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前編2の目録

旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。

全2,778件中 1901~2000件・20 / 28ページ

  1. 前編2-No.1887 島津忠隆安堵状

    島津忠隆が大興寺の寺建立の意趣と井寺領の定法を確認し、永代の相続と違乱停止を認めた安堵状。

  2. 前編2-No.1888 犬追物手組

    永正十四年九月十五日の犬追物について、初日一番の射手と射数を列記した手組。

  3. 前編2-No.1889 犬追物手組

    永正十四年九月十六日の犬追物について、二日二番の射手と射数を列記した手組。

  4. 前編2-No.1890 大内義輿書状

    大内義輿が島津忠隆に、分国へ帰還した事情を述べ、御内書の趣旨に従い伊東大和守と相談して忠節を尽くすよう求めた書状。

  5. 前編2-No.1891 杉武道書状

    杉武道が島津忠隆に、京都の情勢と御内書に関する事情を伝え、今後の忠節と参達を求めた書状。

  6. 前編2-No.1892 智法左禅師書状

    智法左禅師が恒房の子孫・縁者に関する先例を挙げ、寺務や家の由緒を後来の例とするよう述べた書状。

  7. 前編2-No.1893 智法照禅師天祐証状

    智法照禅師天祐が妙谷寺の買地・寺領と住持継承について、後代の違背を禁じ、証拠として認めた証状。

  8. 前編2-No.1894 天祐和尚辞世偈

    天祐和尚の辞世として、生来死去・十世古今・枯木風吟と詠んだ偈。

  9. 前編2-No.1895 島津忠隆譜

    永正十五年五月十一日、遊行上人が鹿児島へ来着し、六月十日に出立したことを記す島津忠隆譜の記事。

  10. 前編2-No.1896 渋谷氏鹿児島参仕座配書立

    渋谷氏一族が鹿児島へ参上した際の主居・中居・客居などの座敷順序を、人名ごとに書き立てた座配書。

  11. 前編2-No.1897 阿多熊野権現鏡銘

    阿多上宮熊野権現の御鏡について、寸法・銘文と、島津藤原朝臣の子孫繁昌・忠幸を祈る願文を刻んだ鏡銘。

  12. 前編2-No.1898 入来院本村諏訪座敷定日記

    入来院本村の諏訪社における座敷順を、伊集院殿・山口殿・宮里殿などの席次として定めた日記。

  13. 前編2-No.1899 島津忠隆書状

    島津忠隆が琉球国王に、天王和尚を使節として遣わし、当年は返礼を控えること、国政未調の事情は先に対馬守へ書状で伝えたこと、来春に使僧を通じて申し述べること、進物の件は副書に記したことを述べた案文。

  14. 前編2-No.1900 久志浦久玉大明神棟札

    久志浦の久玉大明神社殿を造立した際の棟札。造営の年紀と社号を掲げ、平山氏・恒房ら願主、大檀那、工事関係者の名を記すとともに、神威の増進、地域の安全、願主・氏子の繁栄を祈る造営の目的を後世へ伝える。

  15. 前編2-No.1901 調所恒久伝

    永正十五年十月、島津忠隆が申良城を陥れたのち忠朝・忠康らの働きを賞し、調所恒久の家系と所領・奉公の由緒を記した伝記記事。

  16. 前編2-No.1902 平山忠康証状

    平山忠康が調所名字の由緒を平山同家との関係から説明し、前代の謂れにより余義なく相副うことを証した証状。

  17. 前編2-No.1903 平山忠康書状

    平山忠康が平山越後入道に、名字と細候の扱いについて伊地知周防の助言を踏まえて申し送った書状。

  18. 前編2-No.1904 調所恒房・平山久近引物書上

    調所九郎兵衛尉・平山越後入道らに贈る太刀・弓・紙・扇などの引物を、人別に書き上げた文書。

  19. 前編2-No.1905 足利義稙補任御教書

    足利義稙が従亀首座を相州鎌倉建長寺の住持職に補任し、寺務を執行するよう命じた御教書。

  20. 前編2-No.1906 島津忠隆譜

    島津忠隆が永正十六年四月四日に痘疹を患って二十三歳で没し、法名を龍盛、号を興岳としたことを記す譜記事。

  21. 前編2-No.1907 島津忠隆譜

    島津忠隆が永正十二年から同十六年まで五年間国を治めたことを記す短い譜記事。

  22. 前編2-No.1908 福昌寺卵塔碑銘

    玉龍山福昌寺西方の卵塔に刻まれた島津忠隆の碑銘。忠隆の没年月日、家系上の位置と生前の事績を記し、墓塔建立の由来を示す。末尾には追悼の偈頌を掲げ、故人の徳をたたえて菩提と後世の供養を祈念する。

  23. 前編2-No.1909 島津勝久譜

    島津忠隆に嗣子がなかったため、頴娃氏との関係を背景に島津勝久の家督継承と後見の経緯を記す譜記事。

  24. 前編2-No.1910 島津勝久譜

    永正十六年に薩隅日三州で凶徒が蜂起した情勢のもと、島津勝久の継承と守護に関する経緯を記す譜記事。

  25. 前編2-No.1911 中野歳信答申書

    中野安房守歳信が新納越後守忠泰の諮問に答え、久顕公を中心とする家政運営について意見を述べた答申書。家督の安定、近侍・家臣の登用と処遇、佐伯殿・内田十郎ら関係者への対応、所領給付の基準を論じ、家中統制を立て直す方策を示す。

  26. 前編2-No.1912 霧島社造立趣意書

    山川郷に霧島御社一宇を造立する趣意と息災延命の祈願を記し、大檀那伴兼憲・大工助兵衛尉元吉らの名を列記した文書。

  27. 前編2-No.1913 大内義輿書状

    大内義輿が島津忠朝に、渡唐船の儀について陶安房守弘詮に委細を申し含めたので、その指示に従うよう求めた書状。

  28. 前編2-No.1914 陶弘詮書状

    陶弘詮が島津忠朝に、渡唐船を分国内に留め置くことや使者の入国、船事の許容などを申し入れた書状。

  29. 前編2-No.1915 島津忠朝書状

    島津忠朝が陶弘詮に、渡唐船に関する書状と贈物を受け、船の入津と進物の扱いについて返答した書状。

  30. 前編2-No.1916 島津忠朝書状

    島津忠朝が陶弘詮に、船の停泊・修理と関係者の往来について許容条件を示し、詳細を返答した書状。

  31. 前編2-No.1917 島津勝久譜

    永正十六年十一月、伊集院尾張守為長が謀反して城に籠り、十二月に新納近江守忠武らが攻撃した経緯を記す譜記事。

  32. 前編2-No.1918 藤原忠俊寄進状

    藤原忠俊が新田宮の御宝前に寄進を行い、天長地久・円満と子孫繁昌、息災延命を祈願した寄進状。

  33. 前編2-No.1919 島津国史

    『島津国史』が、島津忠将の家系・官途を起点に、永正十七年以後の合戦と軍功を記す。忠朝・貴久・勝久との一族関係、伊集院尾張守忠武ら家臣との従軍、恩賞・所領支配の推移を掲げ、忠将家の成立と島津家中での役割を整理する。

  34. 前編2-No.1920 島津忠将系図

    島津忠将一流の系図で、忠将の初名・通称・官途、永正十七年の誕生、母が貴久と同母であることを記す。

  35. 前編2-No.1921 島津忠兼書状

    島津忠兼が肝付三郎五郎に、前年以来の在陣と軍忠をねぎらい、今後も忠節を尽くすよう求めた書状。

  36. 前編2-No.1922 一乗院庄厳寺掟書

    一乗院衆徒が伝法灌頂などの法流と庄厳寺の会場・住持、門弟や寺務の扱いを定めた掟書。

  37. 前編2-No.1923 島津勝久譜

    島津忠兼が修理大夫に任じられ、そのため桂樹院の玄章首座が使僧を務めたことを記す勝久譜の記事。

  38. 前編2-No.1924 蔵人葉室頼継奉口宣案

    蔵人左少弁藤原頼継が奉じ、藤原忠兼を修理大夫に任ずる旨を伝えた口宣案。

  39. 前編2-No.1925 阿久根大固寺坪付

    薩摩国阿久根の大固寺に関する水田を、合計十七町五段として所在別に書き上げた坪付。

  40. 前編2-No.1926 細川高国書状

    細川高国が島津忠兼に、渡唐船について先に申し入れた内容を踏まえ、預け置く者への対応と今後の指示を伝えた書状。

  41. 前編2-No.1927 島津忠朝契状

    島津忠朝が誓札に基づく約束を確認し、双方に隔意なく、争いが生じた場合も協議して処理することを誓約した契状。

  42. 前編2-No.1928 樺山宗栄(久長)・広久連署契状

    樺山宗栄久長・広久が連署し、相互に二心なく奉公し、紛争時には協議して解決することを神仏に誓った契状。

  43. 前編2-No.1929 島津忠朝書状

    島津忠朝が、提出された証文と懸案の処理について、使僧を介して返答し、筆談による調整を求めた書状。

  44. 前編2-No.1930 宮里正豊伝

    永正十七年七月二十四日、大隅比目木石付近で新納方と合戦した際、宮里正豊が一騎討ちなどの軍功を挙げたことを記す伝記記事。

  45. 前編2-No.1931 島津勝久譜

    永正十七年、伊集院尾張守忠武方との合戦で敵方が敗れ、城を退去・降伏した経緯を記す島津勝久譜の記事。

  46. 前編2-No.1932 島津忠将系図

    島津忠将一流の系図で、忠将が国主の次弟で、永正十七年十一月十二日に薩州伊作で生まれ、貴久と父母を同じくしたことを記す。

  47. 前編2-No.1933 細川高国書状

    細川高国が島津忠朝に、渡唐船について吉河出雲守を下向させたので、特別の事情なく受け入れて便宜を図るよう求めた書状。

  48. 前編2-No.1934 調所恒房伝

    調所恒房の官職・奉公と諸郷院における政務上の活動を記した短い伝記資料。

  49. 前編2-No.1935 留守所下文

    留守所が諸郷院へ示した寺務の規定。仏神事と法会を怠らず勤行すること、寺院・堂舎を修固すること、池溝を浚えて用水を維持することなどを条項別に命じ、僧俗の関係者が先例と定めに従って共同で執行するよう求める。

  50. 前編2-No.1936 調所恒房伝

    大翁公が調所恒房に大隅国武安名の田二段を与え、恒房が永正十八年三月十五日に没したことを記す伝記記事。

  51. 前編2-No.1937 隅州武安名経田坪付

    大隅国武安名にある経田の坪付で、田地の所在・面積と本田・桑波田・伊地知氏ら関係者を列記した文書。

  52. 前編2-No.1938 島津家老臣連署式日次第

    島津家の家老臣が連署して定めた年中行事の式日次第。正月の祝儀・参賀から七夕まで、饗応、使者の派遣、社寺参詣、座敷での座次と役割を日付順に掲げ、田島・伊地知・本田・桑波田・石井ら家臣が担当する儀礼と家中運営の手順を示す。

  53. 前編2-No.1939 智陸証状

    智陸が大隅国曽野郡郡田名内の田地について、所在と面積を列記し、後日のため証した文書。

  54. 前編2-No.1940 福昌寺恕岳証状

    福昌寺の恕岳が禅定門の祠堂物と寺内での配分・処置を定め、後日の証拠として認めた証状。

  55. 前編2-No.1941 島津忠朝書状

    島津忠朝が京兆方に、池永修理の渡唐船、陶安房守への申入れ、塩田壱岐守の取次などについて返答した書状。

  56. 前編2-No.1942 島津忠朝書状

    島津忠朝が陶弘詮に、渡唐船について先に示された内容を重ねて了承し、修理大夫からの申旨と塩田壱岐守の取次を伝えた書状。

  57. 前編2-No.1943 島津忠朝書状

    島津忠朝が京兆方へ太刀一腰と陶安房守の書状を贈り、面会・取次を求めた書状。

  58. 前編2-No.1944 佐多氏譜

    佐多忠和について、文明九年丁酉の誕生、又太郎・伯耆守の称号などを記した佐多氏の系譜資料。

  59. 前編2-No.1945 近衛植家書状

    近衛植家が佐多伯耆守に、特段の用件がなく音信が途絶えていることへの遺憾を述べ、今後の取次を求めた書状。

  60. 前編2-No.1946 佐多氏譜

    佐多忠和が大永元年四月八日に四十五歳で没し、法号を俊翁道英居士としたことを記す譜記事。

  61. 前編2-No.1947 島津忠朝書状

    島津忠朝が陶弘詮に、書状への返礼と絹川佐渡入道に関する用件の許容を求めた書状。

  62. 前編2-No.1948 島津忠朝書状

    島津忠朝が京兆方へ、渡唐船に関する礼意を述べ、修理大夫への取次と披露を求めた書状。

  63. 前編2-No.1949 樺山玄佐自記

    大永元年五月十日、樺山玄佐らが堅利小田から河内方面へ移り、翌年に宗栄らが移動した経緯を記す自記。

  64. 前編2-No.1950 樺山長久譜

    樺山長久一族が外敵の脅威と所領問題を避けるため、北原・伊東氏の領域へ移住した経緯を記す。樺山宗栄・島津忠兼らとの関係、野野三谷などで認められた居住・知行、旧領と新所領の処理を追い、主家・地域を移った一族の生存と所領継承を示す。

  65. 前編2-No.1951 島津忠朝書状

    島津忠朝が甘露寺殿方に、琉球船の荷口と妙満寺による披露、琉球での忠節などについて申し入れた書状。

  66. 前編2-No.1952 琉球三司官書状

    琉球三司官が種子島時尭に、妙満寺使節の渡海と両国の和親、贈物への謝意を述べた書状。

  67. 前編2-No.1953 琉球三司官書状

    琉球三司官が前書に追啓し、種子島との交流と贈答に関する補足を伝えた書状。

  68. 前編2-No.1954 琉球中山王朱印状

    琉球中山王が種子島時尭からの品々を受け、香華・緑織物などを返礼として贈った朱印状。

  69. 前編2-No.1955 香西元盛書状

    香西元盛が島津忠朝に、渡唐船二艘のうち絹川佐渡入道が関係する船の扱いについて申し入れた書状。

  70. 前編2-No.1956 細川高国書状

    細川高国が島津忠朝に、渡唐船二艘と絹川佐渡入道の入道先、船の取扱いについて指示した書状。

  71. 前編2-No.1957 大友親教書状

    大友親教が島津忠朝に、伊東祐加助からの仲介趣旨を踏まえ、領国境の安全と和議について申し入れた書状。

  72. 前編2-No.1958 本庄右述等連署状

    本庄右述・臼杵長景・大神親照が連署し、三か国の弓矢と和議、近年の乱れについて申し入れた書状。

  73. 前編2-No.1959 大内義輿書状

    大内義輿が島津忠朝に、貴国船の新造と塩田壱岐からの申入れを踏まえ、陶弘詮に委細を申し含めた書状。

  74. 前編2-No.1960 陶弘詮書状

    陶弘詮が島津忠朝に、渡唐船について先に申し入れた内容と塩田方の申旨を重ねて伝えた書状。

  75. 前編2-No.1961 島津忠朝書状

    島津忠朝が島津豊後守に宛て、伊東尹祐の助言を踏まえた伊集院忠武・北郷関係者との交渉経過を報告した書状。各方の主張と仲介の動きを説明し、対立の拡大を避けて和睦を成立させるため、豊後守にも関係者の説得と取り計らいを求める。

  76. 前編2-No.1962 西藩野史

    新納忠武らの挙兵を契機に、島津忠兼と忠良・貴久方が争った経過を記す。伊作・伊集院・鹿児島方面の城攻めと軍勢移動、伊集院忠朗・伊地知・北郷諸氏の帰属、交渉による和睦と再対立を追い、守護家の主導権が変化した過程をまとめる。

  77. 前編2-No.1963 島津国史

    泉涌寺舎利殿修造の勧進と島津勝久・本田兼親の奉加を記し、あわせて北郷・新納・伊東氏らの合戦や領国情勢を年次に沿って述べる記事。

  78. 前編2-No.1964 島津忠朝書状

    島津忠朝が本庄伊賀守に、北郷と山田・野々美谷をめぐる争い、伊東尹祐による調停の経過を述べ、引き続き仲介するよう求めた書状。

  79. 前編2-No.1965 殉国名藪

    大永二年四月二十六日、北郷六郎久家が梶山で討死したことを記す記事。

  80. 前編2-No.1966 島津忠朝書状

    島津忠朝が香西殿に、渡唐船と絹川佐渡入道の船について、前年の渡海や順風を待つ事情を伝え、取り計らいを求めた書状。

  81. 前編2-No.1967 島津忠朝書状

    島津忠朝が寺町石見守に、二号船の津への着岸と警固の手配を伝え、無事の帰国に向けた配慮を求めた書状。

  82. 前編2-No.1968 島津忠朝書状

    島津忠朝が寺町石見守に、二号船をめぐる書状を披見した旨と、客衆の錯乱で大友義長が憤った件を述べ、無事帰国できるよう処置を求めた書状。

  83. 前編2-No.1969 後柏原天皇論旨

    後柏原天皇の意を奉じ、破損した泉涌寺舎利殿の修造再興のため、島津勝久に分国内での勧進と奉加を厳密に取り計らうよう命じた論旨。

  84. 前編2-No.1970 近衛尚通書状

    近衛尚通が島津勝久に、泉涌寺造営について勅裁が下ったため、分国内で相応の措置を行うよう求めた書状。

  85. 前編2-No.1971 庭田重親書状

    庭田重親が島津勝久に、泉涌寺舎利殿造営の勧進について、特段の助成と分国内からの奉加、使僧の上洛を求めた書状。

  86. 前編2-No.1972 本田兼親譜

    大永二年、本田兼親が六十一歳の時、島津忠兼から誓書を与えられたことを記す記事。

  87. 前編2-No.1973 島津忠兼契約状

    島津忠兼が本田因幡守に、他者へ替えて奉公を退けることはなく、相互の信頼を保つ旨を神仏に誓った契約状。

  88. 前編2-No.1974 高城重興書状

    高城重興が山口九郎右衛門尉に、先の文書に関する用件と肥前守への伝達を頼み、返事を求めた書状。

  89. 前編2-No.1975 庭田重親書状

    巻本でNo.1971と同文のため本文を省略した庭田重親書状。泉涌寺舎利殿造営への助成と奉加を求める。

  90. 前編2-No.1976 吉見頼興書状

    吉見頼興が島津忠朝に、幕府や京都での交渉、忠朝の意向と奉公について述べ、今後も詳しい連絡を求めた書状。

  91. 前編2-No.1977 島津忠朝書状

    島津忠朝が本庄伊賀守に、国中の弓矢・紛乱と旧冬以来の調停について述べ、早期に和平が成立するよう尽力を求めた書状。

  92. 前編2-No.1978 大友親敦書状

    大友親敦が島津忠朝に、和平が整ったことを喜び、今後の連絡と本庄伊賀守への伝達を求めた書状。

  93. 前編2-No.1979 臼杵長景・本庄右述連署状

    臼杵長景と本庄右述が島津忠朝に、遠路の連絡への謝意と祝意を述べ、今後も疎意なく連絡するよう求めた連署状。

  94. 前編2-No.1980 島津忠朝書状

    島津忠朝が臼杵長景らに、庄内の争いと伊東尹祐の調停、山田・野々美谷をめぐる処置を述べ、引き続き仲介を求めた書状。

  95. 前編2-No.1981 島津忠朝書状

    島津忠朝が吉見長井に、父忠兼の上洛時以来の厚意と扶助への謝意を述べ、今後も取り計らいを求めた書状。

  96. 前編2-No.1982 臼杵長景・本庄右述連署状

    臼杵長景と本庄右述が島津忠朝に、沈香・唐扇の贈答と伊東尹祐による調停の進展を伝え、今後の対応を求めた連署状。

  97. 前編2-No.1983 進藤長井書状

    進藤長井が島津忠朝に、家門の用件と近年の働きへの謝意を述べ、今後も奉公・助成するよう求めた書状。

  98. 前編2-No.1984 島津忠朝書状

    島津忠朝が進藤長井に、修理大夫忠兼に関する意向や進藤の助言・奉公への謝意を述べ、引き続き取り計らいを求めた書状。

  99. 前編2-No.1985 島津忠朝書状

    島津忠朝が土持右馬頭に、新納忠勝の動向、北郷・庄内をめぐる争いと調停経過を述べ、助力を求めた書状。

  100. 前編2-No.1986 島津忠朝書状

    島津忠朝が臼杵長景・本庄右述に、伊東尹祐の仲介、新納・庄内・北郷をめぐる調停について述べ、早急な裁断を求めた書状。