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後編5の目録
旧記雑録 寛永3年~寛永15年の文書・記事です。
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後編5-No.201 鹿児島亭歌会次第
鹿児島亭で催された歌会の次第。『松有春色』『早春鶯』『朝霞』『里梅』『春月幽』『遥尋花』などの兼題・当座題を掲げ、五常楽・火王楽などの楽、拍子・笙・笛・箏・琵琶、関寺小町の小謡に携わる者と、歌会・楽の参加者名を列挙する。
後編5-No.202 喜入忠続譜
大野久武・高崎能乗・平田純正の三名が島津家久の使節として、比志島宮内少輔の処分など数条の命令を携えて江戸から帰着したことを記す。政務停止や宝福寺への移動を命じ、国分民部左衛門尉が正月八日付書簡を持参して領内処置を伝えた。
後編5-No.203 島津家久書状
島津家久が喜入忠続・川上久国に、比志島宮内少輔の曲事は深刻で、今後国のためにならないとして処分を徹底するよう命じる。先に派遣した三人への指示どおり、情実を交えず相談し、詳しくは国分民部左衛門尉から聞くよう伝える。
後編5-No.204 喜入忠続譜
寛永六年春、徳川家光が痘疹を患ったため、その安否を確かめる使節として喜入忠続が江戸へ参候したことを記す譜記事。
後編5-No.205 島津家久譜
島津家久が同年正月、礼を欠かさないため徳川秀忠へ奈良酒二荷と別の一品、徳川家光へ硫黄など二品を献上し、それぞれ御内書を賜ったことを記す譜記事。
後編5-No.206 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が、島津家久から奈良酒二荷と一種が届いたことを喜び、遠路からの心遣いに謝意を示し、詳しくは土井大炊頭利勝から伝えるとする御内書。
後編5-No.207 徳川家光御内書
徳川家光が、島津家久から領国産の硫黄と二種の品が目録を添えて届いたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭忠世から伝えるとする御内書。
後編5-No.208 島津家久公帖
島津家久が、日向国大慈寺の住職職について先例どおり執務するよう命じた判物。阿久根蓮華寺文書として伝わる。
後編5-No.209 島津家久書状
島津家久が中山王に、前年九月に江戸へ出立し十月下旬に帰国したこと、江戸での首尾が良かったことを報告する。六月十四日付の書状を披見した旨を述べ、琉球側からの贈物・使節に謝意を示して今後の交流を伝える。
後編5-No.210 島津家久書状
島津家久が中山王に、前年春の祝儀使と贈物への礼を述べ、年金武王子・江薫之方らに関する知らせを受け取ったことを伝える。今後も双方の誠意ある往来を望み、細部は下野守へ申し含めたとする書状。
後編5-No.211 島津家久譜
徳川家光が同月二十五・二十六日頃に不快となり、在府諸侯が登城して機嫌を伺ったこと、月末には快方に向かったことを記す。島津忠元も登城し、歳暮・年始の使者や礼使の出し方について新たな申し渡しを受けた。
後編5-No.212 某覚書
徳川家光の病状と登城・見舞いの扱い、年始・歳暮使者、献上品、在府家臣への指示をまとめた覚書。将軍への拝謁、使節の帰国、鷹・茶道具・植木などの献上と受取、国元への連絡を条項ごとに記す。
後編5-No.213 某覚書
将軍御成に備え、座敷飾りの三つ具足・花瓶・燈台、征矢・箙・弓、正阿弥に仕立てさせる白太刀などの調達・進上を指示する。さらに羅漢松・木斛・八ツ手を船で運ばせ、寸法、植付け用桶の排水・灌水、温風除け、植木奉行三人の配置まで定めた覚書。
後編5-No.214 牧野正成書状
牧野正成が、徳川家光が疱瘡を患ったものの容体は良好であると報告する。又三郎が見舞いの使者として来たことに触れ、今後の登城・見舞いは控えてよい旨などを伝える書状。
後編5-No.215 土井利勝書状
土井利勝が、先刻の使者来訪を受け、徳川家光の疱瘡は経過が良く心配無用であると伝える。献上された蘇鉄を家光が気に入り、自ら見て植えさせたことも報告する書状。
後編5-No.216 島津家久譜
閏二月三日、稲葉正勝・内藤忠重・酒井忠勝・酒井忠世の連署書状が島津家久に届く。将軍徳川家光の疱瘡は快方に向かい、見舞いのため江戸へ参勤する必要はないとの幕命を伝えたことを記す譜記事。
後編5-No.217 酒井忠世外三名連署書状
徳川家光の疱瘡は容体が一段と良く、見舞いのため参勤する者が出ることを案じて登府は堅く無用と命じた旨を、幕府年寄四名が島津家久へ知らせる連署書状。
後編5-No.218 永井白元書状
永井白元が、将軍徳川家光は機嫌がよく疱瘡の経過も良好で、食事や粥を取れるまで回復し、大御所徳川秀忠も大いに喜んでいると島津下野へ速報した書状。
後編5-No.219 島津家久譜
島津家久が北郷又次郎を使者とし、嫡子又三郎忠元に脇差一柄・肩衣・袴二具などを与えた。忠元が自筆書状を差し出して拝領の謝意を表したことを記す譜記事。
後編5-No.220 島津忠元光久書状
又三郎忠元が、年頭使として北郷又次郎が遣わされたことを喜び、脇差・肩衣・袴二具・扇一箱を拝領した礼を父島津家久へ述べ、詳細は又次郎に申し含めたとする書状。
後編5-No.221 土井利勝書状
土井利勝が、徳川家光の疱瘡は機嫌がよく、早くも痘が現れているので心配無用と島津家久へ伝える。詳しくは酒井忠世ら四名から知らせるとして、将軍快復の見通しを報じた書状。
後編5-No.222 島津忠興書状
島津忠興が、将軍徳川家光の疱瘡に際する幕府の内意と諸大名の動向を報告する。紀州・尾州両家の見舞い登府を帰国させたこと、在国大名の登城や供衆を抑える方針、快復後の祝儀や使者の扱いなどを条項ごとに伝える書状。
後編5-No.223 伊勢貞昌覚書
伊勢貞昌が、徳川家光の疱瘡が快方に向かり十五日に湯を使ったこと、徳川秀忠も満足していることを報じる。諸大名の祝儀登城や見舞い登府を抑え、すでに出立した者にも帰国を促す幕府の方針を伝える書状。
後編5-No.224 相良頼寛書状
相良頼寛が、将軍徳川家光の疱瘡を知らせる書状への礼を述べ、左兵衛佐からも二月六日付の飛脚が着き、痘が顔に現れて平癒したと聞いたことを報告する。天下の大慶として相手の喜悦を祝う書状。
後編5-No.225 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が、当地の普請に用いる角石が目録どおり到来したことを喜び、詳しくは土井大炊頭利勝から伝えると島津家久へ知らせた御内書。
後編5-No.226 島津家久書状
島津家久が、又三郎忠元の縁組を祝う使札が遠路から届いたことを喜び、懇切な配慮に謝意を表す。詳しくは下野守から伝えると喜入摂津守へ知らせた書状。
後編5-No.227 土井利勝書状
土井利勝が、江戸普請のため島津家久から角石百本が目録どおり進上され、披露したところ遠路からの丹念な手配を賞されたと報告する。御内書が遣わされ、詳細は伊勢兵部少輔から伝えるとする書状。
後編5-No.228 土井利勝請取状
土井利勝が、江戸普請用として進上された角石百本を受け取り、石の寸法と江戸で荷揚げされたことを記した請取状。
後編5-No.229 久永某外五名連署請取状
久永源兵衛ら六名が、進上された大小の角石合計百本を確かに受け取ったことを連署して証明した請取状。
後編5-No.230 島津家久譜
島津家久が鎌田監物政貞を専使として数品の献上物を徳川秀忠へ贈った。秀忠が政貞を御前に召して謁見を許したことを記し、経緯は土井利勝の返書に見えるとする譜記事。
後編5-No.231 土井利勝書状
土井利勝が、徳川秀忠への見舞い使者と巻物・繻子・塩辛・焙烙などの献上品が披露され、遠路からの配慮を秀忠が喜んだと報告する。使者鎌田政貞が御前へ召し出され、前年献上の焙烙も出来が良かったと伝える書状。
後編5-No.232 島津家久書状
島津家久が、上洛後は天候が続いて順調に到着しただろうと述べ、美作守が突然病気になり、医師理心の薬で養生していると報告する。家久も二度見舞い、脈は良いので回復を期待し、追って経過を知らせるとする書状。
後編5-No.233 島津家久書状
島津家久が、中山王から年頭の祝儀使と目録を添えた祝物が届いたことに礼を述べ、こちらからも使者を送ったと伝える。以前に薫之方から伝えられた調合法で作った香と香合を受け取り、実際に焚いて出来を賞した書状。
後編5-No.234 島津家久公帖
島津家久が玄碩西堂に、大隅国正興寺の住持職を先例どおり執務するよう命じた公帖。
後編5-No.235 島津家久公帖
島津家久が玄碩西堂に、建長寺の住持職を先例どおり執務するよう命じた公帖。
後編5-No.236 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が、端午の祝儀として島津家久から帷子・単物数十が届いたことを喜び、詳しくは土井大炊頭利勝から伝えるとする御内書。
後編5-No.237 徳川家光御内書
徳川家光が、端午の佳儀として島津家久から帷子・単物数十を贈られたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭忠世から伝えるとする御内書。
後編5-No.238 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が、屋敷へ忍び込んで捕らえられた者について、豊臣秀頼の生存など信じ難い供述をしているため、土井利勝へ引き渡して再度尋問するよう助言する。道中の自害・逃亡を防ぎ、乗物または船で厳重に拘束し十分な人数を添えて移送するよう具体的に指示した書状。
後編5-No.239 島津光久譜
島津光久の男子のうち貞昭と久尚について、生母・養家・出生年月日・没年・法号などを系譜形式で記す。貞昭は伊勢貞昌の養嗣となり寛文三年に江戸で没し、久尚は正保三年に十八歳で早世したとする譜記事。
後編5-No.240 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が、前朝に男子が誕生したことを急使で報じ、千秋万歳の慶事として祝う。三日中に友野左近を出立させて詳細を伝えること、弓の儀を町田駿河守が勤めること、兄弟も息災であることを知らせた書状。
後編5-No.241 島津家久書状
島津家久が返事には及ばないと述べ、ただ今『かんせい』を見舞ったところ、なお心配な状態であるが以前ほど悪くはないこと、福寿も見舞ったことを仮名書きで伝える短い書状。
後編5-No.242 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が、当地の普請用として島津家久から角石が目録どおり届いたことを喜び、詳しくは土井大炊頭利勝から伝えるとする御内書。
後編5-No.243 某覚書
人を斬った者が出た場合、近隣の屋敷衆が追跡して留め、刀・脇指を取り上げて事情を尋ね、奉行所へ届けることを定めた覚書。武器を渡さず抵抗する者は討ち取ってもよく、屋敷前の事件を知らなかった番人は油断とみなすとする。
後編5-No.244 島津家久書状
島津家久が、先ほどの消息への返事をしなかったため気掛かりだったと詫び、事情をよく理解してほしいと伝える。下野守に関する件が長く安定するよう願い、詳しくは面談時に話すとする仮名書きの書状。
後編5-No.245 懐旧連歌
寛永六年六月二十二日、島津家久らが催した懐旧連歌。涼しさ、露、月、雪、松、旅、別れ、無常、四季の景物などを詠み継ぎ、各句に作者名を付して長い連歌一巻を構成する。
後編5-No.246 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が、島津家久の使者の口上を聞き、虎皮二枚と琉球酒二壺が届いたことを喜び、詳しくは土井大炊頭利勝から伝えるとする御内書。
後編5-No.247 徳川家光御内書
徳川家光が、遠路から使者とともに虎皮二枚・琉球酒二壺を贈られたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭忠世から伝えるとする御内書。
後編5-No.248 三原重長譜
三原重長が学問と連歌を好み、島津家の知遇を得て親昵の臣となり、島津久元・喜入忠政・伊勢貞昌ら家老や重位らとともに機密の政務にも参与したことを古文書に基づいて記す譜記事。
後編5-No.249 島津久元外二名連署起請文
島津久元・喜入忠政・伊勢貞昌の三名が、私心なく奉公して国政に尽くすこと、家中の諸子の派閥に加わらず惣領を守ること、兄弟間を讒言で離反させないこと、偏頗を避け、三人の間の疑念は熟談して解くことを神仏に誓った連署起請文。
後編5-No.250 島津家久書状
島津家久が、昨夜の消息の事情を理解したと返答し、下野守に関することは江戸でも伊勢兵部らと内々に相談すると伝える。人の心中は率直な対話で落ち着くとして、三人が相談し合うべきだと仮名書きで述べた書状。
後編5-No.251 島津久元・喜入忠政連署曳付
島津久元と喜入忠政が、平田盛右衛門尉純正は地下役などで格別に奉公したため新地を宛行うので、異議なく支配させるよう御支配奉行衆へ命じた連署曳付。
後編5-No.252 平田純正譜
平田盛右衛門純正の出生・母方を記し、若年から島津家久に昼夜勤仕した功により、寛永六年八月十五日に新恩地を拝領し、後年さらに五十石の加増を受けたことを記す譜記事。
後編5-No.253 酒井忠勝書状
酒井忠勝が、琉球の鷹に関する照会への返答とともに、唐の白鷹一番・琉球の蜜漬一壺が進上され、松平伊豆守信綱が披露したと報告する。家光が献上を喜び、鷹が当年も子を育てたことも伝えた書状。
後編5-No.254 樺山久高覚書
樺山美濃久道が、過去の合戦・境目警固での働き、帖佐春毛村などの所領処置、敷根氏らへの返地・配分、加増・替地・兵粮扶持・役料等の経緯を列挙し、未決の扱いを明確に裁定するよう求めた長文覚書。自身が老齢で後に尋ねられる者がいなくなるため、今回の機会に返答を得たいと述べる。本文署名は寛永八年八月二十四日、樺…
後編5-No.255 島津家久書状
島津家久が、将軍御成のため琉球の楽人衆が江戸へ来る件について、王の尽力で時節どおり到着したことを喜び、三司官へ謝意を伝えるよう求める。前年の若鷹輸送の労をねぎらい、来年の渡海と再会にも触れた書状。
後編5-No.256 伊勢貞昌書状
将軍御成に備える江戸屋敷の作事について、広間・書院・門・年寄衆座敷・料理之間・舞台・楽屋などの完成予定、御成道具や贈答品、職人・役人の手配、座敷割や参勤時期を詳しく報告し、関係者との内談を求める書状。
後編5-No.257 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が重陽の祝儀として小袖五領を贈られたことを喜び、詳しくは酒井阿波守が述べると伝えた御内書。
後編5-No.258 徳川家光御内書
徳川家光が重陽の祝儀として小袖五領を贈られたことへの欣悦を示し、詳しくは酒井讃岐守が述べるとした御内書。
後編5-No.259 某覚書
将軍以下への進上物と御成用の道具を列挙し、太刀・鎧・弓征矢・馬・黄金・巻物・白糸・小袖・猩々皮などの数量と配分、献上の段取り、京都での鋳造や職人への製作依頼、納入方法を記した覚書。
後編5-No.260 樺山久高申状
樺山久高が、かつて差し出して蔵入となった所領や、その後の上地・返地・加増・移封の経緯を述べ、他家と同様の旧領返還を求めた申状。出水への召移し、二百石・八百石の加増、鹿児島への移住なども説明する。
後編5-No.261 永井白元書状
永井白元が、公方の機嫌と尾張大納言の登城・御成の様子、数寄屋で供をした諸大名、代替わりの祝儀、翌月に予定される水戸殿の御成などを島津下野守へ報じた書状。
後編5-No.262 島津久元譜
寛永六年、薩摩・大隅・日向三州の諸士の給地を全面的に改め、新たな知行目録を与えたことを記す島津久元譜の記事。続く知行目録の導入記事。
後編5-No.263 喜入忠続・伊勢貞昌連署知行目録
分国内の総知行改めに伴い、薩摩・日向各地の村ごとの石高を列挙して島津久元へ配分した知行目録。総高一万二千三百五十六石余のうち二千石を役分として付け、役を離れた時は返上すべき旨を定める。
後編5-No.264 たわら屋市左衛門調道具注文
御数寄屋の道具を中心に、手水用具、勝手道具、炭、香炉、花瓶、袋物、裁縫材料、団扇、風炉、屏風、卓、肩衣などの品名・数量・仕様と、職人への製作依頼を列記した注文。
後編5-No.265 川崎祐賢外二名連署書状
薩摩守領と有馬殿領との境界争いについて、相手方からの書状を受け、双方の使者が行き違って十分な面談ができなかった経緯を説明し、今後詳細を聞き取って上申すると伝えた三名連署書状。
後編5-No.266 伊東祐慶書状
伊東祐慶が、綾表における薩摩守領と有馬殿領の境界について書状を受けたことを述べ、秋月方ら二人を派遣して境の様子を見分させ、協議の上で処置する旨を報じた書状。
後編5-No.267 伊東祐慶書状
薩摩守領と有馬殿領の境界争いをめぐり、秋月方らの使者派遣、相手方からの使者への対応、内々の相談と今後の処置について返答した伊東祐慶の書状。
後編5-No.268 伊勢貞昌書状
伊集院長衛門の出立と大炊頭からの書状、関係者の聞き取りや証人の召し出し、当年の国許での越年と礼状の返書などについて、経緯と今後の対応を報じた書状。
後編5-No.269 島津久茂譜
島津久茂の出生、元和二年の元服(島津家久が加冠、伊勢貞昌が理髪役)を記し、寛永六年十一月十二日に始羅郡蒲生の北村を賜って北田を家号とし、後に村号を改めて島津姓へ復した経歴を記す譜記事。
後編5-No.270 某覚書(伊勢貞昌カ)
将軍御成に用いる諸道具について、太刀・鎧・弓征矢・掛物・花瓶・石鉢・風鈴・琉球品などの調達・製作・進上、職人や商人への指示、道中の宿・路地、贈答先と数量を詳しく定めた覚書。
後編5-No.271 某覚書
分国中の諸士知行について、知行高別の人数と負担、知行の過不足・引入れ、年々の出銀、江戸・京都・琉球の留守や使者、家中支配と公儀負担などを検討した財政・知行関係の覚書。
後編5-No.272 吉祥寺松岳覚書
吉祥寺松岳が、島津義弘の渡海祈念に伴う法華一万部読誦の成就、寺領三十石の寄進と寺社領改め後の扱いを述べ、後継者のため知行の継続を願った覚書。
後編5-No.273 伊勢貞昌書状
将軍御成の進上用腰物について、新納右衛門佐らによる選定、相国・将軍・雅楽頭・大炊頭向けの品、箱・巻物・道具の調達と運送、道中の宿や路地の手配を報告した書状。
後編5-No.274 島津氏家臣某条書
帝王の譲位と院御所、京都での諸評判を伝えるとともに、数寄屋で用いる茶碗・薄茶器、掛物、書状の取次、寺沢兵庫頭への縁組など、国許へ報じるべき諸事項を列挙した条書。
後編5-No.275 伊勢貞昌書状
豊後守・川上式部太輔の到着を受け、国許の様子、帰国・暇の扱い、御屋形への伺いと御使の命、関係者間で相談した処置を報じ、詳しくは大炊頭から言上すると伝えた書状。
後編5-No.276 寺沢広高書状
寺沢広高が帰国後の安否を尋ね、こちらの無事を知らせたうえで、翌年の城廻り普請を命じられたこと、東国衆の準備、石舟などの調達、伊勢貞昌らとの相談事項を伝えた書状。
後編5-No.277 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が内密の意見として、家中の対立や人事、伊東氏らへの対応、公儀への配慮、百姓・町人の統治、刑罰と徴収の節度を論じ、国持大名として慎重に分別するよう求めた長文書状。
後編5-No.278 北郷久加譜
北郷久加が鷹府亭に島津家久・姫君と供奉の貴族を招いて饗応し、馬・青銅・時服などを拝領する一方、太刀・馬代・青銅を献じたこと、仁礼頼景が又次郎から佐渡へ改号したことを記す譜記事。
後編5-No.279 島津光久譜
寛永六年十二月十六日、島津光久が家臣伊勢貞豊の娘を江戸の邸館に迎えて配偶としたことを記す譜記事。
後編5-No.280 島津久賀・川上久国連署書状
又三郎(島津光久)の十二月十六日の祝儀が滞りなく行われ、黄門や兵部少輔夫妻から祝物が届けられたことを、島津久賀・川上久国が報じた連署書状。
後編5-No.281 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が薩摩国に留め置かれていた黄鷹の到来を喜び、詳しくは土井大炊頭利勝が述べると伝えた御内書。
後編5-No.282 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が、自身の孫に関する御屋形への進上・祝儀の経緯、豊州・川上式部太輔や土井利勝らとの相談、寺沢広高・相良・伊東各氏への取次、太刀・脇差等の祝物について報じた書状。
後編5-No.283 土井利勝書状
土井利勝が歳暮の祝儀として小袖五領を贈られたことに謝意を表し、遠路からの心遣いをありがたく思うと伝えた書状。
後編5-No.284 島津家久譜
寛永七年正月三日、島津家久が参勤のため鹿児島を出発して江戸へ向かい、島津久元が従駕したことを記す譜記事。久元以外の供奉者名は伝わらないとする。
後編5-No.285 島津久元譜
島津久元が寛永七年正月に島津家久の参勤に随行して出発し、翌寛永八年七月に帰国したことを記す譜記事。
後編5-No.286 島津家久書状
島津家久が、将軍御成は当世では前例に通じる者が少ない大事であるため、伊勢貞昌が保存する旧記を頼りに準備を整え、年寄として十分に調えるよう求めた書状。
後編5-No.287 島津家久書状
島津家久が仮名書きで、贈物の送付、翌二十一日の東国への出立、道中・江戸での無事と帰国の見通し、健康や薬に関する近況を伊集院忠覚へ伝えた書状。
後編5-No.288 島津家久譜
寛永七年二月二十三日、島津家久が伏見を出発して江戸へ向かったことを記す譜記事。
後編5-No.289 島津家久書状
島津家久が、伊集院忠覚の近況を喜び、自身は二十三日に江戸へ向けて出発すると知らせ、こちらに変わりはなく、越後守らにも伝えるよう仮名書きで命じた書状。
後編5-No.290 島津久元・喜入忠続連署書状
伊集院家の名字・家督について、松千代を定めた経緯、本人の名乗り、親族・関係者の同意と披露の手順を説明し、異論がないよう内談を求めた島津久元・喜入忠続の連署書状。
後編5-No.291 伊集院氏系図抄
伊集院氏の系譜から、遠江守久族、初久、松千代丸、十右衛門久朝らの出自・生没年・養子関係を抄出し、島津家久の子が伊集院家や鎌田家の後嗣となった経緯を記す系図抄。
後編5-No.292 島津家久譜
寛永七年三月九日に島津家久が江戸へ到着し、同月十八日に徳川家光へ拝謁して恒例の献上品を進め、家老島津久元も拝謁・献上したことを記す譜記事。
後編5-No.293 島津家久書状
島津家久が、又三郎(島津光久)の縁組祝儀として遠路から使札を受けたことを喜び、詳細は下野守が伝えると返答した書状。
後編5-No.294 島津久元二名連署達書
前年の蔵米の大坂未着分への対応、当年以後の法度、仕上米・積荷の二重検査、船頭・請人、役人の証文、蔵入地・荒地、盗難、茶の納直などを定めた連署達書。
後編5-No.295 土井利勝外三名連署書状
土井利勝ら四名が、翌日に西丸で催される御能を見物するよう上意があったため、早々に登城するよう島津家久へ通知した連署書状。
後編5-No.296 島津忠興書状
江戸から三月十八日に出立した使者が到着したこと、中納言家久が三月九日に江戸へ着き、十八日に首尾よく御目見を済ませたことを知らせる。母からの消息にも触れ、相国から脇差を拝領したことへの祝意を述べた島津忠興の書状。
後編5-No.297 島津家久譜
寛永七年四月十八日、将軍徳川家光が島津家久の江戸桜田邸へ御成した際の次第を記す。出迎え、座次、進物、能・音楽、饗応、退出時の拝領物、翌日の御礼までを詳述する。
後編5-No.298 御成之記録抜書
寛永七年四月十八日の将軍御成について、数寄屋露地口からの入御、相伴衆、床飾り、茶道具、花入、水指など、茶席と室内の設えを抜書した記録。
後編5-No.299 島津光久譜
寛永七年四月十八日、徳川家光が家久の桜田邸へ御成した際、光久が信国の太刀・馬・袷二十・白銀二百葉を拝領し、忠元らも進献・拝領したことを記す。
後編5-No.300 島津久元譜
寛永七年四月十八日の家光による家久桜田邸御成に際し、久元を含む一族・旧臣十二人が拝謁して太刀などを献じ、返礼の品を拝領したことを記す。