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附録2の目録

旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。

全1,438件中 301~400件・4 / 15ページ

  1. 附録2-No.301 島津惟新書状

    相手や若者たちの成長を喜び、河内守の在京で心労があったものの大坂の件が早く決着して帰国の供ができたことを祝った。河内守・陸奥守との懇意な関係を今後も取り持つよう頼み、縮緬一端と赤地紗一端を贈った書状。

  2. 附録2-No.302 新納為舟元書状

    船の出航が遅れているため、兵糧米を借り受けて到着まで取り計らうよう依頼した。また国元の争いで上方へ逃れたところ武庫の判断により途中で討ち果たされた件、在洛中に受けた厚意への謝意を述べ、細島から夫丸五人の助力で入来院へ帰着し、帖佐の家族も無事だと報告した書状。

  3. 附録2-No.303 島津義弘書状

    相手方の無事を喜び、書状と音信の品々の到来に謝した。堺に変事はなく明からの使者も来ないため長陣になると見込み、吉田美作・喜入大炊ら多数からの音信も届いたことを伝え、在京する供衆の辛労を別紙でねぎらうよう頼んだ書状。

  4. 附録2-No.304 島津義弘書状

    不十分な出陣準備ながら龍伯と国家のため渡海した覚悟を述べ、壱岐では兵糧確保が難しく国元の備蓄到着が遅れれば直ちに欠乏すると警告した。石田治部少輔の意向で派遣された安宅三郎兵衛と熟談し、渡唐用の米・船を整えるよう求め、自身父子は借船で先に渡海し軍勢を残した事情を報告した書状。

  5. 附録2-No.305 伊勢貞昌書状

    前日の献茶と隠岐守・志摩守の出席が首尾よく一同満足したことを祝い、先方からも来訪を受けた礼を述べた。初雪に際して黄門が詠んだ和歌と漢詩を書き送った書状。

  6. 附録2-No.306 島津義弘書状

    伊達政宗の上洛が遅れるとの見込みに反して四日に上洛し、京都は平穏だと報告した。屋形造営、年来の借財返済、又一郎夫婦の在京費用が整わないため鎌田出雲守を下向させ、熟談して解決し、栗野留守居にも配慮するよう新納忠元へ頼んだ書状。

  7. 附録2-No.307 島津久通外三名連署書状

    長く病床にあった将軍徳川家光が四月二十日晩に死去したことを急報し、江戸城から重臣らが下って供奉した悲痛な状況を伝えた。諸説・流言が生じ得るため十分心得、国中の仕置をこの時こそ厳重に行うよう命じた四名連署状。

  8. 附録2-No.308 島津義弘書状

    新納忠元が太閤秀吉の前へ出頭して好結果を得たとの知らせを喜び、前線は異状ないが人手不足で困っているという伊集院・比志島の書状も参照するよう伝えた。忠元から贈られた一首に、対面した心地で眺めるとの返歌を添えた書状。

  9. 附録2-No.309 島津義弘書状

    前便が届いたはずだとしたうえで、相談相手もなく退屈しているとして、隔意なく頼める相手に書付を所望し、連日の窮屈を慰めたいと述べ、再会を待ちわびた書状。

  10. 附録2-No.310 島津惟新書状

    京都は引き続き平穏だと伝え、源二郎がなお楯籠りして討伐を受け、先には山田城が攻め落とされたとの戦果を祝った。少将が在国中なので特に奉公に励むよう新納忠元へ求め、弥太右衛門尉も怠りなく勤めていると知らせた書状。

  11. 附録2-No.311 島津義弘書状

    出立時に東寺まで見送られた厚意に謝し、十九日に大坂を出船して海上無事に二十四日細島へ着いたと報告した。京都の後日談を尋ね、二郎兵衛尉は船造り奉行として河内におり、歩行困難な弥太右衛門尉からも使者で帰国祝いがあったと伝えた書状。

  12. 附録2-No.312 島津義弘書状

    国元への出立時に三山まで見送られたことと在京勤番をねぎらい、普請について老中・両院へ取り次ぐよう頼んだ。義久の帰国許可を祝い、自身が公家成りして羽柴薩摩侍従となる命を受けたこと、左京亮は人質扱いではないので一旦下向させる意向を伝えた書状。

  13. 附録2-No.313 島津義弘書状

    朝鮮へ渡海後に大口などの無足衆から国元の無事を聞いたと報告し、薩摩勢の人員不足で諸家の面目を失う状況を訴え、大明進攻に備えて軍勢を追加渡海させるよう求めた。梅北国兼の反乱を非難し、その一味を大口衆が捕縛したことを褒賞するよう指示した書状。

  14. 附録2-No.314 島津義弘書状

    太守の下向を祝って一同の満足を察し、飯野への見舞いに配慮するよう頼んだ。また天下の定めに従って諸所の公役を条々申し付け、尽力して勤めることを求めた書状。

  15. 附録2-No.315 島津惟新書状

    川上方で不慮の事態があり奥方が下向した事情を真如坊に託し、長期在番の辛労をねぎらった。肥後方面への出動を談合中で、自身も赴く覚悟だが日向方面への出動との兼ね合いがあるとして、今こそ一同が尽力するよう求めた書状。

  16. 附録2-No.316 島津惟新書状

    庄内出動に伴い、寒中に老齢で昼夜在番する忠元をねぎらった。弥太右衛門尉は忠勤ながら痔疾で騎馬供奉も困難だとし、それを忠元が若い頃に人へ無心を重ね迷惑を掛けた報いが子に現れたのだと辛辣に諭し、今は後悔しているだろうと述べた書状。

  17. 附録2-No.317 島津義弘書状

    長期の留守勤番をねぎらい、当院付の諸県一郡について又一郎の安堵が済んだため、郡内諸城のあり方を検討して保全したいと述べた。上井・次郎左衛門尉とともに城々を見分し、遺恨なく熟談するよう頼んで返事を求めた書状。

  18. 附録2-No.318 島津義弘書状

    義久の帰国を祝し、諸県郡の移衆配置について飯野で協議するため、辛労ながら急いで赴いて処置するよう新納忠元へ求めた書状。

  19. 附録2-No.319 島津義弘書状

    久しく音信がないことを残念がり、自身がなお存命であることを不思議としつつ、もう一度対面して胸中を晴らしたいと述べた。前年秋から病む弥太右衛門尉は現地で養生し難いため一旦帰国させ、十分療養して快復後に再出陣させるよう伝えた書状。

  20. 附録2-No.320 島津義弘書状

    石田殿に面会できなかったことを残念がり、石田治部少輔が関東から帰る折には面会できるだろうとの見通しを伝えた短い書状。

  21. 附録2-No.321 島津義弘書状

    年頭を祝い、左京亮の暇が許されない一方、右馬頭は安宅三郎兵衛尉の奔走と朱印拝領により下向が認められたと報告した。大口普請、鉄砲・大仏材木の調達、飯野留守の見舞いを督促し、内裏・大仏・院跡三か所の普請で諸大名に暇がない京都情勢も伝えた書状。

  22. 附録2-No.322 島津義弘書状

    栗野への移転の進捗を問い、家内のことはもちろん、今回の在京や屋形造営の準備に特に心を配り、万事うまく運ぶよう助力と祈念を求めた書状。詳細は普門坊に託した。

  23. 附録2-No.323 某(島津義弘カ)書状

    高麗国の戦いが思いがけず早く決着したのは太閤秀吉の威光によるとし、国元を案じながら、次は大明国へ渡ることが確実らしいものの来春になるかは未詳だと伝えた断簡。

  24. 附録2-No.324 島津惟新書状

    肥後勢が芦北方面へ渡ったとの情報と日向方面の雑説を案じ、祈念を依頼した本田六右衛門尉から成就の札が届いたことを伝えた。久富木掃部助に芦北の様子を尋ねると異状はないとの返答だったため、現地事情を詳しく報告するよう少将へ求めた書状。

  25. 附録2-No.325 島津惟新書状

    前日未刻から亥・子・丑・寅・卯の方角に現れた気を、自身は夏秋冬の死火と判断したが、秋冬の兆しかもしれないとして金蔵坊の見解を求めた。丑・寅方の気が火事の気に見えることや弟子たちの見立ても詳しく返答するよう頼んだ書状。

  26. 附録2-No.326 島津惟新書状

    前夜七つ時ごろ巳の方から丑の方へ一筋の気が立ったと報告し、町火の兆候ではないかと問い、金蔵坊本人と弟子たちの観測・判断を詳しく知らせるよう求めた書状。

  27. 附録2-No.327 島津惟新詠草

    名月、生死を超える心、梅花、花の喜色、人の過ちを鏡として省みる心を詠んだ短冊・懐紙の和歌五首。うち花を詠む歌には惟新名があり、別の一首には惟新作との伝承注記と忠平の署名がある。

  28. 附録2-No.328 島津惟新書状

    翌年正月に大唐へ向け川内から船を出すことを内府徳川家康へ伺って決めたとして、客衆以下を取りまとめて渡航準備を整えるよう大迫新左衛門尉へ命じた書状。

  29. 附録2-No.329 島津忠清書状

    二月十日付の書状が前月十九日に届いたことを喜び、両殿の健勝を祝った。自身も無事で、国元からも近ごろ多数が上洛して異状ないとの報告を受けたと伝え、詳細は鹿右に託した書状。

  30. 附録2-No.330 島津忠清書状

    帰国許可を得て五月十日に国元へ着き安堵したこと、忠恒は合戦場で在番中だが、中国・日本の講和使節が朝鮮へ出されたとの風聞から勝利と早い帰国を期待すると報告した。前年以来の病も龍伯から薬を与えられて半ば回復し、在国療養で全快する見込みだと伝えた書状。

  31. 附録2-No.331 島津忠清書状

    義弘の帰朝と直後の上洛を祝い、自身も暇を得て五月十日に国元へ着いたと報告した。前年以来の体調不良は龍伯の薬と養生により半ば回復し、在国中に全快する見込みだと伝え、詳細を久保右衛門尉に託した書状。

  32. 附録2-No.332 某書状

    東下りの道中、冬の山路や旅宿を越えて江戸へ着いた女性が、別離の悲しみと故郷への思慕を綴った長文書状。八橋・宇津山・富士山・大井川などの名所を通るたび同行できない寂しさを感じたこと、若君の成長や手習い、届く文を慰めとしていることを和歌的表現で述べた。

  33. 附録2-No.333 徳川家康書状

    先に送られた書状を披見して喜び、前日に龍伯が訪れて話を聞き満足したと伝えた徳川家康書状。

  34. 附録2-No.334 徳川家康御内書

    大坂へ無事到着したことを確認し、近日上洛するのでその時に会うと伝え、詳細を本多佐渡守正信に託した徳川家康の内書。

  35. 附録2-No.335 徳川家康御内書

    祐乗坊の治療によって病気が全快したことを祝い、贈られた砂糖五百斤を喜んだ徳川家康の内書。

  36. 附録2-No.336 徳川家康御内書

    火事の見舞いとして砂糖千斤が届いたことを喜んだ徳川家康の内書。

  37. 附録2-No.337 徳川秀忠御内書

    琉球から明へ派遣した使節の先船が帰朝し、本使は北京へ到着して夏ごろ帰岸予定との報告をねぎらった。花砂糖・白砂糖各百斤二桶と焼酎二壺の贈答を喜び、詳細を本多正信に託した御内書。

  38. 附録2-No.338 徳川秀忠御内書

    龍伯の遺物として定家色紙・来国俊の刀・葉茶壺三種が届いたことを了承し、念の入った贈答だと述べ、詳細を本多正信に託した御内書。

  39. 附録2-No.339 徳川秀忠御内書

    昇進に際して使者と太刀一腰・馬代黄金十両が贈られたことを喜び、詳細を本多佐渡守に託した徳川秀忠の内書。

  40. 附録2-No.340 徳川秀忠御内書

    南蛮国から領内へ黒船が着岸し、使者を添えて報告したことを了承した。あわせて贈られた『史記』『漢書』『通書』各一部と風鈴を喜び、とりわけ三部の書物を見事だと評価した御内書。

  41. 附録2-No.341 徳川秀忠御内書

    皇女降誕に際して島津家久から使者と太刀一腰・馬代黄金十両が贈られたことを喜び、詳細を土井大炊頭利勝に託した徳川秀忠の内書。

  42. 附録2-No.342 徳川秀忠御内書

    病気見舞いとして遠路から使者と目録記載の品々が度々贈られたことを喜び、詳細を土井利勝に託した徳川秀忠の内書。

  43. 附録2-No.343 徳川家光御内書

    相国秀忠の病気に際して島津家久から使者と目録記載の品々が贈られたことを、一言の恵みとして感じ入ったと述べ、詳細を酒井雅楽頭忠世に託した徳川家光の内書。

  44. 附録2-No.344 徳川家光御内書

    家久の病気を案じ、久志本による治療を望んでいると聞いたため式部少輔を派遣したとして、十分に養生するよう勧めた徳川家光の内書。

  45. 附録2-No.345 徳川家光御内書

    長患いの家久に快復の兆しがないことを案じて養生を勧め、見舞いの使者と伽羅十斤を贈られたことを喜び、詳細を土井利勝に託した徳川家光の内書。

  46. 附録2-No.346 徳川家光御内書

    長引く家久の病を案じ、寒気の時節なので養生を第一とするよう勧め、見舞いに新庄右近直綱を派遣して鷹の鶴を贈った徳川家光の内書。

  47. 附録2-No.347 春盛書状

    島津殿の子息誕生祈願を御家門から命じられたため、取り急ぎ修法を始め、札と守りを送ったことを伝え、その旨を披露するよう倉光主水助へ頼んだ書状。

  48. 附録2-No.348 島津久保書状

    先に途中まで見送られたことを喜び、相手が秘蔵する馬を無理に所望したところ希望どおり譲られたことへ深謝し、下向の折に詳しく礼を述べるとした島津久保書状。

  49. 附録2-No.349 島津久保書状

    現地情勢は使者が詳しく説明するとし、朝鮮が平定されれば続いて明へ渡る予定なので、直接入唐する可能性もあると述べた。再会を望みつつ、留守居に決して油断しないよう求めた書状。

  50. 附録2-No.350 島津家久等詠草

    七夕の契り、暮春の桜、花への思いなどを題材に、家久・光久・忠孝・又三郎忠行が詠んだ和歌を収める詠草。

  51. 附録2-No.351 豊臣秀吉朱印状

    朝鮮在番の見舞いとして徳永式部卿法印寿昌と宮木長次の両名を派遣し、長期在番の辛労をねぎらって袷の道服を与え、詳しくは奉行衆・年寄が伝えるとした豊臣秀吉朱印状。

  52. 附録2-No.352 豊臣秀吉朱印状

    蔚山戦で敵情を知らず誘い込まれた経験を踏まえ、日々五里・三里先へ物見を出して警戒するよう命じた。翌年の再出兵に備えて敵の弓に対抗する半切の楯を多数準備し、城郭普請を堅固にして在番するよう指示した豊臣秀吉朱印状。

  53. 附録2-No.353 豊臣秀吉朱印状

    明軍が朝鮮から五、六日程の地点まで進出したなら対陣して急報するよう命じ、秀頼の留守を家康・利家・景勝に任せ、自身は少人数でも必ず渡海して即時撃破すると神仏に誓った。諸将には返事を待たず船で名護屋へ集結させ、海陸の継船・継馬を整えるよう命じた朱印状。

  54. 附録2-No.354 豊臣秀吉朱印状

    朝鮮四か所の城に備蓄する兵糧を各城主が当年米に入れ替えて引き渡すよう成敗するので、その時に諸勢へ兵糧を支給すると知らせ、詳細を寺沢志摩守広高に託した朱印状。

  55. 附録2-No.355 豊臣秀吉朱印状

    長期間の朝鮮在番を大いにねぎらい、小袖一領を下賜し、詳細を毛利豊前守と平野新八郎に託した豊臣秀吉朱印状。

  56. 附録2-No.356 豊臣秀吉朱印状

    明の勅使が渡海すれば一部兵力を残して帰朝させる予定だったが、改めて指示が届くまでは現在の城に在番するよう島津家久へ命じた朱印状。

  57. 附録2-No.357 豊臣秀吉朱印状

    当番として続けて在番する辛労をねぎらい、現地の様子は把握していると伝えた。詳しくは岡田勝五郎善同に命じ、今回の慰労も伝達させるので、情勢は静謐に向かい心配無用だとした朱印状。

  58. 附録2-No.358 島津忠恒書状

    福島正則と同道して十六日に大坂へ着き、山口勘兵衛らと相談して、市来八左衛門尉を関東へ派遣し本多佐渡守へ到着報告させると伝えた。徳川家康が十二月に上京するとの情報や豊臣秀頼側近を交えた饗応、福島から屋形を借りた厚遇を詳報し、国中の不安を解くよう求めた書状。

  59. 附録2-No.359 島津家久起請文前書

    龍伯義久・武庫義弘へ分け隔てなく忠孝を尽くし、たとえ理不尽な叱責を受けても反抗せず、逆意を勧める者には同心しないと誓った。両殿の判断で家督を継いだ大恩に報いるため、家中の逆臣とその同調者を厳罰に処し、奉公の浅深に応じて賞罰を行い御家安泰を図るとした起請文前書。

  60. 附録2-No.360 島津家久書状案

    富隈衆中に強く引き留められながらも、島津家への忠節と龍伯への奉公のため上洛したのであり、龍伯に背いて自身の身上を図る意図はないと弁明した。誓紙案を見せた際に不忠不孝と叱責されたことに驚き、国事について意見を述べずにはいられない心中を理解してほしいと納得を求めた書状案。

  61. 附録2-No.361 島津家久書状

    二十日に駿府を発ち二十五日に江戸へ到着すると、秀忠から使者と米千俵を受け、駿府から江戸まで道路・橋が整えられ、江戸では奉行が往来を規制するなど周到な待遇を受けたと報告した。二十八日の拝謁も首尾よく、江戸城と統制の整った政務を称賛し、暇が下る見込みを伝えた書状。

  62. 附録2-No.362 島津家久過書

    九反帆の薩摩船について、船頭志摩助、中乗九十四人、加子十一人、朝鮮人二十四人、合計百三十一人を乗せて帰朝させるので、異状なく通行させるよう求めた過書。

  63. 附録2-No.363 堀孫太夫・日向喜兵衛連署達

    市来神川の志摩助の子孫正兵衛が所持する忠恒袖判の過書について、過去の判物改めで記録方へ提出後返却されたものだと確認し、浦役児玉市左衛門へ渡して疎略なく丁重に保管するよう命じた船奉行二名の連署達。

  64. 附録2-No.364 島津忠恒書状

    年頭を祝い、前年の異国での戦働きに忙殺されて便りも出せなかったが、以前の厚意を忘れたわけではないと弁明した。遠隔地の事情を問い、音信のしるしとして綾子一巻と銀子一枚を贈り、詳細を本田源右衛門に託した書状。

  65. 附録2-No.365 島津忠恒書状

    下国後は遠隔のため疎遠になったが、夏以来の厚意を忘れていないと述べ、無事の渡海を喜んだ。異国で一日も暮らし難い心情や相手が小歌などで過ごす姿を想像し、せめて書状を見て住吉での思い出を慰めたいとして、在津中に親しくした夫婦と女房衆への伝言を頼んだ書状。

  66. 附録2-No.366 島津忠恒書状

    春雲を題に龍伯が詠んだ和歌と富隈の人々の詠草が届いたため、返歌なしでは済まないとして現地の者にも詠ませ、自作の『武士の心ひかるる梓弓―』を添えた。漢詩も加えて和韻を返すよう求めた書状。

  67. 附録2-No.367 島津忠恒書状

    世上の騒ぎが続き、比志島紀伊守・鎌田出雲守らも出仕しないなか、伊集院久治は毎朝出仕しているものの相談相手がいないとして、とにかく油断なく対処するよう求めた書状。

  68. 附録2-No.368 島津忠恒書状

    現地在番の辛労をねぎらい、時節柄油断なく勤番し、この時期にこちらへ来る必要はないと命じた。庄内へ使者を送り下城を申し聞かせ、承知しなければ軍勢を向ける方針を伝えた書状。

  69. 附録2-No.369 島津家久覚書

    若年の忠恒を補佐して家中を守った伊集院久治・鎌田政近・比志島国貞らの功績を回顧したうえで、比志島宮内少輔を無知無能で旧政に背き、蓄財・酒色・殺害に及んだとして種子島流罪後に死罪とした理由を説明した。さらに高城籠城や秀吉九州征伐時の山田理安ら旧家老の忠節と家老家の由緒を記した覚書。

  70. 附録2-No.370 雑抄記事

    寛永五年正月二十七日、江戸の中納言家久から大野勝監・高崎玄蕃頭を使者として比志島宮内少輔の意向が悪いと申し渡し、二十九日に熊之岳へ入寺させ、二月七日に谷山から遠島へ送った経過を記す雑抄記事。

  71. 附録2-No.371 島津家久起請文前書

    第三五九号文書と同文であるため本文を省略した島津家久起請文前書。

  72. 附録2-No.372 島津忠恒書状

    長期在京の辛労をねぎらい、奥方のため引き続き油断なく尽力するよう求めた。庄内の情勢は変わらず心配だが軍勢を出して働いているので近く決着すると見込み、存松を上京させるため交代して下向するよう命じた書状。

  73. 附録2-No.373 島津忠恒書状

    奥入りが決定したため兵員・馬を早く渡海させるよう八木民部左衛門尉らに命じ、伊集院忠棟が上洛した場合は三人で事情を聞いて尽力するよう求めた。少しでも油断すれば国家滅亡に至ると強く警告した書状。

  74. 附録2-No.374 島津忠恒書状

    朝鮮在陣の大名へ秀吉朱印状が出され、島津勢の軍役を千人とする命令を受けたため増員を求めた。浜市・帖佐・鹿児島から兵員と馬を集め、七月中に必ず参陣させ、軍勢を整えても遅参すれば無意味なので直ちに出船させるよう三人へ厳命した書状。

  75. 附録2-No.375 島津忠恒書状

    奥入りに伴う知行支配について国書頭・鎌田出雲守と熟談し、長年忠勤した者や衆人の利益となるよう配分することを求めた。公儀を軽んずる者には後日申し開きできないと配当担当者へ厳告し、鎌田との内談を重ねるよう命じた書状。

  76. 附録2-No.376 島津忠恒書状

    栗野まで着物を届け、忠恒のため神前に参籠して祈念したことへ深謝した。義弘の長期在陣中、留守の栗野を見舞い親しく世話するよう頼み、自身の渡海が延引していることへの懸念を伝えた書状。

  77. 附録2-No.377 島津忠恒書状

    普請への協力を喜び、今後も分別を尽くすよう求めた。具足の塵取りについて許可を受けた礼を述べ、日取りや月の吉凶を念入りに調べて改めて報告するとした宛先を欠く書状。

  78. 附録2-No.378 島津忠恒書状

    前年の美濃での敗軍に際して家来が散り散りになったところ、相手が格別に世話したと聞き感謝した。また御家門の哀憐で保護された五、六人が暇乞いもせず下向し対面できなかった件にも相手の助力があったとして、まず礼を伝えた書状。

  79. 附録2-No.379 島津忠恒書状

    龍伯が上洛する予定だったが病状が悪化して出発できないため、自身が代わって急遽上洛すると報告した。従来は龍伯上洛の用務のため自分の準備が遅れており、急な出立で諸事不行き届きだが三月中には到着し、面談して詳述するとした書状。

  80. 附録2-No.380 島津忠恒書状

    以前から頼んでいた薫物を早く調製してもらったことへ深謝し、時折焚いて在陣中の窮屈を慰めていると述べた。帰国が延びているなか、相手の在国中に帰りたいので、心底では相手の帰京も少し延びてほしいと率直に記した書状。

  81. 附録2-No.381 島津忠恒書状

    年頭を祝い、新納忠元の長期在洛・老齢での奉公をねぎらった。龍伯が下向する予定なので、あらゆる点に油断なく在番することが肝要だと命じ、堺は無事だと知らせた書状。

  82. 附録2-No.382 島津久保書状

    第三四八号文書と同文であるため本文を省略した島津久保書状。

  83. 附録2-No.383 島津忠恒書状

    現地の情勢について不穏な報告がなく不審に思っていたところ、念入りな書状が度々届いて事情を把握したと述べた。今後も油断なく奉公し、内意を得るべき事柄は直ちに注進すれば、将来の身上も適切に処置すると伝えた書状。

  84. 附録2-No.384 島津忠恒書状

    急用のため三原合人佐を派遣して事情を口上に託し、富隈と帖佐の留守衆へ相談して油断なく対応するよう命じた書状。

  85. 附録2-No.385 島津忠恒書状

    見舞いの使僧を受けた礼を述べ、現地は変事なく、平素の祈念のおかげで自身も無事に在陣していると感謝した。翌年にも軍役を命じる朱印状が近日出たため、国の安楽を願って一層祈祷に励むよう頼んだ書状。

  86. 附録2-No.386 島津忠恒書状

    留守中の祈念と札守、勅作の焼物・筆の贈答を喜び、各人の丹精と霊験によって現地で異状なく過ごしているとして、引き続き祈念を頼んだ書状。

  87. 附録2-No.387 島津忠恒書状

    現地に変事なく、長年の在陣中も大乗院の懇ろな祈念によって無事であることを喜び、病を患う武庫義弘のため特に精誠を尽くして祈祷するよう頼んだ書状。

  88. 附録2-No.388 島津忠恒書状

    在陣中に格別の祈念を行い札守を届けたことを喜び、その精誠のおかげで現地に異状がないとして、今後も油断なく祈祷へ励むよう求めた書状。

  89. 附録2-No.389 島津忠恒書状

    荻原寺からの書状を読み、平素の祈念の功徳で現地が除災安全であることを喜んだ。自身のため諸寺の僧に七日間の行を依頼したいとして、大乗院が先例に従って取り持つよう頼み、現地一同の無事を知らせた書状。

  90. 附録2-No.390 島津忠恒書状

    鎌田出雲守宅で龍伯と忠恒が振舞を受けた際、庭先へ鶯が来て鳴かずに通り過ぎたため、龍伯が『軒ちかくこと問ひきてもうぐひすの―』と詠むと、鶯がすぐ鳴いたという珍事を伝えた書状。

  91. 附録2-No.391 島津家久書状

    音色が格別であると評し、尺八の袋を縫わせるよう頼んで、尺八そのものを使者に持参させた若年時の島津家久書状。詳細は使者が述べるとした。

  92. 附録2-No.392 近衛信尹書状

    便宜に任せて近況と子息の成長を問い、来春には祝言を挙げるのがよいと勧めた。禁中をはじめ京都は無事なので安心するよう伝え、軽少ながら進物を添え、詳細を平左衛門尉に託した近衛信尹書状。

  93. 附録2-No.393 島津忠清書状

    忠恒の書状を拝読し、武庫義弘からの書状も取り次いでもらって頂戴した礼を述べ、高麗で引き続き心配事がないとの知らせを忠恒と同じく喜んだ島津忠清書状。

  94. 附録2-No.394 島津忠恒書状

    第三六六号文書と同文であるため本文を省略した島津忠恒書状。

  95. 附録2-No.395 島津忠恒書状

    第三六五号文書と同文であるため本文を省略した島津忠恒書状。

  96. 附録2-No.396 島津忠恒書状

    第三六四号文書と同文であるため本文を省略した島津忠恒書状。

  97. 附録2-No.397 島津家久書状

    惟新の飛脚に関する命令を受けたとして書状を送り、自身がまもなく到着する見込みなので、現地の様子や案件をどのように整えるべきか詳しく報告するよう成正院へ求めた書状。

  98. 附録2-No.398 島津家久書状

    蓮金院と廻向院が完成したとの堀小左衛門尉の注進を喜び、なお一層尽力するよう求めた。成正院の格別の辛労をねぎらい、暇ができ次第の下向を待つと伝えた書状。

  99. 附録2-No.399 島津家久書状

    長期滞在の辛労をねぎらい、作事の進捗を問い、十分念を入れるよう求めた。琉球へ派遣した軍勢は順風が続いてそろそろ着岸する見込みだと知らせ、暇ができ次第早く下向するよう頼んだ書状。

  100. 附録2-No.400 島津家久書状

    聖家衆が相談して光明真言温座と五壇護摩を修したことを喜び、その懇ろな祈念によって一門が皆息災であると感謝し、聖家衆にも礼を十分伝えるよう頼んだ書状。