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追録2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,207件中 801~900件・9 / 33ページ

  1. 追録2-No.797 鳥居忠英室久消息

    鳥居播磨守内の久が松平修理大夫へ、六月二十一日付の書状に謝し、道中無事に国許へ着いたと聞いて喜ぶ消息。こちらでは御母様・中将様をはじめ、おミつ・五もしも健勝と伝える。内膳が戻った際には、こちらの様子を詳しく聞いてほしいと宛先に頼む。

  2. 追録2-No.798 進藤長房外三名連署書状

    進藤筑後守長房ら近衛家諸大夫が新納美作久珍へ、中将島津綱貴が亀姫と近衛家久の縁組を了承し、蓮光院から委細を聞いて近衛基熙・家熙父子が大いに喜んだと伝えた連署状。陽和院の意向も了承したが、公儀へ願い出る前なので正式な返書は遠慮し、蓮光院との対面で口上を伝えたため、その趣旨を心得るよう求める。

  3. 追録2-No.799 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、歳暮の佳祥として使書を差し越し、恒例どおり目録記載の贈物を念入りに贈ったことを喜び、後便を期すと返した書状。

  4. 追録2-No.800 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、前年の虎房誕生に際し、祝詞と別録記載の贈物を送った心遣いを喜び、謝意を伝えた書状。

  5. 追録2-No.801 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、当年の嘉事を祝う書状と目録記載の贈物を念入りに送ったことを喜び、後便を期すと返した書状。

  6. 追録2-No.802 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、前年の虎房出生に際し、祝儀として別録記載の贈物を送った心遣いを喜び、謝意を伝えた書状。

  7. 追録2-No.803 島津吉貴書状

    松平修理大夫島津吉貴が中将島津綱貴へ、重陽祝儀として目録記載の品を下され、末永く拝受すると述べて礼を伝えた書状。

  8. 追録2-No.804 綱貴、浅野綱長ト増上寺火番ニ任セラル

    秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武の老中四名が奉書を下し、島津綱貴を芸州広島城主松平安芸守浅野綱長とともに増上寺の火番へ任じた記事。

  9. 追録2-No.805 阿部正武外三名連署状

    老中四名が松平薩摩守へ、松平安芸守が増上寺の火之番を命じられたので相談するよう指示した連署状。本条で火番を命じられたと明記する対象は安芸守であり、綱貴への新規任命と取り違えない。

  10. 追録2-No.806 島津綱貴書状

    薩摩守島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、海陸無事に六月二十一日鹿児島へ到着したことを喜び、帰国御礼使者の島津内膳が江戸で首尾よく役目を済ませたと伝えた書状。当地の一門も皆無事なので安心するよう知らせる。

  11. 追録2-No.807 島津綱貴書状

    薩摩守島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、海上無事に国許へ到着したことを喜び、当地の一門も皆無事なので安心するよう伝えた書状。到着祝いとして目録記載の品を贈る。

  12. 追録2-No.808 島津綱貴書状

    中将島津綱貴が琉球国司へ、虎房丸出生の祝詞と別録記載の贈物を送ったことに対し、過分の心遣いであるとして謝意を伝えた書状。

  13. 追録2-No.809 島津綱貴書状

    中将島津綱貴が琉球国司へ、年始の祝詞のため使書を差し越し、嘉例どおり目録記載の贈物を送ったことに謝意を述べ、後便を期した書状。

  14. 追録2-No.810 島津綱貴書状

    中将島津綱貴が琉球国司へ、寅年に大清国へ遣わされた進貢使野里親雲上が北京で任務を首尾よく終えて帰帆したとの報告を披見し、その使者と目録記載の贈物を送ったことを喜んだ書状。

  15. 追録2-No.811 島津綱貴書状

    中将島津綱貴が佐敷王子へ、虎房丸出生の祝儀として目録記載の贈物を送ったことを喜び、謝意を伝えた書状。

  16. 追録2-No.812 島津綱貴書状

    綱貴が近衛家諸大夫四人へ、新納美作宛書状を拝見し、縁組について陽和院の内意を蓮光院が口上で伝え、関白・右府が満悦と聞いて喜ぶ旨を返した書状。公儀へ願う前なので両公が書状を控えたとの判断をもっともとし、詳しくは蓮光院へ両公が直接口上を伝えた由を承知して謝す。その旨を両公へ取り次ぐよう頼む。

  17. 追録2-No.813 綱貴国絵図調進ノ事ヲ日向諸家ニ達ス

    島津綱貴が江戸滞在中、国絵図調進の件を日向国の諸家へ通達し、薩摩藩からも日向国延岡へ使者を派遣したことを記す記事。具体的な通達内容は後続の口上・達書に続く。

  18. 追録2-No.814 日州諸家へ触ノ口上

    島津綱貴が日向諸家へ、諸国絵図改訂に伴い日向国の清絵図を島津家が調製するため、各領内絵図を国元へ送るよう求めた口上。国境・村境を吟味して三枚の絵図を提出し、薩摩・大隅・日向の絵図と照合して差異を改め、関係役人が江戸・鹿児島・日向間で受渡し・相談する手順を示す。

  19. 追録2-No.815 島津綱貴達書

    島津綱貴が島津左京へ、日向国清絵図調製のため佐土原領の絵図を作り鹿児島へ送るよう命じた達書。境界変更や相違を検査して絵図三枚を提出し、琉球検使帰帆後に関係役人が照合・修正すること、赤松甚右衛門らを介する送達手順を示す。

  20. 追録2-No.816 島津綱貴達書

    島津綱貴が島津主税へ、日向国清絵図調製のため領分絵図を作って鹿児島へ送り、国境・村境の変地や相違を検査するよう命じた達書。絵図三枚を提出し、日向・薩摩・大隅の絵図と照合して必要な修正を行い、赤松甚右衛門を介して送達・返答する手順を示す。

  21. 追録2-No.817 島津綱貴達書

    島津綱貴が相良遠江守へ、預り所の椎葉山について日向国絵図を早く調製し、鹿児島へ送るよう命じた達書。領地境界の相違を記して絵図三枚を提出し、薩摩・大隅・日向の絵図と照合・修正したうえで、赤松甚右衛門を介して受渡し・返答する手順を示す。

  22. 追録2-No.818 島津綱貴達書

    島津綱貴が伊東主殿へ、日向国清絵図調製のため領内絵図を国元へ送り、国境・村境の変地や相違を検査するよう命じた達書。絵図三枚を提出して日向・薩摩・大隅の絵図と照合・修正し、赤松甚右衛門を介して送達・返答する手順を示す。

  23. 追録2-No.819 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が幕府へ、清国唐船一艘・乗員四十六人が先月十一日に屋久島湯泊浦へ漂着したため、番船を付けて固く警固し、城元から警固役と曳船を差し向けて移送する予定だと報告した口上覚。現地到着後、引取り次第を改めて報告すると述べる。

  24. 追録2-No.820 島津吉貴書状

    松平修理大夫島津吉貴が中将島津綱貴へ、重陽祝儀として目録記載の品を下され、末永く拝受すると述べて礼を伝えた書状。

  25. 追録2-No.821 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴から献上された硯箱と文台が内々に無事披露されたと知らせた書状。

  26. 追録2-No.822 喜入久亮外二名連署書状

    喜入久亮・種子島久時・肝付久兼が延岡の戸村惣右衛門・久見崎吉左衛門へ、諸国絵図改訂に伴い、中川因幡守方から江戸の薩摩藩留守居へ届いた日向・豊後国境絵図と添付書類を使者に持参させたと通知した連署書状。詳しくは使者の口上で伝えるとする。

  27. 追録2-No.823 島津久輝書状

    島津中務久輝が伊野波親方へ、年始の祝儀として侍従へ進上した練蕉布三端が首尾よく披露されたと知らせた書状。

  28. 追録2-No.824 延岡へ使者口上覚

    島津綱貴の使者岩山金左衛門が延岡藩へ、日向国清絵図作製に際し、中川因幡守家から江戸の薩摩守屋敷へ届いた豊後・日向国境絵図を両家で突き合わせ、相違があれば申し出るよう求めた口上覚。境絵図は松平遠江守の指示で両家の絵図役人が江戸で吟味し、用件は江戸で相談できるとも伝える。

  29. 追録2-No.825 島津綱貴達書

    島津綱貴が秋月式部種封へ、諸国絵図改訂で日向国清絵図を島津家が調製するため、秋月領の絵図を国元へ送るよう命じた達書。境界変更などを検査した絵図三枚を用意し、琉球検使の帰着後に日州・琉球の下絵図と同時に江戸へ差し出せるよう調製すること、関係役人が赤松甚右衛門を介して相談・受渡しすることを示す。

  30. 追録2-No.826 島津綱貴達書

    島津綱貴が今井九右衛門へ、諸国絵図改訂で日向国清絵図を島津家が調製するため、日州の幕府支配所の絵図を調えて国元へ送るよう命じた達書。境界変更などを検査した絵図三枚を作り、日州・琉球の下絵図と同時に江戸へ出せるよう調製し、赤松甚右衛門を介して相談・受渡しするよう求める。

  31. 追録2-No.827 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が幕府へ、唐船一艘・乗員六十一人が先月二十九日に薩摩国甑島へ漂着し、船が破損したため家臣が長崎奉行衆へ直ちに届け出たと報告した口上覚。唐船を長崎へ送り届け、引渡しが済み次第を改めて報告すると述べる。

  32. 追録2-No.828 阿部正武外三名連署状

    秋元但馬守・小笠原佐渡守・土屋相模守・阿部豊後守が松平薩摩守へ、翌十五日は例月の御礼がないため登城に及ばないと通知した連署状。署名は役名のみで、本条に諱の記載はない。

  33. 追録2-No.829 戸村愛忠外十一名連署書状

    戸村愛忠・九津見定春ら延岡藩家臣十二名が喜入久亮・種子島久時・肝付久兼へ、中川因幡守家から江戸の薩摩藩留守居へ送られた日向・豊後国境絵図について、添付書類と使者の口上を承知したと返した連署書状。絵図と添付書類は写しを留めて返送し、詳しい返答は後日伝えるとする。

  34. 追録2-No.830 安藤重玄書状

    安藤筑後守重玄が松平薩摩守島津綱貴へ、尾張大納言の逝去に伴う機嫌伺いのため、翌二十日四時に登城するよう通知した書状。別紙の対象者には各自で知らせ、近隣へも通達するよう求める。

  35. 追録2-No.831 戸村愛忠外十一名連署書状

    戸村愛忠・九津見定春ら延岡藩家臣十二名が喜入久亮・種子島久時・肝付久兼へ、日向・豊後国境絵図と添付書類、使者の口上を承知したと返した連署書状。併せて、七月に指宿郡の船頭が難風で破船し、延岡領尾末村で番人や村人の助力を受けた件について、薩摩側役人から照会と贈物があったことに礼を述べる。

  36. 追録2-No.832 近衛家熙書状

    近衛家熙が松平薩摩守島津綱貴へ、家熙の娘の縁組について相談を受け、祝賀の書状と目録記載の贈物を受け取ったことを喜び、懇意に謝した書状。

  37. 追録2-No.833 種子島久時・肝付久兼連署書状

    種子島久時・肝付久兼が延岡の戸村惣右衛門・久見崎吉左衛門・伴浅右衛門へ、日向・豊後国境絵図に関する返書を江戸留守居へ送ると答えた連署書状。指宿郡の船頭が難風で破船した際、延岡領尾末村の番人や村人が世話をしたことについて、関係者への礼を取り次いだ相手方の配慮にも謝意を述べる。

  38. 追録2-No.834 某伺書

    諸国絵図改訂に際し、薩摩国の郡数の相違を下絵図に付紙でどう注記すべきかを尋ねた伺書。正保年間の絵図では古来の伝承どおり知覧郡を含む十四郡としたが、寛文四年の御目録では知覧郡が給黎郡へ付属され十三郡となった経緯を示し、記載方法の指示を求める。

  39. 追録2-No.835 薩摩国ヲ十三郡トナス

    薩摩国は古来、鹿児島・谿山・給黎・知覧・揖宿・頴娃・河辺・阿多・日置・薩摩・伊佐・出水・高城・甑島の十四郡とされ、正保年間の国絵図もこれに従ったと記す記事。寛文四年・貞享元年の処置で知覧郡を給黎郡へ属させ、御判物の目録を十三郡としたため、今回の絵図も正保図を改め薩摩国十三郡として調進した経緯を説明す…

  40. 追録2-No.836 神宮寺純正ほか二名連署書状

    神宮寺純正・町田久置・伊集院久美の三名が嶋主計と与力衆へ、諸国絵図改訂に伴う日向国の用務を貴殿に命じられたと江戸から知らされ承知した、と答えた連署状。当方の絵図を正保年間に公儀へ提出したとおりに調え、追って使者により申し上げる予定と伝える。

  41. 追録2-No.837 阿部正武外三名連署奉書

    秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武が松平修理大夫へ、公方の健勝への恐悦はもっともだとし、使者に参勤時期を伺わせた件を高聞に達したところ、来年三月中に参府するよう命じられたと伝えた連署奉書。

  42. 追録2-No.838 島津吉貴書状

    松平修理大夫島津吉貴が中将島津綱貴へ、娘の出生祝いとして目録記載の品を下されたことに謝し、礼使を立てて書録記載の返礼品を進上した書状。この書は綱貴公御譜中には収載されていないとの注記がある。

  43. 追録2-No.839 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が幕府へ、先に報告した帰唐船一艘・乗員六十一人を国元の家臣が長崎奉行衆へ送り届け、相違なく引き取られたとの報告が国元から届いたと申し上げた口上覚。甑島漂着を報告した先行文書に続く、長崎での引渡し完了報告である。

  44. 追録2-No.840 島津綱貴書状

    薩摩守島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、吉貴が参勤時期を伺った結果、翌年三月中に参府するよう命じられたことを祝った書状。寒さに向かう時節なので健康に過ごすよう気遣う。

  45. 追録2-No.841 島津綱貴書状

    綱貴が松平修理大夫へ、寒気に向かう中での無事を願い、来年の参勤時期を伺ったところ三月中に参府するよう命じられたことを喜び、当地一門も無事と伝えた書状。この草案説を確定した書類性格とはしない。

  46. 追録2-No.842 菊池新三郎覚書

    菊池新三郎が菊池藤助へ、九月四日に林大学頭を訪ねた際、島津家譜略は石野八兵衛からまだ届かず清書中だと答えたことを報告した覚書。島津忠久が源頼朝の子であることを『吾妻鏡』だけでは確認しにくいとの問いに対し、奥州陣や畠山重忠に関する記事などを含む系図を後世に残すべき重宝として念入りに整える趣旨を伝える。

  47. 追録2-No.843 菊池藤助覚書

    菊池藤助が、島津家譜略の序文草案二通を林大学頭へ持参し、家紋の由来と文章の直し方について相談した経過を記した覚書。清和天皇から源氏へ与えられた二引両を源頼朝が用い、島津忠久が縦横に組み替えて十字紋としたとの伝承を説明し、林大学頭の批評に基づく字句の入替えや、深尾権左衛門との協議を記す。

  48. 追録2-No.844 秋元喬朝書状

    秋元但馬守喬朝が松平薩摩守島津綱貴へ、重陽の御内書を渡すため、翌日五半時に家来を江戸城へ差し出すよう命じた書状。

  49. 追録2-No.845 泥谷長規・小坂昌朝連署請書

    泥谷長規・小坂昌朝が島津久輝・島津忠守・喜入久亮・種子島久時・肝付久兼へ、江戸で薩摩守から領分絵図調製を命じられたとの長門守の連絡を受け、在所で絵図を書き調え、完成次第役人に持参させると答えた連署請書。相違があれば指示してほしいと求める。

  50. 追録2-No.846 島津綱貴口上書

    島津綱貴が高木伊勢守・藤堂伊予守へ、薩摩・大隅・日向の私領で猪・鹿・狼が増え田畑を荒らし、落し鉄砲でも被害が止まらないため、大久保加賀守へ申し出たうえで鉄砲による駆除を願った口上書。使用する鉄砲の挺数を書き付け、証文をもって報告するとする。

  51. 追録2-No.847 島津久輝外四名連署書状

    島津久輝・島津忠守・喜入久亮・種子島久時・肝付久兼が泥谷長規・小坂昌朝へ、領分絵図の調査について、長門守の帰着後に絵図を薩摩守方へ提出すると承知したと返した連署書状。絵図調製は幕府提出に関わるため遅れないよう早く差し出し、代替措置や相談事項があれば互いに連絡するよう求める。

  52. 追録2-No.848 伊集院久美外十一名連署請書

    伊集院久美ら十二名が肝付主殿久兼へ、日向国絵図の調製を命じられ、江戸から使者を出して指図を受けるよう連絡があったため、春成与五左衛門・上山郷右衛門を差し出したと報告した連署請書。両名へ万事適切な指導をしてほしいと依頼する。

  53. 追録2-No.849 泥谷長規・小坂昌朝連署請書

    泥谷長規・小坂昌朝が島津久輝・島津忠守・喜入久亮・種子島久時・肝付久兼へ、先の相談どおり領分絵図を調え、役人に持参させたと報告した連署請書。長門守が在府中のため五名へ直接伝え、使者にも詳しい事情を含ませ、適切な指図を願う。

  54. 追録2-No.850 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が幕府へ、九月十一日に領内屋久島へ碇泊した寧波出帆の来朝唐船一艘を、警固を付けて長崎へ送り、十二月五日に異状なく受け取られたとの国元報告が届いたと申し上げた口上覚。

  55. 追録2-No.851 伊東祐秋外三名連署請書

    伊東祐秋・川崎祐昌・山田宗成・伊東祐周が肝付主殿久兼へ、日向国絵図調製に伴い、大和守領分の下絵図を照合するため在地の絵図役人を派遣し、江戸から来た二使者とも相談させると答えた連署請書。薩摩側の本図担当者や調製方法を教示し、完成図を早く提出できるよう指図してほしいと求める。

  56. 追録2-No.852 島津久輝外四名連署書状

    島津久輝・島津久當・喜入久亮・種子島久時・肝付久兼が伊集院久美・町田久置・神宮寺純正へ、日向国絵図を薩摩側で調製する命令に従い、指図を受けるため江戸から差し越された二使者の用件を承知したと返した連署書状。詳しい内容は島津主税から二使者へ申し含めたため省略するとする。

  57. 追録2-No.853 島津吉貴書状

    松平修理大夫島津吉貴が中将島津綱貴へ、例年どおりの献上に用いる桜島蜜柑と美鱗を下されたことに謝意を述べた書状。この書は綱貴公御譜中には収載されていないとの注記がある。

  58. 追録2-No.854 島津綱貴書状

    島津綱貴が小笠原佐渡守長重へ、私領内の桜島蜜柑二箱と御肴一種を献上し、首尾よく披露されたとの奉書を拝見したと答えた書状。

  59. 追録2-No.855 島津綱貴口上覚

    島津綱貴が幕府へ、朝鮮船一艘・乗員五十四人が十二月八日に領内屋久島一湊へ漂着したと報告した口上覚。船は本国を十一月二十三日に商売のため出帆したが難風で艤具を失い、飢えと渇きに苦しんだため一湊に滞船しており、番船を付け、支度が整い次第警固付きで長崎へ送ると長崎奉行へ通知した。

  60. 追録2-No.856 島津忠守外三名連署書状

    島津忠守・喜入久亮・種子島久時・肝付久兼が泥谷長規・小坂昌朝へ、調製した領分絵図を使者に持参させたことを承知し、薩摩側の絵図役人から使者へ詳しい指示を伝えたと返した連署書状。島津中務久輝は相談に同席していないため書面に載せなかったとの追記がある。

  61. 追録2-No.857 亀姫娘近衛家久トノ婚姻ヲ許

    島津綱貴の娘亀姫と近衛家久の縁組について、元禄十三年十二月二十一日に書面で将軍徳川綱吉へ願い出て、同月二十六日に許可を受けたことを記す記事。

  62. 追録2-No.858 島津綱貴願書

    松平薩摩守島津綱貴が幕府へ、由緒ある近衛大納言家久と自分の娘亀姫との縁組を許可してほしいと願い出た願書。

  63. 追録2-No.859 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平薩摩守島津綱貴へ、綱貴から献上された蜜柑二箱と御肴一種を首尾よく披露したと知らせた書状。

  64. 追録2-No.860 伊東祐秋外三名連署書状

    伊東祐秋・川崎祐昌・山田宗成・伊東祐周が島津久輝ら五名へ、大和守領内の二か村は旧来伊東主膳の分地だったため正保国絵図では自家の図に入れたが、近年幕府領となり代官今井九右衛門の支配所になったと説明した連署書状。今井の転任と後任への引継ぎを控え、二か村を今回の絵図から除くには後任代官との相談と境界合意が…

  65. 追録2-No.861 阿部正武外三名連署状

    阿部正武・土屋政直・小笠原長重・秋元喬知が松平薩摩守島津綱貴へ、御用があるため翌二十六日四時に登城するよう命じた連署状。

  66. 追録2-No.862 戸村愛忠外二名連署書状

    戸村愛忠・九津見定春・伴良錦が島津久輝ら六名へ、諸国絵図改訂に伴い中川因幡守方から江戸の薩摩留守居衆へ送られた日向・豊後国境絵図と、薩摩側使者の口上を承知したと返した連署書状。絵図を預かり、自領分の絵図を調製した後に改めて返答すると伝える。

  67. 追録2-No.863 伊集院久美外二名連署書状

    伊集院久美・町田久置・神宮寺純正が島津久輝ら六名へ、寒中の無事を祝い、絵図の件で誠方次郎左衛門を通じて受けた申入れと島津主計からの詳細を承知したと返した連署書状。内容を左京へ伝え、こちらの絵図が完成次第知らせると述べ、詳しくは次郎左衛門から伝達するとする。

  68. 追録2-No.864 伊集院久美外二名連署書状

    伊集院久美・町田久置・神宮寺純正が島津主計忠雄へ、家老衆から絵図の件で誠方次郎左衛門が派遣され、絵図二枚と口上の内容を承知したと返した連署書状。内容を左京へ伝え、絵図を指示どおり調製して完成次第知らせると述べ、詳しくは次郎左衛門から伝達するとする。

  69. 追録2-No.865 徳川綱吉御内書

    将軍徳川綱吉が薩摩中将島津綱貴へ、歳暮の祝儀として小袖五重が届いたことを喜び、詳しくは阿部豊後守正武から述べさせると伝えた御内書。

  70. 追録2-No.866 戸村愛忠外二名連署書状

    戸村愛忠・九津見定春・伴良錦が島津久輝ら六名へ、前年末の日向・豊後両国境絵図の件で遠路使者を派遣されたことに礼を述べた連署書状。詳細は追って使者を通じて伝えるが、まず謝意を申し述べるとする。

  71. 追録2-No.867 泥谷長規・小坂昌朝連署書状

    泥谷長規・小坂昌朝が喜入久亮・種子島久時・肝付久兼へ、自領分の絵図を前年末に使者が持参した際、薩摩側の役人から懇切な指示を受け、滞在中にも種々の馳走を受けたと使者から聞いたため謝意を述べた連署書状。詳しくは長門守へ伝えたとする。

  72. 追録2-No.868 島津綱貴書状

    薩摩守島津綱貴が松平修理大夫島津吉貴へ、新年を祝って吉貴の無事な越年を喜び、自身も一門も変わりなく越年したと伝え、例年どおり祝いのしるしを贈った書状。綱貴公御譜には収載されていないとの注記がある。

  73. 追録2-No.869 近衛基熙書状

    近衛基熙が薩摩中将島津綱貴へ、新年を祝い、孫の亜相近衛家久の縁組がまとまったことを大いに喜び、数代にわたる由緒がいっそう深まったとの感慨を伝えた書状。近衛家の花押を備える。

  74. 追録2-No.870 近衛家熙書状

    近衛家熙が薩摩中将島津綱貴へ、新年を祝い、代々の旧好が深いため嗣子近衛家久の縁組を懇望したところ、希望どおり相談がまとまったことを喜んで知らせた書状。近衛家の花押を備える。

  75. 追録2-No.871 新納久珍覚書

    新納久珍が川上式部へ、島津淡路守惟久への十年賦銀八百五十六貫のうち、去辰年暮の八十五貫六百目を、小判金・一歩金と銀で大坂にて十二月二十六日に受領し、伊地知五兵衛の二十七日付書状で報告を受けたと伝える。換算は小判一両五十八匁。銀がないため金で納めることを認めつつ、当年十二月以降は五十八匁より高値で換え…

  76. 追録2-No.872 伊集院久美外二名連署書状

    伊集院久美・町田久置・神宮寺純正が島津久輝ら六名へ、佐土原絵図の件で前年末に誠方次郎左衛門を派遣されたことに謝意を述べた連署書状。今度は富田六郎左衛門を差し越し、詳細は島津主計へ申し上げたと伝える。

  77. 追録2-No.873 石井行豊書状

    石井宮内卿行豊が、宛所を記さず、新春を祝い、相手の勇健な越年を願うとともに、自身も無事に年を重ねたと伝えた年頭の書状。

  78. 追録2-No.874 石井行康書状

    石井侍従行康が松平薩摩守島津綱貴へ、新春を祝い、綱貴が健やかに越年したことを喜んで祝詞を送った書状。

  79. 追録2-No.875 島津久當外三名連署書状

    島津久當・島津忠守・種子島久時・肝付久兼が伊集院久美・町田久置・神宮寺純正へ、前年末に絵図使者を送った際の返答を承知したと伝えた連署書状。富田六郎左衛門を派遣し、詳細を島津主計へ伝えたとの連絡も了承したとする。

  80. 追録2-No.876 伊集院久美外二名連署書状

    伊集院久美・町田久置・神宮寺純正が島津主計忠雄と御与力衆へ、自領絵図のため前年末に誠方次郎左衛門が届けた手本絵図と書付に謝意を述べた連署書状。米良主膳方と照会・相談し、富田六郎左衛門に絵図を持参させたので、適切に指示してほしいと依頼する。

  81. 追録2-No.877 阿部正武外三名連署状

    秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直・阿部豊後守正武が松平修理大夫へ、年頭祝儀として使者により献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく披露したと連署で報告する。

  82. 追録2-No.878 吉貴参勤ス

    島津吉貴が参勤のため正月十三日に国元を発ち、家老島津中務久輝、用人村田善太夫経智・堀四郎右衛門興昌らを伴って九州を進み、正月晦日に豊州大里から乗船、二月十三日に大坂、十八日に伏見へ着き、二十一日に伏見を発って濃州路を経て三月十日に江戸へ到着した記事。同月十五日に登城して将軍徳川綱吉へ拝謁し先例の贈物…

  83. 追録2-No.879 島津綱貴書状

    島津綱貴が進藤筑後守長房へ、関白基熙の書状を拝見し、健やかな越年と年頭祝詞を喜んだと伝える。大納言家久と自分の娘との縁組が願いどおり許され、関白も喜んでいる旨を承知して謝し、その意を取り次ぐよう頼む。次のNo880は右府家熙の書状に応じた別の取次依頼である。

  84. 追録2-No.880 島津綱貴書状

    島津綱貴が進藤修理亮長之へ、右府家熙の書状を拝見し、健やかな越年と年頭祝詞を喜んだと伝える。大納言家久と自分の娘との縁組が願いどおり許され、右府も喜んでいる旨を承知して謝し、その意を取り次ぐよう頼む。前のNo879は関白基熙の書状に応じた取次依頼であり、本条の右府と区別する。

  85. 追録2-No.881 島津忠雄書状

    島津主計忠雄が伊集院久美・町田久置・神宮寺純正へ、肥後国米良主膳領との境を照合して調製した境絵図を富田六郎左衛門に持参させた件について、絵図面は妥当だと認めた書状。ただし江戸から新たな連絡があったため絵図に張紙を付けて返し、その内容を調べて急ぎ報告するよう命じ、詳細は富田に申し含めたとする。

  86. 追録2-No.882 近衛家熙書状

    近衛家熙が薩摩侍従島津吉貴へ、新年の書状を読み、吉貴が無事に越年したことを喜び、家熙側も同様に無事だと伝えた書状。目録記載の贈物に対する謝意を述べ、近衛家熙の花押を備える。

  87. 追録2-No.883 近衛家久書状

    近衛家久が薩摩侍従島津吉貴へ、新春の書状を受け取り、吉貴が無事に越年したことを喜び、自身の側も同様だと伝えた書状。目録記載の贈物を受けたことに満足したと述べ、近衛家久の花押を備える。

  88. 追録2-No.884 泥谷長規・小坂昌朝連署書状

    泥谷長規・小坂昌朝が島津忠守ら四名へ、江戸で日向国と豊後・肥後国との境絵図を急ぎ調製するよう命じられたため、絵図役人派遣の求めを承知したと返した連署書状。米良領との肥後国側境界が不明なため、米良主膳と相良遠江守の役人へ照会し、十八日に派遣した役人の帰着を待っており、境絵図役人の出発は五~七日ほど遅れ…

  89. 追録2-No.885 戸村愛忠外二名連署書状

    戸村愛忠・九津見定春・伴良錦が島津忠守ら四名へ、江戸での境絵図調製に伴う絵図役人派遣の要請を承知し、自領境を改めてから役人を送ると答えた連署書状。薩摩側役人から詳しい指示を受けたいと求め、前年末に使者が届けた日向・豊後国境突合絵図は引き続き預かり、役人派遣時に返答すると伝える。高鍋・佐土原にも通知し…

  90. 追録2-No.886 泥谷長規・小坂昌朝連署書状

    泥谷長規・小坂昌朝が島津忠守ら四名へ、米良領との境を相談するため相良遠江守の役人方へ遣わした使者が二十五日に帰ったが、なお不明点があり、相良方から二月三日に返答するとの連絡があったと報告した連署書状。国境は重要であるため、その返答を得て境界が明確になるまで絵図役人を派遣しにくいと説明する。

  91. 追録2-No.887 戸村愛忠外二名連署書状

    戸村愛忠・九津見定春・伴良錦が島津忠守ら四名へ、自領境の下絵図が二月中旬に完成する見込みなので、その時に絵図役人を派遣して薩摩側の指示を受けたいと伝えた連署書状。ただし薩摩側の用務が遅れるなら、下絵図完成前でも直ちに役人を派遣するため、返答を求める。

  92. 追録2-No.888 伊集院久美外二名連署書状

    伊集院久美・町田久置・神宮寺純正が島津主計忠雄と御与力衆へ、富田六郎左衛門に持参させた肥後・日向国境絵図の下書への指示を受け、念のため米良主膳方へ双方立会いの境界見分を申し入れたと報告した連署書状。相良遠江守方からの返答待ちとなったため、春成五左衛門と上山郷右衛門の派遣を延期し、米良方の返事が届き次…

  93. 追録2-No.889 春成久珍・上山頼寛連署書状

    春成久珍・上山頼寛が村田平右衛門ら三名へ、肥後・日向国境絵図の下書への指示を受け、米良側役人と現地で境を確認して別条がないとの証文を取り交わすよう米良主膳方へ申し入れ、相良遠江守の返答を待つため出発が遅れていると説明した連署書状。初瀬村という村はなく三納村内の長谷山を指す可能性があること、平野村は平…

  94. 追録2-No.890 近衛家熙書状

    近衛家熙が薩摩中将島津綱貴へ、近衛家久と亀姫の縁組契約に関して城中へ使者を出した機会に送った書状。目録記載の祝儀品を贈り、詳しくは使者の口上に委ねると伝え、近衛家熙の花押を備える。

  95. 追録2-No.891 近衛家久書状

    近衛家久が松平薩摩守島津綱貴へ、春首の賀状を受け取り、綱貴が無事に越年したことを喜び、自身も変わりなく過ごしていると伝えた書状。目録どおりの贈物に込められた懇情に満足したと述べ、後日の音信を期す。近衛家譜に収められた二通のうちの一通との注記がある。

  96. 追録2-No.892 伊集院久美外二名連署届書

    島津淡路守家臣の伊集院久美・町田久置・神宮寺純正が、国絵図調進の命令を受け、肥後国に接する島津淡路守領の境を調査した結果、地面に相違がないことを確認して境絵図を調製・提出した連署届書。

  97. 追録2-No.893 衣服制禁条々

    島津綱貴治世の衣服制禁を箇条書きにした文書。倹約奉公を重んじ、妻子の衣類が家計や身分に不相応な者がいるとして、上方製の紅衣類を禁じ、祭礼・婚礼・嫁入り、子供・奉公人の衣装や調度まで身分相応に簡略化し、一門・支配頭から家中へ厳重に申し渡すよう定める。

  98. 追録2-No.894 島津久洪・新納久珍連署達書

    島津久洪・新納久珍が喜入久亮・種子島久時・肝付久兼へ、島津綱貴の衣服倹約令を伝達した連署達書。妻子を含む衣類を家計・身分相応にし、上方製の紅衣類、祭礼・婚礼・嫁入り、子供・奉公人の衣装や調度を細かく制限する条々を御国中へ申し渡し、在旅の家老も帰着時に同様に遵守させるよう命じる。

  99. 追録2-No.895 泥谷長規・小坂昌朝連署書状

    泥谷長規・小坂昌朝が島津中務ら六名へ、先に命じられた境絵図役人の派遣が郡境・国境の照会のため遅れたが、ようやく明らかになったので、境絵図を調製して役人を派遣すると伝えた連署書状。薩摩側の絵図役人と相談できるよう手配を求め、詳しい口上を使者に託す。

  100. 追録2-No.896 伊東祐秋外二名連署書状

    伊東祐秋・山田宗春・川崎祐昌が島津中務ら六名へ、先に相談した大和守領分の絵図を調製し、松浦助右衛門に持参させると伝えた連署書状。薩摩側の絵図方役人が諸事を指図するよう求め、詳細は松浦に申し含めたとする。