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前編2の目録
旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。
全2,778件中 2501~2600件・26 / 28ページ
前編2-No.2485 島津貴久譜
天文十四年正月二十六日、伊東氏が飫肥東方の水之谷へ布陣したことを記す。
前編2-No.2486 島津日新譜
加世田平定後、阿多と加世田の間を流れる大河に架橋した由来を記す。渡船だけでは人馬・物資の往来が不便で危険だったため、島津忠良(日新)が橋の建設を進め、交通の安全と地域の結び付きを改善した。工事を仏法への志と領民救済に結び付ける。
前編2-No.2487 北郷忠相譜
『北郷忠相譜』が、島津勝久没落後に国中の支配が乱れた状況を記す。北郷忠相が島津忠良・貴久方と連携し、反抗する諸勢力への備え、領境・城郭の警固、地域間の調停を担って、守護権威と領国内の秩序を回復していった経過を述べる。
前編2-No.2488 庄内平治記
島津勝久から貴久への家督継承後も国中の対立が収まらなかったため、忠良・忠廣らが統治再建を協議した経過を記す。貴久を太守として改めて推戴し、一族・国衆が国政を補佐し、城・所領・軍勢を統一的に扱う支援体制を整えた。
前編2-No.2489 貴久公記
国中の混乱を収めるため島津貴久を太守に推戴し、忠良・忠廣らが国政を補佐した経過を記す。伊集院氏・本田氏を含む諸勢との関係を調整し、各地の城主と所領配置を定め、軍事拠点と知行秩序を再編して領国統治の体制を整えた。
前編2-No.2490 樺山玄佐自記
豊州家の当主の病と後継問題をめぐり、樺山玄佐が北郷讃岐守・伊集院氏ら関係者の奉公と主張を記した自記。家督・相続を誰に認めるか、旧来の勤仕をどう評価するかを先例に照らして検討し、一族間の争いを避けるための処置を論じる。
前編2-No.2491 箕輪伊賀覚書
天文十四年三月十八日、北郷忠相・豊後守忠親らが島津貴久に国政と守護職の継承を勧めた経緯を記す。貴久へ玉札・御衣などを贈り、島津家の統領として推戴し、一族・国衆が共同して支える意思を示して、混乱した領国の統治権を確立しようとした。
前編2-No.2492 年代記
天文十四年三月の大地震と、その前後に北郷・伊集院・伊東方が関わった城郭攻防や出陣を年代順に記す。
前編2-No.2493 島津貴久譜
天文十四年三月十八日、島津忠廣・北郷忠相らが島津貴久を太守に立てて国政を託した経緯を記す。島津宗室の継承秩序と近衛家との関係を根拠に貴久の正統性を示し、一族・国衆が共同して家督と領国支配を安定させようとした。
前編2-No.2494 瀬戸口伊豆入道覚書
天文十四年三月頃、武藏守をめぐる対立から城郭攻防へ発展した事件を瀬戸口伊豆入道が記す。島津貴久方として瀬戸口氏・伊集院氏らが軍勢を率い、敵方の動向に応じて出陣・交戦した経過と、危険な戦場で忠節を尽くした一族の働きを伝える。
前編2-No.2495-1 新納忠元譜
新納忠元の合戦記事。本文はNo.2500の記事と同文のため省略されている。
前編2-No.2495-2 新納忠元譜
新納忠元の合戦記事。本文はNo.2501の記事と同文のため省略されている。
前編2-No.2496 島津貴久宛行状
島津貴久が本田紀伊守に、大隅国の牛称三町・城村辺田三町・二川三町・堺三町、計十二町を宛行い、奉公と忠節を求めた宛行状。
前編2-No.2497 島津貴久宛行状
島津貴久が本田紀伊守に、大隅国東郷六町と日當山城用富名六町、計十二町を宛行い、奉公と忠節を求めた宛行状。
前編2-No.2498 島津貴久書状
島津貴久が種子島氏に、徳永次郎三郎が遺した儀について先例に従って処置し、祝着に存ずると伝えた書状。
前編2-No.2499 新納忠元譜
天文十四年、入来院石見守重朝の攻勢に対し、新納忠元が伊牟田左衛門・春山越中守・川上十郎左衛門らと蔵城へ入った合戦記事。少数の兵で守備を組織し、城兵を指揮して敵の攻撃を防ぎ、城を守り抜いた忠元の判断と戦功を記す。
前編2-No.2500 新納忠元弓箭覚書
伊集院方が夜襲を仕掛け、伯囿らが城内で迎え撃った戦況を記す弓箭覚書。新納忠元・川上十郎左衛門らの配置と交戦、混乱する城内での応戦、負傷者・討死者の発生を挙げ、夜間の急襲に対する守備側の働きと損害を具体的に伝える。
前編2-No.2501 新納忠元軍労忠清申状
伊集院方が伯囿らを夜襲した際、新納忠元が城内で応戦し、敵を退けた軍労を申告した文書。川上十郎左衛門らとともに守備を続け、危急時の忠節と戦功を具体的に述べる。No.2495-2は同文のため本文を省略すると注記される。
前編2-No.2502 入来院重朝譜
『入来院重朝譜』が、入来院石見守重朝が近年に攻略した諸城と軍功を列挙し、島津貴久との抗争から講和へ至る経過を記す。さらに島津勝久方との従前の関係、領内支配と家の立場の変化を示し、重朝が渋谷一族の勢力を維持した事情を伝える。
前編2-No.2503 新納忠元勲功記
天文十四年八月、入来院重朝の攻撃に対して新納忠元らが城を守り、難儀しながらも奮戦した勲功を記す。
前編2-No.2504 殉国名藪
天文十四年九月晦日の戦いを中心に、島津方で戦死した武士の名と戦死地・状況を列記する。
前編2-No.2505 島津貴久立願文
島津貴久が疱瘡平癒を祈り、熊野山三社・高野山・新田宮・天満宮・正八幡宮などへの代参と神物奉納を誓った立願文。
前編2-No.2506 島津忠親譜
豊州家の忠親について、忠相の長子であること、尾張守・豊後守を称したことなど、家督と系譜を記す。
前編2-No.2507 北郷時久譜
天文十四年十二月二十三日以後、飫肥周辺で羽島氏らを支援し、伊東方との攻防に臨んだ北郷時久方の動きを記す。
前編2-No.2508 日向記
島津忠廣方が郷原に陣城を築き、羽島越後守・宇宿小次郎らを配置して伊東方に対抗した城郭戦の記事。敵軍の進出に応じた守備と援軍の派遣、陣城周辺での攻防を追い、戦況悪化後の退却と部隊の再配置までを記す。
前編2-No.2509-1 島津日新譜
日新公が伊呂波四十七字を各首の頭に置き、宗養法師の備えを参考にして、世人の戒めとなる四十七首の教訓歌を作った由来を記す。
前編2-No.2509-2 島津日新いろは歌
島津日新が『いにしへの道を聞ても唱ても』から始め、伊呂波四十七字を各首の頭に配した四十七首の教訓歌。学問は実践を伴うべきこと、主君・父母への忠孝、礼義、自省、節制、他者への思いやりを平易な表現で説き、家臣・子孫の行動規範を示す。
前編2-No.2509-3 准三宮添書
島津日新のいろは歌を、浅薄な詩歌ではなく教誡の心から成るものとして評価し、後世の人々が宗養法師の筆によって学ぶ意義を述べた添書。
前編2-No.2510 近衛稙家書状
近衛稙家が島津日新に、返書が届かず案じていることを伝え、送られた一巻を称賛し、奥書と書付を加えた旨を知らせた書状。
前編2-No.2511 半松斎宗養書状
半松斎宗養が野村兵部少輔に、兵庫助の上京や教訓・詠歌の扱いについて返答し、希望に沿うよう配慮すると伝えた書状。
前編2-No.2512-1 島津日新譜
島津日新がいろは四十七字を各首の頭に置いて教訓歌を作った由来を記す。本文はNo.2509-1と同文のため省略される。
前編2-No.2512-2 島津日新いろは歌
学問・忠孝・礼義などを説く四十七首のいろは歌。本文はNo.2509-2と同文のため省略される。
前編2-No.2512-3 准三宮添書
島津日新のいろは歌に対する准三宮の添書。本文はNo.2509-3と同文のため省略される。
前編2-No.2513 近衛稙家書状
近衛稙家が島津日新に、一巻を称賛して奥書と書付を加えた旨を伝えた書状。本文はNo.2510と同文のため省略される。
前編2-No.2514 半松斎宗養書状
半松斎宗養が野村兵部少輔に教訓・詠歌の扱いなどを伝えた書状。本文はNo.2511と同文のため省略される。
前編2-No.2515 加世田春成氏由緒書
島津日新のいろは歌を、歌学に通じた加世田春成が使者として京都へ持参した由緒を記す。春成は半松斎宗養らの仲介を得て近衛稙家に披見を求め、その内容と表現について評価を受けた。島津家の教訓歌が中央文化人へ紹介された経路を伝える。
前編2-No.2516 加世田春成氏由緒書
いろは歌の披見が済み、宗養法師から歌道の稽古と忠良公の詠歌閲覧を喜ぶ旨を伝えられたことを記す。
前編2-No.2517 加世田春成氏由緒書
加世田春成が京都から下向する際、宗養法師の預書状を携え、市正殿への召置きや扶持を受けた経緯を記す。
前編2-No.2518 伊地知季安考
由緒書にいう市正殿を、家久公の御子忠廣で後に萬山殿と称した人物と比定する伊地知季安の考証。
前編2-No.2519 年代記
天文十五年、貴久が鹿児島で越年したことなど、当年の島津氏・国人衆の動きを年代順に記す。
前編2-No.2520 殉国名藪
天文十五年二月十八日・四月二十三日などに、日向飫肥その他の戦場で戦死した島津方の武士を列記する。
前編2-No.2521 近衛稙家書状
近衛稙家が島津日新に、前年に下向させた左大辨宰相の件や家門の再興について述べ、引き続き尽力と連絡を求めた書状。
前編2-No.2522 近衛稙家書状
近衛稙家が、左大辨宰相の下向と帰京について述べ、貴久の忠功を高く評価し、家門再興への協力を求めた書状。
前編2-No.2523 近衛稙家書状
近衛稙家が本田紀伊守に、前年依頼した左大辨宰相との調整への謝意を述べ、貴久の忠功を称え、引き続き周旋を求めた書状。
前編2-No.2524 本庄将久書状
本庄将久が橘隠軒に、近況と祝意を伝え、貴久との関係や諸事について仲介・披露を依頼した書状。
前編2-No.2525 日野町資将書状
日野町資将が一乗院に、前年の参会への謝意を述べ、寺院再興と勅願に関する取り計らいを求めた書状。
前編2-No.2526 近衛稙家書状
近衛稙家が島津尚久に、前年の左大辨宰相下向を祝し、貴久への忠功を聞いて喜んだことを伝え、今後も尽力を求めた書状。
前編2-No.2527 近衛稙家書状
近衛稙家が本田紀伊守に、去年の書信と奔走への謝意を述べ、日野中納言の件などを頼んだ書状。
前編2-No.2528 日野町資将書状
日野町資将が本田紀伊守に、前年の下国時の厚意へ謝意を示し、家門再興のため諸事の周旋を求めた書状。
前編2-No.2529 日野町資将書状
日野町資将が本田紀伊守に、便宜ある命令と報告への謝意を述べ、今後の助力と取り計らいを求めた書状。本文年紀は三月二日だが目録年月日は空欄。
前編2-No.2530 後奈良天皇綸旨
後奈良天皇が、坊津一乗院を勅願の浄場として皇室再興を祈るよう命じた綸旨。左中辨国光が奉じた。
前編2-No.2531 近衛稙家書状
近衛稙家が河上上野守に、家門由緒に関する助成の取り計らいを頼み、不断光院から詳しく申し伝えるとした書状。
前編2-No.2532 後奈良天皇綸旨
後奈良天皇が福昌寺を勅願の浄場として皇家再興を祈るよう命じた綸旨。権大辨が奉じた。
前編2-No.2533 近衛稙家書状
近衛稙家が島津貴久に、先年申し入れた家門の用件について宗碩から承諾を聞いたことを喜び、引き続き助力を求めた書状。
前編2-No.2534 近衛稙家書状
近衛稙家が肝付河内入道に、一冊の秀歌を書写して贈り、宗養から趣旨を伝えるので取り計らうよう求めた書状。
前編2-No.2535 島津家重物目録
島津家の重物である御旗二流について、旗の意匠と寸法を図示し、天文十五年五月吉日の年紀を付した目録。
前編2-No.2536 本田薫親書状
本田薫親が近衛家からの上使下向を面目とし、今後も奉仕する旨を述べ、披露を求めた書状。
前編2-No.2537 半松斎宗養書状
半松斎宗養が阿多但馬守に、新詠の送付を喜び、春成兵庫助下国の際の贈物を謝し、今後も詠歌を送るよう求めた書状。
前編2-No.2538 島津日新いろは歌
見聞した他人の振舞いを謗らず、自らの戒めとして誠の道を知るべきことを説く島津日新のいろは歌「身」の一首。
前編2-No.2539 島津国史
天文十六年、伊東勢が飫肥本城・新城を攻め、北郷忠直らが戦死し、攻防の末に新城が陥落した経過を記す。
前編2-No.2540 庄内平治記
天文十六年正月、郷原をめぐって北郷方と都城方が戦い、忠親の長男忠豊らが兵を率いて攻防した経過を記す。
前編2-No.2541 北郷時久譜
天文十六年、北郷忠直が飫肥南郷新城へ移り、伊東勢の攻撃を受けて戦死したのち、北郷方が新城をめぐって戦った経過を記す。
前編2-No.2542 肝付氏老臣連署知行目録
肝付氏の老臣らが、串良・堀町などの田畠と屋敷を区分し、各所の面積・名請を列記した知行目録。
前編2-No.2543 調所恒房譜
天文十六年四月、本田兼親の後室らが水田二段を楞厳寺へ寄進し、調所恒房がその経過を記した記事。
前編2-No.2544 富山某・村岡某連署寄進状
富山某・村岡某が、本田兼親の後室による水田二段と銭十一貫文の楞厳寺寄進を承け、寺領として永代相続させる旨を連署した寄進状。
前編2-No.2545 年代記
天文十六年四月朔日、六月十八日の洪水、七月の大風雨など、同年の天候・災害と寺社の被害を年代順に記す。
前編2-No.2546 正八幡宮中門造営茶番書上
正八幡宮中門造営に際する茶番を、一番・二番に分け、儀景・永延・俊延らの担当を列記した書上。
前編2-No.2547 島津家重書目録
島津家の御文庫箱に納めた綸旨・御内書・足利尊氏の御判など、重書十五嚢を記録した目録。
前編2-No.2548 足利義時補任御教書
足利義時が真如寺の住持職について、先例に任せて執務するよう命じた補任御教書。
前編2-No.2549 近衛稙家書状
近衛稙家が島津貴久に、長く音信がなく残念であると述べ、今後は隔意なく連絡するよう求めた書状。
前編2-No.2550 近衛稙家書状
近衛稙家が本田紀伊守に、贈られた芳墨・段子・茶碗などへの謝意を伝え、今後も連絡を求めた書状。
前編2-No.2551 近衛稙家書状
近衛稙家が本田又二郎に、折札と香炉・丁香の贈物への謝意を伝え、今後も連絡を求めた書状。
前編2-No.2552 近衛稙家書状
近衛稙家が本田紀伊守に、久しく音信がなかったことを述べ、段子・白髪などの贈物への謝意を伝えた書状。
前編2-No.2553 日野町資将書状
日野町資将が本田紀伊守に、万徳寺の一書を披見したこと、家門の儀や所領に関する取り計らいを伝えた書状。
前編2-No.2554 日野町資将書状
日野町資将が本田紀伊守に、万徳寺の上洛と芳札を受けたことを述べ、染筆や委細の報告を求めた書状。
前編2-No.2555 日野町資将書状
日野町資将が本田紀伊守に宛て、万徳寺上洛の際に受け取った芳札への謝意を述べた書状。万徳寺の寺領と公事負担、武家との折衝で生じた問題を説明し、寺院の権益が損なわれないよう関係者への働き掛けと具体的な取り計らいを求める。
前編2-No.2556 日野町資将書状
日野町資将が本田又次郎に、左京太夫への取り次ぎと太刀一腰の献上について調進を求めた書状。
前編2-No.2557 日野町資将書状
日野町資将が本田左京太夫に、万徳寺からの芳札を受け、返書の取り次ぎと委細の報告を求めた書状。
前編2-No.2558 日野町資将書状
日野町資将が本田左京太夫に、書状の披見と再会を喜び、皿・白髪を贈り、万徳寺の権利に関する説明を求めた書状。
前編2-No.2559 日野町資将書状
日野町資将が本田左京太夫に宛て、陣中で登城して島津家門へ奉公したことを喜んだ長文書状。万徳寺領の保全、公事負担、朝廷・武家双方との折衝で必要な手続を説明し、寺院と家門の権益を守るため関係者への詳細な周旋を求める。
前編2-No.2560 北郷忠相書状
北郷忠相が本田左京太夫に、御札と委細の命令を披見したこと、万徳寺・藤澤江の上洛に伴う対応と報告を求めた書状。
前編2-No.2561 殉国名藪
天文十六年、飫肥・清水城などの戦闘で討死した北郷忠直ら島津方の武士を日付・戦場とともに列記する。
前編2-No.2562 日向記
天文十六年、伊東義祐方と北郷忠直・源七郎方が日向山東、清水城、姫木城などをめぐって戦った経過を記す。各城への攻撃・救援、北郷方と本田董親らの進退、諸将の討死を追い、城の帰属変化と敗兵の退却までをまとめる。
前編2-No.2563 北郷忠相書状
北郷忠相が本田左京太夫に、歳暮の祝意と賀書への謝意を伝え、翌年の吉兆と変わらぬ厚意を願った書状。
前編2-No.2564 島津国史
『島津国史』が、天文十七年の清水城をめぐる戦争を諸系譜の記事と照合して記す。島津貴久・北郷忠相方と、本田董親・伊東義祐方の救援、夜襲、落城を追い、北郷源七郎らの働きによって城を奪回し守備を再建した経過をまとめる。
前編2-No.2565 某覚書
某覚書が、本田紀伊守親廣の退隠後に起きた清水新城の争乱を記す。伊集院大和守忠朗方と旧本田勢の対立の中で、梶原藤七兵衛・田尻荒兵衛尉らが出陣・交戦した経過を追い、戦後に関係者が処罰されて城内秩序が再編された事情を述べる。
前編2-No.2566 貴久公記
天文十七年、大隅国清水で反乱が起こり、本田氏の旧臣らが政道を乱したため、貴久方が討伐・処罰した経過を記す。
前編2-No.2567 箕輪伊賀覚書
大隅で本田氏旧臣が反乱し、政道を乱したため、本田治部左衛門らの処断と一党の追放に至った経過を記す覚書。
前編2-No.2568 年代記
天文十七年、本田紀伊守父子の崩落、北原衆の奔籠、清水新城の攻防など、当年の戦乱を日付順に記す。
前編2-No.2569 小林雛守権現棟札
小林雛守六所大権現の造営にあたり、願主・奉行・大工・各地の寄進者を列記した棟札。
前編2-No.2570 伊集院忠朗証文
伊集院忠朗が正八幡宮の神領と神人に関する旧来の権利・祈念・寄進を証し、証文として認めたもの。
前編2-No.2571 島津貴久寄進状
島津貴久が薩摩国市来院法城山龍雲寺へ、市来迎寺三町・山野・畠地などを寄進し、永代の寺領とした寄進状。
前編2-No.2572 肝付省釣兼続書状
肝付兼続が島津日新に、久しく音信がなかったことを詫び、家中の安定と今後の取り計らいを願った書状。
前編2-No.2573 伊集院忠朗証文
伊集院忠朗が正八幡宮神領と神人の権利を証した証文。国分宮内澤氏蔵本で、No.2570と同文系統の写し。
前編2-No.2574 島津家老臣連署坪付
島津家老臣が大隅国堅尻名内の春毛ノ門・はるけ田・なかやまなどの田畠を区分し、反別を列記した連署坪付。
前編2-No.2575 殉国名藪
天文十七年、日州飫肥・清水・新納新山城などで戦死した島津方の武士を日付と戦場別に列記する。
前編2-No.2576 島津貴久譜
天文十七年、大隅国府の本田氏旧臣が起こした乱を島津貴久方が鎮定した経過を記す。本田紀伊守・北原方と伊集院忠朗らが清水城・姫木城を争い、放火で寺社が焼失する中、日新公方の援軍と城攻めによって反乱勢力を退け、地域支配を再建した。
前編2-No.2577 樺山玄佐譜
『樺山玄佐譜』が、天文十七年の大隅争乱で樺山善久(玄佐)が島津貴久方として出陣した経過を記す。本田・北原方に対する清水城・姫木城攻め、伊集院忠朗ら援軍との合流、渡海による戦線移動と退陣判断を追い、各城の支援関係を示す。
前編2-No.2578 財部元式書状
財部元式が桃山殿に、御札と委細の命令を披見したことを報じ、姫木城の件などについて取り計らいを求めた書状。
前編2-No.2579 樺山玄佐譜
『樺山玄佐譜』が、姫木城をめぐる北原・本田方との攻防を記す。樺山玄佐が守兵・援兵を率いて城の防備を整え、伊集院忠朗や日新公方と連絡しながら、清水方面の敵情、援軍の到着、城兵の出撃に応じて兵を配置した経過を伝える。