← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

前編2の目録

旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。

全2,778件中 1201~1300件・13 / 28ページ

  1. 前編2-No.1190 島津貴久安堵状

    本文では島津忠国が澤殿へ、島津御庄大隅方栗野院内の正宮御神領として、八月彼岸田五段・同二日田五段・十一月正御祭田一町、計二町を安堵した文書。目録標題は『島津貴久安堵状』。

  2. 前編2-No.1191 島津忠国寄進状

    島津忠国が、国土安穏・武運長久・子孫繁昌を祈り、大隅国帖佐郷餅田内の十町を正八幡宮御宝前へ永代寄進し、同地を知行させた文書。

  3. 前編2-No.1192 伊集院照久契状

    伊集院照久が樺山孝久へ、奥州の御用に立つ以上は以前の契約と当時の忠節を忘れず、忘却があれば衆中へ訴え、私的な大事の際にも二心なく奉公することを神仏に誓った契状。目録は六月廿四日、本文年紀は六月廿三日。

  4. 前編2-No.1193 島津忠国宛行状

    島津忠国が祢寝出羽守へ、島津庄大隅方始良庄内の牧山名二十町を祈所として宛行い、先例どおり領知するよう命じた文書。

  5. 前編2-No.1194 島津忠国宛行状

    島津忠国が祢寝右馬助へ、島津庄大隅方始良庄内の末次名五町分を祈所として宛行い、先例どおり領知するよう命じた文書。

  6. 前編2-No.1195 島津忠国安堵状

    島津忠国が樺山美濃守へ、日向国臼杵院内の旧領、宮崎郡内戸次丹後守跡、大隅国始良西俣の地頭代官職について、御下文どおり領知することを認めた安堵状。

  7. 前編2-No.1196 島津忠国安堵状

    島津忠国が樺山美濃守へ、日向国島津庄の牧方における先知行分を裁定し、先例に任せて欠所が生じた順に領知するよう認めた安堵状。

  8. 前編2-No.1197 島津好久契状

    島津好久が種子嶋殿へ、天下が変転しても一筋に頼み、相手の大事には力を尽くし、讒言があれば直接申し開くことを諸神に誓った契状。

  9. 前編2-No.1198 島津好久宛行状

    島津好久が種子嶋殿へ、薩摩国川辺郡内七島のうち伊集院知行分の二島を祈所として宛行い、先例どおり領知するよう命じた宛行状。

  10. 前編2-No.1199 島津好久宛行状

    島津好久が種子嶋殿へ、島津庄薩摩方河辺郡の鹿児半分二十町代地について、欠所となった際は最初に祈所へ充てることを約し、先例どおり領知に相違がないよう認めた宛行状。

  11. 前編2-No.1200 沙弥玄清契状

    沙弥玄清が樺山殿へ、相手の大事には身の危険を顧みず奉公し、自身の大事には援助を受け、天下が変転しても一筋に仕え、讒言があれば直ちに申し開くことを諸神に誓った契状。

  12. 前編2-No.1201 樺山孝久契状

    樺山孝久が樺山殿へ、相手の大事には自身の大事として奉公し、自身の大事には援助を受け、天下が変転しても一筋に仕え、讒言があれば直ちに申し開くことを諸神に誓った契状。

  13. 前編2-No.1202 島津忠国安堵状

    島津忠国が入来院殿へ、島津庄薩摩方の羽島六町を先例に任せて領知するよう認めた安堵状。目録は九月十四日だが、本文年紀は九月十三日と読める。

  14. 前編2-No.1203 島津貴久加冠状

    島津忠国が、島津次郎三郎(後の貴久)の加冠役として藤原満久を定めた文書。樺山氏五代満久の譜中に収載され、正文は樺山源三郎久清所蔵と注記される。

  15. 前編2-No.1204 渋谷重頼・重長連署証状

    渋谷重頼・重長が向四郎殿に、幼少時に父諸重が討死して譲状や妙勝以来の文書を失った事情を承知しているため、四郎重位が所領と田島の屋敷などを知行し、他者が妨げてはならないと証した連署状。

  16. 前編2-No.1205 島津忠治証状

    島津忠治が種子嶋武蔵守の今度の弓箭における忠節を賞し、三か国のうち自然に得た土地百町を恩賞として宛行うと約した証状。本文には編年を誤り、No.1833と重複すると注記される。

  17. 前編2-No.1206 島津忠国宛行状

    島津忠国が祢寝殿へ、島津庄薩摩方谷山内の先知行分と指宿内の先知行分を先例に任せて宛行い、速やかに領知するよう命じた宛行状。

  18. 前編2-No.1207 島津忠国宛行状

    島津忠国が阿多亀徳殿へ、島津庄薩摩方河辺郡内の今田八町を祈所として宛行い、先例に任せて領掌するよう命じた宛行状。

  19. 前編2-No.1208 島津忠国宛行状

    島津忠国が祢寝殿へ、下大隅内の木志々名を祈所として宛行い、領掌に相違があってはならないとした宛行状。

  20. 前編2-No.1209 伊集院道応(顕久)譲状

    伊集院道応(顕久)が犬子丸へ、代々の本領である薩摩国給黎院一円を譲り、他者の妨げなく知行させ、子孫が違乱・追従を申し立てないよう定めた譲状。

  21. 前編2-No.1210 伊集院道応譲状

    伊集院道応(顕久)が犬子丸へ、薩摩国河辺郡一円を譲り、他者の妨げなく知行させ、子孫が違乱・追従を申し立てないよう定めた譲状。

  22. 前編2-No.1211 河内守重政譲状

    河内守重政が松五郎へ、薩摩国高城郡・東郷および相模国小津合郷などにある代々相伝の所領、屋敷、田地を永代譲渡した譲状。松五郎に子がない場合は重政の兄弟の中へ譲ることも定め、遠隔地を含む所領の継承順位と一族内相続の条件を明記する。

  23. 前編2-No.1212 本田氏親置文

    本田氏親が鹿児島諏訪大明神祭礼の作法を子孫へ書き残した置文。島津貴久代に始まった頭殿・居頭の由来と役割、天下・国・三か国の祈念に御幣を奉る順序を説明し、島津家に奉仕する者が末代まで心得るよう求める。

  24. 前編2-No.1213 福昌寺仏殿造営奉加帳

    福昌寺仏殿造営の勧進に応じ、島津持久(沙弥存忠)をはじめ島津一族、各地の国人・寺社関係者らが、馬一疋、代銭、米・大豆、材木などを奉加した記録。冊子380頁から384頁にわたり奉加者と品目・数量を列記する。

  25. 前編2-No.1214 島津国史

    島津持久が永享十一年二月、母の寿山久公大姉の冥福を資するため鹿児島郡坂本山下の水田三段を慧燈院領とし、同年六月には上伊敷流田三段を諏訪大明神社領としたことを記す国史記事。

  26. 前編2-No.1215 島津持久(用久)寄進状

    島津持久(用久)が母・寿山久公大姉の菩提料として、薩摩国鹿児島郡坂本の山下水田三段を慧燈院へ寄進した文書。違乱する者は持久の子孫ではないと定める。

  27. 前編2-No.1216 島津持久袖判証状

    慧燈院に伝わる複数の寄進状・寺領関係文書について、鹿児島郡花棚村琵琶田・西田村・住吉・谷山福本などの所領と寄進者・証判を列挙し、島津持久(用久)が袖判を据えて証明した文書。前惣持中翁老衲が記録した。

  28. 前編2-No.1217 島津持久寄進状

    島津持久(用久)が諏訪大明神へ、鹿児島郡上伊敷流田の門田三段を寄進した文書。一段を大楽寺稲荷、二段を諏訪田に充て、彼岸の祈祷として王御拝殿で大般若経を転読するよう定める。

  29. 前編2-No.1218 阿多熊野権現鏡銘

    阿多郷上宮熊野権現社の御鏡について、縦横九寸の方形一面で、本尊阿弥陀・花立・獅子口を伴うことを記した鏡銘。大願主は七郎介藤原経久、諏方座主は律師慶任房。

  30. 前編2-No.1219 俊秀・俊与連署質券

    俊秀・俊与が肥後弥三郎へ、代銭三貫文を受けて、代々相伝のはた井田四反を本物返しの質地として入れた連署質券。元金を返せば取り戻すこと、年々の本公米などの条件を定める。

  31. 前編2-No.1220 足利義教御教書

    日向国野辺に居住する大覚寺義昭を早急に上進すれば忠節とし、恩賞は望みに任せるとして、野辺へ厳命するよう命じた足利義教の御教書。樺山氏四代孝久譜中に収められ、樺山源三郎久清所蔵の写しによる。

  32. 前編2-No.1221 足利義教御教書

    大覚寺義昭の在所を注進し、その書状を取り進めたことを賞したうえで、直ちに計略をめぐらして義昭を上進し、それが不可能なら討ち取るよう命じた足利義教の御教書。いずれの処置も忠節になるとし、詳細は使者に含めた。

  33. 前編2-No.1222 足利義教御教書

    大覚寺義昭が分国内に居住するとの以前の注進に対して既に指示したのに処置が遅れていることを問い、時日を費やさず決着させれば万代の忠節になるとして、速やかな対応を求めた足利義教の御教書。詳細は大内修理大夫が伝えるとする。

  34. 前編2-No.1223 島津持久契状

    島津持久(用久)が契約相手と、天下の情勢が変転しても相談して忠節を尽くし、以後いよいよ二心なく協力すること、謀議や凶害が生じた際は直ちに対面して知らせることを神々に誓った契状。

  35. 前編2-No.1224 島津忠隆証状

    島津忠隆が福昌寺へ、敵方の者が寺へ逃げ込んだ際に狼籍が起きたことを受け、福昌寺の末寺・末庵へ重罪人が走り入っても刃傷に及ばず、寺領にも侵害を加えないという先例を改めて確認した証状。違反者は忠隆の子孫ではないと定める。

  36. 前編2-No.1225 伊作島津久逸譜

    伊作島津久逸の出生と伊作家継承を記す系譜記事。久逸は永享十二年に島津忠国の三男として生まれ、母は新納近江守忠臣の娘。伊作家の大安丸が早世したため、忠国の意向で久逸が迎えられ、大安丸の妹を妻として伊作家を継いだ。

  37. 前編2-No.1226 島津久逸書状

    島津久逸が坊津一乗院へ、例年の大般若経祈念に加え、屋形から国名を拝領するための祈念が成就したことを謝した書状。宝生院が使僧として巻数を持参した際、久逸は鹿児島にいて対面できなかったため、改めて参上して礼を述べるとする。

  38. 前編2-No.1227 伊作島津久逸譜

    伊作家の元祖・久長が伊作庄を領して同地に長く居住し、のちに日向国樺間院を与えられて移住したことを記す伊作島津久逸譜の記事。

  39. 前編2-No.1228 島津国史

    嘉吉元年前後の大覚寺義昭(尊有)事件と嘉吉の変を諸史料から記す国史記事。義昭が大和・河内・九州の兵を募り、北郷氏や樺山孝久らへ義挙への参加を求めた経緯、日向国樺間院での追捕・自害と関係者への恩賞、さらに赤松満祐による足利義教殺害後の幕府追討と島津氏一族の軍功賞与を詳述する。

  40. 前編2-No.1229 薩州島津国久譜

    薩州島津国久について、嘉吉元年に生まれ、三郎太郎・薩摩守と称し、名を斉為甫としたこと、島津立久の時代に六年間守護代を務めたことを記す系譜記事。

  41. 前編2-No.1230 渋谷重長寄進状

    渋谷重長が八幡新田宮へ、重代相伝の薩摩国入来院中村内山口の在家・田畠を、五郎重用の病気平癒と子孫の加護を祈るため永代寄進した文書。

  42. 前編2-No.1231 伊集院照久禁制

    伊集院照久が廣濟寺に対し、寺の山林にある松を伐採することを固く禁じた禁制。

  43. 前編2-No.1232 藤原久景寄進状

    藤原久景が廣濟寺へ、薩摩国給黎の下永吉給にある源兵衛塩屋一所を、不盡用公禅門の追善のため寄進し、子孫も相違してはならないと定めた寄進状。

  44. 前編2-No.1233 島津持久袖判証状

    福昌寺に正文があり、薩州家用久の袖判を伴って用久譜中にも載る島津持久袖判証状。本文はNo.1216と同文のため省略されており、慧燈院の寄進状・寺領関係文書を列挙して持久が証明した文書に当たる。

  45. 前編2-No.1234 島津持久寄進状

    福昌寺に正文がある島津持久寄進状。本文はNo.1215と同文のため省略されており、持久が母の菩提料として鹿児島郡坂本の山下水田三段を慧燈院へ寄進した文書に当たる。

  46. 前編2-No.1235 樺山教久段銭等差出控

    樺山教久の段銭等差出控として目録に掲げられた文書。本文頁には樺山家所蔵で薩州家用久譜中にも載るとの注記だけがあり、本文は再録されていないため、具体的な差出内容は補わない。

  47. 前編2-No.1236 島津旧記

    嘉吉元年、将軍が島津忠国の軍功を賞して親書・腹巻・太刀を与え、琉球国を封じ、樺山教久らにも太刀を授けたとする島津旧記の記事。

  48. 前編2-No.1237 山田忠尚譜

    大覚寺前住の義昭(尊有)が将軍足利義教との不和から京都を脱出し、日向国福島院・野辺に潜伏した経緯と、幕府の追捕命令を受けた島津忠国が山田忠尚らに討伐を命じ、永福寺で義昭を討って首を京都へ送ったことを記す山田忠尚譜の記事。

  49. 前編2-No.1238 北郷持久譜

    大覚寺義昭(尊有)の陰謀発覚と日向国福島への逃亡、島津忠国の命を受けた新納忠続・肝付兼忠・本田重恒・樺山孝久・北郷持久らが嘉吉元年三月十三日に永福寺で義昭を討ち、北郷持久が忠賞として足利義教から宝刀を賜ったことを記す譜記事。

  50. 前編2-No.1239 南方紀伝

    後花園院永享十二年以降の大覚寺義昭事件を、南方紀伝・島津古記の伝承として記す記事。義昭が京都を逐電して九州で挙兵を図り、日向国で討たれた経緯、所持品や首級が京都へ送られたこと、義昭に関する寺院伝承・詠歌などを収める。

  51. 前編2-No.1240 島津忠国譜

    嘉吉元年三月十三日、将軍足利義教の弟で謀反を企てた大覚寺義昭が日向国樺間院に潜伏していたため、幕府の誅戮命令により討たれ、その首が京都へ献じられたことを記す島津忠国譜の記事。

  52. 前編2-No.1241 足利義教御内書

    足利義教が島津忠国へ、大覚寺義昭事件を計略によって早く決着させた比類ない忠節を賞し、今後も頼みにすると伝え、太刀一腰・腹巻一領・馬一疋を与えた御内書。詳細は赤松満政が伝えるとする。

  53. 前編2-No.1242 さぬき房等詠草

    大覚寺義昭事件に関係する人物らの詠草。義昭らの死、京都への望郷、野辺の煙、花の無常などを詠み、自ら腹に刀を立てた際の歌を含む複数首を収める。

  54. 前編2-No.1243 島津光久大興寺再興棟札

    島津光久を大檀主として大興寺の客殿一宇を再興した棟札写。草堂以来の建物が風雨で傷んだため、郡民の負担を軽くする構造で再建し、天下泰平・国土安穏・檀門繁栄・寺家長久・仏法紹隆を祈願する。

  55. 前編2-No.1244 島津義弘寄進状

    島津義弘が大興寺へ、大隅国百曳内歌丸の門田合計一町五段を、天正八年に島津義久が大覚寺領として寄進した先例どおり相違なく安堵した寄進状。

  56. 前編2-No.1245 足利義教御内書

    足利義教が樺山孝久へ、大覚寺義昭事件で粉骨して働いた忠節を賞し、殊に神妙であるとして太刀一腰を与えた御内書。

  57. 前編2-No.1246 樺山孝久譜

    大覚寺義昭の陰謀が露見し、日向国に潜居したのち嘉吉元年三月十三日に樺間で誅されたこと、樺山孝久が忠節を賞され、宝刀三郎国宗を賜って家宝としたことを記す。

  58. 前編2-No.1247 大内持世書状

    大内持世が菊池殿へ、大覚寺義昭が日向国櫛間で討たれて首が到来し、足利義教が満足したことを伝え、今後の公方への言上や披露の取次方法を指示した書状。

  59. 前編2-No.1248 赤松満政書状

    赤松満政が島津忠国へ、大覚寺義昭追討の注進が到来して公方が喜んだこと、忠節への恩賞として剣・腹巻・馬が下されたことを伝え、今後も忠節を尽くすよう促した書状。

  60. 前編2-No.1249 赤松満政書状

    赤松満政が島津忠国へ、義昭追討で粉骨した配下五人を褒賞するため、名を記して届け出るよう求め、本人にも褒美を申し与えるよう命じた書状。

  61. 前編2-No.1250 赤松満政書状

    藤野氏蔵本で、No.1249と同文のため本文を省略する。義昭追討で粉骨した配下五人の名を届け出させ、褒賞する趣旨の赤松満政書状。

  62. 前編2-No.1251 足利義教御教書

    樺山源三郎久清所蔵の足利義教御教書。本文はNo.1222と同文のため省略され、本末に年月日がない。義昭への処置が遅れていることを問い、速やかな決着を求める文書に当たる。

  63. 前編2-No.1252 赤松満政書状

    赤松満政が島津忠国へ、野辺に関する告文を返送したこと、誓文による心中の言上を公方が喜んだこと、樺山孝久と相談した志和知への軍勢派遣の件などを伝えた書状。

  64. 前編2-No.1253 北郷知久契状

    北郷知久が樺山殿と、公方への奉公を第一とし、互いの大事には力を尽くし、讒言や害意を知った際は直ちに知らせることを神仏に誓った契状。

  65. 前編2-No.1254 友貞書状

    友貞が本田信濃守へ、大覚寺義昭の探索・捕縛を急ぎ、領内からも人を出して追究し、密偵を遣わすなど慎重に対応するよう求めた書状。

  66. 前編2-No.1255 伴貴兼契状

    伴貴兼が樺山殿と、公方への奉公を第一とし、互いの大事には力を尽くし、讒言や害意を知った際は直ちに知らせることを神仏に誓った契状。

  67. 前編2-No.1256 樺山満久起請文

    樺山満久が、妻を取ったうえで『はく地のせうふ』を行うことがあれば天神の罰を受けると誓った短い起請文。語句は原文表記を保持する。

  68. 前編2-No.1257 足利義教御内書

    足利義教が島津忠国へ、大覚寺事件で比類ない忠節を尽くしたことを賞し、使者を通じて感状を伝え、馬・太刀・刀を与えた御内書。

  69. 前編2-No.1258 足利義教御教書

    樺山源三郎久清所蔵で忠国公御譜中にも載る足利義教御教書。本文はNo.1220と同文のため省略され、義昭を早急に上進すれば忠節とし恩賞を約す文書に当たる。

  70. 前編2-No.1259 足利義教御教書

    本文はNo.1221と同文のため省略される足利義教御教書。義昭の在所注進を賞し、直ちに上進し、不可能なら討ち取るよう命じた文書に当たる。

  71. 前編2-No.1260 足利義教御教書

    本文はNo.1222およびNo.1251と同文のため省略される年月日なしの足利義教御教書。義昭への処置の延引を問い、早急な決着を求めた文書に当たる。

  72. 前編2-No.1261 大覚寺尊有御内書

    大覚寺尊有(本文注記では義昭僧正)が樺山殿へ送った御内書。足利義教の悪政によって天下が乱れ、将軍家滅亡の恐れがあると批判し、自らの挙兵に味方して忠節を尽くすよう求める。勝定院との関係にも触れ、樺山孝久に計略と軍事協力を促し、成功後の恩賞を約束した反将軍方の勧誘文書。

  73. 前編2-No.1262 大覚寺尊有御内書

    大興寺に伝わる大覚寺尊有御内書。本文はNo.1261と同文のため省略され、義教の悪政を批判して樺山殿へ味方・忠節を求め、恩賞を約した文書に当たる。

  74. 前編2-No.1263 足利義教御内書

    足利義教が肝付兼忠へ、大覚寺事件で粉骨したことを聞き、その忠節を神妙であると賞して太刀一腰を与えた御内書。

  75. 前編2-No.1264 足利義教御内書

    樺山源三郎久清所蔵で、本文はNo.1245と同文のため省略される足利義教御内書。大覚寺事件での忠節を賞し、樺山孝久へ太刀一腰を与えた文書に当たる。

  76. 前編2-No.1265 拝領物目録

    大覚寺事件の功労者に与えられた太刀を列挙した目録。新納忠續に長光、北郷持久に国行、肝付兼忠に同銘、本田重恒に正恒、樺山孝久に国宗を与えたと記す。

  77. 前編2-No.1266 島津持久契状

    島津持久が樺山殿と、天下の変事や互いの大事には協力し、子孫の代まで違背せず、讒言が生じた際は直接知らせ合うことを神仏に誓った契状。

  78. 前編2-No.1267 島津持久契状

    樺山家に伝わる島津持久契状。本文はNo.1266と同文のため省略され、天下の変事や互いの大事に協力し、子孫まで違背しないことを誓う文書に当たる。

  79. 前編2-No.1268 和田正存契状

    和田正存が樺山殿と、互いの大事には身命を尽くし、子孫の代まで違背せず、讒言が生じた際は直接知らせ合うことを神仏に誓った契状。本文注記は正存を和田氏・三俣高城辺の領主とする。

  80. 前編2-No.1269 高木殖家契状

    高木殖家が樺山殿と、互いの大事には身命を尽くし、子孫の代まで違背せず、讒言が生じた際は直接知らせ合うことを神仏に誓った契状。

  81. 前編2-No.1270 殉国名藪

    西郷壹岐守宗満が嘉吉元年閏九月三日に戦死したことを記す。戦場の詳細は不明で、享年四十七歳とする。

  82. 前編2-No.1271 北郷知久書状

    北郷知久が樺山殿へ、訪問と書状への礼、病気のため参上が遅れたことを述べ、大崎方面へ肝付・和田勢が出動し、内城方面で在家を放火したこと、二十三日に再出動予定で二十八人を派遣したことを報じた書状。

  83. 前編2-No.1272 鎌田道賢寄進状

    鎌田道賢が国府まくさたの島の田五段を榊巌寺へ寄進し、本主が取り戻そうとした場合も寄進物として別田と交換せず、寺領として保持するよう定めた寄進状。

  84. 前編2-No.1273 足利将軍家御教書

    右京大夫持之が将軍家の命を奉じ、島津持久・高木孫三郎・市来太郎以下を治罰するため、吉田若狭守に島津忠国へ合力して忠節を尽くすよう命じた御教書。

  85. 前編2-No.1274 足利将軍家御教書

    右京大夫持之が将軍家の命を奉じ、島津持久らの治罰のため島津忠国へ合力し、とりわけ島津貴久への二心ない忠節を賞して、今後も戦功を励むよう吉田若狭守へ命じた御教書。

  86. 前編2-No.1275 足利将軍家御教書

    右京大夫持之が将軍家の命を奉じ、島津持久・高木孫三郎・市来太郎以下を治罰するため、樺山孝久に島津忠国へ合力して忠節を尽くすよう命じた御教書。

  87. 前編2-No.1276 伊集院照久証状

    伊集院照久が、眞超を廣濟寺住持職に定めた以上、田島・山林などを違乱なく知行させ、同寺の所領を妨げる者は照久の子孫であっても認めないと証した文書。

  88. 前編2-No.1277 信家沽却状

    信家が元金二貫文・利分一貫文、合計三貫文の借用に対し、いなます名内の『かいもと』の水田三反を売り渡し、三年後に元金を返せば土地を返進する条件などを定めた沽却状。

  89. 前編2-No.1278 島津国史

    嘉吉二年以降の島津氏をめぐる動向を記し、島津持久による本田氏・山田忠尚への所領宛行、足利義勝が入来院・吉田へ持久らの討伐と島津忠国への助力を命じたこと、その後の軍事行動や持久・久照・和田正存らの盟約関係を述べる国史記事。

  90. 前編2-No.1279 本田重恒譜

    本田重恒が嘉吉二年三月十七日、島津持久から溝辺六町・同城と向島内の有村を与えられたことを記す。取得の事情は不明とする。

  91. 前編2-No.1280 島津持久宛行状

    島津持久が本田殿へ、島津荘大隅方の溝辺六町・同城および向島内の有村を給分として宛行い、先例に任せて相違なく領知するよう命じた宛行状。

  92. 前編2-No.1281 島津持久宛行状

    島津持久が山田殿へ、島津荘大隅方小川院内の百引六町を祈所として宛行い、先例に任せて相違なく領知するよう命じた宛行状。

  93. 前編2-No.1282 島津持久安堵状

    本文はNo.1281号文書と同文であるとして省略される。目録では島津持久安堵状とされ、同日付の山田氏関係文書として独立番号を持つ。

  94. 前編2-No.1283 島津忠国書状

    島津忠国が山田殿へ、老衰しても狩猟・鷹狩への好みは変わらないと述べ、久しく無音であったことに触れたうえで、引目木を持たせてくれれば喜ばしいと依頼した書状。

  95. 前編2-No.1284 伊集院照久安堵状

    伊集院照久が三郎左衛門へ、坊津は島津持久から所領として預けられている間は知行してよく、御所から照久へ返付された時は坊津を忠実に返すよう定めた安堵状。

  96. 前編2-No.1285 入来院霊長置文

    入来院重長が孫の菊五郎丸へ、入来院内清敷北方・南方、上副田・市比野・塔原など薩摩国を中心に筑前・筑後・甲斐・美作・相模に及ぶ所領を証文とともに永代譲与した。将来は兄弟が多くても器量ある惣領一人へ全所領を譲り、分割相続を禁じると定めた置文。

  97. 前編2-No.1286 伊作久清寄進状目録

    感應寺文書として、下桑原田井落水に関する寄進状一通を掲げ、伊作左京大夫久清の判があることを記した寄進状目録。

  98. 前編2-No.1287 足利将軍家御教書

    畠山持国が将軍家の命を奉じ、先に治罰を受けながら再び出張して島津忠国を難儀させる島津持久・高木孫三郎・市来太郎らに対し、吉田若狭守へ速やかに忠国へ合力して戦功を励むよう命じ、命令に背く者は三人と同罪とすると伝えた御教書。

  99. 前編2-No.1288 足利将軍家御教書

    沙弥徳本が将軍家の命を奉じ、島津持久・高木孫三郎・市来太郎らの再挙により島津忠国が難儀しているため、入来院弾正少弼へ直ちに忠国へ合力して戦功を励み、命令に背く者を三人と同罪とするよう伝えた御教書。

  100. 前編2-No.1289 やなせ好為証状

    やなせ好為が、谷山郡の『わたのひこ二郎』屋敷内にある伊佐智佐権現の土地について、違乱が生じた時はこの証状を証文として差し出すよう定めた証状。