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前編2の目録

旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。

全2,778件中 1401~1500件・15 / 28ページ

  1. 前編2-No.1390 島津忠国公帖

    島津忠国が烏原殿に、島津御庄薩摩国泰定山広済禅寺の住持職を先例どおり執務するよう命じた公帖。

  2. 前編2-No.1391 左馬助忠俊起請文

    左馬助忠俊が、八幡三所大菩薩をはじめとする諸神の罰を掲げ、誠実に申し合わせを守ることを誓った起請文。

  3. 前編2-No.1392 北郷義久契状

    北郷義久が、互いに二心なく契約を守り、諸方の出来事にも共同して対処することを誓い、違反時には神罰を受けるとした契状。正文は樺山源三郎久清所蔵。

  4. 前編2-No.1393 佐多中山譜

    佐多氏譜から、忠成が又太郎・太郎左衛門尉・下野守と称し、嘉吉元年辛酉に生まれたことを記す短い系譜記事。

  5. 前編2-No.1394 佐多忠成証状

    佐多忠成が佐多又四郎へ、薩摩国南方で宿の手勢を率い、山田を平定した忠節を認め、恩賞を与える旨を伝えた証状。

  6. 前編2-No.1395 萩野某宛知行目録

    谷山中村内の山ノ蘭ノ門・西田ふる川・こくれうのうと・めくり町・ほしく田・出き田・蘭田など、知行対象の田地と面積を列挙した目録。

  7. 前編2-No.1396 島津立久契状

    島津立久が樺山殿へ、後々まで二心なく契約を守り、諸方の出来事にも誠実に対処することを誓い、違反時の神罰を掲げた契状。正文は樺山源三郎久清所蔵。

  8. 前編2-No.1397 正八幡宮公文所下文

    正八幡宮公文所が大法師永観を御供所職に補任し、職務を執行するよう命じた下文。

  9. 前編2-No.1398 越前島津忠光譜

    越前島津氏譜から、十代忠光が三郎左衛門尉を称し、寛正二年四月十三日に留守従五位下行伊勢守紀景照の判を受けたことを記す。

  10. 前編2-No.1399 蔵人頭広光奉口宣案

    蔵人頭藤原広光が奉じ、源忠光を左衛門少尉に任ずる旨を伝えた口宣案。上卿は日野大納言。

  11. 前編2-No.1400 島津立久安堵状

    島津立久が、河上又八郎方と大寺彦左衛門の間で扱われた所領について、違乱がないよう安堵した文書。

  12. 前編2-No.1401 大寺幸朝・川上忠塞連署起請文

    大寺幸朝と川上忠塞が、互いに書状を返し、子細を残さず申し合わせ、誠実に契約を守ることを誓い、日本国中の諸神の罰を掲げた連署起請文。

  13. 前編2-No.1402 年代記

    寛正三年に市来院を退治し、同年、島津立久が市来院に法城山龍雲寺を建立して心岩和尚を開山としたことを記す年代記。

  14. 前編2-No.1403 島津立久宛行状

    島津立久が、島津庄薩摩方薩摩郡樋端内の田数五十町分を祈所として宛行い、先例どおり領掌するよう命じた宛行状。正文は湊谷如兵衛重増所蔵。

  15. 前編2-No.1404 島津立久契状

    島津立久が入来院殿へ、世上が変転しても子孫に至るまで頼み合い、和議を害する者が現れた時は心底を残さず申し合わせることを誓い、違反時の神罰を掲げた契状。

  16. 前編2-No.1405 島津立久宛行状

    島津立久が入来院殿へ、島津庄薩摩方の火同・永利・山田城を宛行い、先例どおり領掌するよう命じた宛行状。

  17. 前編2-No.1406 市来院之内坪付

    市来院内の河上・いてのこは・牛の江・いむた・山の城・かきのほそり・なかやま・柳かまり・松下山野などの田地について、面積と四至を列挙し、河上次郎左衛門方に伝えた坪付。

  18. 前編2-No.1407 正八幡宮寺家政所下文

    正八幡宮寺家政所が源朝臣沢三郎丸を御供所職に補任し、先例に任せて奉行するよう社家へ命じた下文。国分宮内沢氏所蔵。

  19. 前編2-No.1408 正八幡宮寺家政所下文

    正八幡宮寺家政所が源朝臣沢三郎丸を御供所職に補任し、先例に任せて奉行するよう社家へ命じた下文。藤野家文書に伝わる別通。

  20. 前編2-No.1409 税所敦辰寄進状

    税所検校藤原敦辰が、正八幡宮造営中の不忠について怠状を籠め、度々謝罪して特別に許されたのち、祭物と御馬を正八幡宮へ進納した寄進状。

  21. 前編2-No.1410 島津立久寄進状

    島津立久が法城山龍雲禅寺の門前・寺領の四至と、下薮八町・馬場之下七反・塩屋二江口を定め、心岩和尚を開山として法孫の相続を認め、万雑公事・臨時課役を停止して将来の違乱を禁じた寄進状。

  22. 前編2-No.1411 島津忠昌譜

    島津忠昌の初名を武久、通称を又三郎、官途を修理進・陸奥守とし、寛正四年五月三日に梶原弘純の娘を母として誕生したことを記す短い系譜記事。

  23. 前編2-No.1412 泰平寺幹縁疏

    幹縁沙門教源が泰平律寺の由緒と伽藍荒廃の現状を述べ、堂宇・仏像・経巻の再興を発願した長文の幹縁疏。藤原立久の時代に広く道俗へ勧進し、施財による結縁を呼び掛け、寺院復興を仏法興隆と寄進者の現世・後世の利益に結び付けて説く。

  24. 前編2-No.1413 本田宗親覚書

    本田宗親が、嘉吉元年に大覚寺殿が永徳寺で自害し首が上洛した経緯と、関係文書中の玄照書記・即心坊主、満政・赤松薩摩守などの人物名や記号の意味を後覧のため書き留めた覚書。

  25. 前編2-No.1414 島津国史

    寛正五年、島津立久が伊東祐堯・祐国らと会談したこと、北郷持久が安永吉江村薩摩迫へ移り、鹿児島諏方社祭礼の奉仕村を七番に編成して輪番としたことなどを記す国史記事。

  26. 前編2-No.1415 平徳重覚書

    平徳重が嫡子千代松丸を島津立久の御用に立てることを定めた覚書。徳重在世中の待遇、院内の田数、寺領・神領、反銭の取扱い、奉公人と屋形の配置を具体的に規定する。関係者が合議して条項を守り、後日の争いを避けるため記録を保管するよう命じ、家督・財産・奉公の継承を一体化する。

  27. 前編2-No.1416 本田国親譜

    本田国親が寛正五年に帖佐駒帰で戦死したこと、異本では青水渡とすること、享年三十三であったことを記す系譜記事。

  28. 前編2-No.1417 本田国親譜

    本田家旧記により、本田国親が三十三歳で帖佐駒帰において上井殿・若宮殿らとともに戦死し、兼親が幼少であったため養育・召出しを受けた経緯を記す。

  29. 前編2-No.1418 本田国親譜

    古系図の伝えとして、本田国親が帖佐の草水の渡りで戦死したことを記す短い系譜記事。

  30. 前編2-No.1419 本田国親譜

    本田国親が屋形重恒を不義として退けようとした事情と、元親・親光・重恒をめぐる本田家の家督・所領継承、被官の直参化、国親の鹿児島居住と奉公の経緯を記す系譜記事。

  31. 前編2-No.1420 殉国名藪

    『殉国名藪』から、本田因幡守国親が寛正五年に帖佐駒帰で戦死し、享年三十三であったとする記事を収める。

  32. 前編2-No.1421 島津忠国書状

    島津忠国が、又三郎をめぐる事情や鹿児島・本田方の取扱いについて意向を述べ、樺山虎太郎を遣わすので詳細を聞き、しかるべく処置するよう求めた仮名書状。

  33. 前編2-No.1422 島津忠国書状

    島津忠国が清光へ宛てた長文の仮名書状。河上三郎五郎ら関係者から寄せられた申出・返答を取り上げ、人の取立て、奉公、処遇について個別に指示する。現地の事情をよく見聞したうえで軽率に決めず、確認結果を報告して返事するよう求める。

  34. 前編2-No.1423 島津忠国書状

    島津忠国が年頭の祝意と使者への謝意を伝え、返事が遅れたことを詫びるとともに、千代苗を堪忍して取り立てるよう求め、早く会いたいと述べた仮名書状。

  35. 前編2-No.1424 鹿児島諏訪社祭次第

    鹿児島諏訪社の御祭について、寛正六年から始めた七廻の輪番と、同年に始めた五月祭の五廻を、担当する村・寺院・名主等とともに列挙した祭礼次第。

  36. 前編2-No.1425 寛正六年記事

    寛正六年二月二十九日、島津立久が鶴戸城で伊東大和守祐堯の娘を迎え、末弘十郎四郎・宮丸太郎三郎が輿寄を務め、落合河内守が進物を贈ったことを記す。

  37. 前編2-No.1426 新納家覚書

    新納家に伝わる覚書で、島津立久の婚礼に際し、鶴津甲・宮丸太郎三郎・長野助五郎らが御迎え・御供・松明・御祝儀などを分担したことを記す。

  38. 前編2-No.1427 新納友義譜

    寛正六年、島津立久が伊東祐堯の娘を迎えた際、新納友義らが御迎えに従い、宮丸某・末弘十郎四郎が輿寄、長野助五郎・千代松丸が松明役を務めたことを記す。

  39. 前編2-No.1428 北郷持久譜

    寛正六年六月二十九日、北郷持久が息子敏久とともに高城を去り、安永古江村薩摩迫へ移ったこと、および文明二年に同地で六十二歳で没したことを記す。

  40. 前編2-No.1429 萩野某宛知行目録

    大隅国かた尻内の、せとの口門・上そのこ門・くま崎・山下・又山下・河原田などの田地について、反別・面積を列挙して萩野殿へ示した知行目録。

  41. 前編2-No.1430 島津国史

    文正元年から応仁年間にかけての島津立久・伊東祐国の動向を編年で記す国史記事。改元とともに、京都で始まった応仁の乱、細川勝元・山名宗全・大内政弘らの戦いを述べ、島津季久の書状など在国史料も収録する。三州情勢を中央政局と対照できる記事。

  42. 前編2-No.1431 犬追物手組

    島津立久をはじめ、鴨津氏・蒲生氏・伊東氏・伊地知氏・大寺氏・村田氏ら犬追物参加者を左右の組に分け、各人の騎数を列挙した手組。

  43. 前編2-No.1432 新納忠続譜

    新納忠続が飫肥に居た時、島津立久が光臨し、犬追物を催したこと、その記録を左に掲げることを記す系譜記事。

  44. 前編2-No.1433 犬追物手組

    島津立久の犬追物について、鴨津氏・伊東氏・蒲生氏・野村氏ら参加者を組み分けし、各人の足数を列挙した手組。

  45. 前編2-No.1434 正八幡宮神領坪付

    正八幡宮の神領を区分別に集成した大部の坪付。正御供田・神役田・寺家分・安貞寺関係地などについて、村・田名、反別、神人・当知行人を一筆ごとに対応させ、各区分の小計と神領全体の総計を示して祭祀を支える土地基盤を明らかにする。

  46. 前編2-No.1435 犬追物手組

    鹿屋氏文書に伝わる犬追物手組で、島津立久を中心に鴨津氏・伊東氏・蒲生氏・野村氏らを左右の組に配し、騎数を列挙したもの。

  47. 前編2-No.1436 犬追物手組

    飫肥で行われた犬追物について、島津立久を中心に鴨津氏・伊東氏らを左右の組に分け、各人の騎数を列挙した別の手組。

  48. 前編2-No.1437 島津立久起請文

    島津立久が川上十郎左衛門に対し、従来の約束を重ねて確認し、前後とも二心なく疎略にしないことを誓い、違反時には諸神の罰を受けるとした起請文。

  49. 前編2-No.1438 某手日記

    年紀を欠く日記断簡で、御屋形から松之屋へ渡した太刀・扇・斬足などと、平田殿・村田殿・石井殿らへ割り当てた品数を列挙する。

  50. 前編2-No.1439 某手日記

    御酒筒、鳥・獣を入れた籠などの品目と数量を列挙した、年紀・作成者を欠く日記断簡。

  51. 前編2-No.1440 泰平寺薬師堂棟札

    薩摩国高城郡泰平寺の薬師堂一宇を、大檀那修理亮藤原朝臣立久が修興したことを記す棟札。

  52. 前編2-No.1441 正八幡宮権執印某申状

    正八幡宮権執印某が神官職・社司職の由緒と先例を述べた申状。桑幡方・三郎丸らによる執印職への越権、文書・所領の押領を訴え、神事・社務を従前どおり担当すること、伝来文書と収益を返還することを求め、宮内の職掌と権益の維持を願う。

  53. 前編2-No.1442 島津立久書下

    島津立久が、霧島社の御造営に伴う国中勧進について、太刀を進納した旨を伝えた書下。

  54. 前編2-No.1443 北郷敏久譜

    北郷敏久が永享二年に生まれ、応仁二年に北郷内安永の勢田ヶ辻へ城を築き、安永城または鶴翼城と称したことなどを記す系譜記事。

  55. 前編2-No.1444 沙弥道仙寄進状

    沙弥仁道仙が、薩摩国山門院西方西牟田内の佐宴田一段三百五十地を感応寺へ永代寄進し、後日のため寄進状を作成したもの。

  56. 前編2-No.1445 島津立久安堵状

    島津立久が、河上又八郎方と大寺彦左衛門の間で扱われた所領について違乱がないよう安堵した文書。本文はNo.1400と同文のため省略される。

  57. 前編2-No.1446 正八幡宮御供宛文

    正八幡宮の御供田を、二月から十月までの祭礼・彼岸・節供などの期日ごとに割り当てた宛文。各日の神供を負担する田地・名と町数を対応させ、年間祭祀に必要な供物をどの土地収益で賄うかを具体的に定め、神領経営と祭礼負担の仕組みを示す。

  58. 前編2-No.1447 都城安久村正応寺棟札

    都城安久村正応寺の日吉山王宮一宇を造立したことを記し、当郷守護島津氏や棟梁・大願主らを列挙する棟札。

  59. 前編2-No.1448 西藩野史

    『西藩野史』が、島津忠国から立久への家督継承と、それに伴う一族統制を記す。伊作教久父子・新納忠治らをめぐる討伐、亀房丸の出家と処遇を述べ、さらに向嶋・桜嶋の地名由来や異変に関する説話を交えて当時の家中と地域の記憶を伝える。

  60. 前編2-No.1449 西藩野史

    島津忠昌の出生と立久からの家督継承、陸奥守任官、向嶋の名の由来や桜島の歌に関する伝承を記す記事。

  61. 前編2-No.1450 島津国史

    島津氏と桜島の名称・由来を考証した国史記事。大岳公・節山公の歌、桜島忠信の伝承、菱刈智嶽らが語る説話を引用し、向島・桜島という地名と島津氏歴代の系譜、菊池氏との争いを結び付けて、氏名と地域名が成立したとする諸説を比較する。

  62. 前編2-No.1451 細川勝元書状

    細川勝元が島津陸奥守に、大内新介の分国である長門・周防への発向を伝え、大友豊後守と相談して速やかに軍功を挙げ、菊池重朝を先に攻めるよう求めた書状。

  63. 前編2-No.1452 島津忠国譜

    島津忠国の子女について、初好久・中持久・季久・有久・豊久らの母・後裔・法名や、各家の系統を列挙する系譜記事。

  64. 前編2-No.1453 本田兼親譜

    島津忠国が別府へ移居し、立久との不和から親子の往来が絶えたため、兼親らが両者の和解を図ったことを記す本田兼親の系譜記事。

  65. 前編2-No.1454 島津忠国書状

    島津忠国が本田殿に、河辺宮で立久らの子どもが対面に訪れ、以前のとおり親子の関係を保つよう述べたことを伝える書状。

  66. 前編2-No.1455 菱刈氏蔵旧記

    相良氏が大口城を奪って高城の相良殿を攻め、菱刈智嶽が島津方の援軍として参戦し、大口・本城をめぐって戦った経緯を記す旧記記事。

  67. 前編2-No.1456 島津忠国譜

    島津忠国が文明二年正月二十日に別府で六十八歳で没したこと、法名・葬所・系譜上の異説などを記す記事。

  68. 前編2-No.1457 加世田杉本寺由緒書

    加世田杉本寺の由緒として、島津忠国から寺領・御牌・仏餉米などを寄付され、後年も島津氏から安堵・寄進を受けた経緯を記す由緒書。

  69. 前編2-No.1458 坪久田嘉紹寄進状

    坪久田嘉紹が、薩摩国山門院多田内八町作の水田一段代四百地を感応寺へ永代寄進し、後日の証文とした寄進状。

  70. 前編2-No.1459 島津国久寄進状

    島津国久が、薩摩国山門院多田内の水田三段を龍院へ寄進し、後日の証文とした寄進状。

  71. 前編2-No.1460 権執印法橋永万譲状

    権執印法橋永万が、御供所検校職に伴う文書・所職などを後継者へ譲り、先例どおり職掌を守るよう定めた譲状。

  72. 前編2-No.1461 島津立久書状

    島津立久が本田殿に、大友方の豊前国進発を伝え、国境へ出て情勢を見極め、伊東氏らの動向にも備えて相談・注進するよう命じた書状。

  73. 前編2-No.1462 島津立久書下

    島津立久が志布志大慈寺の造営のため、関所の駄口米を先例どおり充て、違乱があれば処罰する旨を命じた書下。

  74. 前編2-No.1463 村田経安等連署施行状

    村田経安・丹波守義忠が、志布志大慈寺修造のため関所駄口米を充てる島津立久の命を施行し、先例どおり沙汰するよう伝えた連署施行状。

  75. 前編2-No.1464 島津国久書下

    島津国久が阿久根院蓮華寺の寺領・権益を安堵し、子孫や他門の者が妨げた場合は後日の証拠とする旨を定めた書下。

  76. 前編2-No.1465 島津国史

    文明年間の島津忠昌をめぐる政治・軍事情勢をまとめた国史記事。龍雲寺への禁牌発給、伊東氏との対立、大友氏方への軍事対応、五代友平・行頼ら家臣の動向を記し、さらに琉球渡海船の扱いをめぐる幕府との交渉を通じて、領国内統制と対外交通の課題を示す。

  77. 前編2-No.1466 島津立久制札

    島津立久が市来龍雲寺に対し、寺門前での殺生・樹木伐採・寺僧への暴行・奴婢の出入りなどを禁じ、違反者を処罰すると定めた制札。

  78. 前編2-No.1467 島津立久書状

    島津立久が、出船に際する祈祷と護送への謝意を述べ、引き続き精誠を尽くして祈念するよう求めた書状。

  79. 前編2-No.1468 池田氏年代記

    文明三年九月十二日に向島の黒神村で噴火が起こり、多数の人畜が死亡したことを記す年代記記事。

  80. 前編2-No.1469 浦上則宗書状

    浦上則宗が島津氏に、御屋形の命令を承知して忠節を尽くすこと、伊東氏を含む国事への対応を先例に従って進めることなどを求めた書状。

  81. 前編2-No.1470 右衛門尉行頼書状

    右衛門尉行頼が島津氏に、琉球渡海船をめぐる紛争・船の留置と積載品の扱いについて、幕府の意向を踏まえて慎重に処理し報告するよう求めた書状。

  82. 前編2-No.1471 政国書状

    政国が二階堂三左衛門定行から太刀一腰と鳥目三千疋を受領した礼を述べ、返礼として太刀一腰(景光)と織物を進上した書状。

  83. 前編2-No.1472 足利義政下文

    足利義政が島津忠光に、播磨国布施郷の地頭職・下司職・公文職を返付し、領知するよう命じた下文。

  84. 前編2-No.1473 室町幕府奉行連署奉書

    室町幕府奉行の国通・貞秀が、播磨国布施郷の地頭職・下司職・公文職を島津忠光へ返付したため、年貢・公事を忠光へ納めるよう名主・沙汰人に命じた連署奉書。

  85. 前編2-No.1474 政国書状

    政国が二階堂三左衛門定行に贈答への謝意を述べた書状。本文はNo.1471と同文のため省略される。

  86. 前編2-No.1475 室町幕府奉行連署奉書

    室町幕府奉行が赤松兵部少輔に、播磨国布施郷の地頭職・下司職・公文職を島津忠光へ返付する命令を施行するよう求めた連署奉書。

  87. 前編2-No.1476 室町幕府奉行連署奉書

    室町幕府奉行の国通・貞秀が島津忠光に、播磨国布施郷の地頭職について幕府命令を遵行し、違乱する者を処罰するよう命じた連署奉書。

  88. 前編2-No.1477 犬追物手組

    犬追物の手組として、島津氏一族・蒲生氏・長野氏・伊地知氏・平田氏らを組別に配し、参加者名を列挙したもの。

  89. 前編2-No.1478 年代記

    文明四年正月、島津立久が父大岳公の一周忌に僧侶を集めて法華経一万部を読誦させ、大施餓鬼を行い、泰雲和尚を焼香役としたことを記す年代記記事。

  90. 前編2-No.1479 島津立久書状

    島津立久が改年の祝意を述べ、報恩寺里主との面会や旅程・参会の希望、使者への返答などを伝えた書状。

  91. 前編2-No.1480 足利義教御内書

    足利義教が、大友持直・大内新介らを討つため豊後国へ発向し、遅滞なく治罰を加えるよう命じた御内書。

  92. 前編2-No.1481 室町幕府奉行連署奉書

    室町幕府奉行が島津忠光に、播磨国布施郷地頭職をめぐる違乱・狼藉を止め、違反者を処罰して先例どおり領知させるよう命じた連署奉書。

  93. 前編2-No.1482 足利義教御内書

    足利義教が島津陸奥守に、豊後国への出陣が遅れているため、合戦に備えて早急に進発し忠節を尽くすよう命じた御内書。

  94. 前編2-No.1483 島津国史

    『島津国史』が、文明五年に島津立久方で行われた犬追物と家臣の参加を記す。あわせて将軍足利義尚による来迎寺領寄進、梶原氏の系譜・所領継承、寺院への寄進と契約文書を掲げ、武家儀礼・幕府関係・地域所領の動きを編年で整理する。

  95. 前編2-No.1484 本田兼親譜

    島津立久が凶徒への備えに関して本田兼親へ懇切な書状二通を与えたことを記す系譜記事。年代は未詳と注記される。

  96. 前編2-No.1485 島津立久書状

    島津立久が本田殿に豊前進発と国境警戒を命じた書状。本文はNo.1461と同文のため省略される。

  97. 前編2-No.1486 島津立久書状

    島津立久が本田殿に、敵方との合戦や城をめぐる情勢について意見を伝え、肝要の方策を相談・報告するよう求めた書状。

  98. 前編2-No.1487 犬追物手組

    島津立久の御屋形入りに際して行われた犬追物の手組として、島津氏一族と家臣を組別に列挙したもの。

  99. 前編2-No.1488 島津立久寄進状

    島津立久が法城山龍雲禅寺に、湯原一町・来迎寺領三町・山野や島地・山林などを寄進した寄進状。

  100. 前編2-No.1489 琉球王尚円書状

    琉球王尚円が島津氏からの太刀などの贈物に謝意を述べ、上洛の遅延や京都での用件、梶原氏に関する取次などを伝えた書状。