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追録2の目録
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追録2-No.397 島津惟久書状
島津惟久が島津圖書へ、15日に殿中へ召されて帰国の暇を与えられ、老中列座の場で小笠原長重から、佐土原が古来の城地であることを認めて今後は城主列に加えるとの命令を受けたと報告した書状。相手の特別な取り持ちで首尾よく済んだと謝し、披露を頼む。
追録2-No.398 島津惟久、佐土原城主トナル
元禄12年4月15日、島津惟久が登営して帰郷の暇を賜った際、老中列座の別席で小笠原長重から、佐土原は古来の城地であるため今後一城主と認める旨を伝えられ、惟久が謝した記事。佐土原は近年城地の名を失っていたが、島津綱貴がその由緒を将軍へ訴えた結果であると記す。
追録2-No.399 島津綱貴書状
島津綱貴が、将軍が健勝で、去月27日の東叡山御成から機嫌よく還御したと承知し、その旨を知らせるため飛札を出した書状。東叡山造営の成就を祝う文書ではない。
追録2-No.400 島津綱貴書状
島津綱貴が進藤筑後守へ、関白近衛基熙の書状を拝見し、年首の祝詞と特に調合された二香合(傍注に御薫・御保之)を下されたことを謝した書状。よろしく伝達を頼む。
追録2-No.401 島津綱貴書状
島津綱貴が今大路兵部太輔へ、右府近衛家熙の書状を拝見し、年首の祝詞と特に調合された二香合(傍注に御薫・御保之)を下されたことを謝し、よろしく伝達を頼んだ書状。具体的な香原料は記さない。
追録2-No.402 島津綱貴書状
島津綱貴が進藤修理亮へ、大納言の健勝を喜び、使者が江戸屋敷まで届けた年始祝儀と扇子1箱を拝受したことに謝意を述べ、披露を頼んだ書状。大納言就任祝いではない。
追録2-No.403 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の松平右京大夫邸への御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝えた書状。
追録2-No.404 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の松平右京大夫邸への御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.403と異なり、同僚との相談・言上は記さない。
追録2-No.405 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が薩摩中将から端午祝儀の帷子・単物数十を受け取って歓覧し、詳細は阿部正武が伝えるとした御内書。徳川綱吉側から品を贈った文書ではない。
追録2-No.406 秋元喬朝書状
秋元喬朝が松平薩摩守へ、端午祝儀として目録どおりの品を使者により贈られたことへの謝意を述べた書状。
追録2-No.407 保田宗仁書状
保田宗仁が松平薩摩守へ、4月17日付書状を披見し、領内の島へ流罪となる者について、阿部豊後守から保田へ仰渡しがあり、保田が当地の薩摩守家来衆と相談した件を相手が了承したとの趣旨を承知したと返した書状。
追録2-No.408 戸田忠昌書状
戸田忠昌が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の増上寺御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝えた書状。
追録2-No.409 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の増上寺御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.408と異なり、同僚との相談・言上は記さない。
追録2-No.410 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、翌年3月中の参府を命じられて当面はゆっくり在国できることと、先頃芝屋敷で男子が出生した際の祝儀に喜んだことを伝えた書状。傍注は男子を3月27日生まれの綱貴の七男で、後に権七と称したとする。
追録2-No.411 島津綱貴書状(松平修理大夫宛)
島津綱貴が松平修理大夫へ、自身の当年の賀に祝儀の使者と目録どおりの品を贈られたことを喜び、返礼として目録記載品を進めた書状。追而書では上巳の祝詞と目録どおりの贈品を喜び、別札による謝礼の心遣いにも言及する。
追録2-No.412 島津綱貴書状(陽和院宛)
島津綱貴が陽和院へ、相手の機嫌がよいことを喜び、自身の今年の賀に目録どおりの品を下されたことを謝した仮名書状。今後も変わらぬ心遣いを願い、こちらからも目録記載品を進上する。宛所傍注は光久継室・平松氏とする。
追録2-No.413 島津綱貴返書(松平修理大夫妻宛)
島津綱貴が松平修理大夫の妻へ、陽和院と一門の無事を喜び、自身の今年の五十の賀に目録どおりの品を贈られたことを謝し、こちらからも目録どおり進上すると返した仮名書状。今後の変わらぬ心遣いを願う。
追録2-No.414 島津綱貴書状
島津綱貴が島津又八郎へ、自身の当年の賀に贈られた品への謝意を述べ、相手の家内で先月20日頃に男子が無事出生したことを喜んだ書状。参勤時期が延び、ゆっくり在国していることも伝える。
追録2-No.415 島津綱貴書状(陽和院宛)
島津綱貴が陽和院へ、相手の無事を喜び、松平修理大夫も無事と伝え、先月11日の袖止めの祝いと、芝での袖直しの祝いが済んだことを祝した仮名書状。今後も長く親しく付き合いたいと述べる。
追録2-No.416 島津綱貴返書(松平修理大夫妻宛)
島津綱貴が松平修理大夫の妻へ、書状を拝見し、陽和院と芝の一同が無事であることを喜び、先月11日の元服を祝った仮名書状。今後も長く親しく付き合いたいと返す。
追録2-No.417 島津吉貴書状
松平修理大夫吉貴が中将へ、端午の祝儀として目録どおりの品を下されたことを謝した書状。五月十三日吉貴判、宛所は次頁冒頭の進上中将様まで続く。出典は綱貴公御譜中・正文在文庫で、傍注に此御書吉貴公御譜中ニ無之とある。
追録2-No.418 島津綱貴書状(小笠原佐渡守宛)
島津綱貴が小笠原佐渡守方へ、島津左京が願いどおり佐土原を城地と認められたことを自分としても格別ありがたいと述べ、早くからの取り持ちで首尾よく済んだことを謝し、祝いと御礼の目録記載品を進めた書状。
追録2-No.419 島津綱貴書状
島津綱貴が林大学頭へ、島津左京が願いどおり佐土原を城地として認められたことを報告し、相手の取り持ちで首尾よく済んだと謝した書状。目録どおりの礼品を贈る。
追録2-No.420 島津綱貴書状
島津綱貴が西丸留守居の庄田下総守へ、島津左京が願いどおり佐土原を城地として認められたことを報告し、相手の取り持ちで首尾よく済んだと謝した書状。目録どおりの礼品を贈る。
追録2-No.421 島津綱貴書状
島津綱貴が石野八兵衛へ、島津左京が願いどおり佐土原を城地として認められたことを報告し、相手の取り持ちで首尾よく済んだと謝した書状。目録どおりの礼品を贈る。
追録2-No.422 島津綱貴書状
島津綱貴が、島津左京が願いどおり先月15日に佐土原を城地として認められたと承知し、ありがたい仕合わせとして、御礼を申し上げるため飛札を送った書状。
追録2-No.423 島津綱貴口上覚
島津綱貴が、領内七島の宝島へ漂着・破船した唐人25人と荷物を薩摩本土へ送り、警固を付けて長崎へ送致した経過を報告した口上覚。唐人らは5月3日に長崎へ着岸し、4日に長崎奉行が異儀なく受け取った。
追録2-No.424 島津綱貴書状
島津綱貴が願王院へ、執当役を命じられ、院家に列して院号を下されたことを祝い、使者を芝屋敷まで遣わして伝えられた口上への謝意を述べた書状。
追録2-No.425 島津綱貴国絵図方御用覚書
島津綱貴が、幕府絵図方御用で江戸へ派遣する島津主計に、絵図奉行へ不明点を照会し、正保国絵図以後の地形・村里・国境の変化を調べるよう命じた覚書。薩摩・日向国境、椎葉山、飫肥・佐土原・延岡・高鍋領など隣領との境を役人立会いで突合し、相違は絵図と書付で江戸へ報告させる。
追録2-No.426 島津綱貴返書
島津綱貴が島津左京へ、去月十五日に殿中へ召され、在所への御暇を許され、そのうえ城主列を命じられた旨を小笠原佐渡守から伝えられたと聞いて喜んだ返書。左京が使簡を寄せて念入りに知らせたことにも謝す。在所で御暇を受けたという場所の説明にしない。
追録2-No.427 薩隅・琉球・日州国絵図提出記事
徳川綱吉が元禄10年閏2月4日、島津綱貴に薩摩・大隅・琉球の国絵図と日向一国図を伊東大和守祐実と相談して提出するよう命じた記事。正保国絵図は祖父島津光久が単独で提出しており、伊東家との共同校正は先例に背くとして、綱貴が異議を申し立てた経緯を記す。
追録2-No.428 島津吉貴書状
島津吉貴が島津綱貴(中将)へ、八丁堀のおはるが病気療養の甲斐なく5月22日に死去したことを報告し、痛惜の意を伝えた書状。
追録2-No.429 戸田忠昌書状
戸田忠昌が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の日光御門跡の御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を同僚と相談して言上したと伝えた書状。
追録2-No.430 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の日光御門跡の御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.429と異なり、同僚との相談・言上は記さない。
追録2-No.431 島津綱貴書状
島津綱貴が御門様坊官の万里小路大進御房へ、明王院が願王院へ改称し、院家を命じられたことを承知して喜び、御門様へ漏れなく伝えるよう頼んだ書状。
追録2-No.432 島津綱貴書状
島津綱貴が建部内匠頭へ、京都・大坂の町屋敷に置く家来伊集院主水・伊地知五兵衛が御用を申し上げるため、適切な指図を頼んだ書状。
追録2-No.433 島津綱貴書状
島津綱貴が松平主計頭ら関所奉行5名へ、家来祢寝丹波の後家と娘を含む上下14人を江戸から国元へ送るための関所手形を調えてもらったことに謝意を述べた書状。
追録2-No.434 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の小石川御殿御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を同僚と相談して上聞したと伝えた書状。
追録2-No.435 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の小石川御殿御成を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.434と異なり、同僚との相談・上聞は記さない。
追録2-No.436 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、相手の妻の袖留の祝いが無事済んだことを喜び、祝儀として目録どおりの品を使者に託して贈った書状。
追録2-No.437 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、双方の無事を伝え、芝屋敷の奥方が男子を平産した祝いに阿多太仲を使者として差し越したと知らせた書状。
追録2-No.438 島津綱貴書状
島津綱貴が鳥居播磨守方へ、将軍の健勝と相手の参勤御礼・勤仕を喜び、自身は無事で緩々と在国していること、この節の用事のため使者を遣わすことを伝えた書状。追而書では自身の賀に目録どおりの品を寄せられた心遣いを謝し、こちらからも祝いとして目録記載品を進める。
追録2-No.439 酒井忠囿書状
酒井忠囿が松平薩摩守へ、先頃慶雲院の遺物を持たせて進覧したことへの返札を拝見し、丁重な言葉と心遣いに謝意を述べた書状。
追録2-No.440 島津綱貴書状
島津綱貴が、将軍の健勝を喜び、酷暑の折の機嫌伺いとして使者を立て、目録どおりの品を献上するので適切な取り計らいを頼んだ書状。
追録2-No.441 島津惟久書状
島津惟久が島津圖書へ、佐土原が古来の城地と認められたのは中将島津綱貴の威光によるとして謝意を述べ、祝儀として名代の使者に目録どおりの品を持たせ、綱貴への披露を頼んだ書状。
追録2-No.442 島津綱貴返書
島津綱貴が島津左京へ、島津図書が届けた書状を拝見し、佐土原が古来どおり城地と認められたことをありがたく思うという相手の詳しい書面を了承した返書。使者を遣わし、特に目録どおりの品を贈られた心遣いも喜ぶ。
追録2-No.443 浅野綱長返書
浅野綱長が松平薩摩守へ、上野御普請の手伝御用が済み、懇意の上意と腰物を拝領し、そのうえ家来も褒美を頂戴したことを述べ、相手からの祝いの心遣いに謝した返書。
追録2-No.444 進藤長之書状
進藤長之が中西長門右衛門へ、春に領内の額について依頼された件は、禁裏・洞中からの清書依頼が多数あって延引しているが、近いうちに清書される見込みだと伝えた書状。
追録2-No.445 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の山王御社参を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を同僚と相談して上聞したと伝えた書状。
追録2-No.446 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の山王御社参を承知した相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.445と異なり、同僚との相談・上聞は記さない。
追録2-No.447 島津惟久書状
島津惟久が島津圖書へ、江戸で約束していた香を中将島津綱貴へ進上するため送った書状。酷暑のなか無事に届くか案じ、綱貴への披露と取り成しを頼む。
追録2-No.448 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、島津左京が願いどおり佐土原を城地として認められ、相手がありがたく思うとの書面を了承し、一同が書面を見たと答えた書状。
追録2-No.449 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、島津左京が願いどおり佐土原を城地として認められ、相手がありがたく思うとの書面を了承した連署状。
追録2-No.450 小笠原長重書状
小笠原長重が松平薩摩守へ、島津左京が願いどおり佐土原を城地として認められ、相手がありがたく思うとの書面を了承し、併せて目録どおりの品を贈られた心遣いに謝した書状。
追録2-No.451 平松時方書状
平松時方が松平薩摩守へ、老父も同様に喜んでおり別紙の返答を省くとし、陽和院の機嫌と、島津左京の願いどおり佐土原が城地と認められたことへの相手の喜びを了承した書状。さらに来年の愚息元服に際し、家来二家の子を早く派遣して助力させるという配慮をありがたく受け止め、首尾よく首服できると喜び謝している。
追録2-No.452 庄田安利書状
庄田安利が松平薩摩守の御用人衆へ、薩摩守の使札を受け、島津左京が従前どおり佐土原を城地として認められたことを喜び、小笠原佐渡守への挨拶を将軍が満足したため太平布二十疋・干鯛一折を下賜されたと伝え、機会に将軍へ礼を言上するよう求めた書状。
追録2-No.453 島津綱貴書状
島津綱貴が近藤備中守・丹羽遠江守へ、この夏来朝した唐船三艘が十五日に帰帆を命じられたため、領内の津々浦々へ入念に備えるよう家来を召して命じられた趣旨を了承し、飛札で報告した書状。
追録2-No.454 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫へ、八丁堀のおはる殿が病気療養のかいなく死去したとの知らせに、相手と同様に言葉もないほど悲しみ、丁寧な弔慰の書状に謝した書状。
追録2-No.455 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、四月二十日の東叡山御堂参詣を知った相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を一同で相談して上聞した書状。
追録2-No.456 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、四月二十日の東叡山御堂参詣を知った相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.455と異なり、相談・上聞は記さない。
追録2-No.457 島津惟久書状
島津惟久(左京)が島津圖書へ、今回の御用について自分から書付で申し上げるので万事よろしく相談してほしいと頼み、詳細は伊集院三右衛門・酒匂源左衛門の口上に託した書状。
追録2-No.458 島津惟久口上覚
島津惟久(左京)が、前年の上野普請手伝で多額の用金・人員・道具の加勢を受けて役を果たしたが、内証逼迫のため借金返済猶予を願い、家中の知行半分の物成を返済に充てることによる困窮を案じ、米六千石ほど又は銀三百貫目ほどの借用と同役への取成しを求めた口上覚。詳細は伊集院三右衛門・酒匂源左衛門に託す。
追録2-No.459 町田久置外二名連署状
町田久置・浅山高重・神宮司純正が島津圖書へ、相手の健勝を喜び、島津左京の御用のため伊集院三右衛門・酒匂源左衛門を派遣したと連署して知らせた書状。
追録2-No.460 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、先頃の御賀の祝儀を申し上げたところ二種・両樽を下賜されたため、末永く拝受すると謝意を述べ、後日の対面を期した書状。
追録2-No.461 島津忠英書状
島津忠英(又八郎)が中将島津綱貴へ、甚暑の折の健勝を喜び、今年の御賀の祝儀として目録記載品を拝受したことに謝意を述べ、末永い祝福と後日の対面を期した書状。
追録2-No.462 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の護国寺御成を知った相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を一同で相談して上聞した書状。
追録2-No.463 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の護国寺御成を知った相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.462と異なり、相談・上聞は記さない。
追録2-No.464 島津綱貴書状
島津綱貴が阿部正武・戸田忠昌・土屋政直・小笠原長重へ、去る五日に尾張中納言が逝去したと承知し、言葉もないほど悲しんでいることを使札で申し上げた書状。
追録2-No.465 島津綱貴書状
島津綱貴が柳沢保明・松平輝貞へ、去る五日に尾張中納言が逝去したと承知し、言葉もないほど悲しんでいることを使札で申し上げた書状。No.464と同文だが宛所が異なる。
追録2-No.466 万里小路承信書状
万里小路承信が松平薩摩守へ、相手の書状を門主が披見し、明王院が先頃役儀と願王院の院室を命じられたことへの礼を述べる丁寧な書面に満悦したため、その旨を心得て返答するよう命じられたと伝えた書状。
追録2-No.467 阿部正武書状
阿部正武が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の観音堂参詣を知った相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を一同で相談して上聞した書状。
追録2-No.468 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、先頃の観音堂参詣を知った相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.467と異なり、相談・上聞は記さない。
追録2-No.469 土屋政直書状
土屋政直が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、五月八日の東叡山御堂参詣を知った相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を一同で相談して上聞した書状。
追録2-No.470 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、将軍が健勝であることと、五月八日の東叡山御堂参詣を知った相手の喜びをもっともだと答え、書面の趣旨を了承した連署状。No.469と異なり、相談・上聞は記さない。
追録2-No.471 土屋政直・柳沢保明連署状
土屋政直・柳沢保明が松平薩摩守へ、甚暑の折に使者を遣わして将軍の機嫌を伺い、目録どおりの品を献上した旨を受け、将軍は健勝であると伝え、一同で相談して首尾よく披露した連署状。
追録2-No.472 松平輝貞・柳沢保明連署状
松平輝貞・柳沢保明が松平薩摩守へ、甚暑の折に使者を遣わして将軍の機嫌を伺い、目録どおりの品を献上した旨を受け、将軍は健勝であると伝え、書面の趣旨を了承した連署状。No.471と異なり、相談・披露は記さない。
追録2-No.473 島津綱貴書状
島津綱貴が松平修理大夫(島津吉貴)へ、愛寿丸を島津図書の養子、徳慈丸を祢寝丹波の跡目に命じたので承知するよう伝え、詳細は家老から知らせるとした書状。両件について自身の考えは先頃猿渡喜右衛門に言い含めたとも付記する。
追録2-No.474 島津綱貴書状
島津綱貴が島津又八郎(島津忠英)へ、愛寿丸を島津図書の養子、徳慈丸を祢寝丹波の跡目に命じたので承知するよう伝え、詳細は家老から知らせるとした書状。No.473と同文で宛所が異なり、両件に関する自身の考えを先頃猿渡喜右衛門に言い含めたとも付記する。
追録2-No.475 島津綱貴書状
島津綱貴が細井左次右衛門へ、高輪屋敷の年貢地内の普請を届け出た際に屋敷へ出向かれたことと、品川・大井両屋敷の絵図・書付を家来が提出した際の懇切な取り計らいに謝意を述べた書状。首尾よく済んだことを喜ぶ。
追録2-No.476 島津綱貴書状
島津綱貴が能勢市十郎へ、高輪屋敷の年貢地内の普請を届け出た際に屋敷へ出向かれたことと、品川・大井両屋敷の絵図・書付を家来が提出した際の懇切な取り計らいに謝意を述べた書状。首尾よく済んだことを喜ぶ。
追録2-No.477 島津綱貴書状
島津綱貴が島津左京(島津惟久)へ、今度城主列に加えられたことを重ねて祝い、祝儀として使札を遣わし、目録どおりの祝物を贈った書状。詳しい趣旨は使者の口上に含めたとする。
追録2-No.478 島津惟久書状
島津惟久が島津図書へ、中将からの書状を拝見し、城主列に加えられた祝儀として、使者と太刀一腰・馬代黄金十両・琉球太平布五十疋・肴二種・樽一荷を拝受したことに謝意を述べた書状。過分な厚意への礼を中将へ取り次ぐよう頼む。
追録2-No.479 島津綱貴書状
島津綱貴が阿部豊後守へ、端午の祝儀として帷子・単物を献上したところ御内書を下され、ありがたく頂戴したと礼を述べ、その旨をよろしく披露するよう頼んだ書状。
追録2-No.480 島津綱貴書状
島津綱貴が阿部豊後守へ、御内書を頂戴し、その際に家来が時服を拝領したことをありがたく思い、礼を申し上げた書状。No.479と同日だが、端午の献上品ではなく御内書と家来の時服拝領を主題とする。
追録2-No.481 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、上州松枝からの口上書で道中を健勝に進んでいると知って喜び、七夕の祝儀として目録どおりの品を下されたことに礼を述べた書状。
追録2-No.482 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、海陸とも健勝に帰国することを祝い、軽使を差し上らせ、肴二種・樽一荷を進上した書状。当地方の一門と吉貴自身も無事であると伝える。
追録2-No.483 島津綱貴書状
島津綱貴が阿部豊後守へ、領内へ送られる流人三十九人のうち一人は病気で江戸に残り、一人は大坂の牢内で死亡したため、残る三十七人と大坂からの出家一人を五月二十八日に町奉行衆から受け取り、乗船させて七月九日に鹿児島へ到着させたと飛札で報告した書状。病人・死者については別紙書付を提出した。
追録2-No.484 島津綱貴書状
島津綱貴が松平玄蕃頭へ、先頃引き渡された領内流人三十八人が七月九日に鹿児島へ着船したと報告し、流人船に渡された浦次の廻状一通と浦々への触状二通を返進した書状。No.485・486と同文で宛所が異なる。
追録2-No.485 島津綱貴書状
島津綱貴が永見甲斐守へ、先頃引き渡された領内流人三十八人が七月九日に鹿児島へ着船したと報告し、流人船に渡された浦次の廻状一通と浦々への触状二通を返進した書状。No.484・486と同文で宛所が異なる。
追録2-No.486 島津綱貴書状
島津綱貴が小濱民部へ、先頃引き渡された領内流人三十八人が七月九日に鹿児島へ着船したと報告し、流人船に渡された浦次の廻状一通と浦々への触状二通を返進した書状。No.484・485と同文で宛所が異なる。
追録2-No.487 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、奥での袖留の祝儀として使者と目録記載品を下されたことに礼を述べた書状。吉貴自身も変わりなく過ごしているので安心するよう伝える。
追録2-No.488 平松時量書状
平松時量が松平薩摩守へ、依頼された額のうち、右大臣が揮毫した稲荷社額が完成したので先に送ると伝えた書状。諏訪社額もおおむね整っているが遅延しており、等閑にしたのではなく事情があったためだと釈明する。
追録2-No.489 平松時方書状
平松時方が松平薩摩守へ、右大臣の命により、依頼の稲荷社額は揮毫済みで送付し、諏訪社額も追って整えると伝えた書状。やむを得ない用務のため遅延した旨も取り次いでおり、No.488と同日・同件だが右大臣の命を伝達する形をとる。
追録2-No.490 島津吉貴書状
島津吉貴が中将島津綱貴へ、芝屋敷での男子平産の祝儀として阿多太仲を差し上らせた件について、相手の言葉をありがたく受けたと述べた書状。当地の一門中に変わりはないので安心するよう伝える。
追録2-No.491 島津惟久書状
島津惟久が島津図書へ、中将からの書状と、当年の御賀の祝儀として干鯛一折・樽代二百疋を拝受したことに謝意を述べた書状。惟久側から申し上げた祝儀への丁寧な礼にも感謝し、中将へ礼を取り次ぐよう頼む。
追録2-No.492 島津綱貴書状
島津綱貴が、将軍が健勝であることを喜び、さらに機嫌を伺うため使者を差し上げ、肴一種を献上するので取り扱いの差図を求めた書状。
追録2-No.493 島津綱貴口上覚
島津綱貴が、南京唐船一艘・三十九人が前年九月十四日に琉球の大島西古見へ漂着し、水・薪などを得て同月晦日に出帆したこと、いかなる品も売買しなかったことを、中山王からの報告に基づき長崎奉行衆へ伝えた口上覚。
追録2-No.494 松平忠周書状
松平忠周が松平薩摩守へ、先頃引き渡した領内流人三十八人が七月九日に鹿児島へ到着し、浦次の廻状一通と浦々への触状二通を返進したとの書面を承知したと答えた書状。
追録2-No.495 島津綱貴書状
島津綱貴が長崎奉行の近藤備中守・丹羽遠江守方へ、南京唐船一艘が去年九月十四日に琉球之内大島西古見という所へ漂着し、同月晦日に出船したと、この節中山王から報告があった旨を伝えた書状。詳しくは家来から申し上げるとする。
追録2-No.496 永見重直書状
永見重直が松平薩摩守へ、家来衆へ引き渡した流人三十八人が七月九日に鹿児島へ到着し、浦次の廻状一通を返進したとの書面を承知し、廻状を受け取ったと答えた書状。