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後編5の目録

旧記雑録 寛永3年~寛永15年の文書・記事です。

全1,340件中 101~200件・2 / 14ページ

  1. 後編5-No.101 島津忠朝譜

    島津忠朝の系譜記事。寛永四年五月二十五日生まれで、母は川村伊豆秀政の娘、島津家久の十二男とし、当初は桂氏の養子となった後に同家を離れ、島津家の一系を継いだ経緯を記す。

  2. 後編5-No.102 北郷翁久譜

    北郷翁久の婚姻記事。寛永四年七月、島津家久の第三女と鹿児島の邸宅で婚礼を挙げ、太刀・鎧・鞍などを賜ったこと、翌寛永五年七月二十一日に十九歳で没したことを記す。

  3. 後編5-No.103 酒井忠世書状

    酒井忠世が島津家久の書状を拝見し、将軍へ進上された琉球酒一壺と茶を披露したところ大いに喜ばれ、御内書が出されたと報告する。忠世自身への琉球酒にも礼を述べ、両御所の機嫌が良いこと、詳しくは伊勢貞昌が伝えることを知らせる。

  4. 後編5-No.104 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、今度誕生した男子が立派で成長も順調であり、父君によく似ていると報じる。乳人がいなかったため当地で探して二人を召し置いたことも伝える。

  5. 後編5-No.105 児玉利昌譜

    児玉利昌の譜では、寛永四年五月二十五日に江戸で公子忠治が誕生し、島津家久が京都に滞在していたため、六月二十七日に国老伊勢貞昌が利昌へ書状を送り、誕生の様子を報告したと記す。

  6. 後編5-No.106 島津忠心譜

    島津忠心の系譜記事。寛永四年五月二十五日生まれで、母は川村伊豆秀政の娘。十一歳で桂山忠能の養嗣子となった後に同家を離れ、のち島津常久の後嗣となり、延宝三年に四十八歳で没した経歴を記す。

  7. 後編5-No.107 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、島津家久から練香二箱と唐布十端が届いたことを喜び、毎度の心遣いに礼を述べ、詳しくは土井利勝が伝えると返した御内書。

  8. 後編5-No.108 土井利勝書状

    土井利勝が島津家久の書状を拝見し、度々の進物への御内書について説明する。また、毎年の江戸参府・御目見の時期を国政上の都合から秋の末へ改める件は、以前伊勢貞昌へ伝えたとおりであり、双方の趣旨を申し上げると述べる。

  9. 後編5-No.109 喜入忠続・比志島国隆連署書状案

    喜入忠続・比志島国隆が、京都で調達すべき御用品の注文書を荷方衆から持たせたので、渋谷四郎左衛門・上井東市正へ渡して調達させ、主君の上洛を待つよう命じる書状案。

  10. 後編5-No.110 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が、出水の神主中野村兵部少輔をめぐる不審事を報告する。屋敷から本尊・看経道具・霊剣などが掘り出され、矢先が城へ向けられていたことから、地頭への悪意や呪術的行為を疑い、本人を厳しく尋問して上意を仰ぐよう求める。

  11. 後編5-No.111 島津家久条書

    島津家久が、御目見・祝儀・進物、衣服や道具の贈答、又三郎の養生、家臣間の書状・礼儀、参勤や上洛時の対応など、多岐にわたる家中の取扱いを条目ごとに指示する。

  12. 後編5-No.112 樺山久高書状

    樺山久高が、朝鮮方面からの帰帆時に指宿拾郎右衛門が迎えの二艘を率いて着船し、後続十一艘や乗り遅れた者まで確認して全員を乗せ、船団を無事に出航させた働きを賞する。知行などの褒美がなければ申し出るよう勧める。

  13. 後編5-No.113 島津家久譜

    保科正之の娘で松平加賀守光利の夫人が重病となったため、島津家久が酒井忠世を介して見舞いの使札を送り、忠世から将軍へ上聞する旨の返書があったことを記す。

  14. 後編5-No.114 酒井忠世書状

    酒井忠世が島津家久の見舞状に礼を述べ、加賀殿の夫人の死去に将軍と御台所が深く悲しんでいると報告する。家久の使札の趣旨を上申し、国元への帰国と次の参勤時に詳しく話すと伝える。

  15. 後編5-No.115 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、島津家久から重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは土井利勝が伝えると返した御内書。

  16. 後編5-No.116 徳川家光御内書

    徳川家光が、島津家久から重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは酒井忠勝が伝えると返した御内書。

  17. 後編5-No.117 島津家久書状

    島津家久が中山王へ、中納言任官を祝って太刀一腰・馬代銀百枚・各種珍物を贈られた厚意に深く感謝する。まもなく江戸へ出立して越年する予定であり、詳しくは金武王子が口上で伝えると述べる。

  18. 後編5-No.118 島津家久書状

    島津家久が中山王からの年賀状と、練蕉布五十疋・太平布百端・春醴五壺などの贈物に礼を述べる。返礼の品々を別紙に記して使者へ託したことを伝える。

  19. 後編5-No.119 島津家久書状

    島津家久が相手からの便りを喜び、健康や身辺の様子を案じる。薬や祈念について手配したこと、大坂から詳しい知らせがあること、物事が悪化しないよう注意することなどを、親しい口調で伝える。

  20. 後編5-No.120 児玉利昌譜

    児玉利昌の譜では、島津家久が江戸へ向かう際に利昌も従い、十月十九日に鹿児島を発ち、十一月頃に江戸へ着いたとする。家久は船中で三十一首の和歌を詠み、自筆の副本を利昌へ与えた。本文注は年次に不整合があると指摘する。

  21. 後編5-No.121 島津家久譜

    島津家久が十月十九日に鹿児島を発して江戸へ向かい、十一月下旬に江戸へ到着したことを記す。また、難波津の歌三十一字を冠した三十一首の和歌について、序文の寛永四年・五年表記に矛盾があると注記する。

  22. 後編5-No.122 島津家久詠草

    島津家久が江戸への船旅の慰みとして、難波津の歌三十一字を各歌の冒頭に配し、旅・忠孝・神仏・自然・家国への思いなどを詠み連ねた三十一首の詠草。

  23. 後編5-No.123 飯野狗留孫山権現棟札

    飯野狗留孫山の三所権現宝殿一宇を島津家久が大檀那・大願主として再興した際の棟札。遷宮導師、当地頭、木屋奉行、大工の名を列記する。

  24. 後編5-No.124 島津久通譜

    島津久通の譜では、父久元に従って島津家久の江戸参府へ随行し、忠元らと滞在した間、余暇に荒木十左衛門元満から馬術を学んだとする。寛永五年正月に馬書六冊、同年六月にさらに三冊を受けた。

  25. 後編5-No.125 島津久元・伊勢貞昌連署書状

    島津久元・伊勢貞昌が、島津家久の到着と将軍の鷹狩、江戸での勤務交代、狩野永甫をめぐる処置、参勤時に必要な乗馬衆の人数と配置、霧島からの材木手配など、江戸滞在中の諸案件を詳しく協議・指示する。

  26. 後編5-No.126 島津家久書状

    島津家久が来訪と書状を喜び、抜太麻とみられる品・長鮑二十把・鰹節二十連の贈答に礼を述べる。翌春に上京する予定で、その際に詳しく相談すると伝える。

  27. 後編5-No.127 島津家久書状

    島津家久が返書を喜び、相手方の無事を祝うとともに、自身の身辺も変わりないと知らせる。年明け早々に下向する見込みを伝え、春の再会を期す親しい調子の書状。

  28. 後編5-No.128 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、薩摩から蜜柑五籠が到来したことを喜び、贈答への謝意を伝える。詳細は土井利勝が申し述べるとする御内書。

  29. 後編5-No.129 某覚書

    寺領への居所移転、使者の人選、比志島宮内少輔のもとへ出入りする者の礼法・監視を指示する。また、度重なる命令不履行、訴訟で自説を押し立てること、他人と相談しないことなどを問題として、宮内少輔へ申し聞かせるよう命じる覚書。

  30. 後編5-No.130 島津家久譜

    家老の比志島国隆は驕奢で不忠、家臣へのえこひいきや庶民からの収奪、独断によって政道を妨げたため、島津家久が罷免した。河辺の保福寺に入れ、所領・財産を没収し、種子島へ流したのち自害を命じたと記し、後世への戒めとする。

  31. 後編5-No.131 島津家久袖加判条書

    本文には「家久公御譜中ニ在リ」との所在注記だけが掲げられ、インデックス標題の袖加判条書に相当する本文はこの箇所では確認できない。

  32. 後編5-No.132 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が歳暮の祝儀として小袖十領を贈られたことを喜び、謝意を示す。詳しくは土井利勝が伝えるとする御内書。

  33. 後編5-No.133 徳川家光御内書

    徳川家光が歳暮の祝儀として小袖十領を贈られたことを喜び、謝意を示す。詳しくは酒井忠世が伝えるとする御内書。

  34. 後編5-No.134 北郷久加譜

    北郷久加が寛永五年の年頭使者となり、上洛して二条城で賀礼を述べ、江戸城でも酒井忠世を通じて主君の意向を上申し、時服五領・羽織四領を賜った。西の丸でも土井利勝を介して新春を祝い、時服五領を拝領し、二月十日に江戸を辞して三月二十日に帰着した。

  35. 後編5-No.135 島津家久譜

    島津家久が寛永四年から翌寛永五年にかけて江戸に滞在していたことを記す短い系譜記事。

  36. 後編5-No.136 島津家久書状

    島津家久が、しばらく便りがなかった相手を懐かしみ、年頭の喜びを述べる。扇を贈り、近況や祝意を親しい仮名書きで伝える短い書状。

  37. 後編5-No.137 島津家久書状

    島津家久が、比志島宮内少輔国隆の重大な不行跡をこれまで表面に出さなかったが、今後は国家のためにならないとして処分方針を示す。一度の折檻で改まる人物ではないため、三名の担当者が遠慮なく協議するよう命じ、詳細は国分民部左衛門に伝えさせる。

  38. 後編5-No.138 島津久元・伊勢貞昌連署書状

    島津久元・伊勢貞昌が、年頭の使者と贈物が到着したことを喜ぶ。又三郎・又十郎にも服と熨斗が贈られたことへの礼として、銀子二枚を使者に託し、詳しいことは使者に申し含めたと伝える。

  39. 後編5-No.139 島津家久書状

    島津家久が新春を祝い、相手や家族の近況に触れ、自身は暇が出るのを待って近く下向するつもりだと伝える。帰着後に積もる話をすること、母や姉妹などにもよろしく伝えることを頼む親しい仮名書きの書状。

  40. 後編5-No.140 某条書

    比志島宮内少輔国隆の違法・不正とみられる行為を多数列挙する条書。度重なる命令不履行、独断的な裁判・人事、同僚との協議不足、賄賂や財物の扱い、縁者へのえこひいき、民衆への配慮不足、国政を乱す言動などを挙げ、家老として不適格であることを示す。

  41. 後編5-No.141 佐多久孝譜

    佐多久孝は通称長寿・又四郎といい、寛永五年正月十日に生まれ、母は島津下野守久元の娘であったと記す系譜記事。

  42. 後編5-No.142 島津光久書状

    島津光久が、年頭の使者と太刀一腰・馬一匹の贈物が遠方から届いたことを喜び、謝意を述べる。詳しくは新納右衛門佐と鎌田源左衛門尉が伝えるとする書状。

  43. 後編5-No.143 島津家久書状

    島津家久が、比志島国隆は過ちを改めず再び奉公できる人物ではないとして、寺領から種子島へ人を付けずに厳しく移送するよう命じる。異議や抵抗があれば厳罰に処し、少しも処置を緩めないよう指示する。

  44. 後編5-No.144 某条書

    不正行為を列挙する別の条書。度重なる命令違反、自己中心的な判断、人を苦しめる新法、国内外への中傷、不当な財物・旅人物品の扱い、根拠の乏しい訴訟判断、同僚との協議不足、下位者への思いやりの欠如などを問題とする。

  45. 後編5-No.145 島津久元・伊勢貞昌連署書状

    島津久元・伊勢貞昌が、比志島国隆を寺から出して種子島へ移送する手配が整ったことを報告する。国隆が銀子を使って逃亡を企てる可能性を警戒し、種子島で番衆を付けて昼夜監視し、往来する船に紛れて逃げないよう厳重に申し渡すことを求める。

  46. 後編5-No.146 喜入忠続達書

    喜入忠続が、島津家久の上洛に伴う御供船の水夫・荷下ろし水夫・大廻船水夫・船頭の雇賃を定める。さらに一人一日当たり銭百文と飯米七合五勺、雑役夫にも銭百文を支給するよう算用所へ命じる達書。

  47. 後編5-No.147 某覚書

    比志島国隆の処分に関連する調査事項を列挙した覚書。新納越後との往来、国隆の蔵や金銀・家財の封印、京都での貸銀、種子島移送前後の様子、松本主膳の関係、国隆と親密な者の名簿を調べ、秘密裏に報告するよう求める。

  48. 後編5-No.148 島津家久譜

    後掲の島津久元・伊勢貞昌連署書状に見える「加治木之大隅守」は、島津市正忠広の幼名に当たると考証する短い系譜記事。

  49. 後編5-No.149 島津久元・伊勢貞昌連署書状

    島津久元・伊勢貞昌が、加治木大隅守と川上式部大輔の官名変更を提案し、吉日を選んで改めるよう求める。また国中の飢饉で米価が高騰し民衆が困窮しないよう、適正価格を示して違反者を処罰すること、家久の暇が近い見込みであることを伝える。

  50. 後編5-No.150 島津家久譜

    比志島国隆の所領・家財は没収されたが、父国貞が島津義久・義弘・家久に忠勤したことを家久が追慕し、没収財産から祭田三十石を買い求めて国貞の神主寺へ付した。また国貞の未亡人の所領は没収せず、そのまま与えたと記す。

  51. 後編5-No.151 島津久元・伊勢貞昌連署書状

    島津家久が初めて上洛した際、平島休右衛門尉の父母が宿を提供して厚くもてなしたことへの恩賞。父に米二十石、本人に七石を与えていたが、今回八石を加増し、以後は年十五石の扶持とする。

  52. 後編5-No.152 某覚書

    比志島国隆の妻子の居所、後室の知行、国隆と親密な者の調査、家財中の金銀・米の算用と借銀返済、寺への三十石寄進、福昌寺住持、知行替えなどを指示する。さらに御蔵入百姓の調査、高岡への命令、書院普請、唐船来航時の取扱い、作事奉行の人選など複数の行政事項を列挙する。

  53. 後編5-No.153 島津家久譜

    島津家久が江戸桜田邸で徳川秀忠・家光を迎えるため大規模な造営を開始した記事。甲良豊後守が設計し、伊勢貞昌ら多数の奉行・監使・助役が、主殿・寝殿・数寄屋・料理所・門・舞台・楽屋・厩・庭園などの建築と点検を分担した。

  54. 後編5-No.154 島津家久条書

    島津家久が、高岡地頭職を島津久元へ申し渡し、久元が帰国するまで現地の者が諸事を慎重に処理するよう命じる。また比志島国隆の不行跡を条書で周知し、旧家臣が他所で奉公することを認め、隣国との紛争を起こさないよう指示する。

  55. 後編5-No.155 某覚書

    出水を預かる椛山美濃守の休息、亀山家の次男・三男と藤野への知行給付、種子島にいる人物と比志島国隆との接触禁止、平田太郎左衛門の子の所在調査、七島、高岡の御蔵入、水引城付村の扱いなどを列挙した行政覚書。

  56. 後編5-No.156 島津久元・伊勢貞昌連署条書

    亀山家の兄弟に五十石・三十石、藤野に五十石を与え、町田勘解由次官は加増して計三百石とする。弟子丸越後入道を真幸吉田へ移して五十石、村田刑部少輔を穆佐へ移して旧知行から三百石を返付するなど、知行配分と移住を定める条書。

  57. 後編5-No.157 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、端午の祝儀として帷子・単物数十点が届いたことを喜び、詳しくは土井利勝が伝えるとする御内書。

  58. 後編5-No.158 徳川家光御内書

    徳川家光が、端午の祝儀として帷子・単物数十点が届いたことを喜び、詳しくは土井利勝が伝えるとする御内書。

  59. 後編5-No.159 島津久元・伊勢貞昌連署書状

    比志島国隆に近侍して不正を助長したとされる折田四郎右衛門・家村四郎左衛門について、高岡の者も責任を訴えているとして、死罪ではなく流罪とする方針を伝える。国隆に殉死すると称した者や種子島へ従わなかった者の扱いも含め、山田土佐守らと協議するよう求める。

  60. 後編5-No.160 島津家久書状

    島津家久が、又五郎が落馬したと聞いて容体を案じ、養生を怠らないよう気遣う。詳しくは使者に申し含め、暇が出れば下向して直接話すと伝える見舞状。

  61. 後編5-No.161 島津家久書状

    島津家久が、又五郎の落馬を重ねて心配し、占いによれば現在の住居や二十六歳の年回りが良くないとして、祈念を十分にするよう勧める。詳しくは帰着後に話すと伝える仮名書きの書状。

  62. 後編5-No.162 島津家久書状

    島津家久が、相手方の無事を喜び、自身の側にも変わりがないと伝える。暇が近く出る見込みで、帰国後に詳しく話すこと、女性たちにもよろしく伝えることを頼む親しい仮名書きの書状。

  63. 後編5-No.163 島津家久譜

    仁礼蔵人景親が長年江戸で島津家久に仕え、よく勤慎したことを家久が賞し、知行百石を加増したと記す系譜記事。

  64. 後編5-No.164 某条書

    親王の薨去により家久の暇が延引する可能性、江戸での大規模普請に伴う国元普請の抑制、仁礼景親への百石加増、祭礼への子弟参列を指示する。また比志島国隆の旧臣は当面の奉公を認めつつ行動を監視し、他国へ出ることを禁じる。

  65. 後編5-No.165 天野長信書状

    天野長信が、親王薨去の報を受けて早々に使者を差し上げたことを承知し、その配慮を詳しく言上したと伝える。使者へは別途返書を持たせなかったため、この趣旨を了承するよう求める書状。

  66. 後編5-No.166 島津家久書状

    島津家久が伊勢兵部に、先の用件の返答・帰着状況を尋ね、早く下向するよう求める。息災を喜び、暑中の贈物への礼を述べ、別件の品が戻ったかも問い合わせる書状。

  67. 後編5-No.167 島津家久書状

    島津家久が中山王進献に、当年の祝儀使派遣を鹿児島から聞いたが書状は未着であると伝える。唐船の来着時期を踏まえて早い帰国を望み、喜入摂津守の琉球渡海時の処置、買物・儀礼、役人の処遇などを指示する。

  68. 後編5-No.168 島津家久書状

    島津家久が又五郎の病状を気遣い、快方に向けば会いたいと伝える。住居内の大木や敷地の扱い、体調に応じた療養と帰参の時期について助言し、近況を知らせるよう求める。

  69. 後編5-No.169 島津家久書状

    島津家久が、又五郎が落馬後の痛みに苦しんでいると聞き、現在の具合を尋ねる。養生を第一とし、詳しい様子を後便で報告するよう求める。

  70. 後編5-No.170 島津家久書状

    島津家久が母に、元へ戻る件や今後の動きを伝え、急いで無理をしないよう配慮を求める。こちらの渡船・暇の都合を調整して改めて知らせる旨を述べる消息。

  71. 後編5-No.171 島津久元外二名連署条書

    王位から毎年贈る品について、老中衆一人分を上布二十端・焼酎一壺、使者一人分を上布十端、琉球取次衆一人分と筆者一人分にも所定の上布を配するなど、対象別の定額を定める。今後は規定外の音信を禁じ、違反は法度への背反として処罰するとする連署条書。

  72. 後編5-No.172 島津家久書状

    島津家久が、僧正は長患いで養生もかなわず遠行できないとの事情を了承する。長年の祈祷における格別の辛労を忘れていないと慰労し、詳しくは帰国時に相談すると伝える。和歌一首を伴う。

  73. 後編5-No.173 新納忠清書状

    新納忠清が、平野六郎左衛門尉主従四人と美代主殿主従三人の国元下向に際し、当月分の賦銀、海道十五日分の賦銀、前日までの飯米を当地で渡したと報告する。今後の海道飯米代銀は受取側で手配するよう求め、同日出立した旨を知らせる。

  74. 後編5-No.174 北郷三久書状

    北郷三久が、普請関係の藤右衛門に相談したところ三日以前に諸所へ出たと聞いたため、呼び寄せて普請・地頭所の件を相談するよう依頼する。割付を受けた場所に呉儀があるとも述べ、現地での処置を求める。

  75. 後編5-No.175 島津家久書状

    島津家久が、七月二十五日付の書状が届いたことを喜び、落馬の痛みが回復したとの知らせを祝う。引き続き養生に努めるよう勧め、当地の御殿の予定はまだ定まらないと伝える。

  76. 後編5-No.176 島津家久譜

    徳川家光が上使を通じて島津家久に時服・金銀・衣服・駿馬・鷹などを賜い、家久が例式どおり謝礼したことを記す。同月十九日、家久は江戸を発った。

  77. 後編5-No.177 徳川家光御内書

    徳川家光が、重陽の祝儀として島津家久から小袖五領を贈られたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭忠世から伝えるとする御内書。

  78. 後編5-No.178 島津久元譜

    島津久元が九月に琉球へ進発し、翌年十月に帰国したことを記す譜記事。

  79. 後編5-No.179 喜入忠続条書

    喜入忠続が琉球側に、江戸への言上・役人の召し出し、知行・進物・船舶と交易品、年々の産物上納、芸能や武具、翌夏の参上などについて処置を指示する条書。国元との連絡と役人の配置を整え、定めた規則を守るよう求める。

  80. 後編5-No.180 島津家久書状

    島津家久が又五郎に、江戸を十九日に発って順調に進み、近日中に桑名へ向かう予定を知らせる。妹にも同じ内容を伝えるよう頼み、急ぎのため詳述しないとする道中の消息。

  81. 後編5-No.181 島津家久譜

    島津家久が同年十月二日に山城国伏見へ到着したことを家老へ知らせ、同月下旬に薩摩へ入ったことを記す譜記事。

  82. 後編5-No.182 良恕法親王書状

    良恕法親王が、島津家久の江戸からの上洛を喜び、逗留期間が分からないためまず書状を送ったと述べる。柿二籠と諸白二樽を寸志として贈り、詳しくは西池主膳から伝えるとする。

  83. 後編5-No.183 飛鳥井雅宣書状

    飛鳥井雅宣が島津家久の上洛を喜び、長い江戸滞在の苦労を察する。まず使者を遣わし、逗留中に参上して直接挨拶したいと伝える。

  84. 後編5-No.184 島津家久書状

    島津家久が伏見から、道中が好天に恵まれて順調であることを知らせる。すぐ船に乗るため急いで書き、詳しくは帰着後に話すと伝える仮名書きの消息。

  85. 後編5-No.185 島津家久譜

    徳川家光が鷹狩で獲た鶴を島津家久へ贈ったことを記す。森川出羽守重俊・青山大蔵少輔幸成・永井信濃守尚政・土井大炊頭利勝らが命を受け、十一月十一日に連署奉書と宿次を整え、江戸から薩摩まで遅滞なく届けた。

  86. 後編5-No.186 土井利勝外三名連署書状

    土井利勝ら四名が島津家久に、将軍の鷹が捕らえた鶴一羽を送ると通知し、詳しくは留守居から伝えるとする連署書状。

  87. 後編5-No.187 土井利勝外三名連署書状

    No.186と同内容の連署書状。本文では重複のため一通を省略すると注記されている。

  88. 後編5-No.188 土井利勝外三名連署達書

    江戸から薩摩国まで鶴一羽を羽根などが損なわれないよう、急いで届けることを宿継担当者へ命じた四名連署の達書。

  89. 後編5-No.189 田代某請取状

    田代三左衛門尉が、喜入摂津守の拝領品である呉服二つを確かに受け取ったと証明する請取状。

  90. 後編5-No.190 竹之内某請取状

    竹之内覚右衛門尉が、児玉筑後守から求められた品に関する代銀として、銀三十三匁を確かに受け取ったとする請取状。

  91. 後編5-No.191 山田有栄書状

    山田有栄が支配奉行へ、児玉筑後守の本高二百五十二石を三百石にする希望と買地を踏まえ、知行高を調整するよう求める。あわせて新納刑部太輔に大口方面の替地二百五十石余を支配するよう指示する。

  92. 後編5-No.192 樺山久高申状

    樺山久高が、自家と父祖の軍役・知行・返地・加増の経緯を列挙し、右馬頭戦死後の処置、敷根境目の御座、春毛村・濱村などの領地、親族の奉公や処罰をめぐる事情を申し立てる。旧来の奉公と知行処分を根拠に、家の処遇を再考するよう求める長文申状。

  93. 後編5-No.193 島津久元・喜入忠続連署書下

    島津久元・喜入忠続が、市来備前守への加増知行百石、鎌田播磨守の本高三百九十石、恵灯院五十石、月江院三十石、新納刑部太輔の大口方面の替地二百五十石余について支配を命じる連署書下。

  94. 後編5-No.194 島津久賀・川上久国連署書状

    島津久賀・川上久国が、今月十六日に又三郎の祝儀が無事整ったことを報告する。兵部少輔夫妻の参列や黄門からの祝物に触れ、今後の指示を求める連署書状。

  95. 後編5-No.195 島津家久譜

    島津家久が歳暮を祝うため、姓名不詳の使者を通じて時服十襲を徳川家光へ献上し、これに対する御内書を賜ったことを記す譜記事。

  96. 後編5-No.196 徳川家光御内書

    徳川家光が、歳暮の祝いとして島津家久から小袖十領が届いたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭忠世から伝えるとする御内書。

  97. 後編5-No.197 某覚書

    本文はNo.239の文書と同文であるため省略すると注記された覚書。

  98. 後編5-No.198 島津家久覚書

    島津家久が、比志島宮内少輔の仕置に際して出した命令を写した長文覚書。比志島家の過去の奉公と不始末、霧島への流罪、家族・親族の処遇、家財・知行・返地、関係者の監視や奉公先などを細かく定める。

  99. 後編5-No.199 島津家久譜

    島津家久が寛永六年正月、姓名不詳の使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を徳川家光へ献上し、年始を祝ったこと、これに対する御内書を賜ったことを記す譜記事。

  100. 後編5-No.200 徳川家光御内書

    徳川家光が、改年の祝儀として島津家久から太刀一腰と馬代黄金十両を贈られたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭忠世から伝えるとする御内書。