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追録6-No.54記事旧記雑録暫定版・確認中

重豪、琉使ニ先ンジ参府ス

年月日未詳/原整理番号 54/整理ID 54

確認度高
この文書は暫定版です

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概要

将軍家治が新たに大統を継いだことに伴い、重豪が宝暦十四年に琉球国司尚穆の聘使を率いて江府へ赴く予定であったが、寒疾を憂慮して許可を求め、琉使に先立って三月廿二日に国を発った経緯を記す。家老島津久金・高橋種寿、側用人福山安都・宮之原通直、近習役二階堂諸等が供奉した。九州路を経て四月六日に大里へ着き、翌日、赤間関を渡って山陽道を進み、四月廿四日に大坂へ到着。廿六日に大坂を発ち、河流を遡って枚方に泊まり、廿七日に伏見へ着き、廿九日に伏見を発った。伊勢路・東海道を経て五月十三日に芝の邸へ到着する。注は、予定を早めた参府であるため上使の来訪に及ばなかったとする。その後、幕府に謁したいと望みながら病のため登営できず、次第に回復した六月廿三日、用番松平右京大夫輝高の宅を訪れ、将軍家の機嫌を伺い、参府の拝礼を請うて引き返した。

登場人物

重豪、大樹家治公(将軍)、琉球国司尚穆、琉球の聘使、家老島津左中久金、家老高橋此面種寿、側用人福山平太夫安都、側用人宮之原甚五太夫通直、近習役二階堂諸(行旦、人物注)、松平右京大夫輝高

宛先

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キーワード

家治の大統継承、尚穆、琉使、寒疾、先行参府、三月廿二日発国、供奉、九州路、大里、赤間関、山陽道、大坂、枚方、伏見、伊勢路、東海道、芝、登営見合わせ、六月廿三日

冊子頁

16~17頁

読込量

小

面白さ

★★★★☆

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(1)例言・目次・本文1~172頁(宝暦14~明和4).pdf