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附録2の目録

旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。

全1,438件中 101~200件・2 / 15ページ

  1. 附録2-No.101 近衛前久書状

    島津義弘が当日出京すると聞き、会えなかったことを残念がって安元への来訪を待つと伝え、気掛かりな件の確認のため倉光主水佑を遣わした近衛前久書状。

  2. 附録2-No.102 照高院如雪書状

    薩摩からの注進を早く知って喜び、伊集院源次郎の望みに関わる身上も無事であることを島津義弘の手柄と評価し、近日の帰国を期待した書状。

  3. 附録2-No.103 近衛龍山書状

    毛利輝元の使者や西国衆の下国の噂を伝え、相手が伏見城を預かるという話の真偽と徳川家康の到着予定を尋ね、来訪と石田弥介への取次を求めた龍山こと近衛前久の書状。

  4. 附録2-No.104 照高院如雪書状

    大峯採燈護摩の結願巻数を送り、佐渡で金地袈裟を着た山伏をめぐる本山・当山間の訴訟が将軍裁許で照高院側の勝訴となったことを報告し、茶壺を秘蔵することや祈念継続も伝えた書状。

  5. 附録2-No.105 最胤親王書状

    報恩のため山門を再興するにあたり、堂舎の造営へ格別に助力するよう島津義弘に求め、詳しくは仁秀から伝えるとした最胤親王書状。

  6. 附録2-No.106 島津義弘譜

    以下に収める多数の書状は年代が分からず順序を定められないため、後人の精密な考証によって島津義弘譜を完成させるよう求めた編纂記事。

  7. 附録2-No.107 足利義昭御内書

    島津義弘に「義」の字を与える件を了承したと伝え、忠功を肝要とし、詳細は毛利輝元らから伝えるとした足利義昭御内書。

  8. 附録2-No.108 足利義昭御内書

    三郎に対し名乗りの文字の使用を許可し、詳細は昭光・昭秀から伝えるとした足利義昭御内書。

  9. 附録2-No.109 徳川家康御内書

    音信として段子十端・象牙・南方渡来の馬具類が到来したことを喜んだ徳川家康御内書。

  10. 附録2-No.110 徳川家康等五大老連署書状

    朝鮮で明軍と番船が出動したため藤堂高虎を派遣し、敵が在陣するなら船手衆と協議して戦い、退散したなら諸城を釜山浦へ収縮して帰朝するよう命じた五大老連署状。

  11. 附録2-No.111 徳川家康等五大老連署書状

    徳川家康ら五大老が島津義弘(羽柴薩摩侍従)・島津忠恒(島津又八郎)父子へ、時勢を守り、下々の者がみだりに海を渡ることを厳禁し、法度に背けば本人だけでなく一類を成敗し、島津側の落度にもすると警告した連署状。

  12. 附録2-No.112 豊臣秀吉朱印状

    捕らえている朝鮮人のうち、細工に秀でた者や縫工、手先の器用な女性がいれば家中を調べて進上し、秀吉の御用に召し使えるよう命じた朱印状。

  13. 附録2-No.113 豊臣秀吉朱印状

    北方の陣を見舞うため徳永寿昌・宮木豊盛を派遣し、長期在番の辛労をねぎらって袷の道服を贈り、詳しくは奉行衆・年寄から伝えるとした朱印状。

  14. 附録2-No.114 豊臣秀吉朱印状

    当年の軍役を免じる一方、翌年の関白出馬と諸勢渡海に備え朝鮮の城郭を堅固にし、兵糧三万石余を釜山浦に備蓄し、明との講和を信用せず在陣・開作を続けるよう命じた朱印状。

  15. 附録2-No.115 豊臣秀吉朱印状

    炎天下の渡海をねぎらい、現地での軍役を従前の指示どおり見計らって油断なく遂行するよう命じ、稚児用の衣類なども贈った朱印状。

  16. 附録2-No.116 豊臣秀吉朱印状

    日向の巣鷹を探すため落合新八を派遣したので、案内人を付けて鷹を尋ね出し、到来させること、落合の滞在中は宿などを馳走することを命じた朱印状。

  17. 附録2-No.117 豊臣秀吉朱印状

    日向の鷹巣奉行に任じたので、配下の者を配置して鷹巣を守ることが肝要と命じ、詳細を石田三成に託した朱印状。

  18. 附録2-No.118 豊臣秀吉朱印状

    関白豊臣秀次に不届きがあり高野山へ遣わしたが、ほかに異変はないので心配不要と伝え、詳しくは前田玄以・石田三成らから伝えるとした朱印状。

  19. 附録2-No.119 豊臣秀吉朱印状

    長期在陣の辛労をねぎらって衣類を贈り、引き続き精勤するよう求め、現地の仕置について別書で命じたうえ、詳細を熊谷直盛・水野久右衛門尉に託した朱印状。

  20. 附録2-No.120 豊臣秀吉朱印状

    薩摩出水・肥後水俣の侍や百姓が男女を薩摩・大隅・日向などへ売買していると聞き、法度に従って元の居所へ返し、違反者は直ちに言上するよう命じた朱印状。

  21. 附録2-No.121 豊臣秀吉朱印状

    長期在陣の辛労をねぎらい、この時こそ一層粉骨することが肝要と励まし、鹿毛の馬一疋を贈り、詳細を石田三成・大谷吉継・増田長盛に託した朱印状。

  22. 附録2-No.122 某覚書

    御検地後の薩摩・大隅・諸県の知行割付、隅州・諸県郡の給付、高麗・出水・奥州様に関する御朱印を列挙し、澤原野駒の御礼、青山野駒が存在しない旨、内容を伴わない『唐犬之事』の題目を記した覚書。

  23. 附録2-No.123 某書状

    毛利輝元からの使者を送り届けたことを受け、こちらからも送りの者を付けると伝えた短い書状。

  24. 附録2-No.124 島津義弘詠草

    船出の春景色、島の時雨、鞍馬山の桜と暮れゆく木末を詠んだ、島津義弘の和歌二首を収める詠草。

  25. 附録2-No.125 小西行長書状

    前日の使札への返事となったことを述べ、二人のもとへの見舞いについては時機を見てこちらから連絡するので、それまで待つよう求めた小西行長書状。

  26. 附録2-No.126 堀内氏吉書状

    長期在陣の祈祷を日本へ依頼したところ御札と牛王宝印が届いたため進上し、近日中に参上して見舞うことや、当地での用向きを命じてほしいと伝えた書状。

  27. 附録2-No.127 毛利吉成書状

    唐人が出動して合戦になれば城を退いてでもこちらへ来るよう勧め、留守居を定めて早く移動する準備を求める一方、自身は当面当地に滞留すると伝えた軍事書状。

  28. 附録2-No.128 吉川広家書状

    歳暮を祝い、明春には早々に新年の慶びを申し交わしたいと述べ、詳しくは使者から伝えるとした吉川広家書状。

  29. 附録2-No.129 加藤清正書状

    久しく音信がなかったため書状を送り、見舞いに行くつもりが上使衆の来訪で取り紛れたことを詫び、上使衆の帰朝後には必ず参会すると約した書状。

  30. 附録2-No.130 戸田勝隆書状

    前日の訪問への厚遇を謝し、近所なので用向きを命じてほしいと述べ、種子島殿から錨に関する技術を習うため休意を同船させてこちらへ寄こすよう強く依頼した書状。

  31. 附録2-No.131 毛利貞成書状

    歳暮の挨拶を送り、残り日数が少ないため詳しい儀礼を省くが、来春早々に饗応したいと伝え、鷹の餌として鴨六羽を贈った書状。

  32. 附録2-No.132 吉川広家書状

    歳暮の祝儀を伝えられたことを恐縮し、明春早々に新年の慶びを申し交わしたいと返答した吉川広家の短い書状。

  33. 附録2-No.133 島津惟新書状

    祈祷札と本尊像を拝受して神前で一層丹精を尽くすよう頼み、杉原紙十帖・唐島一端などの贈物にも謝し、返礼の品を進めた島津惟新書状。

  34. 附録2-No.134 高麗陣陣立写

    高麗陣に参加する諸大名の持口・左右の配置と兵数を列挙し、陸上勢計四万九千七百人、船手計四千八百人などの軍勢編成を示した陣立写。

  35. 附録2-No.135 島津惟新書状

    名護の上国を通じて琉球国王の安泰を喜び、時宜に応じた政治を称賛し、中国との和睦実現を期待するとともに、名護が持参した珍品への謝意を述べた漢文書状。

  36. 附録2-No.136 島津惟新書状

    仙岳房の文才と学問を高く評価し、聖人も学びによって知を得るとの教訓を引き、久しく屈してこそ身を伸ばせると修学を励まし、白銀十両を贈った漢文書状。

  37. 附録2-No.137 島津義弘書状

    三年前に狂風で難破した呂宋船を回想し、島津領へ再来した船主との旧盟を喜び、毎年の商船来航と不足品の交易を望み、船主へ金属の扇、婦人へ酒肴器を贈った漢文書状。

  38. 附録2-No.138 大谷吉継書状

    前夜に招かれて懇切な饗応を受け、窮屈が晴れるほど大酒を飲んで今なお臥していると述べ、朝の使者への返事が泥酔のため遅れたことを詫びた書状。

  39. 附録2-No.139 生駒一正書状

    出先から戻ったことを報告し、ある人物を加主所まで送りたいので船を手配して早く出すよう頼み、馬などは後便で送るとし、詳細を寒河市介に託した書状。

  40. 附録2-No.140 福島正則書状

    使札と御朱印を確かに受け取り、先刻の早い訪問をありがたく思う一方、自身の返礼が遅れたことを詫び、当地で暇ができ次第参上すると伝えた書状。

  41. 附録2-No.141 浅野長政等連署書状

    退却する敵を島津方が討ち果たして首を得、その配下もことごとく討ち取ったと聞いて忠節を賞し、島津義弘の天下への奉公を近日中に上聞へ達すると約した連署状。

  42. 附録2-No.142 小西行長書状

    島津義弘が釜山浦の陣へ移ることを早く知らせてほしいと頼み、自身も今晩四国衆の陣から訪問する意向を示し、明から来た者の様子は書面でなく対面で話すとした書状。

  43. 附録2-No.143 福島正則書状

    種子島殿の来訪をめぐり油断しないよう念を押し、天候が良ければ奥州方面へ船を回す段取りを示し、島津義弘の腹中の病を案じて養生を勧め、贈物を釜山浦へ届けると伝えた書状。

  44. 附録2-No.144 小西行長書状

    瀧七右衛門の口上を了承し、近日日本へ人を遣わす件に伴って相談したい事情があるため同人を差し向け、捕らえられた者の様子も尋ねたうえ、近く対面して話すとした書状。

  45. 附録2-No.145 福島正則書状

    朝の協議に島津義弘が同意して裁決を下したことを喜び、伊東民部・島津又七が到着したので両人をこちらへ立ち寄らせ、義弘も遊山を兼ねて来訪するよう誘った書状。

  46. 附録2-No.146 伊東祐兵書状

    長く音信がなかったことを詫び、奉行衆の見回りに合わせて訪問するつもりだったが病気が再発したため、まず飛脚を送り、快復すれば必ず見舞うと伝えた書状。

  47. 附録2-No.147 浅見某書状

    島津方の城米を引き渡すため自身が赴く予定だったが釜山浦で用務ができたので代理を送り、奉行を定めて早急に受領し、増田長盛・早川長政の判のある枡で前納分を渡すよう求めた書状。

  48. 附録2-No.148 福島正則書状

    島へ渡った島津義弘から早速使札を受け、出発を知らず返事だけになったことを残念がり、こもかいから戻った際には必ず見舞うとし、四国衆の交替はまだ確定していないと伝えた書状。

  49. 附録2-No.149 福島正則書状

    島津方の古米を新米へ入れ替えるよう裁定と朱印が下ったので、受取帳簿を十月二十八日付で整えて翌日日本へ渡すよう求め、毛利高政も対馬へ戻ると伝えた書状。

  50. 附録2-No.150 福島正則書状

    格別の見舞いと毎日の使札に謝し、返礼に参上すべきところ釜山浦で城米の分配に取り掛かっているため、帰還後に今回の礼を詳しく述べると伝えた書状。

  51. 附録2-No.151 福島正則書状

    島津義弘の使札を拝見し、御朱印の請取を確かに受領したことと、毛利民部大輔が帰還したことを伝え、対面時に詳しく話すとした書状。

  52. 附録2-No.152 福島正則書状

    毛利民部大輔が釜山浦へ着いたので自身も赴き、兵糧引渡しの奉行を一人寄こすよう求めたほか、鹿狩りに出た蜂須賀・福島方の者が山中で殺されたため、島津家中にも鹿狩りを厳禁するよう警告した書状。

  53. 附録2-No.153 伊勢貞知書状

    以前に約束した掛物二幅を整えて送ったことを伝え、病気で長く臥していたため進呈が遅れたことを詫び、滞在中の用向きには疎略なく応じると約した書状。

  54. 附録2-No.154 相良忠房書状

    球磨一郡の安堵が認められたことを喜び、以前から島津義弘が尽力した厚情に謝して、祝儀として太刀一腰と青黒毛の馬一疋を贈り、今後も末永い親交を望んだ書状。

  55. 附録2-No.155 小早川隆景書状

    中納言殿に供奉して一両日前に下着したと報告し、入国祝儀の使者を一人差し出すことを勧め、石田三成とも内談したうえで、中納言の翌月中旬の上洛予定と山口玄蕃頭の供奉を伝えた書状。

  56. 附録2-No.156 福島正則書状

    太刀一腰と青毛の馬一疋の贈答に謝し、上使として下国して近日佐敷まで赴くと伝え、前年の一揆蜂起に際し島津方が国境へ出兵し、御朱印に従って鎮圧した辛労を賞した書状。

  57. 附録2-No.157 毛利吉成書状

    家来の病気と陣所の窮乏を訴え、兵糧・馬・大豆・縄・敷物・盾などの援助を求め、唐人が出動して合戦になれば直ちに知らせるので来援の準備をするよう依頼した書状。

  58. 附録2-No.158 伊東祐兵書状

    敵山城の様子を偵察して攻撃するため、夜間では見極めにくく少人数では危険として、翌日に五、六百人を派遣し、偵察結果を見て翌日働く案を示し、島津義弘の判断を仰いだ書状。

  59. 附録2-No.159 宇喜多秀家書状

    島津義弘が立ち寄る予定だったところ、石田三成の内意に従って早く当地へ移ったことを適切とし、普請などの状況を案じつつ、近所なので必要な用向きには疎略なく応じるとした書状。

  60. 附録2-No.160 伊東祐兵書状

    海上隔絶のため音信が途絶えたことを詫び、走者の扱いは法度と親交に基づき、朝鮮渡海以後の逃亡者を互いの領内で調査して返還する協定を結び、留守居・国元にも通達するよう求めた書状。

  61. 附録2-No.161 帰粛書状

    島津領の焼物ができれば所望したいと頼み、古田織部が目利きした茶碗一つと香箱一つを贈り、座敷を造った大工喜介を推挙し、翌春に下向して茶を一服所望したいと述べた書状。

  62. 附録2-No.162 福島正則書状

    島津陸奥守が上洛して二人の御所の前で万事首尾よく、多数の馬などを拝領した天下の面目を祝し、江戸の島津家族の無事と屋敷警固・火の用心の状況を報告した書状。

  63. 附録2-No.163 那須某書状

    上京を考えていたところ相良方の山衆から攻撃を受け、肥後へ出て大雪にも阻まれた事情を述べつつ、天下への忠節と島津への別心がないことを誓い、那須主膳らの勧めに従って上京する覚悟を伝えた書状。

  64. 附録2-No.164 福島正則書状

    島津陸奥守が関東で二人の御所に首尾よく拝謁したことを祝い、自身の病気で会えなかったと釈明し、井上五郎兵衛をめぐる加藤左馬助との調整が不調だった経緯を報告し、数寄屋用の畳六帖を贈った書状。

  65. 附録2-No.165 細川忠興書状

    改年を祝い、祝儀として太刀一腰・馬一疋・丹後紬十端を贈り、長久の親交を願って、詳細を正源院と西郡大炊助に託した細川忠興書状。

  66. 附録2-No.166 福島正則書状

    書状と贈物五端に謝し、前年の一揆後に音信が遅れたことを釈明したうえ、島津家の再興は井伊兵部を頼るのがよいと助言し、上方で必要となる金銀・米の調達にも協力すると約した書状。

  67. 附録2-No.167 福島正則書状

    島津少将の使者と伽羅十両に謝し、将軍から当年の上洛不要と命じられたことを祝う一方、翌春の上洛時期を山口勘兵衛に尋ね、伏見屋敷の普請や金銀の支援を申し出た書状。

  68. 附録2-No.168 豊臣秀吉朱印状写

    朝鮮各城の兵糧を半分は釜山浦に残し、残りを在番人数・石高に応じて城ごとに配分し、蔵を堅固に造って備蓄するよう命じ、博多で二万四千石を割り当てて船で搬送させた朱印状写。

  69. 附録2-No.169 長宗我部元親等連署言上状

    蔚山での明・朝鮮軍の攻撃を踏まえ、西生浦・順天・泗川・固城・梁山など朝鮮南岸諸城の位置、在番大名、兵数、普請分担を再検討し、島津勢の配置替えを含む防衛再編案を豊臣政権へ言上した連署状。

  70. 附録2-No.170 立花親成書状

    伊集院氏の動静次第で出陣するよう内府から命じられているため上洛を見合わせ、寺沢広高の報告を待つと述べ、山口勘兵衛が下向して島津又八郎らを仲介している件の様子を尋ねた書状。

  71. 附録2-No.171 山口直友書状

    古田織部の肩衝茶入を選ぶため島津方が数十個を上方へ送ったが、いずれも不相応として返却されることを伝え、自分にも一つ贈られる話だったがかなわず、和久甚兵衛に詳細を書かせた書状。

  72. 附録2-No.172 和久某書状

    島津陸奥守が翌春の上洛を見合わせるとの決定を島津方も喜ぶだろうと伝え、伏見に残って必要な用務を引き受けると申し出て、馬の蹄を打つ槌一つを贈った書状。

  73. 附録2-No.173 琉球より進上物注文

    琉球から島津氏へ進上する南蛮香・絹・織物・蘇木・鉛・紙・唐焼酒・唐老酒などの品目と数量を列挙した進上物注文。

  74. 附録2-No.174 安宅秀安書状

    石田三成から普請を早く完成させるよう強く命じられて自身が土俵を離れられないため、島津方へ人員を下向させるよう頼んだところ早速対応を受け、相談結果を報告した書状。

  75. 附録2-No.175 供奉人行列次第

    豊臣政権下の供奉行列について、先駆・旗本・供廻りなどの順序に従い、島津義弘を含む多数の大名・奉行の姓名を列挙した行列次第。

  76. 附録2-No.176 徳川秀忠御内書

    大坂落城の祝儀として紅糸二十斤と銀子五十枚が到来したことを喜び、詳しくは本多正信から伝えるとした徳川秀忠御内書。

  77. 附録2-No.177 島津義弘書状

    幼少の袈裟菊丸島津常久の知行処置をめぐり、祖母方による上方への直訴を禁じ、三千六百石の蔵入・家臣知行配分を阿多大炊助に任せた経緯を説明し、宇多奥右衛門親子への切腹命令を義弘が出したとの疑惑を否定して、関係者へ周知を命じた長文書状。

  78. 附録2-No.178 某書状

    晴蓑の石塔・霊屋・位牌を立派に造り直し、供をした者の実名に合わせて石塔の銘も彫り直したこと、銀子六十両を渡して霊屋まで整備したことを若い浄土宗僧の働きとともに記した書状。

  79. 附録2-No.179 島津義弘書状

    袈裟菊丸の成長を案じ、良質な知行を蔵入に選んで将来困窮しないよう年寄衆へ指示したと述べ、義弘不在中の支配の緩み、高麗在番や普請の負担、若年の袈裟菊に家臣が勝手をしないよう厳しく監督することを祖母へ求めた書状。

  80. 附録2-No.180 島津義弘書状

    長期在陣の辛労をねぎらい、配下が逃亡しないよう工夫することを最重要とし、国元から着岸する増援を船元で一日も休ませず即刻こちらへ進ませるよう命じた書状。

  81. 附録2-No.181 島津義弘書状

    本文はNo.1290と同文のため省略された島津義弘書状。

  82. 附録2-No.182 島津義弘書状

    京都での政治的処置と国元の置目を引き続き相談すべき時期として鎌田出雲守を下向させ、二人で熟談して諸地頭へ漏れなく申し渡すよう命じた書状。

  83. 附録2-No.183 島津義弘書状

    本文はNo.1189と同文のため省略された島津義弘書状。

  84. 附録2-No.184 合志宣頓書状

    島津義弘が領国静謐のため出張したことを祝い、段子一端を贈り、親のように島津義久の下知を守ると誓って、今後も忠節を尽くす覚悟を伝えた書状。

  85. 附録2-No.185 島津義弘書状

    相手の子が出家して山中で暮らすことへの配慮を約し、長く無沙汰だったところ書状を得たことを喜び、重要な伝来品は受け取らず返進したうえ、上洛予定や必要物資について相談した書状。

  86. 附録2-No.186 島津義弘書状

    以前預かった馬をしばらく借りるつもりだったが、櫛間の祭礼へ代参させるよう求められたため同地へ送るよう依頼し、引手は金吾に頼んだと伝えた書状。

  87. 附録2-No.187 毛利民部大輔書状

    島津義弘に関する御朱印を使者に持たせて送り、御請は毛利方へ返すよう求め、上方に異変はないが領地で変わったことがあれば言上するよう伝えた書状。

  88. 附録2-No.188 某書状

    山居隠遁中、厳しい山風の季節に縮板物三端を贈られたことを謝し、帰京すれば面会したいと述べ、島津義弘が長い在陣の合間に厚意を寄せたことへ感謝した書状。

  89. 附録2-No.189 浅野長政等連署書状

    明・朝鮮軍が都を越えて日本軍陣地へ進出した場合、対陣して足止めし注進するよう命じ、島津義弘自身は二、三十騎で直ちに渡海できるよう、名護屋までの各浦に早船と早馬を準備することを求めた連署状。

  90. 附録2-No.190 島津義弘書状

    鷹が換羽しない問題について、自分の鷹に高麗で夕顔の実を与えると翌日から羽が抜けた経験を伝え、夕顔の白い部分を大豆ほどに丸めて五日ほど与える治療法を試すよう勧めた書状。

  91. 附録2-No.191 島津義弘(惟新)書状

    島津義弘(惟新)が、本田源右衛門尉への指示を承知し、出水へ遣わす使者の書状を翌日の面談で詰めると伝え、唐製の見事な火打袋二つを受け取った礼と翌日の来訪を待つ旨を述べた書状。本文範囲内に島津義久・龍伯の表記や明示的宛所はないため、義久関係人物・キーワードから除外した。

  92. 附録2-No.192 島津義弘書状

    上方で決められた知行処置を表向きは受け入れつつ、密かに鹿児島で対策を相談して上方へ言上するよう勧め、佐土原を含む拝領地の扱いは家久上洛時に本多正信へ働き掛け、年内から贈物で関係を整えるよう助言した密書。

  93. 附録2-No.193 島津義弘・家久連署書状

    資性院の逝去後、遺書により蓮厳院住持は代々不義・不学の者に継がせず、俊長坊を住持にする意思が明白なので、遠慮なく入寺するよう勧めた島津義弘・家久連署状。

  94. 附録2-No.194 島津義弘書状

    徳川家康が島津義弘の身上について満足な上意を示したことを身に余る名誉と謝し、白段子十端・象牙一つ・南方渡来の馬具一具を贈って披露を依頼した書状。

  95. 附録2-No.195 島津義弘書状

    贈られた御蔵大麻・長鮑・鰹・白粉に謝し、大神宮への千日参りをさらに続けるよう頼んで銀子三百目を送り、島津家の永続、家久の東国での成功、自身の名誉を祈念するよう求めた書状案。

  96. 附録2-No.196 寺沢広高書状

    歳暮の小袖一重を贈り、大御所が鷹野に滞在していること、薩摩屋敷の門などが立派に完成したこと、自分の娘綾が田町の水谷伊勢守と近く祝言を挙げる予定を報告した書状。

  97. 附録2-No.197 松平河内守書状

    年頭の使札と太刀一腰・沈香二斤に謝し、島津陸奥守の無事帰国を祝い、徳川家康が三月十七日に入洛して機嫌よく静謐に滞在していると報告した書状。

  98. 附録2-No.198 太田宗隆書状

    求められた品を十分に所持していないため、好便に数多く送ってほしいと頼み、本田源右衛門への指示を喜んだうえ、預かった花入・水指・茶入二つなどの茶道具を返上した書状。

  99. 附録2-No.199 相良長毎書状

    当日船出することを知らせ、先の使者による懇切な対応に謝し、上方での用務を早く終えて下国する際に詳しく報告するとした書状。

  100. 附録2-No.200 相良長毎書状

    先日の対面後、帰邸早々に使者まで遣わされた厚意へ重ねて謝し、今回の格別な懇志に対する礼を使者に託した書状。