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前編2の目録

旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。

全2,778件中 201~300件・3 / 28ページ

  1. 前編2-No.200 島津氏久定書

    島津氏久が、諏訪社の木竹伐採、社前の道の通行、境内への馬牛放牧を禁じ、違反者への処罰を定めて正八幡・諏訪大明神に誓約した定書。

  2. 前編2-No.201 島津道壱譲状

    島津道壱(親忠)が嫡子犬若丸へ、重代相伝の薩摩国伊作庄南方の所領を譲った文書。宗五郎との関係や将来の継承条件を定め、犬若丸とその子孫が所領を知行することを保証し、親族間で異議を生じさせない相続秩序を示す。

  3. 前編2-No.202 足利義満御教書

    鎮西大将軍の下向を受け、一族・同心衆を早急に催して忠節を尽くすよう命じた足利義満の御教書。

  4. 前編2-No.203 征西将軍宮令旨

    征西将軍宮が、智覧忠泰の申請に基づき、亡父忠元の譲状どおり薩摩国智覧院・河辺郡を忠泰に領掌させるため、敏嶋下野守と共同で現地沙汰するよう命じた令旨。

  5. 前編2-No.204 指宿氏系図

    指宿能登守を祖として、忠篤から忠泰次郎・忠勝能登守・忠元左京亮・忠平掃部介へ連なる系譜を示した指宿氏系図。

  6. 前編2-No.205 伊作氏系図

    伊作家の系譜として、親忠(初名忠親・愛寿丸・宗四郎、左衛門少尉・下野守)から久義・犬若丸・久親らへ連なる関係を示した系図。

  7. 前編2-No.206 島津国史

    建徳二年、後光厳天皇から後円融天皇への譲位、懐良親王が禰寝久清に官軍への忠節を命じたこと、幕府が今川貞世(了俊)を筑紫探題としたことを記す記事。

  8. 前編2-No.207 島津道壱譲状

    島津道壱(親忠)が、伊作庄今田名内森本の水田一町二段、中原名内寺前八段、宮内名内の薗・円性房屋敷を、ほう壽子へ永代譲与した譲状。

  9. 前編2-No.208 島津道壱譲状

    島津道壱(親忠)が、伊作庄南方内伊与倉の水田および薗を犬若母へ譲与した譲状。

  10. 前編2-No.209 伊作氏譜

    島津久義が宿意のあった南方別府某を討つため軍勢を集めたものの、慈大寺で元久の使者に制止された経緯を記す。その後、田布施二階堂をめぐる対立が再燃し、久義が市来へ退いたことまでを述べ、伊作氏と宗家の緊張・仲裁・退去の流れを示す。

  11. 前編2-No.210 島津道壱譲状

    島津道壱(親忠)が若次郎丸へ、伊作庄南方の日置吉利田島・熊枯田に属する田畠、山野、川海の権益を永代譲与した譲状。重代相伝の所領を一括して継承させ、若次郎丸の知行と後代への相続条件を定めて、他者の妨害を防ごうとする。

  12. 前編2-No.211 島津道壱譲状

    島津道壱(親忠)が、伊作庄北方伊与倉名内の水田・屋敷薗、宮内名内極楽寺後田五段などを宗祐房へ永代譲与した譲状。

  13. 前編2-No.212 島津道壱譲状

    島津道壱(親忠)が、伊作庄花熟里名内の水田二町五段・薗三か所と今田名内野崎田五段などを六郎へ譲与した譲状。

  14. 前編2-No.213 島津武久書下

    島津武久が、野州跡の拝領と和泉庄地頭職免除に伴い、静珠・一族らの知行分や永吉内給分について故殿の定めを維持し、今後の変更を禁じた書下。

  15. 前編2-No.214 島津伊久裏書

    島津伊久が、建徳二年六月二十七日付文書の正文を惣領方に保管し、現知行分はその文書どおり相違なく知行すべきことを確認した裏書。

  16. 前編2-No.215 沙弥禅恵譲状

    沙弥禅恵が、薩摩国天満宮・国分寺領内原田などの重代所領を松土与丸へ永代譲与し、子孫相伝を定めた譲状。

  17. 前編2-No.216 渋谷重門置文

    渋谷重門が、重代の所領は兄弟間で分割せず、一人に継承させ、後代まで重門の子孫が知行するよう定めた置文。

  18. 前編2-No.217 渋谷重門置文

    渋谷重門が死後の家政と所領処分を定めた置文。後家・帯刀左衛門尉への扶持、虎五郎丸による家の取り計らい、薗野・内山などの知行を指示し、長王・虎王・くり犬ら女子にも所領を配分して、親族間の相続と扶養の秩序を整える。

  19. 前編2-No.218 渋谷重門譲状

    渋谷重門が子息虎五郎丸へ、薩摩国入来院の清色北方、上副田村、市比野村半分地頭職、塔原村など、複数の村・職から成る重代相伝の所領を譲与した文書。各地に分散した家領を一括して後継者へ移し、虎五郎丸による知行を保証する。

  20. 前編2-No.219 今川義範軍勢催促状

    今川義範が、武光以下の凶徒が城へ寄せて合戦中であるとして、佐伯・蒲江辺へ早急に馳せ越し忠節を尽くすよう催促した軍勢催促状。

  21. 前編2-No.220 渋谷重門譲状

    渋谷重門が養子松乗丸へ、重代相伝の私領である薩摩国入来院市比野村内烏原跡地頭職を永代譲与した譲状。

  22. 前編2-No.221 島津国史

    今川了俊が島津親忠・忠房、渋谷重門らに峰城攻撃を命じた戦役を記す。島津・渋谷勢と高城・東郷勢の交戦、定山公方の築城と籠城、相良氏らの救援・進退を追い、城の争奪を通じて九州探題方と在地諸氏の軍事関係が変化した経過を示す。

  23. 前編2-No.222 今川了俊書下

    今川了俊が島津親忠に、島津修理亮と協力して忠節を尽くすよう命じた書下。

  24. 前編2-No.223 今川了俊書下

    今川了俊が、島津三郎と協力して忠節を尽くすよう命じた書下。

  25. 前編2-No.224 足利義満御内書

    足利義満が島津修理権大夫に、筑後の件で下向した梵菴首座について厳密に沙汰し、詳細は含章首座の伝達に従うよう命じた御内書。

  26. 前編2-No.225 沙弥成仏譲状

    沙弥成仏が左京進兼弘へ、大隅国肝付郡内岸良村の田畠・山野・狩倉など、阿仏以来代々譲られてきた所領を一括して譲渡した譲状。

  27. 前編2-No.226 今川了俊軍勢催促状

    今川了俊が、島山治部太輔入道が味方として肥後国へ出陣したことを伝え、早急に同心・合力して忠節を尽くすよう土持左衛門太郎へ命じた軍勢催促状。

  28. 前編2-No.227 殉国名藪

    文中元年六月二十三日に渋谷重門が高江峰城で戦死したことと、同じ戦闘で山田式部三郎忠房・宮里三郎太郎・酒勾筑前守らが戦死したことを記す記事。

  29. 前編2-No.228 足利義満御教書

    足利義満が感応寺に祈祷を申し付け、とりわけ懇切に祈るよう命じた御教書。

  30. 前編2-No.229 足利義満御教書

    足利義満が感応寺における軍勢・諸人の濫妨狼藉を禁じ、違反者を罪科に処すよう命じた御教書。

  31. 前編2-No.230 今川了俊軍勢催促状

    今川了俊が島津親忠に、親類の山田太郎左衛門入道を差し出したことを賞し、本人も急ぎ馳せ参じて忠節を尽くせば恩賞を与えると催促した軍勢催促状。

  32. 前編2-No.231 沙弥宰阿書状

    沙弥宰阿が島津親忠に、御官途の申請と御面目に関する事情を承知した旨を伝え、重ねて申し入れるとした書状。

  33. 前編2-No.232 少弐冬資書状

    少弐冬資が島津親忠の音信を喜び、当地の凶徒との合戦状況を伝え、今明日にも宰府・博多へ攻め入る予定として援助を求めた書状。

  34. 前編2-No.233 少弐冬資書状

    少弐冬資が島津親忠の七月十三日付書状を受領し、自方の対治がほぼ平穏となったことを知らせ、相手方の合戦を気遣い、九州静謐後の参会を望んだ書状。

  35. 前編2-No.234 島津師久去状

    島津師久が、凶徒国分平次郎友重・永利又太郎入道祖性の跡田薗を善悪とも折半し、その半分を譲り渡して子孫まで違乱しないと約した去状。

  36. 前編2-No.235 今川了俊書下

    今川了俊が渋谷虎王丸に、味方へ参じれば本領を安堵し、別の軍功があれば恩賞を与えると約した書下。

  37. 前編2-No.236 今川了俊書下

    今川了俊が、日向国飫肥郡内北郷を兵粮料所として定め置き、異議があれば改めて沙汰すると土持三川守太郎へ伝えた書下。

  38. 前編2-No.237 征西将軍宮令旨

    征西将軍宮が、薩摩国峰城合戦で渋谷虎五郎の父が討死した忠節を賞し、恩賞を与えると伝えた令旨。

  39. 前編2-No.238 禅恵譲状

    禅恵(友重)が二郎四郎へ、薩摩国鹿児島郡内竹村の『へくハのかと』の田地を譲り、他の妨げなく永代を限って知行するよう定めた仮名書きの譲状。

  40. 前編2-No.239 今川了俊軍勢催促状

    今川了俊が渋谷虎五郎に、味方へ参じ忠節を尽くせば本領を安堵し、別の軍功があれば恩賞を与えると催促した軍勢催促状。

  41. 前編2-No.240 今川了俊軍勢催促状

    今川了俊が島津安芸左京進に、中条三郎左衛門尉を差し出したことを賞し、本人も急ぎ馳せ参じ忠節を尽くせば恩賞を与えると催促した軍勢催促状。

  42. 前編2-No.241 本田重親譜

    本田重親が島津氏久に従って各地の合戦・城攻めに参加した軍歴を記す。伊集院長門守・河上太郎・税所某らが関わる戦場での働きに加え、敵軍来襲時に十分な装備を整える間もなく軽装で出撃して防戦した逸話を挙げ、重親の忠節と実戦経験を伝える。

  43. 前編2-No.242 島津国史

    『島津国史』が、今川了俊の九州下向後に展開した軍事行動を背景として、島津氏久・資久方の諸将の戦いを記す。山田友久・北郷弥次郎らの出陣、梶原氏との衝突、各地での攻守と戦死者を挙げ、島津方の戦線が広がった経過をまとめる。

  44. 前編2-No.243 今川了俊感状

    今川了俊が、島津氏久から注進された樺山資久の国中での忠節を賞し、今後も軍功に励めば恩賞を与えると伝えた感状。

  45. 前編2-No.244 今川了俊感状

    今川了俊が山田友久の国中での忠節を賞し、今後も軍功に励めば恩賞を与えると伝えた感状。

  46. 前編2-No.245 今川了俊軍勢催促状

    今川了俊が渋谷虎五郎に、庶子・一族を動員して忠節を尽くし、別の軍功があれば恩賞を与えると催促した軍勢催促状。

  47. 前編2-No.246 今川了俊宛行状

    今川了俊が、日向国浮田庄を兵粮料所として土持三川守に宛行い、先例どおり知行するよう命じた宛行状。

  48. 前編2-No.247 殉国名藪

    応安六年三月一日に岩河大和守盛久が日向国簑原で戦死したことを記す記事。

  49. 前編2-No.248 伊集院久氏譜

    肥後国八代・葦北・球磨の相良氏、日向の伊東・北郷氏をめぐる軍事情勢の中で、島津氏久が困窮する伊集院久氏らを支援した記事。軍勢・兵糧を整えて各方面へ出動し、相良・伊東方との対立に対応しながら伊集院氏の所領と立場を維持した経過を記す。

  50. 前編2-No.249 新納実久譜

    伊東・北原・相良氏らの凶徒が都城周辺へ攻め寄せたため、新納実久が救援に向かい、応安六年三月一日の戦闘で軍功を挙げた経過を記す記事。

  51. 前編2-No.250 今川了俊書状

    今川了俊が樺山資久の国中での忠節を喜び、凶徒対治のため急ぎ馳せ参じるよう求め、その事情を京都へ注進すると伝えた書状。

  52. 前編2-No.251 島津伊久補任状

    島津伊久が築永を薩摩国串木野村内冠嶽東谷西嶽の別当職に宛行い、先例どおり補任するよう命じた補任状。

  53. 前編2-No.252 今川了俊書下

    今川了俊が、近日中の合戦を見据え、渋谷虎五郎に境域を厳重に警固するよう命じた書下。

  54. 前編2-No.253 今川義範感状

    今川義範が、宇目長峯へ打ち入り忠節を尽くした土持左近将監の働きを賞し、今後も忠功に励むよう命じた感状。

  55. 前編2-No.254 今川了俊軍勢催促状

    今川了俊が、陣中で合戦が続いているとして、樺山資久に急ぎ肥前国寺井津へ着船し戦功を挙げるよう催促した軍勢催促状。

  56. 前編2-No.255 島津氏久預ケ状

    島津氏久が執印に、先日相談した祈所の件は相違があれば別途沙汰し、寄田村牧については特別の取り扱いを申し伝えるとした預ケ状。

  57. 前編2-No.256 伊集院観了・道応連署宛行状

    伊集院観了・道応が、竈泉庵知行分の田畠山野を、開山懐聞和尚の廣濟寺方丈景周蔵主へ譲与し、重代の知行を認めた連署宛行状。

  58. 前編2-No.257 藤原顕方書状

    No.149と同文の藤原顕方書状で、伊作親忠に『親忠』と称するよう伝えた文書。本文は同文につき省略される。

  59. 前編2-No.258 今川了俊挙状

    今川了俊が樺山資久の掃部助任官の希望について、京都へ推挙すると伝えた挙状。

  60. 前編2-No.259 今川了俊預ケ状

    今川了俊が、日向国島津庄内穆佐院領家職を兵粮料所として樺山資久に預け置き、先例どおり知行するよう命じた預ケ状。

  61. 前編2-No.260 今川了俊預ケ状

    今川了俊が、日向国島津庄内穆佐院領家職を兵粮料所として樺山資久に預け置き、先例どおり知行するよう命じた預ケ状。No.259とほぼ同文の別伝。

  62. 前編2-No.261 今川了俊挙状

    今川了俊が山田忠経の加賀守任官の希望について、京都へ推挙すると伝えた挙状。

  63. 前編2-No.262 今川了俊挙状

    今川了俊が山田久興の右京亮任官の希望について、京都へ推挙すると伝えた挙状。

  64. 前編2-No.263 島津国史

    応安七年、島津伊久が本田泰光を使者として幕府へ訴状を提出し、豊後国井田郷・豊前国副田庄などの所領と関所をめぐる沙汰を求めた経緯を記す記事。

  65. 前編2-No.264 島津伊久代本田泰光重申状井関所注文

    島津伊久の代官本田泰光が幕府へ知行回復を重ねて求めた申状と関所注文。豊後国井田郷、豊前国副田庄、日向国の諸所領について押領・不知行の事情を述べ、所領安堵を訴えるとともに、各地の関所名と通行・徴収上の問題を列挙して沙汰を求める。

  66. 前編2-No.265 今川了俊挙状

    今川了俊が島津左京亮の美濃守任官の希望について、京都へ推挙すると伝えた挙状。

  67. 前編2-No.266 比志島範平譲状

    比志島範平が嫡子孫太郎に、薩摩国満家内の比志島名・西俣・河田・城前・上原薗の惣領職と関係文書を譲り、名内の一部水田は弟犬一丸へ分与するよう定めた譲状。

  68. 前編2-No.267 尼聖興譲状

    尼聖興が子の左近蔵人兼久に、薩摩国山門院内成川村の田園を、兵衛五郎・かなめうひめへの譲分を除いて子孫まで譲与し、所領支配と公事負担について定めた譲状。

  69. 前編2-No.268 尼聖興譲状

    尼聖興がかなめうひめ御前に、薩摩国山門院内成川村の田園、竹原町一町、古城屋敷を子孫まで譲与し、公事負担は先例に従うよう定めた譲状。

  70. 前編2-No.269 島津伊久一流系図

    島津伊久の三男久照について、幼名を生黒丸、別称を北殿・又三郎、法名を道音と記した一流系図。

  71. 前編2-No.270 島津伊久譲状

    島津伊久が生黒丸に薩摩国山門院西方内の三か村を譲り、僧衣などの料足に充てさせる一方、弓矢を取り在家の振舞いをする場合は惣領生若が知行するよう定めた譲状。

  72. 前編2-No.271 島津伊久譲状

    No.270と同文のため本文を省略した別伝。島津伊久が生黒丸に薩摩国山門院西方内の三か村を譲り、在家の振舞いをする場合は惣領生若が知行するよう定めた譲状。

  73. 前編2-No.272 伊集院久氏譲状

    沙弥観了が犬太郎母に、薩摩国満家院内の村の所領を一期の間譲り、その死後は犬太郎丸が処置するよう定めた譲状。

  74. 前編2-No.273 惟宗久成譲状

    惟宗久成が羽島浦内の塩屋一築と年二疋の馬を友豊の一期中に譲り、その後の知行者を定めるとともに、禅恵の自筆・自判のない文書を無効とした譲状。

  75. 前編2-No.274 惟宗久成譲状

    惟宗久成が、禅恵の譲状に従って薩摩国鹿児島郡竹村の所領を『とよまさり』へ譲り、公事は各人の持分に応じて勤仕するよう定めた譲状。

  76. 前編2-No.275 島津久哲預ケ状

    島津久哲が祈所として、薩摩国谷山郡と同国給黎院半分を渋谷弾正少弼に預け、先例に従って沙汰するよう命じた預ケ状。本文には編年を誤りNo.667と重複すると注記される。

  77. 前編2-No.276 渋谷重茂避状

    渋谷重茂が由緒を有していた祁答院内中津川名・黒木村について、申談の結果、清敷へ権利を放棄して引き渡した避状。

  78. 前編2-No.277 某配分状

    河縁殿の知行分の闕所について、要害際・屋敷・園などを列挙し、河縁殿分と心賢分に配分した坪付。荒野には未分の土地があることも記す。

  79. 前編2-No.278 今川了俊書状

    今川了俊が武蔵守に、島津安芸入道明見は日向国臼杵院地頭職の御下文を拝領しながら未施行であるとして沙汰を求め、明見の忠節を理由に取り成した書状。

  80. 前編2-No.279 永和元年記事

    永和元年、北郷讃岐守義久が日向国南郷に城を築き、都城と名付けて居城としたことを記す記事。

  81. 前編2-No.280 島津国史

    永和元年の改元と南朝天授元年の年紀を示し、野辺盛久らの旧領回復願い、今川了俊の九州諸国での軍事行動、北郷義久ら島津方諸将の戦功を記す。さらに、島津氏久が今川了俊との関係を断って南朝と再び和睦した経緯を詳述する記事。

  82. 前編2-No.281 島津氏久書状

    島津氏久が斎藤六郎左衛門入道に、野辺盛久が相伝知行する日向国櫛間院・大隅国深河院北方について、安堵の御教書が得られるよう取り成しを求めた書状。

  83. 前編2-No.282 島津氏久譜

    島津氏久譜中から、新納実久の元服、修理亮任官、所領賜与を記し、その後の志布志周辺での合戦を詳述する。畠山治部大輔方に対し北郷彦七郎・本田重親・石井肥後兄弟ら一族・被官が奮戦し、多数の戦死者を出した長期戦の経過を伝える。

  84. 前編2-No.283 北郷義久譜

    北郷讃岐守義久の譜中から、永和元年に都城を築いて移居したことを記す記事。

  85. 前編2-No.284 永和元年記事

    永和元年(南朝天授元年)三月十一日・二十三日、島津氏久が富山彦五郎義弘の相伝地について、斎藤六郎左衛門入道を介して将軍家の沙汰を求めたことを記す記事。

  86. 前編2-No.285 島津氏久書状

    島津氏久が斎藤六郎左衛門入道に、富山彦五郎義弘が相伝する島津庄日向方北郷宮丸名内の富永・成清について、京都への吹挙と沙汰を求めた書状。

  87. 前編2-No.286 島津氏久書状

    島津氏久が斎藤六郎左衛門入道に、富山彦五郎義弘が相伝する島津庄日向方中郷の富山・安久名・和里木名・秋永などについて、京都への吹挙と沙汰を求めた書状。

  88. 前編2-No.287 今川了俊書状

    今川了俊が島津氏久へ送った軍事指令。二十七日の出立後、山道を通って予定地へ陣を取り、大村領内へ移動する進軍計画を伝える。黒木辺の人々を動員して道・陣所を確保するよう求め、敵に察知されないよう計画を他者へ披露しないことを厳命する。

  89. 前編2-No.288 今川了俊感状

    今川了俊が伊集院久氏の参陣を神妙と評価し、今後もいっそう忠節を尽くすよう命じた感状。

  90. 前編2-No.289 島津氏久預ケ状

    島津氏久が執印に、先に相談した祈所について相違があれば別途沙汰すると伝え、寄田村牧を特別の扱いで預けた預ケ状。

  91. 前編2-No.290 今川了俊挙状

    今川了俊が細川頼之に、薩摩国の渋谷山城守重信の訴訟を守護島津伊久が取り成して挙状を提出したとして、その内容を披露し沙汰するよう求めた挙状。

  92. 前編2-No.291 島津伊久挙状

    島津伊久が御奉行所に、比志島河内守久範が薩摩国満家院内十三町名主職を本領として知行し、忠節も他に異ならないとして、京都への吹挙と沙汰を求めた挙状。

  93. 前編2-No.292 今川了俊書状

    今川了俊が細川頼之に、島津下野入道道壹の訴訟を薩摩国守護島津伊久が取り成して挙状を提出したとして、その内容を披露し沙汰するよう求めた書状。

  94. 前編2-No.293 伊作親忠譜

    伊作親忠の譜末に、六月二日に死去し、法名を道壹、号を天南としたことを記す記事。

  95. 前編2-No.294 島津氏久挙状

    島津氏久が斎藤六郎左衛門入道に、山田加賀守忠経が譜代相伝する薩摩国谷山郡内の山田・上別府について、京都への吹挙と沙汰を求めた挙状。

  96. 前編2-No.295 島津氏久書状

    島津氏久が斎藤六郎左衛門入道へ、島津安芸入道明見(樺山資久)の所領回復を依頼した書状。肥後国山鹿庄内の筑後守頼尚跡、同国尻無村、日向国宮崎郡内の戸次丹後守跡地頭職を対象に挙げる。京都へ吹挙して正式な沙汰を得るよう求め、遠隔所領の権利確認を働き掛ける。

  97. 前編2-No.296 菊池武興書状

    菊池武興が島津伊久へ、今川了俊らが肥後国山鹿・志々木原に陣取った情勢を報じた書状。各国への働き掛け、合戦勝利の見通し、敵方の動向を伝え、凶徒退治のため島津方の軍勢合力を求める。肥後戦線における菊池方の情報共有と援軍要請を示す。

  98. 前編2-No.297 菊池武光書状

    No.60と同文のため本文を省略した別伝。菊池武光が島津道鑑の書状を受け、道鑑の子息の参上延期を残念に思い、事情は使者へ申し含めたと伝えた書状。

  99. 前編2-No.298 今川了俊書状

    今川了俊が細川頼之に、島津安芸入道明見の訴訟について島津氏久が挙状を提出したとして、その忠節を理由に内容を披露し沙汰するよう求めた書状。

  100. 前編2-No.299 今川了俊書状

    今川了俊が細川頼之に、山田加賀守忠経の訴訟について島津氏久が挙状を提出したとして、その内容を披露し沙汰するよう求めた書状。