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追録5-No.1791記事旧記雑録暫定版・確認中

信證院、薩府ニ逝去ス(記事)

宝暦六年正月晦日~三月二十一日/整理ID 旧記雑録追録5_文書1791

確認度高
この文書は暫定版です

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概要

綱貴の継室信證院は、旧病の疝積で寝食が安定せず、老病も日ごとに進み、薬による療治も効かなかったため、宝暦六年正月晦日に鹿府武亭で九十三歳で没した。法名は信證院殿壽國總守元持大禪尼と記す。二月二日夜に納棺し、三日夜に武亭を出て壽國寺へ葬り、同寺の大濤和尚が引導を勤めた。忠洪の代わりに島津出雲久定が霊牌を持ち、圖書久亮が焼香した。二月十一日から十三日まで、義岡相馬久仲が継豊に代わって壽國寺で中陰の梵儀を修めた。霊牌と肖像一躯を安置して石塔を建て、牌料として毎年米六石・文銀十五枚と多数の祭器を寄せた。幼年の忠洪は江戸芝邸にいたため、国元の家老久亮・久柄・鎌田政昌・高橋種壽らが飛脚で知らせ、忠洪は側小姓中野織右衛門利典を弔使として遣わした。利典は二月二十九日に江戸を発ち、三月二十日に鹿府へ着き、翌二十一日に老君継豊と伯母榮の起居を伺って慰めた。出典は重豪公御譜。

登場人物

島津綱貴・信證院(綱貴継室)・蕭爾(元注岡)・大濤和尚(壽國寺)・島津忠洪・島津出雲久定・島津圖書久亮・義岡相馬久仲・島津継豊・島津久柄・鎌田政昌・高橋種壽・中野織右衛門利典・伯母榮

宛先

該当なし

キーワード

信證院、綱貴継室、疝積老病、九十三歳、正月晦日鹿府武亭死去、信證院殿壽國總守元持大禪尼、二月二日納棺三日壽國寺葬、大濤引導、久定霊牌久亮焼香、久仲継豊代中陰、十一日至十三日、肖像石塔、毎歳米六石文銀十五枚、飛脚、中野利典弔使、三月二十日鹿府着、二十一日継豊伯母榮慰問

冊子頁

604頁

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(4)474~620頁(宝暦4~宝暦6).pdf