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追録2の目録
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追録2-No.1698 島津綱貴書状
島津綱貴が進藤刑部大輔へ、左大臣の転任を祝ったところ礼を受け、太刀・御馬代と目録記載の品を拝領したことに謝意を述べた書状。
追録2-No.1699 島津綱貴江戸罹病記事
島津綱貴が江戸で六月十一日に瘧疾を発し、十五日に症状が強まったため奥山謙徳院法印を招いて治療を受けた記事。七月四日に病が癒え、薬の必要がなくなったため薬師寺宗仙院法印が退出したと記す。
追録2-No.1700 島津吉貴書状
島津吉貴が島津綱貴へ、左大臣転任を祝う使者と目録記載の品に礼を述べ、同日大坂を立って兵庫から乗船したことを報告した書状。
追録2-No.1701 島津忠直書状
島津忠直が島津綱貴へ、匠作島津吉貴が先月十四日に国元への暇を首尾よく拝領し、同二十一日に出発したと聞いたことを喜び、祝意を述べた書状。
追録2-No.1702 秋元喬朝書状
秋元喬朝が島津綱貴へ、綱貴が献上した馬二疋を首尾よく披露したと知らせた書状。綱貴の譜中に収録され、正文は文庫にあるとの注記がある。
追録2-No.1703 島津綱貴書状
島津綱貴が秋元喬朝へ、馬二疋の献上が首尾よく披露されたとの奉書を拝見し、謝意を述べた書状。
追録2-No.1704 阿部正武書状
阿部正武が島津綱貴へ、端午の御内書を渡すため、翌日五半時に家来を御城へ差し出すよう命じた書状。
追録2-No.1705 島津綱貴書状
島津綱貴が阿部正武へ、端午祝儀として帷子単物を献上したところ御内書を頂戴したことに謝意を述べ、その旨を披露するよう依頼した書状。
追録2-No.1706 島津綱貴書状
島津綱貴が阿部正武へ、端午の御内書を頂戴した際、家来が時服三領を拝領したことに謝意を述べた書状。
追録2-No.1707 秋元喬朝書状
秋元喬朝が島津綱貴へ、綱貴が献上した琉球布十巻・砂糖漬天門冬一器・泡盛酒二壺・肴一種を首尾よく披露したと知らせた書状。
追録2-No.1708 島津綱貴書状
島津綱貴が秋元喬朝へ、琉球布十巻・砂糖漬天門冬一器・泡盛酒二壺・肴一種の献上が首尾よく披露されたとの奉書を拝見し、謝意を述べた書状。
追録2-No.1709 秋元喬朝書状
秋元喬朝が島津吉貴へ、土用中の将軍の機嫌を使者で伺った件について、将軍は壮健なので安心するよう伝え、吉貴が献上した肴一種も首尾よく披露したと知らせた書状。
追録2-No.1710 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保と松平輝貞が島津吉貴へ、土用中の将軍の機嫌を尋ねた書状を拝見し、将軍は無事なので安心するよう答えた連署書状。
追録2-No.1711 本庄宗俊書状
本庄宗俊が島津綱貴へ、綱貴が一位様へ献じた砂糖漬天門冬一器・鯛塩辛一器・琉球泡盛酒一壺を女中へ取り次いで披露し、一位様が喜んだと知らせた書状。追而書では、残り三種を宗俊へ贈った厚意に礼を述べる。
追録2-No.1712 島津綱貴書状
島津綱貴が本庄宗俊へ、一位様が健勝であるとの知らせに礼を述べ、砂糖漬天門冬・琉球泡盛酒・肴一種の献上が首尾よく披露されたことを感謝した書状。綱貴は病気中のため他筆で作成したと記す。
追録2-No.1713 島津綱貴書状
島津綱貴が、左大臣から伝えられた御所普請の口上を承知し、婚礼用の御殿は同年十月までに完成させ、急を要しない工事は翌春へ延期するとの方針を妥当として、そのとおり申し付けると答えた書状。
追録2-No.1714 島津久福誕生記事
島津綱貴の子久福(仁十郎)が宝永元年七月六日に誕生した記事。母は二階堂源右衛門行格の娘で、久福は島津主水久輔の養子となった。
追録2-No.1715 島津綱貴口上覚
綱貴が七月二十二日付口上覚で、琉球国の内大島に去る五月五日、小船一艘で異国人六人が漂着したと報告する。言語文字が通じず国籍不明だが形は阿蘭陀人に似るとし、小屋と囲いを設け番人が警固している。順風になれば現地の船に乗せ、在番者の警固で薩摩へ移し、着船次第長崎へ送るよう先に飛船で奉行へ指示したと家来から…
追録2-No.1716 島津綱貴書状
島津綱貴が進藤筑後守へ、政姫が同月二十二日に死去したことを悼み、言葉に尽くせない悲しみと弔意を伝えた書状。
追録2-No.1717 島津綱貴書状
島津綱貴が今大路兵部大輔へ、政姫が同月二十二日に死去したことを悼み、言葉に尽くせない悲しみと弔意を伝えた書状。
追録2-No.1718 島津綱貴書状
島津綱貴が進藤刑部大輔へ、政姫が同月二十二日に死去したことを悼み、言葉に尽くせない悲しみと弔意を伝えた書状。
追録2-No.1719 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、吉貴が航海中に異変なく目的地へ着いたことを喜び、江戸の一門も無事なので安心するよう伝えた書状。到着祝いとして目録記載の品を宿所へ送った。
追録2-No.1720 徳川綱吉島津綱貴病気見舞記事
綱貴公御譜中に、宝永元年八月朔日、将軍家が田村右京大夫建顕を芝邸へ遣わして綱貴の病気を見舞い、吉貴が謝礼の使書を江府へ送ったこと、十三日には上使本田弾正少弼忠晴が再び病を問い、九月七日には久永内記が病状を尋ね肴一種を賜ったことを記す。ただし吉貴はすでに国を発った後の途上にあって途中で聞き、恩遇への謝…
追録2-No.1721 島津綱貴病状悪化・島津吉貴参府許可記事
島津綱貴の病状が八月朔日に悪化したため、松平直定・松平定逵・酒井忠重・京極高規・島津惟久が芝邸で協議し、長尾善庵に投薬させた記事。松平直定と松平定重が島津吉貴の参府を願い、稲葉正通らを介して許可されたと記す。
追録2-No.1722 松平直定・松平定重連署書状
松平直定と松平定重が島津吉貴へ、島津綱貴の病気が一両日前から重くなり「十死一生」の状態で、薬師寺宗仙院が治療を辞退したため長尾善庵を招いて診療・投薬させていると知らせた連署書状。
追録2-No.1723 稲葉正通書状
稲葉正通が島津綱貴へ、八朔の祝儀として使者が献上した太刀一腰・御馬代黄金十両を首尾よく披露したと知らせた書状。
追録2-No.1724 石尾氏信・佐久間信就連署書状
石尾氏信と佐久間信就が島津吉貴へ、琉球国大島に漂着して警固付きで送られた異国人が同日長崎へ到着し、引き取ったと知らせた連署書状。詳細は吉貴の家来と相談したと記す。
追録2-No.1725 阿部正武ほか四名連署奉書
阿部正武・土屋政直・小笠原長重・秋元喬朝・稲葉正通が島津吉貴へ、島津綱貴が重病のため看病に参府したいとの願いを将軍へ伝えたところ、望みどおり参府してよいと命じられたことを知らせた連署奉書。
追録2-No.1726 阿部正武ほか四名連署状
阿部正武・土屋政直・小笠原長重・秋元喬朝・稲葉正通が島津吉貴へ、八朔の祝儀として使者が献上した太刀一腰・御馬代黄金十両を首尾よく披露したと知らせた連署状。
追録2-No.1727 今大路治部少輔ほか三名連署書状
次条とは贈主と品・容器が異なる。
追録2-No.1728 今大路治部少輔ほか三名連署書状
今大路治部少輔・進藤刑部大輔・今大路兵部大輔・進藤筑後守が八月十四日、嶋津勘解由・川上式部へ、中将の病気が快方へ向かったと聞き喜び、さらに容体を尋ねたいとして、左大臣(家熙と注)の意で見舞いの干鱧一箱を贈ると伝える。
追録2-No.1729 今大路治部少輔ほか三名連署書状
今大路治部少輔ら四人が島津勘解由・川上式部へ、大納言が島津綱貴の病気回復を喜び、さらに病状を聞きたいとして、見舞いの印に糟漬鯛一桶を贈った旨を伝えた連署書状。前二通とは差出人側の意向主と見舞品が異なる。
追録2-No.1730 阿部正武ほか四名連署状
阿部正武ら老中五人が島津吉貴へ、将軍の健勝を喜ぶ書状を受け、暇と御馬・時服の拝領への謝意も承知したと伝えた連署状。吉貴が国元到着後に使者を通じて献上した目録品を披露したところ、使者の入念な対応を将軍が喜んだと知らせる。
追録2-No.1731 島津綱貴口上覚
島津綱貴が幕府へ、六月五日に琉球国大島へ漂着した国籍不明の異国人六人と小船一艘について報告した口上覚。言語・文字が通じないため、在番の者に警固させ、漂着唐船の例に従って山川から長崎へ送ったと記す。
追録2-No.1732 島津綱貴口上覚
島津綱貴が幕府へ、六月五日に屋久島小島村沖へ碇泊した五十人乗りの四番帰唐南京船一艘の動静を報告した口上覚。繋場が悪いため翌六日に安房川へ移し、洪水時の難を避けて十三日に一湊へ回航、十四日に出帆したことと、順風がなく鹿児島への急報が遅れた事情を記す。
追録2-No.1733 将軍綱吉、綱貴ノ病ヲ問ハシム
八月二十二日、徳川綱吉の命を受けた譲徳院法印が島津綱貴の病気を再び治療し、翌二十三日には綱吉が本多忠晴を芝邸へ遣わして病状を尋ねさせた記事。綱貴は忠晴を休息所へ招き、膳を供して見舞いへの謝意を示した。
追録2-No.1734 稲葉正通書状
稲葉正通が島津吉貴の留守居へ、国元到着の御礼使者である新納又左衛門を翌二十八日五半時に登城させ、併せて又左衛門自身の御礼も申し上げるよう指示した書状。
追録2-No.1735 島津綱貴口上覚
島津綱貴が幕府へ、琉球国大島に漂着した異国人六人とその乗船を警固付きで長崎へ送ったところ、同月二日に長崎奉行が滞りなく受け取ったと国元家来から報告を受けた旨を届けた口上覚。
追録2-No.1736 稲葉正通書状
稲葉正通が島津吉貴の留守居へ、国元到着の御礼使者である新納又左衛門を翌晦日四時に登城させるよう指示した書状。
追録2-No.1737 土屋政直ほか三名連署状
土屋政直・小笠原長重・秋元喬朝・稲葉正通が島津吉貴へ、将軍の健勝を喜ぶ書状と、暇・御馬・時服拝領への謝意を承知したと伝えた連署状。国元到着後の御礼品を披露し、使者が御前へ召し出され、入念な対応を将軍が喜んだと知らせる。
追録2-No.1738 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保と松平輝貞が島津吉貴へ、将軍の健勝を喜ぶ書状と、暇・御馬・時服の拝領、国元到着後に使者を通じて献上した目録品について承知したと伝えた連署書状。
追録2-No.1739 稲葉正通書状
稲葉正通が島津吉貴へ、将軍の機嫌を尋ねた書状を披見し、将軍が健勝であると答えたうえ、添えて献上された肴一種を関係者で相談し首尾よく披露したと知らせた書状。
追録2-No.1740 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保と松平輝貞が島津吉貴へ、将軍の機嫌を尋ねた書状を披見し、将軍は健勝であると答えたうえ、書面の趣旨をすべて承知したと伝えた連署書状。
追録2-No.1741 幕府、島津綱貴ノ病ヲ見舞フ記事
綱貴公御譜中に、将軍家が八月朔日に田村右京大夫建顕を芝邸へ遣わして綱貴の病気を見舞い、吉貴が江府へ使書で謝礼し、十三日には本田弾正少弼忠晴が再び病を問うたと記す。九月七日には久永内記が病状を尋ね、将軍家から肴一種を賜る。吉貴は先に国を発って途中でこれを聞いたため、恩遇への謝礼が遅れたと付記する。
追録2-No.1742 長岡是康ほか五名連署書状
長岡是康ら六人が島津中務ら五人へ、江戸へ向かう島津玄蕃が領内を通過した際、宇土町近くで町田五郎左衛門の家来が人馬を傷つけた件に返答した連署書状。乱心による行為と聞いて心配したが、負傷者と馬は治療を受け日ごとに快方へ向かっていると伝える。
追録2-No.1743 幕府、島津綱貴ノ病ヲ見舞フ記事
綱貴公御譜に、九月六日、幕府元老が奉書を下し井関正伯を遣わして綱貴の病を治療させたと記す。小注には中村玄悦・渋谷松軒および町医師仙田玄智らも来て脈を診たとある。翌七日、上使久永内記を通じ鮮干鯛一箱を綱貴に下賜する。綱貴の病が重いため、上使を中奥へ招き厚意を謝した。
追録2-No.1744 小笠原長重書状
小笠原長重が島津吉貴へ、島津綱貴の病気について上使の見舞いを受けたことへの謝意を記した書状を読み、使者が持参した書面の趣旨を関係者で相談して将軍へ言上したと伝えた書状。
追録2-No.1745 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保と松平輝貞が島津吉貴へ、島津綱貴の病気に対する上使の見舞いをありがたく思う旨の書状を読み、その趣旨を承知したと伝えた連署書状。
追録2-No.1746 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保と松平輝貞が島津吉貴へ、島津綱貴の病気が重いため看病に参府したいとの願いについて、将軍から都合のよい時に参府してよいと許可された旨を伝えた連署書状。
追録2-No.1747 島津吉貴書状
島津吉貴が琉球国司尚貞へ、年貢に伴う儀礼として使書を送り、恒例に従って目録記載の品々を贈ったことを喜び、心遣いへの謝意を伝えた書状。
追録2-No.1748 島津吉貴書状
侍従吉貴が九月十三日、琉球国司へ、去年の剛姫誕生を祝い別録記載品を贈られたことを喜び、丁重な心遣いに謝す。剛姫には綱貴六女との原注がある。贈品の内容・数量は本条に記されない。
追録2-No.1749 島津吉貴書状
侍従吉貴が九月十三日、琉球国司へ、去年の満姫の御弘目が済んだ祝いに別紙記載品を贈られた丁重な心遣いを喜び謝す。
追録2-No.1750 島津吉貴書状
島津吉貴が琉球国司尚貞へ、前年に鍋三郎の御弘目が済んだことを祝い、美里按司を使者として遣わし、目録記載の品々を贈られたことを喜んで謝意を伝えた書状。
追録2-No.1751 島津吉貴書状
島津吉貴が中城王子尚純へ、今年の祝儀として書状と目録記載の品々を贈られたことを喜び、丁重な心遣いへの謝意を伝えた書状。
追録2-No.1752 島津吉貴書状
島津吉貴が中城王子尚純へ、前年に鍋三郎の御弘目が済んだことを祝って別録記載の品々を贈られたことを喜び、丁重な心遣いへの謝意を伝えた書状。
追録2-No.1753 島津吉貴書状
島津吉貴が中城王子尚純へ、前年に満姫の御弘目が済んだことを祝って別紙記載の品々を贈られたことを喜び、丁重な心遣いへの謝意を伝えた書状。
追録2-No.1754 島津吉貴書状
侍従吉貴が九月十三日、読谷山王子へ、去年の満姫弘目を祝い別録記載品を贈られた丁重な心遣いを喜び、謝意を伝える。
追録2-No.1755 島津吉貴書状
侍従吉貴が九月十三日、読谷山王子へ、去年の剛姫誕生を祝い別録記載品を贈られた丁重な心遣いを喜び、謝意を伝える。
追録2-No.1756 島津吉貴書状
島津吉貴が中城王子尚純へ、前年の剛姫誕生を祝って別録記載の品々を贈られたことを喜び、丁重な心遣いへの謝意を伝えた書状。
追録2-No.1757 新納久珍書状
新納久珍が中城王子尚純へ、中将島津綱貴から黄鷹二居を贈るので受け取って愛玩するようにとの意向を伝えた書状。
追録2-No.1758 小笠原長重書状
小笠原長重が島津吉貴へ、島津綱貴の病気について先頃上使の見舞いを受けたことへの謝意を記した書状を読み、使者が持参した書面の趣旨を関係者で相談して将軍へ言上したと伝えた書状。
追録2-No.1759 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保と松平輝貞が島津吉貴へ、島津綱貴の病気に対する先頃の上使見舞いをありがたく思う旨の書状を読み、その趣旨を承知したと伝えた連署書状。
追録2-No.1760 島津綱貴、芝邸ニ逝ク記事
六月十一日から江戸芝邸で瘧疾を患った島津綱貴を看病するため、島津吉貴は参府許可を得て八月朔日に鹿児島を出発し、出水・豊前大里・播磨室津・大坂・東海道を経て九月十九日に芝邸へ着いた。吉貴は父綱貴に対面したが、綱貴は同日未下刻に死去した。
追録2-No.1761 酒井忠挙口上書
酒井忠挙が島津吉貴へ、島津綱貴の死去は翌晩に老中へ届けるまで隠密にし、届出時刻を申刻過ぎとする案、親類への通知や葬送の進め方を相談するよう伝えた口上書。
追録2-No.1762 島津吉貴返書
島津吉貴が酒井忠挙へ、島津綱貴の死去を老中へ届けるまで隠密にし、親類へも同時に知らせるとの口上を了承した。死去時刻を申刻過ぎと届け、翌朝八時に小笠原彦大夫と島津淡路守を使者とする旨も伝えた返書。
追録2-No.1763 島津綱貴逝去・法要記事
島津綱貴が九月十五日に遺言書へ封印し、十九日に江戸で死去した後、島津惟久が遺言書を小笠原長重へ渡した。松平正久の弔問と銀五百枚の賜与、二十三日の大円寺での入棺・六十口の読経、二十七日の荼毘と大玄院殿昌道元新大居士の法諱を記す。
追録2-No.1764 島津吉貴口上書
島津吉貴が酒井右京亮へ、数日中に上使が桜田・芝両屋敷へ来る場合は父子のうち一人に出向いてほしいと依頼し、ほかに頼める者がいないため早急な返答を求めた口上書。
追録2-No.1765 島津吉貴書状
吉貴が九月二十二日、小笠原彦大夫へ、家来嶋津帯刀方へ届いた手紙を了承したと返す。薩摩守の遺状は小笠原佐渡守列席で松平美濃守・松平右京大夫が披見し、その旨は佐渡守から伝えるということ、遺骸を国元へ送ることも勝手次第と許されたことに謝意を述べる。明晩来訪すれば面談したいと頼む。
追録2-No.1766 川上久重覚書
川上久重が新納久珍・島津中務・島津助之丞へ、島津綱貴の葬礼は福昌寺住持が導師を務め、種子島弾正・樺山助太郎を法事奉行とすること、九月二十三日に大円寺へ移し二十七日に荼毘に付すことを通知した。遺骸の東海道移送、霊屋・土葬・外委細の相談も指示した覚書。
追録2-No.1767 川上久重覚書
川上久重が新納久珍・島津中務・島津助之丞へ、島津綱貴を江戸で火葬し、国元で葬礼を済ませて遺骨の一部を高野山へ納める方針を示した。大円寺への移送、福昌寺での葬礼、霊屋・納棺・乗船準備、近親者や家臣の役割を具体的に指示した覚書。
追録2-No.1768 島津吉貴証状
吉貴公御譜中に、九月二十五日付で修理大夫が、病死した松平薩摩守の遺骸を棺に納め乗物で江戸から薩州鹿児島福昌寺へ送るため、箱根・今切両関所を滞りなく通す手形を求めた証状を載せる。遺骸について難儀があれば自分方へ知らせてほしいと述べる。
追録2-No.1769 島津綱貴遺体江戸発・薩摩移送記事
九月二十三日夜、法諱を大玄院殿昌道元新大居士とする島津綱貴の遺体を芝邸から江戸の大円寺へ移して棺に納め、二十七日に大円寺を出発して薩摩へ向かったことを記す記事。
追録2-No.1770 新納久珍書状
新納久珍が三司官へ、読谷山王子が四月五日付書状で、前年の鍋三郎の御弘目を祝って美里按司を介し目録品を贈ったことを了承し、王子へ謝意を伝えるよう求めた書状。異本では相手を中城王子とする旨の注記がある。
追録2-No.1771 島津久輝書状
島津久輝が識名親方へ、鍋三郎の御弘目を祝って贈られた練蕉布三端・焼酎一壺を披露し、謝意を伝えた書状。
追録2-No.1772 島津久輝書状
嶋津中務久輝が九月二十八日、読谷山王子へ、去年の匠作(吉貴と注)への年頭祝儀に対する返書を差し越され、その礼の趣を伝えたことと、丁重な心遣いへの謝意を述べる。
追録2-No.1773 島津久輝書状
島津久輝が中城王子へ、前年に匠作へ年頭の祝儀を述べたことへの返書を受け取り、その礼意を王子へ伝えた書状。
追録2-No.1774 島津久輝書状
島津久輝が識名親方へ、匠作へ年頭の祝儀として贈られた練蕉布三端を披露し、謝意を伝えた書状。
追録2-No.1775 島津久輝書状
島津久輝が識名親方へ、鍋三郎の御弘目を祝って贈られた練蕉布三端・焼酎一壺を披露し、謝意を伝えた書状。継豊公御譜に収められた同文書である。
追録2-No.1776 島津久輝書状
島津久輝が幸地親方へ、鍋三郎の御弘目を祝って贈られた練蕉布三端・焼酎一壺を披露し、謝意を伝えた書状。正文の所在を琉球国幸地親方と記す。
追録2-No.1777 島津久輝書状
島津久輝が幸地親方へ、匠作へ年頭の祝儀として贈られた練蕉布三端を披露し、謝意を伝えた書状。
追録2-No.1778 島津久輝書状
島津久輝が幸地親方へ、鍋三郎の御弘目を祝って贈られた練蕉布三端・焼酎一壺を披露し、謝意を伝えた書状。
追録2-No.1779 島津久輝書状
島津久輝が中城王子へ、前年秋に伊良皆親雲上が帰帆した際、匠作から書状と目録記載の品々を贈られたことについて、その礼意を王子へ伝えた書状。
追録2-No.1780 島津久輝書状
島津久輝が読谷山王子へ、芝屋敷の類焼を受けて前年夏に匠作へ送った書状に対し、返書と目録記載の品々を贈られたことへの礼意を伝えた書状。
追録2-No.1781 島津吉貴書状
島津吉貴が小笠原彦太夫へ、肥後国水俣沖の破船について照会を受け、大坂から小倉へ定番船を差し遣わす件と水主八人救助の件を調べ、覚書を江戸へ届けるよう依頼した書状。島津帯刀からの書付も同封して返送している。
追録2-No.1782 島津久輝外四名連署書状
種子島久時・喜入久亮・新納久珍・島津忠守・島津久輝が、前年に中将へ年始の祝儀として贈られた書状・宇治茶・二種両樽を披露し、謝意を述べた連署書状。綱貴公御譜に収められている。
追録2-No.1783 島津久輝外四名連署書状
種子島久時・喜入久亮・新納久珍・島津忠守・島津久輝が中城王子へ、前年秋の伊良皆親雲上の帰帆時に中将から届いた書状・目録記載の品々について、江戸で礼意を伝えた旨を報じた連署書状。
追録2-No.1784 島津久輝外四名連署書状
種子島久時・喜入久亮・新納久珍・島津忠守・島津久輝が中城王子へ、前年に中将へ年始の祝儀として贈られた書状・宇治茶・二種両樽を披露し、謝意を伝えた連署書状。
追録2-No.1785 島津久輝外四名連署書状
種子島久時・喜入久亮・新納久珍・島津忠守・島津久輝が読谷山王子へ、去年の芝屋敷類焼に際して中将の機嫌を尋ねたところ、書状と目録品を遣わされたことへの礼の趣を江戸で伝えたと報じる連署書状。
追録2-No.1786 島津久輝外四名連署書状
種子島久時・喜入久亮・新納久珍・島津忠守・島津久輝が読谷山王子へ、中将への年始の祝儀として贈られた練蕉布十端を披露し、謝意を伝えた連署書状。
追録2-No.1787 島津久輝外四名連署書状
種子島久時・喜入久亮・新納久珍・島津忠守・島津久輝が識名親方へ、鍋三郎の御弘目を祝って贈られた練蕉布三端・焼酎一壺を披露し、謝意を伝えた連署書状。
追録2-No.1788 島津久輝外四名連署書状
種子島久時・喜入久亮・新納久珍・島津忠守・島津久輝が識名親方へ、中将への年始の祝儀として贈られた練蕉布十端を披露し、謝意を伝えた連署書状。
追録2-No.1789 島津久輝外四名連署書状
種子島久時・喜入久亮・新納久珍・島津忠守・島津久輝が幸地親方へ、鍋三郎の御弘目を祝って贈られた練蕉布三端・焼酎一壺を披露し、謝意を伝えた連署書状。
追録2-No.1790 島津綱貴霊塔碑誌
島津綱貴の霊塔に納める碑誌。慶安三年に江戸で生まれ、貞享四年に祖父光久の致仕を受けて薩摩・大隅・日向三国と琉球国を継承し、宝永元年夏に江戸で五十五歳で死去して同年九月十九日に大圓寺へ葬られた生涯を記す。
追録2-No.1791 島津綱貴墓誌銘
島津綱貴の墓誌銘。綱貴を大玄院殿薩隅日三国主兼領琉球国源公昌道元新大居士と記し、羽林中郎将の官途と薩摩・大隅・日向三国および琉球国の領主であったことを示す。
追録2-No.1792 吉貴、綱貴ヲ葬送シ祭文ヲ献ス
島津吉貴が父綱貴の遺体を宝永元年九月二十七日に江戸から送り、東海道・美濃路・大坂・海路・赤間関を経て薩摩へ運び、十月十九日に鹿児島福昌寺へ安置して同月二十三日に葬儀を営んだ記事。吉貴が綱貴の菩提と衆生救済を祈る祭文も収める。
追録2-No.1793 島津吉貴弔辞
島津吉貴が父綱貴の死を悼んだ弔辞。綱貴が江戸の旅邸で病没し、遺骸を国元へ帰送して葬った経過を述べ、治政・武徳・慈愛をたたえながら、孝を尽くせなかった悲しみを連句で表す。
追録2-No.1794 綱貴葬礼次第
綱貴の葬礼次第。同日夜子時の客殿出棺と二十四日暁の土葬礼に続き、葬馬二匹の各担当、燈籠・香炉・花瓶・茶湯・神主・棺前後の輿・刀・天蓋などの役割と行列を記す。遺族近習、薩隅日三州や琉球からの僧衆の読経・拝礼、弔祭法式を載せ、永興寺・皇徳寺・福昌寺等の僧による法語を続ける。牛乳五味・白牛大車は法語の仏教…
追録2-No.1795 島津久住祭文
島津久住が兄で主君の綱貴へ献じた祭文。綱貴が五十五歳で武陽の旅邸に没し、遺体を国元へ迎えて福昌寺で葬るにあたり、弟かつ家臣としてその人徳と治政をたたえ、別離の悲しみを述べる。
追録2-No.1796 島津久輝祭文
島津久輝が主君綱貴へ献じた祭文。長年左右に仕えた家臣として、綱貴が東武の邸で病没し、遺体を国元へ迎えて葬るまでを述べ、仁徳・武威・領国統治をたたえて哀悼の句を連ねる。
追録2-No.1797 島津忠直祭文
島津忠直が主君綱貴へ献じた祭文。綱貴が政務に尽くしたこと、武江の旅館で病没して遺骸が国元へ戻され、梵儀をもって葬られたことを述べ、威徳と家臣への慈愛をたたえて哀悼する。