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追録2の目録
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追録2-No.1197 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津綱貴へ、将軍徳川綱吉が先頃松平右京大夫邸へ御成になったことを綱貴が喜んだ旨を了承した連署書状。二人がその書面の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。
追録2-No.1198 島津綱貴書状
島津綱貴が陽和院へ、三月朔日の消息を読み、陽和院の機嫌がよいことを喜び、自身が船中無事で四月十三日に大坂へ着いたと報告した書状。目録記載の到着祝いに謝し、田町屋敷の普請ができて三月二十八日に移ったとの知らせも承知したと伝える。
追録2-No.1199 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、海上無事に大坂へ着いたと報告し、到着祝いとして目録記載の品を贈られたことに謝意を示した書状。近日中に道中で会って直接礼を述べる意向も伝える。
追録2-No.1200 島津綱貴願書
島津綱貴が松平紀伊守へ、家来桂徹巌が妻子を伴い、女性を含む上下五人で国元から江戸へ向かうため、関所通行手形の発給を願った書状。京都に置く家来伊集院主水が証文を提出すると伝える。
追録2-No.1201 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津綱貴へ、将軍徳川綱吉が機嫌よく過ごしていることを綱貴が喜び、さらに一位様の叙位をめでたいとした書面を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.1202 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津綱貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌と、先頃の日光御門跡の御成について綱貴が喜んだ旨を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.1203 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津綱貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌を綱貴が喜んだことに加え、一位様の叙位祝儀の能で同氏修理大夫(島津吉貴)が拝見を命じられたことをありがたく思う旨を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.1204 佐敷王子尚益書状
佐敷王子尚益が島津吉貴へ、中将様に前年、奈古姫が誕生したと承知し、長寿と繁栄を祝った書状。誕生祝いとして目録記載の品を進上すると伝える。
追録2-No.1205 阿部正武外三名連署状
阿部正武・小笠原長重・秋元喬朝・稲葉正通が島津綱貴へ、翌二十八日五半時に登城して参勤の御礼を申し上げるよう命じた連署状。御目見を許された家来二人を召し連れて出るよう付記する。
追録2-No.1206 綱貴参勤ス
四月二十三日、上使小笠原長重が島津綱貴の参勤をねぎらい、二十八日に綱貴が登城して将軍徳川綱吉に謁し、御礼を述べて先例どおり品々を献上した記事。一族島津久重と家老喜入久亮も先例に従って将軍に謁した。
追録2-No.1207 島津久連、綱貴ノ参勤ニ扈従ス
島津久連が一族として島津綱貴の参勤に扈従し、四月二十八日に綱貴に従って柳営へ登った記事。久連は将軍徳川綱吉を拝し、御太刀・馬代・時服を献上した。
追録2-No.1208 北郷久嘉、近衞基煕等ニ謁ス
綱貴の命で北郷久嘉が五月三日に京都へ着き、近衛前関白基熙・右大臣家熙・大納言家久に拝謁して太刀一腰・銀馬代を献上した。久嘉がこの時賜った品物の録は別に記すという。同日、中院内府通茂にも拝謁し、五月二十七日に鹿府へ帰った。叙述記事のため宛先欄を空欄とし、拝謁対象は人物・概要欄で記録する。
追録2-No.1209 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が島津綱貴へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が到来し、喜んで見たと伝えた御内書。詳しくは稲葉丹後守正通が述べるとする。
追録2-No.1210 小笠原長重書状
小笠原長重が島津綱貴へ、綱貴から献上された屏風二双を内々に首尾よく披露し終えたと報告した書状。
追録2-No.1211 秋元喬朝書状
秋元喬朝が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌と、去月二十日の東叡山御堂参詣について吉貴が喜んだ旨を承知した書状。喬朝は同僚と相談し、その書面の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。
追録2-No.1212 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌と、去月二十日の東叡山御堂参詣について吉貴が喜んだ旨を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.1213 島津吉貴書状
島津吉貴が島津綱貴へ、綱貴が変わりなく機嫌よく過ごしていることを喜び、御礼を申し上げた書状。
追録2-No.1214 飯隈山勅願道場ノ称ヲ許サル
薩摩・大隅・日向諸県の修験を統轄した飯隈山は、古く勅願寺と称したが実証を欠いていたため、別当蓮光院陽慶が近衞基煕へ訴え、基煕の執奏により勅願道場の称号を許された。島津綱貴は黄金五十両・紗綾十巻を献上して謝し、東山天皇女房奉書と基煕の書状を受けた。
追録2-No.1215 東山天皇女房奉書
東山天皇の女房が御今局へ、薩摩中将島津綱貴から飯隈山別当の件の御礼として黄金五十両・紗綾十巻が献上され、披露すると天皇が喜んだ旨を伝えた奉書。綱貴へよく御礼を伝えるよう求める。
追録2-No.1216 近衞基煕書状
近衞基煕が島津綱貴へ、飯隈山別当が勅願道場再興の御礼として献上した黄金・巻物などを執奏し、女房奉書が出されたと伝えた書状。勅願寺の栄誉が一層重くなったと喜び、詳細は奉書に記したとする。
追録2-No.1217 近衞基煕書状
近衞基煕が島津綱貴へ、猿渡喜右衛門家が藤原氏へ累代奉公し、その系譜も明白であることは誠に立派だと述べた書状。子孫の繁栄を願い、近衛家として喜んでいると伝える。
追録2-No.1218 進藤長之奉書
進藤長之が猿渡喜右衛門へ、猿渡家の先祖が藤原姓を与えられ、譜代として相続してきたことを近衞家が重く受け止め、末永い子孫繁昌を祝ったと伝える奉書。殿下の書状が大守から伝えられるはずであるとも知らせる。
追録2-No.1219 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、吉貴が船中無事で去月二十八日に伏見へ着き、間もなく鹿児島へ着く見込みとの知らせを喜んだ書状。自身は去月二十一日に参府し、二十八日に首尾よく参勤御礼を済ませたと報告し、吉貴から参府祝いの使者と目録記載品を受けたことに謝意を示す。
追録2-No.1220 島津忠置蔵古今仮名序
島津忠置が所蔵した後伏見院宸筆の『古今仮名序』一巻の由緒と証文を記す。伊集院久明が京都で進藤長之を通じて近衞家熙の高覧に供し、家熙が島津伊豆忠置所蔵の重宝として東山天皇へ奏聞すると天皇は深く叡感し、職人に命じて修補・新装した。近衞前久と家熙の証文も載せる。
追録2-No.1221 綱貴参府シテ馬ヲ献ス
綱貴が参府の先例に従って御馬二匹を献上し、これにより奉書を賜った記事。
追録2-No.1222 土屋政直書状
土屋相模守政直が六月五日、松平薩摩守へ、献上された御馬二疋を首尾よく披露したと報告した書状。
追録2-No.1223 近衞家久書状
近衞家久が島津綱貴へ、祖母の死去に対する弔書を受け、厚い志に感謝した書状。近頃喪が明けて出仕したため返書を送ると伝える。
追録2-No.1224 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、吉貴の息災を喜び、自身が先頃参府して上使を受け、参勤の御礼まで首尾よく済ませたと報告した書状。吉貴から祝詞を受けたことにも謝意を示す。
追録2-No.1225 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、端午の御内書を渡すと通知した書状。
追録2-No.1226 土屋政直書状
土屋政直が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉が機嫌よく過ごし、先頃松平加賀守邸へ御成になったことを吉貴が喜んだ旨を承知した書状。政直は同僚と相談し、その書面の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。
追録2-No.1227 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉が機嫌よく過ごし、先頃松平加賀守邸へ御成になったことを吉貴が喜んだ旨を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.1228 秋元喬朝書状
秋元喬朝が島津吉貴へ、土用中の将軍徳川綱吉の様子を使者に尋ねたことに対し、将軍がますます健やかであるため安心するよう返答した書状。吉貴が献上した御肴一種は、喬朝が同僚と相談して首尾よく披露したと伝える。
追録2-No.1229 土屋政直書状
土屋政直が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌と、去月八日の東叡山御堂参詣について吉貴が喜んだ旨を承知した書状。政直は同僚と相談し、その書面の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。
追録2-No.1230 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌と、去月八日の東叡山御堂参詣について吉貴が喜んだ旨を承知したと返答した連署書状。
追録2-No.1231 綱貴、島津久傳ニ教訓状ヲ与フ
周防久儔譜の記事で、島津綱貴が六月二十五日に島津勘解由久當へ教訓状を与えたことを記す。目録は受給者を島津久傳とする。
追録2-No.1232 島津綱貴教訓之条々
島津綱貴が島津久傳へ与えた教訓状の冒頭で、一国の守護・一郡の主としての心得を説き始める。本文は冒頭のみを掲げ、左に綱貴公御譜所載の全文があるため省略したと注記する。
追録2-No.1233 島津綱貴教訓之条々
島津綱貴が又八郎(島津久傳)へ、領主は善悪を見分けて賢臣を用い、文武を学び、遊興・酒色を慎み、忠孝・友愛を守るよう説いた教訓状。島津忠久以来の家譜、元寇、文禄・慶長の朝鮮出兵、薩摩・大隅・日向の統治を挙げ、祖先の武徳を継ぎ、家名を後代へ伝えるよう命じる。
追録2-No.1234 稲葉正通書状
稲葉正通が島津綱貴へ、端午の御内書を渡すため、翌日五半時に家来一人を江戸城へ差し出すよう命じた書状。
追録2-No.1235 山科持言書状
山科三位持言が綱貴へ、酷暑中の勇健を喜ぶ。造酒之丞が同道した三人と初めて会い、衣紋を取る様子を見せてもらい、稽古に精を出した成果であると大いに喜んだと伝える。薫衣香二と菓子一折を贈り、追記で女院御所から拝領した匂袋も慰みになればと進上する。
追録2-No.1236 阿部正武書状
阿部正武が島津綱貴へ、綱貴から献上された琉球布十巻・砂糖漬天門冬一器・泡盛酒二壺・御肴一種を首尾よく将軍へ披露したと報告した書状。
追録2-No.1237 陽和院消息
陽和院が松平修理大夫へ、国元へ無事に着き休息したとの知らせを喜び、当地でも暑さに当たりながら皆無事で、普請に忙しく、後ノ八月にはできる見込みだと伝える。九日の生身玉祝いに樽さかなを贈られ、おみつ・鍋三郎からも局使でさかなが届き、兄弟をはじめ皆で長寿を賑やかに祝ったとして礼を述べる。
追録2-No.1238 阿部正武書状
阿部正武が島津吉貴へ、土用中の将軍徳川綱吉の様子を使者に尋ねたことに対し、将軍がますます健やかであるため安心するよう返答した書状。吉貴が献上した御肴一種は、正武が同僚と相談して首尾よく披露したと伝える。
追録2-No.1239 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津吉貴へ、土用中の将軍徳川綱吉の様子を使者に尋ねたことに対し、将軍がますます健やかであるため安心するよう返答した連署書状。
追録2-No.1240 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、吉貴が海陸無事に鹿児島へ着いた頃と喜び、自身と一門の無事を伝えた書状。端午・七夕の祝いの目録記載品と、生身玉祝いの一種・両樽に謝し、十日に吉貴の奥方の生身玉祝いへ参り、馳走を受けてゆっくり祝ったとも報告する。
追録2-No.1241 日向国道程書出
松平薩摩守家臣の藤野休左衛門・本城源四郎が、日向国の鹿児島城下から国境、佐土原・高鍋・延岡などの城下、細島・京泊・油津などの乗船場へ至る陸路・海路の里程を列記した書出。現行の国絵図と相違せず、記載外に一万石以上の領主はいないことも証する。
追録2-No.1242 大隅国道程書出
松平薩摩守家臣の藤野休左衛門・本城源四郎が、大隅国の国境までの道程を記した書出。鹿児島吉ノ村から大隅国脇元村へ出る道境、細島乗船場へ向かう海路、薩摩境の壱里山から日向境へ至る里程などを挙げ、国絵図との相違がなく、城下や一万石以上の領主、ほかの往還筋もないと証する。
追録2-No.1243 薩摩国道程書出
松平薩摩守家臣の藤野休左衛門・本城源四郎が、鹿児島城から播州大坂川口まで二百七十六里(京泊乗船場までの陸路十五里余、海上二百六十里余)、琉球国大島の深井浦まで海上百四十二里と記した薩摩国の道程書出。国絵図との相違や一万石以上の他領主がないこと、江戸往還は東海道・中山道・美濃路の三筋であることも記す。
追録2-No.1244 島津吉貴書状
島津吉貴が父の島津綱貴へ、七夕の祝いとして目録どおりの品を贈られたことを喜び、礼を述べた書状。吉貴公御譜には収録されていない旨の注記がある。
追録2-No.1245 阿部正武外四名連署状
稲葉正通・秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武が松平修理大夫へ、将軍の機嫌を喜ぶ書状を披見し、帰国暇と馬・時服拝領への謝意を承知したと答える。国元到着御礼の使者による目録どおりの献上品を披露したところ、使者が御前へ召し出され、念入りな謝礼を将軍が喜んだと報告する。
追録2-No.1246 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌がよいことを伝え、吉貴が帰国の暇を得て馬と時服を拝領したことを承知したと答えた連署書状。吉貴が国許到着の礼として使者に目録どおりの品を献上させたとの書面も受領したと伝える。
追録2-No.1247 土屋政直書状
土屋政直が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌がよいことを伝え、吉貴が帰国の暇を得て、海陸無事に六月二十二日鹿児島へ到着したとの知らせを喜んだ書状。到着の礼に使者を差し越したことを承知し、目録どおりの贈物にも謝意を示す。
追録2-No.1248 阿部正武外四名連署状
稲葉正通・秋元喬朝・小笠原長重・土屋政直・阿部正武が松平修理大夫へ、八朔祝儀として使者により献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく披露したと報告する。
追録2-No.1249 伊達吉村書状
伊達吉村が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌がよいこと、吉貴が首尾よく帰国の暇を得て品々を拝領したことを喜んだ書状。吉貴が六月二十二日に鹿児島へ到着し、老中まで使者を差し上げたとの詳しい知らせに謝意を述べる。
追録2-No.1250 松平定直書状
松平定直が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の機嫌がよいこと、吉貴が帰国の暇を得て品々を拝領したことを喜んだ書状。吉貴が海陸無事に鹿児島へ到着し、老中まで使者を差し上げたとの知らせを受け、書面を詳しく送った配慮に謝意を述べる。
追録2-No.1251 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、吉貴の帰国礼のため鎌田出雲を江戸へ差し上げ、その用件が首尾よく済んだとの知らせを喜び、丁寧な通知に謝した書状。綱貴公御譜・吉貴公御譜の双方に収録される旨を注記する。
追録2-No.1252 綱貴国絵図ヲ献納
綱貴が元禄十年夏の台命で薩摩・大隅・日向三州と中山国(琉球)の絵図を作り、元禄十五年に完成したとする記事。八月十二日、三州絵図六枚・中山国絵図六枚、計十二枚を留守居赤松甚右衛門則茂、絵図役人藤野休左衛門久賢・本城源四郎忠辰が持参し、幕府評定所へ献納した。勘定頭久貝因幡守と大御目付安藤筑後守が列座して…
追録2-No.1253 阿部正武外四名連署状
稲葉正通・秋元喬知・小笠原長重・土屋政直・阿部正武が島津綱貴へ、翌十五日の例月御礼は行われないため、江戸城へ登城する必要はないと通知した連署書状。
追録2-No.1254 島津忠置家督ノ礼物ヲ献ス
北郷家伊豆忠置が八月十五日、吉貴の御下屋敷へ参上して家督の賀儀を述べ、干鯛一折・鰑一折・昆布一折・御樽二荷・太刀一腰・馬代黄金十両を献上した記事。叙述記事の宛先欄は空欄。
追録2-No.1255 松平輝貞・柳沢保明連署書状(原署)
松平輝貞・柳沢出羽守保明が松平修理大夫へ、将軍の機嫌を喜ぶ書状を披見し、帰国暇と馬・時服拝領への謝意を承知したと答える。国元到着の御礼使を送った旨の紙面も承知したと伝える。八月十八日付。
追録2-No.1256 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、先頃の品宮御方の薨去を悼み、京都への届けに関することを家老から申し伝えるよう命じたので承知するよう知らせた書状。綱貴公御譜・吉貴公御譜の双方に収録される旨を注記する。
追録2-No.1257 松平定重書状
松平越中守定重が松平修理大夫へ、自分の奥詰が首尾よく免除されありがたいことであり、相手が心を配り祝意を示したことに謝意を述べる。
追録2-No.1258 小笠原長重書状
小笠原長重が島津吉貴へ、使者を通じた将軍徳川綱吉の機嫌伺いに対し、将軍はますます健やかなので安心するよう返答した書状。吉貴が献上した御肴一種は、長重が同僚と相談して首尾よく披露したと伝える。
追録2-No.1259 柳沢吉保・松平輝貞連署書状
柳沢吉保・松平輝貞が島津吉貴へ、将軍徳川綱吉の様子を尋ねたことに対し、将軍がますます安泰であるため安心するよう返答した連署書状。吉貴が御肴一種を献上したとの書面も受領したと伝える。
追録2-No.1260 島津綱貴書状
綱貴が中城王子へ、暦甫の嘉儀として芳簡と恒例どおり別録記載の品を贈られたことに謝意を述べ、後の喜びの機会を待つと結ぶ。
追録2-No.1261 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国の佐敷王子へ、改年の賀儀として届いた書状と格別の品々を喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1262 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、年頭の祝詞を使者の書状で受け、佳例に準じた数品を贈られたことを喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1263 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、琉球が平安であるとの書状を喜び、自身も無事に在府していると伝えた書状。堆朱手付重一組・銅の匣一・紗綾五端を贈られ、厚意に謝する。
追録2-No.1264 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、前年に生まれた女子への祝詞と目録どおりの品を贈られたことを喜び、謝意を述べた書状。傍注は女子を元禄十四年五月二十日生まれの奈百姫で、後に島津藤次郎久智室となった人物とする。
追録2-No.1265 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、渡唐増銀の願いに関して使者を差し越し、別録の品を贈ったことを承知し、丁寧な対応に謝意を述べた書状。願いの許可・不許可は本文に記さない。
追録2-No.1266 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国の佐敷王子へ、前年に生まれた女子への祝儀として目録どおりの品を贈られたことを喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1267 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国の中城王子へ、前年に生まれた女子への祝儀として目録どおりの品を贈られたことを喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1268 島津綱貴女子誕生
島津綱貴の女子が元禄十五年閏八月十八日に誕生したことを記す記事。母は二階堂源右衛門行格の娘で、女子は後に町田郷九郎久壽室となり、延享二年十月十二日に没して法名を榮山玄壽という。
追録2-No.1269 島津吉貴書状
吉貴が中城王子へ、当年の喜儀として書状と別紙に記した品を贈られたことを喜び、後の喜びの機会を待つと謝する。
追録2-No.1270 島津惟久書状
島津惟久が島津中務へ、佐土原の近年の作毛損亡で家計が続かないため、拝借金の返済を当午年から卯年まで猶予し、辰年から丑年まで十年賦とする願いを島津勘解由・喜入安房へ提出したと伝えた書状。中将島津綱貴から懇ろな意向が示されたことに謝し、礼意の披露を頼む。
追録2-No.1271 島津綱貴書状
綱貴が松平修理大夫へ、鍋三郎の誕生と箸揃を祝って先頃税所甚右衛門を通じ祝儀を贈ったところ、謝礼として伊集院長右衛門を遣わされ、目録記載品も贈られたことを喜び礼を述べる。
追録2-No.1272 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、七夕・八朔の祝儀として目録どおりの品を贈ったことへの礼状を読み、吉貴の無事を喜んだ書状。綱貴の参府時に例年どおり料理を用意した吉貴の配慮にも謝意を示す。
追録2-No.1273 焼失の高輪邸新造
元禄十五年二月十一日に焼失した高輪邸の再建がほぼ成り、吉日を選んで陽和院と島津吉貴の妻子が新宅へ移ったことを記す記事。この移徙を平松中納言時量が書状で知らせた。
追録2-No.1274 平松時量書状
平松時量が島津吉貴へ、江戸の一族が無事であることを伝え、陽和院の宅が薩摩守島津綱貴の配慮によって早くも見事に完成し、近頃移ったと陽和院から知らせがあったことを報じた書状。時量自身も喜んでいると述べる。
追録2-No.1275 徳川綱條書状
水戸宰相徳川綱條が島津綱貴へ、領地の鮭一尺を贈ると伝えた書状。簡潔な季節の挨拶と贈答通知から成る。
追録2-No.1276 近衛家熙書状
近衛家熙が島津綱貴へ、綱貴の娘の入輿に際し、狭い現住居を修補して近隣の土地を添えるため助力するとの申し出に、懇篤な厚意を感じて謝意を述べた書状。紙筆では尽くせない感謝として一簡を呈する。
追録2-No.1277 徳川綱吉御内書
将軍徳川綱吉が島津綱貴へ、重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは阿部豊後守正武が述べると伝えた御内書。
追録2-No.1278 阿部正武書状
阿部正武が島津吉貴へ、使者を通じて将軍徳川綱吉の機嫌を尋ね、健勝と聞いて安心するよう伝えた書状。吉貴が献じた肴一種は関係者で相談して滞りなく披露したと報じる。
追録2-No.1279 柳沢保明・松平輝貞連署書状
松平右京大夫輝貞・柳沢出羽守保明が松平修理大夫へ、使者により将軍の様子を尋ねた書状を拝見し、将軍はますます勇健なので安心するよう答える。肴一種を献上した件も紙面のとおり承知したと伝える。九月十二日付。
追録2-No.1280 島津吉貴書状
島津吉貴が島津綱貴へ、重陽の祝儀として目録どおりの品を贈られ、久しぶりに拝受できた喜びを述べた書状。今後も祝いの機会を心待ちにすると伝える。
追録2-No.1281 島津綱貴書状
島津綱貴が島津吉貴へ、海上を無事に渡って目的地へ到着したことを喜び、こちらの一門も無事なので安心するよう伝えた書状。祝儀として目録どおりの品を贈る。
追録2-No.1282 島津吉貴書状
島津吉貴が琉球国司へ、今年の嘉儀として使者の書状と恒例どおりの目録品を贈られたことを喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1283 島津吉貴書状
吉貴が琉球国司へ、去年に誕生した奈百への祝詞と別録記載の品を贈られたことに礼を述べる。
追録2-No.1284 島津吉貴書状
島津吉貴が琉球国の中城王子へ、前年に誕生した奈百姫への祝儀として別録どおりの品を贈られたことを喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1285 島津吉貴書状
島津吉貴が琉球国の佐敷王子へ、今年の嘉事を祝う書状と目録どおりの品を贈られたことを喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1286 島津忠守書状
島津忠守が琉球の幸地親方へ、年始の祝詞として匠作島津吉貴へ練蕉布三端を進上した旨の書状を読み、その内容を披露したと伝えた書状。
追録2-No.1287 島津吉貴書状
島津吉貴が琉球国の中城王子へ、今年の嘉事を祝う書状と目録どおりの品を贈られたことを喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1288 島津久明外五名連署書状
島津久明・久輝・忠守、新納久珍、川上久重、種子島久時が連署して琉球の幸地親方へ、年始祝儀として中将島津綱貴へ練蕉布十端を進上した旨の書状を読み、その内容を滞りなく伝えたと報じた書状。
追録2-No.1289 島津久明外五名連署書状
島津久明・久輝・忠守、新納久珍、川上久重、種子島久時が連署して琉球の恩納按司へ、年始祝儀として中将島津綱貴へ練蕉布十端と焼酎一壺を進上した旨の書状を読み、その内容を滞りなく伝えたと報じた書状。
追録2-No.1290 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国の佐敷王子へ、改年の慶事を祝う書状と目録どおりの品が届いたことを喜び、謝意を述べた書状。
追録2-No.1291 泉坊榮鎭書状
泉坊榮鎭が島津綱貴へ、佳例に従って石清水八幡宮の宝前で護摩供などの修法に精誠を尽くし、祈祷の御札と巻数を送ると伝えた書状。綱貴の機嫌と健康を祝う。
追録2-No.1292 宇宿久明・神宮司純正連署書状
宇宿久明と神宮司純正が島津主計および与力衆へ、調進した国絵図が江戸で滞りなく納められたと聞き、祝意を述べた連署書状。領内絵図について万事丁寧な指図を受けて首尾よく完成したことに謝し、今後も用向きを命じるよう求める。
追録2-No.1293 島津忠置、近衛家熙へ謝使を遣わす
北郷家伊豆忠置の譜に、元禄十五年十月、忠置が右大臣家熙へ使者をもって謝したいと太守綱貴へ願い、許可を得て家臣北郷次兵衛久高を上洛させ、礼を述べさせたと記す。叙述記事のため宛先欄は空欄とし、謝礼対象を概要・人物欄で記録する。
追録2-No.1294 芝邸焼亡と徳川綱吉の見舞い
元禄十五年十月十八日夜、江戸芝の町屋から出火し、島津綱貴の芝邸と田町の屋敷が焼失したため、綱貴は一時高輪邸へ移ったことを記す記事。翌十九日、将軍徳川綱吉が斎藤治左衛門を芝邸へ遣わして火災後の安否を尋ね、綱貴は謝意を表した。
追録2-No.1295 芝邸焼失
元禄十五年十月十八日夜の江戸大火で、島津綱貴の芝邸が焼失したことを簡潔に記す記事。詳細は後掲の記事で述べると注記する。
追録2-No.1296 松平定重書状
松平定重が島津吉貴へ、十八日夜に薩摩守島津綱貴の門前から出火して屋敷が類焼したことを見舞った書状。一同が無事に避難したと知り、安堵した旨を伝える。