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後編5の目録
旧記雑録 寛永3年~寛永15年の文書・記事です。
全1,340件中 901~1000件・10 / 14ページ
後編5-No.901 堺白人数・武具注文
綾・高岡・都之城・志布志・高城・清武・阿久根・加世田など多数の地域ごとに、人数・男女人数と鉄砲・弓・鑓・長刀等の武具数を系統図状に記した、境目地域の人数・武具注文。
後編5-No.902 寺田時岡書状
寺田時岡が、日光への社参について大炊介が内々に申し上げたとおり必ず実施されるよう上申し、その件を心得ておくよう関係者へ伝えた書状。
後編5-No.903 島津家久書状
島津家久が、朝の振舞が無事に済んだことを喜び、日光社参は大炊助の申し入れにより当月中から二月まで延期する方向で相談すること、角取紛失の件も承知したと伝えた書状。
後編5-No.904 島津家久書状
島津家久が霜州へ、近く下向するので詳しく話すと述べ、当地の法度が以前より厳しいとの風聞や、玄蕃頭の乗水に関する厳しい処置について内々に心得るよう伝えた書状。
後編5-No.905 島津家久覚書
国分移転の始末、薩摩への下向時期、翌年上洛時の又八郎・玄蕃頭の同心、東之丸の縁組、安芸守、加治木役人、犬追物、老中供など、今後相談すべき諸案件を箇条書きにした覚書。
後編5-No.906 島津家久覚書
国分への移転に関する始末と、薩摩への下向を翌年に行うか否かについて、今後の取扱いを問い定めた覚書。
後編5-No.907 島津家久書状
江戸から返書を送り、相手の無事を喜び、刑部に関する件を今後も頼む旨を伝える。自身も近く下向して対面し、詳しく話したいと述べた書状。
後編5-No.908 島津家久書状
相手の息女が繁昌しているとの知らせを喜び、祝儀の使者を遣わしたこと、詳しくは口上で伝えることを述べた書状。
後編5-No.909 島津家久譜
島津家久が嗣子光久を国分の新城に置く許可をあらかじめ得たが、家久が病に罹ったため、築造・営作には至らなかったことを記す家譜記事。
後編5-No.910 島津光久譜
島津家久が光久の館を国分の新城に構えようとし、三月十四日に幕府の許可を得たものの、家久の病と死去により実現しなかったことを記す家譜記事。
後編5-No.911 土井利勝外三名連署奉書
提出された絵図に基づき、国分城の追手・裏口に門を建て、城内に番屋と少数の番人を置き、山下に薩摩守光久の屋敷を構えることを幕府が許可した奉書。
後編5-No.912 伊勢貞昌・島津久元連署覚書(写)
国分城の門・番屋・番人および山下の島津光久屋敷について、幕府奉書のとおり申し付ける旨を承知したことを記す連署覚書。
後編5-No.913 島津家久書状
年始の祝儀として下野守方まで届けられた書状と、太刀一腰・馬一疋の贈物を受け取ったことへの礼を述べた書状。
後編5-No.914 島津家久書状(写)
完成した琴を送り、音色がよいので弾いてほしいと伝える。金具と袋はまだ出来ていないため、現地で調えさせる旨を述べた仮名書状の写し。
後編5-No.915 島津久慶外六名連署条書
島津久慶(弾正大弼)・島津久元(下野守)・川上久国・伊勢貞昌・山田有栄・三原重庸・鎌田政統が連署し、家中の政務処理を定めた「物定三十五条」。旧例・訴え・奉公上の申立ての扱い、家老衆・物奉行衆・賦衆・普請奉行等の職掌、知行・扶持・切米・納銀・欠米売買、江戸勤番・役人交替、訴訟・借銀・家中統制、年貢・諸…
後編5-No.916 島津家久譜
徳川家光が島津家久に暇(帰国の許可)を与え、その際に白銀千枚を賜ったことを記す家譜記事。使者名は伝わらないと注記される。
後編5-No.917 徳川秀忠御内書
端午の祝儀として帷子・単物数十点が届いたことを喜び、詳細は土井利勝から述べさせると伝えた御内書。
後編5-No.918 金武外二名連署書状
野村大学助の下向、唐へ派遣する糸船、出銀の納付期限と未進分、兼城の出仕、帰朝する糸船・北京使者、日本国内の南蛮宗禁制など八項目について取扱いを求めた琉球側三名の連署書状。
後編5-No.919 島津家久条書
家臣・役人の合議、公平な人事と賞罰、家中の監督、倹約、忠孝、薩州と北郷家双方への偏りのない配慮など、家久が三男北郷久直へ統治上の心得を説いた条書。
後編5-No.920 児玉利昌書状
家久一行が五月十六日に江戸を発ち、二十二日に浜松へ到着して一行が無事であることを報告する。帰国に備え、大坂で新銭を調達する案など貨幣不足への対応も相談した書状。
後編5-No.921 島津久元書状
江戸からの知らせを受け、天下一斉の貨幣切替が諸国へ命じられたこと、薩摩でも早急に切り替えるべきことを伝え、従来の古銭を用いる可否を問いかけた書状。
後編5-No.922 観助書状(写)
見舞いの使札を送り、楊梅一折を贈る。原文中の「久明王」に関わる参詣がなかったため、今回の来訪・光儀があれば恐悦であると伝えた書状の写し。
後編5-No.923 島津家久書状
京都方面から桑名へ至った道中と当地で受けた馳走を知らせ、相手を恋しく思う心情を述べる。姫や母の様子にも触れた仮名書状。
後編5-No.924 良恕法親王書状
吉日に尊像の開眼を行ったことを知らせ、翌月四、五日頃の太現明王参拝に際し、池坊を伴って立花を行うよう求め、詳細は西池主膳から伝えるとした書状。
後編5-No.925 土井利勝外三名連署書状
外科医慶祐が二十日に到着し腫物を治療したとの報告を受け、久志本式部の派遣や京都での療治手配にも触れ、家久の療養に念を入れている旨を上聞に達したと伝えた老中連署書状。
後編5-No.926 新銭古銭売買之定写
新銭・古銭を金一両につき四貫文で売買すること、悪銭の選別・拒否や偽銭鋳造を禁じること、違反者と町年寄・家々に過料や処罰を科すことなどを定めた貨幣統制令の写し。
後編5-No.927 伊勢貞昌、川上久国連署書状
薩州(島津光久)が国分に居宅を構える件について、酒井忠勝の披露を経て許可され、奉行衆連署の奉書が出たことを知らせた書状。家久の帰国後に正式に申し渡すと述べる。
後編5-No.928 伊勢貞昌書状
伏見からの書状を受け取り、黄門様からの書状と当年の茶壺一つを拝領したことを喜ぶ。薩州様へ申し伝え、帰着と休息を祝った返書。
後編5-No.929 川上久国・伊勢貞昌連署書状
江戸の両屋敷の無事、大廻船の帰帆、伊豆関所で指摘された付状・送状の不備、銀子・道具を運ぶ船、家久帰国時の焼酎手配と保養、円福寺での祈念などを報告・指示した連署書状。
後編5-No.930 島津光久書状
当年の祝儀として具志川を通じ、太平布三十疋・蕉布三十端・焼酎五壺を受け取った礼を述べ、太刀一腰・糸・馬一疋・宇治茶一壺を返礼として中山王へ贈った書状。
後編5-No.931 島津家久書状
暑さの厳しい時期には加治木へ来ないよう勧め、秋風が立てば自身が訪ねて話したいと述べる。単物・帷子を送り、酒にも触れた病中の仮名書状。
後編5-No.932 島津光久書状
六月十八日に国元へ到着したことを喜び、兵部少輔宛の書状から家久の顔色・脈が悪いと聞いて心配し、養生による快気を願った見舞いの書状。
後編5-No.933 伊勢貞昌・川上久国連署書状
坂元織部の大きな働きに対して知行百石ほどの褒賞を提案するとともに、御蔵の金銀盗難について関係者を吟味し、御蔵衆の関与や証言を十分に究明するよう求めた連署書状。
後編5-No.934 島津家久書状
使者と珍しい二種の贈物への礼を述べ、しばらく苦しんだ喉の病がここ三日ほど少し良くなったこと、七月二十日の便りが届いたことを知らせた仮名書状。
後編5-No.935 島津家久書状
上方に別儀がないと聞いたことに触れ、自身の喉の病も次第に良くなっていると知らせる。自ら調合した薫物を贈り、詳しくは使者から伝えるとした仮名書状。
後編5-No.936 島津家久書状
久しく音信が途絶えていたところ、家久の病気を案じて使者を寄越し、願書にも念を入れたことを謝す。まだ気色は十分でないが養生しており、近く快気するだろうと述べ、内儀からの祈念にも感謝した書状。
後編5-No.937 島津家久書状
病状らしき様子について述べ、まず加治木から見舞いに来るよう求める。二十日頃を候補とし、関係者を召して申し聞かせ、下野守にも内談する意向を伝えた書状。
後編5-No.938 島津久慶外四名連署引付
境目地頭に付された新納加賀へ、替地・返地として大口のうち木氏村二百六十二石六斗二合三夕一才を与え、不足分は大口内の相応の地で補うよう命じた五名連署の引付。
後編5-No.939 川上久国・伊勢貞昌連署書状
伊勢鶴殿の懐妊と出産の遅れに関連し、脈・舌の腫れ・喉の痛み・痔・食事などの容体、医師の診立て、愛宕山円福寺で二夜三日の護摩祈祷を詳しく報じた連署書状。
後編5-No.940 島津家久譜
家光が鷹狩で得た鶴を家久へ贈り、老中の添書によって薩摩府へ届けさせた。家久は拝戴後、志島監物義之を江戸へ派遣して謝意を表し、義之は将軍の御前に召され慰問の言葉を受けたとする家久譜の記事。
後編5-No.941 土井利勝外二名連署書状
前日に将軍の鷹狩で捕らえた鶴を贈ること、詳細は薩摩守から伝えることを島津家久へ知らせた老中三名の連署書状。
後編5-No.942 土井利勝外二名連署書状
鶴の羽などを損なわないよう、江戸から薩摩国の松平大隅守まで急ぎ確実に送り届けることを命じた、老中三名の印判を伴う伝送指令。
後編5-No.943 島津家久譜
家久が病気となり幕府の典医を薩摩へ下すよう願ったため、家光は久志本式部少輔を派遣した。十月九日の老中連署奉書が添えられ、十一月八日に薩摩府へ到着して療養に当たったとする家久譜の記事。
後編5-No.944 徳川家光御内書
家久の病気を案じ、希望どおり久志本式部少輔を治療のため派遣することを伝え、十分に養生するよう求めた徳川家光の御内書。
後編5-No.945 土井利勝書状
将軍が鷹狩で鉄砲を用いるため、前年に続き薩摩から火縄二百曲を進上したことを上聞に達し披露したと報告する。併せて家久の病気を案じ、寒天につき一層の保養を勧めた書状。
後編5-No.946 土井利勝外二名連署書状
家久の病状と久志本の薬を服用したいとの希望を将軍へ披露したところ、久志本式部少輔を派遣することになったと通知する。御内書による養生の命と、詳細は同族の薩摩守から伝える旨を記した老中連署書状。
後編5-No.947 松平定行書状
松平定行が江戸へ下向する途中、三島で中納言家久の口中の不調・胸痛・食事困難を聞き、驚いて使者を送り、早い快気を願って病状を尋ねた見舞書状。
後編5-No.948 島津光久譜
島津光久の子女に関する系譜記事。寛永十三年十月十八日に崎山盛秀の娘を母として生まれ、のち島津図書久竹の室となり、宝永五年十月二十七日に死去した末子の女子を記す。
後編5-No.949 島津家久書状
屋敷普請の最中であるため十分に念を入れて指図するよう求める。自身の病気について、懇切な見舞いに感謝し、次第に回復しているものの喉に症状が残り、疲労も甚だしいため養生し、後日様子を知らせると述べた書状。
後編5-No.950 土井利勝外三名連署書状
将軍が家久の長患いと寒気を案じ、十分な療養を命じたことを伝える。上使として新庄右近を任命し、御内書と御鷹の鶴を届けさせ、詳しくは口上で述べるとした老中四名の連署書状。
後編5-No.951 酒井忠勝書状
松平大隅守への上使に新庄右近が任命され、御内書と御鷹の鶴を携えて早朝出立したことを内々に知らせる。道中はゆっくり進むことや薩摩守にも伝えるよう依頼し、大坂にある大隅守の船への乗船についても指示した書状。
後編5-No.952 島津久保譜
島津久保譜に収められた系譜記事。島津豊後守朝久の室について、天文二十三年生、母は北郷左馬助忠孝の娘、寛永十三年十一月十一日に八十三歳で死去したことや法諱を記し、鶴寿丸・久保又一郎らの系譜関係を掲げる。
後編5-No.953 島津家久書状
病気のため典薬衆派遣を申し入れたところ、奉行衆から上聞に達し久志本式部少輔が下向することになったとして謝意を伝える。病状は次第に快方へ向かうが疲労が残ると報告し、久志本出立時の諸準備を入念に行うよう求めた書状。
後編5-No.954 島津家久書状
ある人物のために念仏を唱え、心から成仏する道理と阿弥陀仏の誓願の深さを説き、ほかに人はいないので心静かに申し上げるよう促した仮名書状。対象人物を示す語句は難読。
後編5-No.955 有馬直純書状
中納言の使者を通じて薩摩の馬二疋と巻物三端を贈られ、病中にもかかわらず配慮されたことを謝す。久志本式部少輔の下向による早い快気を願い、さらに七島の鰹節一箱を贈られた遠路の厚意にも感謝した書状。
後編5-No.956 高山盛聴書状
将軍が息災でたびたび鷹狩に出ていることを伝え、家久の病気を聞いて心配していると述べる。医療のため人が派遣されたので効験があるだろうとし、寒中につき養生を第一にするよう勧めた書状。
後編5-No.957 島津家久書状
その後便りがなく心配していたところ、懐妊が順調との注進を喜ぶ。自身はまだ本復せず喉に症状が残り疲れているが、久志本式部少輔が到着して薬を調合し治療中なので、次第に快方へ向かうだろうと伝えた書状。
後編5-No.958 有馬直純書状
中納言家久の病状を尋ね、久志本式部少輔の薬で快気することを願う。病中にも使者を送り、見事な馬二疋を贈られたことを厚く謝し、秘蔵すると述べた有馬直純の書状。
後編5-No.959 有馬直純書状
中納言家久の病状を尋ね、久志本式部少輔の薬による快気を願う。中納言へ直接書状を送るのは負担になるとして下野守へ飛札を送り、病中の使者と馬二疋の贈答に謝意を表した書状。
後編5-No.960 島津家久書状
便りをうれしく思うと述べ、喉の具合がなお十分でなく、久志本の薬を飲んでいるが効験がまだ見えず、近く良くなるだろうと伝える。以前予定された訪問は病気でかなわなかったが、春の来訪と操りの催しを望んだ仮名書状。
後編5-No.961 土井利勝書状
家久の書状を拝見し、病気のため今回ある事柄を実施できなかった旨を将軍へ申し上げたと伝え、将軍がいっそうの保養を肝要と考えていることを知らせた土井利勝の書状。
後編5-No.962 伊勢貞昌・山田有栄連署書状
家久の枕前や宿所を見舞った人々と回数を列挙し、土井利勝・松平河内守・伊勢兵庫頭・木下左近・水野藤右衛門・鈴木喜左衛門・長生院・島津但馬守・神尾備前守らへ、国元から礼状を送るよう勧めた連署書状。
後編5-No.963 島津光久書状
弾正大弼・下野守からの飛札で、久志本式部少輔が十一月八日に到着し、脈を診て養生に当たっていると知り、早い快気を見込む。土井利勝へ到着を知らせ、将軍も病状報告を待っていることや、有馬次右衛門尉の到着後に詳報を得る見込みを伝えた書状。
後編5-No.964 島津光久書状
豊州が死去したとの報を受け、高齢とはいえ遺憾であろうと弔意を示す。関係者について土井利勝へ内意を伝え、朔日は出仕せず、将軍家の忌中儀礼に従って火を忌んだことを追伸として報告した書状。
後編5-No.965 細川忠利書状
島津家久の病状を尋ね、両名から様子を知らせるよう求める。当地の産物である菊池の海苔に関する品を贈り、病人の大隅守へ返書を求めないよう配慮するほか、先日の肥後からの使者への厚意にも謝した書状。
後編5-No.966 金武朝貞書状
黄門家久が病気であると聞いていたところ、この頃は快気したとの報に接し、重ねて喜びを述べる。恐れ多いことながら、取次を通じてその旨を披露してほしいと老中へ願った書状。
後編5-No.967 有川貞守請取状
宝寿院・千鶴・万寿の衣裳用として、奥しゅす・ひりんす・ひちりめんを各一端、合計三端受け取り、加治木奥方へ上申したことを後日の証拠として記した請取状。
後編5-No.968 土井利勝外三名連署書状
久志本式部が到着し七、八日分の薬を進めたが病状が同じため、薬を追加し、改善しなければ治療を替えて式部を帰府させる旨の言上があったと伝える。将軍は病状を案じ、大隅守が強く望むなら久志本を任意に滞留させてよいと命じた老中連署書状。
後編5-No.969 土井利勝書状
久志本式部が到着して薬を服用しているものの、病状が変わらないと聞いて深く案じる。将軍も繰り返し病状を尋ねて心配しており、寒さに向かうため油断なく保養するよう勧めた書状。
後編5-No.970 松平信網書状
御鷹の鶴拝領への礼使として比志島監物を差し出したところ、土井利勝が将軍へ披露し、礼使は御前へ召され、遠路の配慮や家久の病気を案じる直言を受けたと報告する。併せて砂糖五十斤入り二桶の贈答に謝意を表した書状。
後編5-No.971 酒井忠勝書状
帰国中の酒井忠勝を見舞う使者と焼酎一壺・薩摩の赤貝の成物一壺を贈られたことに謝す。家久の病気に際し、薩摩守から医師派遣を願い、土井利勝が上聞して久志本式部と御内書が下されたこと、御鷹の鶴を拝領したことを喜び、なお病状が治らないため寒中の養生を勧めた書状。
後編5-No.972 堀田正盛書状
御鷹の鶴を拝領した礼として使者を差し越した旨を承知し、音信として白砂糖五十斤入り二桶を贈られたことに、遠路からの厚意として謝意を表した書状。
後編5-No.973 島津光久書状
御鷹の鶴拝領の礼使に比志島監物を任命し、首尾よく将軍へ目見えできたことを報告する。家久の疲労が増したと聞いて案じ、久志本の治療と薬の効験による快気を願って願文を進上し、結願後に御札を送ると述べ、拝領した見事な腰物にも謝した書状。
後編5-No.974 細谷田某覚書
加藤主計頭が水俣へ侵入し出水を攻めた際、惟新の命で本田六右衛門尉を通じ水俣城へ忍び入り土を持ち帰った功績を述べる。加藤退陣時には知行百石の約束があったが実現せず、案内役二名には褒美が出たため、過去の経緯を示して新納加賀守へ給付を願った覚書。
後編5-No.975 島津家久書状
歳暮の祝儀を伝えるため税所但馬守を派遣し、国元の無事を喜ぶ。自身の病状はなお変わらないが、久志本式部少輔の薬を服用して養生し、次第に薬が合うように感じると報告する。古銅の花入・巻物一端と、内儀へ緋紗綾・白縮緬各一端を贈った書状。
後編5-No.976 細川忠利書状
家久の病状を案じつつ、紀伊国大納言の三男・修理大夫の死去に際する使者や飛脚の出し方を相談された件に答える。軽い使者を宿老中まで遣わすのがよく、自身は香典を出さないと述べ、国中巡行のため返報が遅れたことを詫びた書状。
後編5-No.977 相良長毎書状
大隅守家久が在国しているのに長く音信を欠いたため、見舞いとして喜平次を遣わし、光久に万端の取り成しを願う。追伸で砂糖一貫目入り二桶を贈った書状。
後編5-No.978 島津家久書状
前日に渡し忘れた茶を改めて送り、特別な品ではないがまず見てもらいたいと伝える。また、相良方に昔の花があれば譲ってほしいと頼み、返礼の花入にも謝意を示した書状。
後編5-No.979 新納忠清・山田有栄連署覚書
川内新田村内の九斗五升余の土地について、江川久右衛門尉の居屋敷との関係から別の高の内へ給付され、二重に籠成となって寛永十二年以来不足しているため、今回支配するよう求めた覚書。
後編5-No.980 土井利勝外三名連署奉書
将軍が家久の病状を心配し、寒中の保養を命じたことを伝える。薩摩守から久志本式部をしばらく留めたいとの願いが上聞され、引き続き滞留して療養に当たるよう命じられた旨を知らせた老中連署奉書。
後編5-No.981 島津家久書状
年暮れの挨拶として小袖や薫物を贈り、遠来の使者への満足を述べる。病状が少し改善している時に医師や薬を替えるのはかえって不都合として、久志本式部の治療を続けられるよう配慮を求めた書状。
後編5-No.982 久志本常尹書状
家久の脈と病状は一時よく見えたが二十四日から再び滞り、約五十日投薬しても快気に至らないと報告する。自身の薬をいったん止め、正月四、五日頃に帰府したいとし、家久の心証を損なわないよう取り成しを頼んだ書状。
後編5-No.983 上薩州鹿児島衆中屋敷御検地帳
上薩州に属する鹿児島衆中の屋敷について、屋敷の種別・反畝歩数と名請人を順次記録した検地帳。寛永十三年九月二十日に田尻嘉兵衛と岩元清左衛門が検地担当として署名する。
後編5-No.984 薩州御城内鹿児島衆中屋敷御検地帳
薩州御城内の鹿児島衆中屋敷を対象に、各屋敷の種別・反畝歩数と名請人を列記した検地帳。田尻嘉兵衛と岩元清左衛門が寛永十三年九月二十日付で作成した。
後編5-No.985 下薩州鹿児島衆中屋敷御検地帳
下薩州に属する鹿児島衆中の屋敷を対象に、屋敷の種別・反畝歩数と名請人を多数列記した大部の検地帳。寛永十三年九月二十日付で、田尻嘉兵衛と岩元清左衛門が検地担当として署名する。
後編5-No.986 西薩州鹿児島衆中屋敷御検地帳
西薩州に属する鹿児島衆中の屋敷を対象に、屋敷の種別・反畝歩数と名請人を列記した検地帳。寛永十三年九月二十日付で、田尻嘉兵衛と岩元清左衛門が検地担当として署名する。
後編5-No.987 北郷久加譜
家久の病気に対して将軍家光が久志本式部少輔を薩摩へ遣わして治療させたため、北郷久加が謝恩使として江戸へ赴いたことを記す。玉城で趣旨を述べ、帷子三・羽織一を賜って帰国し、祭主与左衛門重政が随行した。
後編5-No.988 島津家久書状
将軍が家久の病状を心配し、久志本式部を薩摩に留めて引き続き療養させる奉書が届いたことに深く感謝する。大坂の阿部備中守や土井大炊頭への礼を依頼し、病状は少し改善して薬も次第に合っていると報告した書状。
後編5-No.989 土井利勝書状
家久が近頃いよいよ快気しているとの報に喜び、将軍も大いに心配していたため一層機嫌よく受け止めていると伝える。当地に変わりはなく、さらに吉報を待つと述べた見舞返書。
後編5-No.990 戸田氏経書状
遠路からの書状と二種の贈答に謝意を表し、家久の病気を心配する。詳しい返答は使者の口上に託した旨を述べた簡潔な書状。
後編5-No.991 児玉利昌譜
寛永十四年の家久の療養経過を記す。久志本式部少輔が江戸へ帰った後、将軍家から外科の祐慶法印が遣わされ、伊東仁右衛門祐昌らが受け入れに当たり、児玉利昌や東郷重位らが昼夜近侍して治療を支えた。
後編5-No.992 島津光久書状
飛脚の報告で家久の気色がよく、脈も平常に戻り、現在は疲労だけが残ると知って喜ぶ。今後ますます本復するだろうとして回復を祝った書状。
後編5-No.993 松平定綱書状
新年の祝意を述べ、将軍が機嫌よく過ごしていることを伝える。家久が前年暮れに久志本式部の薬を服した後、当月十三日から玄治法印の薬へ替えたと聞き、吉報を待つと述べた書状。
後編5-No.994 島津家久書状
しばらく音信を欠いたため一筆を送り、少し心地がよいと伝える。今年初めて咲き分けた梅の花を見たので一枝を手折って贈り、近く訪ねてほしいと述べた仮名書状。
後編5-No.995 島津家久書状
近況を知らせるため、八幡の馬が元気か、猪狩りが行われたかを尋ねる。自身の体調や季節の移り変わり、周辺で見聞する鳥獣等にも触れた口語的な仮名書状。
後編5-No.996 庄内高城東霧島六所権現棟札
庄内高城の東霧島六所権現宝殿一宇を造立した棟札。大檀主を島津家久・光久とし、地頭三原次郎左衛門重貞、奉行伊集院備前守久望、坐主性秀法印、大工武元兵右衛門尉清方を記す。
後編5-No.997 川上久国外二名連署書状
葛西宗兵衛尉を使者として受領した書状への返答。久志本式部の帰路・滞留や家久の療養、諸役・知行・人事上の扱いなどを詳しく協議し、国元の三名へ連署して指示・報告した書状。
後編5-No.998 伊地知重順書状
当年の飢饉により米十三石を借り受け、秋に銀子または米で上納すると申し出た書状。新納加賀守と町田勘解由次官に、しかるべく披露するよう願う。
後編5-No.999 島津光久書状
歳暮使者の税所但馬守が国元へ到着し、巻物を賜ったことに謝意を表す。家久の病状がまだ十分でないため、久志本式部の薬を絶やさず用いれば快気するだろうと案じ、別件の沙汰についても述べた書状。
後編5-No.1000 伊勢貞昌書状
家久の病中に口頭だけでは伝達漏れが生じるとして、条書への回答を詳細に書き付けた書状。北郷・比志島・薩州関係者の知行や役付、加治木、縁組、家久・光久周辺の人事処置など、多数の案件について見解を述べる。