← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

追録2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,207件中 1001~1100件・11 / 33ページ

  1. 追録2-No.997 伊東祐秋外二名連署書状

    伊東祐秋・川崎祐昌・山田宗武が嶋津主計へ、先の絵図担当者派遣時の指図に謝す。提出した大和守領分図の松永村・南方村・福嶋村は代官側との協議が整わず、除外する張紙を置いていたが、その後山木與惣左衛門の手代と絵図写しを照合し、村高等の書入れに相違はなかったとする。手代側が相手方へ断り、当方絵図への書入れを…

  2. 追録2-No.998 島津惟久書状

    嶋津淡路守惟久が嶋津助之允ら四名へ、国絵図完成に伴う領境絵図の証印について、先に相手方家老から詳しく示された旨を承知したと答える。役人たちを派遣するので適切に指導してほしいと依頼する。

  3. 追録2-No.999 島津惟久書状

    嶋津淡路守惟久が嶋津主計へ、領境絵図の証印について、先に相手方家老から惟久の家来たちへ詳しく示されたと聞き承知したと答える。役人を派遣するので適切に指図してほしいと依頼する。

  4. 追録2-No.1000 宇宿久明外三名連署書状

    神宮寺純正・町田久置・伊集院久美・宇宿久明が嶋助之允ら四名へ、領境絵図証印について先に詳しく示されたことを承知したと答える。淡路守方から春成興五左衛門・上山郷右衛門を派遣するので、万事適切に指導してほしいと依頼する。

  5. 追録2-No.1001 宇宿久明外三名連署書状

    神宮寺純正・町田久置・伊集院久美・宇宿久明が嶋津主計と与力衆へ、領境絵図証印について先に相手方家老から詳しく指示があったことに応じ、春成興五左衛門・上山郷右衛門を派遣するので万事適切に指導してほしいと依頼する。

  6. 追録2-No.1002 島津吉貴書状

    松平修理大夫吉貴が中将様(綱貴傍注)へ、道中無事で大坂に着き近く出帆することを喜び、肴代百疋・樽代二百疋を目録どおり進上すると伝える。当地の一門中も変わりないとして、安心してほしいと述べる。

  7. 追録2-No.1003 河内山長好・河野通心連署書状

    河内山長好・河野通心が村田経寧・川上久清へ、境筋絵図の証印について双方の担当者が突き合わせ、相違なく立会印を置いたため、以後も証拠とするよう伝えた連署書状。

  8. 追録2-No.1004 春成与五左衛門・上山郷右衛門連署証状

    春成与五左衛門・上山郷右衛門が、日向国清絵図改訂に伴い、領分絵図を基に境界の地面・村付を吟味し、境筋絵図一紙を双方で調製して立会印を加え、後証とした連署証状。

  9. 追録2-No.1005 村田経寧・川上久清連署証状

    村田経寧・川上久清が、日向国清絵図改訂に伴い、領分絵図を基に境界の地面・村付を吟味し、境筋絵図一紙を双方で調製して立会印を加え、後証とした連署証状。

  10. 追録2-No.1006 蓮光院書状

    蓮光院が宮之原甚大夫へ、先月末に出立して木曽路を通る旅の無事を祝い、近衛家や伊集院主水らからの便りにも触れ、道中の様子を知らせるよう求めた書状。

  11. 追録2-No.1007 井上正通書状

    井上大和守正通が松平薩摩守へ、先頃首尾よく暇を許され、道中無事に帰国することを喜ぶ。相手が当地を出発した際に安否を問う使者を寄越したことに謝し、後の喜びを期す。

  12. 追録2-No.1008 村田経寧・川上久清連署書状

    川上久清・村田経寧が河内山清八・河野市右衛門へ、今月三日付の書状を拝見したと返答する。先の来訪時に互いに証印した領境絵図を相手方で領分地面と照合し、少しも相違がなかったとの報告を了承し、当方家老と嶋津主計にも伝えたところ喜んだと知らせる。追書で音信を寄せられたことに謝す。

  13. 追録2-No.1009 坊城俊廣書状

    坊城俊廣が薩摩中将へ、暑中の道中健勝と伏見到着を喜び、近衛大納言家久の縁組に自分にも由緒があるので同じく喜ぶと伝える。祝儀を述べるため旅宅へ使札を送り、太刀・馬・干肴一種を進入すると記す。

  14. 追録2-No.1010 坊城俊相書状

    坊城俊相が薩摩中将島津綱貴へ、暑中の健勝と近衛大納言家久の縁組を喜び、綱貴から太刀・目録を贈られた礼を述べた書状。

  15. 追録2-No.1011 島津綱貴帰国途上近衛家訪問記事

    綱貴は五月晦日に江戸を発ち、陸路を木曽地に取り六月十二日に伏見へ到着する。亀姫と家久の縁組に由緒があるため十三日朝に近衛家久の伏見邸を訪ね、京都へ先行した久珍らに続き、紀伊守の旅宿や平松時方邸、関白基熙の邸を訪れる。綱貴から基熙・家熙・家久へ太刀・白銀・羽二重・干鯛・昆布・樽を献じ、家熙からは太刀・…

  16. 追録2-No.1012 近衛邸寝殿階間図

    島津綱貴を近衛家が饗応した際の寝殿の配置図。近衛基熙・家熙・家久、綱貴の着座位置、御簾、石壇、書院への通路などを示し、対面時の空間構成を図示する。

  17. 追録2-No.1013 近衛邸饗応献立

    近衛邸饗応の献立・配膳図。先引渡に昆布・掻栗・熨斗と三土器、初献に菱鰑・削物、殿下の盃と御肴台・包雑、二献に干物・海苔・汁、右大臣の盃と饅頭、三献に燒鳥・蛸、大納言の盃と鱠立などを配置する。

  18. 追録2-No.1014 近衛邸饗応座席次第

    近衛邸の饗応における座席次第。島津綱貴、近衛家熙・家久、家老・大納言、石井小納言、山井修理大夫、斎藤左京大進らの着座・陪膳・役送の位置関係を示す。

  19. 追録2-No.1015 近衛邸饗応音曲次第

    近衛邸での島津綱貴饗応に用いた音曲の次第。「平調」「音取」を掲げる短い演奏記録。

  20. 追録2-No.1016 松平信慈書状

    松平紀伊守信慈が松平薩摩守へ、国元への暇を得て京都へ立ち寄った際、自分の私宅を訪ねたことに謝す。その時は忌中で面談できなかったため、書状で礼を述べる。

  21. 追録2-No.1017 島津吉貴書状

    松平修理大夫島津吉貴が中将島津綱貴へ、暑中のため面会できないことを詫び、帰国途上の海路の無事を祈って荷一種を進上し、家臣に届けさせると伝えた書状。

  22. 追録2-No.1018 土屋政直奉書

    土屋相模守政直が松平薩摩守島津綱貴へ、端午の御内書を渡すため、翌十八日五半時に家来を江戸城へ差し出すよう命じた奉書。

  23. 追録2-No.1019 島津惟久書状

    嶋津淡路守惟久が嶋津主計へ、領境絵図の証印のため家来春成興五左衛門・上山郷右衛門を派遣したところ、指図によって首尾よく済んだことに謝す。送付された領境絵図も拝見したと述べる。また同氏式部少輔の由緒書について了承し、別紙書付を送るとする。

  24. 追録2-No.1020 島津惟久覚書

    式部少輔が述者の従弟で、元禄六年八月三日に死去し、述者は当時在郷していたとする覚。死去当日に阿部豊後守から呼ばれ、述者と式部少輔の続柄を問われたため、幼少から番代を勤め家督を相続したことを述べると、養父に当たるかもしれないとして林大学頭へ服忌を照会するよう指示された。林は養父の忌三十日・服百五十日を…

  25. 追録2-No.1021 宇宿久明外三名連署書状

    宇宿久明ら四名が島津主計と与力衆へ、領境の絵図への証印に際し、春成興五左衛門・上山郷右衛門が受けた絵図の調製・引渡しと丁寧な応対を淡路守へ報告したと礼を述べる。あわせて式部少輔の由緒と、その死去時に淡路守が養父の服忌を受けるべきか阿部豊後守・林大学頭へ伺い、指図どおりにした経緯は、淡路守から別紙で詳…

  26. 追録2-No.1022 島津吉貴書状

    松平修理大夫島津吉貴が松平薩摩守島津綱貴へ、道中無事に大坂へ着き、近く出船することを祝って目録記載の品を進上した書状。当地の一門にも変事がないため安心するよう伝える。

  27. 追録2-No.1023 平松時方書状

    平松時方が島津綱貴へ、先日の自邸訪問を喜び、初めての近衛殿訪問が首尾よく済み、取持ちにも満足したとの知らせを慶んだ書状。大坂から出船したと聞き、海路を滞りなく帰国することを願う。

  28. 追録2-No.1024 石井行康書状

    石井少納言行康が松平薩摩守へ、去る十三日に平松宰相亭で久々にゆっくり面会できたことと、近衛殿で万事首尾よく済み関白らも喜んだことを喜ぶ。取り持ちについて謝礼を述べられたのは過分とし、本来こちらから書状を出すべきところ、先便を受けて返書になったと伝える。

  29. 追録2-No.1025 石井行豊書状

    石井宮内卿行豊が島津綱貴へ、六月二十三日に平松宰相亭で久々に会い、近衛殿での応対が首尾よく、関白殿以下も喜んだことを慶ぶ書状。取持ちへの礼に謝し、海陸を滞りなく帰着することを祝い、追って祝儀を整えると伝える。

  30. 追録2-No.1026 交野時香書状

    交野三位時香が島津綱貴へ、酷暑のなか無事に大坂へ下り、その後出船したとの知らせを喜んだ書状。六月二十三日の平松宰相亭での面会と、近衛殿への初訪問が万事首尾よく済んだこと、取持ちへの礼に謝し、双方の繁栄と毎年会えることを願う。

  31. 追録2-No.1027 平松時方書状

    平松宰相時方が松平薩摩守へ、去る十三日に近衛殿へ伺候し万事首尾よく済んだことを喜び、自分の取り持ちへの謝礼を受けたと返答する。自宅にも来訪して久々にゆっくり面会できたことに謝し、船中無事に帰国するよう願う。追書では息時春への伝筆を承知し、時春からの礼を取り次ぐとする。

  32. 追録2-No.1028 戸村愛忠・九津見定春連署書状

    戸村愛忠・九津見定春が島津助丞・喜入安房・種子島蔵人へ、自領の惣絵図が完成したため、先に薩摩側の絵図役人と打ち合わせたとおり浅岡田新右衛門に持参させると通知した連署書状。従前どおりの指図と、絵図役人への取次ぎを依頼し、詳細は新右衛門の口上に委ねる。

  33. 追録2-No.1029 戸村愛忠・九津見定春連署書状

    戸村愛忠・九津見定春が島津主計と与力衆へ、自領の惣絵図が完成したため、先の打合せどおり浅岡田新右衛門に持参させると通知した連署書状。相違がなければ絵図役人へ渡して指図を下すよう頼み、詳細は新右衛門の口上に委ねる。

  34. 追録2-No.1030 松平信慈書状

    松平紀伊守信慈が松平薩摩守島津綱貴へ、国元への暇を得て京都を発つ際、目録記載の品を贈られたことに礼を述べた書状。

  35. 追録2-No.1031 小笠原長重書状

    小笠原佐渡守長重が島津綱貴へ、甚暑の折に使者を遣わして将軍の機嫌を伺い、目録記載の品を献上したことについて、将軍は健勝であり、関係者と相談して首尾よく披露したと知らせた書状。

  36. 追録2-No.1032 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢出羽守保明・松平右京大夫輝貞が島津綱貴へ、暑気の折に将軍の機嫌を伺い、目録記載の品を献上したとの書面を披見し、その趣旨を了承したと答えた連署書状。将軍は健勝であるため安心するよう伝える。

  37. 追録2-No.1033 井上彦右衛門外三名連署証状

    豊後側の井上彦右衛門・高田半蔵・高木佐左衛門・岩手新蔵が薩摩側の藤野休左衛門・本城源四郎へ、国絵図改訂に際して豊後国の正保年間古絵図を吟味し、変化箇所を新絵図で相談したうえ、日向国境の双方の際絵図を取り替え、相違がないことを証した連署証状。

  38. 追録2-No.1034 本城源四郎・藤野休左衛門連署証状

    薩摩側の本城源四郎・藤野休左衛門が豊後側の井上彦右衛門ら四名へ、国絵図改訂に際して日向国の正保年間古絵図を吟味し、変化箇所を新絵図で相談したうえ、豊後国境の双方の際絵図を取り替え、相違がないことを証した連署証状。No.1033と相互に取り交わした対の証状である。

  39. 追録2-No.1035 勝部源五郎・宇野磯右衛門連署届書

    勝部源五郎・宇野磯右衛門が、国絵図調進の命を受け、幕府領と肥後国との境を調査し、地面に相違のない境涯絵図を作成して差し出したと届けた連署届書。

  40. 追録2-No.1036 勝部源五郎・宇野磯右衛門連署届書

    勝部源五郎・宇野磯右衛門が、国絵図調進の命を受け、幕府領と肥後国との境を調査し、地面に相違のない境涯絵図を作成して差し出したと届けた連署届書。No.1035と同文の別紙である。

  41. 追録2-No.1037 島津綱貴覚書

    島津綱貴が国絵図担当者へ、村高を村形上の張紙に記す方法、花ヶ島町を枝村でなく新村とするか、宮崎郡大田村内古城村など五枝郷や穂北村内畑江村の記載、郡違・村居違・変地・難読村名の仮名・道法の処理について回答と指図を求めた覚書。郷帳と絵図の相違、佐土原側地下人との出合吟味も記す。

  42. 追録2-No.1038 安藤次行書状

    安藤駿河守次行が島津綱貴へ、甚暑のなか使者を遣わし、献上品の残りとして泡盛一壺・塩辛一器を贈られたことに礼を述べた書状。

  43. 追録2-No.1039 島津忠守外二名連署書状

    島津忠守・喜入久亮・種子島久時が戸村愛忠・九津見定春へ、完成した領分惣絵図を浅岡田新右衛門が持参したため、従前どおり絵図役人に応対させると答えた連署書状。吟味を要する箇所があるため絵図を預かっており、詳細は新右衛門から伝えると述べる。

  44. 追録2-No.1040 島津綱貴帰国記事

    島津綱貴が六月十五日に伏見から大坂へ下り、十八日に乗船、二十日に開帆し、長州赤間関を経て筑前国芦屋に着船したのち陸路を進んだ記事。七月三日に薩州脇元、十日に鹿児島城へ入り、無事帰国の謝礼のため島津主水久輔を江戸へ急派した。

  45. 追録2-No.1041 宇宿久明外三名連署書状

    神宮寺純正・町田久置・伊集院久美・宇宿久明が嶋主計(忠雄傍注)と与力衆へ、嶋津式部少輔(久寿傍注)・同氏主税(久武傍注)が分知後に判物や知行書出などを受けたかとの照会に答える。自分たちは承知せず、念のため主税役人の和田吉左衛門を呼んで尋ねると、式部少輔・主税方でその種の文書を受けたことはなく、近頃の…

  46. 追録2-No.1042 戸村愛忠・九津見定春連署書状

    戸村愛忠・九津見定春が島津助丞・喜入安房・種子島蔵人へ、自領の清絵図を岡田新右衛門に持参させ、薩摩側の絵図役人が相違なく受け取ったことを喜んだ連署書状。新右衛門の滞在中に度々馳走と贈物を受けたことにも礼を述べ、詳細は壱岐守へ報告すると伝える。

  47. 追録2-No.1043 戸村愛忠・九津見定春連署書状

    戸村愛忠・九津見定春が島津主計と与力衆へ、自領の清絵図を岡田新右衛門に持参させ、絵図役人が相違なく受け取り首尾よく済んだことを喜んだ連署書状。新右衛門への馳走・贈物に礼を述べ、詳細は壱岐守へ報告すると伝える。No.1042と用件は同じだが宛所が異なる。

  48. 追録2-No.1044 近衛基熙書状

    近衛基熙が島津綱貴へ、先日の来訪時に十分話せなかったことを今も残念に思うと述べ、無事帰国する頃と祝った書状。先頃の訪問と目録記載品の贈与に対し、短い筆では尽くせないほどの厚情として礼を述べる。

  49. 追録2-No.1045 島津吉貴書状

    松平修理大夫吉貴が中将へ、海陸とも無事に帰国したことを祝い軽使を派遣し、肴二種・樽一荷を進上すると伝える。当地の一門中にも変わりがなく、自身も無事なので安心してほしいと述べる。

  50. 追録2-No.1046 松平信庸書状(原署表記)

    松平紀伊守信庸が松平薩摩守へ、国元への暇を許され京都を出る際、見舞いの使者を寄越し目録どおりの品を贈られたことに謝す。

  51. 追録2-No.1047 川上久清・村田経寧連署書状

    村田経寧・川上久清が岡田新右衛門へ、九日付の書状を拝見し、領分絵図を持参して首尾よく済み満足しているとの報告を喜ぶ。嶋津主計への伝筆も了承して謝し、春以来たびたび当地へ来る労苦をねぎらう。今後も相応の用事があれば遠慮なく申し聞かせてほしいと伝える。

  52. 追録2-No.1048 島津吉貴書状

    島津吉貴が島津綱貴へ、島津左京の奥方が先月二十二日に無事出産したことを祝い、その喜びを伝えた書状。

  53. 追録2-No.1049 近衛基熙書状

    近衛基熙が島津綱貴へ、残暑のなか平安に過ごし、無事帰国したとの知らせを早速受けて満足し喜んだ書状。京都側も一同無事であると伝える。

  54. 追録2-No.1050 稲葉正通ほか四名連署奉書

    稲葉丹後守正通・秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直・阿部豊後守正武の五名が松平薩摩守へ、八朔祝儀として使者により献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく披露したと報告する。

  55. 追録2-No.1051 平井某・熊谷某連署証状

    細川越中守家臣の平井喜右衛門・熊谷早之丞が、松平薩摩守家臣の本城源四郎・藤野休左衛門へ交付した国境絵図の証状。国絵図改訂に際して正保年間の絵図を逐一吟味して改め、両国境の絵図を相互に取り替えた結果、相違がないことを証する。

  56. 追録2-No.1052 本城某・藤野某連署証状

    松平薩摩守家臣の本城源四郎・藤野休左衛門が、細川越中守家臣の平井喜右衛門・熊谷早之丞へ交付した国境絵図の証状。正保年間の絵図を逐一吟味して国絵図を改め、両国境の絵図を相互に取り替えた結果、相違がないことを証する。No.1051とは発給者と相手を入れ替えた対の文書である。

  57. 追録2-No.1053 本城某・藤野某連署証状

    松平薩摩守家臣本城源四郎・藤野休左衛門が細川越中守家臣平井喜右衛門・熊谷早之丞へ、正保年間の絵図を逐一吟味して改め、国境両側の絵図を交換して相違がないと証した文書。

  58. 追録2-No.1054 阿部正武外三名連署状

    阿部正武・土屋政直・小笠原長重・秋元喬朝が島津吉貴へ、翌十五日は例月の御礼がないため登城に及ばないと通知した老中四名の連署状。

  59. 追録2-No.1055 土屋政直書状

    土屋政直が島津綱貴の留守居へ、帰国御礼の使者を翌二十八日五時に江戸城へ出すよう指示した書状。使者本人からも自分の御礼を申し上げるよう命じる。

  60. 追録2-No.1056 綱貴帰国ノ礼使ヲ派ス

    綱貴が七月十日に嶋津主水久輔を帰国御礼使として東都へ遣わし、久輔が八月二十八日に登城した記事。上練芭蕉布百端・干鯛一箱・鰑一箱・昆布一箱・樽二荷を献じて帰国の許しに謝した。久輔も先例どおり時服三・太刀・銀馬代を献上して将軍へ拝謁し、時服三・羽織一を賜った。

  61. 追録2-No.1057 聖護院道尊書状

    聖護院道尊が島津綱貴へ、綱貴の在国中の無事を喜び、亀姫と近衛家の納言との縁組が首尾よく仰せ出されたと蓮光院から聞いたことを述べた書状。縁組を大慶として内々に祝意を伝え、後日の喜びの機会を待つと結ぶ。

  62. 追録2-No.1058 近藤用高・丹羽長守連署書状

    近藤用高・丹羽長守が島津綱貴と家臣一同へ、呉国船の近日中の帰帆に備え、領内の浦々で船へ乗り移る者や船内から残留する者が出ないよう厳命した連署書状。難風で陸近くへ来た場合は先例どおり番船を付け、日和を待って出帆させるよう求める。

  63. 追録2-No.1059 阿部正武外四名連署状

    阿部正武ら老中五名が島津綱貴へ、将軍の機嫌を喜ぶ書状を披見し、綱貴が帰国許可に加えて馬・白銀・時服を拝領したことを承知した連署状。国元到着の御礼として使者が目録どおり献上した品を将軍へ披露したところ、使者が御前へ召し出され、入念な謝礼を将軍が喜んだと伝える。

  64. 追録2-No.1060 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢保明・松平輝貞が島津綱貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌を喜ぶ書状を披見し、綱貴が帰国許可に加えて馬・白銀・時服を拝領したことを承知した連署書状。国元到着の御礼として使者が目録どおり献上した旨を受け届けたと答える。No.1059と用件は同じだが、使者の御前召出しと将軍の喜色には触れない。

  65. 追録2-No.1061 稲葉正通書状

    稲葉正通が島津綱貴へ、重陽の祝儀として目録記載品を贈られたことに礼を述べた書状。

  66. 追録2-No.1062 徳川綱吉御内書

    将軍徳川綱吉が島津綱貴へ、重陽の祝儀として小袖五領が届き、欣覧したと伝えた御内書。詳しい礼は小笠原佐渡守長重に述べさせるとする。

  67. 追録2-No.1063 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司尚貞へ、佳祥を祝う使翰と、恒例に准じた目録記載品を贈られたことを喜んだ書状。厚意に謝し、後日の喜びの機会を待つと結ぶ。

  68. 追録2-No.1064 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司尚貞へ、妹亀姫と近衛大納言家久との縁組が首尾よく仰せ出されたことへの祝いに礼を述べた書状。尚貞は使者沢岻親方を遣わし、目録記載品を贈った。

  69. 追録2-No.1065 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、今年の嘉事を祝う書状と目録記載品を贈られたことを喜び、厚意に礼を述べた書状。

  70. 追録2-No.1066 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、妹亀姫と近衛大納言家久との縁組が首尾よく仰せ出されたことを祝い、目録記載品を贈られたことに礼を述べた書状。No.1064と同じ縁組祝儀への返礼だが、使者の名は記さない。

  71. 追録2-No.1067 阿部正武書状

    阿部正武が島津綱貴へ、使者による将軍徳川綱吉の機嫌伺いに対し、綱吉が健勝なので安心するよう答えた書状。綱貴が献上した御肴一種について、同僚と相談して首尾よく将軍へ披露したと伝える。

  72. 追録2-No.1068 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢保明・松平輝貞が島津綱貴へ、使者による将軍徳川綱吉の機嫌伺いに対し、綱吉が健勝なので安心するよう答えた連署書状。御肴一種の献上も承知したと伝える。No.1067と用件は同じだが、同僚との相談や将軍への披露には触れない。

  73. 追録2-No.1069 島津惟久書状

    島津惟久が島津助之允へ、惟久の娘が女子を無事出産したとの報告を島津綱貴が聞き、祝詞と目録記載品を贈ったことへの礼を述べた書状。綱貴の書面を松寿院へ伝えると、松寿院も感謝していたため、惟久と松寿院双方の礼を綱貴へ披露するよう助之允に頼む。

  74. 追録2-No.1070 徳川綱條書状

    水戸宰相徳川綱條が島津綱貴へ、将軍徳川綱吉がますます機嫌よく過ごしていることをともに喜び、薩摩から贈られた一種の品への厚意に礼を述べた書状。綱貴側の無事も重ねて喜ぶ。

  75. 追録2-No.1071 近衛家熙書状

    近衛家熙が島津綱貴へ、便宜を得て書状を送り、綱貴の平安を願い、京都側は無事だと知らせた書状。長く京都に滞在した蓮光院が用事を果たして喜んでおり、このたび帰山するため、詳しい考えを蓮光院の口上に託したと伝える。

  76. 追録2-No.1072 島津惟久書状

    島津惟久が島津助之丞へ、惟久領内三才村の者たちが帰参命令を承服せず、他領へ立ち退こうとしている問題について、島津綱貴の配慮に礼を述べた書状。綱貴は当面その者たちを領内のどこかへ留め、時宜を見て帰参させ、惟久に不利にならないよう取り計らう意向を示したが、惟久はなお申し上げたいことがあるため後日改めて伺…

  77. 追録2-No.1073 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司尚貞へ、当年の佳祥を祝う使翰と、恒例に准じた目録記載品を贈られたことを喜んだ書状。後日の喜びの機会を待つと結ぶ。

  78. 追録2-No.1074 島津綱貴書状

    島津綱貴が宛所不詳の相手へ、相手方の地が平穏であることを喜び、自身も無事なので安心するよう伝えた書状。大清から拝領した巻物三巻を贈られたことに厚く礼を述べる。

  79. 追録2-No.1075 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司尚貞へ、亀姫と近衛大納言家久との縁組が仰せ出された祝いとして、使者沢岻親方を遣わし目録記載品を贈られたことに礼を述べた書状。

  80. 追録2-No.1076 島津綱貴書状

    綱貴が中城王子へ、去年の年始の嘉儀として書状と目録記載品を贈られたことを喜び、後日の喜びの機会を待つと礼を述べた返書。

  81. 追録2-No.1077 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、今年の慶事を祝う書状と、佳例に准じた別録記載品を贈られたことを喜び、礼を述べた書状。

  82. 追録2-No.1078 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、亀姫と近衛大納言家久との縁組が仰せ出された祝いとして、目録記載品を贈られたことに礼を述べた書状。No.1075の琉球国司尚貞宛と同じ縁組祝儀への返礼だが、使者の名は記さない。

  83. 追録2-No.1079 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、虎房丸出生の祝いとして目録記載品を贈られたことを喜び、礼を述べた書状。傍注は虎房丸を綱貴の七男で、後に権七・久東と称し、島津勘解由久當の養子となり十五歳で早世したと記す。

  84. 追録2-No.1080 島津綱貴書状

    島津綱貴が佐敷王子へ、亀姫と近衛大納言家久との縁組が仰せ出されたことへの祝いに礼を述べた書状。賀儀として目録記載品が届いたことを喜ぶ。

  85. 追録2-No.1081 島津綱貴書状

    綱貴が佐敷王子へ、去年の年始の嘉儀として書状と目録記載品を贈られたことを喜び、後日の喜びの機会を待つと礼を述べた返書。

  86. 追録2-No.1082 島津忠守外三名連署書状

    島津忠守・喜入久亮・種子島久時・肝付久兼が宛所不詳の相手へ、年始の祝儀として練蕉布十端を島津綱貴へ進上したとの書状を披見し、その旨を首尾よく綱貴へ伝えたと答えた連署書状。

  87. 追録2-No.1083 島津忠守外三名連署書状

    島津忠守ら家老四名が恩納按司へ、年始の祝儀として練蕉布十端・焼酎一壺を島津綱貴へ進上したとの書状を披見し、その旨を首尾よく綱貴へ披露したと答えた連署書状。

  88. 追録2-No.1084 島津忠守外三名連署書状

    島津忠守ら家老四名が田場親方へ、亀姫の縁組成立を祝って練蕉布三端・焼酎一壺を島津綱貴へ進上したとの書状を披見し、その旨を首尾よく綱貴へ伝えたと答えた連署書状。

  89. 追録2-No.1085 阿部正武外四名連署状

    阿部正武・土屋政直・小笠原長重・秋元喬朝・稲葉正往が島津吉貴へ、翌二十八日は例月の御礼がないため登城に及ばないと通知した老中五名の連署状。

  90. 追録2-No.1086 土屋政直書状

    土屋政直が島津綱貴へ、将軍徳川綱吉が機嫌よく過ごしていることを喜び、綱貴が首尾よく帰国の暇を得て道中無事に国元へ着いたとの報告を承知した書状。帰国御礼の使者を差し越すことと、目録記載品を贈られた厚意にも礼を述べる。

  91. 追録2-No.1087 戸田忠利書状

    戸田忠利が島津綱貴へ、綱貴が帰国の暇を得て国元へ到着したことに伴い、甲府宰相徳川綱豊へ目録記載品を進上した件を披露したと伝えた書状。綱豊から、戸田を通じて礼を述べるよう命じられたと報告する。

  92. 追録2-No.1088 島津忠守書状

    島津忠守が田場親方へ、亀姫の縁組成立を祝って練蕉布二端・焼酎一壺を進上したとの書状を披見し、島津綱貴へ披露したところ綱貴が喜んだと伝えた書状。No.1084の家老四名連署書状では練蕉布三端だったが、本書は二端と記す。

  93. 追録2-No.1089 島津忠守書状

    島津忠守が田場親方へ、年始の祝儀として練蕉布三端を島津吉貴へ進上したとの書状を披見し、その旨を首尾よく披露したところ、吉貴が喜んだと伝えた書状。

  94. 追録2-No.1090 島津惟久書状

    嶋津淡路守惟久が嶋津助之允へ、相手方の地で自分の用事を申し上げる際の取次役について伺ったところ、嶋津織部(傍注久祐)に命じられたとの意向を承知したと伝える。助之允らへ礼を述べ、機会があれば取り成してほしいと頼む。

  95. 追録2-No.1091 島津久明家老職ニ補任ス

    島津久明(大蔵久明)が元禄十四年十月十一日に家老職へ任じられ、同月十四日には島津綱貴から十男に列し二男に準じる旨を命じられた記事。

  96. 追録2-No.1092 島津綱貴内意書

    島津綱貴が山奉行所・寺社奉行所へ、鹿児島妙谷寺門外の並木大木は島津義久(龍伯)が同寺建立時に植えさせたものだとの監司の申出を受け、今後伐らせないよう記録しておくことを命じた内意書。御国遣座が押印し、中原為兵衛が取次を務めた。

  97. 追録2-No.1093 寺社奉行所申渡書

    寺社奉行所が宛所不詳の相手へ、妙谷寺門外の並木を今後伐らせないとの命令を承知し、その趣旨を妙谷寺へ申し渡すよう命じた申渡書。

  98. 追録2-No.1094 福昌寺次書

    福昌寺が妙谷寺監司へ、妙谷寺門外の並木を今後伐らせないとの命令を承知し、以後も伐採しないよう順次申し渡すことを命じた次書。

  99. 追録2-No.1095 近藤用高・丹羽長守連署書状

    長崎奉行の近藤用高・丹羽長守が島津綱貴へ、寧波から来朝した唐船一艘が十日に領内阿久根へ漂着し、番船を付けて日和次第で警固付き送致するとした十三日付書状を承知したと回答した連署書状。従前どおり早々に長崎へ差し遣わすよう求める。

  100. 追録2-No.1096 柳沢保明・松平輝貞連署書状

    柳沢保明・松平輝貞が島津綱貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌を伺った書状を披見し、将軍は健やかなので安心するよう答えた連署書状。綱貴が献上した御肴一種も承知したと伝える。