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附録2の目録

旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。

全1,438件中 1301~1400件・14 / 15ページ

  1. 附録2-No.1301 近衛信尹書状

    禁裏近辺へ堂上衆の屋敷を移すことになったが、近衛家では諸事不如意であるため古川主膳入道を下向させたと知らせ、助成・馳走を依頼する。あわせて前年夏頃に段子一端を贈られたことを謝した近衛信尹書状。

  2. 附録2-No.1302 進藤長治書状

    近衛家の屋敷が禁裏近くへ移されるものの、諸事不如意で造営が難しいため、使者古川主膳入道への助成を取り次ぐよう依頼する。以前届けられた段子一端と自分への贈物にも謝した進藤長治書状。

  3. 附録2-No.1303 近衛信尹書状

    京都で不慮の騒動が起こり、諸事に頼る先がないとして、この機会の馳走を頼み、詳細は進藤筑後守長治から伝えるとした近衛信尹書状。

  4. 附録2-No.1304 新納忠一冗詠草

    十三年に及ぶ在京の人質生活を終え、島津忠恒から衣を拝領した感激を、衣の香に触れて我が身を尊く感じる趣旨の和歌に詠み、使者別府舎人助を通じて上覧に供した新納忠元の詠草。

  5. 附録2-No.1305 島津忠恒詠草

    島津忠恒が、新納忠元の拝領感謝の和歌に対し、身分を畏れすぎず、着慣れた衣として幾年も用いるようにとの趣旨で詠んだ返歌の短冊。

  6. 附録2-No.1306 新納氏系図抄(十七)

    新納友義の三男忠光を祖とする支流系図。忠光が志布志落城後に島津忠幸へ仕え阿多地頭となったこと、久時父子の牛根・岩屋城での軍功と高城での戦死、久宣の朝鮮・庄内陣、焼亡による重器文書喪失、久宗の奏者番・御用人歴を記す。

  7. 附録2-No.1307 新納氏系図抄(十八)

    新納友義の四男忠載を祖とする支流系図。伏見で没した久重に嗣子がなく新納忠徳の長子久篤が妹婿として継いだこと、忠興・忠余以下の生没年・母方・婚姻、病により時興へ家督を譲った経緯を記す。

  8. 附録2-No.1308 新納氏系図抄(十九)

    新納康久の嫡男で竹原山合戦に十八歳で戦死した者の後嗣として立てられた新納久隆一流の系図。久隆が佐土原で久鏡流の庶族となり、番頭・家老職を務め三百石を領したこと、島津吉貴の命による島津一族の通字整理で久字を許されたことを記す。

  9. 附録2-No.1309 新納氏系図抄(二十)

    出自不詳の新納八兵衛武上一流の系図。子孫が島津惟久の家臣として佐土原に住んだこと、久安・久武・則次・武治らの生没年・母方・婚姻を記し、黒木氏・犀川氏・恒吉氏・加治木氏との養子・婚姻関係を示す。

  10. 附録2-No.1310 樺山氏系図抄(一)

    島津忠宗の五男資久を祖とする樺山氏系図。荘内の島津・樺山・早水寺・桂などを領して樺山を称した由来、北郷資忠の二男音久の養子相続、都城南城から相良氏領野々三谷城を攻略したこと、興久父子の穆佐高城戦死などを記す。

  11. 附録2-No.1311 島津龍伯書状

    喜入大炊助を介して古今伝授関係の抄物を受け取ったことを喜び、貴重な一書への返礼が遅れたことを詫びた島津義久書状。No.59と同文のため本文では省略される。

  12. 附録2-No.1312 島津龍伯書状

    細川幽斎の懇意を踏まえ、隅州正八幡領内の目録記載地から二百石を宛行うので、全く領知するよう命じた島津義久書状。『旧記雑録後編二』No.110と同文。

  13. 附録2-No.1313 樺山氏系図抄(二)

    樺山久高の二男久盈を祖とする庶流系図。幼少の久辰に代わって家督を務め、寛永七年に島津家久の江戸屋敷へ来訪した徳川家光・秀忠へ拝謁して太刀・袷を献上し、白銀・衣服を拝領したこと、入来院重園三男忠則の養子相続を記す。

  14. 附録2-No.1314 樺山氏系図抄(三)

    樺山氏二代音久の二男興久を祖とする庶流系図。穆佐高城で伊東氏と戦い父子・被官が戦死したこと、忠次の山東戦死、出家後に還俗して家を継いだ資春、久清の小浜城戦死、久明・久宗以下の分流を記す。

  15. 附録2-No.1315 樺山氏系図抄(四)

    樺山興久六世孫久明の弟久宗から分かれた庶流系図。久春が島津豊久旧臣宇都宗景の娘を母とし島津久雄に仕えたこと、久永・久治以下の生没年、資矩が流浪後に平田氏家臣となって樺山姓を避けたことなどを記す。

  16. 附録2-No.1316 樺山氏系図抄(五)

    樺山資春流の系図。資春が島津忠昌の肝付攻めで砥坂陣の大将を命じられ、島津忠国から資の字を賜ったこと、昌久・久任以下の諸流、谷山伊佐知佐松原での戦死、婚姻・寺院住持・生没年を多数記す。

  17. 附録2-No.1317 樺山氏系図抄(六)

    樺山資春の二男久任を祖とする庶流系図。久任が民部少輔として日向荘内で戦死したこと、越前・太郎右衛門らを経て薩州大口・現月へ展開した家系、久真・資房・久次以下の生没年・母方・養子関係を記す。

  18. 附録2-No.1318 樺山氏系図抄(七)

    樺山資春の三男伊賀守を祖とする庶流系図。久成の別府戦死、久友の関ヶ原戦死、北郷家臣となった諸流、忠泰の養子相続、伊作・大姶良などへ移った久明・久春・久次以下の家系を記す。

  19. 附録2-No.1319 樺山氏系図抄(八)

    樺山資春流の後裔を続載する系図。資倖に男子がなく都城臣温水氏の二男安満を養子に迎えたこと、寺院住持・岩崎氏・前田氏への養子、資方・資雄・久長以下の生没年・母方を記す。

  20. 附録2-No.1320 樺山氏系図抄(九)

    樺山氏四男で外城を称した掃部助久泰一流の系図。孝久の山東須田木戦死、久里の出家、久光の吉田戦死、別府での戦死者など、外城氏分流の官途・法名・婚姻・断絶を記す。

  21. 附録2-No.1321 樺山氏系図抄(十)

    樺山氏四代孝久の二男一音平を祖とする庶流系図。幼い甥に代わって家督を務め、荘内三俣・高木での度々の合戦忠節により高木二十五町を賜ったこと、久尚父子の蒲生戦死、垂水へ展開した久屋・久吉以下を記す。

  22. 附録2-No.1322 樺山氏系図抄(十一)

    樺山氏七代信久の二男豊高丸を祖とする庶流系図。豊高丸早世後に頴娃兼有の嫡男久増を後嗣としたこと、久如が出水へ移り子孫が出水士となったこと、伯母の養子となり新恩地五十石を継いだ久明、久輿以下の相続を記す。

  23. 附録2-No.1323 樺山氏系図抄(十二)

    樺山豊高丸流の後裔を続載する系図。資仲の養子相続、資房・忠周・忠昆・資央らの生没年と婚姻、資央が島津吉貴の恩免で鹿児島士となったこと、正徳三年に久字から資字へ改めた家名整理を記す。

  24. 附録2-No.1324 川上氏系図抄(一)

    島津貞久の庶長子頼久を祖とする川上氏系図。頼久が弓馬両道の達者であったこと、川上村・向島藤野・赤尾原・犬迫村などの領知、覚千法師丸・家久・兼久・忠村らへ続く嫡流と諸分流を記す。

  25. 附録2-No.1325 川上氏系図抄(二)

    川上氏十代久隅以後の家督相続を記す系図。長男久利には家督を譲らず、二男久通の子久貞を後継に定め、久貞の母へ自筆書状を与えた経緯を載せる。目録では独立書状ではなく系図抄(二)として掲げられる。

  26. 附録2-No.1326 川上氏系図抄(三)

    川上兼久の二男忠頼を祖とする支流系図。小川二十五町と鹿児島伊敷など計五十五町を領したこと、忠塞が伊集院竹山・甑島郡を領したこと、日向鹿口へ移った申慶の時代に豊臣秀長の九州入りで家伝文書を失ったことを記す。

  27. 附録2-No.1327 川上氏系図抄(四)

    川上兼久の三男を祖とする伊集院氏支流系図。久志木野三十町を賜り、久豊が串木野・河辺・市来地頭となったこと、忠興が忠克と謀って島津貴久に帰属し市来攻略に加わったこと、範久の石城戦死などを記す。

  28. 附録2-No.1328 川上氏系図抄(五)

    川上忠興の子忠智を祖とする支流系図。忠智が栗野・馬越・蒲生地頭と家老を務め島津義弘に従軍したこと、忠堅が島原で龍造寺隆信を討つ軍功後に鷹取城で戦死したこと、忠兄が朝鮮役で功を立て父に代わり家老となったことを記す。

  29. 附録2-No.1329 川上氏系図抄(六)

    川上忠克が串木野領主から島津実久方に属した後、天文八年の市来攻防で勝敗を見極め、忠興と協議して串木野を島津貴久へ献じ、子忠頼を帰属させた経緯を詳述する。甑島配流後に赦免され家老へ復帰したことも記す。

  30. 附録2-No.1330 川上氏系図抄(七)

    川上久長・久首流と川上義久入道道安一流を記す系図。久首が朝鮮役・泗川新寨の戦勝に従軍し志布志・伊作地頭、家老となったこと、弓馬の達者義久が京都の犬追物を見学し将軍足利義尚の前で騎乗を披露して義字を賜った由来を記す。

  31. 附録2-No.1331 川上氏系図抄(八)

    川上忠頼の早世後に久朗が家督を継ぎ、十八歳で島津貴久から家老就任を命じられ、福昌寺の冠和尚を介して再三辞退しても許されず受諾した経緯を記す。軍功に高城村十二町を与えられ、公平な配分を懐かしむ落書も載せる。

  32. 附録2-No.1332 足利義尚賛

    将軍足利義尚が、検見頭巾を着けた小柄な川上義久の大馬騎乗を面白いと評し、川上家には一流の術があるので京都小笠原流に及ばないものではないと扇に記した賛。犬追物で名を上げた功により島津立久から高江・寄田・宮崎計五十町を賜った由来も付記する。

  33. 附録2-No.1333 島津又三郎立久書状

    親切な伝言を喜び、山下に置いた犬を痩せないよう飼うこと、自身の体調を早く回復させ馬を見せたいこと、久しく河上から連絡がないので返事と駒の様子を知らせてほしいことを述べた島津立久書状。

  34. 附録2-No.1334 島津立久書状

    別府への訪問予定を了承し、老者が奔走する一方で若者が役に立たないと嘆く。捕獲した馬のうち自分には一匹も当たらず、ある馬を左衛門次郎へ預けたいことや、左京方の馬の歩様・働きを評価した島津立久書状。

  35. 附録2-No.1335 島津立久書状

    ある人物の不思議な扱いと、しほ太郎の無作法に強い憤りを示しつつ、処断を思いとどまって慎重に対応するよう伝える。陣中は差し迫った状況ではないため、弓衆を率いて来訪すれば喜ぶとし、この密書を他見させないよう命じた島津立久書状。

  36. 附録2-No.1336 島津立久書状

    日記の写しは原本に劣るとして自筆本を送り、これまで度々の戦を経験しながら犬追物は不得手だと述べる。検見役を引き受けてもらえれば稽古して披露したいので、詳しい教示と秘密保持を願った島津立久書状。

  37. 附録2-No.1337 島津立久書状

    近く山入りするので、二川付近へ来る人物に川上氏が同行するなら知らせるよう頼み、道程と到着日を相談する。助四郎に犬を引かせることなど犬追物関係の手配を内密に指示した島津立久書状。

  38. 附録2-No.1338 島津立久書状

    龍雲寺の家々が無事完成したことを喜び、八郎衛門帰参時に詳しく話すと伝える。大友方から使者が来て志布志で対面する予定であり、忠国の別府帰還もよいとした島津立久書状。

  39. 附録2-No.1339 島津立久書状

    入来院に約束した犬を川上方から引かせて送るよう求め、東郷方の子息の元服に先例として誰を遣わすべきか相談し、稲葉方を雇う案を示して詳しい返事を求めた島津立久書状。

  40. 附録2-No.1340 島津久逸書状

    こちらは何事もなく退屈に過ごしているが相手の様子を知りたいと返事を求め、来訪を願って人を遣わそうとしたものの秋中は暇がないと聞いて断念したこと、朝夕噂ばかりしていると親しく伝えた島津久逸書状。

  41. 附録2-No.1341 島津国久書状

    新春を祝い、長く音信がなく心配していると述べ、翌日に串間へ赴き帰途に会いたいと伝える。日々笠懸をしているので一緒に行いたく、相手の遊芸の様子をうらやみ、便宜ごとの伝言を求めた島津国久書状。

  42. 附録2-No.1342 島津国久書状

    串間で話した案件について、帰宅後すぐ書面を送るはずが、相手の心中を詳しく聞いてから将来に適う形にしようとして遅れたと詫びる。後世のためにも内容を書き留め、相手にも写しを取ってほしいと求めた島津国久書状。

  43. 附録2-No.1343 島津公久書状

    京都から下った者が持つ本を逗留中に見せてほしいと頼み、親兄弟にも漏らさないとの誓文を当日作って差し出すと約した島津公久書状。面談では曖昧な返答だったため書面で詳しい返事を求める。

  44. 附録2-No.1344 島津忠昌書状

    当日の馬の出来に驚き喜んだことを伝え、上使が近日当地へ来るため内稽古が必要だとの久等順阿の意見を受け、川上氏を招いて酒肴を用意し相談したいとした島津忠昌書状。

  45. 附録2-No.1345 島津忠昌書状

    古則が出たので夜の法問に暇があれば来て聴聞するよう誘う。前年春の吉慶を述べ、普請に携わる上衆が負け落ちるのはよくないと批判し、今後は修行・稽古に心を入れて嗜むことが肝要だと諭した島津忠昌書状。

  46. 附録2-No.1346 島津忠昌書状

    久しく音信がないことを残念がり、先に頼んだ騎行関係の手配が早々に済んだことを喜ぶ。犬馬場がまだ整わないので、若者たちに縄稽古をさせるため来訪して指南し、諸事を相談したうえで喜入へ赴くよう求めた島津忠昌書状。

  47. 附録2-No.1347 島津忠兼書状

    南郷の件について、川上十郎左衛門から早々に連絡があり、番を堅固に守っていることを喜ぶ。関係者と相談して警備を固めるよう頼み、人衆派遣は改めて知らせるとした島津忠兼書状。

  48. 附録2-No.1348 島津忠兼書状

    地頭不在の時期にも一味同心して忠実に奉公した曾於郡衆の懇志を喜び、特に川上十郎左衛門ら諸士の入魂を頼もしく評価する。番所の用心を堅固にして油断しないよう命じ、雪花の件には急ぎ合力すると約した島津忠兼書状。

  49. 附録2-No.1349 川上氏系図抄(九)

    川上義久の三男受久を祖とする支流系図。受久が昌孫と号して伊集院妙円寺で出家した後、島津勝久没落後に還俗し島津貴久へ仕え、弓馬の書を相伝したこと、経久も弓馬の達人で、高江から永吉・市来へ移り火災で重器文書を失ったことを記す。

  50. 附録2-No.1350 島津伯囿書状

    入手した十八箇条の写本に疑問点があるため、諸本と見比べたいとして借用を願い、もし川上昌孫存命中の本字で書き置かれた本があるなら、それをぜひ披見したいと求めた島津伯囿書状。

  51. 附録2-No.1351 北郷忠相譜

    北郷忠相が都城・安永二城とわずか八百の兵から出発し、伊東・北原・新納・本田の大勢力と多年境を争い、少数で多数を破って伊東を山東から退け、北原・新納を遠境へ追い、本田を旗下に屈服させた軍歴を記す譜。

  52. 附録2-No.1352 島津貴久書状

    世上の雑説は島津・北郷の和議を妨げる者の謀略であり、隔心を抱かず不分明な噂を信用しないよう求める。伊東家中が近く錯乱するとの風聞について境目の実情を知らせ、重要な時節なので改めて使者を通じ談合したいとした島津貴久書状。

  53. 附録2-No.1353 北郷忠相譜

    島津義久・忠平(義弘)の元服に際し、北郷忠相が理髪・加冠役を命じられ、再三辞退したものの厳命を断れず務め、万歳を祝ったことを記す譜。

  54. 附録2-No.1354 北郷氏系図抄(一)

    北郷忠相の子忠親と孫時久を中心とする北郷氏系図。忠親が都城の家督を継ぎ、父忠相が高城へ移ったこと、忠親が島津豊州家忠康の養子として飫肥へ移る際に時久が北郷家督となったことを記す。

  55. 附録2-No.1355 北郷忠親譜

    北郷忠親の時代に新納氏との争いがあり、和睦をめぐる伊東祐修らの書状を系譜資料として掲げる導入記事。北郷・伊東・新納間の軍事外交関係を示す。

  56. 附録2-No.1356 伊東祐修書状

    秋の合戦について諸軍衆の疲弊を踏まえ、豊州家を仲介に北郷氏と新納氏が和融するよう提案する。三俣数か所と吉松の処置をよく勘案し、今秋の弓箭を休止して将来も堅固に相談することを求めた伊東祐修書状。

  57. 附録2-No.1357 北郷忠親譜

    北郷忠親が伊東祐修・金吾と談合した時期の書状を収める譜。島津勝久が今回の戦で北郷方が心を添えたことを喜び、金吾・祐修と無二に申し合わせて遺恨のないよう親密に協議することを求める。

  58. 附録2-No.1358 島津勝久書状

    今回の合戦で北郷方が常に島津方へ心を添えたことを祝し、金吾・伊東祐修と無二に申し合わせ、遺恨が残らないよう引き続き親密に調整することを求めた島津勝久書状。

  59. 附録2-No.1359 北郷忠相譜

    天文十四年、飫肥の島津忠康が伊東氏の攻撃で危急となり、北郷忠親が救援して竜酒谷城へ入ったこと、忠康の後継として豊州家を継ぐため時久へ北郷家督を譲ったこと、二十余年にわたり飫肥を守って伊東氏と戦った経緯を記す譜。

  60. 附録2-No.1360 北郷氏系図抄(二)

    北郷忠親流の系図を続載し、忠孝の飫肥新山戦死、久慶の宮ケ原戦死、久通以下の家系、女子の島津征久への婚姻などを記す。

  61. 附録2-No.1361 北郷氏系図抄(三)

    北郷忠虎以下の系図。外城を称した女子の比志島義智への婚姻、三久の生年と母方、五年間京都で人質となり肝属院小原村二千石を賜った久村、十七歳で人質上洛後に没した忠頼らを記す。

  62. 附録2-No.1362 北郷氏系図抄(四)

    北郷忠能以下の嫡流系図。忠能の死に紀藤丹波・土屋七左衛門が殉死したこと、翁久・忠亮の早世、島津家久の第三子久直が北郷家へ入ったこと、島津光久の子久定・忠長・忠智へ続く相続を記す。

  63. 附録2-No.1363 北郷忠長譜

    島津光久の子忠長について、正保二年に江戸で生まれ、初め喜入美作家の後嗣となったが久定早世後に久直の娘を娶って北郷家を継ぎ、光久の厳命で本氏を島津と称した経緯を記す譜。

  64. 附録2-No.1364 北郷忠智譜

    島津光久の八男忠顕(のち北郷忠智)について、明暦三年生まれ、初め島津又助家の後嗣となったが、忠長に嗣子がないため寛文十一年に後継となり都城へ入ったことを記す譜。

  65. 附録2-No.1365 北郷氏系図抄(五)

    北郷時久の三男三久を祖とする庶流系図。三久の生没年・母方・法名、娘の鎌田政喬への婚姻、久加・久精以下の家系と伊集院・伊勢・相良氏への養子・婚姻関係を記す。

  66. 附録2-No.1366 北郷氏系図抄(六)

    北郷忠相の二男忠孝を祖とする財部支流系図。忠孝が財部地頭として飫肥新山合戦で戦死したこと、忠増が忠虎の家老を務めたこと、久延が財部地頭・家老として朝鮮役中に軍代を務め、幼い久加の人質上洛に随行したことを記す。

  67. 附録2-No.1367 近衛龍山書状

    過去の下向時や帰洛時に泉郡まで送られた厚意を謝し、色紙二枚と屏風一双を贈る。京都の不慮の事件後、近衛信輔が坊津に滞留して鹿児島へ移る見込みであるため、その間の馳走を頼んだ近衛前久(龍山)書状。

  68. 附録2-No.1368 北郷一雲譜

    北郷時久入道一雲が青蓮院尊朝法親王へ色紙二枚を献じ、その能書への志を賞され、入木道七箇条の免許巻物を授けられた経緯と、尊朝法親王・鳥井小路経孝の関係書状を収める譜。

  69. 附録2-No.1369 尊朝法親王書状

    北郷一雲が色紙二枚を献じたことを奇特と賞し、入木道への執心に応じて七箇条免許の巻物を書き与え、翌春に上洛するなら筆法を相伝すると約した尊朝法親王書状。

  70. 附録2-No.1370 鳥井小路経孝書状

    入木道の許可に際し色紙二枚が披露され、執心を青蓮院宮が賞したと伝える。七箇条免許の届物三嚢と御書を送り、後代の亀鏡とすべきで、翌春上洛時に相伝を受ければ名誉だとした鳥井小路経孝書状。

  71. 附録2-No.1371 北郷時久譜

    北郷時久が慶長元年二月三日に宮城で六十七歳にて没し、月庭梁新庵主と号したこと、長嶺伊珠が殉死したことを記す譜。前段には入木道相伝関係文書の上包・由緒も収める。

  72. 附録2-No.1372 北郷忠能譜

    北郷忠能が大仏三十三間堂の後方で七間の通し矢を三度成功させて称賛されたこと、伏見滞在中と帰国後に島津家久から弓術を絶やさず稽古するよう励ます書状・諫書を受けたことを記す譜。

  73. 附録2-No.1373 島津家久書状

    無事の上着を喜び、自身は江戸下向の準備で多忙だと伝え、弓の稽古を中断せず励んで勤めるよう勧め、帰国時の再会を期した島津家久書状。

  74. 附録2-No.1374 島津家久書状

    長期逗留をねぎらいつつ、一国の主として家中の行儀・法度を乱さないことが重要だと諭す。遊山ばかりで屋形におらず、年寄を遠ざけ若者だけを使うとの風説が事実ならよくないので、落ち着いた振る舞いを求めた島津家久書状。

  75. 附録2-No.1375 北郷翁久譜

    北郷長千代丸翁久が江戸滞在中に酒井忠世・土井利勝・酒井忠利・朝倉宣正ら幕府要人と交わした、歳暮・端午の贈答に関する書状群を収める譜。

  76. 附録2-No.1376 酒井忠世書状

    前日の訪問と歳暮祝儀として小袖一重・内島を持参したことに深く謝し、登城中で面会できなかったのを残念がり、改めて対面したいとした酒井忠世書状。

  77. 附録2-No.1377 土井利勝書状

    歳暮の祝儀として小袖と綾島を贈られた懇意に謝し、詳しくは対面時に述べるとした土井利勝書状。

  78. 附録2-No.1378 酒井忠利書状

    端午の祝儀として帳子三つのうち一品を持参したことに謝し、登城中のため面会できなかったのを残念がり、後日の対面を期した酒井忠利書状。

  79. 附録2-No.1379 土井利勝書状

    端午祝儀として帷子三つのうち単物一つと亀屋縞を贈られた懇志を喜び、謝意を伝えた土井利勝書状。

  80. 附録2-No.1380 朝倉宣正書状

    端午の祝儀として帷子一重のうち単物を進上し、末永い厚誼を願って祝詞のしるしとした朝倉宣正書状。

  81. 附録2-No.1381 北郷久直譜

    島津家久の第三子忠直(北郷久直)が忠能の娘を娶って都城の北郷家を継いだ経緯を記す譜。家督相続祝儀への島津家久返書、江戸桜田屋敷火災への島津光久返書、帰国前の酒井忠利・忠吉書状を収める。

  82. 附録2-No.1382 島津家久書状

    北郷家督相続の祝儀として遠路から使者と太刀一腰・馬代銀三十枚が届いたことを喜び、返使伊東二右衛門と樽・肴・雉子・肩衣・袴を贈り、秋中の帰国を待つと伝えた島津家久書状。

  83. 附録2-No.1383 北郷久直譜

    江戸桜田の島津屋敷火災に際して北郷久直が急使を送り、島津光久が被害と無事を報じた返翰、久直の帰国前に酒井忠利・忠吉が贈った書状を収める譜。

  84. 附録2-No.1384 島津光久書状

    江戸桜田屋敷付近の火災を船中で聞いた北郷久直が飛脚を送った配慮に謝し、光久の近辺から出火して家財をほとんど運び出せず、正宗父子や馬廻衆も類焼したが、上下に死傷がなかったことを喜んだ島津光久書状。

  85. 附録2-No.1385 北郷久直譜

    北郷久直が寛永十四年七月に帰国する前、江戸で酒井忠利・忠吉から受けた訪問・餞別祝儀関係の書状を収める譜。

  86. 附録2-No.1386 酒井忠利書状

    北郷久直の私宅訪問時に登城中で会えなかったことを惜しみ、持参された太刀一腰・馬代銀十枚は他方からも受け取っていないため、恐縮ながら返却すると伝えた酒井忠利書状。

  87. 附録2-No.1387 酒井忠吉書状

    北郷久直の訪問と帰国交替の祝儀として太刀・馬代銀十枚・帳子五つのうち単物二つを贈られた配慮に謝し、登城中で会えなかったことを惜しみ、後日の面会を期した酒井忠吉書状。

  88. 附録2-No.1388 北郷久隆譜

    北郷敏久の四男信濃守久隆が文亀年間に京都へ三年滞在し、小笠原家から弓馬の術を学んだこと、小笠原光清から伝書の条目を送られたことを記す譜。

  89. 附録2-No.1389 小笠原光清書状

    北郷久隆からの書状と贈物を喜び、求められた伝書のうちまず五箇条を書き送る。出陣準備で多忙なため残りは後便で詳しく記すとし、丸山氏からも伝えさせるとした小笠原光清書状。

  90. 附録2-No.1390 石坂氏系図抄

    島津貞久の第六子氏忠を祖とする石坂氏系図。大口から荘内へ逃れ、伯父樺山資久の所領石坂に住んで石坂を称したこと、北郷義久・樺山音久と都城を三年間守り、北郷家臣となった由来、宮ケ原戦死など後裔の系譜を記す。

  91. 附録2-No.1391 進藤長治書状

    島津修理大夫の使者古市長門守が上洛し、近衛家門への贈物として御書と色紙二十枚を進上したので、その旨を承知して申し伝えるよう求めた進藤長治書状。

  92. 附録2-No.1392 近衛尚通書状

    久しく音信できなかったことを詫び、一乱以来の不耕・窮状を推察し、旧来の親交により一段の援助を依頼した近衛尚通書状。短冊を添え、詳しくは九津軒に伝えさせる。No.1209と同文のため本文では省略される。

  93. 附録2-No.1393 近衛稙家書状

    遠路のため長く音信を欠いたことを遺憾とし、島津歳久の二十首詠を受けて殊勝で比類ないと賞する。付黒の扱いについて述べ、前年春からの自身の病気と殿舎に関する急ぎの依頼を伝えた近衛稙家書状。

  94. 附録2-No.1394 島津歳久一流系図

    島津歳久一流の系図。忠隣室となった娘、忠隣戦死後に入来院重時へ再嫁した女性、北郷三久室から離別後に伊集院久洪へ再嫁した女性など、歳久の娘たちの婚姻・再婚と母方を記す。

  95. 附録2-No.1395 矢野以清書状

    日本の凶徒・倭寇が中国を侵すのは日本の道に反するとし、島津左京大夫の調略で停止できれば日明両朝の名誉になると説く。藤原鎌足との由緒を中国側へ申し立てるよう勧めた矢野以清書状。

  96. 附録2-No.1396 某書状

    賊船の件を使者から聞いて叡聞に達したところ、日本国内で誅罰を加えるよう論旨が下されたと伝える。良策を進めれば忠節となり天下の名誉になると励まし、詳細は紹忠・宣清に伝えさせる書状。

  97. 附録2-No.1397 島津久元書状

    善哉坊が持参した書状を確認し、先年の高麗での加増話は事実がないまま決着したと伝える。島津兵部少輔から預かった関係書類を閲覧用に送り、後日返却を求めた島津久元書状。

  98. 附録2-No.1398 元吉書状

    加運老との閑談を機に初めて書状を送り、遠方の親族が島津家中で扶助され島津を称しているかを尋ね、今後も一族への許容を願った元吉書状。詳細は加運老が説明するとする。

  99. 附録2-No.1399 島津家久書状

    庄内との親密さ、庄内から鹿屋への度々の使者、又四郎が恒吉で碇地を打ったことなどの風聞を列挙し、伊集院幸侃と石田氏をめぐる件では油断せず即答しないよう内密に忠告する。世評を案じ、読後焼却を命じた島津家久書状。

  100. 附録2-No.1400 島津家久書状

    先日の訪問でゆっくり話せたことを喜び、長い江戸滞在の疲れを早々に見舞われたことに謝する。上方の新しい情報を尋ね、鎌田出雲守が江戸から帰国したので関東・上方の様子を聞いたと伝えた島津家久書状。