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前編2の目録

旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。

全2,778件中 1001~1100件・11 / 28ページ

  1. 前編2-No.990 伊集院道応寄進状

    伊集院道応が、たまりの薗・馬場薗ほか合計三か所の園地を、重代相伝の所領として圓通庵へ永代寄進し、違乱を禁じた文書。

  2. 前編2-No.991 島津国史

    応永二十八年、島津久豊が兵を徴し、伊集院頼久方の隈城を攻めさせた経過を記す。羽島新三郎・奈良美作らが出兵・攻城し、克久・忠朝ら一族も軍事・所領処置に関与した。落城後の所領給与と反乱勢力の鎮圧を通じて山門院支配を再編した。

  3. 前編2-No.992 西藩野史

    島津久豊と伊集院頼久の長期抗争を中心に、薩摩・日向各地の城郭攻防と佐多親久・平田重宗らの働きを記す。伊東祐安との和約に至った一方、久豊は上京を果たせず、応永三十二年正月二日に薨去した。軍歴と晩年を一連の伝記としてまとめる。

  4. 前編2-No.993 沙弥文西寄進状

    沙弥文西が、姫木に住む大中臣角入道文西として、清水楞厳寺へ水田五段を現世・来世のため関係証文とともに寄進した文書。

  5. 前編2-No.994 坪付

    河邊内の長田門にある水田五町を列記した坪付。

  6. 前編2-No.995 大寺元幸等連署契状

    大寺元幸らが、田布施を一円に譲られたことを受け、屋形への遺恨を残さず、讒言があれば衆中で相談して軽率な振舞いを避けると伊作殿に誓った連署契状。

  7. 前編2-No.996 島津勝久譜

    山門院にいた島津守久を貴久が攻めた際、従軍中の勝久の居城を叔父遠江守十忠らが攻め、久豊の許しを得て勝久を追放したため、勝久が妻子を残して他国へ出奔した経緯を記す。

  8. 前編2-No.997 伊作島津氏系図

    伊作大隅守勝久の女子二人について、一人は伊作遠江守十忠の室、もう一人は島津上総介久世の室となったことを示す系図。

  9. 前編2-No.998 沙弥通松譲状

    沙弥通松が舎弟羽嶋新三郎に、国分寺領内薩摩郡の羽嶋を、代々の文書に基づいて知行するよう譲った文書。

  10. 前編2-No.999 島津義天譜

    隈城の島津忠朝が流言に動揺して兵を動かしたものの防戦できず城へ退き、自害も考えるなか、久豊の招きに応じて麑島へ帰還するまでを記す。

  11. 前編2-No.1000 島津義天譜

    伊集院頼久が久豊の旗下に入り薩摩郡へ進出したことを背景に、妻室・姉妹との婚姻や忠節をめぐる頼久方の動向、犬千代丸らへの命令と反命を記す。

  12. 前編2-No.1001 島津義天譜

    薩摩平定後、島津貴久が未婚であったため、島津久豊が新納忠臣の娘を麑島へ迎えて貴久の妻とするよう、北郷知久を介して婚姻を進めたことを記す。

  13. 前編2-No.1002 応永記

    応永二十八年八月二十日、島津久豊が隈城を包囲し、城内の伊集院方と対峙したことを記す。

  14. 前編2-No.1003 島津存忠安堵状

    島津存忠が、島津荘薩摩方郡内の向田六町と井四町、合計十町について相違がないよう羽嶋新兵衛へ安堵した文書。

  15. 前編2-No.1004 島津存忠宛行状

    島津存忠が、薩摩国東郷退治の際の恩賞として、国分で万徳に相当する所領を羽嶋新三郎へ宛行うよう定めた文書。

  16. 前編2-No.1005 島津存忠安堵状

    島津存忠が、薩摩郡内羽嶋の本領について、現在の知行に相違がないよう羽嶋新三郎へ安堵した文書。

  17. 前編2-No.1006 島津存忠宛行状

    島津存忠が執印殿に、薩摩郡内十町分を先例どおり知行するよう宛行った文書。

  18. 前編2-No.1007 伊集院道応契状

    伊集院道応が島津安藝守に、今後は隔心なく仕え、大事の際に身をもって奉公し、讒言・虚説・凶害があれば直ちに知らせることを神仏に誓った契状。

  19. 前編2-No.1008 道慶譲状

    道慶が次郎五郎に所領を譲与し、後日の証拠として堀切正守を証人に立てた譲状。

  20. 前編2-No.1009 島津忠朝名字状

    島津忠朝が宮子若狭守に「久種」の名字を与えた文書。

  21. 前編2-No.1010 応永記

    応永二十九年、島津貴久を大将として山門方面へ派遣し、伊集院頼久方の城を包囲した戦役を記す。和泉・阿久根方面を含む進軍路、城方の籠城、攻撃軍の兵站、周辺住民の避難・協力を追い、伊作城など山門地域の拠点を孤立させた経過を示す。

  22. 前編2-No.1011 伊集院道応畑寄進状

    伊集院道応が、薩摩国満家院内の寂照庵に属する田畠等を、志により廣濟寺の長老崇悟西堂へ寄進し、子孫に至るまで違乱しないと定めた文書。

  23. 前編2-No.1012 島津貴久感状

    島津貴久が、山門退治への出陣と軍忠を賞し、今後も戦功に励むよう西俣出羽守へ命じた感状。

  24. 前編2-No.1013 島津義天譜

    山門院での反乱と軍勢召集を受け、島津久豊が貴久を大将として派遣した経過を記す。平田重宗・伊地知久安・山田氏ら諸将が部隊を率いて城の攻撃・守備に当たり、伊集院頼久方の動向を警戒しながら反乱鎮圧と山門院の支配回復を進めた。

  25. 前編2-No.1014 島津義天譜

    山門院を掌握したのち相良氏へ当地を与え、瀬崎の山野に寺を建立して感應寺と称したこと、旧臣らの疑念や伊集院方との関係を記す。

  26. 前編2-No.1015 島津義天譜

    伊作遠江守十忠が勝久の旧領を求めたことを発端に、妻子・叔父との関係、安鶴丸をめぐる動向、伊作方の策謀と麑島への移動を記す。

  27. 前編2-No.1016 島津義天譜

    祝翁死後の守護職をめぐり薩摩・大隅・日向で反乱が続くなか、島津久豊が兵を整えて対処した経過を記す。貴久・安鶴丸らの一族関係を整理し、伊集院頼久方への軍事・政治対応を進めた。守護家の継承問題が三州の動揺と結び付いたことを示す島津義天譜記事。

  28. 前編2-No.1017 島津国史

    応永三十年春、幕府の伊東氏征討命令を受けた島津久豊・貴久方の戦役を記す。平田重宗・伊地知久安らが加江田城・油津方面へ進軍し、陸海から攻城したが、兵站と輸送に苦しんで撤退し、軍勢を再編して再進軍を試みた経過を追う。

  29. 前編2-No.1018 山田玄威申状

    大隅国小河院内の成村・山田内上別符村・中村内入久など、合計二十四町五反に及ぶ所領と段銭額を列記して申告した文書。

  30. 前編2-No.1019 山田忠豊申状

    大隅国小河院内の成村、山田内上別符村、中村内入久などの所領を列記し、山田忠豊が申告した文書。

  31. 前編2-No.1020 渋谷重長譲状

    渋谷重長が子の初五郎丸へ、薩摩国入来院清色北方を中心とする家領を永代譲与した文書。塔原・中村・楠本・倉野・久住・柏嶋など多数の村、屋敷、田畠・山野の権益を列挙し、分散した所領を一括して後継者に相続させる。

  32. 前編2-No.1021 島津存忠起請文

    島津存忠が渋谷重長に、山田の陣以後に害意を企てていないこと、今後も不等閑にせず誠実に対応することを日本国中の神々に誓った起請文。

  33. 前編2-No.1022 島津義天譜

    『島津義天譜』が、応永三十一年に島津久豊が薩摩・大隅山西の騎兵・歩兵を動員した経過を記す。島津貴久・伊集院頼久ら諸将を編成し、伊東方への備えとして油津方面へ進発し、日向南部の戦線へ軍勢を集結させた。

  34. 前編2-No.1023 島津義天譜

    油津周辺で伊東方の守備と輸送を遮断するため、島津久豊方が船団・騎兵を動員した戦闘記事。平田重宗・伊地知久安・大寺美作守らが海路と陸上の陣地を分担し、宮崎・油津間の船運を押さえながら敵の補給と援軍を妨げようとした攻防を記す。

  35. 前編2-No.1024 島津義天譜

    吉日を選んで油津を出帆し、鵜戸崎を経て敵城へ迫り、上陸・攻撃によって守兵を退却させた海陸作戦を記す。

  36. 前編2-No.1025 紀氏女千あみたふ契状

    紀氏女千あみたふが、米銭を納めた所領や契約条件について、子どもを含む関係者が異議を申し立てず、後日も違背しないと仮名書きで定めた契状。

  37. 前編2-No.1026 永穏譲状

    永穏が紀氏女千あみたふへ、職・所帯・家中所領の継承を定めた譲状。補任・検校・支配に関する先例と伝来証文に従って知行すること、子孫へ永代相伝することを認め、親族・他人による異議や押領を禁じて相続と職務の継続を保証する。

  38. 前編2-No.1027 越後守久元契状

    越後守久元が、公方への忠節を尽くし、私事でも命令に従い、子孫に至るまで背かないことを神仏に誓った契状。

  39. 前編2-No.1028 島津存忠安堵状

    島津存忠が、正八幡宮領である大隅国の本領および諸所の田畠について、任親父永穏の証文等に従って澤氏の知行を安堵した文書。

  40. 前編2-No.1029 しん正譲状

    しん正が、大口高城氏に関わる門田・屋敷・田畠等を、仮名書きで後継者へ譲り、将来の違乱を禁じた譲状。

  41. 前編2-No.1030 しん正譲状

    しん正が、家屋・田畠など別の所領を後継者へ譲った仮名書きの譲状。No.1029とは譲与対象を異にする同日文書。

  42. 前編2-No.1031 久重証状

    久重が龍泉庵について命を受けたことを承知し、自身と子孫が後日異議を申し立てない旨を廣濟寺侍者へ証した文書。

  43. 前編2-No.1032 島津義天譜

    『島津義天譜』が、島津久豊方による加江田城攻略の評議から実戦までを記す。海路・陸路の軍を分け、折生迫・油津方面の砦と城郭を順次攻撃したが、伊東方の抵抗で損害を出して退却し、兵を立て直して再攻撃を試みた経過を追う。

  44. 前編2-No.1033 島津義天譜

    薩隅往還の要害である薩川に奈良氏を置き、飫肥・田代・清武方面への便宜と加江田の藩屏・警固を担わせたことを記す。

  45. 前編2-No.1034 島津義天譜

    菊池重朝の使節立田某らが島津方を訪れた際の滞在記録。寶満寺・光明寺への参詣、舟遊びと漁猟、廣濟寺での禅僧との交遊を経て、聖祐・存忠らと対面した一行の行程を追い、使節接遇に宗教行事と遊興が組み込まれていたことを示す。

  46. 前編2-No.1035 島津義天譜

    菊池氏の使節を迎えた島津方の饗応記録。舟遊び、漁・狩猟、酒宴、騎射を催し、帰途の志布志では追物射を披露して一行をもてなした。存忠や伊東氏僧侶との対面・仲介にも触れ、遊興・武芸と政治交渉を組み合わせた使節接遇の全行程を伝える。

  47. 前編2-No.1036 島津国史

    島津久豊の出自・系譜と薩摩・大隅・日向三州での軍歴をまとめた国史記事。子女と後継者忠国を示し、伊東氏との対立を含む領国支配の経過を述べたうえで、応永三十二年正月二十一日に五十一歳で没し、福昌寺に葬られた生涯を記す。

  48. 前編2-No.1037 島津国史

    『島津国史』巻九の補注として、田代久助と清久に関する系譜上の注記を掲げる。

  49. 前編2-No.1038 応永記

    『応永記』が、加江田城をめぐる島津久豊・伊東方の戦いの後も諸国の争乱が収まらなかった時勢を述べる。京都への公役・貢献と在国支配の両立、国衆の統制、疫病の流行や社会不安への対応に苦慮する領主と民衆の状況を記す。

  50. 前編2-No.1039 島津義天譜

    存忠が老臣らと時勢を論じたのち急病となり、治療を受けても回復しなかった経過を記す。

  51. 前編2-No.1040 島津義天譜

    島津久豊が応永三十二年正月二十一日に五十一歳で没し、法名を存忠としたことなど、その薨去と年齢を記す。

  52. 前編2-No.1041 島津久豊系図

    島津久豊の系図として、元久・久豊と女子の系譜関係を示し、女子が伊集院弾正少弼頼久の室であることを記す。

  53. 前編2-No.1042 源貴久寄進状

    源貴久が、仏法紹隆・天下安全・家門繁昌・兆民快楽を願い、嶋津庄大隅方串良院岩弘名内九町分を大慈禪寺へ寄進した文書。

  54. 前編2-No.1043 大寺元幸寄進状

    元幸が父幸春禪門の菩提料として、谷山郡中村の松木園一所と大翠内の水田二段を福昌寺へ寄進し、違乱を禁じた文書。

  55. 前編2-No.1044 島津忠国加判蒲生忠清寄進状

    蒲生忠清が薩摩国鹿児島郡武村内宮丸崎五段と谷山郡和田内井尻五段を福昌寺へ寄進し、島津忠国が加判した文書。

  56. 前編2-No.1045 島津忠国加判蒲生忠清寄進状

    蒲生忠清が父道語の菩提料として、宮丸崎・井尻の田地を福昌寺へ寄進し、源貴久の加判を得た文書。No.1044と同日・同対象を記す別掲文書。

  57. 前編2-No.1046 山田玄威申状

    沙弥玄威が、大隅国小河院内一成村六町など山田氏関係の所領・段銭について申し述べた文書。

  58. 前編2-No.1047 泊久篤等段銭請取状

    泊久篤ら三名が、山田殿方から納められた段銭四貫九百文を請け取ったことを証した連署請取状。

  59. 前編2-No.1048 島津久豊加官状

    島津久豊が、百王丸こと三郎四郎忠豊の加官に関する旨を島津三郎四郎へ伝えた文書。

  60. 前編2-No.1049 足利義持下文

    足利義持が、島津陸奥守貴久を日向・大隅・薩摩三か国の守護職に補任し、先例に従って沙汰するよう命じた下文。

  61. 前編2-No.1050 足利義持御内書

    足利義持が、島津貴久からの太刀・金襴・義眼の献上を受領して神妙と賞し、返礼として太刀と鎧を遣わした御内書。

  62. 前編2-No.1051 太田重恒書状

    太田重恒が、永穏の証文は義天の代に理運と認められ下知されたため、当代でも判書を執進する旨を澤殿へ伝えた書状。

  63. 前編2-No.1052 太田重恒書状

    本文でNo.1051と同文のため省略された太田重恒書状。永穏の証文と当代の判書に関する内容を別文書として保持する。

  64. 前編2-No.1053 執印紀普範証状

    執印紀普範が、屋形の裁許に相違なく本田方が進退すべきことを認め、子細の儀があれば申し立てるよう澤殿へ証した文書。

  65. 前編2-No.1054 沙弥尼正智寄進状

    沙弥尼正智が、自身の菩提料として谷山郡山田村大河内の水田三段十丈を福昌寺へ寄進し、寺家の支配と違乱禁止を定めた文書。

  66. 前編2-No.1055 島津国史

    島津国史巻十一として、島津貴久が忠国へ改名し、大隅守に任じられたことや、応永三十三年の動向を記す。

  67. 前編2-No.1056 島津好久畑寄進状

    守護代藤原好久が和泉清峯泉公大禪定門の追善として、薩摩国給黎内枚久見塩屋の所銭一貫文と年貢塩十六斛を福昌寺へ寄進した文書。

  68. 前編2-No.1057 犬追物手組

    犬追物の射手を組分けし、島津氏一族・蒲生・平田・伊作・市来など各参加者の足数を記した手組。

  69. 前編2-No.1058 伊集院道応譲状

    伊集院道応が薩摩国内の所領について犬子へ譲り、子々孫々まで相伝して後日の異議を禁じた仮名書きの譲状。

  70. 前編2-No.1059 比志島了幸一族古却状

    比志島了幸が河邊の所領・屋敷等を代銭六貫文で売り渡し、子孫に至るまで異議を申し立てないと定めた仮名書きの売却状。

  71. 前編2-No.1060 久通寄進状

    久通が河邊郡宮村のちうれい二反を松崎長興禪寺へ永代寄進し、他者の妨げを禁じた文書。

  72. 前編2-No.1061 伊作久秀寄進状

    伊作久秀が伊作庄五郎島浦南・けすくりの田地や内田の屋敷を長興禪寺へ永代寄進し、他者の妨げを禁じた文書。

  73. 前編2-No.1062 久安質券

    久安が子の細に用いるため、大隅国黒木原の所領を十貫文で椛山殿へ質入れし、三年以内に元金を返せば請け戻せると定めた質券。

  74. 前編2-No.1063 鹿屋玄兼宛行状

    鹿屋玄兼が、大隅国鹿屋院中村の吹上堂地別当職について、相論分の勤公事を一期の間知行させた宛行状。

  75. 前編2-No.1064 栗野八幡社鉦銘

    栗野八幡院の若宮鉦を鋳造した際の銘で、願主崎津留道金と応永三十四年三月二日の年紀を記す。

  76. 前編2-No.1065 本田安了寄進状

    本田元親こと沙弥安了が、道親・妙壽両霊の位牌田として雉牟田所在の田三段を榜巖寺へ寄進し、違乱を禁じた文書。

  77. 前編2-No.1066 本田安了寄進状

    本田元親こと安了が、妙榮大姉の買得地である五反畠五段を先妣玄久禪尼の後生菩提のため榜巖寺へ寄進した文書。

  78. 前編2-No.1067 本田安了寄進状

    本田元親こと安了が、妙榮大姉の位牌田として大山所在の田五段を榜巖寺へ寄進し、違乱を禁じた文書。

  79. 前編2-No.1068 本田重恒寄進状

    本田重恒が安貞に関わる長田所在の田四段を榜巖寺へ寄進した文書として、重恒譜の摘録を掲げる。

  80. 前編2-No.1069 本田重恒寄進状

    本田重恒が實翁貞公庵主の位牌田として、長田所在の水田四段を榜巖寺へ寄進し、違乱を禁じた文書。

  81. 前編2-No.1070 祢寝玄清寄進状

    祢寝玄清が薩摩国谷山郡本中村の水田五段三反などを明山禪門追薦のため賢忠寺へ寄進し、子孫の違乱を禁じた文書。

  82. 前編2-No.1071 本田重恒寄進状

    本田重恒が薩摩国鹿児島郡西田村内宮地園三か所を永代にわたり賢忠寺へ寄進し、諸公事の停止と子孫の違乱禁止を定めた文書。

  83. 前編2-No.1072 本田重恒寄進状

    本田重恒が薩摩国鹿児島郡花棚の水田一町ほかを永代に賢忠寺へ寄進し、万雑公事・諸役の停止を命じた文書。

  84. 前編2-No.1073 殉国名藪

    応永三十四年十月二十七日、北郷義知と樺山知音が山東須田木の合戦で同時に戦死したことを記す。

  85. 前編2-No.1074 北郷義知系図

    北郷氏庶流系図として、義知が讃岐守義久の六男であることと、応永三十四年十月二十七日に山東須田木で戦死したことを記す。

  86. 前編2-No.1075 比志島了幸置文

    比志島了幸(久範)が所領の譲与と後継者の扱いを仮名書きで定めた置文。譲与後は関係者が定めを違えず、異議や妨害を差し挟まないことを命じ、後日の相論を防いで家と所領を確実に継承させようとした処分内容を伝える。

  87. 前編2-No.1076 比志島了幸譲状

    比志島了幸が嫡子二郎四郎義清へ、志嶋・西俣・河田・城前田・上原薗など五か所の所領を譲り渡し、他者の異議を禁じた譲状。

  88. 前編2-No.1077 島津国史

    『島津国史』が、正長元年への改元、正月十八日の足利義持死去と勝定院号、後花園天皇の践祚を編年で記す。さらに八月二十日の大岳公夫人久山妙榮大姉の死去を掲げ、碑銘・過去帳に見える年紀の異同を諸書と照合して考証する。

  89. 前編2-No.1078 島津忠国置文

    島津忠国が寳泉山賢忠寺の四至境界を定め、寺山内での耕作・伐採・殺生等を停止し、違反者を処罰するとした置文。

  90. 前編2-No.1079 慈楽書状

    慈楽が比志島河内へ、所用の品の取り計らいや正八幡宮の神事に関する依頼を伝えた仮名書きの書状。

  91. 前編2-No.1080 山田忠豊申状

    山田忠豊の申状として掲げられるが、本文は『畏言上』の冒頭のみで詳細を欠く。内容を推測せず、目録標題と年紀を保持する。

  92. 前編2-No.1081 時任栄政等段銭請取状

    時任栄政ら三名が、所定の段銭一貫百七十二文を請け取ったことを証した連署請取状。

  93. 前編2-No.1082 島津犬太郎丸宛行状

    島津犬太郎丸が宮古若狭守久種に、薩摩国薩摩郡宮古村十町を名字の地として先例どおり知行させた宛行状。

  94. 前編2-No.1083 本田重恒寄進状

    本田重恒が亡父安了禪定門の後生菩提のため、大隅国曾小河村内岩崎の水田七段を榜巖寺へ寄進し、子孫の違乱を禁じた文書。

  95. 前編2-No.1084 鹿屋院上村相分帳

    鹿屋院上村の田地を相分した帳簿。坂本田・河屋田・樋木田・馬庭田・下板吹田などの田名を一筆ごとに掲げ、各地の反別と鹿屋若狭介らへの配分を記すことで、上村に分散する耕地の所在・規模と相分後の知行関係を示す。

  96. 前編2-No.1085 島津義天譜

    島津義天譜の記事で、本文は既出のNo.1039記事と同文のため省略すると注記される。存忠の発病経過を記す記事として独立行を保持する。

  97. 前編2-No.1086 島津義天譜

    島津義天譜の記事で、本文はNo.1040記事の前半と同文のため省略すると注記される。島津久豊の薨去記事として独立行を保持する。

  98. 前編2-No.1087 島津義天譜

    島津義天譜の記事で、本文はNo.1040記事の後半と同文のため省略すると注記される。享年・法名等を含む薨去記事として独立行を保持する。

  99. 前編2-No.1088 島津国史

    『島津国史』が、正長から永享への改元と足利義教の将軍就任を記し、同時期の島津・伊東両氏の対立を編年でまとめる。大岳公・久林・定山公らの動向、都於郡・徳満城周辺の軍勢配置と城郭攻防を掲げ、幕府政局と南九州情勢を結び付ける。

  100. 前編2-No.1089 西藩野史

    島津忠国の出生・幼名、父久豊からの家督継承、薩摩・大隅・日向三州の守護としての統治を詳述する伝記記事。伊東氏との戦闘や足利義持との関係、伊東祐安女との婚姻、寺社の造営・寄進、久林ら子女の処遇を通じて、その軍事・政治・宗教政策をまとめる。