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附録2の目録

旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。

全1,438件中 1101~1200件・12 / 15ページ

  1. 附録2-No.1101 松平信綱外二名連署書状

    宝樹院逝去の報に驚き使者を派遣した島津光久に対し、その入念な対応を上聴に達した旨を伝えた三名連署書状。

  2. 附録2-No.1102 酒井忠清外三名連署書状

    陽春を祝し、将軍が健康で年始の諸儀式を例年どおり無事に済ませたと伝える。島津光久が使者を派遣して樽肴を献上したことを披露し、将軍が喜んだ旨を通知した四名連署書状。

  3. 附録2-No.1103 阿部忠秋書状

    先月二日に大坂城天守が落雷によって焼失したとの報に島津光久が驚いたことを受け、御殿や櫓には異状がないと伝え、その入念な見舞いを披露すると返答した阿部忠秋書状。

  4. 附録2-No.1104 久世広之書状

    御用を申し渡すため、翌十三日卯刻過ぎに留守居一人を久世広之の私宅へ出向かせるよう命じた達書。

  5. 附録2-No.1105 酒井忠清外三名連署書状

    先月十五日の禁裏院中炎上を聞いて驚き、使者を派遣した島津光久に対し、その入念な見舞いを上聞に達すると伝えた四名連署書状。

  6. 附録2-No.1106 土屋数直達書

    歳暮の御内書を渡すため、翌五日四時ごろに留守居一人を登城させるよう命じた土屋数直の達書。

  7. 附録2-No.1107 稲葉正則達書

    端午の御内書を渡すため、翌十三日四時ごろに留守居一人を登城させるよう命じた稲葉正則の達書。

  8. 附録2-No.1108 酒井忠清外二名連署書状

    島津光久が琉球布三巻・焼酎二壺・肴二種を献上したことを目録どおり披露し、入念な進物を将軍が喜んだ旨を伝えた三名連署書状。

  9. 附録2-No.1109 阿部忠秋・稲葉正則連署達書

    端午の御内書を渡すため、翌日四時ごろに留守居一人を登城させるよう命じた阿部忠秋・稲葉正則連署の達書。

  10. 附録2-No.1110 酒井忠清外二名連署書状

    島津光久が暇を得て無事に国元へ到着したことを祝し、使者佐多久利を通じて羅紗十間と樽肴を献上したことを披露したところ、使者が将軍の御前へ召し出され、入念な対応を喜ばれた旨を伝えた三名連署書状。

  11. 附録2-No.1111 松平信綱・松平乗寿連署書状

    将軍が機嫌よく過ごしていると伝える。また先日の嘉定の礼で同名薩摩守(島津綱久)が着座を命じられたことを光久が喜び、使者を派遣した件について、その入念な対応を披露すると返答した連署書状。

  12. 附録2-No.1112 稲葉正則書状

    帰国の使者佐多久利が進上物を持参するため、翌二十八日四時以前に登城するよう申し渡すことを留守居へ命じた稲葉正則の達書。

  13. 附録2-No.1113 酒井忠清外二名連署書状

    島津光久が暇を得て無事に帰国したことを祝し、礼として使者を派遣して羅紗五間と肴二種を献上した件を上聴に達したところ、使者が将軍の御前へ召し出され、入念な対応を喜ばれた旨を伝えた三名連署書状。

  14. 附録2-No.1114 稲葉正則書状

    上使を通じて将軍の鷹が捕らえた雲雀を同氏薩摩守(島津綱久)が拝領したことを光久が喜んだ旨を受け、書面のとおり相談して上聞に達すると返答した稲葉正則書状。

  15. 附録2-No.1115 松平信綱外二名連署書状

    崇源院の遠忌法要に際し、島津光久が使者を派遣して香奠を献上したため、御影前に供えて上聞に達したところ、入念な対応を喜ばれた旨を伝えた三名連署書状。

  16. 附録2-No.1116 酒井忠清外三名連署書状

    翌二十日の東叡山御仏殿参詣では供奉不要とし、還御後の機嫌伺いの登城も不要で、翌日の出仕のみでよいと指示した四名連署書状。

  17. 附録2-No.1117 松平信綱・阿部忠秋連署書状

    翌朔日は御玄猪に伴う御礼がないため、登城する必要はないと通知した松平信綱・阿部忠秋連署書状。

  18. 附録2-No.1118 松平信綱・松平乗寿連署書状

    上使を通じて将軍の鷹が捕らえた雲雀を子の薩摩守(島津綱久)が拝領したことを光久が喜び、礼の使者を派遣した件について、その入念な対応を上聞に達すると伝えた連署書状。

  19. 附録2-No.1119 松平信綱外二名連署書状

    将軍が機嫌よく過ごしていると伝え、子の薩摩守(島津綱久)が湯治の暇を許されたことを光久が喜んで礼の使者を派遣した件について、その入念な対応を上聞に達すると返答した三名連署書状。

  20. 附録2-No.1120 稲葉正則達書

    重陽の御内書を渡すため、翌日四時ごろに留守居一人を登城させるよう命じた稲葉正則の達書。

  21. 附録2-No.1121 宗義興書状

    殿中で面会できたことを喜び、約束していた朝鮮豹皮五枚を贈った宗義興書状。

  22. 附録2-No.1122 酒井忠清外二名連署書状

    翌二十日の東叡山御仏殿参詣では供奉不要とし、還御後の機嫌伺いの登城も翌日へ延ばしてよいと指示した三名連署書状。

  23. 附録2-No.1123 酒井忠清外二名連署書状

    将軍の健康を案じて使者を派遣した島津光久に対し、将軍は健勝なので安心するよう伝える。服五領と肴二種の献上が披露され喜ばれたこと、参勤は定めどおり四月中とすることを通知した三名連署書状。

  24. 附録2-No.1124 松平信綱外二名連署書状

    将軍の健康を案じて使者を派遣した島津光久に対し、将軍は健勝なので安心するよう伝え、肴一種の献上を披露した旨を通知した三名連署書状。

  25. 附録2-No.1125 松平信綱外二名連署書状

    前年夏に島津光久が国元へ到着した際、礼の使者を派遣したところ、その使者が時服を拝領したことを光久が喜んだ旨を受け、入念な対応を将軍へ伝えると返答した三名連署書状。

  26. 附録2-No.1126 稲葉正則外三名連署書状

    参勤時期を使者を通じて尋ねた島津光久に対し、翌年四月中に国元を出立し、同氏修理大夫(島津綱久)はそれより先に参府するよう命じた四名連署書状。

  27. 附録2-No.1127 久世広之書状

    将軍の鷹が捕らえた鶴を島津光久に下賜するため、受領役の留守居一人を当日七時ごろ久世広之の私宅へ出向かせるよう命じた達書。

  28. 附録2-No.1128 土屋数直達書

    島津光久が拝領する将軍の鷹の鶴を渡すため、留守居一人をただちに土屋数直の私宅へ出向かせるよう命じた達書。

  29. 附録2-No.1129 松平信之書状

    島津光久から卓二脚と肴一種を献上され、滞りなく披露された旨を伝えた松平信之書状。

  30. 附録2-No.1130 松平信綱・阿部忠秋連署書状

    東叡山で宝樹院一周忌の法要が営まれるため、翌朔日は御礼がなく登城不要であると通知した松平信綱・阿部忠秋連署書状。

  31. 附録2-No.1131 六角杢頭書状

    琉球人の日光参詣に伴い島津光久が登山したことを日光門跡が聞き、寒中の苦労をいたわって干柿一箱を贈った旨を取り次いだ六角杢頭書状。

  32. 附録2-No.1132 松平信綱外三名連署書状

    将軍の健康を案じて使者を派遣した島津光久に対し、将軍は平安なので安心するよう伝え、羽織五領と肴一箱の献上を披露した旨を通知した連署書状。

  33. 附録2-No.1133 阿部正武・堀田正仲連署口上

    島津家の先祖や家来が将軍家から受けた感状・御書・褒美について、該当品を詳しく書き出して提出するよう求めた阿部正武・堀田正仲連署の口上。

  34. 附録2-No.1134 朝鮮国礼曹佐郎黄致誠復書

    朝鮮国礼曹佐郎黄致誠が島津義久の書状と礼物を受け取り、返礼として正布十五匹・白苧布二匹を使者に託した復書。

  35. 附録2-No.1135 明国福建巡撫許孚遠回文

    明国福建巡撫許孚遠が島津義久の来文を評価しつつ、豊臣秀吉の朝鮮侵攻と造船・徴兵を批判し、休兵・安民と明への恭順こそ日明修好の条件だと説く。義久らに秀吉を諫めるよう求め、劉可賢らと張昂を返信使として派遣した回文。

  36. 附録2-No.1136 明国福建巡撫許孚遠檄文

    福建巡撫許孚遠が豊臣秀吉の権勢を称えながら、島津義久の書状を日明修好の意思と解し、朝鮮侵攻は奸徒の扇動によるものだとして戦争停止を促す。義久を介し、劉可賢らと張昂を派遣して和平を働きかけた檄文。

  37. 附録2-No.1137 朝鮮国節度使侍令書案

    朝鮮国節度使が日本軍中にいる朝鮮人へ、明・朝鮮軍到来前に脱出するか、日本軍の兵力・地勢を報告して内応・夜襲に加わるよう促した侍令書案。従えば軍功と官職・褒賞を与え、留まれば総攻撃で死亡すると警告する。

  38. 附録2-No.1138 明国割符案

    明国側が朝鮮在陣の日本軍将兵に対し、長期遠征による困窮と明軍の水陸攻撃で退路がないと説き、侵攻は本意でなく威勢に迫られたものと推し量って、休戦交渉か帰国を促した割符案。応じなければ大軍で討つと警告する。

  39. 附録2-No.1139 朝鮮人等上書

    朝鮮人らが徳川家康に対し、疲弊した朝鮮を攻略する好機であり、日本の威信回復にもなると説き、自分たちの地理・内情知識を活用して再出兵するよう求めた上書。豊臣秀吉の侵攻失敗を統治と民心掌握の欠如に帰し、協力者の登用を進言する。

  40. 附録2-No.1140 朝鮮人等上書

    朝鮮人らが徳川家康に対し、先王の直孫とする李亀生を奉じ、薩摩の力と自分たちの軍略・地理知識を用いて朝鮮へ渡り、苛政を改めれば民衆を帰服させられると進言した上書。徳川政権の支援と継続的な日朝和睦を求める。

  41. 附録2-No.1141 安南国書

    目録では「安南国書」とするが、本文冒頭は暹羅国側から「日本種子島国王麾下」へ宛てた国書。船主王五官が暴風で大泥(パタニ)へ漂着し、難を逃れて暹羅港へ入ったため保護した経緯を述べ、船を用意して送還するという。王五官を毎年来航させて交易を続け、両国を「伯仲之邦」として永く友好関係を結びたいと申し入れる。…

  42. 附録2-No.1142 おらんだカピタン・平戸商館長ヤックス書状

    オランダのカピタン・平戸商館長ヤックスが、薩摩領へ漂着したオランダ船員十一人を厚遇して送還したことに謝意を示し、あらためて一人を礼使として派遣すると伝えた書状。

  43. 附録2-No.1143 島津久兵添書

    僧観覚宛の源頼朝判入り掛物一幅について、前年に江戸で名越右膳が求めて進上した品であり、後世まで御記録所で堅固に保管するよう指示した島津久兵の添書。

  44. 附録2-No.1144 西某・谷村某連署添書

    源頼朝筆とされる掛物一幅を下付するので、御記録奉行に引き渡して厳重に保管するよう求めた西某・谷村某連署の添書。

  45. 附録2-No.1145 児玉喜藤太添書

    源頼朝筆とされる掛物を古筆了意に鑑定させ、判形の模様や補修部分を検討した結果、偽物ではなく頼朝の真筆に疑いないとの回答を得た旨を報告した児玉喜藤太添書。

  46. 附録2-No.1146 某添書

    建武四年十二月二十日付・島津大夫判官宛文書について、年号と判形を足利尊氏に比定し、宛所を島津貞久の子で氏久の兄に当たる島津宗久と推定した考証添書。

  47. 附録2-No.1147 田中某・肥後某連署添書

    黄致誠の朝鮮国書が島津武久宛とする点を、忠昌の実名・生没年と万暦年号から検討し、義久の時代には合うが宛名の書き違いとも考えにくいとして、年代の疑問を後考のため記した連署添書。

  48. 附録2-No.1148 中川某書状

    近衛東求院(近衛信尹)の詠歌一紙を准后に鑑定してもらい、真跡に紛れないとの回答を得て返却したことを伝え、あわせて五代の官位を書き付けて送った中川石見守書状。

  49. 附録2-No.1149 某書状

    尾州の寺院関係者から得た近衛信尹詠歌三首の写しについて、原本ではなく草案の留めとみられるものの、准后が真跡に紛れないと鑑定した経緯を記し、島津家で役立つなら保管するよう勧めた書状。

  50. 附録2-No.1150 島津帯刀覚書

    大坂の唐物屋伏見屋作兵衛・金兵衛が所持していた、朝鮮での軍功に関する豊臣秀吉政権五奉行の感状らしき文書を譲り受けた経緯を記す。島津家の重宝になるとして内見を経て御記録所へ納めるよう命じた島津帯刀覚書。

  51. 附録2-No.1151 島津杢達書

    阿知地某・満尾越中・池田与助宛の知行目録三通と、由来不明の古系図一通について、提出理由や子孫が分からないため御記録所で保管するよう命じた島津杢の達書。

  52. 附録2-No.1152 田中国明外二名連署書下

    懐紙を十六代当主・龍伯島津義久の詠歌とし、家老平田越前宗親が自筆で書き留めたものと説明する。義久の三位法印叙任には口宣がないため、後世の証拠として官庫へ納めるよう記した三名連署書下。

  53. 附録2-No.1153 佐多豊前書下

    島津家先代が借銀した際の借状を上原五郎左衛門が提出し、不要なら捨てるべきか尋ねた件について、昔の借銀事情を子孫へ伝える資料になるため御記録方へ納めるよう命じた佐多豊前書下。

  54. 附録2-No.1154 竪山武兵衛達書

    長州から肥後熊本の商人入場定之丞の家に伝わった島津義弘筆の豊臣秀頼宛返書を鮫島吉左衛門が取り次ぎ、島津家の用に供した経緯を記す。掛物として表装したまま御記録所で厳重に保存するよう命じた達書。

  55. 附録2-No.1155 碇山将曹書下

    大坂城内の襖に貼られていた島津家久筆の豊臣秀頼宛返書が、張替え時に長州留守居へ渡り、のち大坂留守居高崎金之進を経て島津斉興へ献上された来歴を記す。表装後に国元へ持ち帰った重宝を御記録所で保存するよう命じた書下。

  56. 附録2-No.1156 鮫島嘉左衛門口上書

    肥後熊本の商人入場定之丞が九州問屋へ持ち込んだ島津義弘筆の掛物を、鮫島嘉左衛門が重要品と見て買い受け献上した口上書。文書は長州で巻物として伝わり、定之丞の父が数十年前に購入したという来歴も記す。

  57. 附録2-No.1157 某覚書

    寛永三年の徳川家光上洛に島津家久が供奉し、従三位権中納言叙任と寮馬拝領があったことを記す。近衛信尋の出自・法名と後水尾天皇との兄弟関係を説明し、後水尾院宸翰と近衛信尋書状の由緒を整理した覚書。

  58. 附録2-No.1158 阿多某覚書

    普光院からの琉球関係文書一箱、徳川秀忠の御内書、系図調査時に島津弾正が借りた文書の所在を調査した報告。弾正死後に返上され、島津彦太夫から田中五右衛門へ受取が渡された経緯を阿多仲兵衛が記す。

  59. 附録2-No.1159 某覚書

    島津弾正が寛永十八年に御納戸から借りた普光院の琉球関係文書と徳川秀忠御内書について、万治二年に返上の有無を島津大膳家へ照会した経過を日付順に記した覚書。受取の返却可能性も含め、老中・御納戸を通じた確認手続きを記録する。

  60. 附録2-No.1160 山田忠総譜

    島津氏二代忠時の子・忠総が庶腹のため家督を継がず、薩摩国牛屎院、谷山郡山田村・上別府村などの地頭職を得て山田氏を称したこと、越中国布施保を軍功の賞として与えられたことを記す山田氏系譜。

  61. 附録2-No.1161 山田久興一流系図

    山田久興を祖とする一流の系譜を掲げ、氏久方が瀧谷氏と戦って退く途中の山引合戦で、本田親七とともに戦死した一族などの履歴を記した系図。

  62. 附録2-No.1162 山田忠房譜

    島津師久が築いた高江峯城を山田忠房らが守備したが、入来院重門に攻め落とされ、忠房が城内で戦死したことを記す山田氏支流系譜。

  63. 附録2-No.1163 村田経安書状

    新春を祝い、島津家当主が串良へ入ったこと、翌日に直接渡海する予定であることを伝え、馬の手配や宿・飼口番などを命じた村田経安書状。

  64. 附録2-No.1164 山田忠尚譜

    山田忠尚の譜中に、長門介出陣の風聞と伊東勢の動向を報じる書状を収める。伊東勢が飫肥へ進出して陣を構え、大手犬馬場・大龍寺方面から城を攻めたが、守備側が抗戦して多数の負傷者を出させ撤退させた戦況を記す。

  65. 附録2-No.1165 山田忠豊譜

    山田氏九代忠尚・忠豊らの親子関係、官途、母方を西谷讃岐守久信の娘とする出自などを記した山田氏系譜。

  66. 附録2-No.1166 山田聖栄書状

    山田聖栄が、所領を得るため判物を携えて有力者へ披露するよう山田河内守に勧める。肝付兼重時代の知行、足利尊氏判、京都から島津貞久らへ下された文書など古い証拠を活用し、速やかに訴え出るよう促した書状。

  67. 附録2-No.1167 山田久武譜

    山田氏十二代久武が永禄三年正月二十四日に生まれ、山田忠時に家統を継ぐ子がなかったため猶子となったこと、実父は上総介忠通であることを記した系譜。

  68. 附録2-No.1168 村田経定書状

    島津家当主が、山田氏所持の御当国家の日記を見たいと望んでいるため、早々に持参し、遅延しないよう求めた村田経定書状。

  69. 附録2-No.1169 上井仲五兼政請文

    高麗渡海に参加する者へ、志のある人物や技能者を主君に取り次ぎ、帰朝後の扶持を保証し、火箭を持参する者の功績も一途に申し立てると約した上井仲五兼政の請文。約束に違えば諸軍神の罰を受けると誓う。

  70. 附録2-No.1170 伊集院氏系図〈照久一流〉

    伊集院忠国を起点に、久氏・久俊・頼久ら諸流の実名、官途、法名、居地・称号、婚姻や寺院開山などを記した伊集院氏照久一流の系図。島津氏久の簾中となった女子も載せる。

  71. 附録2-No.1171 伊集院久族譜

    伊集院久族が伊集院肥前守久信の長子として生まれ、寛永五年に忠能から家督と系図を譲られたことを記す。実子がなかったため島津家当主の子を継子に迎える手続きと、門族への告知文書へ続く伊集院氏系譜。

  72. 附録2-No.1172 島津久元・喜入忠政連署書状

    伊集院家の名字・家督を島津家久の子松千代丸に継がせる決定を一族へ申し渡したところ、一同が祝意を示したため、その旨を久族へ知らせた島津久元・喜入忠政連署書状。

  73. 附録2-No.1173 鎌田政勝・伊集院久朝譜

    島津家久の九男松千代丸が伊集院家を継いだのち、命により鎌田政統の養嗣となったこと、家久十二男の久朝が兄に代わって伊集院家の後嗣となったことを記す鎌田・伊集院両家の系譜記事。

  74. 附録2-No.1174 伊集院久昌一流系図

    伊集院右衛門佑久昌を起点に、久通・久治らの官途、法名、婚姻、地頭職を記した一流系図。久治が島津義久の家老を務め、福島院・桜島・高山・市来・出水などの地頭職を歴任したことを載せる。

  75. 附録2-No.1175 島津義久袖判町田久倍奉書

    幽斎の意見を受け、薩摩・大隅国内の所領を別紙目録のとおり伊集院久治へ宛行い、領知して忠節を尽くすよう命じた島津義久袖判・町田久倍奉書。

  76. 附録2-No.1176 伊集院烈久譜

    父頼久の忠功を述べる一方、照久の代に陰謀の噂が立ち、島津忠国が国中の軍勢を集めて攻めたため、矢尽き弦絶えて防戦不能となり、肥後へ落ち延びたことを記す伊集院烈久譜。

  77. 附録2-No.1177 今川満範書状

    一国の多くが味方するとの情報を受けて下向し、二日に球磨郡へ到着した今川満範が、急ぎ軍事行動を起こせばよい結果になるとして、返事を待って合戦の手順を相談すると伝えた書状。

  78. 附録2-No.1178 伊集院熊久書状

    妙円寺使節から意向を聞き、根元・山王・諏訪への寄進と思って対応していたが、事情を理解したので、早く知行が実現するよう願い、満家にも伝えると述べた伊集院熊久書状。

  79. 附録2-No.1179 伊集院烈久書状

    広済寺東堂の存命中は現状を堪忍し、没後は順職に従って寺家の処置を相談すると伝え、詳しい意向は対面で述べるとした伊集院烈久書状。

  80. 附録2-No.1180 日置氏系図抄

    伊集院忠国三男の日置久彰を祖とし、忠嗣・久椋・久智・久次らの実名、幼名、官途、別称を列記した伊集院氏支流・日置氏の系図抄。

  81. 附録2-No.1181 麦生田義久譜

    伊集院忠国の四男で、麦生田氏を称した兵庫頭義久と、その子孫の幼名・官途を記した伊集院氏支流麦生田氏系図抄。

  82. 附録2-No.1182 親成書状

    長らく音信できなかったことを詫び、当地の弓箭の状況を尋ねる。豊州から使者があり、吉岡方との交渉を受けて上使成本が派遣され、入魂の首尾となったことを喜び、詳細は帰国する光明寺から聞くよう伝えた親成書状。

  83. 附録2-No.1183 伊集院氏支流系図

    伊集院久教の後裔久武、その妹で町田伊賀久則の妻となった女子、久則二男から伊集院家を継いだ忠鏡らの婚姻・所領継承・役職を記した伊集院氏支流系図。女子が島津龍伯の三女に仕え、化粧料六十石を与えられた経緯も載せる。

  84. 附録2-No.1184 鍋島信昌書状

    遠方で用件もなく疎遠になっていたことを詫び、今後は一層懇意にしたいと申し入れる。あわせて箸鷹一連を所望し、手配を頼んだ鍋島信昌書状。

  85. 附録2-No.1185 伊集院忠棟書状

    国が隔たるため疎遠になったことを詫び、七島へ下す船に託して中国由来の屏風と扇子を贈る。屏風は狩野法眼の私宅へ自ら持参して由緒を説明した品であり、受領と取り合わせを依頼した伊集院忠棟書状。

  86. 附録2-No.1186 豊臣秀吉朱印状写

    伊集院忠棟から紅糸二十斤が届いたことに満足し、詳しくは石田三成から伝えるとした豊臣秀吉朱印状写。

  87. 附録2-No.1187 伊集院久春譜

    伊集院久春(元巣)が十七歳以来、牛根・横川・飯野・馬越・敷根・長野城・荒平・穂北・安徳城・岩屋城などで負傷を重ねながら戦った軍功を詳述する譜。朝鮮へ七年間供奉し、撤兵時にも諸将を救った忠節までを『決勝記』として顕彰する。

  88. 附録2-No.1188 若狭島津氏譜

    若狭島津氏の子孫を島津久通が江戸在府中に若狭国へ照会し、三方郡井崎村の百姓九左衛門家に伝わる系譜と証文を得た経緯を記す譜。先祖島津道正への所領宛行を示す内藤光康書下を収める。

  89. 附録2-No.1189 内藤光康書下

    山田太郎左衛門と島津道正が争った倉分・倉所の所領について、山田方の非を認めて道正の跡を継ぐ島津八郎左衛門へ宛行い、年貢・諸公事を怠らず永代知行するよう命じた内藤光康書下。

  90. 附録2-No.1190 某覚書

    若狭国三方郡井崎村に住む九左衛門家が五代前まで島津を称し、衰退後は三方・井崎姓を名乗ったこと、先祖を島津道正とすること、現在は百石ほどを耕作する百姓で子が十人ほどいることを記した調査覚書。

  91. 附録2-No.1191 知覧氏系図抄

    官庫所蔵の越前島津族知覧氏系図と各家伝を校合し、梅北地頭職を継いだ知覧久親と知覧行通の家系を本宗と判定する。田布施・種子島の知覧諸家を庶流とし、錯綜する実名・伝記を併記して後考に備えた系図抄。

  92. 附録2-No.1192 宇宿氏系図抄

    島津氏二代忠時の子忠綱を祖として、忠秀・忠大らの官途と子孫を記した宇宿氏系図抄。

  93. 附録2-No.1193 宮里氏系図抄

    越前島津氏の忠綱から、知賀・宇宿を称した忠継らを経て宮里久時へ至る系統と、嫡庶の断絶を記した宮里氏系図抄。

  94. 附録2-No.1194 阿蘇谷氏系図抄

    島津氏二代忠時の六男・大炊助を祖とし、その子孫に羽月の士彦右衛門尉久光がいると記した阿蘇谷氏系図抄。

  95. 附録2-No.1195 渋川道鎮書状

    博多へ入港すべき南蛮船が海上を恐れて薩摩方に逗留しているとの報を受け、京都へ報告済みなので、助力して早急に博多方面へ回航するよう命じる。迎船を送り、諸津浦の警固も固めたと伝えた渋川道鎮書状。

  96. 附録2-No.1196 渋川義俊書状

    南蛮船の件で芥河愛阿を派遣し、詳しい事情を伝えさせたうえで、島津方にも申し入れているので、船を早急に回航し無沙汰のないよう求めた渋川義俊書状。

  97. 附録2-No.1197 渋川道鎮書状

    南蛮船がなお逗留しているため、京都から二度にわたり兵庫津へ送るよう命じられたことを伝え、重ねて使者を派遣して早急な回航を督促した書状。先の返答は京都へ進達したとも記す。

  98. 附録2-No.1198 渋川義俊書状

    南蛮船の回航に奔走したことを喜びつつ、なお遅延しているのは不適当であり、島津方の使者にも伝えたので、早急にこちらへ回航するよう重ねて求めた渋川義俊書状。

  99. 附録2-No.1199 宗寿書状

    南蛮船の件で芥河愛阿が越国し、町田方が奔走したことを喜ぶ。島津氏の使者からも詳しい報告を得たので、船を早急に回航させるよう求めた宗寿書状。

  100. 附録2-No.1200 渋川義俊書状

    島津方の使者から、南蛮船は先月十五日に出船する予定との知らせが届いたことを喜ぶ一方、その後音信がなく不安なので、なお遅延しているなら回航実現へ奔走するよう飛脚を立てて督促した渋川義俊書状。