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附録2の目録
旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。
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附録2-No.601 徳川秀忠御内書
遠路から蜜柑二箱が届いたことを殊に喜び、委細は本多佐渡守から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.602 徳川秀忠御内書
年頭の祝儀として太刀一腰・馬代黄金二十両・緞子十巻が届いたことを喜び、委細は本多佐渡守から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.603 徳川秀忠御内書
音信の品として硫黄三百斤が届いたことを喜び、委細は本多佐渡守から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.604 豊臣秀頼書状
家久の上洛祝儀として太刀一腰・馬代銀子十枚・雉子三十羽(うち干物十五)が遠路届いたことを祝着とし、委細を片桐市正に託した豊臣秀頼書状。
附録2-No.605 徳川秀忠御内書
遠路から使者と太刀一腰・馬一疋・緞子二十巻が届いたことを喜び、委細は本多佐渡守から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.606 徳川秀忠御内書
年頭の祝儀として太刀一腰と馬代銀子百枚が届いたことを喜び、委細は大久保相模守から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.607 徳川秀忠御内書
重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、委細は本多佐渡守から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.608 徳川秀忠御内書
薩摩に唐船が着岸したことに関連して、新焼の小壺二個が届いた心遣いを喜び、委細は本多佐渡守から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.609 徳川秀忠御内書
蜜柑二桶が届いたことを喜び、委細は本多佐渡守から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.610 徳川秀忠御内書
大坂表の情勢が切迫するなか、出城などに支障がないよう申し付けているので安心するよう伝え、家久が早々に念を入れて報告したことを評価した徳川秀忠の御内書。
附録2-No.611 島津義久書状
歳暮の吉慶を祝い、その祝言として書状と五明二本を送り、諸々の賀意は翌春に改めて述べるとした島津義久書状。
附録2-No.612 島津義弘書状
山坂へ向かう日程について、当地を十日に出立する考えを伝え、それまでは日数があるので秘密にしておくよう求めた島津義弘書状。
附録2-No.613 島津義弘書状
当日の原での馬乗りは申の刻に行うのがよいと、至急返事を求めた島津義弘の短い書状。
附録2-No.614 島津義弘書状
萩原寺へ加増地を与える件は当地で相談済みであり、滞りなく首尾が整うよう家久に配慮を求めた島津義弘書状。
附録2-No.615 島津義弘詠草
「天地のひらけぬ先の我なれば、生きるもなし死ぬるもなし」と、生死を超えた境地を詠んだ島津義弘の短冊。
附録2-No.616 島津義弘書状
年頭の祝儀として家久から太刀一腰・馬一疋を贈られたことに謝し、義弘側からも同じく太刀と馬を返贈して恒例の賀礼を表した書状。
附録2-No.617 寺沢広高書状
渡海しようにも現地に順風がなく、朱印状を持参して挨拶する予定も風波で延引していると述べ、家久が二、三日病んでいると聞いて案じた寺沢広高書状。
附録2-No.618 隅州桑原郡記抄
大隅国桑原郡三躰堂村の山林について、新納家十四代近江殿が寛永十一年に島津家久から拝領し、代々伝領して季節ごとの藩主の狩猟では新納家が行司を務めた由緒を記す。
附録2-No.619 小西行長書状
竹島城米の番手について寺沢志摩守から島津側へ連絡があったと聞くが、自分には話がないため、寺沢へ確認して返答するまでは現状どおり命じておくよう求めた小西行長書状。
附録2-No.620 小西行長書状
病気が良くなれば相談のうえ出向くよう勧め、寺沢志摩守へ書状を送るのは太閤の命に関わるので当然としつつ、今後は十分に分別して書状を出すよう忠告した小西行長書状。
附録2-No.621 小西行長・寺沢広高連署書状
東莱にある白米を総用の割符で引き渡し、受領後も島津方の手元まで奉行を付けていると杉孫七郎から報告があったため、従来どおり速やかに奉行を任命するよう求めた小西行長・寺沢広高連署書状。
附録2-No.622 小西行長・寺沢広高連署書状
現地の情勢を相談のうえ上申するため、自分たち二人が翌日竹島へ出向くので、家久も竹島へ来るよう求めた小西行長・寺沢広高連署書状。
附録2-No.623 加藤清正書状
天下の訴訟が決着したと本多佐渡守から連絡があったため、境界問題もその意向に従い、芦北郡の百姓を直接返還するよう求め、異存があれば延期も家久の判断に任せるとした加藤清正書状。
附録2-No.624 飛鳥井雅宣書状
別れ際に暇乞いできなかったことを惜しみ、家久が蹴鞠を続けているか尋ね、当地では郷兵衛らが朝夕蹴鞠をしていると知らせ、翌春の上洛を待ち望んだ書状。追伸では飛鳥井家の案内役として花山院少将をどう思うか意向を問う。
附録2-No.625 近衛龍山書状
近衛信尹の帰洛祝いとして太刀一腰・馬一疋を贈られたことを喜び、長期在陣の苦労をねぎらい、便がなく音信が滞ったことを詫びて翌春の吉事を願った近衛前久(龍山)書状。
附録2-No.626 安宅秀安書状
朝鮮出兵時の薩摩の無人・軍役不備を背景に、秀吉の検地と義久・義弘各十万石、北郷氏領を含む知行再編、七・八万石の浮地を忠節に応じ家臣へ配分する方針を詳説し、家久に両親と相談して公儀の置目を守るよう諭した安宅秀安書状。
附録2-No.627 浅野長政書状
二日ほど前に大坂で騒動があったがすぐ鎮静し、特段の問題がないため連絡を延ばしたと説明し、秀頼が無事に成長していると知らせた浅野長政書状。
附録2-No.628 前田玄以・増田長盛・長束正家連署書状
大仏鋳造用の唐金を家久が一万貫目分買い調え、木食上人へ渡すよう命じられていたのに未納であるとして、代物の手配を急ぎ引き渡すよう督促した三奉行の連署書状。
附録2-No.629 宇喜多秀家書状
家久が当地へ来たことと音信を喜び、現地の普請を引き続き命じられたのはもっともであり、関係する用件があれば知らせるよう述べた宇喜多秀家書状。
附録2-No.630 小西行長・寺沢広高連署書状
当地の諸城にある城米を改めて上申するよう朱印状が出たため、それを送付し、家久が預かる城米の数量を書き付けて使者に渡すよう求めた小西行長・寺沢広高連署書状。
附録2-No.631 小西行長書状
勅使を確実に伴って渡海するよう命令が出たため、前年に小西・寺沢が伝えた船数を整え、翌日までに安元へ到着させるよう求めた小西行長書状。
附録2-No.632 寺沢広高書状
安見右近・戸田又右衛門が島津方から受け取った総割符の兵糧について、下代らの受領が完了したので、公儀へ報告したうえで正式の受取証を交換するよう求めた寺沢広高書状。
附録2-No.633 寺沢広高書状
釜山浦に新たな兵糧蔵を建てたため、島津方へ引き渡すよう奉行に命じたと知らせ、現地で落ち着いた頃に訪問して直接話すとした寺沢広高書状。
附録2-No.634 石田三成書状
本来は参上して祝いを述べるべきところ暇がないため使者を立て、太刀一腰・五百疋・酒樽一荷の三種を祝いの品として贈った石田三成書状。
附録2-No.635 島津義弘書状
新田宮参詣と二王堂での曼荼羅供が、前日の強風から一転した静穏な天候のもと無事成就し、遺骨に関する造作も完了した喜びを報じる一方、佐土原の情勢を案じ、秀堅か野添太郎右衛門尉を派遣するよう求めた島津義弘書状。
附録2-No.636 島津義弘書状
こちらで拵えた刀を家久が少吉に持たせたことを喜び、希望された東坡の墨跡を、表装が傷んで見苦しいものの閲覧用に送り、先日借りた弓も返却した島津義弘書状。
附録2-No.637 小笠原植盛書状
家久から二、三度受けた質問への回答を一巻にまとめ、箙への矢の差し方、立ち上がる際の弓の持ち方、鳴弦などを図・文章で説明した小笠原流弓馬故実の秘伝書状。従来伝授例のない最上の秘事とする。
附録2-No.638 安藤直次・本多正純連署書状
先年拝領した領地の朱印状を交付するため、奉行衆の書出と領分郷付帳を添えて適任者を早々に上らせ、書出がなければ検地帳から石高合計と郡別内訳を詳記して送るよう求めた連署書状。
附録2-No.639 本多正純書状
島津領大島湊の船が難風で流され、土佐国幡多浦へ漂着したとの注進を受け、船員と荷物を失わず薩摩へ戻すよう松平土佐守へ命じたので安心するよう知らせた本多正純書状。
附録2-No.640 本多正純書状
大御所家康へ玉燈籠一つ、医書・本草書各一部、白砂糖・黒砂糖・氷砂糖各百斤を献上し、披露の結果が良好だったので安心するよう伝えた本多正純書状。
附録2-No.641 本多正純請取
鷹の教えを描いた屏風、扇子、装束付きの桐箱、網代の挟箱、奈良晒、蝋燭など、島津家久から受領した品々の数量を列記した本多正純の請取。
附録2-No.642 長谷川藤広書状
唐船が不意に琉球へ漂着し、日本への渡海と帰帆が遅れるため荷物を保管したとの報告を受け、唐人の希望に沿って処置し、注文品の有無を確かめ、今後も帰帆に支障がないよう取り計らうべきだと助言した長谷川藤広書状。
附録2-No.643 寺沢広高書状
将軍の上使が近日到着する予定なので家久の参上は不要との意向を了承し、まだ伝わっていない上意の内容をぜひ知りたいとして、中村藤左衛門を介して連絡を求めた寺沢広高書状。
附録2-No.644 長谷川藤広書状
琉球へ漂着した悪党のうち逃亡した三人が捕縛・送致されたので早く受け取って処罰せよとの上意を伝え、残る四人が年内か翌春に到着するかを問い、できれば一括して処罰したいと述べた長谷川藤広書状。
附録2-No.645 松平下総守書状
河口で不法を働いた薩摩出身者三人の処分について、国元へ送り返すよう使者に求めたが、使者は当地での成敗を強く望んだため、最終判断は家久の分別に任せるとした松平下総守書状。
附録2-No.646 飛鳥井雅胤書状
遠路からの書状と唐紙の贈答に感謝し、薩摩で蹴鞠をしているか尋ね、翌春の上洛時には必ず面会したいと述べた飛鳥井雅胤書状。
附録2-No.647 飛鳥井雅庸書状
蹴鞠の門弟として四本の木を植えたことは稀有な由緒であり、兄弟の契約を結んだためで、四本を植えた例は比類ない名誉だと評した飛鳥井雅庸書状。
附録2-No.648 本多正純書状
大御所家康へ花砂糖・白砂糖各二百斤入り二箱と酒壺二個を献上し好結果だったと知らせる一方、琉球から中国へ渡った使節船の帰朝後、北京の情勢を速やかに上申するよう求めた本多正純書状。
附録2-No.649 飛鳥井雅庸歌題抜書
「鈍題百首」から春霞・梅・卯花・夏夜・秋虫・寒さ・隣家・山河など三十題を抜き書きし、古人の旧題ではあるが心に留めて避けるべきだと注意を添えた歌題資料。
附録2-No.650 上田吉丞書状
家久から料紙を贈られ、悪筆ながら良い書物一巻を仕立てて進上すると約し、この料紙へ印を押してよいか指示を求めるとともに、自作集も完成すれば清書して贈るとした書状。
附録2-No.651 本多正純書状
大御所家康へ中国渡来の品二種を献上して披露した結果、十分な好結果だったので安心するよう伝え、久しく音信がなかったことを詫び、用件があれば遠慮なく申し付けるよう述べた本多正純書状。
附録2-No.652 本多正純書状
春に海上で破船した悪盗六、七人が琉球・薩摩で捕らえられたことを大御所が喜んでいるとして、彼らを長谷川左兵衛へ引き渡すよう命じた本多正純書状。
附録2-No.653 本多正純書状
白鳥一羽・鷹二十羽・餅一箱・鮭・南都諸白二樽などを、わずかな品ながら音信のしるしとして贈った本多正純書状。
附録2-No.654 本多正純書状
朱印状を持たず島津領へ着岸した船は荷物と船頭を留め、箇条書きで事情を上申するよう命じ、また中国から帰朝した旧朱印船についても朱印状を遅滞なく差し出すよう厳命した本多正純書状。
附録2-No.655 理性院某書状
新春を祝い、家久のため太元明王護摩を七日間勤修して札と巻数を送り、さらに弓懸五具を祝儀として進上し、上洛時の対面を期した理性院某書状。
附録2-No.656 飛鳥井雅庸書状
丁重な書状に謝し、本来は使者を立てて新年を祝うべきところ、当地で蹴鞠興行が続いたため無沙汰になったと詫びた飛鳥井雅庸書状。
附録2-No.657 本多正純書状
大御所家康へ薩摩の鷹と硫黄三百斤を献上したところ、硫黄を特に優れていると評価され機嫌も良かったと知らせ、琉球硫黄は未着なので到着後に改めて献上する意向を了承した本多正純書状。
附録2-No.658 本多正純書状
大御所家康へ琉球産の撫子二本を献上して好結果だったと知らせ、その撫子は葉を落とさないよう養生すると伝えた本多正純書状。
附録2-No.659 即宗庵東堂龍珊書状
新年の使札と華麗な巻物に謝し、前年から進めていた即宗庵の造営が春までにすべて完成して比類ない大寺となったことを報告し、勤行・掃除を怠らぬよう厳命したと述べた龍珊書状。
附録2-No.660 観助書状
新たな本尊を家久が頂戴したことを祝い、音信として銀子五枚を贈られたことに謝し、太元堂の件は当月中旬に奉行衆から命じられたため長くはかからない見込みだと知らせた観助書状。
附録2-No.661 片桐且元書状
見舞いの使札と砂糖一桶百斤・煙硝二桶二百斤を受け、秀頼へ披露すると大いに喜ばれたと報告し、大蔵卿局からも使者が来たことや、使者へ雉子二羽を与えたことを伝えた片桐且元書状。
附録2-No.662 興意入道親王書状
久々の書状と緞子二巻に謝し、准后が重病で書状も出せない状態だと知らせ、返礼として扇子二十本と薫衣香三十を贈り、委細を友枕に託した興意入道親王書状。
附録2-No.663 上田吉丞書状
家久が朝に乗った馬と轡の具合を評し、乗用馬では轡を緩めてはならないと助言し、夕方七つ時に参上して口取りを教え、どの馬でも安心して乗れるようにすると約した上田吉丞書状。
附録2-No.664 法印良盛書状
恒例により当峯で大護摩祈祷を吉日に執行し、札と巻数を進上するとともに、領国・家中の安全、武運長久、息災延命、諸願成就を祈った法印良盛書状。
附録2-No.665 板倉勝重書状
駿府へ献上する柱木を京都まで運ぶため、本多上野介の依頼に従い、道中の人夫を念入りに手配して差し下したと報告し、木数の書付も到着したと伝えた板倉勝重書状。
附録2-No.666 本多正純書状
三好家から出た品で、伏見以来所持してきた節揃いの節陰の的矢竹一束を進上し、委細を伊勢兵部少輔に託した本多正純書状。
附録2-No.667 大炊御門経頼書状
前日に飛鳥井家の宿所で家久と対面できたことを喜び、砂糖三樽の贈答に謝し、滞在中に改めて訪問すると伝えた大炊御門経頼書状。
附録2-No.668 山口直友書状
義弘が献上した刀について本多上野介と相談して披露したところ、丁重な言葉を賜ったことを喜び、その経緯を義弘へも書状で伝えるとした山口直友書状。
附録2-No.669 細川忠興書状
家久自筆の案文を喜び、双方が作成した書物案文を照合して文言修正を求め、適当な使者や筆本を見る者を夕刻までに遣わすよう依頼した細川忠興書状。正源院を介した口上や、病気見舞いとして扱う段取りも記す。
附録2-No.670 良恕入道親王書状
好便に際し、光久が江戸で無事に過ごしていることを喜び、薫物一種を贈って後の音信を期した良恕入道親王書状。
附録2-No.671 板倉重宗書状
正月二十四日寅刻、尾張中納言徳川義直の屋敷から出火し、島津家久を含む二十家余りの大名屋敷が全焼・部分焼となった範囲と、その他は無事であることを一覧で知らせた板倉重宗書状。
附録2-No.672 酒井忠勝書状
本文ではNo.989と同文であるとして全文を省略した酒井忠勝書状。
附録2-No.673 徳川頼宣書状
病中にたびたび飛脚や使者で見舞われた厚意に謝し、病気がようやく快復したことを報告して、快気のしるしに南部酒二樽を贈った徳川頼宣書状。
附録2-No.674 幸朝書状
進上品の受納を求め、家久の武運長久と領国・家中の安全を怠りなく祈念すると約し、委細を使者に託した幸朝書状。
附録2-No.675 龍雲書状
龍雲が島津家久に、久しく音信がないが朝夕慕っていると述べる。自らは七十一歳となって老衰し、もはや若輩ではないので察してほしいとする。先年、家久が竹腰山城邸を訪れた際、数寄屋で伊勢兵部と相伴して茶を喫し、国元の茶入を賜る約束を固く交わしたことを回想。家久は多忙で失念したのだろうと理解を示しつつ、約束の…
附録2-No.676 高力忠房書状
翌晩の家久の来訪を喜び、本来なら参上して礼を述べるべきところ、まず書状で謝意を伝えた高力忠房書状。
附録2-No.677 酒井忠勝書状
使者として家久の宿所を訪ねたが外出中で対面できず、依頼の件は理解したので安心するよう伝え、本丸への礼登城時にも会えなかったため次の対面を期した酒井忠勝書状。
附録2-No.678 松平直次書状
歳暮の贈物として見事な鯉二本一折を使者から受けたことに謝し、本来は登城して礼を述べるべきだが、まだ歩行できないため書状で謝意を伝えた松平直次書状。
附録2-No.679 伊達政宗書状
寺沢志摩守を介した紹高の相談を受け、二十九日は寺沢に先約の客があるため、翌月二日の朝に家久が来訪するよう提案し、返事を得て同行者へ知らせるとした伊達政宗書状。
附録2-No.680 本多正純書状
伊勢兵部少輔を通じた連絡を了承し、将軍へ山桃と漬物を献上したところ大いに喜ばれたと報告した本多正純書状。先日贈られた別の品は、改めて献上を命じられたため正純が拝領することになったとも述べる。
附録2-No.681 本多正純・土井利勝連署書状
前日の上意を伊勢兵部少輔へ伝えたところ聞き届けられ、満足しているとの返答を得たと知らせ、家久の書状どおり詳しく上申し、近日の帰国予定をもっともとした本多正純・土井利勝連署書状。
附録2-No.682 酒井忠勝書状
家久が私宅を訪れた際は登城中で会えなかったと詫び、朝に両将軍へ首尾よく目見えして満足されたことを祝い、当地参着の祝儀として太刀一腰・馬代銀子三十枚・緞子十巻を贈られたことに謝した酒井忠勝書状。
附録2-No.683 毛利秀元書状
国元まで使札と織物十巻・琉球酒一壺を贈られた遠路の厚意に謝し、長門守にも連絡されたことを喜び、自身も近日当地を出るので対面時に使者の口上を詳しく聞くとした毛利秀元書状。
附録2-No.684 三輪山先達快盛書状
恒例の大峯大護摩一座の料銀二貫四百目を受け取り、吉日に執行して札・巻数・手矢違を送り、国家安全、子孫繁昌、武運長久、諸願成就を祈念した三輪山先達快盛書状。
附録2-No.685 毘沙門堂門跡書状
将軍が機嫌よく還御したことを家久も喜んでいるだろうと述べ、その祝儀として使者と酒二樽二種を贈られた厚意に謝し、次の対面で礼を述べるとした毘沙門堂門跡書状。
附録2-No.686 松平定勝書状
少将任官の祝儀として太刀一腰・馬一疋・縞紬五十巻を遠路から贈られたことに謝し、夏以来多忙でゆっくり音信できなかったことを詫びた松平定勝書状。
附録2-No.687 松平定綱書状
薩摩領の平穏と将軍の機嫌良好を報じ、七島産の鰹節一折と琉球酒一壺に謝して賞味すると述べ、同族松平隠岐守定勝の参勤と首尾よい目見えも伝えた松平定綱書状。
附録2-No.688 稲葉正勝書状
両将軍が健勝であること、家久が京都で首尾よく暇を賜り無事帰国したことを喜び、使者の上申が酒井雅楽頭を通じて披露され、使者が御前で直接言葉を賜ったと報告し、七島産鰹節百五十本にも謝した稲葉正勝書状。
附録2-No.689 細川忠利書状
細川忠利が島津家久に、越前宰相松平忠直をめぐる江戸の情勢を報じる。忠直は病気と称して江戸下向を延期したが、国政を意のままにし、甚だしく酔狂であるとの風聞が幕府の不興を招いた。側近の若者らは、忠直が江戸へ下れば自分たちが処罰されると恐れ、種々申し立てて引き留めたという。将軍徳川秀忠は近藤縫殿助を見舞い…
附録2-No.690 土井利勝書状
年頭の拝礼について、現時点では例年どおりであり、変更があれば知らせるので、連絡がなければ例年の装束で登城するよう案内した土井利勝書状。
附録2-No.691 琉球国主尚豊書状
新年を祝い、恒例の進物として太平布五十端・芭蕉布五十端・焼酎十壺を使者に託して進上した琉球国王尚豊書状。
附録2-No.692 中山王書状
四月二日付書状を二十三日に受け取り、琉球の花、とくに仏桑花が必要との依頼に応じ、二十本と茶庭花・茶刈花を植え付けて進上し、ほかにも用があれば命じてほしいとした中山王書状。
附録2-No.693 中山王書状
年頭を祝い、天下・国家が平穏であることを慶び、祝儀として焼酎二壺と肴三桶を進上した中山王書状。
附録2-No.694 中山王書状
家久の繁栄を知らせる書状が三月十日に届いたことを喜び、本来は使節を立てて祝儀を述べるべきだが、海路が遠いためまず書状で祝意を伝えた中山王書状。
附録2-No.695 中山王書状
祝儀の使札と太刀一腰・馬一疋・金子、加治木焼の茶壺・重箱・文箱を受けて厚恩に謝し、二人の使者の到着により諸事が整い長久の安寧の基となったと述べ、返礼品目を別紙に記した中山王書状。
附録2-No.696 徳川家光御内書
重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、委細は酒井雅楽頭から伝えるとした徳川家光の御内書。
附録2-No.697 徳川家光御内書
端午の祝儀として雉子・干物数十点が届いたことを喜び、委細は酒井雅楽頭から伝えるとした徳川家光の御内書。
附録2-No.698 徳川秀忠御内書
歳暮の祝儀として小袖十領が届いたことを喜び、委細は土井大炊頭から伝えるとした徳川秀忠の御内書。
附録2-No.699 能州惣持寺如意庵全達外四名連署書状
薩摩領内で惣持寺住持経験者や僧侶が多く、特に福昌寺住持も檀越家久の支援によるとして今後の継続助成を願い、九州曹洞宗の法度を徹底するため如意庵を派遣したと知らせた能州惣持寺五院連署書状。
附録2-No.700 土井利勝・酒井忠勝連署奉書
七月十八日に参内するよう命じられたため、衣冠を着用して以前と同じく四足門まで参進するよう案内した土井利勝・酒井忠勝連署奉書。