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附録2の目録

旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。

全1,438件中 1201~1300件・13 / 15ページ

  1. 附録2-No.1201 町田家久書状案

    町田家久が芥河某に、南蛮船をめぐる事件を報じる。南蛮船が出港の準備をしていたところ、前月二十三日、匠作(島津久盛)が大勢を率いて境へ来たため、家久方は駆け付けて防戦した。敵方は数百艘の兵船をもって南蛮船を奪おうと企て、その意図が明らかになったため、船側は大いに驚き、碇綱を切り捨てて急遽退去したという…

  2. 附録2-No.1202 島津龍伯条書

    普請に際して上下とも奉行の指示に従い精励すること、奉行同士で熟談し、法度に背き難題を起こす者は処罰することを命じる。京都に残す町田久倍の指示に従って留守居を勤め、違反は軽重に応じ処罰するとした島津義久条書。

  3. 附録2-No.1203 島津龍伯書状

    東郷城破却の命令について、前年の上使幽斎による置目改定時には対象とされず、幽斎・石田三成の墨付がなければ承服できないと抗議する。寺沢広高・長束正家の書付が届いたため、その内容を心得るよう命じた島津義久書状。

  4. 附録2-No.1204 島津龍伯書状

    千台川切・祁答院境、出水・羽月・山野、高城・水引境目などの検地と刀狩について、前年に幽斎が検地済みの土地を再調査することへ異議を示す。一方、全国一律の刀狩や指出に基づく知行確定には従うとした島津義久書状。

  5. 附録2-No.1205 島津龍伯書状

    朝鮮出兵の諸船が揃いながら荒天で出船できず、名護屋での立場が悪化すると憂慮する。国役の調達、宮之城・鹿児島・清水との相談を急がせ、談合衆の勤務怠慢を戒め、豊臣秀吉が渡海すれば自ら供奉せざるを得ないとして出船準備へ尽力を求めた島津義久書状。

  6. 附録2-No.1206 島津忠綱譜

    越前島津氏の元祖・忠綱について、四郎左衛門尉・周防守などの官途を記し、忠行・忠景らへ続く系統の起点を示した譜。

  7. 附録2-No.1207 北条泰時書状

    薩摩国御家人指宿平四郎忠秀と頴娃平太忠継が争う開聞神領について、双方を召して裁決し、事情を注進するよう命じた北条泰時書状。

  8. 附録2-No.1208 諸和歌集抄

    越前島津氏二代忠行の弟忠景が、続古今・続拾遺・新後撰・玉葉・続千載・新千載・新拾遺・新続古今などの勅撰和歌集に採られた恋・哀傷・雑・羇旅歌を集成した諸和歌集抄。祖父忠久の賀茂祭主奉仕を詠む歌も収める。

  9. 附録2-No.1209 近衛尚通書状

    久しく音信できなかったことを詫び、一乱以来の不耕・窮状を推察し、旧来の親交は格別なので、この時期に一段の援助を得られれば喜ばしいと依頼した近衛尚通書状。短冊を添え、詳しくは九津軒に伝えさせる。

  10. 附録2-No.1210 細川政元書状

    帰朝する唐船が大隅国内へ着岸したとの注進を受け、抑留を企てる者がいれば説得し、早急に京都へ到着するよう手配してほしいと求めた細川政元書状。詳細は蔭涼軒から伝えるとする。

  11. 附録2-No.1211 細川政元書状

    以前渡唐した船が近日帰朝するとの注進を受け、九州、とりわけ大隅国内で支障が起こらないよう意見し、早急に上京させてほしいと求めた細川政元書状。

  12. 附録2-No.1212 渋川満頼書状

    当地で重大事が起きているため、軍勢を早急に越国させてほしいと要請した渋川満頼書状。

  13. 附録2-No.1213 足利尊氏書状

    籠城の苦労をねぎらい、たびたび要請された援軍を急ぎ手配するので、もうしばらく耐えるよう励ます。東国は春日侍従を討って静謐となったが、人手不足のため三郎左衛門は派遣できない事情も説明した足利尊氏書状。

  14. 附録2-No.1214 足利尊氏書状

    島津左京進入道宗久・隠岐入道興久の子らが辛抱して忠節を尽くすことを称賛する。尾張国蜂崎庄の攻略、越中の武将の降参、新田氏子息の捕縛・処刑を伝え、さらに力を添えて忠節を尽くせば賞する旨を告げた足利尊氏書状。

  15. 附録2-No.1215 左衛門尉盛景書状

    中尾村争論が引付・評定を経て下知されたことを報告し、案文を送る。伊作庄の下知は重大なので国元で慎重に対処し、代官の非法によって所務命令が損なわれないよう配慮を求めた左衛門尉盛景書状。

  16. 附録2-No.1216 島津忠継置文

    重病で助からないと考えた島津忠継が、越中布施保の下布施は知行済みだが、上布施では本主が退かず教書を得たこと、山田某が異論を唱えたことを説明する。下文正文を送り、所領を裁定して扶持するよう託した置文。

  17. 附録2-No.1217 平良通一流系図

    伊作本主・平良通を起点に、嫡女と久純、その後裔親純・則純・実純・有純・忠純・重純らの婚姻・継承関係を記した一流系図。

  18. 附録2-No.1218 行査書状

    伊作庄・日置北郷の所務条々を信宗法橋の仲介で和与したと報告し、領家の御息状を大宰府雑掌承信法橋へ下すよう手配すると伝えた行査書状。

  19. 附録2-No.1219 沙弥寂一書状

    国司職の沙汰には関東御教書正文を六波羅へ示し、奉行人から公家へ進める必要があり、案文だけで処理する先例はないと説明する。正文を取り寄せれば在京中に処理し、小島入道の口入もあるので疎略にしないと伝えた沙弥寂一書状。

  20. 附録2-No.1220 喜入忠弘書状

    加世田の河内守島津久逸の戦死を悼み、菊三郎の今後を案じる。弓箭では将来が定まらず、島津家当主と疎遠になるのは不利なので、旧知の者と相談し、鎌田出雲らを通じて返書するよう勧めた喜入忠弘書状。

  21. 附録2-No.1221 島津久逸契状

    世情がどう変わっても互いに疎略にせず、重大事を自分のこととして扱うと約束する。どちらかに野心の疑いが生じれば他方に味方し、小さな不和は仲介し、凶害の情報は隠さず知らせると神前に誓った島津久逸契状。

  22. 附録2-No.1222 沙弥幸阿書状

    山田氏が代官として上府し、諸事満足な状況になったことを喜ぶ。今後は代官一人に任されるのか、上方の意向がどうだったかを尋ねた沙弥幸阿書状。

  23. 附録2-No.1223 藤原顕方書状

    伊作親忠の参上を祝い、論旨・官途・本領安堵、一族の官途、鎮西宮将軍への申状などを京都で取り次いだ経過を詳報する。弓三張・矢二帳・革十枚の贈答に謝し、扇十本を返礼し、年内参陣を促した藤原顕方書状。

  24. 附録2-No.1224 かくけん書状

    伊集院助三郎入道が敵となり、二、三日中に伊作庄川北へ攻め入るとの情報を受け、兵力の少ない伊作庄の防衛へ助力を求めた書状。庄を堅守して領家年貢を全うすることが公私のためであり、敵に奪われれば双方の大事になると訴える。

  25. 附録2-No.1225 渋谷定園書状

    在京中に音信できなかった相手の下向を喜び、加世田別府拝領を祝う。使節の役は不相応として辞退したいが、相手のため今回は命に従うとし、施行案文を受け取り正文を返却した渋谷定園書状。

  26. 附録2-No.1226 行査書状

    島津庄薩摩方の伊作庄・日置北郷中分について雑掌左衛門尉憲俊が訴訟を進めていること、本来の雑掌承信が在津しているので下知の沙汰は承信に担当させると伝えた行査書状。

  27. 附録2-No.1227 行査書状

    伊作庄・日置北郷の預所と地頭の所務争論について、大宰府では雑掌承信が訴えた一方、京都では雑掌信宗と地頭代道慶が双方の名を書き違えて和与したと報告する。大宰府で承信に沙汰させ、裁決を求めた行査書状。

  28. 附録2-No.1228 相良頼房書状

    水俣津奈木の水田五反と屋敷一か所を給地として与え、梁瀬勝軍が勤仕する愛宕社へ寄進することを認めた相良頼房書状。相良家の繁栄を祈る厚意を喜び、末代まで公役を免除するとする。

  29. 附録2-No.1229 大友義鑑書状

    将軍への忠節と入浴の馳走を命じられたことを受け、牢人を撫育して狼藉する相手を非難し、豊前・筑前へ軍勢を向けると伝える。筑前へ進出して両国を早急に掌握できるよう協力を求めた大友義鑑書状。

  30. 附録2-No.1230 石田三成書状

    在陣見舞いとして堺南北惣中から雛百羽を贈られ、豊臣秀吉が喜んで朱印を下し、石田三成にも十羽を与えたことへ謝意を示す。九州はおおむね意向どおりとなり、島津氏も早々に従う見込みだと伝えた石田三成書状。

  31. 附録2-No.1231 島津義久袖判領知目録

    加治木内の浮免一段九畝二十八歩から帖佐返地分を除いた土地を示し、池田与助への領知を確認した島津義久袖判領知目録。石田三成・鎌田政近・町田久倍らが連署する。

  32. 附録2-No.1232 増田長盛外三名連署書状案

    明国勅使二人のうち一人が欠けたが、もう一人を早急に渡海させるよう命じたことを伝える。朝鮮在番衆の帰朝については以前の命令どおりで変更がないので、周知するよう求めた四名連署書状案。

  33. 附録2-No.1233 長岡玄旨書状案

    関ヶ原直前の政局について、織田信長以来の忠節と近年の懇意から疎略にできないと述べ、長岡忠興の関東出陣を豊臣秀頼後見の徳川家康への奉公と位置づける。八条宮へ古今伝授の箱・証明状・短冊・源氏抄・二十一代集などを進上したことも伝えた長岡玄旨書状案。

  34. 附録2-No.1234 島津忠長外三名連署知行宛行状

    薩摩国日置郡吉利村馬場薗の屋敷・田畠合計十石二斗八升五合を新知として阿多地某へ宛行った島津忠長外三名連署知行宛行状。

  35. 附録2-No.1235 平田宗酒外二名連署条書

    幸侃上洛前に、五斗収納未済地の督促、殿中番、京衆帰京時の六文出銭、夫丸、銀子二分・三分など諸出物の調達を命じる。さらに狩猟で鹿皮十四枚を整えて送るよう求めた三名連署条書。

  36. 附録2-No.1236 松平信綱外二名連署書状案

    キリシタン布教のため渡来した南蛮人六人・日本人三人を薩摩領内で捕らえ、長崎で穿鑿した結果自白したと伝える。度重なる幕命どおり領内の浦々を厳重に警戒するよう命じた三名連署書状案。

  37. 附録2-No.1237 長束正家書状

    赤国方面での軍事行動を残る所なく命じて平定した手柄を称え、仕置の城普請という苦労を見舞う。豊臣秀頼は非常に健勝なので安心するよう伝えた長束正家書状。

  38. 附録2-No.1238 豊臣秀吉朱印状案

    伊集院忠棟から紅糸二十斤が届いたことに満足し、詳しくは石田三成から伝えるとした豊臣秀吉朱印状案。No.1186と同文のため本文では省略される。

  39. 附録2-No.1239 豊臣秀吉朱印状案

    北郷忠虎から音信として紅糸十斤が届き、遠路の志を喜んだ豊臣秀吉朱印状案。詳しくは石田三成から伝えるとする。

  40. 附録2-No.1240 鍋島信昌書状

    遠方で疎遠になっていたことを詫び、今後は一層懇意にしたいと申し入れ、箸鷹一連の手配を頼んだ鍋島信昌書状。No.1184と同文のため本文では省略される。

  41. 附録2-No.1241 武田義統書状

    将軍の容体が言語道断の状態であると伝え、朝倉氏の意向を尋ねる。不測の事態には相談したいとし、詳しくは大野右京進から伝えるとした武田義統書状。

  42. 附録2-No.1242 大友宗麟書状

    十八日の敵陣切岸で鎮恒家中が奮戦した軍功を称え、先日の岩門方面でも親類・被官が戦死しながら負傷しなかったことを喜ぶ。戦が収まれば子孫を賞すると約し、引き続き奔走するよう求めた大友宗麟書状。

  43. 附録2-No.1243 島津国久書状

    新年を祝い、年明け早々に祝辞を述べるべきところ当地に逗留して果たせなかったと詫びる。近日中に訪ね、対面して心中を述べたいとした島津国久書状。

  44. 附録2-No.1244 島津国久一流系図

    薩州家二代国久を起点に、延久・成久・実久らの実名、幼名、官途、法名、婚姻、各支流の祖を記した島津国久一流系図。

  45. 附録2-No.1245 島津忠興書状

    新年を祝い、恒例に従って慶書を送り、後日参上して互いの満足を改めて述べたいと伝える。祝儀の品を添えた島津忠興書状。

  46. 附録2-No.1246 薩州家系図抄

    薩州家の久意・忠兼・実久らについて、実名・幼名・官途・法名、婚姻や寺院との関係を記した系図抄。

  47. 附録2-No.1247 島津実久書状

    今度の合戦で奈良原氏の子息三人が比類ない高名を挙げたことを称賛し、証拠は十分であると伝える。自身が下向した際に対面するとした島津実久書状。

  48. 附録2-No.1248 島津実久書状

    境目で問題が起きれば親類を通じて報告し、各方面へ意見するよう求める。島津勝久の来臨に際して東光寺を使者に立て、伊地知氏の奉公心を評価し、自身も翌月五日に真幸へ参上して面談すると伝えた島津実久書状。

  49. 附録2-No.1249 薩州家系図抄

    島津実久の子女と婚姻、将軍から偏諱を受けて陽久・義利から義虎へ改名した経緯、忠継が大田忠綱の養子となったことなどを記した薩州家系図抄。

  50. 附録2-No.1250 島津久矩譜

    薩州家忠清の弟忠栄の後裔である久矩について、承応元年四月十日生まれ、初名久明、幼名・官途、母を相良新右衛門長貞の娘とし、元禄八年二月十六日に没したことを記した譜。

  51. 附録2-No.1251 島津久矩一流系図

    島津久矩の子久近を起点に、経東・久昌・用鎌らの生年月日、母方、幼名・官途を記した一流系図。経東が村田経武の養子となったことも載せる。

  52. 附録2-No.1252 吉利氏系図抄(一)

    吉利氏元祖秀久の二男久起の娘が白坂七右衛門と離別後に壱岐幸則へ再嫁し、その娘の子が幸則家を継いだ経緯など、婚姻と家督継承を記した吉利氏系図抄。

  53. 附録2-No.1253 吉利氏系図抄(二)

    吉利忠張の子女から久在・久良・忠名・久遠・忠真らへ続く家系を、生没年、母方、幼名・官途、養子相続とともに記した吉利氏系図抄。久在に男子がなく、義岡久達の長子久良が姉婿として家を継いだ経緯を載せる。

  54. 附録2-No.1254 寺山氏系図抄(一)

    島津国久六男の光久を寺山氏元祖とし、実子がなかったため大野忠惜の二男直久を猶子としたことを記す。直久が谷山神前城和睦の人質となったのち、島津貴久から五ヶ別府を与えられ、寺山の狩倉にちなみ寺山氏を称した由来を載せる。

  55. 附録2-No.1255 寺山氏系図抄(二)

    寺山氏三代久兼の子女から久豊・久堅・忠昌を経て、養子久任・久長・久繁・久年・用長へ続く系統を記す。忠昌が佐多忠充の三男として養子に入り、坊津・姶良の地頭を務めたことなどを載せる。

  56. 附録2-No.1256 大田氏系図抄(一)

    島津忠国の娘を母とする延久を大田氏元祖とし、川辺郡山田に居住したこと、昌久が川辺城を薩摩守重久へ献じて南郷・田布施へ移ったことなどを記した大田氏系図抄。

  57. 附録2-No.1257 大田氏系図抄(二)

    大田氏五代忠好から忠綱・忠角へ続く系統を記し、忠綱に男子がなかったため島津義弘の命で三葉忠躍の三男忠角を猶子として娘婿に迎えた経緯を載せる。忠角死後に娘が桂忠培へ再嫁したことも記す。

  58. 附録2-No.1258 大田氏系図抄(三)

    薩州家支流大田氏の忠角以後、忠正・用好・用信・久知らの生没年、幼名・官途、母方、婚姻を記した系図抄。

  59. 附録2-No.1259 大野氏系図抄

    島津国久三男忠綱を祖とする大野氏系図。忠宗に男子がなく樺山久高を婿養子としたが、文禄元年に忠宗が誅されたため離縁となった経緯を記す。忠宗の娘妙春は上方生活の経験を買われ人質に供奉し、帰国後に家を再興して三原重鏡の二男久行を養子に迎えた。

  60. 附録2-No.1260 西川氏系図

    薩州家四代忠興の後裔から西川を称した久興・忠則らを起点に、忠陽・久吉・久首・用磨へ続く生没年、幼名・官途、婚姻を記す薩州庶子西川氏系図。忠陽が天正九年の水俣合戦で戦死したことも載せる。

  61. 附録2-No.1261 新納氏系図抄(一)

    島津忠宗四男時久を新納氏正統の祖とし、鎌倉・京都で軍務に励んだ功により足利尊氏から重器、両島津の称号、守護装束、日向国新納院地頭職を与えられて新納を称した由来を記す系図抄。

  62. 附録2-No.1262 高師直書状

    新納時久が拝領した日向国新納院地頭職が濫妨されているとの訴えを受け、時久は忠節の者なので、妨げなく所領を付けるよう命じた高師直書状。

  63. 附録2-No.1263 高師直書状

    新納時久の軍忠と在京奉公を理由に、日向国新納院を先例どおり煩いなく知行できるよう配慮することを畠山直顕へ求めた高師直書状。

  64. 附録2-No.1264 沙弥明眼書状

    新納時久の所領である日向国新納院内宮頸村へ新たな代官が入り違乱しているため、執事の度重なる施行に従って停止するよう求める。領家職も先地頭の例どおり支障なく沙汰するよう要請した沙弥明眼書状。

  65. 附録2-No.1265 新納氏系図抄(二)

    新納時久が守護代として上京中に高城を攻め落とされたこと、二代実久が島津元久の名代として肥後二見の渋川満頼を訪ね犬追物で射手を務めたこと、将軍方に属して白川で戦死したことなどを記す新納氏系図抄。

  66. 附録2-No.1266 島津国久書状

    新春を祝い、新納忠明からの賀書と近況を喜ぶ。近日中に訪ねて対面し、さらに祝意を述べたいと伝え、祝儀の五明一本への返礼として扇子一本を贈った島津国久書状。

  67. 附録2-No.1267 島津道安書状

    島津家に伝わる犬追物の一流を新納忠勝へ相伝するにあたり、以前に忠武へ残さず伝えた内容と相談し、真実志のある者だけに相伝するよう戒めた島津道安書状。

  68. 附録2-No.1268 東征帯用書状

    新納忠勝の強い懇望に応じ、蹴鞠の条々から当面役立つ部分を書き付けて送った東征斎書状。秘伝であり外見させないこと、悪筆を推量して読むことを求める。

  69. 附録2-No.1269 某書状

    大周和尚が下向するので、格別に信仰し、もし用事があれば疎略なく奔走すれば神妙であると求めた某書状。

  70. 附録2-No.1270 新納忠勝書状

    先祖政親の代にはたびたび交誼を得たが近年は中絶していたため、今後は音信を再開したいと述べる。祝儀として太刀一腰を贈り、披露を求めた新納忠勝書状。

  71. 附録2-No.1271 中野歳信書状

    先祖政親の代には親交があったのに近年中絶したことを残念とし、今後は音信を続けたいと申し入れる。若い使者を派遣したので取り持ちを頼むとした中野歳信書状。

  72. 附録2-No.1272 本庄親栄書状

    近年互いに音信がなかったことを残念としていた折に便りを受け、今後はいっそう交誼を深めたいとの意向を喜ぶ。厚板一端と青地の贈物に謝し、後日使者を立てて返答するとした本庄親栄書状。

  73. 附録2-No.1273 本庄親栄書状

    近年の音信不通を残念としていたところ便りを得たことを喜び、今後の厚い交誼を歓迎する。詳細は直接申し述べ、猪飯福寺にも説明させるとした本庄親栄書状。

  74. 附録2-No.1274 他阿弥道仏書状

    下国して対面したいとの願望を述べ、住持不在の海徳寺について、帰洛する光善寺の後任として居住させる人物の調整を求めた他阿弥道仏書状。代々の信心に違わない処置を期待する。

  75. 附録2-No.1275 某覚書

    新納時久が新納院高城に居住して名字を称した由来、高江・救仁院の知行、足利尊氏からの剣所・守護装束・長光太刀拝領を記す。年頭出仕時の門開き、八朔太刀の優先受領、弓袋・鞭など新納家固有の礼法・道具も列挙した覚書。

  76. 附録2-No.1276 小笠原晴長書状

    新納忠勝の求めに応じ、許容されている故実を確認して認可すると伝え、以前所望された『ゑんひ』の伝書を送る。落髪後に還俗した場合と出家姿のままの場合では様式が異なるため、必要なら別本も手配するとした小笠原晴長書状。

  77. 附録2-No.1277 新納氏系図抄(三)

    新納氏七代忠武の二男忠郷を祖とする庶流系図。山東・福島院桂原での戦死、久景家や忠衡家への養子相続、忠頼・久建らの生没年・母方・婚姻を記す。

  78. 附録2-No.1278 新納氏系図抄(四)

    新納氏八代忠勝の二男忠常を祖とする庶流系図。忠常が天文十年の山東火住合戦で戦死したこと、忠充の母を島津忠秋の娘とすることなどを記し、家伝文書へ続く。

  79. 附録2-No.1279 新納武久書状

    鞍の件を了承し、自身の考えは忠勝のもとへ召し置くのと同じだと述べる。市来からも所望があり、本所の鞍を望むなら意向に従うとの返答を得たので、近日使者を送ると知らせた新納武久書状。

  80. 附録2-No.1280 新納武久書状

    肥州番衆の無事帰還、病人の中風と療治、自身の脚気、親子での来訪や日記の相談を述べる。長光太刀の扱い、芦北で一途に奉公すれば所領の沙汰に尽力することなどを伝えた新納武久書状。

  81. 附録2-No.1281 新納武久書状

    累年預かっていた長光太刀が安堵されたことを大いに喜び、その礼として領地一町を新納忠勝へ贈る。今後は小法師との契約により保管し、異議はないと伝えた新納武久書状。

  82. 附録2-No.1282 新納武久証状

    御衣男宗俊との契約に基づき、徳坊地の門を永代にわたり新納忠勝へ与え、違変しないと保証した新納武久証状。

  83. 附録2-No.1283 伊集院忠倉書状

    先日新三郎が礼のため参上したので取り次いだことを伝え、岩川の領地について満足できるよう尽力すると約し、境目での苦労を察した伊集院忠倉書状。

  84. 附録2-No.1284 新納氏系図抄(五)

    新納忠徳を起点に、真言宗へ出家後に還俗した久和、琉球在番中に死去した申興、久篤・忠村らへ続く生没年、母方、養子関係、役職を記した新納氏系図抄。

  85. 附録2-No.1285 新納氏系図抄(六)

    新納時久の長男久有を祖とする支流系図。久信・時俊・久堅・忠城らの官途・婚姻を記し、志布志落城時の出奔、松山城主忠城父子が荘内中郷涼水で戦死したことなどを載せる。

  86. 附録2-No.1286 新納氏系図抄(七)

    新納実久の庶長子久吉を祖とする大崎流の系図。久吉が父命で大崎城へ入ったこと、忠秀の三俣小山戦死、志布志落城後の北郷氏臣従、久綱の朝鮮渡海中の戦死などを記す。

  87. 附録2-No.1287 島津義弘書状

    京都での政治的処置と国元の置目を相談する時期として鎌田出雲守を下向させ、二人で熟談して諸地頭へ漏れなく申し渡すよう命じた島津義弘書状。No.182と同文のため本文では省略される。

  88. 附録2-No.1288 島津義弘書状

    長期在陣の辛労をねぎらい、配下の逃亡防止を最重要とし、国元から着岸する増援を休ませず即刻進ませるよう命じた島津義弘書状。No.180と同文のため本文では省略される。

  89. 附録2-No.1289 島津義弘書状

    今月中の参陣予定を聞いていたが、戦働きが延期されたため、まず参陣を延ばして出陣準備を整え、こちらからの注進を待ち、その時には油断なく渡海するよう命じた島津義弘書状。

  90. 附録2-No.1290 島津義弘書状

    新納久景が重ねて格別に奉公すると誓ったことを神妙で頼もしいと評価し、その決意を忘れず島津家久へ奉公するよう、諸神八幡にかけて保証した島津義弘書状。

  91. 附録2-No.1291 新納氏系図抄(八)

    新納忠泰の四男孝時を祖とする支流系図。市来城退去後に日新公から日置九十町を提示されても二君に仕えるのは士道に反すると辞退した忠苗の逸話、清水・馬越での戦死、忠成以下の生没年・母方・養子関係を記す。

  92. 附録2-No.1292 新納氏系図抄(九)

    新納忠泰の五男忠成を祖とする支流系図。志布志落城時の出奔、日向綾・大崎・帖佐・加治木への移住、惟新公の使役に奉仕した久行、長井氏・新納氏間の養子相続と復姓、後裔の生没年・婚姻を記す。

  93. 附録2-No.1293 新納氏系図抄(十)

    新納忠親の二男信久を祖とする支流系図。久雪が妻方の縁で肝付氏を称して溝辺に住み、久林が肝付兼寛に仕え溝辺地頭となったこと、久信が喜入へ移住したこと、久宥以下の養子・婚姻・生没年を記す。

  94. 附録2-No.1294 新納氏系図抄(十一)

    新納忠親の三男久明を祖とする支流系図。串良・飫肥新山での戦死、島津豊後守・伊集院忠棟への奉公、日置氏からの養子相続、松山士として島津忠康に附属した忠成、時昭以下へ続く家系を記す。

  95. 附録2-No.1295 新納氏系図抄(十二)

    新納氏三代忠臣の二男忠匡を祖とする支流系図。忠匡の三俣戦死、忠申以下の婚姻、志布志落城時に出奔した其阿、永吉で戦死した久武、久景へ続く家系を記す。巻二十八の冒頭に当たる。

  96. 附録2-No.1296 新納氏系図抄(十三)

    久景流の久雲・久智・時央・時意の生没年と母方を記した後、新納忠臣の五男忠時を祖とする別支流へ移る。忠時の飫肥鴎峯での戦死、忠定が廻城主となり志布志落城後に守護方へ近侍したことなどを記す。

  97. 附録2-No.1297 新納氏系図抄(十四)

    忠清流の養子相続と復姓を中心とする新納氏支流系図。忠清と嫡子が新納家を離れたため池田貞寧の二男忠季が跡を継いだこと、久重が池田氏へ戻った後は是枝氏出身の半六が継ぎ、時章・時寧へ続く経緯を記す。

  98. 附録2-No.1298 新納氏系図抄(十五)

    新納友義以下の加世田・市来系譜。忠澄が伊作久逸に従い、幼い島津忠良の後見として田布施へ移ったこと、康久が田尻荒兵衛の案内で加世田城攻略に功を立て地頭職を得たこと、市来で渋谷氏勢力と戦ったこと、久韓以下の家系を詳述する。

  99. 附録2-No.1299 島津義久書状

    島津義弘の旗下で奉公する新納長住に対し、川上三河守らと同様に遠慮なく諸事を相談し、奉公が行き届くよう尽力することが肝要だと諭した島津義久書状。系図中に収載される。

  100. 附録2-No.1300 新納氏系図抄(十六)

    新納久韓・長住系に続く支流系図。久賢が新納久時の二男から養子となり、新恩地千石を拝領して家老職に補任されたこと、久了・久明・経貞・久品・時庸・時喜らの生没年、母方、養子関係を記す。