ARCHIVE DIRECTORY
後編5の目録
旧記雑録 寛永3年~寛永15年の文書・記事です。
全1,340件中 1301~1340件・14 / 14ページ
後編5-No.1301 島津久慶外三名連署書状
有馬・天草への新領主入部、有馬向け米の調達、豊後目付の交替、使者到来や百姓負担のため遅れた国分川普請、種馬の扱い、喪中かつ家督相続前の改革抑制、家久遺物の贈与など、多数の政務案件を報告・協議した四名の連署書状。
後編5-No.1302 島津久慶外三名連署書状
急な御使を命じられて江戸へ上った伊集院左近を先に帰国させ、家督相続の報を国元へ伝えさせる。五月八日、島津光久(薩州様)が土井利勝(大炊頭)の宿所へ赴き、酒井忠勝(讃岐守)・阿部忠秋(豊後守)らの出合いのもとで家督相続を申し渡された。島津久慶・島津久元・鎌田政統・伊勢貞昌も供をして申し渡しを聞き、近く…
後編5-No.1303 酒井忠勝書状
家督相続の御礼登城と将軍への拝謁が滞りなく済んだことを祝し、刀・馬代・銀の贈物に対する礼を述べた酒井忠勝の書状。
後編5-No.1304 酒井忠勝書状
家督相続の御礼登城と将軍への拝謁が滞りなく済んだことを祝し、刀・馬代・銀の贈物に対する礼を述べた酒井忠勝の書状。
後編5-No.1305 島津久慶外三名連署書状
五月八日に土井利勝邸で家督相続を正式に命じられた後、御礼登城・将軍拝謁を済ませて献上物を差し上げ、家久死去についての上意を受けたこと、幕閣への挨拶や贈物、供の者・使者への装束拝領、早期の暇と帰国の見込みなどを詳報した四名の連署書状。
後編5-No.1306 勝連良継外二名連署書状
有馬・天草のキリシタン一揆が鎮圧されたことを受け、残党が琉球へ流来した場合は捕縛し、困難なら討ち果たすこと、南蛮人を直ちに追放し、漂着しても米・木・水を与えず一か所に留めて報告することを承諾し、琉球の宗門改帳を我那覇に持参させたことを報じた三名の連署書状。
後編5-No.1307 松平定綱書状
薩摩守の家督相続に伴う御礼が首尾よく申し上げられたことを祝い、祝儀の使者を送った旨を伝え、詳しくは与平左衛門の口上に含めた松平定綱の書状。
後編5-No.1308 小笠原忠知外二名連署書状
島原から到着した船に石火矢・大筒・玉薬を積み、二十四艘で大坂へ回航したこと、別の一艘には当地の諸道具を積んで江戸まで届けるため、薩摩側の使者・船頭と相談して出したことを報じた三名の連署書状。
後編5-No.1309 金武朝貞外四名連署証状
進貢船・謝恩船で唐へ渡る際に日本の武具を外国へ渡さないこと、キリシタン禁制を諸島へ徹底すること、他国人が水手に紛れて来着した場合の調査、八重山・宮古への南蛮人来着時の拘束など、薩摩からの命令を遵守する旨を各条ごとに誓約した琉球役人五名の連署証状。
後編5-No.1310 松平定行書状
薩摩守が十三日に家督相続の御礼を滞りなく申し上げ、首尾よく済んだことを祝し、祝儀の使者を遣わすとともに、帷子五つのうち一つを贈った松平定行の書状。
後編5-No.1311 新納忠清書状
田舎茶を贈り、有馬落城の際に城近くへ赴いた体験や旧寺領との関わりを述べ、帰国後に対面して当時の事情を詳しく語りたいとの希望を伝えた新納忠清の書状。
後編5-No.1312 土井利勝書状
出立の際の書状を泉斎所で披見したこと、諸白二樽と白鳥一羽の贈物への謝意を伝え、長い滞在中も相手の病気と自身の多忙のため十分に話せなかったことを惜しんだ土井利勝の書状。
後編5-No.1313 島津氏掟書
脇指・長刀などの寸法、太刀・帯・衣服の仕様、供奉中の大声での雑談や高笑い、通行・女乗物・路次で行き当たった際の振る舞いなどを定めた島津氏の掟書。
後編5-No.1314 板倉重宗書状
音信として贈られた琉球布二巻に礼を述べ、江戸で薩摩守の家督相続の御礼が滞りなく済んだことを祝い、詳しくは後日申し述べるとした板倉重宗の書状。
後編5-No.1315 島津光久条書
高野山における島津家の宿坊について、廻向院を宿坊とした時期、蓮金院へ替えた経緯、廻向院の寺地・塔場、龍伯までの御影・位牌、蓮金院の惟新の位牌、国元から送られた霊前道具などを菱刈半右衛門を介して蓮金院へ尋ねた条書。
後編5-No.1316 高野山遍金院覚書
島津家の高野山宿坊について、谷上増福院・廻向院から蓮金院へ至る沿革、寺地と知行の取得、宝性院との師弟関係、国元からの知行寄付、位牌・御影・石塔の由緒などを、No.1315の照会に答えて詳述した覚書。
後編5-No.1317 島津久元・伊勢貞昌連署書状
薩摩守の有馬下向と天草への人数配置に関する奉書写を送り、現地の規律、新納加賀守の有馬派遣、帰国の暇がまだ出ないこと、琉球糸の到着、風と作柄などについて報告・照会した島津久元・伊勢貞昌の連署書状。
後編5-No.1318 島津光久書状
家督相続の御礼が首尾よく済んだことへの祝賀使者と、太刀一腰・馬一疋の贈物に謝意を述べ、詳しくは口上で伝えるとした島津光久の書状。
後編5-No.1319 北郷久直譜
鹿児島沖で琉球船が難風に遭ったため、北郷久直が家老衆へ救助を申し入れ、島津光久が久直に救済を命じる書状を与えたことを記した北郷久直譜の記事。
後編5-No.1320 島津光久書状
鹿児島沖に停泊する琉球船が大風で転覆しないよう、積荷を早急に降ろさせ、奉行衆や庄内衆へも手配して作業を進めるよう北郷久直に命じた島津光久の書状。
後編5-No.1321 島津久元・伊勢貞昌連署書状
帖佐の中山下権兵衛を鹿児島へ移す件、天草へ赴く者の配置、有馬関係の奉公、先年買い上げた荒地の返地、家久の道号・位牌と寺院建立、出銀配分と未進銀の処理など、多数の政務案件を協議した島津久元・伊勢貞昌の連署書状。
後編5-No.1322 高崎能乗・土持綱辰連署引付
税所少兵衛尉から永代買いした高四十四石四斗五合について、新納加賀守の使者により高を改めたことを踏まえ、名寄帳の記載を改めるよう求めた高崎能乗・土持綱辰の連署引付。
後編5-No.1323 島津氏老臣某覚書
有馬の城攻めに参加した者に書付を提出させ、新納加賀守・市来八左衛門尉らの扱いを定める。天草と有馬の間を命令なく移動・帰還した者を調査し、帰国の有無に応じて報告させる。寛永十二~十四年分の出物未進や出銀未進、算用所・諸蔵の帳面を処理し、耕作・荒地の状況を確認する。御乗物廻しや御草履取候補の処遇、加治木…
後編5-No.1324 児玉利昌覚書
芝御袋の妹子の祝儀として御納戸蔵から立て替えられた鳥目二十貫文について、帳面への記載依頼を失念したため自身の借用のように見える事情を説明し、池上藤左衛門も承知しているとして処理を求めた児玉利昌の覚書。
後編5-No.1325 島津光久譜
諸大名が子弟・親族・家老の子を江戸屋敷に証人として置く制度に触れ、島津家でも家久から光久の代まで証人を江戸に差し置いたことを記した島津光久譜の記事。
後編5-No.1326 某覚書
松平薩摩守の弟・親族および家老らのうち江戸へ証人として差し置かれる者を列挙し、知行高・扶持高や妻子・家来などの人数を記した覚書。
後編5-No.1327 島津光久書状
先公方徳川家康の時に島津家が琉球を拝領した由緒、遠隔地であるため使者の往還が稀となり関係が途絶えかけたこと、武力行使の構えを経て和睦し、先代中納言島津家久が琉球国司を従来どおり立て置いた経緯を述べる。島津光久が家督を継いだ後も家久同様に取り扱うので心得るよう求め、詳細は使者の口上に委ねた書状。寛永十…
後編5-No.1328 島津光久書状
将軍から家督相続を認められたことを伝え、薩摩および琉球の支配・関係を従前どおり保つ旨を述べて、今後も変わらぬ交誼と勤めを求めた書状。
後編5-No.1329 川上久国外三名連署覚書
川上久国(左近将監)・三原左衛門佐・山田民部少輔・鎌田出雲守が、家中の政務上の懸案と処置方針を条書きした連署覚書。罪人の遠島・籠居・寺預け・召還・赦免、逃亡者や罪人を匿う者および親類への対応、南蛮宗の者の取締り、琉球への日本人の居付きの禁止、知行地・荒地の返還と代銀、役儀・土地回復などを扱う。寛永十…
後編5-No.1330 島津光久書状
家督相続の祝儀として使者ならびに太刀一腰・馬一疋その他の贈物を受けたことに謝意を述べ、詳細は小谷按司から口上で伝えるとした書状。
後編5-No.1331 島津光久書状
帰国後の便りがないことを案じ、京都から明石までの旅程と船中・下着の無事を問い、在所へ戻れば休養によって快復するだろうと見舞った書状。
後編5-No.1332 川上久国外四名連署掟書
領内各所で潜伏する切支丹を探索・摘発し、宗門関係者を訴え出た者への銀子の褒賞や没収銀の取扱いなどを定めた連署掟書。
後編5-No.1333 川上久国外三名連署申渡書
大口へ召し移される者に新地として三十五石を与えるため、菱刈方面で相応の知行を配分するよう命じ、先祖以来の地頭職と近年の困窮を考慮した特例であると申し渡した書状。
後編5-No.1334 島津久元書状
相手の病気を理由に息子四郎兵衛が帰国を願い出て暇を許されたことを知らせ、久元自身も帰国後に事情を聞き相談すると述べた書状。
後編5-No.1335 島津久元・伊勢貞昌連署書状
黄門様と関係者の位牌について、公家方の作法を京都で調べたうえで書式・左右の順序を定め、寺号未定のため当面は福昌寺殿と記すことを相談・報告した連署書状。
後編5-No.1336 伊東祐久書状
御継目の礼が済んだことを祝い、薩摩守への祝意の取次ぎを頼むとともに、翌春の参勤時に詳しく述べること、肥後天草在番の往還で受けた饗応への謝礼が遅れたことを伝えた書状。
後編5-No.1337 島津久元・伊勢貞昌書状
黄門様の遺物候補である北郷式部所持の高来貞宗の脇指について、島津久元から進上させ、本阿弥光伯の鑑定額四十枚を代金として渡すよう指示した連署書状。
後編5-No.1338 伊勢貞昌書状
相手が筋気のため出仕できないと聞いたが、あえて書状を送るので、誰かを介して御前へ内容を申し上げてほしいと頼んだ書状。
後編5-No.1339 国分衆島原立交名
寛永十五年の肥前島原一揆に際し、国分に割り当てられた出陣者を列記した交名・人数書留写。各人名に主従人数、鉄炮・鑓・弓・馬・持道具、自身または代人などの軍役構成を注記する。掲載者は合計八十五人で、そのうち自身衆十八人、被官まで含めた総勢は百三十四人と集計する。
後編5-No.1340 加世田衆一与軍役高帳
加世田衆の一与に属する者を列挙し、愛徳善左衛門尉・大坊・市来半介ら各人の軍役負担の基準となる知行高を石・斗・升・合で記した軍役高帳。