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後編5の目録
旧記雑録 寛永3年~寛永15年の文書・記事です。
全1,340件中 701~800件・8 / 14ページ
後編5-No.701 島津氏掟書抄
小者・中間らの衣服について、絹布着用を禁じ、袖縁・帯・下帯や木綿着類の紋所などを定めた島津氏の服制・衣服法度の抄録。
後編5-No.702 島津家久譜
大口青木村裏の茶を求摩衆が毎年摘んでいたことから、求摩側が当地を自領と主張し、大口側と国境争論になったため、伊勢貞昌が島津久元・川上久国へ書状を送ったことを記す。
後編5-No.703 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が島津久元・川上久国へ、大口青木村裏の茶地をめぐる求摩側との国境争論について双方の主張を示し、上使の裁定までは先例どおりに扱って争いを止めるよう求めた書状。
後編5-No.704 島津家久書状
島津家久が弾正大弼へ、家老役就任の祝儀使者に礼を述べ、諸事を入念に相談して処理するよう求め、暇の見通しと近日の上洛について伝えた書状。
後編5-No.705 島津家久袖判条書
入来院右衛門尉・伊勢右京亮の退任に伴い、両者の支配地・衆中・給付・役務・役人交替などを調査・整理し、家老衆の談合で処置するよう条項ごとに命じた島津家久袖判条書。
後編5-No.706 伊地知重康書状
伊地知重康が、喜入久右衛門尉の上洛で国元の様子を知ったこと、七島との替地として久志地頭を任じる件を伝え、久志役人を召して協議し処置するよう求めた書状。
後編5-No.707 新納忠清外二名連署覚書
正八幡の神領総高のうち三分一を中途で配当し、社家中の持高十石までを算用に応じて配分し、小高の者は所中で配分することなど、神領の上地・返地と知行配当を定めた連署覚書。
後編5-No.708 八文字屋閑史書状
八文字屋閑史が児玉筑後守へ、急な下向で京都・大坂で会えなかったことを惜しみ、江戸屋敷の安否と下国の労をねぎらい、黄門の京都滞留時に上洛して面会したいと伝えた書状。
後編5-No.709 島津家久譜
寛永十一年五月四日、江戸在府中の伊勢貞昌が国元の島津久慶・久元・川上久国へ、琉球国高の員数が将軍家光の上聞に達した経緯を詳しく記した書状を送ったことを記す。
後編5-No.710 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が国元家老衆へ、琉球の石高・検地・朱印状をめぐる幕府要人との折衝、琉球へ派遣する検地役、国境・知行帳、家久の帰国・上洛などの経緯と今後の処置を詳報した書状。
後編5-No.711 島津久慶・島津久元連署宛行状
島津久慶・久元が、諸所の合戦での戦功と政務参与の功労を賞し、太守家久の命により薩摩国伊佐郡黒木村を食邑として島津豊後守久賀へ与えた連署宛行状。
後編5-No.712 島津家久譜
五月五日朝、徳川家光が阿部豊後守忠秋を家久の桜田邸へ遣わし、暇を告げるとともに白銀千枚と袷・単衣計百領を与え、家久が登城して謝礼したことを記す。
後編5-No.713 喜入久供・三原重鏡連署書状
喜入久供・三原重鏡が国元家老衆へ、阿部豊後守が上使として家久に暇を伝え、白銀千枚と袷・単衣百領を下賜したことを報告し、近日の上京予定を知らせた連署書状。
後編5-No.714 島津家久譜
琉球在番奉行町田久則が高崎伊豆守へ、勝連島に置かれた平田増宗の二子について上命に従う配置・処置を、前月二日に琉球三司官と協議したことを知らせた記事。
後編5-No.715 町田久則書状
町田久則が高崎伊豆守へ、勝連島に置かれた平田太郎左衛門の出家した子を四月十二日に成敗したことを報告し、付き人一人・小者一人と押収道具の処置について指示を求めた書状。
後編5-No.716 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が、琉球から唐へ銀子を送る初めての任務で尽力した川上又左衛門尉の働きを賞し、今後の奉公や子の召し仕え、知行百石の加増と奉公米の扱いについて談合・通達を求めた書状。
後編5-No.717 島津家久写経
島津家久が寛永十一年五月十三日に『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)を書写した本文と奥書。
後編5-No.718 島津家久譜
北郷忠亮の死後、島津家久が三男久直を忠亮の姉に配して後嗣としたこと、家久が暇を得て江戸から上洛する際の動向や久元の召し寄せを記す。
後編5-No.719 島津久慶外二名連署条書
奥方関係の知行配当、福昌寺・南林寺・正八幡など寺社領の扱い、根占安千代と嶋伊勢鶴の知行・加増等を定めた連署条書。
後編5-No.720 島津久慶外二名連署条書抄
No.719の連署条書を抄出した文書。本文は底本で省略され、No.719参照とされる。
後編5-No.721 島津家久書状
島津家久が、下野守の上洛を機に現地の配当を両人で十分に談合し、永続する支配であるため親疎なく憲法に従って処理するよう命じた書状。
後編5-No.722 酒井忠世・酒井忠勝連署奉書
酒井忠世・忠勝が、唐船への伴天連乗船、日本人の海外渡航と海外在住日本人の帰国を禁じ、外国船の生糸は長崎で値段を決めた後に領内で売買させるよう伝えた奉書。
後編5-No.723 平瀬氏清起請文
平瀬氏清が、島津光久への三世にわたる奉公、召し仕えられた後の入念な勤仕、風聞があれば糺明を受けることを誓い、多数の神仏を勧請して違背しない旨を述べた起請文。
後編5-No.724 伊勢貞知書状
伊勢貞知(友枕斎)が、私宅への来訪と音信・贈物に礼を述べ、公用のため直ちに参上できないこと、依頼された品を選んで差し上げる旨を伝えた書状。
後編5-No.725 島津綱久譜
島津綱久が寛永十一年六月十六日に江戸で誕生したことと母を記し、女子の一人が日向佐土原城主島津右馬頭久雄の室となった系譜記事。
後編5-No.726 伊勢貞知書状
伊勢貞知(友枕斎)が、照高院と新宮への音信を披露したこと、照高院は重い病のため返事できず新宮から返書があったこと、用務を命じられるよう取り成す意向を伝えた書状。
後編5-No.727 島津久元外二名連署達書
伊地知左衛門の弟弥右衛門尉を羽月衆として召し移し、当初の二十石ではなく京都からの指示どおり三十石を支給するよう奉行衆へ達した連署達書。
後編5-No.728 相良頼兄書状
相良頼兄が、家久・忠元らの無事の上京を祝し、将軍の江戸出馬情報や当地で胡麻焼酎を仕置く件を伝え、贈られた球酒(琉球酒)大壺一つに礼を述べた書状。
後編5-No.729 島津家久書状
島津家久が仮名書きで、京都への到着、上様の到着と暇、近く下向する予定、周辺人物の動向などを身近な相手へ伝えた書状。
後編5-No.730 島津家久書状
島津家久が、北郷跡職の件に対する祝儀の使者と太刀一腰・馬代銀三十枚を喜び、伊東二右衛門尉を使者として樽・肴・帷子を贈り、秋の帰国時の再会を期した書状。
後編5-No.731 伊勢貞知書状
伊勢貞知(友枕斎)が、小袖に関する問い合わせと紙の表裏について答え、肌理のよい面を表とし、粗い面に本阿弥らが文字を書くこと、翌日に伺候する旨を伝えた書状。
後編5-No.732 島津家久譜
寛永十一年七月十一日、将軍徳川家光が東海道を経て二条城へ入ったことを記す。
後編5-No.733 島津家久書状
島津家久が仮名書きで、伊勢丸の長患いと種々の療治にも回復がはっきりしないことを案じ、相手の無事、京都の変わりない状況、近く下向する予定を伝えた書状。
後編5-No.734 島津家久書状
島津家久が、体調不良の相手に黒神の湯へ入ることや薬を用いることを勧め、兄弟の無事を喜び、使者にも事情を伝えた仮名書状。
後編5-No.735 島津久慶外二名連署条書抄
No.719の連署条書を抄出した文書。本文は底本で省略され、No.719参照とされる。
後編5-No.736 某譜
入来院重高が桜田邸へ上り、東郷三右衛門を入来へ帰して家老重倍ら三名へ手書を与えたことを記す某譜の記事。
後編5-No.737 入来院重高書状
入来院重高が、支配未決着のため使者を下し、公儀への多額の出銀に伴う領内配当、借銀増加と諸士知行の上地を遅滞なく調えるよう家臣へ命じた書状。
後編5-No.738 島津家久譜
酒井忠勝・土井利勝が将軍家光の七月十八日の参内に際し、島津家久へ衣冠で四足門まで参じ供奉するよう命じ、前日に集合時刻を改めて知らせたことを記す。
後編5-No.739 島津久元譜
島津久元が寛永十一年七月に出発し、寛永十三年六月に帰国したことを記す。
後編5-No.740 土井利勝・酒井忠勝連署書状
土井利勝・酒井忠勝が、将軍家光の七月十八日の参内に際し、島津家久へ従前どおり衣冠で四足門まで参上するよう命じた連署書状。
後編5-No.741 幕府申渡書
幕府が島津家久へ、翌七月十八日の日の出に禁裏の四足門まで参じて将軍の供奉をするよう申し渡した文書。
後編5-No.742 中西秀長書状
中西長門守秀長が児玉筑州へ、七月二十四日の京都出立予定を知らせ、借銀増加に伴う諸士知行の上地・再配当をめぐる自身の処遇について内々の取成しを求めた書状。上伊集院・鹿児島衆への配当、荒地・上地の扱い、北山村三百八十石や残余七百石余の知行、伊敷を宮之浦の御蔵入と交換して伊敷を拙子へ与える案などを挙げ、他…
後編5-No.743 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が、家久の参内や将軍の能・大坂行きを報じ、八千貫余の借銀返済のための知行上地、在江戸家臣の妻子帰国、銀子借上や刀装具の献納、倹約を国元へ徹底するよう求めた書状。
後編5-No.744 長田某外二名連署請取状
焼酎壺二つを確かに受け取り、御蔵へ納め置いたことを記す三名連署の請取状。
後編5-No.745 松平信網外二名連署申渡書
古田兵部少輔の家来が不義により死罪となり、その妻子が在所から欠落したため、諸国を捜索し発見次第捕えて引き渡すよう命じた三名連署の申渡書。
後編5-No.746 幕府触書
幕府が、御領・私領にいる侍身分の浪人について、住所・氏名・以前の奉公先・滞在期間を書き上げるよう命じ、浪人を取り締まる趣旨ではなく、旧主の構いがなければ仕官・定住してよいとした触書。
後編5-No.747 榊原職直・神尾元勝連署書状
榊原職直・神尾元勝が、船頭一人と脇船頭一人を差し越した件について、こちらでの穿鑿は不要なので現地で調査するよう伝え、使者の口上に詳細を含めた連署書状。
後編5-No.748 島津家久譜
琉球国王が代替わりの礼を将軍へ行う予定だったが病気のため、子の佐敷王子と弟の金武按司を派遣し、京都で七月九日に将軍へ拝謁することになった経緯を記す。
後編5-No.749 土井利勝・酒井忠勝連署奉書
土井利勝・酒井忠勝が、病気の琉球国王に代わって来着した子息と国守の弟について家久からの報告を上聞し、京都で将軍への御礼を受ける旨を伝えた奉書。
後編5-No.750 酒井忠勝・土井利勝連署奉書
酒井忠勝・土井利勝が、琉球使節の将軍拝謁を翌日の四時分と定め、将軍が長袴で臨むため心得て登城するよう島津家久へ伝えた奉書。
後編5-No.751 島津家久譜
徳川家光が島津家久に、薩摩・大隅と日向国の諸県郡および琉球国を全て領知する旨の判物を与えたことを記す。判物の書付日を八月四日とする注記がある。
後編5-No.752 永井尚政外二名連署奉書
永井尚政ら三名が、領知朱印の頂戴に伴い、領内各郷村の石高合計を詳しく注記し、完成次第提出するよう命じた連署奉書。
後編5-No.753 島津久元・伊勢貞昌連署書状
島津久元・伊勢貞昌が、薩摩・大隅、日向二郡、琉球の領知判物を得たことを報じ、郷村石高帳の提出に備えて石田三成家臣作成の旧検地帳や以前駿河・江戸へ提出した帳面を照合し、早急に作成するよう命じた書状。
後編5-No.754 島津家久譜
寛永十一年閏七月二十日、島津家久が京都で暇を得て即日出発し、国元へ向かったことを記す。
後編5-No.755 島津久元・伊勢貞昌連署書状
島津久元・伊勢貞昌が、江戸城西丸で七月二十三日に火災があったことを報じ、伊勢兵部少輔の大坂滞在と船便の事情、当日の出立について国元への披露を求めた連署書状。
後編5-No.756 徳川家光判物
徳川家光が島津家久に、薩摩・大隅両国と日向国諸県郡、別紙の琉球国を領知することを認めた判物。本文には薩隅・日向分六十万五千石余、琉球十二万三千七百石と記す。
後編5-No.757 島津家久譜
長崎奉行の通報を受け、鹿児島西田町の吉兵衛宅に潜伏していた入満と吉兵衛父子を捕え長崎へ護送し、水責めで判明した南蛮宗徒六人を摘発した経緯と処罰を記す。
後編5-No.758 榊原職直・神尾元勝連署書状
榊原職直・神尾元勝が、領内に入満がいるとの訴えを受けて役人を派遣し、その申告に従って油断なく穿鑿し、別件の不正があれば役人を留め置いて報告するよう命じた連署書状。
後編5-No.759 切支丹宗徒交名
No.763と同文の切支丹宗徒交名。本文は底本で重複につき省略され、No.763参照とされる。
後編5-No.760 阿多掃部助知行目録写
栗野のうちの知行について、籾九俵一升八合、高にして三石三斗と記した阿多掃部助知行目録の写。
後編5-No.761 島津家久譜
寛永十一年八月中旬、島津家久が国元へ帰還したことと、従駕した家臣に関する記事を記す。
後編5-No.762 島津氏家臣某覚書
西田町に潜伏した入満と家主吉兵衛・子源右衛門の捕縛、水責めによる尋問、長崎への送致、入満が五、六年滞在していたこと、未把握の南蛮宗徒六人が判明したことを記す覚書。
後編5-No.763 切支丹宗徒交名
寛永十一年八月十八日付の切支丹宗徒交名として、草野九郎兵衛ら六名を列記した文書。
後編5-No.764 島津家久譜
榊原職直・神尾元勝が、当年から薩摩領内への異国船着岸を禁止する台命が出たため、その旨を心得るよう島津家久へ報じた記事。
後編5-No.765 榊原職直・神尾元勝連署書状
榊原職直・神尾元勝が、異国船着岸禁止の承知を伝え、薩摩領へ入津した唐船六艘を長崎へ回送する件について、一艘と別の二艘は到着し、残る三艘は未着であると報告した書状。
後編5-No.766 新納忠清外二名連署宛行状
高岡浦名石城山西福寺の免許屋敷について、屋敷五畝八歩、粟・大豆一俵五升(高四斗一升六合)を記し、検地帳に載る屋敷であっても寺役・掃除などを怠らない限り免許地として相守るよう定めた宛行状。
後編5-No.767 山田有栄外二名連署書状
支配下の名寄帳を書き写し、来月十五日までに三冊を添えて差し出すよう命じた書状。一名持切の村は除き、割り合いの名のみを写し、地頭所の知行・衆中分も同様に扱い、遅延しないよう求める。
後編5-No.768 神尾元勝・榊原職直連署書状
『かゝやん』からの唐船二艘が上乗を伴って無事に着岸し、別の唐船一艘も先に入津した一方、残る三艘はまだ到着していないことを知らせ、詳しい当地の様子は使者から伝えるとした書状。
後編5-No.769 神尾元勝・榊原職直連署書状
薩摩から捕らえ送られた入満と、その宿親子を使者付きで受け取った旨を伝える書状。妻子・下人あわせて八人を薩摩で預け置いたことを承知し、吉兵衛の処置が決まり次第あらためて通知するとする。
後編5-No.770 徳川家光御内書
重陽の祝いとして小袖五領が到来したことを徳川家光が喜び、委細は土井利勝から述べると島津家久へ伝えた御内書。
後編5-No.771 北郷久加譜
寛永十一年九月十一日、北郷久加が芝の島津家屋敷地を監督するため江戸へ赴き、それまで勤めていた入来院重国に代わったことを記す系譜記事。
後編5-No.772 島津久慶外二名連署証状
日新寺内常潤院の住持呑泰和尚が買い取った二十三石六斗の知行を常潤院へ付すことを認めた証状。寺家への知行付与は原則禁制だが、日新様の御影を安置する常潤院は別格とし、出物方・公役は諸寺家と同様に負担させる。
後編5-No.773 島津氏条書
人々の間に争論が生じた場合は老人と当事者が評定所で相談して裁決し、評定所以外での処置を禁じるなど、紛争処理の手続きを定めた条書。談合のうえで誓紙を取り、讒言を軽々しく信じて人を滅ぼさないよう戒める。
後編5-No.774 島津久慶外二名連署達書
伊勢兵部少輔の分として千石を上置きしたうち、今度返給となった千石について、淡谷四郎左衛門・児玉筑後守からの下知に従って支配するよう命じた達書。この高の分は上地しないものとする。
後編5-No.775 堀田正盛書状
島津家久から進上された松の材木について、目録を披露したところ首尾よく取り上げられたので安心するようにと、堀田正盛が知らせた書状。
後編5-No.776 島津家久譜
徳川家光が御鷹の鶴を島津家久に賜り、堀田正盛・阿部忠秋・松平信綱・土井利勝の四名が、江戸から薩摩まで宿駅を継いで鶴を護送するための連署行書を発給したことを記す系譜記事。
後編5-No.777 土井利勝外三名連署送状
将軍から島津家久へ下賜された鶴一羽を、江戸から薩摩国まで急ぎ確実に届けるよう、幕府年寄四名が連署して命じた送状。
後編5-No.778 榊原職直・神尾元勝連署書状
薩摩から送られた入満を処刑し、その宿主渡部吉兵衛と子源右衛門を同罪、吉兵衛の妻を火罪とする一方、幼い子供や下女・下人は赦免する旨を伝えた書状。伴天連・入満を泊めた者の五人組には過怠として五十日の籠居を命じる。
後編5-No.779 良恕法親王書状
良恕法親王が島津家久の無事を喜び、前年夏に面談できたことを述懐するとともに、遠路のため音信が滞ったことを詫び、薫物を少量贈った書状。
後編5-No.780 近衛信尋書状
近衛信尋が遠路ゆえ長く音信が途絶えたことを述べ、島津家久の安否を尋ねた書状。京都は平穏であり、近く上洛する折に諸事を対話したいと伝える。
後編5-No.781 有馬直純書状
有馬直純が島津久慶の書状と、太刀一腰・馬代銀三枚の贈答に謝意を表した書状。島津家久が冬中に上洛するとの意向を聞き、自身も都合を整えて上洛したいと述べ、家久への礼の取り次ぎを頼む。
後編5-No.782 島津久慶外二名連署条書
琉球国王・黄門・薩州様・三司官らに対する年頭進物の品目と数量を定め、使者・付衆・老中・琉球奉行等への進物や礼物の基準を示した条書。使節経験者への恒常的な音信や、一部役人への礼物を禁じる。
後編5-No.783 島津久慶外二名連署条書
無許可の他国人渡航・宿貸し、公儀に無披露の投銀を禁じ、唐糸価格と福州での買付、琉球へ下る使者の行動、飯米等の供応、日本人の長期滞在、船頭・水手の現地妻帯、南蛮宗徒の処刑、琉球銀の上納方法などを規制した条書。
後編5-No.784 島津家久譜
寛永十一年十月二十一日、島津家久が中山王へ書状を送り、金武王子・佐敷王子・玉城が支障なく将軍に拝謁したことを喜び、年頭の進物や中山王からの贈答に関する事項を詳しく伝えたことを記す系譜記事。
後編5-No.785 島津家久書状
島津家久が、改年祝儀のため金武王子を派遣し、京都で対面できたことを喜び、中山王からの太平布・練芭蕉布・焼酒等の旧例の進物に謝意を表した書状。返礼として匂袋類・薫物・屏風一双を贈り、委細は家老中から伝えるとする。
後編5-No.786 島津家久書状
島津家久が、前年に唐から勅使が渡来して中山王が冠を頂戴したことを祝い、祝儀のため佐敷王子が渡来したことや贈物への謝意を述べた書状。佐敷・金武両王子と玉城が将軍へ御礼を申し上げたことを喜び、委細は金武王子から伝えるとする。
後編5-No.787 島津家久譜
島津家久が徳川家光へ硫黄と火縄を献上し、土井利勝が披露したところ家光から御内書を賜ったこと、また参勤の時期について先日の連署状で指示されたことを記す系譜記事。
後編5-No.788 土井利勝書状
島津家久から献上された硫黄・火縄を時宜よく披露し、遠路からの念入りな進上を将軍が喜んで御内書を遣わしたと土井利勝が伝えた書状。江戸参勤は先日の連署状どおり心得、委細は下野方から伝えるとする。
後編5-No.789 近衛信尋書状
近衛信尋が八月六日付書状を受け取ったが、使者が直接東国を回ったため返事が遅れたと詫びた書状。在京中にたびたび面会できたことを喜び、翌春に上洛するとの風聞が事実なら京都滞在中に対面したいと伝える。
後編5-No.790 島津久慶外二名連署寄進状
法華嶽寺に従来の門前屋敷十二石とは別に、四十九石七斗三升と深歳村内仏生田之門の十三石二斗七升を合わせた六十三石を、虎寿の祈祷料として寄進し、永代の祈祷精勤を求めた寄進状。
後編5-No.791 島津久慶外二名連署宛行状
加世田小湊の内『中之塩屋』十石について、日新公の証文を根拠とする寺側の訴えを認め、従来の知行三十一石五升と合わせて四十一石五升を宝福寺の領地として安堵した宛行状。
後編5-No.792 島津久慶外二名連署宛行状
No.791と同文として本文が省略された宛行状。日新公の証文に基づき、塩屋十石を従来の知行三十一石五升に加え、合計四十一石五升を寺領として安堵する内容とみられる。
後編5-No.793 島津久慶外二名連署申渡書
妙蓮様の位牌所として建立された遠寿寺が後年破損しないよう、必要な物資を城内から調達して維持することを福屋五郎兵衛へ申し渡した文書。
後編5-No.794 島津家久譜
寛永十一年十一月二十六日、島津家久が北郷式部大輔忠貞へ教訓の条書を送ったことを記す系譜記事。条書の内容は続くNo.795に収録される。
後編5-No.795 島津家久条書
島津家久が北郷忠貞へ、三万石に応じた出陣時の馬二十騎と、諸士から出す馬六十騎を整える一方、定数外の馬の飼置きや飼犬十疋を超える飼育、華美な衣裳や京都物、大酒を禁じ、家臣の疲弊防止、公正な処罰、学問・行儀、領主の模範、北郷家の繁栄と島津家への忠節を求めた教訓条書。
後編5-No.796 島津家久分国惣高一紙目録写
島津家久の分国総高を、薩摩・大隅・日向諸県郡・琉球諸島に分け、田畠高・浦浜役米・目録不足分などを集計した一紙目録の写し。家光の将軍代始めに国絵図とともに領国高を申告し、御朱印高六十万五千八百六十二石余に合わせた経緯を記す。
後編5-No.797 島津家久譜
島津家久が、義久の代から家久の代まで忠節を尽くした家老らの姓名と略伝を記して後世に伝え、不忠者も伝中で明らかにしようとしたことを記す系譜記事。漢武帝が功臣を麒麟閣に描かせた故事になぞらえる。
後編5-No.798 新納忠清・肥後某連署覚書
包丁役に関係する三名の知行について、切米返地として十五石・三十石・二十一石を割り当て、役替わり時の返還を前提としつつ、当時の知行逼迫を理由に二十五石を加えて合計五十石を支配させる旨を記した覚書。
後編5-No.799 島津光久書状
島津光久が、北郷家の相続に伴って北郷忠貞が庄内へ移ったことへの祝儀を整えたとの報を受け、使者と太刀一腰・馬一匹の贈物を喜び、委細は使者の口上で伝えるとした書状。
後編5-No.800 島津家久覚書
島津家久が、少年期の家督継承と朝鮮出兵、義久・義弘の補佐、伊集院忠棟の謀反への対応、家臣の忠不忠、賞罰と家老登用について回顧し、忠功を後世へ伝えるためにまとめた覚書。