← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

後編5の目録

旧記雑録 寛永3年~寛永15年の文書・記事です。

全1,340件中 1~100件・1 / 14ページ

  1. 後編5-No.1 島津家久譜

    寛永三年、島津家久が一昨年に駿府を発ち、前年四月十三日に武都(江戸)へ到着して以来、なお滞在していることを記す譜記事。

  2. 後編5-No.2 松平直政書状

    松平直政が島津家久へ、前日に殿中で面会でき、家久の礼も首尾よく済んだことを喜ぶ書状。前年冬に万千代を伴って登城したため返書が遅れたことを詫び、来る十八日朝の出仕予定を承知したとして、詳しくは面会時に述べると伝える。

  3. 後編5-No.3 中山王尚豊書状

    中山王尚豊が島津家久へ、長期の江戸滞在を見舞い、帰国の時期を尋ねた書状。琉球から明へ派遣した使節が北京に達し、明との往来を旧例どおりに整えて前年八月に帰帆したことを報告し、その喜びを述べ、土地の産物九件を別紙の目録とともに贈る。

  4. 後編5-No.4 児玉氏譜

    寛永三年正月朔日、島津家久が江戸から帰国し、児玉利昌も従って三月朔日に府城へ着いたことを記す。同年、徳川秀忠・家光の上京に伴い、家久も四月に京都へ赴き、利昌が再び随行して九月に帰ったとする児玉氏の譜記事。

  5. 後編5-No.5 市来某書状

    市来惣兵衛尉が児玉筑後守へ、銀子四枚と「ひさや」二反について、寛永三年正月十九日に江戸から上る途中の伏見で御納戸から出され、取次を介して渡す品であるため受け取るよう求めた書状。以前は慌ただしく受け渡しが完了しなかった事情を記す。年紀は不明で、十二月七日付。

  6. 後編5-No.6 沢永澄請取状

    沢永澄が本田主助に対し、下付された鳥目三貫文を確かに受領したことを証する請取状。換算は百文につき九十七文ずつとする条件を付す。

  7. 後編5-No.7 島津家久譜

    島津家久が江戸から帰国する途上、正月下旬に伏見へ着いて休息した際、家臣小幡長門の舞を天皇が叡覧したことを記す。四辻中納言・飛鳥井中将を通じて、長門を京都に残して舞わせるよう勅命が伝えられたため、家久が板倉重昌に対応の可否を尋ねた経緯を述べる譜記事。

  8. 後編5-No.8 島津家久書状

    島津家久が板倉重昌へ、小幡長門を京都に残して能を勤めさせるよう四辻中納言・飛鳥井中将から勅命が伝えられた件を相談した書状。京都には能役者が多いため長門へ命じにくいが、勅定である以上拒めないとして、重昌の内意を求める。

  9. 後編5-No.9 島津家久譜

    寛永三年三月朔日、島津家久が鹿児島へ入ったことを記す。大坂を出帆した日と鹿児島への着船日は不明と注記する譜記事。

  10. 後編5-No.10 島津久元外二名連署条書

    島津久元・喜入忠政・比志島国隆が連署し、御台所の運営と物資管理を定めた条書。日常の献立、魚類・味噌・塩・酢・醤油・米・薪・野菜などの調達、納殿衆による判と帳簿、振舞・祈祷・旅行時の支給、女房衆や小者への食米、使者への振舞など、多岐にわたる手続と数量・責任分担を規定する。

  11. 後編5-No.11 島津家久書状

    島津家久が中山王尚豊へ、三月朔日に帰国したこと、同年夏に徳川秀忠・家光が上京するため自らも再度急ぎ上洛する予定であることを知らせた書状。琉球が無事であるとの報に満足し、薫物一香合、宇治茶一壺、杉原百帖、中紙二千帖を祝儀として贈る。

  12. 後編5-No.12 三原氏譜

    寛永三年四月二十日、島津家久が向島で狩りを行い、子の忠朗らが鹿を多数捕らえ、家久が国老へ分け与えたことを記す。翌日、島津久元・喜入忠政・比志島国隆が三原重長へ礼状を送ったとする三原氏の譜記事。

  13. 後編5-No.13 島津久元外二名連署書状

    島津久元・喜入忠政・比志島国隆が三原重長へ、前日の向島で又八郎ら兄弟が多くの鹿を捕らえ、自分たちも鹿を拝領して賞味したことへの謝意を伝えた連署書状。寛永三年卯月二十一日付。

  14. 後編5-No.14 島津家久書状

    島津家久が伊勢兵部少輔へ、現地の諸事を少しも油断なく処理するよう重ねて命じた書状。文頭欠損のため前段の具体的案件は判然としないが、自身の扱いも同様でよいかとの問いと、後便を期す旨が残る。

  15. 後編5-No.15 酒井忠世・同正勝連署書状

    酒井忠世・正勝が島津家久へ、将軍が当地へ無事到着したことを知らせた連署書状。家久が使者を立て、将軍の機嫌を尋ねて菓子二箱を献上したことが披露され、将軍が大いに満足したと伝え、道中は天候もよく健康であったので安心するよう述べる。

  16. 後編5-No.16 島津家久書状

    島津家久が中山王尚豊へ、見舞いの書状と目録記載の贈品に礼を述べた書状。三月に帰国したが、徳川秀忠・家光の上洛に伴い再び上洛する予定を知らせ、琉球使節が明へ渡って従来どおりの関係を確認したことを喜ぶ。

  17. 後編5-No.17 島津家久譜

    寛永三年閏四月上旬、島津家久が鹿児島城を発って京都へ向かったことを記す。徳川秀忠・家光の近日中の上洛を見越した参向であり、大坂への着船日は不明と注記する譜記事。

  18. 後編5-No.18 寺沢広高書状

    寺沢広高が島津家久へ、端午の祝儀を贈り、家久の京都屋敷が無事で、又三郎・又十郎も健勝であると報告した書状。徳川秀忠は五月下旬、家光は六月十日頃の出発予定で、諸大名の帰国・移動状況も知らせる。

  19. 後編5-No.19 島津家久譜

    島津家久が帰国の挨拶として吉利下総守忠張を使者に立て、沈香五斤と薩摩で焼いた茶碗・灰入・底取を徳川秀忠・家光へ献上したことを記す。土井利勝・酒井忠世が披露し、忠張は御前で拝謁を許され、内書を賜った。

  20. 後編5-No.20 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久へ、帰国の使者から贈られた沈香五斤と薩摩焼各種を受け取り、家久の懇意を喜んだ御内書。詳しくは土井利勝が述べるとする。

  21. 後編5-No.21 土井利勝書状

    土井利勝が島津家久へ、無事の帰国を祝し、使者と沈香・薩摩焼の献上が将軍に披露され、使者が御前へ召されて内書を賜ったことを報告した書状。大御所の江戸出発は五月末の予定で、上洛の心得を整えるよう伝える。

  22. 後編5-No.22 島津家久書状

    島津家久が中山王尚豊へ、新年の祝意を述べ、琉球からの祝儀の書状と太平布百端・練芭蕉五十端・焼酒六壺を受け取って喜んだことを伝える書状。使者に口上を託す。

  23. 後編5-No.23 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十点を贈られたことを喜び、詳しくは酒井忠世が述べるとした御内書。

  24. 後編5-No.24 徳川家光御内書

    徳川家光が島津家久へ、家久の帰国後に使者から沈香五斤と薩摩焼の茶碗などを贈られ、遠路の厚意を喜んだ御内書。詳しくは酒井忠世が述べるとする。

  25. 後編5-No.25 酒井忠世書状

    酒井忠世が島津家久へ、無事の帰国と将軍への献上品を祝し、使者が御前へ召され内書と巻物・薩摩焼の茶器類を賜ったことを報告した書状。長期滞在中に多忙で疎遠だったことを詫び、再上洛時の面会を期す。

  26. 後編5-No.26 島津家久書状

    島津家久が喜入忠政へ、遠路から見舞いの使者を差し上せたことを喜び、当地は変わりなく静穏なので安心するよう伝えた書状。音信として銀子三枚を贈り、詳しくは使者の口上に託す。

  27. 後編5-No.27 島津家久譜

    寛永三年六月三日、島津家久が大坂から川上式部大輔久国・蒲池備中入道・東郷肥前重位を派遣し、在国の家老に国政上の指示を伝えさせ、花押付きの書状を下したことを記す譜記事。

  28. 後編5-No.28 島津家久書状

    島津家久が喜入忠政へ、川上久国・蒲池備中入道・東郷重位と相談して国政を整えるよう命じた書状。百姓・町人・浦々の住民が疲弊し国が荒れるとの報告を踏まえ、商業・船舶・異国人との交渉を含む諸問題を慎重に協議し、以前のように曖昧に終わらせず将来まで通用する方針を定めるよう求める。

  29. 後編5-No.29 島津家久書状

    島津家久が喜入忠政へ、大坂から国元の務めを念入りに行うよう命じた仮名書きの書状。油断なく各所へ申し付け、自身も秋頃まで在京し、翌年二・三月頃には急ぎ上る見込みなどを伝える。冒頭の口語的語句と細部には判読上の疑義がある。

  30. 後編5-No.30 島津家久譜

    寛永三年六月上旬、島津家久が京都へ入り、徳川秀忠の上洛を迎えるため参向し、途中から伏見へ赴いて拝謁したことを記す。江戸・京都間の往来が頻繁で旅疲れが重なったため、妹へ贈った書状中に旅情を詠んだ和歌があるとする譜記事。

  31. 後編5-No.31 島津家久書状

    島津家久が妹へ、徳川秀忠を迎えて伏見で拝謁し、特段の変事はないと近況を伝えた仮名書きの書状。暑さと頻繁な旅の苦労、九月か十月頃の暇、翌年二・三月頃の再上洛見込みを述べ、馬上の旅と月夜を題材にした戯れの和歌を添える。

  32. 後編5-No.32 島津家久書状

    島津家久が渋谷右京守へ、留守中は火の用心を第一とし、広い屋敷に人が少ないため万事念入りに申し付けるよう命じた書状。詳しくは伊勢兵部少輔から伝えるとする。

  33. 後編5-No.33 良恕親王書状

    良恕親王が島津家久へ、一昨日に珍しい一折の贈物を受け取った礼を述べ、菊が到来した折に面会したことなどを伝えた書状。折を見て参会し、積もる話をしたいとする。

  34. 後編5-No.34 細川忠利書状

    細川忠利が島津家久へ、翌日の参内について変わった知らせはなく、禁裏への馬代は金子がよいと考えていること、女院への進物は未確認であることを伝えた書状。家久は近衛邸で装束を着け、忠利は烏丸邸へ参る予定として、参内準備の情報交換を行う。

  35. 後編5-No.35 島津家久譜

    寛永三年六月二十五日、前将軍徳川秀忠が参内し、島津家久が供奉したことを記す譜記事。

  36. 後編5-No.36 島津家久書状

    島津家久が京都から、国元または近親者へ近況と行程を伝えた仮名書きの書状。相手方の上京予定や夜間の用心などに触れ、支障があれば知らせるよう求める。宛所と一部の口語表現は判然としない。

  37. 後編5-No.37 某覚書

    国政上の協議事項を列挙した覚書。唐船の来航・積荷・銀子・商取引、異国人や船員への対応、国内の諸役、城・寺社・屋敷・港湾の管理、役人の配置や掃除・警備などについて、関係者が相談して処理し、独断や先例に反する措置を避けるよう定める。

  38. 後編5-No.38 島津光久譜

    島津光久の子女十四人について、生母・生年月日・没年月日・法名などを列記した譜記事。嫡子光久の出生と母系を起点に、忠良ほか男子・女子の系譜情報を記録する。

  39. 後編5-No.39 島津家久袖判条書

    島津家久が袖判を据え、先に大坂で協議した国政方針を徹底させるため下した条書。唐船の来航・積荷・商売、異国人との交渉、諸役の執行について関係者が相談し、従来の決定を曖昧に変更せず、国の衰微や混乱を防ぐよう命じる。

  40. 後編5-No.40 島津家久譜

    寛永三年七月二十九日、徳川秀忠の執奏によって島津家久が権中納言に任ぜられ、従三位に叙されたことを記す譜記事。続く口宣案二通を掲げる。

  41. 後編5-No.41 蔵人藤原時長奉口宣案

    蔵人左少弁藤原時長が奉じた口宣案。参議藤原家久朝臣を権中納言に任ずる旨を、寛永三年八月十九日付で宣下する。

  42. 後編5-No.42 蔵人藤原時長奉口宣案

    蔵人藤原時長が奉じた口宣案。正四位下藤原家久朝臣を従三位に叙する旨を、寛永三年八月十九日付で宣下する。

  43. 後編5-No.43 島津家久書状案

    島津家久が浅野但馬へ、前日に御城へ召し出され中納言に任ぜられたこと、早速祝賀の使札を受け取ったことへの礼を述べた書状案。詳しい礼は面会のうえ申し上げるとする。

  44. 後編5-No.44 島津家久書状

    島津家久が、思いがけず中納言に任ぜられたことを仮名書きで知らせ、まもなく国元へ下る予定などを伝えた書状。宛名の「長もじ」が誰を指すかは確定できない。

  45. 後編5-No.45 島津家久譜

    島津家久の権中納言任官に際し、今上天皇と国母から、権中納言局など女房を通じて祝賀の奉書が贈られたことを記す譜記事。

  46. 後編5-No.46 後水尾天皇女房奉書

    後水尾天皇の女房が、進上物への祝意と、天皇・国母の機嫌がよくめでたい旨を仮名書きで伝え、国母にも同様に披露するよう求めた奉書。直接の宛先は本文中に明記されず、前後関係から島津家久宛と推定した。

  47. 後編5-No.47 牧野正成書状

    牧野清兵衛が島津家久の中納言任官を祝い、上様と又三郎様が息災であること、当地に異状がないことを知らせる。詳しい当地の様子は仁礼蔵人と鎌田左京から申し上げるとする。

  48. 後編5-No.48 島津家久伝

    寛永三年八月十九日、徳川秀忠の執奏によって島津家久が権中納言に任じられ、従三位に叙されたことを記す伝記記事。

  49. 後編5-No.49 四辻季継書状

    四辻季継が、先日の殿中での面会を喜び、行幸に際する和歌の内々の題が「竹契遐年」であることを秘密裏に知らせる。詠進者は少人数と聞いており、入魂の間柄として伝えたと述べる。

  50. 後編5-No.50 島津家久譜

    寛永三年九月六日、後水尾天皇が徳川秀忠の二条城へ行幸し、秀忠が参内して出迎え、島津家久も騎馬で供奉した。天皇は四日間滞在し、和歌会・音楽・饗応が催され、十日の還幸まで家久は毎日二条城に伺候した。

  51. 後編5-No.51 島津家久書状

    島津家久が二条城行幸の様子を仮名書きで報告する。六日は夜からの雨が行幸前に晴れ、天皇の姿、御車、供奉の行列、舞などが比類なく見事だったと述べ、十日の還幸後には帰国の暇を得たいとの見通しも伝える。

  52. 後編5-No.52 島津家久書状

    島津家久が、相手の上京を待ち望むこと、行幸の六日から九日まで毎日二条城へ詰めており、これほど苦しい勤めは覚えがないことを伝える仮名書きの書状。近く帰国する意向にも触れる。

  53. 後編5-No.53 島津忠興譜

    寛永三年九月六日の後水尾天皇の二条城行幸に際し、徳川家光が参内して鳳輦を迎え、島津忠興が供奉したことを記す。

  54. 後編5-No.54 詠竹契遐年和歌

    寛永三年九月の二条城行幸に際して催された「竹契遐年」を題とする和歌を収める。後水尾天皇の御製、徳川秀忠・家光らの詠歌を通じ、竹の節・直さ・長久に寄せて君臣の契りと治世の永続を寿ぐ。

  55. 後編5-No.55 島津家久譜

    島津家久が九月中旬に帰国の暇を賜り、下旬に帰国したことを記す。帰国許可への謝礼として、使節を通じ硫黄千斤と国産の陶器多数を献じ、徳川秀忠が喜んだ。末尾では九月二十八日を使節の到着日とみて、発京時期を九月中旬初めとする考証を加える。

  56. 後編5-No.56 島津家久書状

    島津家久が、徳川秀忠・家光の上洛と無事の帰還、自身の帰国を報告し、土井利勝に取り成しを依頼する。謝意と慰問のため、硫黄千斤、薩摩で焼いた茶碗十個、ほか器物八個を献上したが、最後の品名は判読を保留した。

  57. 後編5-No.57 島津家久書状

    島津家久が、両御所の上洛・帰還と自身の帰国を知らせ、京都出立時は取り紛れて十分に暇乞いできなかったことを詫びる。翌年には再び上京して相談したいと述べ、書信のしるしとして緞子二端を贈る。

  58. 後編5-No.58 島津忠元光久書状

    島津忠元が、見舞いのため遠路から二人を遣わされたことに感謝し、自身が回復したので安心するよう伝える。島津家久の中納言任官を祝うとともに、光久と又十郎へ銀子二枚ずつを贈る。

  59. 後編5-No.59 酒井忠世・土井利勝連署書状

    酒井忠世・土井利勝が、又三郎の熱海湯治願いについて両御所の意向を伺い、早々に湯治してよいとの許可が出たことを伊勢兵部少輔へ知らせる。

  60. 後編5-No.60 島津久元・喜入忠続連署条書

    島津久元・喜入忠続が琉球側へ示した条書。中国での白糸価格、唐船・唐使来航時の奄美諸島の役割、琉球からの上納品と売却銀、唐への渡銀、出銀負担と猶予願いなど、対中貿易と琉球支配の実務を細かく指示・回答する。

  61. 後編5-No.61 土井利勝外三名連署書状

    土井利勝・松平信綱・阿部忠秋・堀田正盛が連署し、上洛からの還御を祝って島津家久が使者と樽肴を進上したことについて、遠路からの丁重な配慮を将軍が満足しているとの上意を伝える。

  62. 後編5-No.62 藤崎某書状

    藤崎喜右衛門尉が、藤崎新兵衛が不慮に死亡し、長年の奉公に対して与えられていた切米も当年から止められたため、残された母が暮らせないと訴える。母に少しでも扶持を与えるよう披露と取り成しを求める。

  63. 後編5-No.63 島津忠興書状

    島津忠興が長らく音信を欠いたことを詫び、島津家久が中納言として無事帰国し、自分の所にも立ち寄ったことを喜ぶ。近日上京するため、詳しい礼や相談は来年に譲るとし、書信のしるしに鴨五羽を贈る。

  64. 後編5-No.64 島津家久譜

    島津家久が琉球から楽童子を召し、今帰仁の者に伴わせて上京させたこと、その後無事に鹿児島へ帰ったため童子らを中山へ帰し、琉球王に書状を贈ったことを記す。

  65. 後編5-No.65 島津家久書状

    島津家久が中山王へ、両将軍の上洛と行幸の成功、自身の中納言任官を報告する。今帰仁から同行した三人が京都でよく奉公し、行幸も見物できたことを称え、薫香合一つと印籠・巾着を贈る。

  66. 後編5-No.66 岩切信允書状

    岩切信允が、琉球の楽人たちが京都での勤めを無事終えて暇を与えられ、当日帰途についたことを報告する。禁中・仙洞・門跡・近衛家から銀子や縮緬を賜ったことを列記し、詳細は相良瀬右衛門尉が伝えるとする。

  67. 後編5-No.67 新納忠清・本田親吉連署書状

    新納忠清・本田親吉が、当地の人々が当年の出物を皆済したことを確認し、倉衆から受取状を使者へ渡したと知らせる。百姓一分の出銀については、従来どおり申し付けておくよう指示する。

  68. 後編5-No.68 島津家久譜

    徳川秀忠が鷹場で得た鶴を島津家久へ贈り、老中の副状を添えて飛脚で鹿児島へ届けさせたことを記す。

  69. 後編5-No.69 土井利勝外二名連署書状

    土井利勝・井上正就・永井尚政が連署し、将軍の鷹で捕らえた鶴を島津家久へ贈ることを知らせる。詳しいことは留守居の伊勢兵部少輔が伝えるとする。

  70. 後編5-No.70 土井利勝外二名連署達書

    土井利勝・井上正就・永井尚政が、鶴と書状箱を江戸から薩摩国まで急いで確実に送り届けるよう、宿駅の関係者へ命じた達書。

  71. 後編5-No.71 徳川秀忠御内書

    島津家久が帰国の使者とともに硫黄五百斤ほか一種を贈ったことについて、徳川秀忠が丁重な配慮を喜び、詳しくは土井利勝が伝えると返した御内書。本文はNo.72と同文のため省略されている。

  72. 後編5-No.72 徳川秀忠御内書

    島津家久が帰国の使者とともに硫黄五百斤ほか一種を贈ったことについて、徳川秀忠が丁重な配慮を喜び、詳しくは土井利勝が伝えると返した御内書。

  73. 後編5-No.73 徳川秀忠御内書

    島津家久から歳暮の祝いとして小袖十領が届いたことを徳川秀忠が喜び、詳しくは土井利勝が伝えると返した御内書。

  74. 後編5-No.74 徳川家光御内書

    島津家久から歳暮の祝いとして小袖十領を贈られたことを徳川家光が喜び、詳しくは酒井忠世が伝えると返した御内書。

  75. 後編5-No.75 島津家久譜

    寛永四年正月、島津家久が使節を立てて徳川秀忠・家光の両御所へ新年を祝い、先例どおりの品々を献上したため、両御所から返書を賜ったことを記す。

  76. 後編5-No.76 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、島津家久から孟春の祝詞を述べる使者と太刀一腰、馬代黄金二十両が届いたことを喜び、詳しくは土井利勝が伝えると返した御内書。

  77. 後編5-No.77 中山王尚豊書状

    中山王尚豊が島津家久の書状と薫香合・印籠巾着・杉原紙などの贈物に深く感謝し、京都へ供奉した琉球の小童三人への厚遇と行幸拝見を喜ぶ。返礼として七種の方物を別紙目録どおり進上すると述べる。

  78. 後編5-No.78 島津家久譜

    中山王尚豊が金武王子を使者として、島津家久の官位昇進を祝うため、宝刀一腰、白銀百枚、泡盛二甕を献上したことを記す。

  79. 後編5-No.79 中山王尚豊書状

    中山王尚豊が島津家久の中納言昇進を天下の美誉として祝い、国宗の太刀一腰、馬一疋の代銀百枚、酒二甕を進上する。詳しい祝意は金武王子が口上で伝えるとする。

  80. 後編5-No.80 押川某・坂元某連署差出

    押川内蔵丞・坂元清左衛門が依頼を受け、小林の南西方村にある私領の谷村門・今村門内の田畠を検分し、仕明地の高を二十七石七升三合と確認して差し出した証明書。

  81. 後編5-No.81 三原重庸書下

    三原重庸が、検分済みの仕明地の石高をそれぞれ領主の持高へ加えるよう命じる。老中も差出書を閲覧しており、後日の境界・権利争いはこの文書を証拠として裁定するよう定める。

  82. 後編5-No.82 酒井忠勝書状

    酒井忠勝が島津家久へ、新年の祝意を述べ、徳川秀忠から鶴を拝領したことや、家久の使者が将軍への樽肴を進上して御前で直に言葉を賜ったことを喜ぶ。家久の無事帰国にも触れ、国産品一壺と琉球酒一壺の贈答に礼を述べる。

  83. 後編5-No.83 島津家久譜

    寛永四年二月二十一日、島津家久が中山王へ書状を贈り、年頭の祝いと贈答について述べたことを記す。

  84. 後編5-No.84 島津家久書状

    島津家久が中山王へ新春を祝い、祝詞を伝える使者を立てる。大小三箱に薫物を収め、別紙目録どおりの諸方物を贈り、後日の慶事を期すと述べる。

  85. 後編5-No.85 沢永澄覚書

    沢永澄が社殿修理に要した大工手間を列記した覚書。御宝殿の縁・柱、獅子狛犬に関わる板、四所宮・武内殿・左右の建物の板敷などを修理し、請負外の追加分として大工合計十八人を計上する。

  86. 後編5-No.86 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、年末に当地へ赴いて越年するよう命じられた旨を寺田与左衛門方の内儀から聞き、急な出立に備えるよう早打で知らせる。老中にも書状を送り、又三郎・又十郎の息災と御姫様の出産後の状況も報じる。

  87. 後編5-No.87 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、島津家久から音信として国元の佳肴と奈良酒二荷が届いたことを喜び、詳しくは土井利勝が伝えると返した御内書。

  88. 後編5-No.88 島津家久譜

    島津家久の腹心であった敷根中務立頼が病を得て急逝したため、家久が深く哀惜し、和歌を連ねてその霊に捧げたことを記す。

  89. 後編5-No.89 島津家久追悼和歌

    島津家久が、急逝した腹心の敷根中務立頼を悼み、春夏秋冬の景物に故人への思いを託した追悼和歌を捧げる。

  90. 後編5-No.90 徳川家光御内書

    徳川家光が、島津家久の使者から朱赤貝の漬物と奈良酒二樽を贈られたことを喜び、詳しくは酒井忠勝が伝えると返した御内書。

  91. 後編5-No.91 樺山久高書状

    樺山久高が伊藤壱岐守の書状と条書を送り、朝鮮方面で多数の人々が乗船・退避した折の働きを詳述する。指宿らが船を着岸させ、人員を残さず収容した奉公を賞し、当時の褒美について働きかけるよう求める。

  92. 後編5-No.92 島津久元外二名連署達書

    島津久元ら三名が算用奉行衆へ、諸物方の算用で利息を付ける物について、従来の二分利から今後は三分利へ改めて計算するよう命じる。

  93. 後編5-No.93 喜入忠続・伊勢貞昌連署書状

    喜入忠続・伊勢貞昌が、薩摩殿父子の御目見は又三郎の腹痛で延期されたが四月二十三日に実現し、両御所が一同の参上を大いに喜び、兄弟も御前で褒美を受けたと早打で報じる。

  94. 後編5-No.94 新納忠清書状

    新納忠清が、平野六郎左衛門主従四人と美代主殿助主従三人の国元帰還に際し、当月分の賦銀、海道十五日分の賦銀、二十三日までの飯米を当地で渡したことを報告し、以後の海道飯米代銀の処理を依頼する。

  95. 後編5-No.95 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、島津家久から端午の祝儀として帷子・単物数十点が届いたことを喜び、詳しくは土井利勝が伝えると返した御内書。

  96. 後編5-No.96 徳川家光御内書

    徳川家光が、島津家久から端午の祝儀として帷子・単物数十点が届いたことを喜び、詳しくは酒井忠勝が伝えると返した御内書。

  97. 後編5-No.97 島津家久条書

    島津家久が自ら記した条書。自身の心持ち、又八郎や実寿院の知行、又八郎の上洛、跡継ぎの相談、奥方や家臣団への配慮など、家中と身辺に関する複数の懸案を列挙し、三原飛騨守を使者として伝える。

  98. 後編5-No.98 島津家久譜

    君主が諫言をよく受け入れれば国家は平らかになるという古言を引き、島津家久の自筆条書はその趣旨にかなうものとして尊ぶべきだと評する。

  99. 後編5-No.99 島津家久条書

    島津家久が、国家・家中がまとまるよう配慮すること、細かな裁定、祈祷、死罪の減免、算用方への注意、役人同士の関係、内儀での異見、奥方への配慮など、統治と家中運営の心得を列挙する。

  100. 後編5-No.100 島津光久譜

    島津光久の系譜記事。寛永四年五月二十五日の誕生、母が川村伊豆秀政の娘であること、家久の子としての兄弟名や幼名・別名などを記す。