← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

後編5の目録

旧記雑録 寛永3年~寛永15年の文書・記事です。

全1,340件中 1101~1200件・12 / 14ページ

  1. 後編5-No.1101 土井利勝外三名連署奉書

    将軍が島津家久の病状を案じ、寒気と長患いのため十分な療養が肝要との意向を示したことを伝える。上使に新庄右近を任命し、御内書と鷹の鶴を届けさせ、詳細は上使の口上によるとした連署奉書。

  2. 後編5-No.1102 土井利勝書状

    将軍が島津家久の病状を案じ、新庄右近を通じて御内書を遣わしたことを知らせる。詳しい内容は上使が説明するため、書状では省略すると伝えた。

  3. 後編5-No.1103 島津光久書状

    将軍から中納言家久への見舞いとして新庄右近が上使として下向することを家臣らへ知らせる。詳細は弾正・伊勢貞昌・鎌田政統から伝えるとし、重大事なので十分に精励し、家久の意向に反しても必要な意見は遠慮なく申し上げるよう命じた。

  4. 後編5-No.1104 北郷久加譜

    寛永十四年十月下旬、島原・天草で切支丹門徒らが蜂起し、松倉・寺沢両家の家老が近国へ援兵を求めた。病床の家久は国中の兵を催し、北郷久加ら諸将に領内兵を率いて国境に待機するよう命じた。翌年、上使の指揮下で残党を討ち、島原城落城後に富岡で松平信綱へ謁見して帰国したと記す。

  5. 後編5-No.1105 酒井忠勝書状

    新庄右近が島津家久への上使に任命され、御内書と鷹の鶴を携えて今朝早く出発し、道中はゆっくり進む予定であることを内々に知らせる。薩摩守にも伝えるよう求め、大坂にある大隅殿の船へ右近を乗せる案を付言した。

  6. 後編5-No.1106 島津家久書状

    病気見舞いの使者を寄越し、鰹一桶を贈られたことに礼を述べる。容体は次第に快方へ向かうものの、咳に伴う痛みが残って難儀しており、引き続き養生するので心配しないよう伝えた。

  7. 後編5-No.1107 児玉利昌書状

    上使の下着と出立、安芸守の御礼上洛を祝し、黄門様(島津家久)の病状を報告する。いったん快方へ向かった腫物が再発して腫れと痛みがあり、医師らは口が開けばよいと見立てていることなどを箇条書きで伝えた。末尾に欠文または難読箇所がある。

  8. 後編5-No.1108 島津家久書状

    本文は「二一九号文書と同文につき省略」とされ、当該箇所には本文が収録されていない。目録・修正版インデックスでは十一月七日付の島津家久書状とされるが、参照先No.219との表題・内容対応は再確認を要する。

  9. 後編5-No.1109 島津家久譜

    寛永十四年十一月下旬、島原・天草で切支丹門徒らが蜂起し、松倉・寺沢両家の家老が近国へ援兵を求めた。病床の家久も国中の兵を催し、板倉重昌・石谷十蔵、のち松平信綱・戸田氏鉄らの指揮下で薩摩勢が天草・有馬へ出兵し、翌年二月の落城まで戦死傷者を出した経過を記す。

  10. 後編5-No.1110 板倉重宗外三名連署書状写

    肥前松倉領で切支丹宗門の者が蜂起し、城下に放火して有馬の城へ四、五千人が籠ったとの報告を伝える。確実な情報が届いていない可能性があるため内々に知らせ、武具・道具を携行しないよう心得を求めた四名連署の回状写。

  11. 後編5-No.1111 島津家久書状写

    有馬で松倉領の百姓が一揆を起こし、天草の寺沢領でも同類が蜂起したとの情報を報告する。国境へ少人数を配置して命令次第で天草へ加勢する準備を整え、使者の帰還を待つ一方、領内の切支丹禁制を厳しくし、一揆勢の流入を防ぐよう命じた書状写。

  12. 後編5-No.1112 讃良貞資譜

    讃良善助貞資の自譜により、寛永十四年の島原一揆に際し、六十六歳の貞資が御使者竹内備前守に同行し、多数の足軽を添えて派遣されたことを記す。老練な人物として事情聴取のため遣わされたとみられる。

  13. 後編5-No.1113 児玉利昌譜

    島原・天草での蜂起を受け、十月二十八日の山田有栄による急報、十一月三日の獅子島方面への命令、七日の三原重庸の出陣願い、十四日の唐津側からの援兵要請、十七日の川上久国・三原重庸らの派遣、十九日の島原到着までを記す。

  14. 後編5-No.1114 三原重庸書状

    島原表の切支丹一揆へ薩摩から兵を出す場合、出水方面から兵を集めるのがよいと述べる。自身はまだ実戦経験がなく、将来人々を指揮するためにも今回の出陣を強く望み、江戸から派兵命令が出た際には自分を加えるよう児玉利昌に取り成しを頼んだ。

  15. 後編5-No.1115 島津久慶外二名連署書状

    島原・天草一揆への幕府方針と周辺諸国の動きを詳報し、薩摩からの派兵命令に備えて人員・船・鉄砲を準備するよう指示する。切支丹の捜索と逃散防止、兵の集結、渡海・国境警備、上使への対応などを定め、関係者が協議して遅滞なく処置するよう求めた連署書状。

  16. 後編5-No.1116 島津家久書状

    しばらく音信していない相手に近況を伝え、松倉領で大規模な一揆が起こり、城内まで焼き払われたと聞いたこと、詳しい事情は追って知らせることを述べた仮名書状。

  17. 後編5-No.1117 伊東祐久書状

    島津弾正が使者として来訪し、書状と巻物一箱を贈られたことに礼を述べる。家久が少し快方に向かったことを喜び、自身は暇を得て領国へ帰るので、在所から改めて挨拶すると伝えた。

  18. 後編5-No.1118 某書状

    「覚」として『家久公御譜中』に収められた島原・天草の戦況記事。島原城から一里ほどの米蔵へ侍十二人・鉄砲二百挺を遣わしたところ、千本村の一揆勢に襲われ、鉄砲頭の高橋弥次右衛門・入江与右衛門・高畠次郎太夫とほか四、五人が討死し、城へ退いたこと、城近辺の村々も焼かれたことを記す。唐津勢は十一月十日に天草本…

  19. 後編5-No.1119 島津家久書状写

    有馬・天草の一揆の動向として、偵察者の帰還、唐津勢の敗北、本戸・富岡周辺の戦況、一揆勢の放火と人数、薩摩側の配置などを報告する。上使の下向や諸国からの加勢について続報がないことも付記した書状写。

  20. 後編5-No.1120 島津家久書状

    久しく会っていない相手へ、体調は少しよくなり、このままなら回復すると思うと知らせる。贈られた品を珍しく見事なものとして喜び、満足したことを仮名で伝えた私信。贈答品名などに難読箇所がある。

  21. 後編5-No.1121 島津家久譜

    島津家久の病気により、医師半井琢庵が薩摩へ来て診療したことを記し、その事情を示す次の奉書を掲げる。

  22. 後編5-No.1122 土井利勝外三名連署書状

    家久が病気見舞いの御内書を受けたことへの礼状を確認し、病中にもかかわらず直判を重ねたことを承知したと伝える。半井琢庵が薩摩へ赴き療養を施すのはもっともで、その報告を将軍へ上聞したとする連署書状。本文の日付は十一月二十二日。

  23. 後編5-No.1123 土井利勝外三名連署書状

    松倉長門守領内の島原で切支丹宗門の百姓が蜂起した件について、家久からの通報を受け取ったことを知らせる。念入りな報告を将軍が喜び、現地処置の方針はすでに書状で伝えたと述べた連署書状。

  24. 後編5-No.1124 島津久慶外二名連署書状

    新庄右近の到着への対応を気遣い、図書頭帰国時の御内書、山田平左衛門の到着、有馬方面の急報と返書の送付、和田・有川両名による伝達、新納勘解由の帰国予定などを知らせる。大坂経由の奉書を速やかに届けるよう命じた連署書状。

  25. 後編5-No.1125 島津久慶外二名連署書状

    細川肥後守が初めて暇を得て帰国するため、薩摩から祝儀の使者を派遣し、鎌田源左衛門または河田内膳を任命するよう指示する。太刀一腰・馬代黄金一枚・小袖十を贈るため、京都で小袖の表裏絹を調達し、仕立てと送付を急ぐよう命じ、祝儀書状の案文も添えた。

  26. 後編5-No.1126 島津光久書状

    細川肥後守が急に暇を得て帰国することを祝い、太刀一腰・馬代黄金一枚・小袖十を贈る。あわせて有馬方面の情勢を尋ね、隣国として新しい情報があれば薩摩側へ知らせてほしいと頼んだ。

  27. 後編5-No.1127 島津氏条書

    毎朝の日の出時の出仕、役人・御用人の詰番、式部太輔へ申上げる際の年寄衆との相談、前代から失われた家臣の事情調査、訴訟の早期処理、武具の整備について定めた条書。

  28. 後編5-No.1128 土井利勝書状

    薩摩から将軍へ蜜柑を献上し、土井利勝にも五百入りの籠を贈ったことへの礼を述べる。遠路かつ病中にもかかわらず心を配ったことを特に感謝した。

  29. 後編5-No.1129 板倉重昌書状

    島原一揆鎮圧の上使として肥前島原領内の神代へ到着したことを知らせる。薩摩勢が天草近くに配置されたと聞き、牧野伝蔵・林丹波守の指図に従って早急に天草へ加勢するよう要請した。

  30. 後編5-No.1130 石谷貞清書状

    肥前島原の切支丹一揆に対し、板倉重昌が現地処置のため到着したことを報告する。天草の寺沢領にも一揆勢がいるため、肥後高瀬の牧野伝蔵・林丹波守へ、必要なら薩摩勢を天草へ派遣するよう板倉と石谷から伝えたと知らせた。

  31. 後編5-No.1131 松平定行書状

    島原・天草の切支丹一揆と薩摩勢派遣の幕命を伝え、速やかな出兵を勧める。松平信綱・戸田氏鉄が現地処置のため江戸を出発したこと、江戸は平穏であることを知らせ、病中の家久を気遣った。

  32. 後編5-No.1132 松平定行覚書

    島原・天草への派兵に際し、上使の命令遵守、切支丹屋敷以外での乱暴・放火禁止、一揆勢の妻子保護、退治後の速やかな報告、兵糧・米・大豆・船の準備、薩摩勢の早期派遣などを定めた軍令的な覚書。

  33. 後編5-No.1133 北郷久直譜

    寛永十四年十一月、切支丹一揆が肥前有馬城に籠り、幕府上使と近国の兵が集まったこと、薩摩から島津下野久元が先勢として出陣したことを記す。北郷久直も兵器を整えて出陣命令を待ち、十二月三日に松平定行から書状を受けた。

  34. 後編5-No.1134 松平定行書状

    島原・天草の切支丹一揆に対して薩摩勢を派遣する幕命が出たと伝え、速やかな出兵を促す。中納言家久が病中のため、島津式部少輔が軍勢を率いると見込み、指揮を慎重に行うよう求めた。

  35. 後編5-No.1135 細川忠興書状

    薩摩が出水領の獅子島へ山田民部少輔と兵を配置したことを妥当とし、その旨を江戸へ報告するよう勧める。家久には療養を優先するよう述べ、幕命以前に敵地へ兵を入れることは禁制なので、近隣配置にとどめ、八代の留守居から情報を得るよう助言した。

  36. 後編5-No.1136 島津家久書状

    牧野傳蔵・林丹波守の書状写を送って天草・島原方面の情勢を伝え、敵方の人数、現地への人員派遣、天草への渡海や加勢などについて対応を問い合わせた。

  37. 後編5-No.1137 島津氏老臣覚書

    「覚」として、幕府が十一月二十六日付の奉書により肥後・薩摩勢へ天草一揆の鎮圧を命じたことを受け、有馬方面で一揆が起きた際の即応、一万人のうち動員できる兵数、川尻に進出した肥後勢との歩調、薩摩勢用の船の準備を問い合わせる。天草平定後の早急な報告、一揆勢の首級を目付衆に見せるため捨てないことも指示する。…

  38. 後編5-No.1138 島津久慶外二名連署書状

    天草方面への出水・大口勢の先行や山田民部少輔の出水出陣を知らせ、遠国衆への差配、兵衛尉らの派遣、今後の指示について報告を求めた。

  39. 後編5-No.1139 伊東祐忠外二名連署書状

    島原・天草両所のキリシタン一揆に際し、領分境目へ詰めている山田民部少輔に対し、必要なら当地から加勢を出すので早く知らせるよう申し入れた。

  40. 後編5-No.1140 土井利勝外三名連署書状

    肥前松倉領と天草でキリシタン宗門の一揆が起きたため、兵庫頭の兵を出し、細川越中守らと人数を合わせて加勢し、上使の指図に従って鎮圧するよう命じた。

  41. 後編5-No.1141 阿部正次外三名連署書状

    近国の一揆に備えて九鬼方の船や馬舟を手配し、関船を豊前小倉へ回すこと、船数を江戸へ報告することなどを指示し、病中の家久へ老臣から伝えるよう求めた。

  42. 後編5-No.1142 土井利勝外三名連署書状

    先の書状を受け、天草一揆への加勢、細川越中守との協議、上使板倉内膳正・石谷十蔵の指図、松平伊豆守らの派遣など、出兵準備と指揮系統を改めて伝えた。

  43. 後編5-No.1143 細川光利書状

    家久の書状を受けて健康を気遣い、天草表の一揆に際して領内川尻を出発し、命じられた持場へ向かうことを報告し、今後の指示を求めた。

  44. 後編5-No.1144 島津久慶外二名連署書状

    家久の年寄衆からの返書と二通の御状を受け、黄門へ進上した書状や幕府側の命令内容を照合し、長島・獅子島への兵配置と天草への即時渡海を協議する。肥後勢が十二月三日に三角瀬戸へ到着し、翌日天草へ押し寄せるとの注進を踏まえ、薩摩勢が遅れないよう準備を急がせた。薩摩から首取千人・鉄炮衆千人・馬乗三騎を天草へ遣…

  45. 後編5-No.1145 島津久慶外二名連署書状

    上使衆の早打に託された先月二十三日付の御状が今月十一日夜に酒井讃岐守から兵部少へ届いたことを述べる。上使は十二日夜半に到着し、翌朝御奥で対面して雑煮の寄合と七五三の振舞を受け、黄門様の胸や手の様子を見た。北郷式部大輔と孫庵が相伴し、上使は引き留められたが十三日夜に出立した。先行して注進した者は海道で…

  46. 後編5-No.1146 寺沢堅高書状

    有馬で旧キリシタンが再び蜂起し、天草でも十か村余の者が立ち帰ったことを報告する。家久が慰問の使者を派遣したことに礼を述べ、当地の処置を厳重に申し付けたと伝えた。

  47. 後編5-No.1147 松平行隆書状

    家久の病気を見舞い、島原・天草への加勢について、山田民部少輔が肥後三角まで赴いたものの、肥後側に十分な人数があるため薩摩の加勢は不要と伝え、江戸の年寄衆にも報告すると述べた。

  48. 後編5-No.1148 阿部正次外三名連署書状

    天草のキリシタン徒党が当地を退去し、船で各地へ逃れる可能性があるため、薩摩領内を厳重に詮議し、見つけた者を捕らえて上使衆へ引き渡すよう命じた。

  49. 後編5-No.1149 牧野成純・林勝正連署書状

    天草表へ細川越中守の人数が出ていること、薩摩勢が国境や獅子島付近まで進出したことを確認し、天草の徒党は島原方面へ逃散して現地に残っていないと報告した。

  50. 後編5-No.1150 牧野成純・林勝正連署書状

    遠路からの書状と道服二着の贈与に礼を述べ、天草の情勢に変化はなく、詳しい事情は三原左衛門佐へ伝達したと報告した。

  51. 後編5-No.1151 板倉重昌書状

    獅子島まで出していた薩摩勢を国境まで引き取るよう牧野・林から伝えたことを了承する。天草にはキリシタンが残らず、細川越中守の人数も一部を残して川尻へ入り、島原の古城に籠る一揆勢を近く攻める予定と報告した。

  52. 後編5-No.1152 馬場利重書状

    書状と道服二着に礼を述べ、島原のキリシタン一揆のため長崎へ来たが異変はなく、島原表を見舞っていると報告する。有馬古城に籠る一揆勢を近日中に攻め、天草にはキリシタンが残っていないと伝えた。

  53. 後編5-No.1153 榊原職直書状

    病中の家久を気遣い、書状と道服二着に礼を述べる。島原一揆のため急ぎ下向したこと、長崎には異変がなく、現地の詳しい様子は三原左衛門佐から報告すると伝えた。

  54. 後編5-No.1154 石谷貞清書状

    獅子島まで出した薩摩勢を国境へ戻すよう牧野傳蔵・林丹波守から伝えた件を了承する。天草には一揆勢が残らず、細川越中守の人数は一部を残して川尻へ入り、島原古城の一揆勢を近く攻めると報告した。

  55. 後編5-No.1155 島津久賀外四名連署書状

    領内にキリシタン宗門はないとする従来の宗門改めを踏まえ、旅人・商人・出家・山伏などの身元と宿泊を厳しく調査し、改宗者や不審者を見つけた場合は拘束・通報するよう命じた条目。

  56. 後編5-No.1156 秋月種春書状

    江戸は平穏であると伝え、島原のキリシタン蜂起への対応と遠国であることを理由に暇を賜り、十五日に帰国したと報告する。使者への礼を述べ、今後も詳報するとした書状。

  57. 後編5-No.1157 島津久元・川上久国連署書状

    松平伊豆守・戸田左門が現地へ下向したことを知らせ、公儀の要請に応じて対処するよう伝える。江戸出立の時期なども申し送った連署書状。

  58. 後編5-No.1158 新庄直綱書状

    仁礼主計と同行して十一日に江戸へ到着し、登城して報告を済ませたことを伝える。式部および兄弟へも伝達するよう頼み、伊勢兵部を訪ねたことにも触れる書状。

  59. 後編5-No.1159 有馬直純書状

    書状と小袖五つを受け取った礼を述べ、家久の健康を気遣う。使者や関係者を介した連絡についても報告した書状。

  60. 後編5-No.1160 相良頼寛書状

    松平伊豆守・戸田左門が下向し、筑後榎津から有馬へ渡海したと聞いたことを報告する。暇を得て帰国した旨と、籠城を続ける有馬のキリシタンの状況を伝え、家久の健康を尋ねた書状。

  61. 後編5-No.1161 台所書院覚書

    御膳所衆や食事の差配、対立のため出仕しない人物の扱い、平山対馬守・鬼塚源太左衛門妻・大坊存義坊を介した鳥目の授受、菓子や袋などについて箇条書きで記した覚書。

  62. 後編5-No.1162 久志本常尹書状

    本文はNo.982と同文のため省略されている。No.982によれば、家久の脈と病状が再び滞り、約五十日の投薬でも快気に至らないため自身の薬を止め、正月四、五日頃の帰府と家久への取り成しを頼んだ書状。

  63. 後編5-No.1163 石谷貞清書状

    有馬の城が落ち、軍勢が到着した旨を急報し、島津方をはじめ関係者へ知らせるよう求めた書状。

  64. 後編5-No.1164 相良頼寛書状

    新年を賀し、有馬のキリシタンがなお籠城し、元日の城攻めでも落城せず板倉内膳が戦死したと報告する。薩摩勢も加勢する見込みと考え、状況次第で自身も渡海したいとして指示を求めた書状。

  65. 後編5-No.1165 戸田氏鉄・松平信網連署書状

    石谷十蔵から島原表へ軍勢を差し越すよう連絡があった件について、江戸からの指示では薩摩の人数五、六千ほどを天草へ渡し警固に置くよう命じていると伝える。詳細は家臣三原左衛門へ申し達した連署書状。

  66. 後編5-No.1166 鹿児島賦所手形

    島原への加勢として大口衆二百二十人を出立させる手形。分限衆は人数が整い次第、無足衆は三人につき夫一人を用意し、鉄砲・弓・鑓と普請道具を携行すること、飯米は出水船本で物頭の差出により受け取ることなどを命じる。

  67. 後編5-No.1167 殉国名藪

    島原・原城攻めで戦死した薩摩方の殉国者を記す記事。正月元日の野元源左衛門、二月二十八日の原城攻略で戦死した日高十兵衛以下の武士、三月一日の戦死者などを所属地・役名とともに列挙する。

  68. 後編5-No.1168 智定坊供物請取状抄

    伊勢正宮の御供所再興を祈って立てた供物の受取状の抄録。寛永十五年九月八日付で、当番智定坊が受け取ったことを記し、条文の詳細は省略されている。

  69. 後編5-No.1169 平田宗乗目安

    先祖以来の奉公と自身の軍事修練を述べ、陣場の普請奉行を命じられながら小番衆の陣立てから召し留められたことを遺憾とする。島原出陣に際して奉公の機会と相応の役を求め、三か条にわたり訴えた目安。

  70. 後編5-No.1170 川上久国書状

    先に依頼した取り成しについて、引き続きひとえに頼み入る旨を簡潔に述べた書状。

  71. 後編5-No.1171 川上久国書状

    今回の陣中大将役を豊後守・下野守が務め、談合衆も定められたため、諸事を遠方の久国へ照会して遅延させず現地で処理するよう伝える。甲斐掃部介・有馬左近将監にも申し含めたとして心得を求めた書状。

  72. 後編5-No.1172 島津家久吉書

    神社仏閣の修造を行うこと、勧農に専念すること、国の年貢収納を厳正にすることの三か条について沙汰するよう命じた正月十一日付の吉書。

  73. 後編5-No.1173 総持寺・僧関徹外四名連署書状

    薩摩国内の寺院、とりわけ福昌寺の住院と家久の外護を評価し、今後も断絶なく助成するよう願う。九州曹洞宗の法度を申し渡すため如意庵を派遣したので、薩摩国内にも同様に周知する旨を伝えた五僧連署書状。

  74. 後編5-No.1174 琉球国司尚豊書状

    頭長壺を差し上げるよう命じられたことを相良権兵衛尉から承り、今回送付すると伝える。船中で支障がないよう城間を付き添わせたので、到着後の取り扱いを頼んだ書状。

  75. 後編5-No.1175 島津家久公譜

    家久の病気見舞いと島原一揆鎮圧への協力のため、江戸にいた光久が帰国を命じられた経緯を記す。光久は有馬で松平信綱に幕命を伝えたが、父家久の重病を理由に帰国を勧められ、二月十六日夜に鹿児島へ到着した。

  76. 後編5-No.1176 島津光久譜

    江戸にいた光久が、父家久の病気見舞いと島原一揆鎮圧への協力を命じられて帰国した経緯を記す。大雨による川止めを経て有馬へ赴き松平信綱に幕命を伝えたが、家久の重病を理由に帰国を勧められ、鹿児島へ戻った。

  77. 後編5-No.1177 土井利勝外二名連署奉書

    薩摩勢が有馬表へ向かうとの上使の注進が上聞に達したことを知らせ、手前の軍勢の事情を踏まえて薩摩守に暇を与え帰国させる旨を通知した老中三名の連署奉書。

  78. 後編5-No.1178 島津家久袖判掟書

    島原出陣に際する軍法。軍中法度を守り公儀奉公と国益を心掛けること、豊後守・下野守を大将役とし六名の談合衆を加えた八名の指揮に従うこと、喧嘩・口論・濫妨・狼藉・大酒を禁じ、違反者を遠慮なく報告することを命じる。

  79. 後編5-No.1179 川崎正直・佐々長次連署書状

    正月五日付書状を十三日に受け取り、有馬城が未落城のため石谷十蔵から軍勢派遣を求められた件を了承する。松平伊豆守・戸田左門の到着と指揮、家久の口中の腫物再発と半井孫庵の投薬、薩摩と近隣国の平穏について述べた連署書状。

  80. 後編5-No.1180 牧野成純書状

    新年を賀し、病中にも使札を寄せられたことに礼を述べる。島原表の詳しい様子は三原左衛門佐・佐々権兵衛・川崎丹波守らから報告するとし、松平伊豆守・戸田左門が到着して万事を指揮していると伝えた書状。

  81. 後編5-No.1181 馬場利重書状

    正月二日付の書状を受け、新年の祝いを述べる。病中にも心遣いを受けたことに礼を述べ、島原表の状況は島津下野守から説明すると伝えた書状。

  82. 後編5-No.1182 土井利勝外二名連署奉書

    薩摩勢が有馬表へ向かうとの注進が上聞に達したため、手前の軍勢の事情により薩摩守に暇を与える旨を伝えた連署奉書。No.1177と同内容で、家久公譜中に再録されたものとみられる。

  83. 後編5-No.1183 林勝正書状

    新年を賀し、将軍が元日・二日に諸大名の拝賀を受けたこと、鰹節の贈答への礼を述べる。元日の原城攻撃は失敗し板倉内膳が戦死、諸軍も疲弊したため、松平伊豆守・戸田左門が到着し肥後・筑前・寺沢兵庫頭の軍勢が加わったと報告する。

  84. 後編5-No.1184 松平行隆書状

    家久の病状を気遣い、新年を賀す。天草へ赴いたところ一揆勢が島原へ移っていたため自身も島原へ渡り、元日の攻城で板倉内膳が戦死し、石谷十蔵と自身も負傷して撤兵したこと、松平伊豆守・戸田左門が到着して指揮を執ったことを報告する。

  85. 後編5-No.1185 榊原職直書状

    家久の書状を受け、島原一揆のため前年冬から島原表へ下向し滞在していると報告する。病中にも心遣いを受けたことに礼を述べ、改めて連絡するとした書状。

  86. 後編5-No.1186 松平定綱書状

    薩摩守が暇を与えられて帰国することを祝い、島原表で先手衆に多数の損害が出たことを報告する。松平伊豆守・戸田左門が再派遣され、近国の軍勢も集まるため、早期に一揆が討伐されるだろうと述べた書状。

  87. 後編5-No.1187 戸田氏鉄書状

    家久の書状を受けて新年を賀し、病状を案じる。当地で相応の用向きがあれば命じてほしいと申し出て、詳しくは使者に託した書状。

  88. 後編5-No.1188 川上久国書状

    新納次郎四郎を急使として島原へ派遣したことを知らせ、今回の軍勢と現地での飯米支給について申し送る。前段には新納忠秀が島原出陣に従ったことを記す系譜記事が付される。

  89. 後編5-No.1189 新納忠清指出写

    島原軍勢へ渡す飯米に関する人数指出の写し。人数七十六人、そのうち夫丸十八人、乗馬一疋とし、新納次郎四郎が加わる場合は別に指出を提出すると記す。

  90. 後編5-No.1190 松平信綱・戸田氏鉄連署掟書写

    キリシタン一揆討伐のため有馬表へ派遣された軍勢に対する掟。私的な指図、喧嘩・口論、押買・狼藉、陣中の人返しを禁じ、火の用心、付馬の管理、命令の徹底、牢人を雇う際の軍法遵守などを命じる。

  91. 後編5-No.1191 島津光久書状

    年始の使者への礼を述べ、自身が急に暇を与えられ、前日早朝に江戸を出立して肥前有馬へ向かっていると知らせる。薩摩国内の軍勢も有馬表へ出る見込みで、宛所の人物にも出陣を求めた書状。

  92. 後編5-No.1192 川上久国書状

    家久の腫物・咳・不眠・食事量などの病状を詳報し、原城攻めと兵粮の見通し、軍勢の天草移動、出水・大口勢の半数配置、新納加賀守の有馬同行希望などについて相談した長文書状。

  93. 後編5-No.1193 島津光久書状

    島原一揆対応のため九州諸大名が暇を与えられて江戸を出立したこと、自身も正月十四日未明に出発し、阿部川増水のため駿河府中に滞留したことを報告する。少人数で大坂へ急ぎ、薩摩勢が未着なら率いて有馬へ向かい、御馬印も携行したいと願った書状。

  94. 後編5-No.1194 立花忠茂書状

    柑子一箱と鰤二尾の贈答に礼を述べ、家久の病状がなお回復しないことを案じる。前年冬から当地に在陣していたため無沙汰したと詫び、薩摩方の師旦は変わりないと伝えた書状。

  95. 後編5-No.1195 細川立孝書状

    初めての書状を受け、白砂糖一桶と鰤二尾を島津下野守が持参したことに礼を述べる。家久の病状を案じ、自身が有馬表へ出陣していることを伝えた書状。

  96. 後編5-No.1196 川上久国書状

    新納加賀守の人数約千人を有馬へ渡す件について、船不足のため先に天草へ渡海させる案や、大口衆などの増援を相談する。吉田次郎兵衛の使者派遣、玉薬・兵具・船手兵粮の担当、天草での山狩と潜伏キリシタンの捕縛まで指示した長文書状。

  97. 後編5-No.1197 天草立軍衆賦

    天草へ立てる軍勢について、島津下野守・豊後守・北郷佐渡守らの配下、鹿児島・外城衆、船奉行・兵粮渡衆などを区分して人数を列記し、総人数一万一千二百六十八人と集計した軍勢賦。

  98. 後編5-No.1198 川上久国書状

    出水衆が持参した書状を受け、江戸宛書状案を受領したこと、天草でキリシタンを捜す山狩を重ねること、諸陣への加勢依頼を伝える。島津家久は息が強く、横になれず食事も減るなど病状が悪化していると報告した書状。

  99. 後編5-No.1199 川上久国書状

    松平主税・伊東大和守が富岡の番を務めるため島津家久の書状を届けるよう求め、島津豊後守ら物頭五名を知らせる。家久が吐血して病状を悪化させたこと、万一家久が大事に至っても軍勢は引き取らず奉公を続けるよう命じたことを伝えた書状。

  100. 後編5-No.1200 榊原職信書状

    贈られた肴への礼を述べ、思い寄せを受けたことを感謝する。こちらには特段の変事がないので安心してほしいと伝え、後便を期した書状。