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追録2の目録
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追録2-No.2698 本多正永書状
本多伯耆守正永が九月十二日、薩摩守吉貴へ、御馬一疋の献上を首尾よく披露したと知らせる。No2697の二疋とは数量が異なり、前No2696の家宣への一疋献上と対応する。
追録2-No.2699 屋久島漂着異人長崎送致記事
八月二十九日、大隅国屋久島の村人が異国人一人を捕らえた。日本風の衣服を着ていたが言葉・文字は通じにくく、ローマ国のキリシタンと名乗ったと記す。薩摩側は薩州坊津を経て長崎へ送り、取調べを進めた。
追録2-No.2700 種子島久時・新納久珍・島津久當・島津久明連署書状
種子島久時ら四名が長崎奉行へ、屋久島の村に異国人一人の乗る船が漂着したと報告する。村人が船を調べ、異人を保護して鹿児島へ移し、長崎へ送る段取りを記す。異人の身体や持ち物を記した別紙も添え、今後の指示を求める。
追録2-No.2701 老中四名連署書状
井上正岑ら四名が島津吉貴へ、翌十五日は例月の御礼がなく、登城に及ばないと通知する。
追録2-No.2702 屋久島漂着異国人取扱いに関する連署書状
種子島久時・新納久珍・島津久當・島津久明が九月十七日、高橋武右衛門へ、屋久島で見つかった異国人を順風に従い長崎へ送るため、上村権兵衛に移送を、警固人・医師に随行を命じたと伝える。沖合の異国船の探索・警戒、既に差し向けた篠原喜右衛門との相談、島内や旅人の他出抑止、風聞の飛船報告等を指示する。
追録2-No.2703 異国人長崎送致に関する覚
種子島久時・新納久珍・島津久當・島津久明が九月十七日、上村権兵衛へ、屋久島の異国人を長崎へ護送する船中警固・引渡しを指示する。吉田六兵衛・川西仁右衛門ら警固人、医師馬場長軒を随行させ、望む食物は医師と相談し、酒は望んでも与えず、病気治療に努める。もし病死した際は死骸を塩詰めにして長崎へ送る。出船日和…
追録2-No.2704 長崎奉行連署返書
長崎奉行の別所播磨守・永井讃岐守が島津久明ら四名へ、屋久島の異国人を長崎へ移す手順を返答する。異国人は日本語・文字が通じないため、薩摩側の船で警固人を添えて送り、所持品と書付も引き渡すよう求める。
追録2-No.2705 異国人送致方法に関する覚
屋久島の異国人を長崎へ送る際、同道する役人・足軽、船・籠の手配、宿泊先と警固の方法を細かく取り決める。病気や食物の希望は医師に相談し、他国の者や見物人との接触を避け、所持道具の封印・引渡しも指示する。移送後は長崎から薩摩へ経過を報告するよう求める。
追録2-No.2706 異国人長崎送致に関する覚
種子島久時ら四名が町田八右衛門・高橋武右衛門へ、屋久島の異国人一人の長崎送致を命じる。異国人を呼び寄せる際の役人二人と足軽の役割を調整し、島中平日の用向きに差し支えがないようにすること、船への乗せ替えと警固を相談するよう指示する。
追録2-No.2707 島津久當書状
島津久當が町田八右衛門・高橋武右衛門へ、屋久島の異国人一人について、送致の指示書を差し出したと伝える。関係者を残らず呼び寄せて速やかに申し渡し、足軽らにも各々の指示を伝えて移送するよう命じる。
追録2-No.2708 異国人長崎送致に関する詳細覚
種子島久時ら四名が相良權大夫へ、屋久島の異国人を長崎に送るため、役人・足軽・医師・料理方を伴う船と警固の配置を細かく指示する。途中の宿泊・食物・病気への対応、所持品や書付の引渡し、見物人との接触防止を定める。船頭・水主には衣食以外の荷を積ませず、異国人の上陸や他船への移乗、酒の供与を禁じる。
追録2-No.2709 異国人長崎送致時の警固に関する覚
屋久島の異国人を長崎へ移す途中、宿泊ごとに警固人と足軽を付け、横目役らにも動向を見張らせると定める。異国人を見物人や他国の者に近づけず、病気の際は医師に相談し、所持品・書付を保管して引き渡す。宿泊場所の火の用心や逃亡防止にも言及する。
追録2-No.2710 呉國座印の印影
「呉國座印」と記された黒い印影を掲げる。書状本文や宛先はなく、図像そのものを写した項目で、前後の異国人送致に関する文書とは形式が異なる。
追録2-No.2711 島津吉貴替紋許可書
島津吉貴が島津淡路守へ、望んでいた替紋の使用を許可する。詳しい紋の形は別紙で送ると記した、御名・御判を伴う短い書状。
追録2-No.2712 島津帯刀紋所記録納置書状
島津帯刀が御記録奉行へ、島津淡路守が替紋を願い出て紋の絵形を示し、前年九月二十三日に比志島隼人を使者として御折紙を添えて拝領した経緯を伝える。紋所の絵形と御折紙の控を記録所に納めるよう指示する。
追録2-No.2713 屋久島漂着異国人に関する四名連署報告
種子島久時ら四名が長崎奉行へ、屋久島で見つかった異国人を長崎へ送るよう指示を受けたと報じる。異国人を載せた船が暴風で漂流し、湯泊村・尾野間村付近での発見と捕縛、刀や金色の品の所持、通訳を介した取調べを記す。船と警固人を整えて引き渡す方針を伝える。
追録2-No.2714 秋元喬朝書状
秋元但馬守喬朝が九月二十七日、薩摩守吉貴へ、松姫の入輿に際し屏風五双を献じた件は各人と相談して言上したと知らせる。
追録2-No.2715 屋久島漂着異国人取扱いの五名連署報告
種子島久時ら五名が島津吉貴へ、屋久島で捕らえた異国人を長崎へ送るまでの経過を詳報する。湯泊村沖で船が破損して陸に上がった異国人が刀・金色の小壺・所持品を持ち、村人との接触や食物の支給を経て警固下に置かれたと記す。通訳の難しさ、所持品の保管、船・役人・足軽の手配も報告する。
追録2-No.2716 琉球高に対する配当米の覚
琉球国の高七十二万九千五百六十三石余に対し、配当米二百十八石八斗六升八合を定めた覚。浅草の御蔵へ納める米の扱いと、銀六十六匁および従来の納入時期に言及し、複数の役人が連署する。
追録2-No.2717 長崎奉行連署返書
駒木根肥後守・別所播磨守が十月九日、薩摩家老五名へ、屋久島異国人の発見・拘置の詳報に答える。八月十八・十九日の沖船と藤兵衛らとの接触、飲水要求、刀・金属器の一時返却と所持品確認、食事給付、囲内拘置と監視、他出や刃物への注意を報告内容に即して確認する。島内探索に不審物や船が見つからなかったことを承知し…
追録2-No.2718 長崎奉行連署書状
駒木根肥後守・別所播磨守が十月九日、薩摩家老五名へ、屋久島異国人は順風がなく、まだ薩摩本土へ船が着いていないため、到着次第速やかに送るという報告を承知したと答える。阿波国から漁猟に屋久島へ来ていた七人が自船で八月十八日出漁して唐船に出会ったこと、その口問別紙二通と異国人の居所付名などが諏方甚右衛門か…
追録2-No.2719 長崎奉行連署書状
駒木根肥後守・別所播磨守が十月九日、薩摩家老五名へ、追啓を受けたと伝える。屋久島異国人の絵図のようなもの二枚と文字とも判別しがたいもの一枚を屋久島から送ったこと、さらに本人の口上の言葉を記した詳しい別紙書付を添えて送られ、それらが到来したことを知らせる。
追録2-No.2720 屋久島漂着異国人送致の五名連署書状
種子島久時・新納久珍・島津久當・島津久輝・島津久明が十月十五日、長崎奉行駒木根肥後守・別所播磨守へ、屋久島異国人の取扱い指示を承知したと伝える。阿波国から漁猟に来た船頭市兵衛・水主六人、発見に関わる藤兵衛ら五人も異国人と共に長崎へ送る予定だが、異国人は悪風のためまだ地方に到着せず渡海が遅れているので…
追録2-No.2721 近衛家熙書状
近衛家熙が島津吉貴へ、家熙方の男子誕生を祝う書状と目録記載の贈物を受け、丁重に礼を述べる。花押を伴う短い返書。
追録2-No.2722 屋久島漂着異国人送致の五名連署書状
種子島久時・新納久珍・島津久當・島津久輝・島津久明が十月二十日、長崎奉行別所播磨守・駒木根肥後守へ、異国人と警固人、発見した百姓藤兵衛・携行者、阿波国の漁人も十九日に坊津へ無事到着したと報じ、異国人と共に追って長崎へ送ると伝える。
追録2-No.2723 屋久島漂着異国人引渡しの五名連署書状
種子島久時・新納久珍・島津久當・島津久輝・島津久明が十月二十二日、長崎奉行別所播磨守・駒木根肥後守へ、屋久島で見つかった異国人一人と所持品に警固人を付け、相良権大夫長規を添えて長崎へ送ると報じる。
追録2-No.2724 異国人送致の同行者を報じる五名連署書状
種子島久時・新納久珍・島津久當・島津久輝・島津久明が十月二十二日、長崎奉行別所播磨守・駒木根肥後守へ、屋久島湯泊村の異国人を見つけた百姓藤兵衛・携行者が別紙名書のとおり到着したこと、阿波国船頭市兵衛・水主も警固五代助大夫を添えて長崎へ送ることを報じる。
追録2-No.2725 長崎奉行連署返書
駒木根肥後守政方・別所播磨守常治が十月二十五日、薩摩守吉貴へ、六日付書状を受け、屋久島の異国人一人の発見を家来から承知したと答える。城下へ到着次第長崎へ送るよう指示した件は、既に今月六日井上河内守へ申し上げてあり、今後の取扱いは追って相談すると伝える。永井讃岐守は今月三日に参府したため連名から除いた…
追録2-No.2726 長崎奉行連署書状
駒木根肥後守政方・別所播磨守常治が十月二十七日、薩摩家老五名へ、屋久島異国人に阿波国から漁猟に来た船頭市兵衛・水主六人、発見した藤兵衛と携行者らも同行させ長崎へ送るという報告を承知したと答える。異国人は悪風でまだ地方へ到着せず渡海が遅延しているが、着船次第早速送るという連絡を受領したと伝える。
追録2-No.2727 異国人所持書付に関する四名連署書状
種子島久時ら四名が永井讃岐守へ、屋久島から送る異国人の書付・絵図は文字も図像も判読しにくいと報じる。異国人の言葉や所持品についての書付三枚を別紙で差し出し、確認を求める。
追録2-No.2728 秋元喬朝書状
秋元但馬守喬朝が十月二十八日、薩摩守吉貴へ、重陽の御内書を渡すため翌日五ツ半時に家来を登城させるよう指示する。
追録2-No.2729 長崎奉行連署書状
駒木根肥後守・別所播磨守が十月二十九日、薩摩家老五名へ、二十日付連状を受けたと伝える。異国人が警固付きで十九日坊津へ無事到着し、百姓藤兵衛・携行者と阿波国漁人も同じく着津したこと、追って長崎へ送ることを承知したと答える。
追録2-No.2730 別所播磨守書状
別所播磨守が島津吉貴へ、薩摩領水引の者三人が前年長崎で悪事を働き、吉貴の指示に従って処罰された件についての書状を受けたと返答する。永井讃岐守は参府したため、今回の返書には連署しないと付記する。
追録2-No.2731 相良權大夫の異国人長崎到着・引渡し報告
琉球人の口事について、綱場から桜馬場へ移して手鎖を申し付け、その後、駒木根邸で野村源助との出会いや通詞三人による口柄の確認を行った経緯を記す。手鎖を下ろした上で両奉行へ引き渡すよう伝える。
追録2-No.2732 長崎奉行連署の異国人受領報告
駒木根肥後守・別所播磨守が島津大藏ら五名へ、相良權大夫が屋久島から差し越した異国人一人と所持品・警固人が長崎へ無事到着したと伝える。異国人と所持品を別条なく請け取った旨を相良にも申し付け、五名へ報告する。
追録2-No.2733 秋元喬朝の松姫入輿祝儀返書
秋元但馬守喬朝が十一月十九日、薩摩守吉貴へ、松姫の入輿祝儀として目録どおり献じた品を首尾よく披露したと知らせる。
追録2-No.2734 小源太の出生・養子縁組を記す系図
小源太は宝永五年十一月二十三日生まれで、母を越右膳恒渡の妹、実父を太守島津吉貴の二男と記す。正徳元年十月三日、子のない忠依の養子となった経緯を記した、忠將一流の系図記事。
追録2-No.2735 異国人・所持品受領への五名連署返書
種子島久時ら五名が駒木根肥後守・別所播磨守へ、屋久島から送った異国人一人と所持品が十一月九日に長崎で無事受領されたとの知らせに答える。相良權大夫が奉行から指示を受けたことも承知し、その内容を江戸の薩摩守へ申し伝えると述べる。
追録2-No.2736 近衛家熙の満姫病状照会返書
近衛家熙が島津吉貴へ、満姫の病状を案じて尋ねたところ、早速験気を得たとの返事を受けて喜ぶ。今後の様子も知らせてほしいと求める、花押付きの短い返書。
追録2-No.2737 異国人同行者の吟味・帰郷を知らせる長崎奉行連署書状
駒木根肥後守・別所播磨守が十一月二十九日、薩摩家老五名へ、屋久島異国人を見つけた百姓藤兵衛・携行者と阿波国船頭市兵衛・水主らが、別紙名書のとおり五代助大夫の警固で無事到着したと伝える。吟味に疑義がなく拘束の必要もないため全員を差し返したと知らせ、詳細は助大夫へ伝えたとする。
追録2-No.2738 異国人・所持品受領への長崎奉行連署返書
駒木根肥後守・別所播磨守が島津大藏ら五名へ、十一月二十六日付の返書を受けたと答える。屋久島から来た異国人一人と所持品を十一月九日に相良權大夫から別条なく請け取り、その旨を相良にも伝えたと再確認する。
追録2-No.2739 藤兵衛・市兵衛らの吟味結果に関する五名宛長崎奉行連署書状
駒木根肥後守・別所播磨守が十二月七日、薩摩家老五名へ、百姓藤兵衛・携行者と阿波国船頭市兵衛・水主らを吟味したところ疑義がなく全員に暇を与えたと知らせる。五代助大夫を召し出して伝え、昨日帰った旨を承知したと述べ、江戸の薩摩守吉貴へ詳細を知らせるよう依頼する。昨日を一行全員への帰郷命令の日付としない。
追録2-No.2740 藤兵衛・市兵衛らの帰郷了承に関する長崎奉行連署返書
駒木根肥後守・別所播磨守が十二月十八日、薩摩家老五名へ、屋久島異国人発見者の藤兵衛・携行者と阿波国船頭市兵衛・水主らを吟味して疑義がなく全員差し返し、五代助大夫に詳細を伝えた件について、薩摩側の承知した書状を受領したと答える。
追録2-No.2741 土屋政直の蜜柑二箱献上返書
土屋政直が島津吉貴へ、献上された蜜柑二箱を受け取ったと伝え、贈答への礼を述べる。
追録2-No.2742 小笠原長重の蜜柑二箱献上返書
小笠原長重が島津吉貴へ、献上された蜜柑二箱を受け取ったと伝え、贈答への礼を述べる。同じ品について土屋政直が返答した前号とは別の宛名・署名を持つ。
追録2-No.2743 仙石久尚の御本丸酒湯祝儀通知
仙石久尚が島津吉貴へ、大納言様の御酒湯を祝うため明後十五日に御本丸へ出仕できると伝える。小笠原佐渡守へ使者を出したこと、土屋相模守からも尋ねがあったことを記す。
追録2-No.2744 仙石久尚の若君誕生祝儀相談書状
仙石久尚が島津吉貴へ、若君誕生の祝儀として御祝儀物を献じたいと申し出る。西丸にいるため献上が行き届かないとの懸念を述べ、勤番の御老中へも品を贈るべきか相談する。
追録2-No.2745 本多正永・小笠原長重の歳暮祝儀返書
本多伯耆守正永・小笠原佐渡守長重が十二月二十九日、薩摩守吉貴へ、歳暮祝儀として使者をもって目録どおり献じた品を首尾よく披露したと知らせる。
追録2-No.2746 島津小源太の未川称号に関する吉貴の直書
島津吉貴が島津小源太へ、在日字として「未川」の二字を与えた花押付きの直書。編者注は、四月二十一日の島津帯刀から佐多豊前への書状を挙げ、この未川の称号について補足する。
追録2-No.2747 岩倉・梅そのの慰問消息
岩倉・梅そのが島津吉貴へ、不仕合の出来事を深く悔やみ、御懇意にしていた人のことを思って慰めを述べる。返事の形で、今後も気持ちを寄せ続けると伝える。
追録2-No.2748 徳川綱吉死去と島津吉貴の弔問・献上記事
吉貴公御譜の記事が、宝永六年正月の徳川綱吉の病状と死去、それに伴う島津吉貴の登城・弔問を記す。西丸や東叡山での儀礼、葬送と御霊壇への香奠銀五十枚の奉献、二月の別の訃報にも触れる。
追録2-No.2749 増上寺法事中の火之番免除通知
大久保加賀守が島津吉貴へ、増上寺の御法事中の火之番勤方について、四年前の戌年の法事の例に従い、家来を出す必要はないと知らせる。
追録2-No.2750 秋元喬朝の御檜重献上返書
秋元但馬守喬朝が正月十八日、薩摩守吉貴へ、御檜重一組を献じた件を披露したと知らせる。
追録2-No.2751 長崎奉行の屋久島漂着異国人取扱い返書
駒木根肥後守政方・別所播磨守常治が正月二十三日、薩摩守吉貴へ、旧臘二十二日付書状を受けたと伝える。屋久島異国人は引き取って置き、発見した者たちは長崎へ呼んで吟味したが疑わしい点がないため差し戻したことについて、薩摩国元でも承知し、その詳細を家来から吉貴へ伝えたという知らせを了解する。
追録2-No.2752 島津吉貴の起請文献上記事
吉貴公御譜が、島津吉貴が家老島津帯刀仲休を使者として、老中井上正岑らに起請文を献じた経過を記す。起請文を「三花押一」とし、伊豆・箱根・三島・八幡などの神名を挙げて誓う形式にも触れる。
追録2-No.2753 島津吉貴の忠勤・不奉公戒めの起請文
宝永六年二月五日、吉貴が六名老中へ、上様への忠勤に表裏のないこと、一門・公家・親類縁者等に野心を挟む者があれば速やかに言上して一味同心しないこと、代替に際して公儀の仕置を疎略にせず守り、琉球国が背いて邪な企てをしても荷担しないことを誓う。違背時は熊野牛王、梵天帝釈四大天王、日本諸神、伊豆箱根両所権現…
追録2-No.2754 近衛家熙の新年祝儀返書
近衛家熙が宝永六年正月二日、松平薩摩守吉貴へ、新年祝賀の書状と、目録どおりの贈り物を受けたことに謝する。自らの無事な越年を伝え、吉貴の無事を喜び、毎年の懇ろな心遣いに謝し、末永い春を期す。
追録2-No.2755 中山王遣使の先例照会と翌年献使許可を記す吉貴御譜記事
吉貴公譜は、家宣の継立に際して中山王が先例どおり江戸へ賀使を送ることについて、間部詮房が認める意向を示したため、吉貴が家老島津帯刀仲休を使者として月番執政本多正永に照会させたと記す。二月六日、仲休が留守居赤松甚右衛門則茂と正永の館を訪ね、詮房は明年の献使を先例どおりにと答えた。
追録2-No.2756 琉球中山王遣使の継続を求める薩摩守口上覚
島津吉貴側が幕府へ、琉球中山王の遣使・献上を先例どおり認めるよう求める。薩摩と琉球の旧来の関係、慶長期の服属経緯、中山王の江戸参府と献上・接遇を列挙し、中国との交易や航路の難しさ、使者の往来時期も説明する。徳川家宣への祝儀使節について早く内意を示してほしいと述べる。
追録2-No.2757 近衛家熙の新春賀辞返書
近衛家熙が島津吉貴へ、新春の賀辞と目録どおりの贈品を受け、年を重ねても心遣いを続けてくれることに礼を述べる。花押を添えた返書。
追録2-No.2758 島津周防への娘死去見舞い書状
島津吉貴が島津周防へ、娘が亡くなったことを聞き、その悲しみに同情して見舞いの言葉を送る。
追録2-No.2759 小笠原長重の葛粉一箱献上返書
小笠原長重が島津吉貴へ、献上された葛粉一箱の件を承知し、首尾よく披露すると答える。
追録2-No.2760 元服法式の官庫収蔵を記す編者記事
編者が、吉貴の元服法式は家老島津仲休が書いて官庫に収められていたため、ここに記録すると述べる。次の元服関係文書に先立つ短い導入記事。
追録2-No.2761 吉貴元服の先例と鍋三郎元服準備の書留
吉貴が登営して元服した際の作法を、家老島津仲休の蔵書から記す。厳有院・綱吉の代の国持元服における御肴・御手自・御盃の授与例を比較し、吉貴の名乗りと諱の折紙、位階、太刀目録献上、腰物・土器の授受、挨拶・退出の順序を詳記する。末尾に、この内容を書き留め、鍋三郎元服の際は事前に手配するよう島津帯刀へ命じた…
追録2-No.2762 琉球中山王の代替祝儀遣使に関する口上覚
薩摩守吉貴の口上覚。代替祝儀として琉球中山王の使者を先例どおり認め、海路難渋と季節風に配慮して早く国元・琉球へ通知したいと願う。当夏の薩州到来は不確定で、来夏参府となる場合もあるため、先祖が使者を召し連れ参勤した例、常憲院代替時に亡父が使者を伴った例を挙げ、時期に拘らず相談する。
追録2-No.2763 琉球中山王使者の早期指示を求める口上覚
島津吉貴が幕府へ、琉球中山王の代替祝儀使者を先例どおり派遣するため、早く指示を出すよう重ねて求める。海路が難しいので三月中に知らせてほしいこと、来春までに参府させる見込みを述べる。
追録2-No.2764 琉球代替祝儀使節と支配・絵図由緒書を報じる島津帯刀書状
島津帯刀仲休が三月十二日、薩摩家老五名へ、琉球中山王使者の代替祝儀を先例どおりとする照会経過を報じる。朝鮮は隣国の交好による挨拶だが琉球は先祖の武威で支配したため格別とし、琉球使者の来聘は日本の威光に関わる重要事とする。海路・風に応じ早く通知し、来夏の使者を認めた件を国元へ書き留めるよう求める。方角…
追録2-No.2765 島津吉貴の東大寺大仏殿献納記事
吉貴公御譜が、島津吉貴が南都東大寺大仏殿へ曼荼羅壇一基、什器一部、舎利塔を献納したと記す。詳しい内容は後続の書状・銘文に続く。
追録2-No.2766 東大寺大仏殿への献納を知らせる島津帯刀書状
島津帯刀仲休が龍松院公盛上人へ、東大寺大仏殿の落成を受け、島津吉貴が曼荼羅壇一基・什器一部・舎利塔を寄進すると伝える。各品の銘を書き、殿内に納めるよう依頼する。
追録2-No.2767 島津吉貴の東大寺献納品に関する銘文
島津吉貴が東大寺大仏殿への献納品に添え、聖武天皇の建立、治承の兵火、鎌倉期の再建、慶長の焼失をたどる銘文を記す。宝永期の大仏殿再興を祝い、曼荼羅壇一基と什器一部を納め、家運と子孫の安泰を祈る。
追録2-No.2768 島津吉貴の東大寺大仏殿献納品記録
島津吉貴が東大寺大仏殿の再興を祝い、曼荼羅壇一基と什器一部を献納したことを記す短い献納記録。壇に付けた銘文の末尾に当たる。
追録2-No.2769 小源太出生祝儀への島津吉貴返書
吉貴が三月二十一日、島津兵庫久季へ、奥の麻疹が治ったことを喜ぶ。旧冬の小源太出生に際する祝儀と別札の心遣いに礼を述べ、久季の無事を喜ぶ。
追録2-No.2770 島津継豊の実名・通字と字画考
継豊公御譜が、継豊の実名として「忠休」、通字として「忠」を記し、その字画と五行・命との関係を説明する。菊池武昭が三月二十六日に謹考したと記す。
追録2-No.2771 吉貴室の女使による家宣・御台君への献上記事
三月二十五日本多正永が赤松甚右衛門則茂へ、吉貴室の家宣・御台君への献上を以後女使で取り次ぐ件を、大奥女中と相談する旨の書付を渡した。四月朔日井上正岑が赤松を呼び、二日、上臈女岡村が家宣へ黄金一枚・肴一種・酒一荷、御台君へ縮緬五巻・肴一種・樽一荷を献上した。岡村は家宣に拝謁して銀十枚を賜り、御台君から…
追録2-No.2772 吉貴室の女使・献上許可を伝える本多正永書付
本多正永の家来が島津吉貴へ、吉貴の妻から御台様へ、今後は女使を差し向けて献上物を届けてよいと伝える。大奥の女中衆には相談のうえ進めるよう指示した書付。
追録2-No.2773 御台様への女使・献上に関するひでの消息
ひでが島津将監へ、薩摩守の妻から御台様・御奥様へ女中の使者を出し献上物を進める件を本多正永から伝えられ、支障はないと返答する。万事を取り計らい、詳しい差図を求めると述べる。
追録2-No.2774 女使による献上を促す川島の返事
川島が島津将監・帯刀へ、薩摩守の妻の御台様・御奥様への女使と献上物について承知したと答える。女使をもって献上すれば御台様も喜ぶだろうと述べ、本多正永が伝えた指示に従って進めるよう促す。
追録2-No.2775 岡村宛て上書見本を示すつほね消息
つほねが四月朔日、岡村へ、上様への書状の上書を、示したとおりに書くよう念のため伝える。
追録2-No.2776 女使の日程と取次を知らせるつほね消息
つほねが三月三十日、岡村へ、御二御所の機嫌のよいことを伝え、来月二日の女使について、四ツ半に上がるよう指示する。御二所への祝儀を合わせて取り計らい、使者の人だけが上へ進み御台様への祝儀を申し上げることなど、参上時の手順を伝える。
追録2-No.2777 岡村への女使取次を依頼するつぼね消息
つぼねが岡村へ、二日に御台様へ差し出す女使を八ツ少過ぎに到着させると知らせる。岡村への一人の取次役を手配するよう求め、御台様宛ての返事は心遣いによるものであると添える。前号の到着時刻の相談を具体化する書状。
追録2-No.2778 吉貴室の上様・御台様への献上品目録
吉貴室から上様へ黄金一枚・一種一荷、御台様へ縮緬五巻・一種一荷を進上する目録。四月朔日の付記に、井上河内守から、明二日に女中使をもってこのとおり差し上げるよう伝えたとある。
追録2-No.2779 女中使の取次・献上先一覧
御城へ差し上げる女中使の献上先として、八重姫・松姫・尾張中納言家・水戸中納言家・尾張姫君・貞宮などを列挙する。松平摂津守・松平加賀守・松平薩摩守の名も記し、前号の品目録とは異なり献上先の一覧を示す。
追録2-No.2780 本多正永の肴献上披露書状
本多伯耆守正永が四月朔日、薩摩守吉貴へ、肴一種の献上を首尾よく披露したと知らせる。前後に吉貴室女使の記録が並ぶが、本通には妻や女使を明記しない。
追録2-No.2781 吉貴室の女使と御礼をめぐる奥村治右衛門書状
奥村治右衛門が四月二日、島津帯刀へ、井上河内守への御礼について内々確かめたところ、先に本多正永から示されたとおり既に済んでいるため、今日改めて井上へ礼を伝える必要はないと知らせる。今後、御奥方から女中使を差し上げる件は大奥に問い合わせるのがよく、そのような際は女中使を用いるのが相当との意見を伝える。
追録2-No.2782 吉貴室の女使献上と御礼次第を詳報する書状
島津帯刀仲休・種子島弾正伊時が四月三日、国元家老四名へ、吉貴室の女使・献上手続を詳報する。三月二十五日本多正永の指示、四月朔日井上正岑の確認を経て、二日四ツ半に岡村が西丸へ参上し、豊原の取次で家宣に御目見し、八重姫・松姫らに続き上がった。一行は十六人を二段に召し出され、岡村へ銀十枚の目録、御台君から…
追録2-No.2783 島津継豊の元服と加冠・太刀授与記事
継豊公御譜が、島津継豊がこの日元服して「忠休」と名乗り、島津吉貴が加冠したと記す。相州秋廣へ長二尺三寸一分半・代金二十枚の宝刀一口を授け、家臣島津帯刀仲休には理髪への礼として上諱の一字を与えた。
追録2-No.2784 家宣代替に伴う吉貴拝礼と太刀代馬代等献上の記事
吉貴公譜は、四月二日から五日の家宣代替拝礼を記す。三日に吉貴が登営し、太刀一腰〈備前国綱代金十五枚〉・御馬一疋〈代金二十両〉を献じて着座し、井上正岑と間部詮房の館へ礼に赴く。六日、若松彦兵衛久亀を使者として御台君へ白銀三十枚・箱肴一種、竹姫へ白銀二十枚を進上する。
追録2-No.2785 家宣代替御礼の出仕・馬代献上次第
島津帯刀仲休・種子島弾正伊時の四月三日付口上覚。家宣代替御礼は二日から始まり、三日六ツ時過ぎ吉貴が登城し、大広間で太刀・馬代を献じ、老中・若年寄らへの挨拶と太刀目録引渡しを行う手順を記す。太刀は備前国綱代十五枚、馬代は大判金一枚とし、常憲院代替時の寛陽院からの太刀献上先例を挙げる。退城後櫻田屋敷と諸…
追録2-No.2786 小源太の称号「未川」と折紙の授受を記す覚
島津帯刀仲休が佐多豊前へ、小源太の名を新たに「未川」と称する折紙を吉貴から受けたと知らせる。折紙を御記録所へ納めること、先月二十一日に三宅本兵衛・武市郎兵衛を介して授受した経過を記す。
追録2-No.2787 吉貴夫人の相州湯本湯治と随行者記事
病気の吉貴夫人の相州湯本湯治について、吉貴が井上正岑を通じて願い、将軍宣下賀儀の後に許可を得る。四月十一日、御台君が餞別に御袷十・干鯛一箱を贈り、十三日江府を発ち二十日湯本着。侍女・医師・諸役・軽士四十余人に加えて足軽六十八人が同行した。三十日湯治し、五月二十日湯本を辞して二十五日江府へ帰る。
追録2-No.2788 湯治と御台様の餞別を伝える女中五名連署返事
豊原・ときは井・たかせ・とみ岡・川しまが四月十一日、島津監物・島津帯刀へ、御二所の機嫌を喜び、奥様の湯治に際して御台様から御袷と肴を餞別に下さることを知らせる。御礼の書状は御つほねからの指示どおりに申し上げるよう求める。
追録2-No.2789 吉貴室湯治餞別に関するひて・つほね連署返事
ひて・つほねが四月十一日、島津監物・島津帯刀へ、御二御所の機嫌を喜び、奥様の湯治に際し御台様からの餞別と御袷の目録について知らせる。御礼の書状は別に披露すると述べ、よろしく伝えるよう求める。川しま署は前No2788の続きで、本条の差出人から除く。
追録2-No.2790 吉貴の大雄山仏日寺・南泉院建立記事
吉貴公御譜が、島津吉貴が祖父光久・父綱貴の遺志を継ぎ、東照大権現を祀る寺として大雄山仏日寺と南泉院を建立した経緯を記す。吉野山の候補地から宮地への変更、六月の普請開始、八月の地鎮、九月の上棟、十月の立柱など造営の節目も挙げる。
追録2-No.2791 本文を伴わない「正文在文庫」の標示
「正文在文庫」の標示を掲げる項目で、文書本文は掲載されていない。
追録2-No.2792 近衛家熙の季節の賀辞と贈品への返書
近衛家熙が孟夏十三日、薩摩少将吉貴へ、春の書状を受けて吉貴の平安を喜び、こちらも無事と伝える。太刀一腰・馬一疋と、調合した薫物二香合を贈ると知らせ、残りは口上に託す。
追録2-No.2793 近衛基熙の吉貴宛て太刀馬薫物贈答書状
近衛基熙が初夏十三日、松平薩摩守吉貴へ、改年の祝書を受けて吉貴の堅固を願い、自らの無事を伝える。太刀一腰・馬一疋と調合した薫物二香合を贈り、残りは口上に託す。
追録2-No.2794 近衛家久の東行・江戸到着報告返書
近衛家久が島津吉貴へ、東行の道中で送られた二種の贈品を受けて喜び、この夕刻に江戸へ着いたと知らせる。いずれ江府で直接礼を述べたいが、今は慌ただしく詳しく書けないと断る花押付き書状。
追録2-No.2795 井上正岑の香具品々・御肴一種献上返書
井上河内守正岑が四月二十一日、松平薩摩守吉貴へ、香具品々と肴一種の献上を首尾よく披露したと知らせる。
追録2-No.2796 吉貴室の湯治出立をめぐる女中連署返事
ひて・つほねが四月二十三日、島津将監・島津帯刀へ、御二御所の安否を喜ぶ。左大将が初めての旅行を道中無事に終えて今日着いたことを喜び、その祝意を披露すると伝える。
追録2-No.2797 徳川家宣の将軍宣下と島津吉貴の祝賀記事
五月朔日、家宣が正二位内大臣・征夷大将軍兼右近衛大将等に任じられた。諸侯は十一日から十三日に登城拝礼し、吉貴は十二日に登城して太刀一腰・馬代黄金二十両を献じる。十五日には将軍宣下賀儀の猿楽があり、吉貴は招きに応じて見物した。