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前編2の目録

旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。

全2,778件中 2601~2700件・27 / 28ページ

  1. 前編2-No.2580 貴久公記

    『貴久公記』が、天文十七年三月に本田紀伊守が姫木城を構えた後の大隅情勢を記す。島津貴久・伊集院忠朗方と北原・本田方が清水周辺で攻防し、戦火で神社・寺院が焼失したこと、諸勢が出兵と退却を重ねて戦線が変化した過程を追う。

  2. 前編2-No.2581 箕輪伊賀覚書

    箕輪伊賀が天文十七年の清水城・姫木城争乱を記した覚書。本田紀伊守・北原方と島津貴久・伊集院忠朗方の出陣、城への攻撃と救援、周辺への放火、軍勢の進退を日を追って述べ、大隅の複数城を連動させた戦線の推移を伝える。

  3. 前編2-No.2582 加世田浄福寺記録

    加世田浄福寺に戦亡者の位牌二本があり、天文十七年七月七日に施餓鬼を行ったことを記す。

  4. 前編2-No.2583 豊州島津忠親譜

    天文十七年七月七日、伊東勢が飫肥本城へ攻め寄せた際の豊州島津忠親方の応戦経過を記す。

  5. 前編2-No.2584 北郷時久譜

    天文十七年七月七日の伊東勢による飫肥本城攻撃に対し、北郷忠茂らが防戦し、死傷者を出しながら退けたことを記す。

  6. 前編2-No.2585 庄内平治記

    天文十七年正月廿四日、豊後大友氏の使者真光寺が豊州島津氏と伊東氏の和睦を仲介したが、条件が折り合わず再び戦いとなった経過を記す。

  7. 前編2-No.2586 庄内平治記

    『庄内平治記』が、本田董親が北原氏を介して勢力回復を図ったことから、北郷忠相・伊集院忠朗らとの対立が深まる経過を記す。清水・姫木方面で諸勢が出陣し、城と周辺拠点をめぐる交渉が合戦へ転じた背景と双方の動向をまとめる。

  8. 前編2-No.2587 樺山玄佐自記

    樺山玄佐が自ら、島津貴久方への加勢要請を受けて兵を整え、渡海・出陣した経過を記す。北原・本田方に対する姫木城・清水周辺の攻防、伊集院忠朗ら味方諸将との合流、陣所の移動と戦況判断を日次に近い形で詳述する戦闘記録。

  9. 前編2-No.2588 島津貴久起請文

    島津貴久が神仏に誓い、相互の信頼と約束を違えないことを述べた起請文。

  10. 前編2-No.2589 田布施岩屋観音再興棟札

    田布施岩屋観音の再興に際し、君主の長久と繁栄などを祈願して記した棟札。

  11. 前編2-No.2590 島津忠将譜

    天文十七年九月十一日、島津貴久方が清水城の回復を図り、島津忠将・樺山玄佐らが動いた際の攻防を記す。

  12. 前編2-No.2591 北郷忠相譜

    曽於郡の領有と守備、本田董親の島津貴久への背反、清水城降伏後に忠相領内へ移った経過を記す。

  13. 前編2-No.2592 島津勝久書状

    島津勝久が北郷小次郎に、山東越山の件を喜び、詳細は老臣から伝える旨を述べた書状。

  14. 前編2-No.2593 正八幡宮宿直人交名

    正八幡宮で宿直を務める人々を一番から十一番まで組別に列記した交名。

  15. 前編2-No.2594 調所恒房伝

    『調所恒房伝』が、本田董親の清水城退去後、島津忠将・貴久方が城を回復した経過を記す。宮内へ神官を戻し、荒廃した旧宅・社寺関係施設を再興するとともに、調所氏の系図・伝来文書を継承し、戦乱で断絶した家と地域秩序を復旧した。

  16. 前編2-No.2595 盛春書状

    盛春が調所兵部少輔に、国衙の神役について北郷殿の代と相違なく治め、百姓へ申し付けるよう伝えた書状。

  17. 前編2-No.2596 調所恒房伝

    本田董親が宮内を侵掠して神官らを退去させた後の回復過程を記す。島津忠将・樺山玄佐・伊集院忠朗らが清水・姫木方面へ出陣し、本田方の城を攻めて旧領を奪回した。戦後は神官・調所恒房らを帰還させ、神職と祭祀を復旧した。

  18. 前編2-No.2597 北郷時久譜

    天文十七年十一月五日夜、伊東勢が飫肥新山城を襲ったが、北郷家臣らが加勢して防戦し、敵を退けたことを記す。

  19. 前編2-No.2598 庄内平治記

    天文十七年十一月五日夜、伊東勢が飫肥新山城へ忍び寄って火箭を放ち、北郷・豊州方の家臣が戦死者を出しながら防戦したことを記す。

  20. 前編2-No.2599 庄内平治記

    天文十七年十二月十四日夜、伊東勢が再び新山城を攻めて火箭を射た際、村田八郎らが防戦し、本城の援兵とともに敵を退けた経過を記す。

  21. 前編2-No.2600 伊集院忠朗書状

    島津貴久が伊集院忠朗の隈城での忠節を賞し、知行・権利を従前どおり認め、今後も重く遇する旨を約した書状。

  22. 前編2-No.2601 北郷忠相寄進状

    北郷忠相が飫肥での弓箭に際した立願成就のため、田数を宮内社司へ寄進し、毎年四月二日の祭礼に充てるよう定めた寄進状。

  23. 前編2-No.2602 隈江匡久書状

    隈江匡久が、伊東勢の越山と財部からの注進を受け、味方の動員と城の守備を依頼した書状。

  24. 前編2-No.2603 隈江匡久書状

    隈江匡久が贈物への謝意を述べ、因州が長く滞留している件について、詳細な知らせと今後の取り計らいを求めた書状。

  25. 前編2-No.2604 北郷忠相日記(自天文十一年至同十九年)

    北郷忠相方の天文十一年から十九年までの動きを日付順に記した長編日記。島津貴久・志和池衆・豊州島津氏・新納氏らとの使者往来、伊東方への出陣、城攻めと合戦、停戦・和議の交渉を連続して記し、庄内・日向方面の軍事外交を具体的に示す。

  26. 前編2-No.2605 島津国史

    『島津国史』が、天文十八年の島津忠親・北郷忠相と伊東氏の対立を中心に記す。伊集院忠朗・肝付兼演ら諸氏の帰属、清水城・加治木城周辺の出兵と戦闘、使者を介した和解と再離反を追い、領主間の同盟が変化する過程をまとめる。

  27. 前編2-No.2606 伊集院孤舟書状

    伊集院孤舟が遠方ゆえの無音を詫び、貴久次男の越山奉公や忠親との関係について述べ、今後の調儀を求めた書状。

  28. 前編2-No.2607 伊集院孤舟書状

    「大友殿御返案文」と注記され、日杵殿宛・孤舟署名を示す短い書状案文。本文は省略されている。

  29. 前編2-No.2608 殉国名藪

    天文十八年に伊東氏との戦いなどで戦死した豊州島津忠親・北郷忠相方の武士を、日付と戦況を添えて列記する。

  30. 前編2-No.2609 島津貴久書状

    島津貴久が、義久の帰宅を祝い、相手方の人衆の到着と今後の弓箭について述べた書状。左衛門督歳久譜中に収める。

  31. 前編2-No.2610 新納忠元譜

    天文十八年三月から四月、清水方面で諸将が敵方と戦い、新納忠元が大刀を携えて先鋒を務めたことなどを記す。

  32. 前編2-No.2611 新納忠元譜

    新納忠元譜の項目だが、本文は「全」との表示のみで、具体的な記事本文は掲載されていない。

  33. 前編2-No.2612 年代記

    天文十八年三月から六月、伊集院忠朗の飫肥出陣、黒河崎への着陣、渋谷衆の降参と和平による解陣を日付順に記す。

  34. 前編2-No.2613 島津貴久譜

    島津貴久が清水に滞在して戦後処理を進めた記事。伊集院忠朗・北郷氏ら軍功者を賞し、離反していた諸地域の帰順を受け入れて秩序回復を図る一方、日向山東を領する伊東義祐の軍事動向を警戒し、国境方面の守備と今後の対応を整えた。

  35. 前編2-No.2614 伊集院孤舟書状

    本田助之丞所蔵の案文で、本文はNo.2607と同文として省略されている伊集院孤舟書状。

  36. 前編2-No.2615 伊集院孤舟書状

    本田助之丞所蔵の案文で、本文は原資料の注記により別番号と同文として省略されている伊集院孤舟書状。

  37. 前編2-No.2616 新納忠元勲功記

    天文十八年、島津貴久が清水に布陣した際、新納忠元が諸将とともに城攻めと防戦に加わり、武功を挙げた経過を記す。

  38. 前編2-No.2617 北郷忠相譜

    天文十八年三月廿二日、伊集院忠朗・豊州島津忠広らが飫肥方面へ進み、諸将を率いて攻城・防戦したことを記す。

  39. 前編2-No.2618 豊州島津忠広譜

    天文十八年四月五日、飫肥をめぐる伊東方との戦いで豊州島津忠広・北郷方が応戦し、敵方に損害を与えた経過を記す。

  40. 前編2-No.2619 貴久公記

    天文十八年三月廿一日、島津貴久方が清水から飫肥へ向かい、伊集院忠朗らと協議して敵陣を攻め、敵を退散させたことを記す。

  41. 前編2-No.2620 箕輪伊賀覚書

    天文十八年三月十一日、清水から飫肥へ出陣し、四月三日に伊東方の攻撃を受けて多数を討ち取ったのち、陣を引き払った経過を記す。

  42. 前編2-No.2621 庄内平治記

    天文十八年二月廿日、伊東方が井手の平方面から出撃し、北郷方と交戦して藤木田付近まで追撃・反撃した経過を記す。

  43. 前編2-No.2622 庄内平治記

    島津貴久が日向山東・飫肥方面の危急を聞き、伊集院忠朗らを援軍として派遣した経過を記す。三月から四月にかけて北郷忠相方と合流し、伊東勢の城・陣への攻撃に応戦して守備を支え、日向国境での戦線崩壊を防ごうとした。

  44. 前編2-No.2623 日向記

    『日向記』が、天文十八年二月二十日の井手尾下付近の戦いを詳述する。豊州島津氏・北郷方と伊東勢が陣を分け、伊集院忠朗・稲津氏らが攻城・迎撃に加わった経過を追い、各陣の進退、討ち取られた武将、最終的な勝敗を記録する。

  45. 前編2-No.2624 瀬戸口伊豆入道覚書

    瀬戸口伊豆入道が、故郷へ帰参するまでの身上を述べた覚書。和州滞在中の処遇、伊集院忠朗への申し出、島津貴久方への奉公再開を記し、旧所領の回復、知行の保証、今後の勤仕をめぐって主家と交渉した事情を回想する。

  46. 前編2-No.2625 樺山玄佐譜

    『樺山玄佐譜』が、天文十八年の加治木・高城方面の攻防を記す。樺山善久・伊集院忠朗らが肝付兼盛・蒲生方の城内へ働き掛け、敵勢の減退を見て降伏条件を調整し、使者・人質を介した和議から帰順、城の受け取りへ至った経過を追う。

  47. 前編2-No.2626 貴久公記

    島津貴久方が加治木城を攻めた際、伊集院忠朗・肝付兼盛らが黒川崎へ布陣して蒲生・渋谷方と戦った経過を記す。敵陣への火矢射撃と周辺への放火、城方の出撃への迎撃を重ね、加治木城を孤立させるための前線構築と攻防を伝える。

  48. 前編2-No.2627 箕輪伊賀覚書

    箕輪伊賀の覚書が、加治木攻めで伊集院忠朗方が黒川崎に陣を構えた戦況を記す。敵方との矢戦、民家・陣所への放火、陣幕が焼失する混乱の中での応戦を追い、島津貴久方・北郷方・本田方の兵が各持場で攻防した経過を伝える。

  49. 前編2-No.2628 庄内平治記

    加治木城主肝付兼盛が太守島津貴久に従わなかったため、伊集院忠朗・北郷忠相らが加治木を攻めた経過を記す。蒲生・渋谷方との戦闘、城周辺の封鎖を経て兼盛方を退け、使者を介した赦免条件の調整によって帰順させ、城と所領を処置した。

  50. 前編2-No.2629 島津貴久譜

    天文十八年、島津貴久方が加治木城主肝付兼盛と蒲生・渋谷方を攻めた戦役を記す。伊集院忠朗らが城と周辺陣地を攻略し、敵勢を退散させて加治木城を落とした後、使者・人質を介して和議を結び、兼盛らを赦免して帰順させた。

  51. 前編2-No.2630 樺山玄佐自記

    樺山玄佐が加治木・蒲生方面の陣取りと和平交渉を詳述した自記。島津貴久・伊集院忠朗・肝付兼盛・北郷氏らの動向、親族・使者を介した条件調整、所領と人質の扱いを記し、城方の帰順後に城・知行をどのように処置したかを示す。

  52. 前編2-No.2631 北郷忠相寄進状

    北郷忠相が飫肥での立願成就を受け、田地六反を宮内社司へ寄進して祭礼に充てることを定めた寄進状。

  53. 前編2-No.2632 島津貴久書状

    島津貴久が月初の報告と祈念の状況について述べ、相手方の知らせを喜び、引き続き祈祷するよう求めた書状。左衛門督歳久譜中に収める。

  54. 前編2-No.2633 新納忠職寄進状

    新納忠職が先の約諾を確認し、子孫へ所領・権利を伝える旨を定めた寄進状。新納忠徳所蔵の正文による。

  55. 前編2-No.2634 島津忠親起請文

    島津忠親が和融の仲介と相互の信頼・協議を誓い、違背しないことを神明に誓約した起請文。

  56. 前編2-No.2635 北郷忠親譜

    天文十八年、島津貴久の加治木攻めに際し、島津忠親・北郷忠相らが調停し、肝付兼盛や渋谷・蒲生方との和議を進めた経過を記す。

  57. 前編2-No.2636 祁答院良重起請文

    祁答院良重が和融の仲介と守護、相互の信頼を誓い、梵天・帝釈や諸神の罰を掲げて違背しないことを誓約した起請文。

  58. 前編2-No.2637 北郷忠相起請文

    北郷忠相が和融の仲介と守護、相互の信頼を誓い、違背しないことを神明に誓約した起請文。本文年紀は十二月七日と記す。

  59. 前編2-No.2638 島津忠親書状

    島津忠親譜中に収める書状で、本文では北郷忠相が肝付兼盛に、先の条件への返答と今後の取り計らいを求めている。

  60. 前編2-No.2639 北郷忠相譜

    天文十八年、島津貴久が肝付兼盛の加治木城を攻めようとした際、北郷忠相らが調停し、和議と起請文交換へ至った経過を記す。

  61. 前編2-No.2640 肝付兼盛起請文

    肝付兼盛が和融の仲介と守護、相互の信頼を誓い、梵天・帝釈や諸神の罰を掲げて違背しないことを誓約した起請文。

  62. 前編2-No.2641 島津国史

    天文十九年、島津貴久が加治木・小濱周辺の土地や収益を処置し、肝付氏らの知行と清水方面の配置を定めた経過を記す。

  63. 前編2-No.2642 年代記

    天文十九年、島津貴久が鹿児島へ移ったことを簡潔に記す年代記記事。

  64. 前編2-No.2643 島津忠将一流系図

    島津忠将の子・以久について、初名、官途・入道名、天文十九年の出生と母方を記した系図記事。

  65. 前編2-No.2644 入来院重嗣起請文

    入来院重嗣が信義・守護と秘密保持を誓い、違背すれば神罰を受ける旨を列挙した起請文。

  66. 前編2-No.2645 島津貴久宛行状

    島津貴久が加治木に関係する六町分の所領を肝付兼盛へ宛行い、安堵した宛行状。

  67. 前編2-No.2646 島津忠興一流系図

    島津忠興一流の兼盛について、初名・官途・入道名、天文十九年の出生と母方を記した系図記事。

  68. 前編2-No.2647 伊集院忠朗譜

    伊集院忠朗が日新・貴久・義久の三代に仕え、奉公第一の人物とされたことを記す。

  69. 前編2-No.2648 伊集院忠朗等連署契状

    伊集院忠朗らが、相互の案件を協議して同心し、合意内容を守ることを連署して約した契状。

  70. 前編2-No.2649 伊作氏後胤信州書

    御文庫三番箱伊作家文書中の文書で、旧記雑録前編の別番号と同文として本文が省略されている。

  71. 前編2-No.2650 瀬戸口伊豆入道覚書

    瀬戸口伊豆入道が、少年期から島津貴久・義久方に従った自身と一族の軍歴を回想した覚書。伊集院忠朗らとの従軍、各地の城攻め、身内の敵討ち、味方武将の討死を挙げ、危機の中で続けた奉公と、その功績が家に伝えられた事情を記す。

  72. 前編2-No.2651 島津貴久譜

    天文十九年十二月十九日、島津貴久が伊集院を去って鹿児島へ移居したことを記す。

  73. 前編2-No.2652 正興寺九高玄章寄進状

    正興寺九高玄章が、正八幡宮御宝前へ珠玉三員を寄進した寄進状。正文は国分社司澤氏所蔵と注記される。

  74. 前編2-No.2653 殉国名藪

    天文二十年三月二十日、豊州忠親の家臣鮫島宗四郎が伊東勢との戦いで梁瀬に討死し、同年九月五日には新納河内守も目井城攻めで討死したことを記す。

  75. 前編2-No.2654 島津貴久寄進状

    島津貴久が伊集院宣徳寺に対し、寺領五町のうち三町を妙谷寺・靈徳寺・善勝寺へ替地として寄附し、残る二町五段などの進止を定めた寄進状。

  76. 前編2-No.2655 島津尚久一流系図

    島津尚久の娘が佐多常陸守忠常の室となり、忠長をもうけたことを記す系図記事。

  77. 前編2-No.2656 島津貴久書状

    島津貴久が龍雲寺に、喜入へ赴く予定や鹿児島へ戻る時期を知らせ、用向きについて意向を伝えた書状。月日の記載はない。

  78. 前編2-No.2657 年代記

    天文二十年八月十五日夜の大風により、福昌寺客殿・諏訪拝殿などが吹き崩れたことを記す年代記記事。

  79. 前編2-No.2658 島津義久長女譜

    島津義久の長女が天文二十年八月二十二日に生まれ、母が島津忠良の娘であったことを記す。

  80. 前編2-No.2659 樺山玄佐譜

    樺山善久が十九歳で上洛を企て、正宮の尊体に眼病平癒を祈願し、近衛家や飛鳥井家との交流を通じて和歌の会を催した経過を記す。

  81. 前編2-No.2660 詠月前白菊題和歌

    天文二十年九月十四日に催された『月前白菊』題の和歌会の詠草。飛鳥井雅綱、権大納言季遠、安藝守善久、玄等、宗養ら多数の作者名と各一首を順に掲げ、月光の下の白菊という共通題に対する表現の違いと、島津家周辺の文芸交流を伝える。

  82. 前編2-No.2661 樺山玄佐譜

    樺山善久が在洛中に近衛殿へ伺候し、飛鳥井殿から古今集・奥書や切紙類を授けられ、謝礼として黄金を贈ったこと、その後加治木興帖佐で活動したことを記す。

  83. 前編2-No.2662 後奈良天皇綸旨

    後奈良天皇の意を奉じ、藤原貴久に対して大隅国桑原郡正八幡宮若宮四所の支配を認め、天下泰平の祈祷を命じた綸旨。

  84. 前編2-No.2663 勝手明神再興棟札

    勝手大明神宝殿の再興棟札。聖主の安泰、島津貴久・忠良の願いの成就、子孫繁昌と国中安全を祈り、願主尊勝院頼重、大施主、鍛冶有間九郎兵衛純實ら関係者を記す。別面には風災・水災・火災への祈祷を担う僧侶名と花押も掲げる。

  85. 前編2-No.2664 島津国史

    天文二十一年六月十一日の島津貴久の任官と名乗りの経緯、近衛家との関係、同年十二月の参詣などを記す国史記事。

  86. 前編2-No.2665 新納忠元譜

    新納忠元が二十七歳の時に七言詩を作り、老年の詠歌と取り違えられた逸話や、忠元の作と伝わる詩歌について記す。

  87. 前編2-No.2666 島津忠将契状

    島津忠将が肝付三郎五郎に、世間の変動があっても奉公を守り、相談・和睦の際にも背かないことを約した契状。

  88. 前編2-No.2667 島津忠将起請文

    島津忠将が肝付三郎五郎に対し、奉公・一味の約束に偽りがないことを諸神へ誓った起請文。

  89. 前編2-No.2668 日向記

    豊州方が目井城の守備を新納河内守に求め、伊東相州の意向を受けつつ、火縄・弓・鉄砲などを用いて城を固めた経過を記す。

  90. 前編2-No.2669 足利将軍家御教書

    足利将軍家が禅興寺の住持職について、先例に従って執務するよう命じた御教書。

  91. 前編2-No.2670 年代記

    天文二十一年六月八日に感応寺十八世住持の秀繁西堂に関する出来事を記し、前年からの凶作と当年夏の多数の死者など世情にも触れる年代記記事。

  92. 前編2-No.2671 蔵人頭庭田重保奉口宣案

    蔵人頭右近衛権中将兼美濃権守源重保が奉じ、従五位下藤原貴久を修理大夫に任ずる旨を伝えた口宣案。

  93. 前編2-No.2672 後奈良天皇女房奉書

    後奈良天皇の女房が島津修理大夫貴久に対し、礼物への謝意と上洛に関する意向を伝えた奉書。

  94. 前編2-No.2673 広橋兼秀女房奉書副状

    広橋兼秀が島津修理大夫貴久に、宣下への礼として太刀一腰・馬一匹などを進上する件と、女房奉書を副えて送る旨を伝えた副状。

  95. 前編2-No.2674 近衛植家書状

    近衛植家が日新軒に、家門と相手国との旧好を踏まえて書状を送り、詳細は古市長門守から伝えると述べた書状。

  96. 前編2-No.2675 近衛植家書状

    近衛植家が河上野守に、前年の上洛時に対面できなかったことを惜しみ、今後の上洛を待つ旨などを伝えた書状。

  97. 前編2-No.2676 島津義久譜

    天文二十一年六月二十七日、将軍足利義輝から『義』の偏諱を受け、島津義久と称したことを、近衛植家の書状とともに記す。

  98. 前編2-No.2677 近衛植家書状

    近衛植家が島津又三郎に、武家へ取り次いで将軍義輝から『義』字の御筆を得たことを知らせ、一家繁栄を祝した書状。

  99. 前編2-No.2678 近衛植家書状

    近衛植家が島津修理大夫貴久に、家門の旧好や近況に触れ、今後も疎意なく書状を進める旨を伝えた書状。

  100. 前編2-No.2679 近衛植家書状

    近衛植家が島津又四郎に、家門の旧好を踏まえて今後も疎意なく書状を交わす旨を伝えた書状。