉書を受け、土佐国高知城主松平土佐守豊昌とともに江戸増上寺の火消番を勤めるよう命じられた記事。

  30. 追録2-No.726 琉球国司尚貞書状

    琉球国司尚貞が中将島津綱貴へ、近頃の機嫌を伺うため書状を呈し、大清から賜った巻物三本を進上した書状。

  31. 追録2-No.727 土屋政直外二名老中連署状

    秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直が松平薩摩守島津綱貴へ、増上寺の火消番を命じ、松平土佐守豊昌と相談して勤めるよう指示した老中三名の連署状。

  32. 追録2-No.728 島津綱貴請書

    島津綱貴が秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直へ、増上寺の火消番を命じられたため、松平土佐守豊昌と相談して勤めるとの命令を承知した請書。

  33. 追録2-No.729 近衛家熙書状

    近衛家熙が薩摩中将島津綱貴へ、家儀について承ったことに触れ、暑気に向かう折の綱貴の平穏を願い、自身も無事だと伝え、一種を音信のしるしとして贈った書状。

  34. 追録2-No.730 島津吉貴帰国

    吉貴が元禄十三年四月十一日に上使秋元喬朝を通じ暇と先規どおりの品を受け、後の登営で馬一匹を賜り、十六日に江戸を発った記事。家老助之丞忠守らが随行し、伏見・大坂を経て五月十一日に出帆、六月九日に薩州和泉脇元、二十一日に鹿府へ入る。礼使内膳久兵は八月十五日登営して先規の礼物で帰州の恩を謝し、太刀・銀馬代…

  35. 追録2-No.731 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、旅の途中に無事大坂へ到着するだろうことを喜び、見送りの軽使を差し越したとの知らせを受け、目録記載品を贈った書状。綱貴公御譜中に載り、吉貴公御譜にもあるとの注記を伴う。

  36. 追録2-No.732 土屋政直書状

    土屋相模守政直が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が献上した御肴一種を首尾よく披露したと報告した書状。

  37. 追録2-No.733 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平修理大夫島津吉貴へ、大猷院徳川家光の遠忌法要に際し、吉貴が使者をもって献じた香奠を日光山で首尾よく奉納し、その旨を高聞に達したと伝えた書状。

  38. 追録2-No.734 島津綱貴請書

    島津綱貴が、翌二十八日は例月の御礼がないため登城する必要はないとの命令を承知した請書。

  39. 追録2-No.735 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が献上した檜御重一組を首尾よく披露したと報告した書状。

  40. 追録2-No.736 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平修理大夫島津吉貴へ、日光山で大猷院徳川家光の五十回忌法要が首尾よく済んだと承知して喜んだとの吉貴の書状を披見し、その使者と書面の趣旨を同僚と相談のうえ将軍へ言上した書状。

  41. 追録2-No.737 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢出羽守保明・松平右京大夫輝貞が松平修理大夫島津吉貴へ、日光山で大猷院徳川家光の五十回忌法要が首尾よく済んだと承知して吉貴が喜んだ旨をもっともとし、書面の趣旨を了承した連署書状。同件の阿部正武書状にある使者・相談・高聞には触れない。

  42. 追録2-No.738 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が献上した砂糖漬天門冬一器を首尾よく披露したと報告した書状。

  43. 追録2-No.739 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が献上した御肴一種を首尾よく披露したと報告した書状。

  44. 追録2-No.740 徳川綱吉御内書

    将軍徳川綱吉が薩摩中将島津綱貴へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が到来したことを喜んで覧じ、委細は小笠原佐渡守長重から述べさせると伝えた御内書。

  45. 追録2-No.741 近衛家熙書状

    近衛家熙が松平修理大夫島津吉貴へ、旧臘に嗣子近衛家久が昇進した際、吉貴から賀詞の書状と目録記載品を贈られたことを丁寧な心遣いとして喜び、謝意を伝えた書状。

  46. 追録2-No.742 綱貴参勤シテ馬ヲ献ス

    元禄十三年五月の記録。綱貴が参府後、先規に従って御馬二匹を献上し、奉書を賜ったと記す。

  47. 追録2-No.743 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が献上した御馬二匹を首尾よく披露したと報告した書状。

  48. 追録2-No.744 島津綱貴書状

    島津綱貴が阿部豊後守正武へ、御馬二匹の献上を首尾よく披露したとの奉書を拝見し、謝意を述べた書状。前日の阿部正武書状に対する返書である。

  49. 追録2-No.745 鳥居忠救書状

    鳥居忠救が松平修理大夫へ、旅行中の健勝と去る六日の大坂到着を聞いて喜んだ書状。自身の領内を通った際、途中へ使者を遣わした件につき丁寧に取り上げられたことに謝す。

  50. 追録2-No.746 常住金剛院圓如書状

    常住金剛院権僧正圓如が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴の書状を妙法院門主に披露し、綱貴の健勝と門主の安泰を伝えた書状。蓮光院を介した手本の件について筆が進められ、清書を覧ずるよう命じられたこと、綱貴から進上された縮緬五巻・昆布一箱に門主が満足したことを、妙法院の命で報じる。

  51. 追録2-No.747 秋元喬朝書状

    秋元但馬守喬朝が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴が献上した琉球布・砂糖漬天門冬・泡盛酒・御肴を首尾よく披露したと報告した書状。

  52. 追録2-No.748 島津綱貴書状

    島津綱貴が秋元但馬守喬朝へ、琉球布・砂糖漬天門冬・泡盛酒・御肴一種の献上を首尾よく披露したとの奉書を拝見し、謝意を述べた書状。前文書に対する返書である。

  53. 追録2-No.749 島津綱貴請書

    島津綱貴が阿部正武・土屋政直・小笠原長重へ、将軍の上意により翌々二十五日の御能を見物し、五半時に江戸城へ登城するよう命じられたことを承知し、ありがたく思うと答えた請書。

  54. 追録2-No.750 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢出羽守保明・松平右京大夫輝貞が松平薩摩守島津綱貴へ、土用中の将軍の機嫌を尋ねた綱貴の書状を披見し、将軍はますます健勝なので安心するよう答え、書面の趣旨を了承した連署書状。

  55. 追録2-No.751 島津久兵礼使トシテ出府ス

    島津久兵が島津吉貴の帰国御礼使として元禄十三年六月二十一日に江戸へ赴き、八月十五日に将軍徳川綱吉へ登城して御目見した記事。

  56. 追録2-No.752 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が松平修理大夫島津吉貴へ、土用中の将軍の様子を尋ねる使札を受け、将軍はますます機嫌よく、吉貴も健勝であることを喜んだ書状。吉貴から贈られた御肴一種への謝意も伝える。

  57. 追録2-No.753 島津久儔采地五千石ヲ給サル

    島津綱貴が新納美作久珍を介し、島津周防久儔へ采地五千石と御判物を与えた記事。

  58. 追録2-No.754 島津久儔高五千石ヲ給サル

    島津綱貴が島津周防久儔へ高五千石を宛行うとした文書。本文は「此節其方に高五千石宛行う」の趣旨を掲げ、全文は綱貴公御譜中にあるとして省略する。

  59. 追録2-No.755 島津綱貴袖判達書

    島津綱貴が新納美作久珍へ、島津又八郎に高五千石を宛行うが所付は後に命じ、当面は表方蔵入方へ預け、年々の物成を別格に管理して後年の大きな用事に役立つよう役人へ命じることを指示した袖判写。

  60. 追録2-No.756 島津綱貴宛行状

    島津綱貴が島津又八郎へ高五千石を宛行い、所付は後に命じるとした宛行状。当面はその高を表方蔵入方へ預け、年々の所務を別格に管理し、後年に一廉の用事を果たせるよう役人へ申し付けると伝える。

  61. 追録2-No.757 土屋政直書状

    土屋相模守政直が松平修理大夫島津吉貴へ、厳有院徳川家綱の遠忌法要が首尾よく済み、五月八日に東叡山へ参詣したと吉貴が聞いて喜んだ旨をもっともとした書状。吉貴が使者を差し越したことを受け、二通の書面の趣旨を同僚と相談して将軍へ言上したと伝える。

  62. 追録2-No.758 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢出羽守保明・松平右京大夫輝貞が松平修理大夫島津吉貴へ、厳有院徳川家綱の遠忌法要が首尾よく済み、五月八日に東叡山へ参詣したと吉貴が聞いて喜んだ旨をもっともとし、二通の書面の趣旨を了承した連署書状。

  63. 追録2-No.759 稲垣重富書状

    稲垣対馬守重富が松平修理大夫島津吉貴へ、五月に東叡山で厳有院徳川家綱の二十一回忌法要が首尾よく済んだことを吉貴が喜んだ旨をもっともとし、老中まで使札で伝えた趣旨を承知したと答えた書状。

  64. 追録2-No.760 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平修理大夫島津吉貴へ、土用中の阿部の機嫌を尋ねる使者を差し越したことを承知し、御肴一種への謝意を伝えた書状。酷暑の折にも吉貴が健勝であることを喜び、自身も変わりなく勤仕していると答える。

  65. 追録2-No.761 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、海陸無事に鹿児島へ着いた頃だろうと喜び、江戸の一門も無事だと伝えた書状。端午・七夕の賀詞と目録記載品、奥方(松平定重女)の生見玉祝儀として贈られた一種・両樽に謝し、十日に奥方を訪ねて祝った際の馳走にも触れる。

  66. 追録2-No.762 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、海路を無事に通船したとの知らせを喜び、暑気のなかでも吉貴が健勝であることを祝った書状。当地の一門に異変はなく安心するよう伝え、念入りな通知への謝意を示す。

  67. 追録2-No.763 陽和院消息

    陽和院が松平修理大夫へ、両屋敷とおミつが無事であることを伝え、二十一日に無事着城したと早い知らせを受けた喜びを述べ、ゆっくり休息するよう勧めた消息。生身玉の祝いを受けたことや、おミつからさかなを贈られたこと、端午・七夕にも例年どおりの品々を受けたこと、お亀からも丁寧に礼を伝えるよう頼まれたことを述べ…

  68. 追録2-No.764 平松時量書状

    平松中納言時量が松平修理大夫島津吉貴へ、残暑のなかの健勝と、海陸とも無事に鹿児島へ到着したとの知らせを喜んだ書状。本来はこちらから祝意を伝えるべきところ、先に知らせを受けたため返書になったと述べ、後日の再会を期す。

  69. 追録2-No.765 平松時方書状

    平松宰相時方が松平修理大夫島津吉貴へ、健勝と、海陸無事に先月二十一日に鹿児島へ到着したことを喜んだ書状。本来はこちらから祝意を伝えるべきところ、先に知らせを受けたため返書になったと述べ、後日の再会を期す。

  70. 追録2-No.766 石井行豊書状

    石井宮内卿行豊が松平修理大夫島津吉貴へ、健勝と、海陸無事に先月二十一日に鹿児島へ到着したことを喜んだ書状。吉貴が早々に知らせた心遣いへ謝し、本来はこちらから入国を祝うべきところ返書になったと述べ、後日の再会を期す。

  71. 追録2-No.767 交野時香書状

    交野三位時香が松平修理大夫島津吉貴へ、健勝と海陸無事に先月二十一日に鹿児島へ到着したことを喜び、別紙を送るべきところ略して祝意を伝えた書状。追伸で、江戸の同氏薩摩守島津綱貴と高輪の御方らも無事なので安心するよう知らせる。

  72. 追録2-No.768 石井行康書状

    石井侍従行康が松平修理大夫島津吉貴へ、海陸無事に二十一日に到着したとの知らせを喜んだ書状。本来はこちらから祝詞を伝えるべきところ、先に知らせを受けたため返書になったと述べ、後日の再会を期す。

  73. 追録2-No.769 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津綱貴へ、端午の御内書を渡すため、翌二十一日五半時に家来を江戸城へ差し出すよう命じた書状。

  74. 追録2-No.770 島津綱貴請書

    島津綱貴が小笠原佐渡守長重へ、端午の御内書を渡すため翌二十一日五半時に家来を江戸城へ差し出すよう命じられたことを承知し、ありがたく思うと答えた請書。

  75. 追録2-No.771 島津綱貴書状

    島津綱貴が小笠原佐渡守長重へ、端午祝儀として帷子・単物を献上したところ御内書を下され、ありがたく頂戴したと礼を述べ、その趣旨を将軍へ披露するよう依頼した書状。

  76. 追録2-No.772 島津綱貴書状

    島津綱貴が小笠原佐渡守長重へ、端午の御内書を頂戴し、家来が御時服三領を拝領したことへの謝意を述べた書状。

  77. 追録2-No.773 綱貴、金山試掘ノ資金ヲ乞フ

    幕府が諸国へ金銀銅山を開発して国益に用いるよう命じたため、島津綱貴が薩摩・大隅・日向三州の山々に金・錫・銅の産出があるとして試掘を企てた記事。事業が大規模で資金が不足するため、書付を作って将軍へ援助を訴えた。

  78. 追録2-No.774 島津綱貴御内意口上覚

    島津綱貴が幕府へ、諸国の金銀銅山開発命令を承知し、領国は山国で金・錫・銅山があるため、公儀の利益にもなるよう金山を開発したいと申し出た口上覚。開発費が多額で藩内だけでは賄えないため、資金を立て替えてもらえるか内意を伺う。

  79. 追録2-No.775 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が、領内の金・銅・錫山開発を小笠原佐渡守長重へ相談したところ、自費で掘るよう命じられた経緯を述べた口上覚。自費のみでは難しいが公儀の利益になる事業を放置できないため、家来へ預けた高の一部を借りて一度試掘し、不足分は自ら立て替えるので許可してほしいと願う。

  80. 追録2-No.776 本多正永書状

    本多伯耆守正永が松平修理大夫島津吉貴へ、将軍が健勝なので安心するよう答え、吉貴が首尾よく暇を得て品々を拝領し、海陸無事に先月二十一日鹿児島へ着いたことを喜んだ書状。帰国御礼の使札を老中へ届けたとの報告も了承する。

  81. 追録2-No.777 島津綱貴条書

    修理大夫の近習に召し仕える者へ示された五箇条の覚。学問・武芸・有識を怠らず卑劣なことを慎むこと、側仕えの不善の行跡を放置せず主人のため諫めること、主人の賢否や私的好悪によらず善悪を正しく申し立てること、私心なく正直であること、勤務中に不行跡がなく不時の用事を考えてみだりな飲酒・沈酔後の乱行を避けるこ…

  82. 追録2-No.778 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、海上無事に鹿児島へ着いたことを喜び、江戸の一門も無事なので安心するよう伝えた書状。到着祝いとして目録どおりの品を贈る。

  83. 追録2-No.779 島津綱貴書状

    島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、端午祝儀として贈った目録記載品への丁寧な返礼と、吉貴からの七夕祝儀の目録記載品に謝意を述べた書状。奥向きの留守役への料理・振舞は又八郎方へ委細を伝えていたが、参府前に済ませる事情から六月十三日に又八郎部屋で振舞を行い、その旨を又八郎から報告されたと伝える。

  84. 追録2-No.780 陽和院消息

    陽和院が松平修理大夫島津吉貴へ、六月二十一日に無事着城したと聞いて重ねて祝意を伝え、今後も健勝であるよう願った消息。当地は両屋敷とも平穏で安心するよう述べ、お亀も吉貴の到着を喜び、よろしく伝えてほしいと言っていると知らせる。

  85. 追録2-No.781 智性院消息

    智性院が松平修理大夫島津吉貴へ、道中・船中とも無事に六月二十一日着城したと聞いて祝意を伝え、目録どおりの品を贈った消息。両屋敷はいずれも変わりなく、到着後は十分休息するよう気遣う。

  86. 追録2-No.782 阿部正武外三名連署状

    秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直・阿部豊後守正武が松平修理大夫へ、八朔祝儀として使者により献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく披露したと連署で報告する。

  87. 追録2-No.783 徳川吉孚書状

    水戸少将徳川吉孚が松平修理大夫島津吉貴へ、御暇を得て駅路に異状なく国許へ到着したとの書状を披見し、無事の到着を喜び、早々の丁寧な知らせに謝した書状。

  88. 追録2-No.784 島津忠英書状

    島津又八郎忠英が拾遺様へ、中将様から高五千石を下され、当面は用事がないため蔵入方に預け、後年用事が生じた時に使うよう新納美作へ命じられたと報告した書状。難有い仕合として恐悦を述べる。

  89. 追録2-No.785 土屋政直書状

    土屋相模守政直が松平修理大夫島津吉貴へ、献上された御肴一種を首尾よく披露したと報告した書状。

  90. 追録2-No.786 島津綱貴書状

    島津綱貴が御留守居衆へ、琉球人六人を国元へ差し越すにあたり、関所通行の手形を整えてもらったことに謝意を伝えた書状。

  91. 追録2-No.787 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が、帰国御礼の使者を翌十五日五時に江戸城へ差し出し、使者本人の御礼もそこで申し上げるよう指示した書状。

  92. 追録2-No.788 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が松平修理大夫島津吉貴の留守居へ、国許到着御礼の使者を翌十八日四時に江戸城へ差し出すよう命じた書状。

  93. 追録2-No.789 亀姫、近衞家久トノ婚姻ヲ許サレ

    近衛関白基熙・右大臣家熙が、島津忠久以来の近衛家と島津家の旧好を理由に、島津綱貴の娘亀姫を大納言近衛家久の妻に望み、綱貴が承諾して八月二十五日に近衛家諸大夫へ書面で返答した記事。亀姫は元禄三年生まれで当時十一歳、のち家久の御簾中となり宝永二年に十六歳で早世したとの考証を付す。

  94. 追録2-No.790 島津綱貴書状

    綱貴が進藤筑後守・今大路兵部大輔・進藤修理亮・今大路治部少輔へ、大納言家久と娘の縁組について親族一同が望み自身も承知したこと、関白・右府が満悦と蓮光院から聞いたことを伝えた書状。元祖以来の由緒を挙げつつ不釣合いな栄誉への思いを述べる。娘を出生時から養育した祖母陽和院の意向には書面で述べがたい点があり…

  95. 追録2-No.791 亀姫、近衞家久トノ婚姻ヲ許サレ

    綱貴が亀姫と近衛家久との縁組に際し、両家の由緒を書き記し、先に元老小笠原佐渡守へ示し、内覧のうえ了承を得たと記す記事。

  96. 追録2-No.792 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が幕府へ、近衛右大臣家熙の息大納言家久と自分の娘との縁組について、釣り合わないとして辞退したいが、近衛家と島津家には元祖忠久以来の由緒があるため、公儀の許可が整えば承諾すると内意を述べた口上覚。両家の由緒を記した別紙の披見も求める。

  97. 追録2-No.793 島津綱貴覚書

    亀姫縁組に伴い近衛家との由緒を説明した覚。忠久を頼朝の長子、丹後局を比企能員の妹とする出生説、住吉参詣途上の石上での出産、比企氏による養育、惟宗姓、元暦二年の初冠・左兵衛尉任官・脇指拝領と勢州須可御庄・同国波出御厨の地頭職を述べる。承久三年六月に近衛基通の契子となり藤原姓を用いたという説明、貴久家督…

  98. 追録2-No.794 島津綱貴書状

    島津綱貴が土屋相模守政直へ、翌五日に渡される書物を受け取るため、八時以後に家来を土屋邸へ差し出すよう命じられた件を了承した書状。

  99. 追録2-No.795 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩中将へ、重陽の祝儀として小袖五が到来し歓覧したと伝え、詳しくは秋元但馬守が述べるとした御内書。

  100. 追録2-No.796 柳沢保明書状

    柳沢出羽守保明が松平修理大夫島津吉貴へ、将軍の機嫌がよいことへの吉貴の喜びをもっともとし、御暇を得て道中無事に先月二十五日鹿児島へ到着したことを祝った書状。目録どおりの贈物への謝意も伝える。