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追録2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,207件中 1901~2000件・20 / 33ページ

  1. 追録2-No.1898 平松時方書状

    平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、前年冬の任官について両伝奏へ申し入れ、口宣が滞りなく整ったと報告した書状。祝儀として贈られた太刀と馬代黄金十両を受納し、時方の息子たちへの祝儀にも謝意を述べた。

  2. 追録2-No.1899 島津吉貴伺覚

    島津吉貴が小笠原彦太夫へ、妹と近衞家との婚礼は前年九月に調う予定だったが亡父の事情で延期され、近衞家から同年六月に挙行したいと申し入れがあったと伝えた伺覚。妹を五月中に当地から出発させたいとして、幕府の内意を伺うよう依頼した。

  3. 追録2-No.1900 小笠原長住覚書

    小笠原長住が、島津吉貴の妹の婚礼に関する書付を二日朝に小佐渡守へ持参し、披見後の口上を記した覚書。先方は、以前から相談済みの件なので吉貴の都合どおりに進め、列座の者には折を見て話すとして、書付を返却した。

  4. 追録2-No.1901 島津吉貴口上覚

    島津吉貴が進藤刑部大輔へ、左大臣家から伝えられた大納言近衞家久との婚礼について、六月中に調うよう準備し、妹を五月中に当地から出発させると回答した口上覚。老中にも申し置き、国許への暇を得て帰国する際には御所へ参上すると伝えた。

  5. 追録2-No.1902 島津吉貴伺書

    薩摩守吉貴が二月四日付覚で、実妹を養女として近衛家との婚礼を調えたいが差し支えないか内意を尋ねる。付箋は願いどおり養女として差し遣わしてよいとし、御礼には美濃殿・御用番・右京殿の三か所へ赴くよう指示する。

  6. 追録2-No.1903 近衞家久書状

    近衞家久が松平薩摩守島津吉貴へ、新年の祝賀状を受け、吉貴が無事に年を重ねたことを喜び、自身も当地で無事であると伝えた書状。目録どおりの贈り物を受領し、毎々の厚意に謝して後便を期した。

  7. 追録2-No.1904 吉貴参府ノ期ヲ変ンコトヲ乞フ

    島津家は四月参府を旧例としたが、春先は西北風で西海が荒れ、海路を避けて九州を陸行すると参府期に間に合わせにくかった。島津綱貴が参府を六月へ改めるよう願った経緯を継ぎ、宝永二年正月、島津吉貴が土屋政直・小笠原長重を通じて再願し、将軍徳川綱吉から六月参府を許された記事。

  8. 追録2-No.1905 小笠原長住書状

    小笠原長住が松平薩摩守島津吉貴へ、参勤交代を六月とする許可の書付が渡されることを知らせた書状。吉貴には宿で待つよう伝え、書付到着後は松平美濃守・右京大夫と老中五人へ礼に回ること、長住が午前九つ前に到着して供回りを伴い登城する段取りを案内した。

  9. 追録2-No.1906 参勤令書

    松平薩摩守島津吉貴の願いどおり、参勤交代を六月中とすることを許可し、その旨を伝えるよう命じた参勤令書。

  10. 追録2-No.1907 小笠原長住書状

    小笠原長住が松平薩摩守島津吉貴へ、吉貴の妹を養女とする願いが許可され、先に提出した切紙と許可通知の二通を返送すると知らせた書状。今夕、松平美濃守・右京大夫・月番老中と小笠原佐渡守へ速やかに礼へ出向くよう勧めた。

  11. 追録2-No.1908 小笠原長重達書

    小笠原長重が、松平薩摩守島津吉貴から申し出のあった養女の件は願いどおり許可されたと伝え、吉貴が提出した伺書に付札して返すので本人へ通知するよう命じた達書。

  12. 追録2-No.1909 吉貴養女、近衞家久トノ婚姻ヲ許サル

    吉貴公御譜は、宝永二年二月四日、吉貴が西丸御簾中(儲君家宣公の御簾中と注)の意により亀姫を養子とし、近衛大納言家久と婚姻させる願いを老中小笠原佐渡守長重に申し出たと記す。同月十二日に許され、西丸から奉書を賜った。

  13. 追録2-No.1910 つほね・ひて連署消息

    ひて・つほねが嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ伝える消息。亀姫を養子とする祝儀として薩摩守から御簾中へ目録どおりの品が進上され、末永い繁栄を祝われたことを、御簾中が満足し喜んでいると述べ、その心意をよく心得て申し入れるよう求める。

  14. 追録2-No.1911 吉貴、老中以下ヲ招宴ス

    宝永二年二月十三日、島津吉貴が前年冬の家督相続を受け、小笠原長重・稲葉正通・秋元喬朝・本多正永ら老中・若年寄・留守居・目付・町奉行・勘定奉行などを招いて饗宴した記事。同月二十二日と三月十三日にも諸役人を招き、観世太夫・宝生太夫らの舞曲で饗応した。

  15. 追録2-No.1912 飾付目録

    吉貴の饗宴時の大書院・小書院・小座敷・勝手間・屯間等の飾付目録。卓・花瓶・香炉・硯箱・筆架・水入・軸物・料紙箱・食籠等の配置を列挙する。鯉の金属水入、獅子蓋の金属香炉、呂記筆の花鳥掛物、本山筆の蝦蟇図、青貝盆・青貝籠料紙箱など動物図像・由来品を含む。末尾には囃子組の演目と担当者を挙げ、饗応後に再び囃…

  16. 追録2-No.1913 近衞家熙書状

    近衞家熙が薩摩少将島津吉貴へ、改年の祝賀状を受けて吉貴の健康を喜び、自身も当地で無事であると伝えた書状。目録どおりに調えた香合二種を贈り、余事は使者の口上に委ねた。

  17. 追録2-No.1914 近衞基熙書状

    近衛基熙が仲春十八日、薩摩少将吉貴へ、改年の祝賀状を受けて吉貴の健康を喜び、自身も無事と伝える。太刀一腰・馬一匹と調合薫物二香合を贈り、ほかは使者の口上に委ねる。

  18. 追録2-No.1915 近衞家久書状

    近衞家久が薩摩少将島津吉貴へ、新年を祝って吉貴が平安に過ごしていることを喜び、自身も無事であると伝えた書状。目録記載の香一種を贈り、後便を期した。

  19. 追録2-No.1916 松村外十一名連署消息

    松村ほか十一名が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守島津吉貴の家督相続祝儀として御簾中へ目録どおりの品を進上し、披露したところ満足したと伝えた連署消息。吉貴の機嫌を尋ね、目録の品と祝意への礼を取り次ぐよう求めた。

  20. 追録2-No.1917 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守島津吉貴の家督相続祝儀について目録どおりの品を御簾中へ進上し、喜んで受け取られたと伝えた連署消息。吉貴の長久と繁栄を祝い、祝儀と目録の品への礼を取り次ぐよう求めた。

  21. 追録2-No.1918 つほね・ひて連署消息

    西丸大奥のひて・つほねが二月二十一日、嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ、二所の方々の機嫌がよいと聞いた安心と、丁重な礼への満足を伝える。亀姫養子の祝儀として御簾中から薩摩守へ目録品を早川勝七郎の使いで送り、それに対する礼の趣を披露したところ御簾中が満足したと述べる。

  22. 追録2-No.1919 松村外二名連署消息

    梅小路・あすか・松村が二月二十五日、嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ、二所の方々と亀姫の機嫌がよいことを喜ぶ。薩摩守から中納言へ亀姫養子の祝儀として目録品と書状が送られ、その内容を披露したところ中納言がたいへん満足した旨を伝え、さらに中納言の健康を取り次ぐよう頼む。

  23. 追録2-No.1920 小笠原長重書状

    小笠原長重が松平薩摩守島津吉貴へ、歳暮の御内書を渡すため、翌日午前五半時に家来を江戸城へ差し出すよう命じた書状。

  24. 追録2-No.1921 島津吉貴口上覚

    吉貴が二月二十六日、平松中納言へ、妹亀姫を養女として近衛大納言家久と婚礼させる願いが許され、六月婚礼に向け五月中に江戸を発たせる支度について指図を求める。亡父薩摩守が相談しておいたこともあると聞くが、当時の役人が不在で基礎が不明なので、改めて問い合わせ、諸事を整える意向を述べる。諸事の支度を改めて問…

  25. 追録2-No.1922 平松時方書状

    平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、吉貴の使者が上京し、任官の口宣を首尾よく頂戴したことを喜んだ書状。京都での事情を使者と相談し、その内容を吉貴が聞いたうえで厚く礼を述べたことにも謝意を示した。

  26. 追録2-No.1923 土屋政直外三名連署状

    土屋政直・小笠原長重・稲葉正通・本多正永が松平薩摩守島津吉貴へ、翌朔日の例月御礼は行わないため登城に及ばないと通知した連署状。

  27. 追録2-No.1924 島津吉貴口上書

    島津吉貴が左大臣家へ、進藤刑部大輔を介して求められた近衞大納言家久との婚礼を六月に調えると回答した口上書。妹を養女として嫁がせる件は、御簾中の内意を受けて老中へ願い、将軍の上聞を経て許可されたと説明し、祝儀の品を使者に持参させた。

  28. 追録2-No.1925 島津忠守家老職ヲ辞ス

    宝永二年三月十日、島津忠守が家老職を辞したことを記す記事。忠守は宝永四年十二月二十日に六十六歳で死去したと付記する。

  29. 追録2-No.1926 即宗院楚長書状

    即宗院楚長が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守島津吉貴の家督相続と任官が首尾よく済んだことを祝った書状。百人一首色紙一箱と菓子・昆布一箱などを進上し、吉貴へ披露するよう依頼した。

  30. 追録2-No.1927 龍菖書状

    龍菖が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守島津吉貴の家督相続と任官が首尾よく済んだことを祝った書状。扇子一箱などの祝儀品を進上し、吉貴へ披露するよう依頼した。

  31. 追録2-No.1928 土屋政直外三名連署状

    土屋政直・小笠原長重・稲葉正通・本多正永が松平薩摩守島津吉貴へ、同月二十六日の例月御礼は行わないため登城に及ばないと通知した連署状。

  32. 追録2-No.1929 吉貴、綱吉父子ノ叙任ヲ賀ス

    吉貴公御譜中に、乙酉年(宝永二年)三月五日、大将軍綱吉が右大臣、儲君家宣が従二位大納言に叙任されたことを記す。吉貴は同月二十二日に奉書を受け、二十六日に登城して能を拝見し、饗応を受けた。両公叙任の賀儀によると説明する。

  33. 追録2-No.1930 土屋政直外四名連署状

    土屋政直・小笠原長重・稲葉正通・本多正永・秋元喬朝が松平薩摩守島津吉貴へ、翌二十八日の例月御礼は行わないため登城に及ばないと通知した連署状。

  34. 追録2-No.1931 平松時方書状

    平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、亀姫を吉貴の養女とする件が願いどおり許可されたことを喜び、吉貴家の繁栄を祝った書状。

  35. 追録2-No.1932 松村外二名連署消息

    梅小路・あすか・松むらが四月六日、嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ、薩摩守と御二所、亀姫の機嫌がよいことを祝い、目録品進上の内容を披露して満悦した旨を伝える。薩摩守の書状による大納言への挨拶に続き、亀姫をはじめ御二所の機嫌を伺い、目録どおり大納言へ品を進上したことと、前様の機嫌・長久繁盛を伝えるよう頼む。差…

  36. 追録2-No.1933 つほね・ひて連署消息

    ひて・つほねが四月六日、嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ、御二所と亀姫の機嫌・長久繁盛を祝い、目録品進上への満足と謝意を伝える。薩摩守の書状の趣を御簾中へ伝え、さらに亀姫から目録どおり御簾中へ品が進上されたことを文面に沿って披露し、長く喜ばれていると報じる。

  37. 追録2-No.1934 土屋政直外四名連署状

    土屋政直・小笠原長重・稲葉正通・秋元喬朝・本多正永が松平薩摩守島津吉貴へ、翌十五日の例月御礼は行わないため登城に及ばないと通知した連署状。

  38. 追録2-No.1935 松村外二名連署消息

    松村・あすか・梅小路が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ返した連署消息。薩摩守の書状を披露して大納言が満悦したこと、前日に御簾中から亀姫へ書状と目録記載品が届けられ、丁重な謝意が示されたことを伝えた。

  39. 追録2-No.1936 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ返した連署消息。薩摩守の書状を披露したこと、御簾中から目録どおり亀姫へ贈られた品、婚姻への祝意と謝意、両家の安泰を伝えた。

  40. 追録2-No.1937 本多正永書状

    本多正永が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言に献上した香餅・寿帯香・龍涎香・長寿大官香と御肴が首尾よく披露されたと通知した書状。

  41. 追録2-No.1938 稲葉正通書状

    稲葉正通が松平薩摩守島津吉貴へ、御香具品々と御肴一種の献上を首尾よく披露したと通知した書状。

  42. 追録2-No.1939 今大路治部少輔ほか三名連署書状

    今大路治部少輔・進藤刑部大輔・今大路兵部大輔・進藤筑後守が四月十六日、嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ、亀姫を薩摩守の養子とする件が首尾よく許され、先頃の使者による通知に両公が満悦したと伝える。薩摩守と奥方への祝儀として目録どおり品を贈った旨を、両公の命として通知する。

  43. 追録2-No.1940 松平定直書状

    松平定直が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言の機嫌と自身の無事を伝えたうえ、前日十八日に参内・院参して返答と暇を受け、品々を拝領したと報告した書状。二十三日に当地を出発する予定も知らせた。

  44. 追録2-No.1941 山科持言書状

    山科三位持言が四月二十二日、薩摩守吉貴へ、故綱貴の依頼で夏冬束帯と冬直衣を調製し、夏直衣も出来次第屋敷へ渡すと伝える。礼の使者を遣わし、とくに紗綾十巻・干鯛一筥を贈られたことに謝意を述べ、隔意のない厚情を喜ぶ。

  45. 追録2-No.1942 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ返した連署消息。御簾中・陽和院・薩摩守らの安泰と、互いの機嫌伺いが済んだことを喜び、両家の長久を祈った。

  46. 追録2-No.1943 家宣、琉球賀使登営ヲ許サス

    徳川家宣が将軍綱吉の養君となって西丸へ移った際、島津吉貴が琉球国王尚貞の賀使を出そうとしたが、将軍家ではこれを許可しなかったことを記す記事。

  47. 追録2-No.1944 島津吉貴伺書

    島津吉貴が、徳川家宣の養君就任を琉球中山王尚貞から祝賀させたいとして、賀使派遣の可否を幕府へ尋ねた伺書。芝屋敷類焼で先例の記録が失われたため、将軍代替わりには中山王が必ず使者を送る例を挙げて許可を求めた。

  48. 追録2-No.1945 進藤長房外三名連署書状

    進藤長房ら四名が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、表御殿が完成し、四月二十七日に左府・大納言・姫君方がそろって移徙して安住したと伝えた連署書状。長年不便だった旧殿から勝手のよい新殿へ移った喜びと、礼状が多忙で遅れる旨を記した。

  49. 追録2-No.1946 今大路治部少輔ほか三名連署書状

    今大路治部少輔・進藤刑部大輔・今大路兵部大輔・進藤筑後守が四月二十七日、嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ、本殿の普請が完成し今日両御所が移徙した大慶を伝える。その礼は書状で申し入れられるべきだが、まず自分たちから伝えるよう命じられたという。

  50. 追録2-No.1947 島津吉貴口上覚

    島津吉貴が、養女亀姫と近衞大納言家久との縁組が願いどおり許可されたと伝える口上覚。亀姫を五月に当地から出発させ、六月中に婚礼を調えると老中へ願い、支度中であることを使者から通知した。

  51. 追録2-No.1948 松村外二名連署消息

    梅小路・飛鳥・松村が四月晦日、嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ、薩摩守・御二所の機嫌がよいことを喜び、陽和院および大納言も無事と伝える。陽和院から御二所への機嫌伺いについて、堀源左衛門・早川勝七郎から申し入れることも添えて礼を述べた趣を披露し、満足されたと報じる。

  52. 追録2-No.1949 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ返した連署消息。御簾中・御二所・陽和院らの安泰、薩摩守の書状の披露、陽和院による機嫌伺いと、双方の丁重な謝意を伝えた。

  53. 追録2-No.1950 島津吉貴口上覚

    島津吉貴が平松中納言時方へ、左大臣の指示どおり、養女亀姫を移徙の形で近衞家の御殿へ直接入れ、吉日に婚礼を行うと回答した口上覚。五月十日頃の当地出発を予定し、婚礼日時を定めた書付を受け、取次ぎへの礼を頼んだ。

  54. 追録2-No.1951 平松時方書状

    平松時方が島津吉貴へ、亀姫の婚姻万端を取り計らうよう命じられた件を了承し、吉貴からの礼状にも謝意を示した書状。婚姻に関する諸事は吉貴の家来と相談するので安心するよう伝えた。

  55. 追録2-No.1952 平松時方書状

    平松時方が島津吉貴へ、封印を受け取って返進し、左大臣の命を吉貴が了承した旨を奏上すると、そのとおりでよいとの返答を得たと知らせた書状。亀姫が五月十日頃に出発し、婚礼万端が首尾よく整うことを祝った。

  56. 追録2-No.1953 近衞家熙書状

    近衛家熙が孟夏十六日、薩摩少将吉貴へ、自身の平安を伝え、吉貴が画工養伯(狩野氏と注)に禁裏用の屏風絵を描かせ、先例に任せ内々に献上してよいか尋ねた件に返答する。先日進藤が帰洛した際に示された文治以来の旧例を承知し、今回も内々に執奏するので後報を待つよう伝える。

  57. 追録2-No.1954 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、御簾中の意向を伝えた連署消息。長雨のような天候を案じ、薩摩守が十五日に登城しなかった理由と様子を詳しく返答するよう求める一方、御二所の機嫌がよいので安心するよう伝えた。

  58. 追録2-No.1955 吉貴、近衞家熙ノ居宅ヲ新造ス

    元禄十六年秋、島津綱貴が近衞家熙の求めに応じてその居宅を造営し、完成後の宝永二年閏四月二十三日に家熙が新造宅へ移徙したことを記す記事。移徙に際して家熙が島津吉貴へ書状を送った。

  59. 追録2-No.1956 近衞家熙書状

    近衞家熙が薩摩少将島津吉貴へ、新造居所へ無事に安住した喜びと、近年の多くの世話への謝意を伝えた書状。会始の懐紙、屏風一双、香一種を贈り、粗末な品であると断った。

  60. 追録2-No.1957 近衞基熙書状

    近衞基熙が薩摩少将島津吉貴へ、左府の邸宅新造が滞りなく整ったことを喜び、造営への尽力に改めて謝意を示した書状。後日さらに詳しく述べるとしている。

  61. 追録2-No.1958 島津吉貴口上書

    島津吉貴が小笠原彦大夫へ、養女とした実妹の近衞家への婚礼が六月に整い、五月十日頃に当地を出発させると伝えた口上書。この予定を小笠原佐渡守にも話しておくよう依頼した。

  62. 追録2-No.1959 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩少将島津吉貴へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が届いたことを喜んだ御内書。詳しい返答は秋元但馬守喬朝から伝えるとした。

  63. 追録2-No.1960 土屋政直外四名連署状

    本多正永・稲葉正通・秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直が松平薩摩守島津吉貴へ、大納言への端午の祝儀として、使者を立て目録どおり献上した品を滞りなく披露したと知らせた連署状。

  64. 追録2-No.1961 島津吉貴教状

    島津吉貴が、近衞家へ嫁ぐ亀姫に婚家での心得を示した教状。大納言をはじめ近衞家の人々に従い、嫉妬や気ままを慎み、家領に応じて倹約し、召使いには慈悲をもって接して、島津家と西丸の面目を損なわず子孫繁栄に努めるよう命じた。

  65. 追録2-No.1962 島津吉貴達書

    島津吉貴が三雲・岡山へ、亀姫の京都入りに伴う身持ちと若輩者の扱いを命じた達書。近衞家の作法に従い、費用や奉公人の用い方を慎み、京都留守居・役人と相談し、女性同士の嫉妬や勝手な振舞いを防ぐよう申し聞かせた。

  66. 追録2-No.1963 島津吉貴達書

    吉貴が五月九日、亀姫入輿に付き添う川上長左衛門と、京都留守居の今井八右衛門へ、諸事を女中年寄とも相談し、女中の無益な雑談・善悪の批判を禁じて厳重に取り締まるよう命じる。近衛家との縁組は家の誉れで西丸からの配慮もあるため、付随者が不和で家の風儀を乱すとの批判を受けないよう戒める。大蔵・勘解由・帯刀から…

  67. 追録2-No.1964 島津吉貴達書

    島津吉貴が亀姫の供奉者へ、道中と在京中の勤務を怠らず、島津大蔵の指図に従うよう命じた達書。女性供奉者に心得違いや粗略があれば厳しく処罰するとし、一同に堅固な勤務を申し付けた。

  68. 追録2-No.1965 島津吉貴達書

    島津吉貴が亀姫の供奉者へ、奉公方の出精と規律を命じた達書。川上長左衛門と京都留守居の指図に従い、意見の相違や不和を避け、付随者の不和が近衞家の風儀を乱すとの批判を受けないよう慎み、日頃の注意を忘れないよう求めた。

  69. 追録2-No.1966 島津久明等亀姫ニ従ヒ近衞第ニ入ル

    五月十日、亀姫婚姻のため江戸高輪邸を発ち、家老嶋津大蔵久明、用人猿渡喜右衛門信安、川上長左衛門久恭らが随行する。東海道を経て同月二十七日、近衛左大臣家熙の邸へ到着した。久恭は亀姫用人、初め奥家老で後に用人となったと注記する。大納言家宣の御簾中から吉貴へ奉書が贈られ、次に掲げることも記す。

  70. 追録2-No.1967 松村外二名連署消息

    松村・あすか・梅小路が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ返した連署消息。両御所と御簾中の安泰、薩摩守の書状を披露したことを伝え、御簾中から亀姫へ目録どおりの品が贈られ、亀姫が出立したことを祝った。

  71. 追録2-No.1968 松村外二名連署消息

    梅小路・あすか・松むらが嶋津大蔵・勘解由・帯刀へ、薩摩守・御二所・陽和院の機嫌がよいことを喜び、亀姫の道中が無事で安着したことを伝える。薩摩守書状を披露し、御簾中の使者早川勝七郎による見立ての挨拶や伝言、陽和院をはじめ、しん證院(綱貴側室と注)・御おくへ善伝したことへの謝意を伝える。

  72. 追録2-No.1969 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由へ、両御所の安泰と亀姫の機嫌がよいことを伝えた連署消息。薩摩守の書状が披露され、亀姫の出立を見送るため早川勝七郎が遣わされたことへの礼も報じた。

  73. 追録2-No.1970 松村外二名連署消息

    松村・あすか・梅小路が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、両御所と亀姫の安泰を伝えた連署消息。御簾中が早川勝七郎を使者として目録どおりの品を亀姫へ贈り、亀姫が恐縮して礼を述べたことを知らせた。

  74. 追録2-No.1971 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由へ、薩摩守の書状を披露し、亀姫が無事に出立したことを両御所も喜んでいると伝えた連署消息。御簾中からの贈答と、亀姫の末長い繁栄を願う意向も知らせた。

  75. 追録2-No.1972 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、両御所の安泰と御簾中の意向を伝えた連署消息。前日に御簾中から亀姫へ目録どおりの品が贈られ、亀姫がこの日よい天候のもと無事に出立したことを喜んだ。

  76. 追録2-No.1973 平松時方書状

    平松中納言時方が五月十三日、薩摩守吉貴へ、自分の娘が西丸御簾中に召し出されたことへの祝儀として目録品を贈られ、受納したと礼を述べる。とくに娘方にも目録どおり品を贈られた厚意に謝し、しかるべく礼を勤めると返す。

  77. 追録2-No.1974 松村外二名連署消息

    松村・あすか・梅小路が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、前日に御簾中が使者を立て目録どおりの品を亀姫へ贈ったことを伝えた連署消息。両御所と御簾中の安泰、亀姫の道中の無事と好天を喜んだ。

  78. 追録2-No.1975 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、御簾中が使者を遣わし目録どおりの品を亀姫へ贈ったことを伝えた連署消息。両御所・御簾中の安泰と、亀姫の道中の無事、好天への安心を知らせた。

  79. 追録2-No.1976 平松時方書状

    平松時方が島津吉貴へ、先の書状が届き、亀姫が道中を健やかに進み無事に到着したと知って喜んだ書状。今後も一層健康を保つよう願った。

  80. 追録2-No.1977 秋元喬朝書状

    秋元但馬守喬朝が松平薩摩守島津吉貴へ、端午の御内書を渡すので、翌日五半時に家来を江戸城へ差し出すよう命じた書状。

  81. 追録2-No.1978 吉貴初テ告ヲ受ク

    宝永二年六月九日、将軍の使者小笠原佐渡守長重が桜田邸を訪れ、家督後初めて吉貴に告を賜い、時服百領・白銀千枚を賜った。恒例であると注記する。翌十日、吉貴が登営して礼謝した際には、さらに御馬一匹を賜った。

  82. 追録2-No.1979 松村外二名連署消息

    松村・飛鳥・梅小路が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守の書状を披露したと伝えた連署消息。上使小笠原佐渡守から国許への帰国許可と拝領物を受け、薩摩守が礼を述べたこと、大納言・両御所らが安泰であることを知らせた。

  83. 追録2-No.1980 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守の書状を披露したと伝えた連署消息。上使小笠原佐渡守から国許への帰国許可と拝領物を受け、薩摩守が礼を述べたこと、両御所と薩摩守の安泰を知らせた。

  84. 追録2-No.1981 土屋政直書状

    土屋政直が松平薩摩守吉貴へ、琉球布十巻・砂糖漬天門冬一器・泡盛酒二壺・御肴一種を献上された件を、滞りなく披露したと知らせる。

  85. 追録2-No.1982 本多正永書状

    本多正永が松平薩摩守吉貴へ、大納言に琉球布十巻・砂糖漬天門冬一器・泡盛酒二壺・御肴一種を献上された件を、滞りなく披露したと知らせる。

  86. 追録2-No.1983 松むら外二名連署消息

    松むら・あすか・梅小路が島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守の書状を披露したと伝えた連署消息。薩摩守が国元への帰国許可を受け、御礼登城で御馬を拝領したことと、両御所・薩摩守の安泰を知らせた。

  87. 追録2-No.1984 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津大蔵・島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守の書状を披露したと伝えた連署消息。薩摩守が国元への帰国許可を受け、御礼登城で御馬を拝領したことと、両御所・薩摩守の安泰を知らせた。

  88. 追録2-No.1985 松むら外二名連署消息

    松むら・あすか・梅小路が島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守の国元帰国に際し、御簾中が早川庄七郎を使者として餞別を贈ったことを伝えた連署消息。両御所の安泰と薩摩守からの礼も知らせた。

  89. 追録2-No.1986 綱貴女亀姫近衞家ニ入輿

    五月二十七日、亀姫が京都に着いて近衛左大臣家熙の邸に入る。六月十三日巳刻、近衛大納言家久の裏方へ入り、婚礼の大礼と献酬を行った。前関白基熙・徳大寺大納言卿および簾中が亀姫と初めて対面し、その後、大書院で基熙・家熙・家久・亀姫・徳大寺大納言卿および簾中がそれぞれ盃を進め、盛膳を献じた。詳しくは別録にあ…

  90. 追録2-No.1987 今大路治部少輔ほか三名連署書状

    今大路治部少輔・進藤刑部大輔・今大路兵部大輔・進藤筑後守が六月十四日、嶋津勘解由・帯刀へ、酷暑の中で薩摩守一家と各人が健やかなことを喜ぶ。昨日十三日に大納言の婚礼が首尾よく済み、今朝も亀姫の機嫌がよく喜ばれていると報じ、当地でも両公が大慶していると推察し、その趣を伝える。

  91. 追録2-No.1988 亀姫、近衞家久ニ嫁ス

    綱貴公御子女子亀姫君御伝中に、六月十三日の婚礼、十四日の仙洞・女院・女御・准后からの品物下賜を記す。十六日、今上天皇(東山と注)が亀姫へ紗綾十巻・昆布一箱・鰑一箱・干鯛一箱・御樽一荷を賜い、十八日には亀姫から羽二重二十疋・昆布一箱・鰑一箱・干鯛一箱・御樽一荷を答礼し、川上長左衛門久恭が参内して納めた…

  92. 追録2-No.1989 平松時方書状

    平松時方が島津吉貴へ、近衞大納言家久と亀姫の婚礼が滞りなく整い、満悦していると伝えた書状。亀姫の末永い繁栄を祝い、目録どおり祝儀を贈った。

  93. 追録2-No.1990 島津吉貴覚書

    島津吉貴が六月九日に帰国許可を受け、江戸出発を前にした同月十八日、嫡子島津鍋三郎を当地に残すと届けた覚書。吉貴が土屋政直へ自ら提出し、同文を小笠原彦太夫長信に託して小笠原長重へ届けさせた。

  94. 追録2-No.1991 松むら外二名連署消息

    松むら・あすか・梅小路が島津勘解由・島津帯刀へ、島津吉貴が六月二十七日に江戸を出発する予定と知らせ、大納言へ目録品と書状を進上した旨を伝えた連署消息。大納言が披露を受けて満足し、吉貴の健康と長久を祝ったことも報じた。

  95. 追録2-No.1992 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津勘解由・島津帯刀へ、島津吉貴が六月二十七日に江戸を出発する予定と知らせ、御簾中へ目録品と書状を進上した旨を伝えた連署消息。御簾中が披露を受けて満足し、吉貴の健康と長久を祝ったことも報じた。

  96. 追録2-No.1993 桂昌院死去

    宝永二年六月二十二日に将軍徳川綱吉の母桂昌院が江戸で死去し、七月十一日に訃報が薩摩へ届いたことを記す記事。同日から八月十一日まで、薩摩・大隅二国と日向諸県郡の士庶に鳴物と遊興を禁じた。

  97. 追録2-No.1994 松むら外二名連署消息

    松むら・あすか・梅小路が島津勘解由・島津帯刀へ、桂昌院の逝去を島津吉貴が深く惜しみながらも健康に変わりがないと伝えた連署消息。吉貴の機嫌伺いと口上書を披露すると満足したため、その旨を申し伝えるよう求めた。

  98. 追録2-No.1995 つほね・ひて連署消息

    つほね・ひてが島津勘解由・島津帯刀へ、桂昌院の逝去を島津吉貴が深く惜しみながらも健康に変わりがないと伝えた連署消息。吉貴の機嫌伺いと口上書を披露すると満足したため、その旨を申し伝えるよう求めた。

  99. 追録2-No.1996 平松時方書状

    平松時方が六月二十五日、吉貴へ、九日に帰国の暇を賜ったことを喜び、左大臣を訪ねる際は拙宅で朝食を取り休息して狩衣に着替え、同行してはどうかと招く。亀姫関係の諸事は河上長左衛門一人では不案内で、猿渡喜右衛門は江戸留守を命じられたと聞くため、嶋津大蔵・家村平八のうち一人を吉貴上京まで京都にとどめるのがよ…

  100. 追録2-No.1997 土屋政直書状

    土屋政直が松平薩摩守島津吉貴へ、献上された御檜重一組を滞りなく披露したと知らせた書状。