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追録2の目録
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追録2-No.2098 島津久明外四名連署書状
肝付久兼・川上久重・島津忠雄・島津久輝・島津久明が池城親方へ、太守の継目に伴う鍋三郎への祝儀として練蕉布三端・焼酎一壺が進上された旨を、江戸で伝えると通知した連署書状。
追録2-No.2099 島津久明外四名連署書状
肝付久兼・川上久重・島津忠雄・島津久輝・島津久明が池城親方へ、鍋三郎への年始祝儀として練蕉布三端が進上された旨を、江戸で伝えると通知した連署書状。
追録2-No.2100 徳川吉通書状
尾張中納言徳川吉通が薩摩少将島津吉貴へ、家督相続後初めて暇を得て、道中無事に領国へ到着したとの知らせを重ねて祝い、念入りな書状を喜んだ書状。
追録2-No.2101 山内豊房書状
松平土佐守山内豊房が松平薩摩守島津吉貴へ、土佐領へ漂着した琉球船を長崎へ送るよう命じていたが、秋元喬朝から吉貴の家来へ引き渡すよう指示されたため、清水表へ手配し、家来到着後に引き渡すと伝えた書状。豊房は吉貴の願いどおりに処置がまとまり安堵したと述べた。
追録2-No.2102 土屋政直書状
土屋相模守政直が島津吉貴の留守居へ、帰国御礼の使者を翌日四時に江戸城へ差し出すよう命じた書状。
追録2-No.2103 島津惟久請書
島津惟久が島津大蔵久明へ、吉貴の家督相続後初の帰国と亀姫の入輿を祝った使者への返礼として、太刀・馬代黄金十両と目録記載の一種を拝領したことに謝し、吉貴へ披露するよう頼んだ請書。
追録2-No.2104 島津惟久書状
嶋津淡路守惟久が十月十八日、嶋津大蔵へ、少将吉貴の機嫌がよいことを願い、亀姫は少し不快ながら徐々に快方へ向かっていたところ、先月下旬から痢を発し、当月三日夜中に胸が痛み、危険な容体となったと聞いたことへの心遣いを伝える。吉貴への披露を頼む。
追録2-No.2105 坊城俊清書状
坊城中納言俊清が松平薩摩守島津吉貴へ、亀姫は以前から病気療養中であったが養生がかなわず死去したとして、吉貴の愁傷を察し悔やみを述べた書状。
追録2-No.2106 島津久明外四名連署書状
肝付久兼・川上久重・島津忠雄・島津久輝・島津久明が識名親方へ、大玄院に関する悔状を受け、香奠を目録どおり福昌寺へ首尾よく納めたと通知した連署書状。
追録2-No.2107 島津久明外四名連署書状
肝付久兼・川上久重・島津忠雄・島津久輝・島津久明が幸地親方へ、大玄院に関する悔状を受け、香奠を目録どおり福昌寺へ首尾よく納めたと通知した連署書状。
追録2-No.2108 島津久明外四名連署書状
肝付久兼・川上久重・島津忠雄・島津久輝・島津久明が池城親方へ、大玄院に関する悔状を受け、香奠を目録どおり福昌寺へ首尾よく納めたと通知した連署書状。
追録2-No.2109 島津久明外四名連署書状
肝付久兼・川上久重・島津忠雄・島津久輝・島津久明が読谷山王子へ、大玄院への悔状と香奠を受け、書状の趣旨を承知し、香奠を福昌寺へ首尾よく納めたと通知した連署書状。
追録2-No.2110 島津久明外四名連署書状
肝付久兼・川上久重・島津忠雄・島津久輝・島津久明が中城王子へ、大玄院への悔状と香奠を受け、書状の趣旨を承知し、香奠を福昌寺へ首尾よく納めたと通知した連署書状。
追録2-No.2111 井上正岑外四名連署書状
井上河内守正岑・大久保加賀守忠増・稲葉丹後守正通・秋元但馬守喬朝・土屋相模守政直が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言の機嫌を祝うとともに、吉貴が暇を賜り、さらに馬・白銀・時服を拝領したことを承知したと返答した連署書状。吉貴が国許到着の礼として使者に託した目録品を披露したところ、使者が御前へ召し出され、念入…
追録2-No.2112 本多正永・小笠原長重連署書状
本多伯耆守正永・小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言の機嫌を祝うとともに、吉貴が暇を賜り、馬・白銀・時服を拝領したことを承知したと返答した連署書状。国許到着の礼として使者に託した目録品を披露したところ、使者が御前へ召し出され、念入りな進上を喜ばれたと伝えた。
追録2-No.2113 松平忠栄・松平輝貞連署書状
松平伊賀守忠栄・松平右京大夫輝貞が十月十八日、薩摩守吉貴へ、公方・大納言の機嫌がよいことを伝え、吉貴が暇と馬・白銀・時服を拝領した厚恩への礼を承知したと返す。国元到着の礼として使者が目録品を献じたことと、紙面の趣を承知したと述べる。
追録2-No.2114 島津吉貴福昌寺等白銀寄進記事
吉貴の家督相続に伴い、十一月二日、玉龍山福昌寺および恵燈院深固院へ各白銀二枚を寄進し、恕翁玄忠大禅定門・花心琴月大居士・泰雲慈温大居士・昌道元新大居士・義天存忠大禅定門・関山良無大居士・孝延妙栄日長大姉・身安貞法大姉の各神主に供えた。嶋津内膳久兵が名代を勤めたと記す。
追録2-No.2115 島津吉貴袖判寺領寄進状
島津吉貴が福昌寺へ、大玄院殿の菩提のため、大隅国始羅郡帖佐郷内の百五十石を寄附した袖判寺領寄進状。御霊前の諸用を怠らないよう求めた。
追録2-No.2116 島津久明外四名連署証状
肝付主殿久兼・川上式部久重・島津帯刀忠雄・島津中務久輝・島津大蔵久明が福昌寺へ、大玄院の菩提のため高百五十斛を寄附する旨に島津吉貴が判を据えたと証した連署証状。寛陽院の仏餉料と同様に収納して霊前諸用へ渡し、仏餉・勤行を怠らず執行するよう命じた。
追録2-No.2117 稲葉正通書状
稲葉丹後守正通が松平薩摩守島津吉貴へ、吉貴が尋ねた公方と大納言の機嫌はともに安泰であり、安心するよう伝えた書状。吉貴が献じた御肴一種を関係者で相談して滞りなく披露したと報告した。
追録2-No.2118 松平忠栄・松平輝貞連署書状
松平伊賀守忠栄・松平右京大夫輝貞が十一月二日、薩摩守吉貴へ、公方・大納言の機嫌について尋ねられたが、ますます勇健であり安心するよう伝える。
追録2-No.2119 小笠原長重書状
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言がともに機嫌よく過ごしているため安心するよう伝えた書状。吉貴が献じた御肴一種を滞りなく披露したと報告した。
追録2-No.2120 稲葉正通書状
稲葉丹後守正通が松平薩摩守島津吉貴へ、公方が八月二十二日に増上寺の桂昌院廟所へ参詣し、同二十四日に大納言が仏参したとの報告を承知して喜びを述べた書状。書面の趣旨を関係者で相談し、上聞に達したと伝えた。
追録2-No.2121 土屋忠直・松平輝貞連署書状
土屋伊賀守忠直・松平右京大夫輝貞が松平薩摩守島津吉貴へ、公方が八月二十二日に増上寺の桂昌院廟所へ参詣し、同二十四日に大納言が仏参したとの報告を承知して喜びを述べた連署書状。書面の趣旨を受け取ったと返答した。
追録2-No.2122 稲葉正通書状
稲葉丹後守正通が松平薩摩守島津吉貴へ、徳川内蔵頭の死去に際し、吉貴が使者を差し越して言葉に尽くせない弔意を示したことを承知したと返答した書状。書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達すると伝えた。
追録2-No.2123 小笠原長重書状
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津吉貴へ、徳川内蔵頭の死去に際し、吉貴が使者を差し越して言葉に尽くせない弔意を示したことを承知し、書面の趣旨を申し上げると返答した書状。
追録2-No.2124 土屋忠直・松平輝貞連署書状
土屋伊賀守忠直・松平右京大夫輝貞が松平薩摩守島津吉貴へ、徳川内蔵頭の死去に対する言葉に尽くせない弔意を承知し、書面の趣旨を受け取ったと返答した連署書状。
追録2-No.2125 永井直囿・別所常治連署書状
長崎奉行の永井讃岐守直囿・別所播磨守常治が松平薩摩守島津吉貴へ、土佐領へ漂着した琉球船を土佐守から直接吉貴方へ引き渡す下知が家来森川理右衛門へ伝わったことを承知したと返答した連署書状。進貢船の遅滞を避けられ、中山王も特にありがたく思うだろうとの吉貴の報告に謝意を示した。
追録2-No.2126 島津吉貴神当流馬術免許状
島津吉貴が米良藤右衛門へ、神当流馬術に多年精励し、音拾巻・管天巻・外巻・岩波巻・馬原記一枚・馬書教輪巻・信誠巻などを柴崎十郎右衛門から伝授され、奥儀秘術まで残らず相伝したことを認定した免許状。今後は器量ある門人へ誓紙の上で相伝してよいと許し、関係書付・伝書を残らず授けた。
追録2-No.2127 佐多久達証状
佐多豊前久達が十一月六日、御記録方へ、柴崎十郎右衛門から授けられた神当流馬術の許書一巻を、太守の意により箱入りで引き渡すため、後年損なわぬよう堅固に納置することを求める。同流の馬書は残らず米良藤右衛門に拝領を命じ、馬術伝受に関する書付も下付され、その書付の写を渡すと記す。
追録2-No.2128 永井直囿・別所常治連署書状
長崎奉行の永井讃岐守直囿・別所播磨守常治が松平薩摩守島津吉貴へ、土佐国へ漂着した琉球船を土佐守から直接受け取り、江戸では秋元但馬守から吉貴の家来へ申し渡されたとの報告を承知したと返答した連署書状。念入りな通知に謝意を示した。
追録2-No.2129 小笠原長重書状
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言がともに機嫌よく過ごしているため安心するよう伝え、吉貴が献じた御肴一種を滞りなく披露したと報告した書状。
追録2-No.2130 小笠原長重書状
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津吉貴へ、自身が西丸附となり加増を受けたことへの祝儀として、吉貴から太刀・馬代黄金十両と目録記載品を贈られたことに謝意を述べた書状。
追録2-No.2131 小笠原長重書状
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津吉貴へ、今後の用事は御用番へ取り次ぐ扱いとなることを、先頃吉貴の家来へ申し伝えたと通知した書状。吉貴の書面の趣旨を承知し、念入りな連絡に謝意を示した。
追録2-No.2132 小笠原長信書状
小笠原山城守長信が十一月十三日、薩摩守吉貴へ、同氏佐渡守の西丸附・加増に対し、祝儀の書状と目録品まで配慮されたことをありがたく思うと述べる。ただし、どちらにも断りを申し入れており受納しない、と返す。
追録2-No.2133 土屋忠直・松平輝貞連署書状
土屋伊賀守忠直・松平右京大夫輝貞が松平薩摩守島津吉貴へ、吉貴が尋ねた公方と大納言の機嫌はともに安泰であるため安心するよう伝え、書面の趣旨を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.2134 島津吉貴袖判条書
島津吉貴が家中・領国中へ示した袖判条書。大玄院死去後も先代以来の法度と主従の忠義を守り、犯罪を速やかに届け、朋党・えこひいき・奢侈を禁じ、身分相応の衣服・武具と文武の修練、親族秩序、家臣・奉公人への公正な処置を求めた。さらに飢饉時の農民救済、年貢・支配人・地頭の公正、役職異動と人材登用に私意を交えな…
追録2-No.2135 島津吉貴袖判条書
島津吉貴が家中へ示した袖判条書。大玄院死去後も累代の領国統治と禁令を守り、神社仏閣の造営、農事奨励、年貢徴収、祖法に基づく政務を行うよう命じた。吉書・記録を定期的に点検して旧式を後代へ継承し、士分の知行地や地頭職を明確にして、私意による変更を禁じた。
追録2-No.2136 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が大乗院へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2137 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が一乗院へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2138 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が福昌寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2139 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が浄光明寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2140 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が大慈寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2141 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が廣濟寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2142 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が正興寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2143 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が宝満寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2144 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が正國寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2145 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が感應寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2146 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が山内寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2147 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が神徳院へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2148 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が不断光院へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2149 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が願成寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2150 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が本永寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2151 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が正建寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2152 島津吉貴訓諭書
島津吉貴が遠寿寺へ、近年、僧侶の道学志向が薄れ、師について修学する者を妬み妨げ、法を修めない者が軽々しく口頭で批評する風潮があると戒めた訓諭書。寺社奉行へ申し付け、学問・修行を志す僧を堅固に養成し、宗門の法式を乱さないよう改めることを命じた。
追録2-No.2153 島津吉貴袖判達書
島津吉貴が外城地頭へ、家督相続に伴って領国中へ申し渡した趣旨を、鹿児島から離れた外城でも地頭が徹底するよう命じた袖判達書。土地の事情を踏まえて武芸を励ませ、山坂の歩行・早駆など達者な技能を平時から鍛え、急事には勤務場所へ速やかに駆け付けられるよう若者を怠惰にさせないことを求めた。
追録2-No.2154 近衞基熙書状
近衞基熙が薩摩侍従島津吉貴へ、吉貴から丁重な返書が届いたことを喜び、懇切な書状への謝意を略儀ながら一紙で伝えた書状。
追録2-No.2155 小笠原長重書状
小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言の安泰を伝えた上で、大久保加賀守・井上河内守が連判列に、松平伊賀守が松平右京大夫の列に命じられたとの通知を承知し、その趣旨を上聞に達したと返答した書状。
追録2-No.2156 松平輝貞書状
松平右京大夫輝貞が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言の安泰を伝えた上で、大久保加賀守・井上河内守が老中連判の列に、松平伊賀守が自身と同列に命じられたとの通知を承知したと返答した書状。
追録2-No.2157 稲葉正通書状
稲葉丹後守正通が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言の安泰を伝えた上で、大久保加賀守・井上河内守が連判列に、松平伊賀守が松平右京大夫の列に命じられたとの通知を承知し、書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達すると返答した書状。
追録2-No.2158 永井直囿・別所常治連署書状
長崎奉行の永井讃岐守直囿・別所播磨守常治が松平薩摩守島津吉貴へ、土佐国へ漂着した琉球船が海路を無事に進み、二十日に吉貴領内の内之浦へ到着したとの報告を承知したと返答した連署書状。念入りな通知に謝意を示した。
追録2-No.2159 永井直囿書状
永井讃岐守直囿が松平薩摩守島津吉貴へ、寒中の機嫌を尋ね、手前一同の息災を伝えた書状。土佐漂着琉球船を現地で滞りなく受け取ったとの報告を喜び、その件で吉貴が遣わした使者と目録記載品に謝意を述べた。
追録2-No.2160 土屋政直書状
土屋相模守政直が松平薩摩守島津吉貴へ、寒中の機嫌を尋ね、吉貴の堅固を喜んだ上で、焼物二、三種を贈られたことに謝意を述べた書状。今後の用事は井上河内守正岑へ連絡するよう吉貴の家来にあらかじめ伝えたと通知した。
追録2-No.2161 井上正岑書状
井上河内守正岑が松平薩摩守島津吉貴へ、今後の用事を自身へ伝えるよう土屋相模守政直から申し渡されたため、吉貴が使札を寄せたことに謝意を述べた書状。以後も連絡を受ける旨を返答した。
追録2-No.2162 本多正永書状
本多伯耆守正永が十二月七日、薩摩守吉貴へ、大納言(徳川家宣と注)の機嫌はますます安泰であるため安心するよう伝え、吉貴が献じた羽織五と肴一種を首尾よく披露したと報告する。
追録2-No.2163 秋元喬朝書状
秋元但馬守喬朝が十二月七日、薩摩守吉貴へ、公方の機嫌はますます勇健であるため安心するよう伝え、羽織五と肴一種の献上を各人と相談して首尾よく披露したと知らせる。
追録2-No.2164 松平忠栄・松平輝貞連署書状
松平伊賀守忠栄・松平右京大夫輝貞が十二月九日、薩摩守吉貴へ、公方の機嫌はますます勇健であるため安心するよう伝え、羽織と肴の献上および紙面の趣を承知したと返す。
追録2-No.2165 伊東祐実書状
伊東大和守祐実が松平薩摩守島津吉貴へ、土佐へ漂着した琉球の唐国通船を吉貴領内で受け取り、通船時に家来を差し出したことへの礼状を受けたと返答した書状。吉貴が贈った琉球泡盛酒一陶・塩辛一器に謝意を述べた。
追録2-No.2166 松平忠栄・松平輝貞連署書状
松平伊賀守忠栄・松平右京大夫輝貞が十二月十五日、薩摩守吉貴へ、公方(綱吉と注)と大納言(家宣と注)の機嫌がよいと伝え、蜜柑と肴の献上、紙面の趣を承知したと返す。
追録2-No.2167 本多正永書状
本多伯耆守正永が十二月十五日、薩摩守吉貴へ、公方と大納言の機嫌がよいと伝え、蜜柑二箱と肴一種の献上を首尾よく披露したと報告する。
追録2-No.2168 島津吉貴袖判条書
島津吉貴が家中・領国中へ示した袖判条書。大玄院死去後も先代以来の法度と主従の忠義を守り、犯罪を速やかに届け、朋党・えこひいき・奢侈を禁じ、身分相応の衣服・武具と文武の修練、親族秩序、家臣・奉公人への公正な処置を求めた。さらに飢饉時の農民救済、年貢・支配人・地頭の公正、役職異動と人材登用に私意を交えな…
追録2-No.2169 島津吉貴袖判条書
島津吉貴が家中へ示した袖判条書。大玄院死去後も累代の領国統治と禁令を守り、神社仏閣の修造、農事奨励、年貢徴収、祖法に基づく政務を行うよう命じた。吉書・記録を定期的に点検して旧式を後代へ継承し、士分の知行地や地頭職を明確にして、私意による変更を禁じた。
追録2-No.2170 秋月種政書状
秋月長門守種政が松平薩摩守島津吉貴へ、厳寒のなか吉貴が勇健であることを喜び、琉球船が領内を通航した際に家来を差し出したことへの礼を受けたと返答した書状。船が無事に吉貴領国へ到着したことを祝い、領国産の蠟燭一箱を贈られたことに謝意を述べた。
追録2-No.2171 太春和尚福昌寺祖席継承記事
宝永二年冬、島津吉貴が薩摩出身で加賀国大龜山にいた太春和尚を招き、福昌寺の祖席を継がせた記事。詳しい経緯は次の招致状に記すとする。
追録2-No.2172 島津吉貴招致状
吉貴が十二月十八日、賀州大龜山の太春大和尚へ、石屋禅師開山の福昌寺は龍子鳳孫と称する僧たちが四十余世を継いだが、いま猊座が空いているとして、住持就任を求める。東海・北関で四十余年修行し諸方から信服された徳をたたえ、宗門の爪牙・法窟の頭角と比喩する。玉龍の祖席に登り、衰えた叢林を再興して皇王と黎庶を助…
追録2-No.2173 井上正岑書状
井上河内守正岑が松平薩摩守島津吉貴へ、吉貴家来から御用向きを相談される件を承知したと返答した書状。目録記載の贈物には謝意を示したが、他方からも一律に断っているため受納しないと伝えた。
追録2-No.2174 毛利高定書状
毛利周防守高定が松平薩摩守島津吉貴へ、琉球船が自領沖を通航した際に家来を差し出した件について、吉貴から礼状を受けたと返答した書状。吉貴が贈った領国産の蠟燭一箱にも謝意を述べた。
追録2-No.2175 秋元喬朝書状
秋元但馬守喬朝が十二月十九日、薩摩守吉貴へ、公方(綱吉と注)と大納言(家宣と注)の機嫌は安泰であるため安心するよう伝え、羽織五と肴一種の献上を各人と相談して首尾よく披露したと知らせる。
追録2-No.2176 松平輝貞・松平忠栄連署書状
松平右京大夫輝貞・松平伊賀守忠栄が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言がともに安泰であるため安心するよう伝え、吉貴が献じた羽織と御肴を受け、書面の趣旨を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.2177 本多正永書状
本多伯耆守正永が十二月十九日、薩摩守吉貴へ、公方・大納言の機嫌は安泰であるため安心するよう伝え、羽織五と肴一種の献上を首尾よく披露したと報告する。
追録2-No.2178 伊東祐実書状
伊東大和守祐実が松平薩摩守島津吉貴の参人々へ、公方と大納言の安泰を伝えた書状。土佐漂着琉球船が薩摩へ向かって自領沖を通航した際、吉貴家来の使者から連絡を受けた件について、吉貴の飛札と二種の贈物に謝意を述べた。
追録2-No.2179 松平輝貞・松平忠栄連署書状
松平右京大夫輝貞・松平伊賀守忠栄が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言の安泰を伝え、八重姫の疱瘡が次第に快癒して酒湯の儀を迎えたとの報告を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.2180 秋元喬朝書状
秋元但馬守喬朝が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言の安泰を伝え、八重姫の疱瘡が次第に快癒して酒湯の儀を迎えたとの報告を承知し、関係者で相談して上聞に達したと返答した書状。
追録2-No.2181 本多正永書状
本多伯耆守正永が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言の安泰を伝え、八重姫が疱瘡から次第に快癒して酒湯の儀を迎えたとの報告を承知したと返答した書状。
追録2-No.2182 本多正永書状
本多伯耆守正永が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言が安泰であることを伝え、十月二十九日に東叡山の御仏殿へ参詣したとの報告を承知し、その内容を上聞に達したと返答した書状。
追録2-No.2183 鳥居忠救書状
鳥居播磨守忠救が松平薩摩守島津吉貴へ、先月六日付の書状を受け、吉貴が帰国御礼のため佐多杢を派遣し、本人の御礼も滞りなく申し上げたとの内容を承知したと返答した書状。厳寒のなか吉貴の安泰を喜んだ。
追録2-No.2184 秋元喬朝書状
秋元但馬守喬朝が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言の安泰を伝え、先頃の城近辺の出火で城内に別条がなかったとの報告を承知し、関係者で相談して上聞に達したと返答した書状。
追録2-No.2185 松平輝貞・松平忠栄連署書状
松平右京大夫輝貞・松平伊賀守忠栄が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言の安泰を伝え、先頃の城近辺の出火で城内に別条がなかったとの報告を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.2186 本多正永書状
本多伯耆守正永が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言の安泰を伝え、先頃の城近辺の出火で城内に別条がなかったとの報告を承知し、その内容を上聞に達したと返答した書状。
追録2-No.2187 小笠原長重・本多正永連署書状
小笠原佐渡守長重・本多伯耆守正永が松平薩摩守島津吉貴へ、歳暮の祝儀として使者を介して目録記載品を献じた件を滞りなく披露したと報告した連署書状。
追録2-No.2188 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が薩摩少将島津吉貴へ、歳暮の祝儀として贈られた小袖五重の到来を喜び、詳しい返答は土屋相模守政直から伝えるとした御内書。
追録2-No.2189 徳川綱條書状
水戸中納言徳川綱條が松平薩摩守島津吉貴へ、新春の吉兆を祝い、吉貴が無事に年を越したことを喜び、早々に年賀状を受けたことへの謝意を述べた書状。
追録2-No.2190 土屋政直外四名連署状
土屋相模守政直・井上河内守正岑・大久保加賀守忠増・稲葉丹後守正通・秋元但馬守喬朝が松平薩摩守島津吉貴へ、年頭祝儀として使者が献じた太刀一腰と馬代黄金十両を滞りなく披露したと報告した連署状。
追録2-No.2191 小笠原長重・本多正永連署書状
小笠原佐渡守長重・本多伯耆守正永が松平薩摩守島津吉貴へ、年頭祝儀として使者が献じた太刀一腰と馬代黄金十両を滞りなく披露したと報告した連署書状。
追録2-No.2192 近衞家久書状
近衞家久が薩摩少将島津吉貴へ、新春の書状を披見し、吉貴が健康に年を越したことを喜び、自身の無事も伝えた書状。目録記載品を贈り、末永く喜んで受納するよう求めた。
追録2-No.2193 近衞基熙書状
近衞基熙が薩摩少将島津吉貴へ、年賀状を受け、吉貴が無事に年を越したことを喜び、自身も変わりなく新年を迎えたと伝えた書状。今後も長く祝意を交わすことを願った。
追録2-No.2194 近衞基熙書状
近衞基熙が薩摩少将島津吉貴へ、年始祝賀の書状を披見し、吉貴が健康に年を越したことを喜び、自身の無事も伝えた書状。目録記載品を贈り、末永く祝って受納するよう求めた。
追録2-No.2195 島津忠直礼使参府記事
玄蕃忠直(綱貴公諸男と注)の譜に、宝永三年正月十五日、将軍綱吉が太守吉貴に肴と奉書を賜ったと記し、肴を鮭十尺と小注する。その礼として忠直が江戸へ赴き、三月十五日に到着、同月二十八日に綱吉へ拝謁して太刀・馬・衣服等を献上した。
追録2-No.2196 土屋政直外四名連署状
土屋政直・井上正岑・大久保忠増・稲葉正通・秋元喬朝が松平薩摩守島津吉貴へ、公方と大納言の安泰を伝え、家督相続後の帰国が無事であるかを尋ねるため御肴一種を贈った連署状。
追録2-No.2197 土屋政直駅路証状
土屋相模守政直が、箱と状箱を江戸から薩州鹿児島の松平薩摩守島津吉貴のもとまで届け、返札を江戸の月番老中へ持参するよう命じた駅路証状。