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附録2の目録

旧記雑録 年代不詳の文書・記事です。

全1,438件中 201~300件・3 / 15ページ

  1. 附録2-No.201 小林家孝書状

    八十一歳でも城番を勤め鷹を飼い続けている近況を述べ、家康から毎年児鷹や大鷹、服・銀子を拝領した老後の栄誉を喜び、島津義弘の鷹狩と鷹の換羽の様子を尋ね、江戸・駿府や秀頼の無事も報告した長文書状。

  2. 附録2-No.202 中山王書状

    島津家久の子孫・家督相続を祝って国政と民衆安堵の基になると述べ、佐敷の早期帰国への配慮に謝し、祝儀として唐盆十枚を贈った中山王書状。

  3. 附録2-No.203 享徳院正純書状

    紅梅の緞子一端に謝し、少将の上洛時に加賀へ下っていて馳走できなかったことを残念がり、無事帰国後に茶屋・松岡・川崎・道甫ら優れた数寄者を見出した手柄を喜び、再下向して茶会を開くことを望んだ書状。

  4. 附録2-No.204 相良長毎書状

    当日異幸表を通過したが旅の疲れで直ちに帰山したと伝え、上方が平穏であることと、道中で島津義弘の返書を読み健勝を喜んだ書状。

  5. 附録2-No.205 島津義弘書状

    朝鮮情勢が固まる前に龍伯が速やかに渡海すべきと促し、後発兵の乗馬準備が不足していることを叱責し、毛利家では五、六十石の家臣も騎乗すると例示して、供衆の馬と指物を整えるよう命じた書状。

  6. 附録2-No.206 島津義弘書状

    普請に取り紛れて見舞いが遅れたことを詫び、城米の件で増田長盛の助力を頼み、詳しい口上を使者に託して銀子二十両を贈った書状。

  7. 附録2-No.207 島津義弘書状

    関ヶ原敗戦後も二か国を安堵され国役を免じられ、質人が江戸に置かれている以上、御所への不忠は決して考えず、拝領した金百枚も返上して、一意専心の忠節を貫くよう説いた島津義弘の書状案。

  8. 附録2-No.208 近衛前久書状

    所望の黒毛馬を入手できず他の名馬を探すよう命じた経緯を伝え、島津家久がなお高麗に滞在させられることを嘆き、石田三成の取り成しや帰国・交替を期待しつつ、気晴らしに来訪するよう誘った近衛前久書状。

  9. 附録2-No.209 甲斐(宗運)書状

    在国中に度々厚遇されたことを喜び、阿蘇家が従来から島津家に疎意がない旨を老中へ伝えて意見一致したことを祝い、腰刀一腰と鞍橋一口を贈った書状。

  10. 附録2-No.210 近衛信尹書状

    前日から今に至るまで物憂げな様子だと聞き、どうしたことかと案じて見舞いの使札を送った近衛信尹の短い書状。

  11. 附録2-No.211 石田三成・細川藤孝連署書状

    出水を薩摩同様に安堵する朱印と普請命令、琉球を亀井茲矩に代わって従来どおり島津の与力とする朱印を伝え、入唐に備え琉球から綾船を急ぎ差し上げさせ、義久・義弘が名護屋で出馬を待つ段取りを指示した連署状。

  12. 附録2-No.212 細川藤孝書状

    正源院が前年見舞いに訪れた際に書状を送ったが自身が不在で返事できなかったことを詫び、領国が近いので必要な用向きがあれば命じてほしいと伝え、詳細を越中守細川忠興に託した書状。

  13. 附録2-No.213 島津惟新書状

    慶長五年の軍事危機に際し、知行処置を早く決めて諸人の支持を得、歴々から下々まで血判・神水で団結させるよう説き、立花宗茂・毛利輝元への急使、龍伯の陣所、境目の城と軍勢準備などを談合で確定するよう求めた書状。

  14. 附録2-No.214 島津義弘起請文前書案文

    島津家と龍伯・義弘・久保の身上に疎意を持たず、又八郎・長満を久保同様に扱い、悪逆者や讒言は内外を問わず糾明し、久保の進退に関する問題は互いに隠さず熟談すると誓った起請文前書案。

  15. 附録2-No.215 普請之次第注文

    名護屋で行う普請について、長さ二百七間の石橋、崩所の地均し、谷の埋立て、三百八間分の小屋敷と家屋規模など、工事箇所・寸法・数量を列挙した注文。

  16. 附録2-No.216 某書状

    米菊殿の祈念を度々命じられ、遠方のため毎月の巻数を上げられなかったことと春以来の無沙汰を詫び、今後も懇切に祈り、参上して対面することを望んだ書状。

  17. 附録2-No.217 某覚書

    京都での借銀と銀子一貫目の借用・算用、湯尾地頭代、栗野蔵入の収入、白鳥・霧島の灯明田、高原の知行、般若寺領、在国衆の馬を借りて高麗へ渡す計画など、財政・知行・軍馬案件を列挙した覚書。

  18. 附録2-No.218 某覚書

    長期在陣をねぎらい、高麗在番交替、若殿の蔵入と代官、帰朝時の代官上京を記し、十二万石の浮地から加増・奥方知行・給人分を差し引いた残余約八万石を計算した覚書。

  19. 附録2-No.219 本田親商書状

    島津龍伯が吉野で鷹狩りをして加治木へ赴く予定だったが、当日は雨天のため出発できたかを尋ね、島津惟新から番所まで状況を問い合わせるよう命じられたため飛札を送った書状。

  20. 附録2-No.220 蓑田長能等連署書状

    数年来の島津家と相手方の戦争を仲介して和睦と縁組を実現し、三郡を治めた功績を賞し、使者派遣を辞退すれば島津方から疑われかねないとして、従来どおり忠義と奉公を続けるよう求めた連署状。

  21. 附録2-No.221 小谷又右衛門書状

    長く音信がなかったことを詫び、現地で番船が出動したとの知らせを受けて安否を強く案じ、急便のため詳述できないが、適切に取り成してほしいと頼んだ書状。

  22. 附録2-No.222 伊集院久治書状

    朝鮮の陣所で兵糧と兵員が枯渇する中、約百艘の番船が押し寄せ唐島を封鎖して往来不能となった窮状を訴え、唐人が攻撃すれば守り切れず島津家の外聞を失うとして、国元の対応の遅さを厳しく嘆いた書状。

  23. 附録2-No.223 川上忠智書状

    島津義弘の無事な高麗着陣と島津家久の大坂到着を祝い、伏見で公儀の調整が済んだこと、石田三成・安宅秀安や京の関係者への礼と見舞いを怠らず、供衆の忠節も監督していると報告した長文書状。

  24. 附録2-No.224 新納忠貞起請文前書

    加徳島の宿で寝込んでおり、酔いが醒めず召し出しに遅参したため二度も意向に背いたことを謝し、他所に宿泊したなどの別意は一切ないと、薩隅両国の神々に誓った起請文前書。

  25. 附録2-No.225 某覚書

    朝鮮からの帰朝・渡海・勢揃え、又八郎の供衆十~十五騎、残番衆七百人、国元との連絡、釜山浦の上米・道具、残番衆の船と兵糧、高麗人、具足・馬鎧・錨・鑓など、撤収と上洛の実務を列挙した覚書。

  26. 附録2-No.226 某(首庵)・伊勢貞知連署書状

    翌十二日に島津龍伯・義弘が又八郎を招いて饗応すると聞いたことを祝い、参上して見舞いたいと伝えた連署状。

  27. 附録2-No.227 比志島国貞書状

    命令に従って出水へ赴き、滞りなく城を請け取ったことを祝い、土地と城の堅固さを称賛し、島津義弘の移転が決まれば地域も収まるので遅延なく進めるよう勧めた書状。

  28. 附録2-No.228 桂忠詮・上井里兼連署書状

    出水城の受領、肥後境界、各地の牧と馬数、城下から阿久根までの地勢、侍・百姓・職人の人数、豊臣秀吉朱印による人返し、旧代官との紛争、水俣の小西方との交渉など、出水郡接収後の総合調査を詳細に報告した連署状。

  29. 附録2-No.229 竹内実位書状

    出銀負担を一石につき三分から五分へ変更し翌月二十日までに集めるよう求め、人別日記を受領したこと、豊後からの捕虜を月末に集める際の責任者は一人でよいかを相談した書状。

  30. 附録2-No.230 伊集院久治書状

    一石につき二升の反米を少量でも鹿児島へ運び上洛の急用に備えるよう求め、豊後の捕虜は男女とも二十五日までに帰国させ、期限を一日も遅らせないよう厳命した書状。

  31. 附録2-No.231 伊勢貞知書状

    少将の上洛が公方の命で延期された名誉を祝い、大峯大護摩による少将と国家安全の祈祷、惟新のための小護摩を執行して守札を送り、翌春上洛時の奉公を約した書状。

  32. 附録2-No.232 比志島国貞書状

    北郷賀州の案件を国府で裁くため出頭するはずが、祭礼・関係者の病気・奥州下向後の京都用務・自身の腫物で遅れたことを詫び、紹益老人と相談して近日参上すると伝えた書状。

  33. 附録2-No.233 伊勢貞昌書状

    奥州の無事上着と伏見から駿府への下向予定、桑秀坊による佐土原安堵の見通しを報告し、伊勢家の煙草に関する風聞を厳しく取り締まうと約し、上方静謐と尾張・丹後普請の辛労を伝えた書状。

  34. 附録2-No.234 島津家久書状

    江戸から早打ちが届き、串本殿をどこまでも自分に従わせて了承するとの指示を受けた幸運を喜び、この旨を又八郎らにも知らせたいとした島津家久書状。

  35. 附録2-No.235 島津忠平書状

    殿の無事下国を祝い、又八郎の弓術師匠を東郷長左衛門へ頼んだことを喜び、老齢の川上因幡に代えて東郷肥前から兵法を学ばせるよう相談し、兎山の風聞にも注意を促した書状。

  36. 附録2-No.236 島津兵庫忠平書状

    任地に詰めている新納仲左衛門の苦労をねぎらい、担当案件がどの程度進展したかを案じて状況報告を求めた短い書状。

  37. 附録2-No.237 島津久薫書状

    道具を持たせた者を下向させ、海陸とも無事に三月十六日江戸へ到着し、当地も平穏であると報告した書状。

  38. 附録2-No.238 島津忠平書状

    歳暮の祝儀に関する書状を謹んで受け取り、来春には互いの満足と慶びを早々に申し交わしたいと伝えた年末の礼状。

  39. 附録2-No.239 島津忠平書状

    瀬九郎親子が滞在中なのに十分な馳走ができなかったことを残念がり、差矢・的矢・箆を当地で念入りに作って送るよう依頼した書状。

  40. 附録2-No.240 島津忠平書状

    見舞いの書状と心遣いに謝し、病状が次第に快復して近日中に外出できる見込みなので、天気が晴れれば訪ねてほしいと伝えた書状。

  41. 附録2-No.241 島津忠平書状

    境目で和睦の談合が成立したとの知らせを残念がり、日置周防介の身上と判断を案じ、薩摩・大隅側へ山越えすることを勧め、福島方面や使者衆の安否も尋ねた書状。

  42. 附録2-No.242 島津忠平書状

    伊東家着陣時に白鷺権現へ立てた願を翌月に成就するため、七夕頃から能を催し、『高砂』『落葉』『夕顔』など七番の演目を日置周防介に依頼して準備を求めた書状。

  43. 附録2-No.243 島津忠平書状

    上洛後は遠隔のため音信できなかったが、下向した俊宝房から満足寺の健勝を聞いて喜び、同房が再住する際の用務を頼み、必ず帰山して下国時に詳しく話すと伝えた書状。

  44. 附録2-No.244 島津義弘書状

    長期在陣をねぎらい、当初は龍伯に供奉して下国する予定だったが、国元軍勢の配置替えに伴う公儀の指示で義弘一人が先に帰ることとなったので、龍伯に供奉し、在番・普請を油断なく務めるよう命じた書状。

  45. 附録2-No.245 島津義弘書状

    屋形造営、借物返済、又一郎夫婦の在京処置を国元で相談させるため鎌田出雲守を下向させ、口上を聞いて老中とも熟談し、義弘自身の所務に不利益が出ないよう工夫することを求めた書状。

  46. 附録2-No.246 島津義弘書状

    上洛費用となる反銭・屋別銭が集まらず、借銀に頼って二十六日に出立する窮状を訴え、太守下向後も二人が一、二か月残って後始末を熟談し、上方での家政を支えるよう強く依頼した長文書状。

  47. 附録2-No.247 島津義弘書状

    石田三成の不興を解いて安宅秀安を下向させたので、替米・進上米、太守の早期上着、新たな人物の上洛という三件を必ず整えるよう老中衆へ迫り、どれか一つ欠けても家の安泰が損なわれると警告した書状。

  48. 附録2-No.248 島津義弘書状

    長期在陣をねぎらい、島津忠恒が健勝なのは祈念のおかげと喜び、忠恒が上洛するなら供奉することが肝要として待ち望み、鎌入・慶呑へも辛労への謝意を伝えるよう頼んだ書状。

  49. 附録2-No.249 島津惟新書状

    長く任地に詰める辛労をねぎらい、奉公なので退屈せず勤め続けるよう命じ、交替要員について鹿児島へ申し入れ、瑞仙を再び上らせる予定なので、それまで油断なく奉公するよう求めた書状。

  50. 附録2-No.250 島津義弘書状

    見舞いの僧と酒二樽・肴一折に謝し、困窮する運誉上人へ忍耐と現当二世の祈念を求めた書状。付記では花入への返歌と、島津家久が本誓寺で法談を聞いた際の詠歌・院号由来を伝える。

  51. 附録2-No.251 島津惟新書状

    入来院家の世継ぎに弥一郎重高を望む意向を良縁と評価し、藤二郎妹との縁組話が平松方へ未通達であるうちに、船本に滞在する少将へ内意を伝えて了承を得るよう急がせた書状。

  52. 附録2-No.252 島津義弘書状

    道甫を通じて織田有楽から名物として聞く水指を贈られたことを老後の思い出として喜び、古びた自分の茶の湯で二服差し上げたいと述べた書状案。

  53. 附録2-No.253 島津惟新書状

    多忙で音信が途絶えたことを詫び、上方が平穏であると知らせ、唐盆の贈答に謝し、長く国元で寺を守り続けることを奇特として、下向時の対面を約した書状。

  54. 附録2-No.254 願成寺由緒書

    天正十八年の栗野で運誉が寺地を拝領して庵室を結び、願成寺の寺号決定、上洛と論旨拝領、帖佐移転、筑後善導寺住職、加治木本誓寺隠居、寛永三年遷化までを記した願成寺由緒書。

  55. 附録2-No.255 島津義弘書状

    大神宮への千日参詣の名代と費用を手配し、島津少将による家の継承と、義弘自身が災難・悪名を免れることを祈る願が滞りなく成就するよう懇切な祈念を依頼した書状。

  56. 附録2-No.256 島津義弘書状

    遠隔のため久しく対面できない雲誉長老の在京の苦労を察し、自身は朝鮮で残番を命じられ耐えているが、任務が終わる翌春に帰朝するので、長老も下向して栗野で会いたいと伝えた書状。

  57. 附録2-No.257 島津惟新書状

    出水境目と普請を油断なく固めるよう命じ、水俣まで黒田如水・加藤清正の軍勢が進出しているが、出水は堅固に守らせたので安心せよと伝え、見舞いの使者を送った書状。

  58. 附録2-No.258 島津惟新書状

    京都へ申し上げた案件がほぼ不首尾に終わったため、五日以内に羽柴越中守へ使者を立てて将来の無事な調停を頼むよう勧め、富隈からではなく川東善左衛門尉を派遣するよう求めた書状。

  59. 附録2-No.259 島津惟新書状

    境目の変化を問い、城北目の守備と城普請を厳命し、怠慢な夫役衆を毎日記録して報告させ、立花左近の使者到着を伝え、調停成立までは領内から夫役を徴発しないよう指示した書状。

  60. 附録2-No.260 島津惟新書状

    出水境目を引き続き厳重に守り、番衆と普請を油断なく勤めさせ、帖佐の伊勢平左衛門尉と熟談して出水・帖佐双方の守備を隔心なく進めるよう求めた書状。

  61. 附録2-No.261 島津義弘書状

    長期在京の辛労をねぎらい、奥州のために諸事を整えるよう求め、山口殿宛ての書状に惟新の書状と太刀を添えて適任者に持参させ、肩衝茶入は公方の上覧前なので下向時に相談するとした書状。

  62. 附録2-No.262 島津惟新書状

    久しく音信がなかったところ、牛糞圃一具を所望し、相手が持っていなければ御前の所蔵品を一具下賜するよう取り成してほしいと頼んだ書状。

  63. 附録2-No.263 島津忠恒書状

    世上が騒然として比志島紀伊・鎌田出雲らも出仕していない中、朝ごとの出仕を続けるべきだが相談相手もいないので、とにかく油断なく対処するよう伊集院久治へ求めた書状。

  64. 附録2-No.264 島津惟新書状

    寺院建立が無事完成したことを大いに喜び、長期滞在して工事を成し遂げた辛労をねぎらって早い帰国を勧め、段子二端を贈り、詳しくは葛西茂右衛門に託した書状。

  65. 附録2-No.265 島津惟新書状

    高野山の蓮金院を島津家の院家に定めた功を喜び、愛染堂地も院内に組み込み末永く存続させるよう求め、翌春の琉球出兵という前代未聞の戦いの成功を大師明神へ祈るよう依頼した書状。

  66. 附録2-No.266 島津惟新書状

    高野山に島津家の院家を建立するため成正院を派遣し、院家決定に善集院一同が助力したことを喜び、永続への協力を求めて沈香一斤を贈った書状。

  67. 附録2-No.267 島津惟新書状

    蓮金院造営の進捗を尋ね、近日の琉球出兵の勝利を大師明神へ祈るよう求め、法華経三万九千部供養には石卒塔婆を選んで銀子七百目を送り、工事を終えて早く下向するよう頼んだ書状。

  68. 附録2-No.268 島津惟新書状

    成正院が十穀断ちをして勤行する大儀をねぎらい、現地の状況報告を求め、源秀坊を派遣したことを知らせる一方、鹿児島諏訪祭礼がうまく行われ、龍伯も見物したと伝えた書状。

  69. 附録2-No.269 島津惟新書状

    上洛後の消息がなく案じながら、長期の辛労をねぎらって現地で精勤するよう頼み、国元は平穏であると知らせ、現状確認の使僧を派遣した書状。

  70. 附録2-No.270 近衛龍山書状

    近衛前久(龍山)が島津義弘に、年来待望していた見事で美しい猫が届いたことを喜び、自分の手元に三疋を置きたい、せめて約束の二疋、さらに一疋でもよいので必ず譲ってほしいと、娘や新造方との猫の取り合いまで語りながら繰り返し懇願した書状。あわせて早船の手配に謝し、来訪を誘う。

  71. 附録2-No.271 近衛龍山書状

    年頭を祝い、国家の安全が続くことを祈り、祝儀として扇十本を贈った龍山こと近衛前久の書状。

  72. 附録2-No.272 近衛信尹書状

    八月二十日付の書状が九月十七日に届いたことを知らせ、病気が七か月に及んで全快し難く、熱はないものの食事が進まない近況を述べ、少しでも回復すれば知らせるとした書状。

  73. 附録2-No.273 近衛信尹書状

    書状と沈香の贈答に謝し、将来は肩衝茶入を所望すると伝え、困難な国務を陸奥守へ譲って退いた惟新の態度を古代中国の賢人になぞらえて称賛し、武運と家門繁栄を祈り、龍伯の回復を祝った書状。

  74. 附録2-No.274 島津義弘書状

    五色紙半斤などの贈答に謝し、義久が近日上洛する予定であること、京都は平穏であり、自身もやがて下向して対面したいことを伝えた書状。

  75. 附録2-No.275 島津義弘書状

    又八郎の上洛中、とりわけ腫物を患った際の世話に深謝し、自身も近く上洛する意向を伝え、礼として銀子十両を贈った書状。

  76. 附録2-No.276 島津義弘書状

    第二九六号文書と同文であるため本文を省略した島津義弘書状。

  77. 附録2-No.277 島津義弘書状

    二人の使者から前線の様子を聞き、在国中に尽力した安宅三郎兵衛への謝意を示し、軍役の処置が定まらないため国中の軍勢を留め置いたことを伝え、鎌田出雲守に支援を求めた書状。

  78. 附録2-No.278 島津義弘書状

    用務のため源秀坊を手元に留めたことを伝え、祈祷の守札・銀子一枚・樽二つの贈答に謝し、前線が平穏であると知らせて日々の祈念を頼んだ書状。

  79. 附録2-No.279 島津義弘書状

    当月末か翌月初めに敵の攻撃が予想されることを知らせ、八月は又八郎にとって凶月に当たるとして祈祷を頼み、その旨を霧島へも伝えるよう求めた書状。

  80. 附録2-No.280 島津義弘書状

    長く在京する成正院から祈祷の守札を受け取って謝し、自身と又八郎の厄難除けの祈念に加え、以前の誓願どおり伊作の大汝八幡へ毎月代参するよう頼んだ書状。

  81. 附録2-No.281 島津義弘書状

    国元の情勢が変わり、義久の下向が近いとの知らせを喜び、伊集院久治の長い辛労を察しつつ、今後の身上については自分たちに任せ、所領の多少にかかわらず承知するよう求めた書状。旧記雑録後編第二五〇六号と同文。

  82. 附録2-No.282 島津惟新書状

    龍伯へ申し入れたい事柄を事前に相談するため、繁忙中であることを承知しつつ、喜入大炊助と同道して翌日か翌々日に来訪するよう伊集院久治へ求めた書状。

  83. 附録2-No.283 島津義弘書状

    第二五一号文書と同文であるため本文を省略した島津義弘書状。

  84. 附録2-No.284 島津惟新書状

    娘と孫の健勝を喜び、長期の江戸在勤をねぎらい、諸大名が集まる江戸では善悪とも評判になるので、他国から批判されぬよう上下に厳命して疎意なく奉公することを求めた書状。

  85. 附録2-No.285 島津惟新書状

    道甫の下向時に奈良漬二桶を贈られた礼を述べ、織田有楽から名物の水指を拝領して秘蔵しているとして、受領の礼状を持参し懇ろに謝意を伝えるよう頼んだ書状。

  86. 附録2-No.286 島津惟新書状

    相手領内の御上が寂しく過ごしていると聞き、自領へ招いて慰め、軽い食事を差し上げたいと申し入れ、紀州とも内々に相談のうえ返事を求めた案文。使者は萩原万吉。

  87. 附録2-No.287 島津惟新書状

    大風後の屋敷普請の進捗を問い、駿河と大坂の不和との風聞を受け、陸奥守は東国奉公に専念すべき立場なので、江戸・駿河へ早く使者を送り、国元の雑説に惑わされず書面どおり判断するよう命じた書状。

  88. 附録2-No.288 島津惟新書状

    江戸の奉公では他国の批判を招かぬよう中間・小者まで厳しく統制し、不正は朋輩のことでも遠慮なく申し上げるよう求めた。また病気の五兵衛に代えて大窪備前守を派遣し、帰国時は道中の養生に注意するよう指示した書状。

  89. 附録2-No.289 島津惟新書状

    伊集院久治が所望した寸白薬を調合して届け、朝と寝際の一日二度を七日間、少量の熱い湯で服用し、油気の物を禁ずるよう指示した。あわせて少将から久治へ下された書状を龍伯に上覧させる手順を相談した書状。

  90. 附録2-No.290 島津惟新書状

    江戸へ向かう女房衆二人と犬二疋に持たせる守札を祈念して翌朝までに用意するよう頼み、焼き直した肩衝茶入を恒常の茶入として贈った。あわせて塔の仕様や国元の絵書の奉公について伝えた案文。

  91. 附録2-No.291 島津惟新書状

    琉球・大島渡海の鹿児島談合へ龍伯に供奉したことを伝え、上洛や船造りの出物未進者への処分が徹底されず負担した者が報われない状況を批判した。さらに振舞が続いて談合時間が不足し、談儀所で金銀を散りばめた膳が出るなど、命令が空文化している実情を内報した書状。

  92. 附録2-No.292 島津惟新書状

    島津家二十代の行末を案じ、石船建造や百五十艘の船調達の遅れ、上洛・海路の日程に油断しないよう諫めた。さらに能への熱中、奉行任せの不足、将軍前での飲酒、公家との過度な交際、服装や客応対、江戸からの迅速な帰国、役職・知行を望む追従者への警戒まで、老境の惟新が家の将来を思って列挙した長文の訓戒状。

  93. 附録2-No.293 島津惟新書状

    龍伯が重病である以上、その息女で国主の妻でもある女性が近くにいながら見舞わないのは孝道にも世評にも反すると述べた。一方、陸奥守が国元へ行かせないと命じた事情を踏まえ、仮病は鹿児島と国府で噂が通じるため避け、月障りを理由にして公儀への影響を抑えつつ延期する策を紹盆と相談するよう求めた書状。

  94. 附録2-No.294 島津惟新書状

    第二六二号文書と同文であるため本文を省略した島津惟新書状。

  95. 附録2-No.295 島津惟新書状

    龍伯へ申し入れたい事柄を内談するため、繁忙中であることを察しつつ、喜入大炊助と同道して翌日か翌々日に来訪するよう伊集院久治へ求めた書状。

  96. 附録2-No.296 島津義弘書状

    上洛の予定を当面中止し、京都の用務は使節によって申し上げるべきだと重ねて諫め、国の立場や鹿児島の老名衆が頻りに引き留めていることから、この時期の上洛をぜひ停止するよう求めた書状。第二七六号と同文。

  97. 附録2-No.297 島津義弘書状

    第二七五号文書と同文であるため本文を省略した島津義弘書状。

  98. 附録2-No.298 島津義弘書状

    国元出発後、船留めで借船も得られず諸軍に遅れ、少人数で名護屋から壱岐・対馬を経て朝鮮釜山海へ渡った航海を詳報した。暴風と暗夜で船団が散り又八郎船とようやく再会したこと、釜山海の家数や朝鮮攻略は容易との見通しを述べ、家族・奉公人の保護と祈念を頼んだ書状。

  99. 附録2-No.299 豊臣秀吉朱印状

    第二五三号文書と同文であるため本文を省略した豊臣秀吉朱印状。

  100. 附録2-No.300 島津惟新書状

    相手の説明が曖昧では闇夜に向かって話すようで理解できないとし、狭い家中の召使にも掟を定めないのは残念だと叱責した。田野の件と出水からの客については承知し、目前の家中の規則を折々命じ、違反者があれば自分が処罰すると伝えた返書。